◇
side-エレーナ
稲妻の支柱を成す
紫電の雲が漂う中域を超えると、鳥居がずらりと立ち並ぶ階段へと辿り着く。
烏や狐たちの珍しいものを見るような視線を掻い潜って階段を登る。すると、やがて桜吹雪の綺麗な神社をお目にかかれる。
この社の名は「
社に着いてから正面に少し歩くと、賽銭箱よりも先に大きな神木が目に着いた。
箒で花びらを掃く巫女たち曰く、ここに成っている大きな神木は
「───
そんな大社の主である八重神子は、いつも通り茶を煎じ、手元の
彼女は本を閉じた。
茶の入った器を手に取って香りを嗅いでいる。
「これは異国から仕入れた特殊な紅茶でな、唯の緑茶とはまた違う独特な風味がある」
「───はぁ」
「紅とも焦げ茶ともいえぬ奇妙な色は、品質が良い証拠なのだそうだ。鎖国して久しい稲妻においては貴重品だ───ほれ、遠慮せず飲むといい」
「............どうも」
「───はぁ、どうやら嫌われてしまったようじゃな。お主と妾は初対面のはずだが、何か気に触るようなことをしてしまったかの?」
誰かこの状況を誰か説明してくれ。
なんで私は異国の重鎮とお茶をしているんだ。
「神の心の引き渡しまでは予定通りだったのに......」
『散兵』と八重神子が取引をしたところまでは予定通りだった。
神の心と旅人の命の交換───これがなければ旅人は一貫の終わりだった。
『散兵』に私の存在価値を焼き付けるついでに、八重神子が来るまでの時間稼ぎに徹したのは正解だった。
そして結果的に旅人は助かった。
そこまではよかった───その後、この女が私に同行を求めてくるまでは
「これ、聞いておるか?」
不意に問いかけられてハッとする。
「あ、はい。聞いていますよ。」
「───聞いておらんかったな?まぁ良い。ただでさえ疲れておるだろうからな、妾に呼びかけに一生懸命にならずとも構わぬよ。」
「───あ、私のお茶......」
神子はいつの間にか茶を飲み干していた───私の分まで。
やはりいい性格をしているようだ。
彼女は旅人を膝枕しながら漫画を読んでいる。
八重堂で刷られたものらしく、そこの主である彼女にとってその本はもはや読み古されたもののようだ。とても退屈そうに読んでいるのがその証だろう。
辛うじて本の背表紙が見えた。
タイトルは───『雷電将軍に転生したら、天下無敵になった』とある。
確かにそういう馬鹿げた本があるということは知っていたが、こうして目の当たりにするとなんだか感動すら覚える。こういった手合いの書物は、いつの時代も民衆の需要を満たしてくれるのだろう。残念ながら私も興味はそそられないが。
「そんなにも妾との
「理由が分からなくて不気味なんです。一体何を企んでいるんですか?」
こういう手合いは何を考えているはまるで分からない。
腹の探り合いをしても時間を無駄にするだけだ。
だから「分からないから教えろ」と正直に言った方がいい。
「ふむ、そうじゃな───妾はあくまで雷電将軍の命令に従っておるに過ぎん」
彼女は心底つまらなそうにそう言った。
表情を偽っているようには見えなかった。
「『エレーナという少女の身柄を確保し、私が赴くまで待機せよ』───これが将軍の発した命じゃ」
「確保って......どうせいずれ私を殺すためでしょう?」
「いいや?もしそうならこうして茶など飲んでおらん」
神子は旅人を撫でながらポツポツと語り続ける。
「お主には感謝しておるんじゃぞ?」
「感謝、ですか?」
「うむ。将軍───
「城下町は幕府軍の庇護がある───いかに将軍がいないとはいえ、国の統制を受けられる恩恵は大きい。人々は城下町という避難所に心の拠り所を作っていたのじゃ。」
「で、そこに
「疲弊し切っていた人々にとって、それを回避する術などなかったに等しい───民衆はなすすべもなく圧死した。城下町にあった血の痕は全部彼らのものじゃ。」
「それから少し経った後、
「異邦人である少女の目に映ったのは絢爛さと素朴さを兼ねた、雅な城下町だった───しかしそれは
「さぞ心を痛めたのだろう......でなければそのような顔つきにはならんだろう───そんな悲壮な顔は齢二十にも見たない
「しかし、お主のおかげで再び
「だから私に感謝していると?雷神の興味を引いて、彼女を現実世界に出させたから───」
「そう考えてもらって構わん」
八重神子の目的が見えない。
雷神が私を求めている......?
