あと少しだった!
もうちょっとで届いた筈なのに、私はいつの間にか
「イスタロト!なんで邪魔をした!?どうして!あと少しでフォンテーヌを粉々に出来たかもしれないのに!」
白い雪で覆われた地面を手で掴んで思い切り握りしめる。悔しさのあまり爪が手のひらに食い込むことすら瑣事に思えて仕方がない。あの女は───イスタロトは私の邪魔をした。私が釘をフォンテーヌ廷に落とそうとしたまさにその時、奴は「そこまで」とかなんとか言って私をこの時代に───『散兵』たちに追われていた時間軸まで戻しやがった!
元の時代に戻るため、私は一計を案じた。
元の時代に戻るにはイスタロトの力が不可欠だったが、彼女は協力する兆しを見せなかった。それどころか、私を帰す気はないとまで言い切ったくらいだ。
だから私は考えた───「私自身が怪物になって暴れれば、執政であるイスタロトは私を過去の時代に放置できなくなるのでは」と。
結果的に言えば、その読みは当たっていた。
イスタロトはこうしてあっさりと私をこの時代に戻した。だが、なぜあのタイミングで!?もう少しで、もう少しで、もう少しでぇ......!
「あとちょっとだったのに!!!!!!」
身体から深淵がとめどなく溢れている。
制御はとうの昔に
でも、もう憎い敵は見えない。
どうすればいい?
この行き場のない力をどこに......
「おい......なんだその姿は。」
「───あ、あ?」
「急に光ったと思ったら、今度は魔王にでもなったつもりか?その黒い鎧もさっきの霧の───
『散兵』だ。
『散兵』がいる。
そうか、それもそうだ。私は元の時代に戻ってきたから、彼とこうしてまた会っているのか。
「部下も全員殺された───他ならぬ君に。これまでは殺害の容疑がかかっている程度だったが、これで晴れてスネージナヤのお尋ね者になれたわけだ。」
「───。」
大きすぎる傘の下で彼は蔑みの眼差しを携えていた。
なぜ私をそんな目で見るんだ。
先に手を出してきたのは貴方たちファデュイじゃないか。
私は悪くない、私はただ生きているだけ、生きるために殺しただけ!
フォンテーヌに巣食うケダモノだって、殺す必要があったから殺した!
「やだ......やだ!!!」
「───っ、くそ!逃げる気か!?この吹雪の中じゃ逃げ場なんてないというのに!」
帰りたい。
お家に帰りたい。
でも、でも───今私がみんなに会ってしまったら、今度こそ本当に弟たちを巻き込んでしまうかもしれない。それだけは───それだけはダメだ!
私は目に付く生き物を轢き殺しながら逃げ続けた。
どれだけ殺したかなんて覚えていない───もし覚えていたらきっと頭がおかしくなっていただろうから。
そして時空は現在へと戻り──────
◇
side-エレーナ
いつの間にか現実へと戻ってきた。
思い出したかのように、急いで酸素を取り込む。
横を見るとダインスレイヴは昏倒したままだった。
「───ッハァ、ゼェ......ハァ───ハァ、ごほ!」
また、まただ。
また、あの光景を見た。
カロレの首吊り遺体、喚く民衆、公平さに没するあまり友人を法の槍で貫いた爬虫類、神を自称する不審者、そして
噛むたびに灰汁が歯茎に滲むような感じがする。
忘れたくとも忘れられない記憶だ。
最悪の気分だ。
けど、一つだけ良かったのは、誰かの記憶の中で朗らかに笑うシグウィンの姿があったことだ。
生きていた───彼女は生きていたのだ。
ぐったりと動かなくなった彼女は一時的に気を失っただけで、命を落としたわけではなかったのだ。
この時点で、私の旅の目標が一つ瓦解した。
それは、フォンテーヌの壊滅───あの腐った正義を掲げる国を海に沈めるという目標は、シグウィンが生きているという事実によって実行できなくなった。
シグウィンが住んでいるフォンテーヌを沈めるなんてことは出来ないし、したくない。
優しい彼女のことだ、きっと新しい友人を作っていることだろう。笑顔で過ごしているだろう。たぶん治療の腕も上がったに違いない。料理の腕だって上達しているかも......そんなことを考えている内に、フォンテーヌを滅ぼすという悲願のことよりもシグウィンの安全の方が気になっていた。
「フォンテーヌを壊しちゃったら、シグウィンが傷つくことになる───それはダメだ、私のエゴで彼女から幸せを奪うなんて嫌だ。」
会いに行きたい。
シグウィンは私にとって、胡桃と同じくらい大事な友人だ。恩返しに行きたい、私は生きているよって伝えたい。でも、お尋ね者の私が彼女に会うことは出来ないだろう。
多くの人間を殺した私が彼女に会いに行けば、世間は彼女にも疑いの目を向けるだろう。だが、それはダメだ!私のせいで彼女が傷つくのはもうたくさんだ!
