「嫌だ!俺はもうファデュイなんて辞めるんだよ!」
「そもそも、なんだってあんな怪物と戦わなくちゃならないんだ!?」
「『公子』の妹......?だからなんだよ!?お偉方の身内だからって信用できるとでも言うのか!?」
「過去に『散兵』が一般兵を引き連れて奴を追い詰めた時だって、結局は仕留め損なったじゃないか!」
「当時の索敵班には俺の同期もいた......でも、次の日には訃報だけが返ってきた!遺体すら回収できなかった!」
「もう、放っておいてくれ......俺は奴に関わるのはゴメンなんだよ。」
フォンテーヌ廷でカロレと過ごし、シグウィンと夜を明かした次の日。
一晩寝て過ごしたお陰か、瞼は何の重みも感じることなくパチッと開いた。陽の光が視界を焼く。次に海風。ざざぁとやかましい音が聞こえる。
部屋の中を見回してもシグウィンの姿は見当たらない。どうやら出かけているようだ。彼女のいない櫓は妙に静かで落ち着かない。
私は彼女を求めて外に出た。
潮風が包帯を靡かせる。安定した浜辺の清々しさは素晴らしく、それまでは窓の向こうにいる吹雪と睨めっこすることが多かった私の心を解いていくのを感じる。
ザリザリと砂を足裏で擦りながら浜辺を進むと、少しした所にシグウィンの小さな背中が見えた。屈んでいる彼女の姿を目に収めた瞬間に安堵を覚える。その背中を優しく叩き、朝の挨拶を告げる。
「おはようシグウィン」
「あら、おはよう!」
彼女は笑顔で私に返事をくれた。
「体の調子はどう?どこか痛むところはないかしら?」
「全く問題ないよ。まぁちょっと痛むところもあるけど、昨日よりはだいぶマシになった感じがする。少なくとも悪化はしてないよ。」
「そう?それを聞いてちょっとホッとしたわ!」
シグウィンは相変わらず可愛らしい笑顔を浮かべている。腕にはたくさんのベリーとオレンジを抱えており、少し重そうにしている。
「それ、持つよ。」
彼女の了解を得ずにそれらの荷物をぶん取る。幼気なメリュジーヌに重労働をさせるのは気が引けるし。
「あら、ありがとう。」
「どういたしまして。」
なんてことない会話が染みる。彼女はトテトテと小さな歩幅で歩き出した。これから朝食でも作るのだろうか。手伝いたい所だが、「怪我人は寝ててちょうだい!」と言って断られるのがオチだろうから、大人しくしておくことにしよう。
櫓に戻るやいなやシグウィンが手料理を振る舞ってくれたので、感謝しながらそれをいただきつつ自分の置かれた状況に思いを巡らせながら食事の味を楽しむ。
この国で目覚めてからというもの、シグウィンと過ごすこの瞬間だけは心を休めることができるから好きだ。人間の醜悪さに触れてしまったからこそ、人間以外の存在が発する笑顔がまるで夜霧を照らすライトキーパーのランプに感じる。そのような状況に緩みきった私の口はシグウィンとの会話を楽しむために、勝手に動いていた。
「ローズは今日はどこに行くつもり?また街を散策するの?」
「うん、そうしようかな。特に行きたい所もないけど暇つぶしにはなると思うから。それにシグウィンしか知り合いがいないっていうのもちょっと、ね......もっと知り合いを増やした方が良いかもと思って。」
「あら、ウチはローズとずっと一緒でもいいわよ?きっと楽しいもの!」
「そうかな。」
また、こうやって気分が浮くようなことを言ってくれるからいけない。
「ああでも、出来ればもう一人お友達を加えてあげたいわ。人間の女の子を。」
「え......?」
どうやら彼女には友人がいるらしい。それも、人間の女の子らしい。
正直驚いた。
メリュジーヌが人間と友人になるには多くの偏見や社会的障壁を乗り越える必要があるだろう。だから、てっきりシグウィンに人間の親しい友人はいないと思っていたが、それは誤りだったようだ。
「人間の女の子......それって、その......大丈夫なの?」
