おいタルタル、追ってくるな   作:飲み会後の味噌汁

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「エレーナさん、森の中では逸れてしまうかもしれません。」

「そうかな?」

「はい。ですから手を繋ぎましょう。」

「え、あぁ...うん。」

「ふふ...。」

「なんか、距離近くて調子狂うな...」


己の過ちを見よ

 

 

 

 

side ---

 

 

 

 

 

 

「何か申し訳開きはあるか」

 

ダインスレイヴは激怒した。

必ずやこの天邪鬼を縛り付けて自由を謳歌できぬようにせねばならぬと理解した。

 

雷神との一戦で瀕死に陥ったエレーナは、ダインと旅人たちが目を離した隙に逃亡した。

それも、神里綾華を巻き込んだというおまけ付きだ。

 

ただでさえ死に体だったエレーナは絶対安静を余儀なくされている筈だったが、事もあろうに彼女は目を覚ますと数分も経たぬ内に姿を消した。

あまりに騒がしい寝室に違和感を持ったダインが彼女の元を訪れた時には、エレーナたちの姿は既になく、消えゆく転移扉のみがダインを嘲笑うように揺らめいていた。

 

当時、ダインスレイヴはすぐに『エレーナが逃げた』のだと察した。

 

エレーナはジッとしているのが苦手だ。

水面下で策を張り巡らせることなど出来ないし、問題に直面した時は迷いなく暴れて解決する方法を選ぶ。

 

直近の例で言えば、璃月で渦の魔神と戦ったのがそれに当たるだろう。

天に座す雷を深淵(アビス)の霧で捕まえて己の身に纏い、そのまま体当たりをかますような人間は、後にも先にもエレーナくらいなものだ。

 

そして、彼女と神里綾華は全身をびしょ濡れにして帰ってきた。

 

脚元に巻いていた包帯はいつの間にか解かれて手に持っていた。

大方、水遊びでもしたのだろう。

社奉行のお嬢様が居ながら、エレーナの気ままな奇行を止めることは出来なかったらしい。

 

気まずそうな顔をしたエレーナは、仁王立ちしているダインスレイヴから低い声で詰められてもなお心を折ることはなかった。

それどころか、さもありなんとでも言いたげな顔で反論した。

 

「別に言い訳をするつもりはありませんよ。ただ綾華と一緒に気分転換しに行っただけですからね」

「貴様...ッ!」

 

ダインスレイヴのこめかみに皺が寄っていく。

老いぬはずの男の顔は、途端に押し寄せた心労によって年寄りのような疲弊感を醸し出していた。

世の親たちは皆このような気苦労と戦っているのかと驚愕した。

子供はどのような行動をするかは分からず、常に目を配っていなければいけないという話を聞いたことがあるが、ここまで大変だとは思っていなかった。

 

剣呑な雰囲気が二人の間に漂い始める。

両者は決して自分の主張を曲げないとでも良いたげに睨み合う。

 

「ふふっ...。」

 

しかし、エレーナの隣にいるお嬢様だけはどこか楽しそうに微笑んでいた。

 

ファデュイの輩を(ぎょ)し得る強者である筈の異邦人(エレーナ)の内面を垣間見た綾華は、心の中に確かな優越感を感じていた。

ある程度は親しい仲であるであろうダインスレイヴに対しても敬語を使うエレーナが、綾華に対しては砕けた態度で接してくれたのがたまらなく嬉しかった。

 

自分を命懸けで助けてくれた事実や、手を握られた時の彼女の可愛らしい慌てぶりを見て、綾華はエレーナを愛おしいとすら感じていた。

最初はその感情が何なのか綾華自身も分からなかったが、今なら分かる。

 

この感情はきっと友人や家族に向けるものとは異なるものだ。

今の綾華の目には、エレーナのぶっきらぼうな表情すらも愛らしく映る。

次に鎮守の森を共に歩く時が来たら、綾華は夜空に浮かぶ月を見ながら『月が綺麗ですね』とでも言うだろう。

 

彼女の全てが眩しく見える。

 

