フォンテーヌに来てからそこそこ時間が経った。
私は今もこの国にいる。
帰れる目処は立っていない。
イスタロトはあれから沈黙を貫いており、スネージナヤへの帰還要請に応じる気配はない。
私をこの時代この国に連れてきたのはイスタロトだ。
私を元の時代に帰せるのもイスタロトだ。
どうにかして彼女をその気にさせなければならないのだが、あいにく妙案らしいものは何も浮かんでいない。
必死になった人間達の集団を見たヌヴィレットは私とシグウィンをパレ・メルモニアの客室に住まわせてくれた。
あれからもう一週間は経ったかもしれない。
地鳴りにも等しい人間の慟哭と足踏みを聞いていると、かつて聞いた吹雪の冷たいゴオゴオとした音を思い出しそうになるので、昼間は出来る限りシグウィンと話すことで気を紛らわしているのだが、今日はシグウィンではなく
ヌヴィレットが紅茶をテーブルの上に置きながら私の顔を見て、その健常ぶりに安堵した。
「少し顔色が良くなったように見える。元気になったようであれば何よりだ。」
「......ヌヴィレットさんが気を回してくれたからですよ。感謝してもしきれません。」
「その感謝は受け取っておこう。無闇に謙遜するのも良くないらしいのでな。」
彼は背もたれを使わずに座りつつ、私の様子を伺っている。爬虫類を思わせる瞳孔を見ても、初対面の時ほどの恐怖は感じなくなっていた。この土地に来てから多くの未知と遭遇したからか、或いは、彼自身の人柄に多少なりとも温情を感じ取ったなのかは分からない。
窓の外を見ると群衆が列を成して
「......ヌヴィレットさん。」
「なんだ。」
「カロレは今、どこにいるんでしょうか?きっと、こんな状況の渦中にいたら壊れてしまう......誰かが側に居てあげないといけない気がするんです。」
「......君を危険な目に合わせるわけにはいかない。」
ヌヴィレットの拳を握りしめる音が聞こえる。そこには、彼なりの苦渋が現れていた。彼は確固たる意志を以て私をここで守るつもりのようだ。
「私はこれ以上友人を危険な目に合わせるわけにはいかないんです。それに、私は自分の身くらい自分で守れます。」
「確かに傷は癒えたようだが、それでも君はただの人間の少女に過ぎない。
「私を、守る......?シグウィンにそう頼まれたんですか?以前もヴォートランさんを遣わせてくれたようですが。」
「シグウィンではない。私は彼女に頼まれたからこそ君を見ていなければならないのだ。」
要領を得ない回答に苛立ちを隠せなくなりそうだ。
彼女とは誰のことだ。まさかフリーナのことか?
「ここに匿ってくださったことには感謝しています。しかし、これ以上じっとしているわけにはいかないんです。」
「シグウィンの心配すらも振り払うと?」
「......バレないように出かけます。」
「運よくシグウィンの目につかないように此処を出られたとしても、群衆の目をも掻い潜ることは不可能だろう.....君はカロレと同じく民衆に顔が割れている。これ以上、公衆の面前に出るのは誉められたことではない。」
「だからカロレのことは貴方達に任せてぐっすり寝ていろと?」
「そうだ」
「......カロレの居場所を教えてくれれば、私だっておとなしく安眠してあげますよ?」
「素晴らしい。」
彼は意地でもカロレの居場所を言わないつもりらしい。
いやもしかして、教えないのではなく......。
「まさか、カロレの居場所を知らないんですか......?」
「.......っ」
「どうするんですか、もしカロレが見知らぬ場所で敵に襲われてしまったら!」
「そうならないようにするために特巡隊が捜索している所だ。」
なんて呑気な返答だろうか!