こんな利き方しかできない自分に嫌気が湧く。何が「大丈夫なの?」なのだろうか。もっと上手い聞き方があるだろう。しかし、こういう言い方になってしまうのも無理はないと思う。街でのメリュジーヌの扱いを見てしまったら、メリュジーヌと親しい人間もまた差別の対象となってしまうのではと杞憂を抱いてしまうのだ。その女の子がメリュジーヌと親しいという理由だけで迫害されてしまわないだろうかと、そう勘繰ってしまう。
「だ、大丈夫よ。あの子とはこっそり会っているだけだし、ウチの姿までは見せていないから。」
「でも危険でしょ。ただでさえメリュジーヌってだけであんなにも疎まれているのに、人間の子供にこっそり会いに行っていたなんて知られたら、シグウィンもその友人も無事では済まないんじゃないの?」
捲し立てるようにシグウィンの詰問してしまったことに後悔を覚えつつ、それでも彼女を心配する本心に駆られるがままに言葉を吐き出した。シグウィンも己の行動の危険性を自覚しているようで、これまでの明るさが嘘であるかのように俯いた。
「......ウチもね、あの子には会いにいかない方がいいって分かっているの。」
「だったらッ!」
「でも、彼女と言葉を交わすことだけは、その細やかな楽しみだけは諦めたくないの。
シグウィンはどうしても人間の友人に会いに行きたいのだそうだ。私のような曲者を懐柔した彼女のことだから、私と知り合う以前に人間の知人がいても全くおかしくはない。
問題なのは、シグウィンはメリュジーヌで、その友人は人間であるという点だ。
彼女の反応から察するに、その友人とやらの親御さんも良い反応を示してはいないのだろう。でなければ、こうして会いに行く度に一々話をする必要などないからだ。
「人間とメリュジーヌが手を取り合っていくにはどうすればいいのか」という問いに関する答えを私は持っていない。むしろ教えて欲しいくらいだ。
カロレにも『人間との確執を取り除くにはどうすればいいのか』みたいなことを質問されたが、あの時の私は曖昧な答えしか返せなかった。
確か、「誠意を見せる」とかなんとか言ったけ、私は。
なんて幼稚な回答だろうか。自分のことながら思い出すだけで笑いが込み上げてくる。どうしてカロレは私の回答を真剣な顔をして飲み込めたのだろう。誠意を持って接するなんてこと、カロレ自身が一番に実践していたというのに。
カロレはあれからどうしているのかな。やけに落ち込んでいたから、すぐに会いに行くのは避けようと思っていたが、こうしてシグウィンと話している内にまた彼女にも聞きたいことが出てきた。こうやって頭を悩ませるくらいなら、いっそのことカロレに話を聞いてみた方がいいのかもしれない。シグウィンが感じている人間とのわだかまりだって、同じ悩みを持つカロレと話すことで解きほぐす機会を得られる可能性だってある。
もう一度フォンテーヌ廷へと赴き、カロレへ会うべきだ。
「ねぇ、シグウィン。これからもう一度フォンテーヌ廷に行ってみない?」
「え?」
「勿論、出来るだけ顔は隠しながらね。丁度同じような悩みを抱えているメリュジーヌを知っているから、この機会に話してみなよ。私も彼女に会いたいし丁度いいでしょ?」
強引になってしまったが、この際仕方ない。時には荒療治が必要になる。今がその時だ。
「さ、善は急げだ。早速行こうか。」
「それはいいけれど.......ローズの言うメリュジーヌっていうのは一体だあれ?」
不安そうに呟くシグウィンの手を優しく握り、再びフォンテーヌ廷へ続く道を行き始める。
「カロレって言うメリュジーヌだよ。マレショーセ・ファントムの一員らしくて、街で迷子になっていた私を案内してくれたの。」
「あら、カロレと会っていたのね!」
「その反応......シグウィンも彼女と知り合いだったの?」
「ええ!彼女と会ってみてどうだった?とっても元気でいい子だったでしょう?」
「......っ、ええ。それはもう元気な子だったよ」
元気?