そして、それと同時に彼女の背負っている苦しみが酷く重々しく感じられる。

今まで綾華が感じたエレーナの負債はほんの一部に過ぎない。

彼女は普通の少女であれば味わう必要のない苦渋を経験していることだろうが、綾華はそれについてはほとんど知らないのだ。

 

ならば、自分がその苦しみを癒してあげればいい。

二度も命を救われた恩もあるが、それ以上に愛しているから...綾華はそう考えながら、ダインスレイヴと睨み合うエレーナを見ていた。

 

そんな視線に気付くことはなく、エレーナはダインスレイヴを無視して屋敷の中へと入っていった。

 

「はぁ、私のことは放っておいて良いですから、これからの身の振り方を考えましょう。その方が有益です。」

「おいっ...まったく」

 

すっかり普段の調子を取り戻したエレーナを見て、ダインは溜め息を吐く。

 

「うふふ...」

「...おい、何を見ている」

 

ダインスレイヴは不機嫌そうに綾華に聞いた。

それに対して、綾華は憑き物が落ちたかのようにすっきりとした表情で返した。

 

「いえ、何でもありません」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、ようやく顔ぶれが揃った一行であったが、現状の稲妻はあまりに混沌としている。

このような状況下では下手に動くことは命取りになりかねない。

 

故に話し合う場を設ける必要があった。

 

「さて、馬鹿(エレーナ)が戻ってきたからようやくこれからの話が出来る。」

 

ダインスレイヴがそう言った。

彼の視線の先には涼しい顔で敷布団に包まっているエレーナがいた。

たった今、彼が"馬鹿"と称した者である。

 

ダインから『貴様も話し合いに顔を出せ』と言われたエレーナだったが、『怪我人は療養してなきゃいけないんですよ、知らないんですか?』と煽り返した。

また紛争が勃発しかけた両者だったが、横になりながら話を聞くという形に落ち着いたのだった。

 

「何ですかその目は。」

「...。」

「会議に出れば良いのでしょう?不貞寝で目的は果たしていると思いますが。それとも怪我人に無理をさせるつもりですか。」

 

黙りこくるダインスレイヴ。

何も言わないが、それ故に彼の怒りがヒシヒシと伝わってくる。

 

「ダ、ダインがこんなに怒るなんてぇ...旅人、オイラたちこのまま死んじゃうのか!?」

「パイモン、ダインを何だと思ってるの...?」

「だ、だって!ダインの奴、今にも飛びかかりそうな顔をしてるぞ!?」

 

怯えるがあまり素っ頓狂な想像をするパイモンに突っ込む旅人。

 

ダインスレイヴは確かに強面で、よく黙りこくる。

見方によっては恐ろしく内面が読み難い人間だと感じるだろう。

 

しかし、旅人...蛍には彼の気持ちが分かった。

 

「心配だったんだね....エレーナのことが」

 

ダインスレイヴには聞こえないように呟いた。

 

双子の兄と生き別れることになってしまった蛍にとって、家族はとても大切な存在だ。

代えなんて効かない。

側に居てくれるだけで元気が湧いてくれるような...そんな存在だ。

 

きっとダインスレイヴにとって、エレーナもそうなのかもしれない。

...妹のように思っているのかもしれない。

 

蛍はダインスレイヴとエレーナの両者と知り合って間もないが、それでも彼らが互いを気の置けない相手であると思っているのが分かった。

 

そう思えば、ダインスレイヴが多少怒りを見せた所で恐いとは思わない。

それはきっと、愛ゆえなのだから。

 

「まぁまぁ二人とも。ここは綾華のお屋敷なんだから、粗相のないようにしなきゃ。」

「旅人の言うとおりです。ここで争うのは得策ではありませんよ。」

「...解せん」

 

渋々引き下がるダインスレイヴと、それを煽りつづけるエレーナ。

怪訝な表情こそ浮かべてはいるが、雰囲気は十分に弛緩したようだ。

 

出来れば、エレーナにも煽りを止め手もらいたい所だが、彼女は凄まじい頑固者であるためこれ以上の懐柔は不可能だろう。

まともな議論の場が整っただけでも十分と考えるべきだ。

 