もし誰もカロレの居場所を知らないのだとすると、事態は予想以上に困難な状況にあると言わざるを得ない。彼女は今、誰にも保護されることなく暴徒の街を彷徨っているかもしれない。或いは、敵に囲まれて、汚い部屋に篭っているのかもしれない。
初めて会った時ですら既に憔悴しきっていたのに、こんなヘイト活動に塗れた街中にいるなんて危険すぎる、自殺行為だ。
「私、行きます。カロレを探しに。」
「待つんだ。今、特巡隊の精鋭が街の沈静化を図っている。その後に出るのが懸命だろう。」
「その言葉、もし何十分か前にも私が出かけようとしても同じことを言ったのでしょう?どうせ、私を此処に繋ぎ止めるための言い訳にすぎないんですよね。」
「......ローズ、度々に君の意思に相反する発言をしてしまって申し訳ないが、それでも言わせてもらおう。私は本心から君たちを思って忠告を......」
「ごめんなさい。あとでお願いします。罪状は後でいくらでも好きに述べてください。」
「な、待て!」
窓の縁に足を掛けて身を空中に投げやる。
冷えた空気が心地いい。
揺れるレース越しにヌヴィレットを見る。
彼は鎮痛な面持ちのまま、ただ立っていた。
◇
パレ・メルモニアを抜け出した私は、一目散にカフェ・リュテスに向かった。
カロレを見つけた時に食料も何もないんじゃ心許ない。
雪国で育った私にとって、滋養を確保するのは何よりも優先するべきことだ。たとえ温暖な気候の国であっても、心の寂しい時に大事なのは食べることなのだ。
「カロレへの
幸い、
カロレに会ったらまずはこれらを食べてもらおう。
私はいずれ元の時代へと帰るけれど、お世話になった恩人を放っておくことなんて出来ない。自分のこの行動をエゴだと笑われようと構わない。
どうしてそこまでして帰りたがるの?
「......なんですって?」
君を死に追いやろうとした国に帰ろうとするなんて、本当に理解できない
「......どうしても帰らなくちゃいけないんです。今こうしている間にも、兄さんたちの身が危険に晒されているかもしれない......ねえ、教えてくださいよ。どうすれば元の時代に帰してくれるんですか。」
あのね。正直、君を元の時代に帰すつもりはないんだ。
「は、なんですかそれ......どういうことですか!?貴女、最初に私に囁いた時は
状況が変わった。まさかここまで容体が安定するとは思ってもいなかったし、それに身構えていたより
「なんて自分勝手な!」
自分勝手なのは君だよ。そもそもこうして時代を超えて生き永らえること自体が異常なんだ。
怒りのあまり腕に抱くパンを袋ごと押してしまう。自分の愚かさが相まってこんなことになってのは重々承知している所だが、それでもこの神の言い分には納得できない。私にだって意地がある。シグウィンやカロレのような得難い友達に出会えた奇跡には感謝しつつも、今の私には生まれた時に授かった筈の
神だかなんだか知らないが、私の行動にヤジを飛ばされる筋合いはない。
「貴女と話していると気分が悪くなる......この話はもう終わりです」
ん、何処に行くの?
「カロレは部隊でも階級の高い隊員です、その辺をほっぽり歩いているはずがない。自分で避難場所を探し出して、どこかの宿にでも避難しているかもしれません。だから......」
まさか、街中の宿を片っ端から回るの?
「し、仕方がないでしょ!どこにいるかなんて分かんないですから!」
はぁ......彼女ならボーモント工房近くの宿屋にいるよ
「は?」
カフェ・リュテスとはちょうど反対側に当たるね。そう遠くないから、今から行けばすぐ着くよ。
「......なんで、知っているんですか?」
言ったでしょ、私は時の執政なんだよ。これまで起こったこと、今から起こること、遠い未来に起こることを知っている。そして、それらの機序をおしなべて把握している。カロレがどこにいて、どうなるかも知っているの。
......けどまぁ、今
「......なんで」
唐突な警告。
その声色は嫌に真に迫るものだった。
こうも一方的に阻まれては不可解なので理由を聞かずにはいられない。
「あなた、何なんですか。スネージナヤに帰すことを拒否するだけでは飽き足らず、友達に会いに行くことすら阻んで......そのくせ、その友達の居場所を隠していたかと思えば、何故か今になってそれを明かすなんて!」
これは善意からの警告。絶対にカロレの元へは行かないで
妙に頑固な態度に眉を寄せる。コイツは何を言っているのだろう。ただ友達に会いに行くだけだというのに。まさか、保守派の人間たちの陰湿な嫌がらせに屈するとで思っているのだろうか。見くびらないで欲しい。
ただでさえカロレは人間からのヘイトに苦しんでいるのだから、それを支えてあげるのが友達の役目だ。私の脚は既に彼女がいるであろうホテルを目掛けて進んでいる。
「私はカロレに会いに行きますからね。教えたことをあとで後悔しても知りませんから。」
ハァ......
