「かなり前の話だが......テイワット中のあらゆる魔物が地上から根絶されかけたという事件があった。けれど別に大きい嵐が来たわけではないし、動物たちの生態系が拗れてしまったわけでもない。噂によると、たった一体の化け物が無作為に生き物を殺戮して周ったことが直接的な原因だそうだ。」
「あり得ない?ハッ、この世には島一つを丸呑みできる渦の魔神を岩の槍で鎮めてしまう神がいるんだぞ?例え地上の生き物を一息に根絶せしめる程に強いヤツがいても不思議じゃないだろ。」
「まぁ、俺も信じているわけじゃあない。何せ、要塞に籠ってばかりなもんで、普段の情報源は囚人と新聞、それから公務で外出する時の社交辞令くらいなもんだからな。」
「ただ、俺がこの話を信じているのはな......彼女がこの生態系根絶事件の犯人と思われる人物についてやけに詳細に語るからなんだ。」
「しかも、どこか幸せそうに語るんだ。」
「きっとあの娘は今でもどこかで生きていて、その余波で生態系に影響を及ぼしてしまったんだ、とかなんとかな。」
「ま、信じるかはアンタ次第さ。」
目の前に広がるのは整備された街並み。恐らく、石灰岩を加工した石材で舗装されたであろう道路。そこを様々な人間が行き交っている。
まず目に入ったのは、華やかなドレスを着飾る御婦人たち。
ガウン後部に長いトレーンを持つ特徴的なドレスは異国の香りを焚きつけてきた。
女性たちは、口紅で赤く輝かせた唇をまるで三日月のように歪めながら談笑に耽っている。今朝の新聞がどうだやら、仕立て屋の対応が悪かったやら、あまり耳触りの良い内容を話しているわけではないようで、私はすぐに聞き耳を閉じた。彼女らが発する黄色く甲高い笑い声が少々不快だったのもあるが。
冬の厳しい吹雪のことなんて考える必要はない。平和のど真ん中で暮らしている者達の愚かさや甘さが、この国では常識なのだそう。私からすれば羨ましいことこの上ない。
「すごいでしょう? ここが水の都――――正義と水の楽園の国『フォンテーヌ』よ!」
「......すごい。」
スネージナヤでは見られなかったような、ある種の近代的な街並みが私の目を焼いていく。排煙、口紅、紅茶。それと排水溝の汚れ。一見すると煌びやかな生活の隅に見え隠れする汚物。ただ
争いの臭いなど毛ほどもない。軍隊を抱える
「あちこちに高い建造物が......こんな光景は初めて見ました。」
「あら、貴方の故郷には背の高い建物はあまりないのかしら?」
シグウィンは不思議そうにしながら私に問いかける。
「私の国にも大きい建物はありましたよ。鉄道だって走っていましたし、ある程度の発展は認められるでしょうが......私はそういった、大きな街に行くことはあまり出来ませんでしたから。そうですね、『見たことがない』と言う方が正確でしょう。」
記憶の中にある雪景色を思い出す。ただ寒いだけのつまらない国。弱者である私にとってはあまりに厳しい世界だったスネージナヤは、思い出すだけで頭痛が走るものだ。
「都会の風貌を見たことがないってことは、貴女は箱入りのお姫様ってこと!? それってとっても素敵じゃないッ! ローズってば可愛いお顔をしているから納得だわ!」
「いや、そう言うわけじゃあ......まぁ、もうそれでいいか。訂正するのも面倒くさいし。」
勘違いを否定する気力も湧かない。