メリュジーヌの未来を憂う警官のどこが元気なんだ。
もしかして、シグウィンはカロレの今の状態を知らないのか?カロレは周囲の知人にはその悩みを隠していて、私だけにそれを明かしたとでも言うのか?
なんだってそんなことを?
それに、消沈しているであろうカロレについて、シグウィンにどう説明すればいい?
分からない。もしかすると私は余計な提案をしてしまったのではないか?
「ああ、早く街に着かないかしら。」
「そうだね」
カロレとの再会を待ちわびるシグウィンを隣に歩く私の顔は、酷くひん曲がっていることだろう。知人同士を掛け合わせるだけでこんなにも苦しい気持ちになるなんて知らなかった。
◇
この世界は間違っている。
いや、実のところ、こういう事になるかもしれないという予感はあったのだ。
邪智に塗れたフォンテーヌの人間たちは、それはもうメリュジーヌを目の敵にしているということは知っていた。身をもって経験したからだ。
愚かな私は、そんな現実から目を背けて己の
しかしその考えが甘かった。
「メリュジーヌは消えろッ!さもなくば責任を持って償えッ!」
「そうだ!結局はこれが狙いだったんだろう......汚らしい奴らだっ。」
「ああ、所詮は怪物の類なんでしょう......どうせ、あの予言もメリュジーヌたちが原因に決まっているのよ。」
私たちがフォンテーヌ廷に再び足を踏み入れた時、そこは更に酷い地獄へと変貌していた。
街の人間たちが発起している。手にはプラカードのようなものを持って天に掲げている。天気は曇り、これから少し雨が降りそうに見えた。まるで人間たちの不安やネガティブな陰鬱さを雨雲が吸収して黒く濁っているようだった。怒号や陰口ばかりがその場に蔓延っている。ただでさえ不穏な雰囲気だったフォンテーヌ廷は、今や怨嗟の温床と成り果てていた。
私とシグウィンは思わず呆気に取られてその場に立ち尽くしている。昨日よりも明らかに状況が悪化しているではないか。これではカロレに会うどころの話ではない。
「これは......朝刊?」
ふと地面を見ると今朝出たばかりであろう新聞が目に入った。既に多くの人間によって踏み鳴らされた後なのかインクの文字が掠れているが、読めないこともない。手で新聞を拾うと真っ先に視界に入ったのはカロレの写真だった。そこには直近数日間で起こった凄惨な事件の首謀者が、カロレという名のメリュジーヌであるという主張が載っていた。その後に続く文章も酷いものだ。人間に擬態した魔物だとか、ヌヴィレットと共謀してやってきた未知の存在だとか.....そんなことが書いてあった。
私の知らない世界で友人が窮地に追いやられている。人間たちの怯えが世論となって紙面に反映されてしまっている。こんな流説が蔓延っている街にシグウィンを連れて歩くべきではない。
「シグウィン出直そう。これは駄目だ......嫌な予感がする。」
「え、ええ。」
シグウィンも怯えている。こんな悪意を真正面から見てしまったのだから無理もない。彼女の小さな体躯を庇うべく立ち回りながら来た道を行こうと踵を返すと、私たちの周囲を群衆が取り囲んできた。
それは、昨日も見た顔ぶれだった。こいつらは確かカロレたちと小競り合いを起こしていた連中だ。ニタニタと気持ち悪い笑みを携えながら私たちを糾弾し始めた。
「何処に行くんだ?」
うるさい。
何処へ行こうと私たちの勝手だろう。つい、そんなことを思ってしまう。しかしそれを口に出すと事態が悪化するのは明らかだ。ここは出来る限り穏便に済ますしかない。笑顔を張り付けて答える。
「すみません、私たち急いでいるんです。」
「何を言っている?お前たちはついさっき街へ入って来たばかりだろう?どうして踵を返して帰ろうとしているんだ。急いでいるというのなら、街から去ろうとするのは不自然じゃあないのか?」