それに、問題はシグウィンの件だけではない───稲妻の城下町を崩壊させたあの大きい釘は、四百年前に私がフォンテーヌに落とそうとしたものだ。
初めに釘を見た時は、どうして
その直後、釘と私は消失した。そして時は流れ、私がフォンテーヌに落とそうとした釘は遠く離れた稲妻の町に現れた。恐らく、イスタロトの仕業だ。事態を危惧した彼女が咄嗟に時間を操作して時代を戻したのだろう。しかし巨大な釘の落とし所をコントロールする余裕はなく、こうして見知らぬ土地に刺さったのだろう。
しかし疑問は残る。
もし本当にイスタロトによって釘が稲妻に落とされたのだとして、なぜ稲妻なんだろうか?落とすのなら人間のいない海原にでも落とすほうが被害は少なく済むだろうに。私にとってイスタロトは悪神だが、それは邪神であることを意味しない。私は自分の腹の中では彼女が善良な神であることを理解している。私を勝手に過去に飛ばし、あまつさえカロレの結末を知っていたのにそれを良しとした愚かさは到底受け入れられないが、その根底には人間に対する良心があるのだ。
そんな善神であるイスタロトが、わざわざ城下町の中心に釘を落とすか?
いや、それはありえない。
何か理由があるはずだ。
───いや、そもそも釘を作り出したのは私だろう。この稲妻の惨状を作り出したのは私だろう。この悲劇に関してイスタロトに非はない。
私は自分がどれだけ愚かであるかを知っているつもりだ、この惨状を見て真っ先に己の無知さと愚かさを思い出したくらいには、自分のことを馬鹿だと思っている。
自分が稲妻の人々を殺したも同然だ。
「どれだけの人を殺したんだろう......覚えられないくらいの人間を殺したなぁ。」
このまま故郷に帰っても、きっと誰も私を歓迎しないだろうなぁ。
思い返せば私の旅の始まりは兄さんへの恐怖がきっかけだった。あの底知れぬ深淵と向き合うのが恐くて逃げ出した。兄さんに染み付いている
そのくせ、誰かを殺すことだけは一丁前ときた!
自分の身を守りたいだとか、家族の元に帰りたいだとか言っているクソが、実際には関係のない人間や魔物をほぼ無差別に殺した!
私が殺した。
ファデュイやフォンテーヌの人間を大勢殺して.....今度は稲妻の人々を釘で潰した!
私はこの事実をこの国に来て初めて知った!なんて愚かで、救えないんだ!
「......清算の方法なんてない。もう帰る選択肢もない......お尋ね者である私が帰ってきたら、きっと家族が迷惑を被る。今後、胡桃にも合わない方がいいかも知れない。」
「もし私がみんなと会うことを許されることがあるのなら、それはきっと、私が文字通り生まれ変わって別人として会いに行くくらいなことだろう。だって、それはもう私じゃないから。殺人を犯した犯罪者じゃないから。」
そうだ、私に刻まれた罪が消えることはない。だって、そんな都合のいい方法なんてないからだ。
自分の記憶を消し、痕跡を世界から消す。そうして別人となって新たな生を向かえる──────ああ、なんて素晴らしい夢物語なんだ。そんな都合のいい転生術があるのならぜひ教えて欲しい。
私が殺した人々も元通りになるような奇跡があるのなら誰か教えて欲しい。
全部、元通りになるような魔法を───あれ?