諦観の目で溜息を吐く私を肯定的に解釈したのか、シグウィンはなんだかご満悦な様子だ。るんるんとステップを踏みながら街並みを行き始めたので、私も彼女の後ろを付いていく。シグウィンの姿がまるで豆粒が如く小さく感じてしまう程、この国は何もかもが大きい。聳え立つ建物群が威圧してくる。けれど、そんな街の風景よりも私にとってはもっと気になることがあった。
「ねぇシグウィン。」
「ん、なあに?」
「その、どうしてそんなに大きい外套を着ているんですか?」
「......っ!」
彼女は小汚い外套を纏っていた。小さな身体はすっぽりと隠されている。誰も彼女の人相を見ることは叶わない程に。なんて奇妙な姿なのだろうか。
「まぁ、私だって包帯ぐるぐる巻き人間なわけですから、貴女のことは言えませんが。いずれにせよ私たちは悪目立ちしています。もう少し日が落ちてから来た方がよかったのではないですか?」
「それはそうだけど......。」
歯切れの悪い様子のシグウィンに違和感を覚える。
天真爛漫な彼女らしくない。
「ん?」
ふと視線を感じ取って周囲を見渡す。
なんだか、感じたことのない嫌な視線を感じる。
「おい、あれ。」
「メリュジーヌだ......気持ち悪い。」
「見ろよアイツの足下、べっちょべちょに濡れちまってるよ。苦労して舗装してるってのに......嫌になるなぁ。」
「あの外套の下にはきっと醜い顔があるんだろうさ。ああ、嫌だな。」
悪意の奔流。
害意の塊。
まるで糾弾を行うかのような雰囲気。
フォンテーヌの人々は、顔を隠したシグウィンを蔑む。私を助けてくれた優しい友人である筈の彼女は、何故か罵倒の的になっていた。汚い外套を纏っているからといって、ここまで露骨に嫌悪されるものだろうか。なんだか私の知らない確執が彼女を貶めようとしているのではないか。
「何、この空気は。」
「......。」
臭い。
ここは人間の悪臭がする。
ファデュイのような強引さとはまた違う――――陰湿な何かがある。
シグウィンを見ると、彼女は身を小さく丸めて小刻みに震えていた。フォンテーヌという国の風土や常識は知らないが、早くもこの空気が常軌を逸するものであると理解できた。
私は反射的にシグウィンの手を握る。
「行きますよシグウィン。」
「ちょ、ローズ!? 何処に行くの!?」
「いいから黙って着いてきてください。こんな場所に居たら腐ってしまいます。」
出来る限り前だけを見て進む。周囲から突き刺さる奇異なものを見る視線は的確にシグウィンを射ていた。何かから逃げるなんて慣れっこだと思っていたのに、この時に感じた視線はそれまでのどれとも異なる粘つきを感じさせた。
◇
街の大通りを走り出して少し経った。
まだ体力が万全じゃないからかすぐに呼吸が苦しくなる。
今、私たちは小汚い裏通りにいる。
表通りはたいてい綺麗だったが、
粘っこい視線が貫く。
「なんでメリュジーヌが街中にいるんだ? さっさと出て行ってくれよ、床が汚れるだろう。」
いきなり立ちふさがった群衆の中の一人がそう言う。男は心底嫌そうにしながら、眉間に皺を寄せている。まるで汚物を見るような眼差しだった。私がどう言い返すか迷っていると、シグウィンが弱々しく返した。彼女らしくない声だった。
「ご、ごめんなさい。ちょっと街を歩くだけだから、人間たちに迷惑はかけないようにするわ......。」
「はぁ? なぁ、俺の言っていることが聞こえなかったのか?
