ヒカルの左手    作:お冨

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 執筆済の文章はここまでです。ここからスローペースになりますので、お覚悟を(笑)


佐為の証明

 

 

 

「すごかったなー、今日の対局」

『はい、ヒカルのお陰です。本当にありがとう、ヒカル』

 

 自室で二人してくつろげたのは、夜も遅くなってからだった。今日はなかなか解放してもらえなくて、棋院に足止めされていたのだ。

 周囲はもちろん、ヒカルも興奮冷めやらず、しゃべりまくっている内に時間などあっという間に過ぎてしまった。

 

「だけどさー、佐為、お前、これからも打ちたいんじゃねーの」

『えっ、打たせてくれるんですか』

 キャピキャピとはしゃぐ囲碁幽霊に、ヒカルはこいつ変わんねーなと思いながら苦笑した。

 

「いいよ、打たせてやる。どうせ今日でお前のことバレたしな。絶対ネットのsaiと結びつける奴がいるって。それに、オレ、もっとお前の本気の碁を見てみたいんだ」

 きっと、虎次郎もそうだったんだろうなと思う。だから、全部佐為に打たせたんだ。

 

「前にお前言ったろ。打ってる者にしか一番深いところは見えないって。なんかさ、オレあの場所に居てさ、お前の考えていることも全部見えたし、塔矢先生の考えていることも見えたし、今日の対局の一番真ん中に居たって感じなんだ。リアルタイムの棋譜並べなんて、すっげー贅沢だよな。最高じゃん」

 

 相手がオレじゃないのが、ちょっと悔しいけど。オレじゃまだまだ弱すぎて、お前を本気にさせられないんだよな。

 

「だけどさ、オレ、自分でも打ちたいんだよ。お前に打たせるとオレ打てねえし、オレが打つとお前、打てないだろ。それにお前が打った後オレが打ったら、また塔矢みたいに『ふざけるなっ』って怒られちゃうんだよ、きっと。オレとお前が別人だって、公式に認めてもらえればいいんだけど……」

『そんなこと、出来るんですか』

「うーん、難しいけどな。何とかしないと、お前に打たせてやれねーもん」

 

 前途多難は百も承知。だからって、やってもみないであきらめるなんてヒカルの主義じゃない。考えるより先に行動あるのみ。それが進藤ヒカルという少年だった。

 

 

 

「だぁかぁらぁー、多重人格でも、幽霊憑きでも、オソレザンのイタコの口寄せでも、碁の神様が降りてくるんでも、前世の記憶が残ってるんでも何でもいいからさ、俺の意識の中に佐為が居るって、認めて欲しいの!」

 

 進藤ヒカルの前代未聞の主張は、日本棋院にささやかな騒動をもたらした。

 

 論より証拠、右手と左手で打ち分けられれば、確かに別々の人間が打っているとしか思えない。他人のフリをして手筋を真似て打つことは可能だが、塔矢行洋レベルに成り切って打つなど、中学生の新初段に出来るはずがない。

 

「これは、二重人格というしかないでしょうな」

「しかし、一種の精神病になるわけでしょう。一度専門の医師に診てもらわなければ」

 

 医者と聞いて、ヒカルは拒絶反応を示した。

 

「絶対に嫌! 治療とか言ったって、佐為を殺しちゃうってことなんだろ。佐為は佐為だ。オレの大事な友達なんだから、絶対、絶対、消したりしちゃダメ! あ、お払いもダメだかんね」

 

『ヒカル、ニジュウジンカクとは、何ですか』

 

「あ、佐為は知らなかったっけ。そういう病気があるんだよ。もとは一人の人格だったのが、何かの原因で別々の人格に分れちゃうっての。人格って何かは、オレに聞くなよ。とにかくさ、いきなり別人に入れ替わっちゃうわけ。体は一つなのに、中身は二人なんだ。映画とかドラマとかでやってるぜ」

 

 いきなり斜め後方を振り向いて何も無い空間に話しかけたヒカルに、大人達は奇異の目を向けた。

「進藤君、そこに、その、居るのかね。君の言ってるサイとやらが」

「うん、居るよ。いつも一緒。オレの意識に居候してるから」

 あっけらかんと言われて、大人達の困惑はさらに深まるばかりだった。

 