「そうだ。一つだけある。」
全部元通りにする方法がある。
歴史から私の存在を消し、私が殺した人間たちを生き返らせる方法が。
その画期的で斬新な方法を遂行するには彼を利用するしかない。私の知る限りでは、この方法を成功させたのは
「───目的は決まった。
この世界での私の目的の一つ、
まずは故郷に帰れるように、私自身が潔白にならなければならない。
彼に───『散兵』に会いに行かなければ。
「じゃあね、ダインスレイヴ。」
◇
side-ダインスレイヴ
「......イン!ダイン!!おい、ダイン!!」
「ハッ!?」
「ダイン、大丈夫か!?どこか痛い所とかないか?」
「───パイモン?」
ダインスレイヴが目覚め、瞼を開ける。腐った囲炉裏の臭いが彼の鼻腔を汚しているが、彼はそのような悪臭を振り切るように身体を起こして、事の次第をパイモンに尋ねた。
「俺は一体何を......?」
「お前、城下町に一人で倒れていたんだぞ!あのでっかい岩の釘の側で!」
「城下町、釘?───そうだ、
「え?」
「エレーナだ、俺と共に釘の側にいた筈だ。俺はアイツが釘に吸い寄せられていくのを止めようとして、それで───ぐぅっ!?」
「ダイン!?大丈夫か!?」
思考を巡らせようとした途端、頭に鋭い痛みが走る。とてつもない疲労感もある。激しく動いていたわけでもないのに、男の肉体と精神は極度の疲労を訴えていた。襖の奥から日差しが漏れているので、それを観察して今が夕方時であると推察する。自分が思っていたよりも多くの時間が過ぎたのかもしれない、或いはもっと短い逡巡に過ぎなかったのかもしれない。
ついさっきまで、微睡の中で味わった記憶を思い返す。あのような地獄、混沌───到底ただの子供が味合わされて良いものではない。
「───俺が見たのは一体なんだ......あれは見ても良いものだったのか?」
まるで別の人間の記憶を一から追体験したかのような長く濃密な時間を過ごした気がする。奇妙な体質と記憶を持ちながらスネージナヤで生まれた少女の思い出を見た。弱い身体に鞭を打ちながら幼い妹や弟の世話を焼く彼女を見た。今の刺々しい彼女からは到底想像できないほど、とても朗らかで優しい、温和な少女だった。
そんな少女が不運にも人の悪意に触れ、必死に足掻いた挙句に人間をその手で殺めた。罪を追求されることで家族に悪影響が及ぶことを恐れた少女は何の備えもなしに家出を決行───その先は、もう思い出したくない。
「くそ!最悪な気分だッ」
「ご、ごめんダイン!オイラなんか悪いことしちゃったのかあ?」
「───いや、今のはお前に言ったわけではない、独り言だ。介抱してくれて感謝する。」
「お、おう?」
「話が逸れてしまったな───エレーナはどこにいる?」
「彼女ならもういないよ」
「......旅人」
襖の向こうから旅人の片割れが姿を表す。土足で部屋に這入ってきたが、今や町全体が釘によって崩壊しているので、床が汚れることなど気にもならなかった。
「旅人......エレーナがいないとはどういうことだ?」
「そのまんまの意味だよ───あの娘、私たちがダインとエレーナを見つけたと同時に血相を変えてどこかに転移しちゃったの。私とパイモンはエレーナみたいに転移なんて出来ないから、仕方なくこの場に残ったの。」
「そうか。彼女がどこに行ったかも分からないか?」
「うん。お手上げかも───ごめん。」
「いや、アイツを追える人間の方が少ない。お前達に非はない。」
「そう───待って、急に立ち上がってどこに行くつもり?」
膝を叩いて起立する。
少し立ちくらみがするが、問題ない。
「無論、エレーナを探す。今の彼女はまだ肉体が回復しきっていない、動き回るだけでもかなり体力を消耗してしまうだろう。だから倒れる前に確保する。そのあとは、また神里の令嬢に突き出せば隔離してくれるだろう。いや、いっそ往生堂の堂主に明け渡すのでも───」
「おい待てよダイン!」
「何だパイモン───時間が惜しい、手短に済ませろ。」
「ああもう、何だってそんな慌ただしいんだよぉ!?ちょっと落ち着けって!エレーナを休ませたいのは分かるけど、その前にダイン自身がちゃんと休まないとダメだろ!」
「俺、自身が休む───だと?」
休む?