なぜ?
この女はどうしてこんなにも冷静なんだ。
私という外敵を前にして、どうして冷静でいられる?
それに、「感謝している」だって?
どうして城下町の人間を殺した私を恨まないんだ。普通なら憎くて仕方がない筈だろう。八重神子の目には全く揺らぎがない。充血もなく、その様子は平静そのものだ。確かに私を目の敵にしている様子はない。
「私は民衆を殺したんですよ?どうして感謝なんて......」
「お主はあくまでもそう思っておるのじゃな。自分が稲妻の皆を殺したのだと───」
「ええそうです。私が殺したんです。なんの罪もない人たちをいっぱい殺したんです。私はそんなことも知らずに、雷神の幻覚に踊らされて『混乱下でも城下町の活気は変わらないのか』なんて呑気な感想を呟いていたんです」
「───。」
「それも綾華の目の前でですよ?......あの
綾華には申し訳ないことをした。
私は憔悴し切った綾華の心に付け入って無理に町を案内させた。
私が雷神の幻覚に魅入られている間、綾華は
「はぁ......見てられん。これまで数百年もの間、様々な人間を見てきたが───お主ほど痛々しい幼子は初めてじゃ」
八重神子は膝枕していた旅人の頭をそっと下ろして、そばにあった座布団に乗せた。おさげの金髪がきめ細やかに座布団に沿って流れていく。
ふと、頭に誰かの手の感触を感じた。
八重神子は私の頭を優しく撫でていた。
「
「──────っ!?」
心臓がうるさい。
これまで見ないようにしていた原罪を唐突に突きつけられているような気分だ。
「あやつはお主の記憶を見て思うところがあるようでな。お主が城下町に釘を落とした犯人だと知ってもなお、すぐに殺しはしなかった。」
「そ、そこまで知っていて───どうして私を生かしたんですか」
「簡単じゃ。
贖罪。
その言葉を聞いた瞬間、びくりと身体が震えた。
紛れもない恐怖から震えたのだ。
雷神の無慈悲な斬撃は私を何度も裂いた。
正直、もう二度と彼女とは戦いたくない。
こうして八重神子に手篭めにされている間にも、「雷神がこちらに向っているかもしれない」という考えが頭から離れない。
「そう怯えずとも良い。次に
「───え?」
「影は戸惑っておる......ただのうつけと思っていた
彼女は───雷電は、異物である私を睨んでいた。
明確に憎しみを抱いていた。
そんな雷神が心がわりして私の命を見逃す判断を下した?
そんなの信じられない。
それじゃ感情の辻褄が合わないだろう。
とても八重神子の言う通りだとは思えない。
雷神と戦った時は、彼女に同情心のようなものは感じられなかった。
私はめった斬りにされた。
彼女から優しさを享受したことなんてない。
思わず目の前の狐女をぎらりと睨みつけると、彼女は私を憐れむような目で見てきた。
「納得しておらぬようじゃな。」
「......。」
「まぁ良い。時間ならたくさんある......心の整理が付くまでここに居るといい。」
八重神子が旅人の髪を撫でる。
旅人はくすぐったそうに身を捩り、八重神子はそれをおかしそうに笑う。
「
当てつけだろうか。
旅人という光と、私という悪を照らして皮肉を言っているのか。
最も嫌だったのは、この女は全く悪意なしにこのようなことを言っているのが分かることだった。私は他人を疑うたびに自分自身の腐った心を他人という鏡を通して見ることになる。最近はこういうことばかりだな。
全部空回りして、その度に誰かに助けられている。
今だってそうだ。
本当なら雷神に襲われてもおかしくないのに、そうはなっていない。呑気に桜を鑑賞できている。きっと八重神子の口添えだろう。
この人たちに報いなくとも良いはずがない。
私は悪人だし、犯罪者だし、人殺しだ。
人を殺すことに躊躇がない。
けれど、なんの接点もない人間を殺して愉悦を感じるほど落ちてはいないつもりだ。
八重神子と話す中で、私の清算の計画も必然性を帯びてきた。
やはり私は稲妻の惨劇を払拭し、歴史を書き換えなければならない。
そのために『散兵』に接触したのだ......後戻りの選択肢はない。
そう悠長にしていられない。
「───そろそろ出立します」
「ほう。もう行くのか?」
「私が稲妻の民を殺したという結果は変わりません。いかに情状酌量しようとも雷神と私は対立します......これ以上この国にはいられません」
「しかしどこへ行こうと言うのだ?執行官に追われている以上、まともな国にはいられないだろうに。」
「この国に留まるよりはマシです。どうせ雷神は私を殺すことに躍起になっているに決まっています。また会う前に離れなければならないんです。」
「あり得ん。すでに
「───では、仮に雷神と私が和解のために再会したとして、私はどのような顔をして会えばいいのですか?」
私はあなたの国の臣民を殺しました、などと言えとでも?