取り合うだけ無駄だ。こんな街に来ようと思った私が愚かだった。彼らがシグウィンを毛嫌いするのなら、こっちだってまともに取り合うつもりはない。
「......別に私たちが何をしようがあなた方には関係がないでしょう?」
「関係がある、と言ったら?」
「は?」
「そこのメリュジーヌが人間の女の子を誑かし、毒ジュースを飲ませているのだと知ったら、君はどうする。それでもソイツを擁護するのか?」
この男が何を言っているのかよく分からなかった。毒を飲ませるだなんてことをシグウィンがするわけがないだろう。きっと何かの間違いだ、彼女に確認するまでもない。この汚い俗物め。どうせメリュジーヌたちを一緒くたにして排斥しているだけなのだろう。浅はかと言う他ない。
「意味がわかりません。兎に角、そこをどいてください。」
「ではそこのメリュジーヌはここに置いていけ。」
「話になりませんね。そもそもシグウィンがその人間の女の子に危害を加えたという証拠はどこにあるのですか?」
「証拠ならあるさ、この写真機の中にな。」
男が懐から出したのは所謂カメラのようなもの。大きいレンズがむき出しになっていて、持ち歩くには少し大きすぎるように見える。自慢気な顔をしている男は写真機の中から一枚の白黒写真を発行した。
「それは......ッ!」
「シグウィン?」
そこには、シグウィンと思われる「外套を被ったメリュジーヌ」が「紫色の液体の入った小瓶を民家の中に入れている」光景が映されていた。この写真に写っている民家が、シグウィンの言う人間の友達がいる家なのだろう。
「その写真が何なんですか?」
「こりゃあ決定的瞬間だろう。ただでさえピリピリしているこの情勢の中、そこのメリュジーヌは己の欲望を満たすためにこの女の子を危険に回したのさ。この子を実験体にするためにね。」
「は、はぁ?」
論理と主張がめちゃくちゃだ。写真に写っているからなんだと言うのだ。どうしてそれが「人間を実験体にしようとしている」だなんて言論に繋がるんだ。
「あの、言っていることの意味が分からないんですが?」
「ほう、分からない?何がだ?」
「どうしてシグウィンが人間の子どもを実験体にするだなんて......そんな辻褄の合わないでっち上げをするんですか」
「でっち上げなんかじゃあないさ。君、ソイツの
「そりゃあ、街から離れた浜辺の
「いいや、違う。ソイツの本当の住処は別にある。少なくとも、海風がべたつきを運んでくるようなあんな辺鄙な場所なんかじゃあない。」
「え?」
「その様子じゃ知らなかったようだね。君もそこのメリュジーヌに騙されていたわけだ。ソイツらの生来の住処はもっと海深くの湿っぽい洞窟なんだよ。」
こ、この男の言っていることは出鱈目だ。そうに違いない。その筈なのに何故か動悸がする。嫌な感じがして気が気じゃなくなってくる。
「シグウィンとか言ったか?そこのメリュジーヌは人間のお医者さんごっこに夢中なあまり、人間の子どもを薬の治験体にしている
「なんて汚い暴論......っ!聞くに堪えませんね。」
テウセルでももっとマシな言い訳を考えるだろう。きっとコイツは自暴自棄になっているんだ。すぐに特巡隊が来てこいつ等をとっ捕まえてくれる筈だ。何も焦る必要はない。
けれど彼らの目は未だ冷たいままで、シグウィンをこき下ろすような態度を崩さない。
「そうだ、ソイツは前々から怪しいと思っていたんだ。」
どこからともなく、そんな声が聞こえた。私たちを取り囲む者達の輪よりも更に外側ーーー恐らくはただの野次馬であろう者から発された言葉。
耳を疑う暇もなく、悪意は伝播していく。
「そもそもヌヴィレットが権利を乱用してコイツらを街に入れなければ、こんな騒ぎにはならなかったんじゃあないか?」
「言えてる」