「うぅ...よかった。」

 

旅人の仲裁を受けてようやく場が収まったことで怯えていたパイモンも正気に戻ったのか、旅人の背後から恐る恐る出てきた。

役者は揃い、準備も上場だ。

ようやっとまともな話し合いが執り行われる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「話し合いをするのも良いが、その前に前提を擦り合わせたい。」

 

ダインスレイヴは未だ横たわるエレーナを見据えて言った。

彼の虫の居所は改善されたが、全ての疑問が払拭されたわけではなかったようで、少し詰めるような声色で問うた。

 

「エレーナ、貴様はなぜこの国を訪れた。」

 

これは彼にとって重要なことだ。

死に体になりながら這って進むエレーナを案じているダインにとって、彼女が次にぶつかるであろう障壁の正体を知っておく必要がある。

 

少し前、璃月では『公子』や渦の魔神(オセル)と真っ向から戦いに臨むという無謀を買って出たエレーナが、稲妻で()()()()()()()()()()()()()()

実際、エレーナは既に『雷神』と戦っているのだから。

 

これ以上、彼女が死に目に遭うような光景を傍観しているわけにはいかない。

 

ここで聞いておかねばいよいよ彼女が本当に死にかねない。

ダインスレイヴの圧を感じたのか、エレーナも水を差すような真似はせずに淡々と答えた。

 

「...私が稲妻に来たのは『雷神』に会うためです。ただ一目会って、少し調べ物を済ませて帰るつもりでした。...今はそんな予定は全部おじゃんになりましたけどね。」

「『雷神』に会ってどうするつもりだった」

 

肝心な部分をはぐらかそうとするエレーナをさらに詰める。

 

「言えません。」

「この後に及んでそのような態度が通るとでも?」

「言わないんじゃないんです、()()()()()()()。」

「何を...」

 

尚も納得のいかない様子のダインスレイヴだったが、彼を嗜めるようにとある少女が口を挟んだ。

 

「ダインスレイヴさん」

 

綾華は静かに彼の名を呼ぶと、それ以上は何も言わなかった。

しかしその顔には哀れみと懇願の色があった。

 

『エレーナが全てを明かさないのは、エレーナの意思によるものではない』

 

これは頓智でも何でもなく、事実なのだ。

 

綾華の無言の訴えが功を奏したのか、ダインは詰め寄るような態度を崩した。

そしてエレーナに向けて降参の意を唱えた。

 

「...時が来れば、その時にもう一度聞かせてもらうとしよう」

「はい。ご自由に。」

「なぁ!お前らは話すたびにギスギスしないと気が済まないのかよぉ!?」

 

重苦しい雰囲気に耐えかねたパイモンが叫ぶ。

彼女のメンタルは限界に達していたようで、旅人に引っ付きながら泣き散らかしている。

流石に怖がらせすぎたと反省したのか、ダインはバツの悪そうな顔で目を逸らし、エレーナが掛け布団を更に己の懐へと寄せて黙りこくった。

 

彼らはどこか似ている。

血を同じくした兄妹ではないだろうが、それでも腐れ縁のような雰囲気がある。

旅人からすれば微笑ましい限りだが、パイモンにとっては恐ろしいようだった。

 

「旅人はどうなんですか。」

「え、私?」

 

詰められてばかりで不満を募らせていたのか、エレーナが目を細めて旅人たちに問いかけた。

疑念とはまた違う、形容し難い感情を乗せたエレーナの瞳が旅人を貫いている。

 

「私はお兄ちゃんを...」

「貴女の旅の目的が『お兄さん』を探すことなのは知っています。」...私が聞きたいのは稲妻に着いてからのことです。綾華から聞きましたが、彼女からの助力要請を蹴ったそうですね」

 

エレーナはずっと気になっていたことを聞いた。

綾華と初めて言葉を交わしたあの日、既に旅人の助力を得ているのだとばかり思っていたエレーナはその予想を否定された時の衝撃をまだ覚えている。

 

「それは...」

「別に責めているわけではありません。ただ、解せないだけです」

 

これはあくまでも旅人の意図を確認するための質問だった。

 