私のしたことはファデュイとそう変わらない。
ただやり方が違うだけで、人を殺したと言う結果は同じだ。
「旅人が起きたら、私は
「はぁ、そうか。もう行くのか───では、それは自分で伝えるといい。妾の役目はこれで終わりじゃ、後はお主の好きにするといい」
その言葉は私に向けられたものではない。
八重神子の視線は私の背後に向いていた。
「ありがとうございます、神子」
「─────は?」
聞いたことのある声だった。
柔らかい女性の声。
私はその声を一心浄土という地獄で耳にした。
振り返ると、そこには雷電将軍ご本人がなんてことない顔で立っていた。
先に斬る!
双剣と刀が火花を散らした。
「───っ対面してすぐ
「っ、くそ!?」
仕損じた!
息つく間もなく切り掛かったのに!
ていうか、やっぱり待ち伏せしていたんじゃないか!
一瞬でも付き合ってしまった自分が馬鹿だった!
「落ち着きなさい。神子の言う通り私に交戦の意思はありません。」
「敵の言葉を信用しろと!?私はたった今!そこの女狐に嵌められてお前の接近を許してしまった......お前らは信用できない!!!」
「───私は貴女を敵とは、」
「何ですか、何なんですかマジで..........こんの、『しつこいんだよマジで!』」
魔王武装を展開する。
炎と
ガチりという音と共に視界が独眼マスクで覆われた。
硝子面の向こうに雷電将軍の困惑した顔が見える。
もう何が何だかわからん。
何でこんなに大変な目に遭わなくちゃいけないんだ!
償うって言っているし、もう顔を合わせないって言ってるだろ!
なのにどうしてそっちから会いに来たんだ!?
というか、何で
困惑してるのは私の方なんだけど。
ああそうさ、お前の民を殺したのは私だよ。
だからこうして命を狙われるのも当然のことだろうさ。
だからって、こんな騙し討ちみたいな形で───こっちは連戦続きで疲れてるのに......この、このぉ!
「『この......
「っ、」
「うふふっ、図星を突かれたな
「───神子。」
「わかっておる、手出しも口出しもせん。存分に値踏みするといい───お主が殺そうとした幼子が本当に悪であるのかをな。」
舞う花びら全てに断流を付与した。
そして全部一気に爆破させる。
「 『
斬撃が千切れて連鎖していく。
「
「『ああ、クソッ!?』」
だが、将軍の一撃が空間を割いて私の斬撃は全て将軍の一太刀で一掃された。
相変わらず出鱈目な力だ。
神はいつだって、人間がどう足掻こうとも到達できない強者の領域から私たちを見下ろしている。なんて傲慢な奴らなのだろうか。
本当に嫌になる。
こいつらとまともにやり合う気はない。
隙を見て離脱する!
「『どけ!』」
「その武装を解いてくれれば私も刀を収めます」
「『こんの......わからずや!』」
「お互い様でしょう。というか、やっぱり貴女は意外と感情的な所がありますね。」
「『───黙れェ!』」
「一閃」
「『ぐッ!?』」
雷の太刀がマントを掠める。
少し位置がずれていたら脊椎を断絶させられていただろう。
まさにギリギリの攻防───命がいくつあっても足りない。
雷神はいつの間にか背後に回っており、更に速度を上げて斬りつけてきた。
だが以前戦った時ほどじゃない。
───まさか手加減しているのか?