───俺がか?
「うん。パイモンの言うとおりだよ。ダインは側から見てもちょっと恐いというか......目を離したらいつの間にか大怪我をしてそうだから、なんか不安になる。」
「旅人......それは俺をみくびっているだけだ。」
「でも、私とパイモンが抱いてるダインへの心配は、ダインがエレーナに対して向けているもの同じだよ。なんだかんだで、一緒に旅をしたら放って置けないの。私たち、仲間でしょ?」
「───仲間」
果たして俺は仲間を持っても良いのだろうか。故国を救えなかった愚か者が入る墓などないというのに、こともあろうにまだ足掻こうとしているのか、俺は。彼女たちの大きく開かれた瞳孔が眩しく思える。
「そう、仲間だよ。そもそも稲妻がこんな悲惨な状態になってる以上、単独行動をするなんてことはハナから論外だよ!動くのなら固まって動く、それが鉄則!私だって冒険者として箔を積んでいるから、これくらいのことは理解しているつもりだよ。」
「そうだぞ!お前がエレーナを心配しているみたいに、オイラ達もダインとエレーナを心配してるんだ!行くんなら、一緒に行こうぜ!だから今は落ち着いて、計画を立ててから一緒にエレーナを探しに行こう!」
「さすがパイモン!完璧な計画だね。」
「えっへん!そうだろ!もっと褒めてもいいぞ!」
何だか彼女らを見ていると、ざわついていた心が静まっていくのを感じる。
動悸も治まった。
「───もう大丈夫だ。」
「落ち着いた?」
「ああ、迷惑をかけたな。少し珍しいものを見て気が動転していたようだ。お前達に気を遣わせてしまうとは情けないな。」
「だ、ダインがお礼を言ったぞ!?旅人、これは快挙だ───ぶぐっ!?」
「───パイモン」
「お、おあった!おあっはほ!ほーハワハワはいほ〜!!!(わ、分かった!分かったよ!もうからかわないぞ〜!!!)」
「はぁ、ならいい。」
「うう、酷い目にあったぞ。」
「今のはパイモンの自業自得だよ───それで、ダイン。これからどうするの?」
旅人の声色が変わった。
これから起こる惨劇は覚悟しているようだ。
「方針は変わらない。エレーナを探して捕まえて再び神里家の屋敷にぶち込む。稲妻のゴタゴタは俺たちで片をつける───少なくともエレーナは参加させない。これ以上の戦闘は彼女の寿命を縮めるだけだからな」
「寿命───やっぱり無理してるんだ、あの
エレーナの身体にガタが来ていることは旅人も察していたらしく、物憂げな表情をしていた。
「お前も何となく気がついていたか───いい機会だ、彼女の出自について、俺の知り得たことをお前達にも共有しよう。稲妻に則って言うなら、『鬼の居ぬ間に』と言うやつだ。」
「それは───いいの?何となくだけれど、あんまり他人が掘り返していいようなものじゃない気がしてるんだけど。」
「一度は往生堂の堂主の計らいで旅人という仲間を当ててもらっているというのに、エレーナはお前に自分自身のことを一切話そうとはしなかっただろう?それ自体はアイツの落ち度だ。それに、今から話すのはあまりに重大で、致命的で、お前達にも大きな損害を被らせる恐れがある。いずれ教えなければならないことだ。エレーナがどう文句を言おうが知ったことではない。」
「そ、そう?」
エレーナがいては彼女の過去について話すことなどできない。彼女について話そうとすれば全力で邪魔をしてくるだろうから。それから、話す相手が旅人であると言うのも重要だ。なぜなら───
「もう一つ確認するが───旅人、お前は『降臨者』だな?」
「───っ」
「返事はいらん。その反応だけで十分だ。俺が確認したかったのは、お前が禁忌の一端に触れてもいいかどうかということだけだからな。」