私は目の前の光景に圧倒されていた。奇しくも暖かい家の下で産声を上げた私にとって、これは受け入れ難いものだった。目の前の彼らは平然と他者を罵り嘲っている。平等という価値観を足蹴にしながら、歪で鋭利なイデオロギーを振りかぶっている。
ファデュイから非道な仕打ちを受けた私でも、親しくしてくれた知人が虐げられているのは我慢ならなかった。如何に暴力と近しい日常を送っていた私でも、このような陰険な排他を享受するわけにはいかなかったのだ。私は俯くシグウィンの前に立ち、彼女を罵倒する人間を睨む。
「あの!」
「ん。何かなお嬢さん。」
「この
極めて温厚に返したつもりだ。
剣呑な雰囲気に飲まれぬように、努めて平静な様子を演出して声を掛けた。
だが、彼らの反応は更に酷いものになっていく。
「お前は誰だ?」
「ただの余所者です。」
「余所者ぉ? じゃあ観光にでも来たってとこか。呑気なものだ。にしても、そこの化け物を庇うなんて命知らずな奴だな。」
「......化け物ですって?」
私は『化け物』が誰を指しているのかを理解していた。だって、私も同じような感想を抱いた瞬間があったから。
「決まってんだろ。お前の背後にいるその
「......ッ!」
後ろにいるシグウィンの悲鳴が聞こえた。音のない声だった。浜辺で目を覚ましたあの時、まだ彼女がシグウィンだと名乗る前。私は人間の言葉を放つ未知の生命体に対して警戒した。得体の知れない生物に恐怖を抱き、悲鳴を漏らした。それは事実だ。
でも、彼女はもう私の恩人だ。ここで梯子を外して蹴落とす真似なんて出来ない。
「
「あぁ。観光客だから知らないのか!そりゃ仕方ないな。じゃあ教えてあげよう! その生き物は最近この国に出没してはいつの間にか人間社会に侵入していた
「はぁ?」
意味のわからない言い訳だ。思わず疑わしく思うような声を漏らした私に少しだけ苛立った男は、「コホン」と咳払いをしてからまたもシグウィンへの
「
「そうよ。全く、
男の背後に控えていた群衆の一人である女が
「そんな言い方をしなくてもいいじゃないですか。あんまりですよ。」
「はっ! じゃあ聞くが、お前は日常の中に唐突に現れた謎の生物を受け入れることが出来るのか? 人の言葉を話し、人と同じ歩行を行いながらも、全く異なる姿と機序を持つ謎の移民を信用するのか?」
「それは......。」
正直、この男の言うことも正しい。
私だって同じ立場であったら恐いと思う。
最も近いモデルケースは
「信用します。」
「なに?」
「
「ローズっ......。」
シグウィン、そんな悲しい顔をしないで。もっと胸を張って、堂々と笑って。傷だらけで、何処とも分からぬ場所から漂流して来た私を救い上げた貴女が悪人である筈がない。貴女はこんな人間たちに
「そいつを庇うのか?」
「庇うも何も、この娘を責める理由がありません。それとも貴方たちは何か被害を受けたんですか?」
「存在するだけで有害だよ、ソイツは。」
「その言葉、そっくりそのままお返しします。貴方たちは存在するだけでこの
我ながら交渉
「きっと後悔することになるぞ。そのメリュジーヌも、お前も。」
「そんな日は来ませんよ。とっとと失せてください。でないと大声で警官を呼びますよ。」
「......もういい、行くぞ。ファントム野郎どもが来たら面倒だ。」
男は不快そうな顔のままに告げた。男の声を皮切りに群衆が引いていく。彼らの足音が嫌に大きく聞こえた。やがて
「......その、よかったの?」
「何がです?」
彼女の不安そうな声が聞こえる。その質問の意図は分かっていたが、私は敢えて
「何がって......あなたはウチを、
「ええ。私は世間知らずだから知りません。」
「......ッ! 貴女はどうしてそう、必要以上に頑固なの!?」
知らないと言った。これは嘘じゃない。
「街に入ったばかりだというのにどうしてこんな目に遭うのか全く分からないし、貴女たちメリュジーヌがどうして迫害されているのかもまだ納得がいってない。でも......」
私はこの国について、フォンテーヌについて何も知らない。国の歴史も、今の状況も。メリュジーヌという種族の謎も、何も知らない。部外者だからだ。
「でも、知らないからこそ出来ることもあるでしょ。」
「......っ!」
「私は現地人じゃない、ただの無知な部外者。だから何を言おうとも私の勝手だよ。シグウィンが気に病む必要なんてないの。」
いつかの時のように敬語を崩して本音を伝える。私は自己中心的で、自己保身に走りがちな女だけれど、それでも友達を守りたい。彼女には笑顔でいてもらいたい。
「ぁりがとう」
蚊の羽音よりも小さな声でシグウィンが何か言っている。その声は次第に大きくなっていく。