もし本当に手加減しているのだとすると、雷神が敵じゃないという言葉は真実なのかもしれない。でも、今はそんな曖昧な可能性に賭けている暇はない───ここで逃げ切る!
稲妻を脱出するなら転移をするのが早いけど、雷神の面前で転移の座標を開ける時間なんてない。なら、助っ人に頼るまでだ。
私以外の、
それに、どうせ
だったら───
「『手を貸せ、
「む?」
「───新手ですか。一体どこに、」
だからこうして───
「マジで人遣いが荒いなお前は」
だから、遠隔からでも私の意思を拾って手を貸してくれるわけだ。
咄嗟に効かせた機転は成功。
旅人たちには悪いけど、稲妻本来のゴタゴタは彼女に任せる方がいいだろう。
私はひと足さきにスメールに向かう準備をしなければならない。
いやそもそも、
それはその時考えよう。
「───逃しましたか。やはり速い......いえ、思い切りがいいと言うべきでしょうか。」
「とことん嫌われたな、
「───少なくとも、死に目に遭わせてしまったのは確かです。しかし今回は敵対の意思はないと言ったのに......」
「蹂躙してきた当の本人が言っても説得力がないじゃろう......だからこそ妾が仲介役をやったのだが、それでもあやつは一切警戒を解かんかったな。まるで初めから妾と
その場に残ったのは呆然とする将軍と狐女だけであった。
◇
side-旅人
結局、稲妻の騒動は落着した。
突如発生した魔物の軍勢は退けられ、雷神による圧政も緩和された。
奪われた神の目も徐々に解放されて人々の手へ帰っていった。
それでも、失われた命は戻らなかった。
魔物に食い殺された者や、幕府軍と抵抗軍の衝突で討死した者───そして例の釘によって圧死した者───これらの命は戻らなかった。
そこには執行官である『淑女』の命も含まれていた。
旅人は多くの試練の果てに雷神との和解に成功し、雷神にいくつかの情報を得ることに成功した。
稲妻が崩壊した経緯や、雷神が外敵を駆除して回るために人前から姿を消したこと。
その最中、思わぬ
詰まるところ、稲妻の混乱の火種を作っていたのはエレーナだったということになる。
ダインスレイヴから聞いた彼女の記憶の話も合わせて考えると、彼女は運命に憎まれているのだと思わざるを得ない。不憫極まる。
八重神子も同じ気持ちのようだ。
心なしか暗い声色で話し始めた。
「
「清算......?」
「これを見ろ」
八重神子は頷いてエレーナが纏っていた黒い鎧のかけらを見せた。
高温で熱されたかけらは今にも溶け出しそうだ。
「見えるか?───透き通る水晶体の奥にあるドス黒い炎のようなゆらめきが。」
「焚き火の炎みたい......」
「この通り、このカケラの中にある炎は今でも生き続けておる。ただの炎元素ならこんなにも永く燃え続けるのはあり得ん......十中八九、
エレーナがなぜ
「それであの
「───知恵の国、スメールじゃ。ちょうどお主の次の行き先と重なるな.......まぁ、あやつは「璃月に行く」とか何とか言っていたが、それは十中八九嘘だろう───きっとそこであやつなりの清算の策を講じるつもりで、そのためにはお主らの邪魔が入っては都合が悪いのだろうな。恐らくお主に居場所を知られるとまずいと考えてのことだろう。」
「彼女はスメールで何をするつもりなの?」
「それはわからぬ......行ってみないことにはな」
旅人にとってエレーナは知り合い程度の仲に過ぎない。
しかし、胡桃に彼女のことを任された以上、放っておくわけにもいかない。
それに、エレーナは決して悪人などではないこともわかっている。敢えて敵対するつもりもない───もし次に会ったら躊躇いなく捕まえてヨリを戻すつもりだ。
それに───ダインからあんな悲惨な彼女の過去を聞いたら、もう放って置けない。
◇
「そういえば、あの娘にも友人がいるのだな?てっきり一人孤独で参っておるものだと思ったが。」
「エレーナに......友達?」
「
「うん。多分......パイモンはどう?知ってる?」
「いや、オイラも知らないぞ。」
彼女らが淵上と出会うのはそれからすぐのこと───地下深くにある古い文明跡で会うことになるのだが、それはまた別の話だ。
稲妻編、完!
(問題が解決したとは言ってない)