「禁忌?それって一体───」
「今から話す。パイモン、お前は───いや、念には念をだ。お前は聞いてはいけない。町の住人の援助を続けていろ。」
「なっ!?オイラの扱いがなんか雑じゃないか!?オイラだけ仲間ハズレなんて!」
「───これは、お前を守るための措置だ。済まないが、譲る気はない。」
「ダイン、後で私が内容を掻い摘んで言うくらいならいいかな?」
旅人はどこか甘すぎる気がするが、それくらいの譲歩はいいだろう。
渋々、彼女の要望に頷くしかない。
「はぁ......まぁいいだろう。ただし、俺が『話すな』と言った内容については触れないようにしろ、いいな?」
「分かった、それでいいよ───パイモンごめんね、後で話すから、今はちょっと外してて?」
「むぅ.....分かった、そこまで言うなら仕方ないな。けど、話せることは後でちゃんと話してくれよ!!」
「うん、分かった。」
───パイモンはもう行っただろうか
「よし、これで場は十分だ。準備はいいか?」
「うん、いつでも話していいよ。」
「そうか───ああ、先に断っておくが、俺が彼女の出自を知ったのはついさっきのことだ。」
「───え?」
なんだその間抜けな顔は。
俺とてエレーナの全てを知っているわけではない。むしろ知らないことの方が多いだろう。俺は惚ける旅人を無視して話し始めた。
「───町の中央に深く突き刺さっているあの釘、決して少なくない数の住民を圧殺したであろうあの大釘に触れた瞬間、俺はエレーナの幼少期の一端を彼女の記憶を追体験する形で知った。」
まずは、そう───俺たちが今いる城下町の中心部に深々と突き刺さっているあの釘について話すべきだろうか。
「これから仔細を話す前に、俺が禁忌と言った所以を先に伝えておく───彼女がああなった元凶は時の執政イスタロトが関係している。この神の名前は決してテイワットに根ざす人間に伝え聴かせるな。絶対にだ。」
「──────え?」
「なんだ、聞こえなかったか?」
「いや、ちゃんと聞こえたけど、その─────ちょっと情報量が多いかも。時の、執政?何だってそんな存在がエレーナを気にかけているの?」
「それは今から話す。少し長くなるが、先ほどからお前達に休め休めと言われたからな、疲れた体を落ち着けるついでに聞くといい。」
先ほど見た夢の光景を旅人に話した───
「そんな、ことって───信じられない。本当に同じテイワットで起きたことなの?」
「この記憶が確かならな。少なくとも、璃月で見たエレーナの魔王武装と、記憶の中で見た彼女の魔王武装はかなり似通っていた。あれを時の執政の作り話だと決めつけるのは些か無理がある。」
「───と言うか、そもそも彼女が『公子』の妹だってことにも驚いているんだけど......何かの間違いじゃないの?」
「そのような質の悪い冗談は言わん。」
「ああ、頭痛くなってきた......この城下町に初めて来た時よりもずっとびっくりしてるかも。」
予想と違わず、旅人も俺と同じような反応を示した。
───まぁ無理もない。
つい最近知り合った幼い少女が執行官の親類で、その執行官に匹敵しうる力を有しており、さらにはその根源に至るまでに多くの民を殺戮したなど、一体誰が受け入れられるだろうか。
「ねぇダイン、そのフォンテーヌって国でエレーナが犯したことは真実なの?その......国家転覆って......」
「真実かは知らん。俺はあくまでも『記憶のようなものを見た』に過ぎん。それが確かであることを証明するには、実際に現地に行くしかあるまい。」
「そうだけど、こんなのって......」
人間の悪性をああも間近に見てしまったのは不運でしかないだろう。人肉を口にし、