 

 進藤ヒカルを解離性同一性障害、俗に言う多重人格と認める点については、反対の声は起きなかった。本人が主張している「幽霊にとり憑かれた説」より、よほど信憑性があったからだ。

 問題なのは、佐為という進藤ヒカルの副人格のあつかいをどうするか、という点だった。

 

「オレと佐為が別人だっていうんならさ、いっそ、佐為にプロ試験受けさせちゃダメ? そうすりゃ、オレも佐為も打てるし、言うことないじゃん」

 

 さすがに、このヒカルの提案は却下された。

 

「どうして? 佐為は幽霊だから歳とらないし、どう見たって三十前だよ。日本国籍は持ってないけど、国籍条項ってやつ? それプロ試験には無かったよね。台湾や韓国の人で日本棋院に所属してる人いっぱい居るもん。受けさせてくれてもいいじゃん」

 

 何と言われても、肉体が無い以上人間とは認められない。そんな佐為を、一人前の棋士として認めるわけにはいかないのだ。

 

「ふ―ん、じゃ、佐為はオレと別人じゃなくて、オレの一部なわけね。じゃ、オレが自分の対局を佐為に打たせてやっても、オレが打ってるってことになるよね」

 

 つまり、佐為を進藤初段の人格の一部と認め、主人格、副人格、どちらの戦績も合算してしまおうということだ。

 しかし、それは他の棋士に対して不公平ではないだろうか。やはり、公式手合いへの副人格の参加を禁じるのが妥当だろう。

 

「えーっ。佐為に打たせちゃダメって、もったいなくないの。だって、佐為はすっごく強いのに。マジでタイトル取っちゃえる実力なんだよ。名局の棋譜をいっぱい残せるのに」

 

 うっ、と詰まったのは、一人や二人ではない。

 

 日本棋院。

 そこは囲碁馬鹿の集まりである。

 もっとはっきり言えば、囲碁オタクの集団である。

 白と黒のモノトーンの世界に、人生賭けちゃってる奴がゴロゴロ居るんである。

 そんな彼らが、塔矢行洋とタメをはる指し手を、みすみす手放せるだろうか。

 

 副人格佐為が打てば、主人格である進藤ヒカルは自分で打てなくなる分、不利益をこうむる。よって、他の棋士との不公平は発生しないと見なす。

 

 かなり強引な論法だったが、結局、日本棋院はOKを出したのだった。

 

 

 

 翌日。よんどころない事情ですっぽかしていた森下師匠の研究会へ、ヒカルは重い足を向けていた。

 気まずい。メチャ気まずい。そりゃもー、滅茶苦茶気まずい。

 

 和谷に何と言おうか、とにかく謝り倒すしかないのだが、気まずい~~。

 

『どうしましたヒカル。早く中に入りましょう。一歩を踏み出さなければ、何も始まりませんよ』

 

「気楽でいいよなー、お前は。オレ、和谷や先生達に嘘ついてたことになるんだぜ。もう、敷居が高くてしょうがないんだよ」

 

 隠す必要がなくなってからというもの、ヒカルは大声で佐為と会話するようになっていた。どうせ周囲から奇異の目で見られるのなら、全部オープンにした方が楽だし面倒も無い。

 この思い切りの良さが、ヒカルの真骨頂だ。

 

「いいから入れよ」

 いきなり背後から声をかけられて、ヒカルは文字どおり飛び上がった。

 

「わ、和谷っ」

「そんな幽霊見たような顔すんなよな。まあ、ちょっとは怒ってるけど、絶交するほどじゃねーよ。許してやるから、その代わり、しっかり説明しろよ」

 

『和谷はいい人ですねー、ヒカル』

 

「うん、和谷はsaiのファンだしな。ごめんな、お詫びに、今日は佐為と好きなだけ対局させてやるよ」

「ほほう、させてやるだぁ。ずいぶんタカビーだな」

「うわっ、古っ、死語の世界。いや、あの、対局させていただきますっ。だから機嫌直せよなー。なっ、なっ」

 