「ありがとう、ありがとう.......信じてくれてありがとうっ。」
なんてことない言葉。きっと何回も浴びるし、浴びせることになる言葉。けれど、そんな普遍的で、何でもない言葉を噛み締める。シグウィンは、まるでただの
「ありがとう、ありがとう!」
シグウィンは泣いていた。
私は何も言わなかった。十数秒だけ経ってからようやく彼女の手を取る。シグウィンが流した涙で私の手が濡れる。けれど、それを不快だとは感じない。
「いいよ別に。私だってシグウィンに命を救ってもらったんだし、お互い様でしょ。」
私は何もなかったかのようにそう言った。シグウィンは気を持ち直したのか、目元の涙を拭って前を向いた。
「ぅん、うん! ごめんなさい、なんだか湿っぽくしちゃって!」
「いいよ謝罪なんて。それよりも、なんで貴女たちメリュジーヌがこうも疎まれているのかを知りたいんだけど。」
「......説明したいのは山々なのだけれど、ちょっと複雑ななお話なのよ。」
シグウィンはワイン色の瞳を僅かに潤わせながらそう零した。
お人好しだね。
はぁ、なんだか
頭の中で謎の声の独白が聞こえたが、その言葉の意味はよく分からなかった。
◇
メリュジーヌを迫害する人間たちから離れた後、私たちは最悪な気分で大通りを歩いていた。吐き気がまだ残っている。華やな街を見る私の瞳の裏では、さっきまでの醜悪な光景が残っていた。
あまりの不快さに愚痴を零す。
「なんで意味もなくメリュジーヌを毛嫌いするんです? 私には理解できません。」
「ねぇローズ、さっきのことはもう気にしなくていいのよ?」
「よくありませんッ。なんでメリュジーヌであるというだけであそこまで責められなければならないのですか。」
この国には臭みがある。
黄ばんだ臭みがあるのだ。
私だって人間だ。だからそういった汚らしい性分は理解できないわけじゃあない。誰だって、得体の知れない生命体が生活圏に侵食してきたら恐いだろう。
でも、彼女らは言葉を話せるし何より親切だ。全員がそうではないだろうけど、それでも人間のような偏屈さがない。人間の暮らしに溶け込もうという努力を惜しまない。それをこともあろうに「有害」だと?なんて横暴なのだろう。
「もう! ウチは気にしていないから良いって言ってるのよ!」
「で、でも......!」
「ほらこの話は終わり! せっかく街に来たんだもの、楽しまなきゃ損よ。ほら行きましょう!」
そう言いながら走り始めるシグウィンの前方にとある影が重なる。彼女の背丈の何倍もありそうな影にぶつかったシグウィンは、小さな悲鳴を上げた。
「きゃっ。」
シグウィンはバランスを崩してしまい、ぺたりと尻餅をついた。慌てて前方にいた陰に謝罪する。相手は長身の男性だった。
男の容姿は異様だった。信じられないほどに白く澄んだ肌、所々に青が混じった長髪、長い睫毛、爬虫類のように収束した瞳孔。いずれも人間のそれではないもの。背丈も高いようで、彼が私たちの前にずいっと立つと、身体に差していた陽の光が遮られて視界が暗くなる。
「すまない、私の不注意だ。怪我はないだろうか......シグウィン?」
「あ、ヌヴィレットさん!」
ヌヴィレットと言うらしい男は無表情のまま、尻もちを突いたシグウィンの手を優しく引いて立ち上がらせた。人を寄せ付けない容貌に反した温情さだ。
「ただでさえ君はあまり街の人間たちに良い印象を持たれていない。こうして昼間に往来を行くのは感心しないが。」
「ヌヴィレットさんッ! その、これには深いわけがあって......!」
シグウィンは慌てていてうまく言葉を紡げていない。何か後ろめたいことでもあるのか?彼女にはもう一人、人間の友人がいると聞いているけれど、それが関係しているのだろうか。まぁ、私にはあまり関係のないことだが。
他人ごとのように彼らを眺めていると、不意にヌヴィレットが私の方を見た。瞳孔が少しだけ開いて、まるで奇妙なものを見たかのように私を観察してきた。なんだ失礼な奴だな。私はれっきとした人間なんだぞ。
「シグウィン、そちらの女性は?」
「あ、そうだわ。紹介しそびれていたわ!この娘はローズっていって、最近やって来た観光客よ。」
「どうも......。」
シグウィンの溌剌とした紹介を無下にするかのように、つい無愛想な挨拶をしてしまった。どうしてか、この男にはとてつもない威圧感がある。ただ立っているだけで緊張してしまうのだ。そんな状況で外面を保つなんて出来なかった。
「ごきげんよう、ローズ君。どうか心ゆくまでフォンテーヌを堪能するといい。」
「はぁ、ありがとうございます。」
「幼さにはそぐわない聡明さが見える。ぜひ、フリーナには君を見習ってほしいものだな。」
「え?」
「いや失礼。こちらの話だ。」
フリーナ?