◇
カロレの居るであろうホテルに着いた。
入り口の受付嬢に「友人が泊まっていると聞いて訪ねに来た」と伝えて部屋の鍵を受け取ってから、カロレが借りている部屋に向けて歩き出す。こうも簡単に他人に部屋の鍵を渡すのも変だと思うが、私に取ってはありがたい。
ところで少し気になったことがある。
奇妙なことに、カロレの部屋へと向かう道中は誰とも会うことはなかった。
他の宿泊客とすれ違うのもだと思っていたが、結局は誰一人として他の人間に会うことはなかった。
おかしい。
フォンテーヌは観光客受けの良い施設が沢山あるというのに、ホテルの中はとても静かだった。まるで私以外は誰もいないかのよう。誰かの操る糸が入り込んで舞台をセッティングしているのでは、なんて馬鹿な妄想をしながら先に進む。
無意識に
受付から聞いた部屋番号の書かれた札を見つけた。古ぼけた木製の木札には「カロレ様」とだけ記されている。呆れたものだ、あまりに簡素な名札だ。豪勢にホテル業をやっているのにこういう細かい備品はケチッているのか。こういった所にこそ客の目線は向くというのに。
扉を開ける。
古めかしさを際立たせるような木の軋む音が響く。
「あちこちが古めかしいし、ものすごく老朽化が進んでる。カロレがこんな場所に泊まるなんてやっぱりおかしい。」
酷いのは扉だけではない。
部屋の内装も散々なものだった。
基本的な備品は風化してしまっていたというのに、部屋に置かれているオブジェクトたちは妙に豪勢な品揃えだ。浜辺の油絵や金色の小さな像があちこちに座している。ここのホテルのオーナーは随分なもの好きなのだろう。
どうやら床の演出にも拘っているようで、煌びやかだがどこか質素な印象を持たせるような絨毯が敷かれている。部屋の右奥にはシングルベッドと、それの二倍くらい背の高い本棚が置いてある。メリュジーヌも泊まるであろうホテルの一室だというのに、寝具の側に大きい本棚を置くなど危ないではないか。いや、もしかしてカロレが自分でそうしたのだろうか。いずれにせよ危なっかしいものだ。
「
部屋の灯りは付いていない。
明かりのない部屋の中を観察できたのは、窓から差し込む陽の光がスポットライトの役割を担ってくれていたからだろう。
しかし、肝心のカロレの姿が見えない。
「カロレ〜、いないんですか?」
名を呼ぶが返答はない。
私の忍足により木の床が軋む音が鳴る。
その音は煩かったけれど、どうしてか、私の心臓の鼓動の方が何倍も大きく聞こえた。
「寝ているのかな?」
いや、それはない。
今は真昼だし特巡隊の精鋭であるカロレが無責任に昼寝に耽るなんて考え難いだろう。加えて、この非常時だ。
こんなにも静かだということは......きっと彼女は留守にしているのだろう。
私は間が悪かったのだ。
そう。
間が悪かっただけ。
ここに彼女は居ないのだ。
そうに違いない。
「......留守かな。うん。」
どうか私の視界に映り込んで来る
その人形はまるで何かに吊られているかのように左右に揺れている。四肢はだらりと垂らしている。頭は下を向いているようだ。
人形はまるで
首から縄のようなものが天井に向けて伸びている。
ぎゅぅ...ぎゅぅ...