旅人はエレーナの過去に心を痛めているらしく、俺の話を聞いてからもずっと俯いたままだった。次第に陽も落ちていく。もうすぐ夜がくる。あまり無駄な時間を過ごすことはできない。
「俺から話すことは以上だ。では俺はここらで───」
「ちょ、どこに行くの!?」
旅人が裾を掴んで引き止めてくる。表情からは焦りが見えるが、そんなものは知ったことではない。
「当然、エレーナを探しに行く。」
「いや、もう夜になりかけてるから止めておいた方がいいよ。それに、彼女の行き先だって知らないでしょ?」
「それは───そうだが。」
痛いところを突かれた。
あの暴走娘の居場所なぞ誰も知らない───何せ、執政ですらコントロールできなかったのだから。
「そろそろパイモンも戻ってくるから、一体休憩にしよう。それから休眠を取って───動くのはまた明日!分かった?」
「どうしてそう───はぁ、分かった。好きにしろ。」
「分かったんならよし」
「お〜い旅人、ダイン!もう話は終わったか?」
町人と話していたパイモンが戻ってきた。
「うん、おおかた情報共有は終わったよ。明朝に反乱軍の人たちと動き出すつもり。パイモンはどうする?宵宮とお留守番しておく?」
「いいや!おいらも付いていくぞ!旅人を一人になんてさせたくないからな!」
「おお、頼もしい......じゃあ、私の護衛はよろしくね。パイモン?」
「へへ、おう!まかせろ!」
仲睦まじく話す彼女らを見ていると、エレーナと喧嘩別れした己の未熟さが一層無様に思えてきた。エレーナは今頃何をしているのだろうか。開いた古傷はもう癒えているのだろうか。
記憶の中のエレーナは、切断された右腕をイスタロトに修復してもらったらしいが、今もその加護は健在なのだろうか?こうして思考に耽ってみて改めて、自分が彼女に対して何も知らないということが浮き彫りになってくる。
「次会ったときは、可能な限り洗いざらい話してもらわねばならんな。」
「ダイン〜!お前ももう休んでいけよ!ほら、オイラの隣が空いてるぜ!」
「ああ、そうするとしよう───俺は外で寝る」
「はぁ!?おい、聞いたか旅人ぉ!?ダインのやつ、オイラがせっかく......」
やかましい彼女らの喧騒が、今にも走り出しそうな俺の焦りを溶かしてくれているようで、どこか居心地の良さを感じた。できれば、エレーナにもこの感覚を味わわせたいものだ。
翌日、夜明けと共に空き家を出た。
俺たちは、旅人と親交があるという抵抗軍の人間に会うことになった。混乱を極める稲妻では他者同士の助力は欠かせないとの思いから、旅人は多くの人脈を繋げているらしい。彼女曰く、哲平という友人がいるらしく、まずは彼の様子を見にいくと言っていた。
気になったのは、友人に会いに行くにしては表情に翳りがあったことだった。
◇
風向きは変わらないようだ。
気分新たに出立した俺たちを出迎えたのは、疲弊しきった海祇島の新兵だった。
「......え、哲平?」
「......ああ、旅人か。また会ったね。」
「なんで、こんなやつれて......前からおかしいとは思ってたけど、どうして。」
彼女の知人らしき東洋人がガックリと項垂れて、壁にもたれている。もっさりと生えた白髪は、そのこけた頬の割にはかなりの毛量を誇っていた。肉体は根絶寸前なのにも関わらず、どうしてか一部の対組織だけは青年期の男性のような屈強さを持つ彼の歪さの理由が「ファデュイの邪眼」にあると知ったのは、それからすぐのことだった。
海祇島はかなりの珊瑚が群生している島で、稲妻の本島とは少し離れた地理にある。かつては近深くに沈んでいた地が、何かのきっかけで今の高度にまで浮上してきたのだとか......真偽は定かではない。