本来の物語でも、旅人は綾華からの要請を断るような素振りを見せる。

それでも紆余曲折あって結託することになるのだが...此度の物語においてはそうはならなかった。

旅人は最後まで綾華からの声を聞くことはなく行ってしまった。

 

誰を頼ることも出来ずにいた所に出会ったのがエレーナだった。

憔悴していた綾華を間近で見ていたエレーナからすれば、旅人の行動の真意を知りたがるのも無理はない。

 

しかし、意外にもその追求に待ったをかけた人物がいた。

 

「エレーナさん、旅人さんを責めないでください。」

 

綾華は、旅人に詰めるエレーナを自ら止めた。

凛とした声は部屋によく響いた。

 

「い、いや責めてるわけじゃあ...」

 

制されたエレーナは少し吃りながら蹲った。

纏っていた布団を更に深く被り綾華からの視線をシャットアウトしている。

 

旅人は目を丸くして驚いた。

綾華とエレーナが親交を深めていたのは聞いていたが、これほどエレーナが押されているのは意外だった。

 

旅人から見てもエレーナという少女は我が強い方だ。

胡桃から『癖っ気のある娘だよ〜』と言われたし、旅立って間もない頃にモンドの草原で喧嘩別れをしてしまった過去もある。

果てにはダインにも強気で接する彼女を見ていたから、てっきりエレーナは誰にでもそのような強気で冷淡な態度を取っているのだと思い込んでいた。

 

だが、それは勘違いだったようだ。

 

エレーナを制した綾華は旅人を一瞥した後、すぐにエレーナの方へと向き直った。

 

「...(わたくし)はファデュイの手を借りる算段を付けていたのです。旅人さん方に助力を請う時点で、既に『淑女』という執行官の部下を名乗る者たちともコンタクトを取っていました。」

 

彼女はまた一つ、己の過ちを告白した。

彼女にとって辛酸を舐めるような屈辱であったことは想像に難くない。

下唇を強く噛み締めているせいか、少量の血が滴っている。

 

(わたくし)にそれを断る余力はありませんでした....これは私の失態です。旅人さんは彼らとは敵対していたので、そんな(わたくし)とも手を組むことはしなかったのです。...エレーナさん、納得されましたか?」

「だから、別に旅人を責めてるわけじゃないって...もういいよ。」

 

何だかバツが悪くなったのか、エレーナはついに布団の中に完全に潜ってしまった。

彼女の顔と体は一切見えなくなったが、旅人たちの声は聞こえるだろうと判断したのか誰も引き摺り出そうとはしなかった。

どちらかと言えば、綾華に強く出れない彼女に同情したという方が大きいのだが...。

 

綾華の告白を聞いていたダインは顎に手を置いて考えていたが、やがて小さく納得の声を漏らす。

 

「...そういうことか。」

「ん?どうしたんだダイン。」

 

勝手に納得している様子のダインスレイヴを不思議に思ったのか、パイモンは頭を傾げる。

 

「俺もここに来て間もない故、それほど情報を持ってはいないが...この国にはファデュイの輩がいそいそと謀略を張り巡らせていることは知っている。」

 

彼の口からファデュイの名が出てきたことで少しだけ緊張感が走る。

ダインにとっても彼らは無視できない存在のようだ。

 

「そして、中でも()()()()()()が幅を利かせている。」

「し、執行官だって!?しかも二人って...」

「...。」

 

パイモンは嫌な記憶を思い起こしたのか自らの肩を抱いて震え上がった。

旅人もどこか思うとこがあるのか目を伏せて沈黙している。

 

「その二人の執行官の内の一人が『淑女』なのだろう。」

「『淑女』...彼女の部下が綾華と接触したとは言ってたけど、彼女自身も来ているんだね。」

()()()だがな」

 

旅人は落ち着いてこそいたが、顔には苦虫を噛み潰したのような顔が浮かんでいた。

 

彼女たちはモンドで『淑女』にしてやられた過去がある。

友人である風神を名乗る飲兵衛を足蹴にした挙句、彼の『神の心』を奪っていったのだ。

 