「......ぇ」
―――暗い部屋
―――軋む縄
―――
人形を吊るす縄の網目は苦しそうな音を立てている。まるで人形の苦悶を再現するスピーカーかのように感じた。恐る恐る人形の顔を覗く。そこには見覚えのある顔があったが、その表情は見たことのない程に虚ろでふっくらと膨張しており、四肢はだらりと投げ出されている。カフェで言葉を交わした可愛らしいメリュジーヌは透明な体液をダラダラと滴らせながら揺れていて、その様が彼女が既にこと切れていることを示していた。
これは夢ではないか、そう考えたくなるけれど、鼻を突く鉄の臭いが「これは現実である」と突き付けてくる。
「ぁぇ......なんで、どうして」
誰かの首吊り死体を見るのは初めてだった。
◇
そこからの事はよく覚えていない。
霞がかった思考でなんとかホテルの使用人を呼び付け、部屋の惨状を説明した。
暗い部屋でメリュジーヌの友人が首を括っていると伝えると、その使用人は表情を一切動かす事なく「わかりました」とだけ言って、また受付カウンターに戻った。
私はてっきり、慌てて警察を呼んでくれると思っていたから、その使用人の振る舞いに驚愕した。今すぐに警察を呼ばないといけないだろう、どうして何事もなかったかのように受付に戻るんだ。どうしてそんなにも冷静でいられるんだ。そんなことを聞くと、その使用人はただ「何がですか」とだけ返してきた。
気味が悪かった。
客が一人死んでいるのになんでそんなに落ち着き払っていられるのか理解できなかった。
使用人に頼っても仕方がないから、急いでホテルから出て近くに居た警備隊の人間に事情を説明した。あたふたしながら「友達が死んでいる」と言う私はさぞ滑稽に映ったことだろう。しかし私は羞恥を感じることはなかった。カロレというかけがえのない知人が自ら命を絶ってしまったという現実を受け止めるのに精一杯だったから。
ヴォートランにも会った。
彼は人受けの悪い人相を更に固くしながら私の前で立ち止まった。きっと、第一発見者である私を問いつめるんだろうなと考えたのだけれど、彼はただ一言「すまない」とだけ溢した。はっとして顔を見ると、下唇を思い切り噛み締めているヴォートランの痛々しい表情が見えた。
「......すまない、よりもよって年端も行かない
ヴォートランの謝意すらも頭に入ってこない。さっきまでの地獄で嗅いだ血の香りが鼻に残っている。
「兎に角、後は大人に任せるんだ。君には第一発見者として聞き取りが行われるとは思うが、無理に答えようとしなくてもいい。アイツの......その、遺体を見たばかりの子供に詰めさせるような真似は俺がさせない。」
「......大丈夫です」
「大丈夫?何が大丈夫だって言うんだ。君は本来、観光を目的に来た来賓であってフォンテーヌ人じゃない。たまたま事件性のある現場に居合わせただけに過ぎない。聞かれることに無理に答える必要もない。」
私の肩に置かれたヴォートランの手から、人間特有の温もりが伝わる。
「新聞社の連中も君の存在を嗅ぎつけてくるかもしれないが、彼らは無視するんだ。どうせあることないこと書かれるだけだ。」
「だから、大丈夫です。」
「何言ってる!君は自棄になっているのかっ!」
「私はいたって冷静です。」
「......ッ、いいか!君は何も言わなくていい!シグウィンの元へ戻っていつも通りの日々を送ればいいんだ!これ以上苦境に立ち会う必要はない!」
そうなのかな。
本当なら今頃、私はカフェで買ったパンをカロレと共に齧りながら談笑に耽る筈だったのに、何故かその願いは叶わなかった。気になるのは、どうしてこんなことになってしまったのかということだ。
考えたくなったかつての地獄が脳内にてあふれ出す。スネージナヤの洞窟内で味わったヒルチャールや
カロレの死だって例外じゃない。
人間とメリュジーヌの不和に悩む真面目な彼女がその自責だけで自殺に陥るわけがない。彼女の雄姿をかどわかした奴がいるに違いない。彼女が自死を選ばなければならない程の苦境に追いやった屑が潜んでいる。
真っ先に思い浮かぶのは、街で私とシグウィンを誹謗中傷した保守派気取りの人間たちだ。水神や最高審判官の注視も以てしても牙を持ち続ける彼ら彼女らの誰かがカロレを追いやったに違いない。そこまで考えれば、次にやることも自ずと決まってくる。カロレを追い込んだ奴を特定して、捕まえて、それから......
「おい、何を考えている。」
「ッ!」
「まさかとは思うが、カロレを追いやった奴をどうにかしようだなんて思っていないだろうな?それは君のような子供が考えることじゃない。
「でも」
「でもじゃない。これから先は裁判で正当な手続きを以て裁かれる。個人の出る幕じゃないんだ。」
「裁判......」
「そう、裁判だ。この国ではこうした有事の度に裁判で万事を決めるからな。ヌヴィレットが下す判決が犯人を罰してくれる。」
本当に?