その前には聞き覚えがあったから、つい反応してしまった。確かフォンテーヌの神の名前だった筈だが......私を見習ってほしいというのはどういうことだろうか。もしかすると、この国の神はあまりお行儀の良い奴ではないのだろうか。
追及しようにも彼はその話題についてはあまり話したくないのか、すぐに話題を逸らされてしまった。ヌヴィレットはシグウィンが街にいる理由を問うた。
「しかしシグウィン、どうして君が街にいる?」
「それは......この娘に、ローズに街を案内するためよ。この娘ったら碌に計画も立てずに来たみたいだったから、ウチがガイド役を買って出たの。」
「ガイド?」
彼は顎に手を当てて何かを考えている。いたって普通の所作ではあるのだが、
「そうか、うむ、なるほど。」
ヌヴィレットは独りでに納得した。なにが「なるほど」なのか言ってくれないのだろうか。睨まれている身としては不安で仕方がないのだが。
「どうやら邪魔をしてしまったようだ。ここらで失礼するとしよう。」
そうしてヌヴィレットはそう言って立ち去った。背筋を伸ばしたまま、規律正しくその場から離れていく。張り詰めた意識が弛緩していく。彼は有名人らしく、彼の去り行く背中を見ながら周囲の人間がひそひそと話し始めた。
「なんですかあの人、シグウィンの知り合いですか?」
「ええ。ヌヴィレットさんはメリュジーヌに対しても対等に接してくれるの。すっごく優しくて、すっごく偉い人よ。」
「偉い人?」
「彼はフォンテーヌの最高審判官なのよ。この国での最終採決は彼の一言で決まるの。」
「審判官......。」
つい最近人を殺したばかりの私からしてみれば、あまりお近づきになりたくない類の存在だ。この街に長居するのはあまり得策ではないのかもしれない。そうと決まれば善は急げ。早く街から出ましょうか。
「よし、帰りましょう。」
「え、もういいの?」
「いいんです。元々ただ流れ着いただけの国です。呑気に観光するつもりなんてありませんよ。」
シグウィンはこの場に留まろうとするが、そんなの知ったことではない。ここは魔窟だ。法という網を張った
「まさか、何か用事でも?」
「う、ううん。そういうわけじゃないのよ!」
なんだか挙動不審だ。
ヌヴィレットはシグウィンが街中を堂々と歩いていることに疑問を覚えているようだった。つまり、シグウィンには街を歩けない、或いは歩き難い事情があって、ヌヴィレットから街には来ないように忠告していたのだろう。だというのに、彼女は来てしまった。真っ昼間から街の道を堂々と。
そりゃあ驚くのも無理はない。なんだか彼女が隠したがっている事情とやらが気になってきたので、ここらで少し探りを入れてみることにする。
「会った時にも言いましたが、私は追われる身なんです。正直、裁判官になんて二度と会いたくありませんから、早々に街を去るのが吉です。さぁ帰りましょう。」
「ちょちょ、ちょっと!? ローズが良くても、
「へぇ。」
かかったな。
「さっきヌヴィレットさんに『どうして街にいる?』って聞かれてましたよね。」
「え?」
「本来なら、シグウィンも街を堂々とは歩けないんじゃないですか?なのにも拘わらず、危険を承知で街に来た......私以外にもこの街に来る理由があったんじゃないですか?」
彼女はきっと隠し事をしている。
他のメリュジーヌは素顔を晒して歩いているのに、彼女はそうじゃない。きっと、素性を知られると不都合なことがあるのだろう。それはきっと、メリュジーヌだからというだけの理由で人間から迫害されるという事以外に、彼女特有の事情があるに違いないのだ。そんな彼女に無理をさせてまで観光紛いなことに興じるつもりはない。