それを間近で見ていた旅人たちの心中が穏やかではないことは、火を見るより明らかであった。

 

「じゃ、じゃあもう一人の執行官っていうのは誰なんだ!?」

「『散兵』です。第六位の餓鬼(がき)...取るに足らない歌舞伎者に過ぎません。恐れる必要はありませんよ。」

 

エレーナが間髪入れずに答えた。

まるで答えを確信しているような答え方をする彼女に一同は首を傾げる。

 

「『散兵』...確か前に会った気がするけれど」

「...あぁ、そうなんですね。それはお気の毒に...大変でしょう、あんな木偶(でく)を相手にするのは」

「お、お前...その『散兵』と知り合いなのか?なんか妙に...その、辛辣だな」

 

パイモンは苦笑いしながら尋ねた。

エレーナの『散兵』に対しての評価が類を見ない程に悪辣で容赦のないものだったので、思わず気になって聞いてみたのだろう。

 

エレーナの刺々しい態度に部屋の空気がギチギチと軋む。

 

すると...

 

「エレーナさん。」

「...はいはい。大人しくしますよ。」

 

鶴の一声ならぬ、白鷺の一声がかかった。

綾華は極めて平静な声で彼女を制した。

流石にこれ以上の横暴は申し訳ないと思ったのか、エレーナがそれ以上愚痴を溢すことはなかった。

 

どうやら、彼女と『散兵』にはあしからぬ因縁があるようだった。

ファデュイはあらゆる国や組織から恨みを買っている。

それ故に彼女のように憎しみに駆られる者が出るのもおかしくはない。

 

「コイツの個人的な確執は置いておくとしよう。簡潔に言えば、今の稲妻を蝕んでいるのは『ファデュイ』と稲妻も『内輪揉め』や『災厄』だ。前者は兎も角、後者の方はどう対応したものか...」

「あの、それについて一ついいですか?」

 

思わずといったような表情で、反射的に手を上げて口を挟むエレーナ。

包帯を巻いている右腕はまだ痛むのか、苦悶の表情を浮かべている。

 

「なんだ」

「いえ、稲妻が大変だっていう話は何度も聞きましたが、()()を実際に見たことがないなと思いまして...」

「...エレーナさん?それは一体どういう...」

「いや、だって...私は稲妻に来てから深淵(アビス)の気配なんて感じてないし、かと言って人間同士の戦争(いさかい)も見てないんだけど....それに、綾華と城下町を散歩したことがあるけど、その時には怨嗟の『えの字』も感じなかった。」

 

そう、エレーナが綾華と共に城下町を闊歩していた際は魔物の気配なんて感じなかった。

それどころか活気のある町の喧騒すらあった。

精々、エレーナを警戒していた綾華との口論が巻き起こった程度で、血生臭い様子なんて微塵も見られなかった。

 

「な、何を言っているのですか。だってあの町はあんなにも...!」

 

なぜか大きく狼狽えている綾華だったが、エレーナにはその理由が分からない。

 

彼女は『雷神』が言っていた魔物の大群も、憎しみや飢えに駆られて暴れる人々も見ていない。

みんな普通に暮らしていたし、幕府軍も健在だった。

治安が最低限維持されていているのに、これのどこが『災厄』なのか理解できない。

 

エレーナの疑問に答えたのはダインスレイヴだった。

 

「...貴様、何を言っている」

 

ダインスレイヴは理解できないものを見るかのような目をしていた。

眉を寄せて怪訝そうな表情は彼の疑念を強く表している。

エレーナは少し驚きながらも言葉を続けた。

 

「何って、ですから町の様子と私の聞いた話が噛み合わないんですよ。綾華が参るなんて余程の惨状が拡がっていてもおかしくないというのに、私は壊れた家屋の一つも見かけていません。」

「一体なにを...いや、待て」

 

ダインスレイヴは何か、奇妙な違和感を感じた。

彼はエレーナの前まで来ると、彼女は纏っていた布団を引っぺがした。

天日干しされた羽毛のいい香りが心地よいが、もの凄い剣幕をしたダインスレイヴが目前に迫っているエレーナにとってはそんなこと気にしている場合ではなかった。

 