本島の北西部に位置するこの島には、反乱軍と呼ばれる幕府軍への蜂起組織が駐在している。至る所に長槍を立てかけた見張り兵がおり、彼らの使命感の高さをまざまざと見せられる。実際、国のお偉方に対して組織ぐるみで謀反を起こそうと躍起になる人間は総じて負けん気の塊のようだから、「使命感が高い」という評価もあながち的を外していないだろう。
いただけないのは、そんな負けん気集団の一員である目の前の男性が、今まさに死のうとしているということだ。
「哲平......」
「ハハッ、なんて顔をしているんだよ相棒。ちょっと具合が良くなるだけさ」
「でも!」
「大丈夫、だよ。」
嘘だろう。
彼は無理をしている。
呼吸は絶え絶えになり、瞼も重そうだ。
死の準備を終えているのでは、とすら思える。
「本当だって。ただ今は、ちょっと休むだけだ。ちょっと、だけ──────」
「───。」
彼はそれから動かなくなった。
穏やかな寝顔から生気は感じられない。もう二度と目を覚ますことはないだろう。
「哲平......」
旅人と親しかったらしいこの青年の最後は随分と質素で呆気ないものとなった。きっと彼と同じような結末を辿った兵士はごまんといるのだろう。稲妻中にばら撒かれたお粗末な邪眼の副作用に蝕まれた人間は、その負荷に耐えることはできず、最終的にはこうして朽ちていく。
旅人は青年の体を静かに持ち上げて、そばにいた他の仲間へと託した───彼は懸命に戦って殉職した、どうか丁重に弔ってくれと言いながら。
「ファデュイ......ッ!」
「───行くのか?」
「うん。ダイン、悪いけど───」
なんという目をしているのか───記憶の中のエレーナも今の旅人と同じ目をしていたな。何かに取り憑かれたかのように駆け出す人間の目だ。
旅人、お前までその道に行くのか?
そうやって自分の憎しみを優先して、自分の安全を投げやる......本当にそれが最善なのか?
───彼女の選択は尊重しよう。
部外者である俺が出張るべきではない。
「分かっている。エレーナは俺が見つけ出す、お前は目の前にある使命をまっとうするといい。」
「ありがとう、それじゃあ......」
だが。
「一つ、忠告しておく」
「───何?」
「これからの行いが憎しみからくるモノなら、ここで踏みとどまった方がいい。そんな感情的になったところで結果なんてものは付いてこない。そうやって戻れなくなったやつを俺は知っている───俺はちょうどソイツを探しているところだ。」
「エレーナのこと?」
「さあな。」
俺はエレーナの記憶で、今の旅人が抱いている感情の濁流を見たことがある。まだ鮮明に思い出せる。エレーナの視点で味わった彼女自身の叫び、涙、憎しみ───それは四百年経った今でもなお燃え続けている。親友を殺し、傷つけた者たちを根絶やしにするだけに飽き足らず、その周囲の無関係な人間をも遠慮なく殺戮した───そんな少女を、俺はよく知っている。否、知ってしまった。
「忠告......そう、分かった。肝に銘じておくよ......じゃあねダイン。色々助けてくれてありがとう」
「あ、おい待てよ旅人ぉ!───ダインも気を付けろよ!何かあったらまた呼びつけていいからな!」
「ああ。」
彼女が行く道はどれだけ険しいものだろうか。
旅人が歩こうとしているのは、かつてエレーナが歩み始めた道に他ならない。殺戮を犯した者が踏み入る禁域だ。その道にいる人間は、次第に己が人を殺すということそのものに何の呵責も抱かなくなる。人殺しに慣れきってしまうのだ。
叶うことなら、旅人がそうはならないことを祈る。どうかパイモンが彼女の良心を繋ぎ止めてくれることに賭けてみるとしよう。