「私は自分で好き勝手見て回るから、シグウィンは先に帰っててください。」
「わ、ウチに気を遣っているのかしら?」
「まぁ、はい。」
「しょ、正直ね。」
そりゃあ、まあそうだろう。
こういう時に誤魔化しても逆に不審がられるものだ。そうなるくらいなら、こうして正直に言ってしまった方が良いに決まっている。シグウィンは困った顔で私の頬に手を添えながら言った。
「でも貴女だって怪我人よ?それも、すっごい大怪我をしているわ。」
「そうですね。」
「そんな貴女を独りになんて出来ないわ。」
「歩けはします。大丈夫ですよ。」
「むぐぅ。」
そんなに鳴いたって聞くもんか。私は「こうする」と決めたら聞かないんだ。
「ほら、早く行ってください。本当に私は大丈夫ですから。」
「もう、何かあったら大声で呼んでね? すぐ駆けつけるから。」
「いや、聞こえやしないでしょう。困ったら周囲の誰かに
シグウィンに手を振って別れを告げる。風車が回るように、規則的に手を回して別れを告げる。
ただでさえ小さな彼女の身体はみるみる小さくなっていき、やがて景色へと溶けて見えなくなった。私はどこか寂しい気持ちに襲われた。
この地に来て初めて一人になったからだ。
一人じゃないよ。
......また
『散兵』と邂逅した時にも聞こえた謎の声。
恐らく、私をこの国に送った痴れ者。
思考の隅から突いてくる不審者。
随分な物言いだね。僕は君を助けたのに。
うるさい。
助けて欲しいだなんて頼んでいない。
あの時の叫びはただの
本当に誰かに助けてもらいたかったわけじゃあない。
断じて。
強情だね。それは虚勢でしょう?そういう考えは身を滅ぼすよ。
黙って。
そもそも、あなたは一体何者なの。
いきなり私の頭の中に声を吹き込んで、果てにはこうしておちょくってくる。
正直、不快だよ。
確かに、自己紹介を忘れてたかも......いいよ、それじゃあ改めて自己紹介させて
謎の声が止み、光が現れる。
その光が見えているのは私だけのようで、周囲の人間たちが特別な反応を見せることはなかった。ただでさえ明るい街道が新たな光源を得て、神々しい聖なる輝きに包まれる。少し経って、光の中から絶世の美少女が姿を現した。シグウィンと初めて出会ったあの
「ふぅ、
女は気だるげな声を漏らしながら自らの長髪の一端を掻き分けて耳裏に掛ける。
最初に姿を見た時よりも装飾が減っているようで、心なしか慎ましく見える。彼女の頭上に浮かぶ転輪から垂れ下がる金具が、ちゃりんと音色を奏でている。場違いな美しさと言わざるを得ない。
「さて、あの時は邪魔が入ったから、改めて自己紹介しようか。私は時の執政『イスタロト』......テイワットでは色々な呼ばれ方をしているのだけれど、好きに読んでもらって構わないよ」
「イスタロ........................は?」
白髪の麗人は微笑みながらそう言った。
人々の喧騒さえ鳥のさえずりのように小さく聞こえるようになった空間では、この女の小さく細やかな声はやけに透き通って聞こえた。
イスタロト――――時間を司る神、恐らく天理に近しい存在の一つ。そんな強大で不可解な存在を自称する不審者が私を助けてくれた。尤も、その事実を受け入れられるわけもなく、私はただ茫然とするしかなかったのだが。
いつも読んでくださりありがとうございます。
本当に。