「な、何をするんですか!?」

「黙っていろ」

 

いきなりの暴挙に意を唱えたエレーナだったが、ダインスレイヴは彼女の声を無視して手を翳した。

黒い翳りのようなエネルギーが彼の掌から滲み出る。それは彼が呪いとして賜った深淵の力であった。

 

彼は『雷神』の異空間をこじ開けた時と同じように、エレーナの瞼を覆う桃色の何かを消し去ろうとした。

魔神の強力な権能に無理やり干渉するなど本来ならば出来るはずもないのだが、ダインスレイヴは特別だ。

 

一心浄土という空間が、エレーナの中にいる⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎によってある程度干渉できたことを鑑みて、深淵の力を持つダインスレイヴもそれに干渉できると考えたのだろう。

 

「...どこまでも忌々しい奴だ....彼女から離れるといい」

「...っうあ、」

 

ダインスレイヴが強く念じると、エレーナは何かしらの衝撃を感じたのか、微かに呻いた。

そして次の瞬間、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

それは芳香の煙のようにぷかぷかと立ち登り、虚空へと消えていく。

 

「...()ぅ...何ですか今のは」

 

エレーナは何が起こったのか理解出来ていないようだった。

一方のダインスレイヴは清々した様子を見せていた。

 

「恐らく『雷神』の仕業だろう。奴は貴様がノコノコと誘導に乗っかるように、瞼の裏に小細工を仕掛けていたわけだ」

「小細工?一体なんの...」

「実際に見た方が早いだろう。」

 

ダインスレイヴは彼女の腕を引いて立ち上がらせた。

戸惑うエレーナは目を白黒させているが、彼がそれに構う様子はない。

 

どこかに行くつもりなのか、彼は一心浄土でやってみせたように深淵(アビス)の力で転移の扉を発現させた。

あまりに唐突な展開に、それまで呆けていたエレーナも抗議の意思を示し始める。

 

「ちょ、ちょっと!いきなりどうしたんですか。大人しく療養してろって言ったのは貴方でしょう!?」

「いいから来い。もう一度、『雷神』が隠そうとしていたものを...()()()()()()()を見てみるといい。そうすれば貴様の感じていた違和感も多少は軽減されるだろう。」

「ちょっ!?」

 

ダインスレイヴはエレーナを脇に抱えると、転移扉を潜り始めた。

去り際に振り返って旅人たちの方を見て、簡潔に告げる。

 

「旅人、ファデュイのことはお前に任せる。」

「は、はぁ...」

「ちょっと!!!!私の意見は無視ですか!?」

「ああ、そうだ。無視する」

「はぁ!?何で....」

 

容赦のないダインスレイヴ。

もはや取り付く島もない。

喚くエレーナもろとも、彼は有無を言わさぬ勢いで転移の扉を潜ることになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「い、行っちゃったぞ...。」

「ダインってエレーナに対しては結構強引だねぇ...。」

 

取り残された旅人とパイモンは突然の逃避行をただ見ているだけだった。

梃子でも言うことを聞かないエレーナと、そんな彼女を律しようとするダインスレイヴの攻防の一抹を鑑賞する欲求に駆られたのだ。

結果として、勝者はダインスレイヴだった。

 

「と、取り敢えずオイラたちのこれからを考えなきゃな。ダインが言うには『ファデュイ』がどうとかって言ってたけど...」

「う〜ん、私だってここに来てあんまり散策できてないから、何とも言えないけど...綾華は何か心当たりとか、ある?」

 

旅人に尋ねられた綾華は辛うじて応えた。

絞り出したような小さな声だった。

 

「...エレーナさんとダインスレイヴさんは町に行かれたのでしょうか。」

「うん、多分ね。」

 

綾華は項垂れてしまっている。

旅人はできる限り優しく声をかけた。

 

「....心配?」

「はい。とても」

 

その言葉には断固たる意志が込められていた。

 

(わたくし)はあの場所にいるのも嫌なのです。まるで喉を締め付けられているような息苦しさが蔓延していて...とてもではないですが、あのような禁足地が未だに世に露わになっているのが信じられません。」