「てか、俺この間見ちまったんだ......あのシグウィンとか呼ばれてるメリュジーヌがヌヴィレットと大層に親しそうにしているところをよお」
「それはまた何とも明け透けだな。やっぱりメリュジーヌとヌヴィレットはグルだったんだ」
「アイツ、たまに
悪意の奔流。
私たちを覆う負の渦。
フォンテーヌ廷にて燻っていた穢れが崩壊し、流れ出す。一度崩壊したのならばそれを止める術はない。私たちは大衆の敵となり、そして大衆こそが正義となってしまった。どうやら私は人間の善性に期待を持ちすぎていたのかもしれない。
「うぁ、あぁぁぁ。」
「......っ、シグウィン!しっかりして!こんな奴らの言うことなんて聞いちゃダメ!」
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい!」
シグウィンの耳は手折たように項垂れている。ただでさえ寒色に染まっている彼女の顔色は、いつにもまして青くなっていた。うわごとのように謝罪を繰り返している。
「なんて醜いヒトたち......っ!」
こんなにも人間に醜悪さを感じたのは初めてだった。ファデュイでもここまで捻じ曲がった性根の者はそういないというのに......!どうして此処までしてメリュジーヌを目の敵にするんだ!?
「......ローズ、
「シグウィン?何を......」
シグウィンは真っ青な顔色のまま私の前に立った。震える脚をなんとか地面につっかえさせながら人間たちと向き合っている。自然と、群衆の視線が彼女を焼くスポットライトのように見える構図になった。
「......ローズだけでもここを離れて頂戴。ここはウチが収めなきゃ!」
「―――なに言ってるの?こんな状況でシグウィンを置いて行けるわけはないでしょ!?第一、あなた一人じゃ何もできっこないよ!」
「ううん、ウチには分かるの。人間という生き物たちを見てきた私には......彼らの瞳に宿る執念の深さがとっても良く分かるの。それに、こうなってしまったのはウチの無警戒が招いたことよ。不用意に人間の子どものお家を訪ねていたウチの自業自得なの。それなのに、これ以上ローズを巻き込むことなんて出来ないわ。」
まるでシグウィンが囮になる気のような発言に目を剥く。流石にそれは聞き捨てならない。これ以上の自己犠牲はさせない。
「......ねぇ、ふざけないで。本気で怒るよ」
「ローズお願い、言う事を聞いて?ウチ、せっかく出来たお友達を失くしたくないのよ」
「それ、同じことを私が思ってないとでも言うつもり?私だってシグウィンが大事なのに......!」
どうして分かってくれないんだ!?こんな圧倒的
私は知っている。
追い詰められた人間がどんな手段に出るかを。
『アイツ、俺の兄貴をボコしやがったんだよ。それも、他の面子がいる前でだぜ!?』
かつて兄さんに半殺しにされたファデュイの親族が言った言葉だ。
己に恥をかかせた人間に対して、人間がどこまで執着するかのをこの時に身に染みて味わった。もし私がここを離れたら、シグウィンの味方は一切いなくなる。
カロレたち治安部隊が駆けつけてくれない所を見るに、きっと他の場所でも同じような暴動が起きているのかもしれない。であれば、なおさらここを離れる意味がない。どこに行っても混乱の渦中に放り込まれることになるのなら、ここに留まっていた方が良いに決まっている!ここで逃げたらきっと後悔する。これ以上の失敗は私自身が私を嫌いになってしまう。
「おい、退けよお嬢ちゃん。」
「そうよ、ローズ。あなたは無関係なの、これはウチの問題......この国の問題よ」
「いやだ、嫌だ!」
「......このままじゃ、ローズまで巻き添えに.....っ!」
い、一か八かだけど、もう一度神の目を使うしかない。吹雪がない常温の空気の中で上手くコントロールできる自信はないけど、やってやる!