「さて、俺はエレーナを探さなければ......と言ってもアテはないが。一旦神里の令嬢と待ち合わせるのが得策かもしれんな。」
この時、なぜか俺よりも旅人の方が先にエレーナを見つける気がしてならなかった。
◇
side-旅人
哲平の寝顔が浮かぶ。
あの穏やかな───死んでいるような顔が。
抵抗軍の人たちが使っていた邪眼は『散兵』という執行官が蒔いたものだと聞いた。降伏させたファデュイの兵曰く、奥深くの工房に籠っているとのことだった。
彼は本当に工房にて居座っていた。
少年の背丈にしては大きめな傘を被っており、造ったばかりであろう邪眼を手のひらで弄んでいた。彼は私を見るとニマニマと気色の悪い笑顔を貼り付けながら話しかけてきた。
「やぁ。」
「───あなたが『散兵』?」
「おや、見ない顔.....かと思えば、噂の旅人じゃあないか。久しぶり!例の流星群騒ぎ以来だね。」
「よっくも......そうヌケヌケと話せるねッ!?」
「旅人、落ち着けって!」
「あらら、こわいこわい。」
ヘラヘラと笑う少年。
彼は呆れたような表情で私たちを見ていた。
「さて、前は自己紹介できず終いだったから、今回はちゃんと名乗らせてもらおうか。」
「僕は執行官第六位『散兵』だ───また会えて嬉しいよ、名高い旅人さん。」
かつての自分を殴りたくなる。
当時の私はまだテイワットで目覚めて間もない頃で、フィッシュルやモナと共に大地を掛けていた。流星群の噂を聞いた私たちは唐突に少年───『散兵』と出会ったのだ。無害を装って近づく彼はどこか鋭利な刃物であるかのような危険さを醸していた。
もう取り繕う気は無いようで、嫌味ったらしい口調で私を貶している。
「ふふっ、どうしてそう憤っているのさ?どうせ君には関係のないこと───他人の死体が増えただけだっていうのに。」
「なに!?」
「人間の命なんて虫ケラと同じなのさ!救う価値なんてないし、
「むしろ、最後の最後に人外的な力を体験し、己の心のままに幕府軍に反旗を翻せたんだ───僕はあくまでもそれの手助けをしたに過ぎない。邪眼を手に取ったのは彼ら自身なんだからね。」
この───!!!
どうしてそんな風に他者をコケにできるの!?
ファデュイの陰謀で哲平や仲間たちは死んでいった。
なのにコイツは全く悪びれる様子もない。それどころか、益々躍起になっている。
───こいつは、ここで止めなきゃならない!
「よくも──────うっ!?」
「旅人!?どうしたんだ!?」
「おや、ようやくか」
これは、一体何?
何をされたの?
目の前が紫色の煙でいっぱいになってる、意識が朦朧としてくる。
「わ......かんない。何だか、力が入らなくて───」
「───フハハハハハハッ、そう、それだ!憤怒しろ!!!」
「ふん、ぬ?」
「この工房に蔓延する魔神の怨嗟にとって、怒りの感情は餌となる!こうしてのこのこと現れた君は、結局のところ新しい邪眼作りの片棒を担うことになるのさ!」
ああ。
迂闊だった、執行官が何の手立てもなしに籠城しているわけがないのに、そんなことすら考えられないくらいに動揺していたのか。
視界が狭まってゆく───。
「おい、旅人!起きろ、しっかりしろぉ!!」
「無駄さ、どんなに足掻いてもこの工房でまともに立つことなんて───おい、何で君がここにいる?」
「......え」
「ようやく見つけた───やはりここに居たんですね、『散兵』」
ダインスレイヴの探し人、私の同行者だったエレーナが、『散兵』と私たちの間に割って立っていた。
いつもご愛読ありがとうございます。
今朝、怒涛の誤字報告が来ててびっくらこきました。
誤字報告いただき助かってます、マジで。
感想とか貰えたら泣いて喜びますので、どうか、ぜひ感想とか貰えると嬉しいなぁ〜(チラッ)