「本当にカロレを死に追いやった犯人を裁いてくれるんですか?」
「は?」
「そもそも犯人は見つかるんですか?もしアタリが付いている人間が証拠を消していて、特巡隊でも逮捕できないような状況になったらどうするんですか?」
「......。」
彼は答えない。
きっと同じことを考えているのだろう。
カロレを殺したのは人間とメリュジーヌの間にあるしがらみそのものだ。明確な誰かに殺されたというより、保守派に属する複数の集団に間接的に殺害されたのかもしれない。そうなれば証拠だって集められるか分からない。そうなればカロレの弔いをしてあげることも出来なくなるかもしれない。
「貴方だって分かっているんじゃないですか?」
「......何がだ?」
「部屋にはカロレの遺体と体液、荷物以外には決定的な証拠がない。こんな状況で捜査をしても黒幕を公の場に引きずり出すのは困難になる。だから、犯人を裁けるのは私刑だけでは?」
「......それは詭弁だ」
「詭弁?本当にそうお思いですか?」
「ああ、出来ないものは出来ないんだ。法の摂理がある国では法に従わなければならないんだ。あいつが怪しいから、なんていい加減な言い掛かりは通用しない。重要なのは確からしい証拠だけだ。分かったら早く帰るんだ。現場は封鎖される......君の手荷物は持って行っていい。」
これが現実らしい。
友人を殺したであろう人間のアタリは付いているのに、手出しできない。手の届く範囲に敵がいるかもしれないのに指をくわえて見ていることしか許されない。法は私たちを守るための盾ではなく、行動を縛るための鎖でしかない。
殺せ
どこからか、
私の肉体に秘蔵された
きっと、暴れる口実を探しているのだろう
無視しようとしていた声たちが、私の抱く憎しみと混濁しながら私に訴えている
この声に身を任せるのは危険だろうが、どうしてか、今の私はそれを心地よいものだと感じるようになっている
◇
私は特巡隊の護衛と共に海辺へと帰った。
朦朧としながら歩き続けて、いつの間にかシグウィンのいる
シグウィンが慌てた様子で私の顔をペタペタと触って顔色を確かめる。
「ローズ!」
「シグウィン......どうして此処に?パレ・メルモニアにいたんじゃ......?」
「カロレに会いに行くって言ったきりで返ってこないから心配になって見に来たのよ!リュテュスカフェで買い物をした後にカロレの泊ってるホテルに顔を出すだけって聞いたのに、夕方になっても帰ってこないから何かあったのかと思ってっ!」
「カフェ......カロレ......」
「一体なにがあったの!?街の特巡隊に聞いても中々事情を教えてくれない癖に街から離れろの一点張りで!」
「シグウィン......」
慌てているシグウィンを見ているとなんだか心が落ち着いてきた。しかし同時に、先ほどまでの異様な光景は現実であったのだと自覚する。
「その袋、とってもたくさんのパンを買ったのね。私と貴女じゃ食べきれそうにないわ......もしかして、カロレに食べさせてあげるために買ったの?」
「......そうだね、彼女に食べさせてあげようと思って」
「そ、そう。それにしても、どうしてそのパンが全く減っていないの?もしかしてお腹が空いていなかったの?」
「......」
「......ローズ?どうしたの?」
今日、カロレが死んだ。
子供の私はただ捜査の行く末を見ていることしか出来ない。
無力だ。
「あぁ......」
なんて無様だ。結局私は全く成長していない。大人たちの思惑に翻弄されて、他者を傷付けて......なんでこうなるんだ。私が何をしたというんだ。
あの子の......カロレの顔が目に浮かぶ。カフェで交わした会話だけじゃない、フォンテーヌを案内してくれた彼女は正しい警官の一人だった。
でも彼女は死んだ。
現実は無常だ。
もしかすると、シグウィンも殺されるかもしれない。物語で描かれるテイワットは綺麗で清廉だけれど、それは旅人という超人の視点で見る限りの話だ。常人にとってはこの世界は残酷なだけの檻だ。力のない者が虐げられるのが常だ。
次から次へと死んでいく。
私だって人を殺した。
で、今度は友人が死んだ。
「カロレが死んだの」
「......え?」
「ホテルの一室で首を、く、くびを吊ってて」
「は、え。何を言っているの?カロレが......し、死んだって」
「殺された......殺されたの!あの、メリュジーヌを毛嫌いする人間たちがけしかけたに決まってる!それ以外にあり得ない!」
「待って、お願いだから落ちついて、ね?カロレが死んだなんて、それに誰かに殺されたなんてこと......」
「だって!!!!!」
一度溢れたならそれは止まらない。