「おや、これは何の騒ぎだい?」
群衆たちの騒ぎがピタリと止む。
よく通る声。
ここは屋外だというのに、まるで天幕を張った劇場ホールで拡声器を持った演者が第一声を放ったかのようだった。コツコツとヒールが街道を叩く音が近づいてくる。それは群衆の塊を掻き分け、しかし優雅さを伴ったままにこちらへとやって来た。
白髪に水色の王冠
雨粒を模した瞳
それと、フィッシュテールドレス
この世の何よりも美しい女性だ。まるで歌劇に興じているかのように胸を張って天を見上げ、悠々と私とシグウィンの前へと闊歩した。背丈は私よりも少し大きいが、それでも周囲の大人の人間たちよりも一回り小さかった。しかし、彼女を軽んじているような人間は誰一人としていなかった。この場の誰もが、彼女という存在から口火が切られるのを待ち望んでいるように見えた。中には黄色い声を出す婦人すらいたくらいだ。
「フリーナ様ッ!?」
その少女は大股歩きで私たちを取り囲む群衆の中へと割り込んだ。
「まったく!こんなにもいい天気だというのに、こんなにも密集してちゃ、お日様の光を存分に浴びれないだろう?」
「フリーナ様、どうしてここに?」
「どうしてって......僕が
「ああいや、別にそういうわけじゃあ......」
「む。そ、そうかい?じゃあ僕の早とちりだったのか」
フリーナは一瞬だけ視線を地面に落として羞恥を感じているような、どこかいたたまれなさそうな態度を示した。
恐らくは、ほんのミリ秒にも満たない間だったが、彼女は確かにその美麗な顔に陰を作った。しかし、群衆はそれを気取ることはなかった。目の前の彼女に目を輝かせ続けている。群衆の中から彼女のファンらしき女性が声援を上げた。
「フリーナ様!次の講演、絶対に行きますから!」
「私も!」
「お、おい。俺だってフリーナ様と話したいんだ、狡いぞ!」
その流れは広がり、続々と彼女のフォロワーたちが笑顔を見せ始める。まるで一縷の水滴に感謝を告げる砂漠の民のように歓喜の声を上げている。民たちの喜びようは、フリーナと呼ばれるこの少女が如何に慕われているかを如実に示していた。
「ハハハッ、みんな相変わらず元気そうでよかったとも、うんうん。しかし残念ながら、今回はあまり時間が取れなくてね......そこのお嬢さん」
「へ、私ですか?」
急に話を振られてしまったから、私は吃りながらもなんとか返事をした。
「そう、君だとも。可愛らしい
「も、もてなし?」
「では行こうか、時間は有限だからだね!」
「あ、ちょっと!?」
「ではみんな、今日は此処らで失礼するよ!」
「え、ちょ、フリーナ様!?」
いきなり現れた麗人は勝手に捲し立てては私の手を取った。それから有無を言わさずその場を後にし始めた。
その時、ちゃっかりとシグウィンも一緒に連れ出していた。鮮やかな手腕だった。悪意の嵐に一石を投じて視線を集め、第一声から最後まで言葉を発し続けて主導権を保持していた。そしてそのままフェードアウトーーー明らかに人間という生き物の扱いに慣れている者の振る舞いだった。常人の類ではない自明の事実だ。
そして彼ら民衆は彼女のことをフリーナ様と言っていた。
そして敬ってすらいた。
ではきっと、この人こそが。
「もしかして
「おや、どうやら自己紹介は必要なさそうだ。」
フリーナはそう言って笑った。この国に来て初めて、メリュジーヌ以外が光を見た気がした。