 後はいつもの、子犬のじゃれあいに突入する彼らだった。

 

 

「そんなズルは、一遍もしてません。第一、佐為の力を借りてプロになるつもりだったら、院生二組のどんけつから始めたりしないよ! わざわざ左手で打ったのも、オレと佐為を区別してもらうためなんだし。これからも、右手で打つ時は自分の力だけで打ちます!」

 

 避けることの出来ない質問をされて、森下九段にヒカルは気迫で返答した。

 

「ようし。その目に嘘は無いと見たっ」

 

 豪放磊落。その人柄で、森下九段はヒカルと佐為を受け入れてくれた。正直、涙が出るほどありがたかった。

 

 

 

「おい、進藤、佐為と打たせろ」

 

「またぁ? こないだやったばっかりじゃん、緒方さんったら」

 

 何だかんだと呼び出されて日本棋院に顔を出すたび、ヒカルは高段者達に捕まるようになった。誰もが佐為と打ちたがり、現在まで無敗を誇る佐為に土をつけるのは誰かと、賭けまで行われているらしい。

 

 中学生のヒヨッコ棋士としては、雲の上のトップ棋士やその予備軍相手に、お断りは言いにくい。傍若無人と認識されているヒカルにだって、遠慮はちゃんとあるのだ。

 それに、自分の勉強にもなるし、何より佐為が大喜びで打ちたがるから、本来は喜ばしい状況なのだが。

 

 何事にも、限度というものがある。客は代われどヌシ替わらず状態というのは、結構つらいものがあった。

 

 挑戦者達は入れ代わり立ち代りで、一人が一局打つだけだから、それほど負担にならない。

 佐為は肉体疲労とは無縁の幽霊、食事もしなければ風呂にも入らず、ひたすら対局だけに集中していられる。

 しかし、ヒカルは生身の人間なのだ。全ての対局に付き合わされるヒカルの疲労は、とっくに限界を超えていた。

 

「今日は、もう二局も打ってるの。それもタイトル戦並みのすっごく濃いやつ。いくら佐為の言うとおり石並べてくだけだっても、もう無理だよ。頭ぐちゃぐちゃなんだから」

 

 緒方九段は、ヒカルにとって馴染の相手だ。タイトル目前のトップ棋士だなんて知らない内から、塔矢名人がらみで顔見知りだった。愚痴の一つもこぼせる間柄なわけだ。

 

「そうか。身が保たんか。なら、対局数を減らせばいい」

「って、どうやって減らすのさ。四月からはオレも自分の対局打つし、増える一方だと思うけど」

「だからだ。時間を制限すればいい。棋院で部屋を借りて研究会を主催してはどうだ」

 

「へっ、新初段のオレが研究会~?」

「誰もお前の勉強会とは思わないさ。サイの研究会だ。誰でも希望者は出入り自由ということにしておけば、文句は出ないだろう。そこに行きさえすればサイと打てるとなれば、無理にお前を追い掛け回しはしないさ。どうだ、いい考えだろう。何、お膳立ては全てオレがしてやる。その代わり、オレに優先的に打たせろよ」

 

 畳み込むように凄まれて、ヒカルは頷いていいものかどうか、正直迷ってしまった。

 なんだか口車に乗せられそうで、警戒心が先に立つ。こんな時には、頼りになる保護者に相談するのが良い子というものなのだが……。

 

『ワーイ、ワーイ、研究会、研究会~』

 

 浮かれ騒いでいる佐為に、こりゃ駄目だと肩を落とすヒカルだった。

 

 

 

 まだまだ謝り倒す相手は残っているけれど、四月までにはなんとかクリアできそうだった。

 新初段免状授与式の席上で、棋院から佐為の処遇についての公式発表が行われることになってるし、明るい展望が開けてくるのを感じていた。

 

 

 

 しかし。

 

 ヒカルは塔矢アキラという最大の壁に、この時点でまだぶつかっていなかったのである。

 

 

 

 

 

 

 




 無事、佐為の対局許可をもぎ取りました。めでたし、めでたし(大笑)
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