「私たちも見たよ...トーマにこの稲妻を案内された時にね。」

「そう、でしたね。旅人さん方は偶然トーマの手が空いている隙にお見えになったのでしたね。」

「うん。『南十字』の船に乗せてもらったから、そのまま港でトーマと合流してね。だからトーマのお陰で綾華に会わせてもらえたって感じかな。」

 

綾華は初めて旅人と会った時の己の醜態を思い出した。

令嬢としての礼を欠いた行いの数々が脳裏に思い返されては、彼女の胸を苦しめた。

 

「...あの時は礼を欠いたおもてなしをしてしまいました。」

 

災厄に見舞われたショックで我を失いかけていた綾華は、当時の旅人たちに助力を請うた。

しかし、その様はあまりに...悲惨であった。

少なくとも、遠路はるばる訪れた旅人が断煙するほどには。

 

「い、いやいや!オイラたちだって綾華がこんなに困ってるなんて知らなかったから、謝る必要なんてないぞ!むしろ、もっと早く気付いていれば...」

「やはり、あれを見たのですね。あの忌まわしい()()()()を...」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

side エレーナ

 

 

 

---次に瞼を上げた時には、幕府軍の座す城下町へと到着していた。

 

この場所の景色は、つい最近見たばかりだ。

 

忘れもしない鮮やかなその町は、無性に懐かしさを夢想させた。

 

桜の散る石造りの道を童たちが走り回り、それを大人たちが微笑ましく見守る様。

 

民家の庭先で鳴る鹿おどし

 

屋台の呼び込みの喧騒

 

熱気の籠った工房で、槌が鉄を打つ音

 

そのどれもが懐かしくて、鮮明で、どうしようもない嘘だった

 

 

 

 

「...................え」

 

 

 

 

言葉を失った。

目の前に広がっていた景色は想像していたようなものではなかった。

 

「この国を蝕む澱みは大きく分けて二つある」

 

ダインは淡々と語り始めた。

仮面で隠れた表情は相変わらず読み難いが、溢れ出る深淵(アビス)の瘴気の濁流が彼の感情を露骨に表現してくれていた。

基本的には冷淡かつ平坦な面持ちしか見せない彼の激情を目の当たりにしたエレーナは、一抹の不安を感じながらも

 

「一つはよそ者による悪逆や陰謀...」

「やめ、やめてください。」

「そしてもう一つは...」

 

狼狽える私を差し置いてダインは続ける。

 

「もう一つは、深淵(アビス)の魔物たちによる動乱.....()()()()、天からの釘による崩壊だ。」

 

彼の視線の先には、何がある。

彼が見ているものはなんだ...私は恐くて顔を上げられない。

この城下町を危機に陥れた何かが、今目の前にある。

 

彼女が観念して顔を上げると、そこには彼女の見知ったモノがあった。

 

それはとても巨大だった。

 

全長にしておよそ二百は下らないソレは、城下町のど真ん中にて座していた。

中心地は丁度『冒険者教会』があったであろう場所のようで、ソレの矛先が食い込んでいる。

...地面は抉られており原型を留めていない。

 

ソレの側面には木片や土埃の他に、何やら赤い液体のようなものが固着しているようで、よく見ると既に乾燥していた。

恐らく液体がソレにこびり付いてから何日も経過しているものと思われる。

 

ソレは地面にぐさりと突き刺さっており抜けそうにない。

そもそも大きすぎて、人間の手で抜去することなど不可能だろう。

よく見ると全体的に黒い霧のようなものがソレの周囲を漂っており、それらは見た者に『触れただけであらゆる物体を腐食せしめるのでは』とまで思わせるえぐみを持っていた。

 

見なくてはならない

 

目を逸らしてはならない

 

その過ちと向き合わねばならない

 

己の後悔をなかったことにしてはならない

 

 

「...何...で」

 

 

平穏を謳っている筈の城下町には、どこか見覚えのある釘のような柱が突き刺さっていた。

 




いつもご愛読ありがとうございます

読んでくださると大変嬉しいんですね、これがまた
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