「あ、あんなに静かで綺麗な部屋で、しかもホテルの一室で首吊り自殺するなんておかしいでしょう!?寝具どころか床のカーペットだって全く乱れていなかった!誰とも争った形跡がなかった部屋で警官が一人で自殺!?あり得るわけがない!どう考えてもおかしいでしょう!?いくらストレスが溜まっていたって、あんな良い子が独りでに逝くわけがない......どうせあの街にいた人間たちが、日頃から寄ってたかってたあいつらがあの子を虐めて、追い詰めたの!きっとカロレ自身が死ななければ収まらない騒動を起こして彼女の決断を煽ったんだ!!!警察の人達が本気で捜査すれば真実が明るみになる筈なのに、あの人は、ヴォートランさんは今回の事をなぁなぁにしようとした!子供には関係のないことだって、法律に従って証拠を揃えないと意味がないだなんて言って!あれが大人の覚悟だって言うのなら、私は大人の力なんて借りない。一人で犯人を特定して、尋問して、裁きを与えてやるんだ!!!!」
「ごめん、何を言ってんだろうね私は。いきなり捲し立てても意味が分からないよね?」
「ローズ......」
「もう寝るね、おやすみ。」
「あ、待って!」
脳裏からカロレの遺体の振り子が染みついて離れない。
◇
何日か経った頃、朝刊の新聞でヴォートランが逮捕されたとの記事が載っていた。カロレの死に関わったと思われる保守派の人間たちの一部を殺害したのだそうだ。彼は抵抗することなく御縄につき、審判の時を待っている。そんなようなことが新聞の一面を飾っていた。ざらつく紙面からは人間の温もりは感じられないが、貼付してあるヴォートランの顔には確かなる覚悟が宿っているのが伝わって来た。
紙面にはこう書いてある。
『衝撃!』
『特巡隊隊長のヴォートランが旧勢力の裏に潜む悪を粛清!?』
『地に濡れた復讐劇!』
随分と楽しそうに紙面を飾るじゃないか。醜くて目も当てられない。記事にはカロレが濡れぎぬを着せられていたこと、その汚名と混乱をすすぐために自死したであろうという旨までも記述してあった。
「これが大人としての役割......貴方なりの戦い方ってこと?あの時ホテルで呆然としていた私を追いだしたのは、血生臭い復讐劇に巻き込まないためだったと言うの?」
彼の覚悟をどう捉えたらいいのだろう。このまま呑気に裁判の行方を眺めるだけでいいのだろうか。彼がこうも無茶な手段に出た以上、私がどんな行動をしようと五十歩百歩だ。どうせ元の時代に戻ることが出来ないのならこの国の忌まわしい住民どもをヤッてしまった方がカロレへの手向けになるんじゃなかろうか。
加えて、仮にヴォートランの行いが否定され、彼に罪禍が付されるのだとしたら、私はカロレへの手向をどのようにして準備すればいい?
ヌヴィレットは公正な存在だ。如何に信頼している部下であるヴォートランの行いであっても、法律と判例に基づいて判決を下すかもしれない。そうなればカロレの無念が晴らされるチャンスは水泡に帰すことになる。それは絶対に許さない。もしヌヴィレットがヴォートランを有罪に処することがあるのなら、その時は私が人間を処理する。そのためにはまず、裁判の場に潜入する必要がある。
ヴォートランの公判が執り行われるのは数日後。
傍聴人は大勢いるだろうし、紛れて傍聴席に食い込むのも不可能じゃないだろう。まだどうするべきかは分からないが、新聞の紙面からだけで彼の雄姿とカロレの死の真相を知るつもりはない。実際に当人達の声を聞かなければならない。
けれど、このことを話せばシグウィンは私を止めようとするに違いない。だから黙って裁判へと紛れ込む。
シグウィンはここへ置いて行く。
この地で得た優しい友人をこれ以上失いたくない。
彼女をこの騒動に巻き込むわけにはいかないんだ。
「シグウィン」
「っ!な、なぁにローズ?」
「今日は街には行かないから、櫓の留守番は任せて。」
「ええ!分かったわ!」
昨晩のことを気にして話しかけられなかったことを気に病んでいたのか、話しかけるとシグウィンはとても嬉しそうにこちらを向いた。
「ウチは出かける用があるから、何か要るモノがあったらついでに買ってくるわよ。」
「ん、大丈夫。何もないよ。」
シグウィンと何気ない会話を交わしながら脳内に浮かぶのは、街でシグウィンを罵倒してきた保守派の人間たちの姿だった。一度悪意に侵食された人間の脳内には、「人を殺して解決する」という選択肢がこびり付く。きっと私の顔は今、他人には見せられないほどに冷淡な色をしているだろう。
この顔はシグウィンには見せたくない。
彼女が街に出かけて少ししたら、私も出発しよう。
裁判に遅れてしまったらいけない。
殺せ
そうだ、殺そう
もしヌヴィレットがあくまでも公平に徹すると言うのなら、私が代わりを為す
原神が生活の一部になっている
素晴らしいことですよね