彼岸の花は月の色香 作:パッチ・スパイダー
だから君。兼ねて血を恐れたまえよ。
世界で一番平和な国。日本。
誰が言い出したのかは知らないが、今目の前の光景を見ても同じことが言えるのか甚だ疑問に思う。
「さっさと出てこォい!!」
聞こえてくるのはアニメや漫画でしか聞かないようなみっともない脅し文句。
それも、いい年の男数人が年半ばも行かない少女を盾にしながらの言葉だというのだから余計に情けなく見える。
しかし、いくら情けないとはいえかなり不味い状況であるのは事実だ。
人質をがいるのも問題であるが、何より男達がひとり残らず錯乱しているというのが状況を悪くしている。
話は通じない上、一人でも取り逃がそうものなら何をしでかすかわかったものではない。
サルを相手にしたほうがまだマシというものだ。
下手に刺激すれば何が起こるかわからない。とはいえこのまま放置すれば男たちがいつ癇癪を起こすかもしれない。しかし、いやしかし。
現場は完全に膠着状態に陥っていた。
さて、ここからどう立て直すのか。
のんきにそんなことを考えていた、その瞬間である。
どチュリ
人質を抱えた男の腹から突然、本当に突然、どす黒い鮮血が吹き出す。
男は突然感じた激痛に自分の腹を見る。吹き出す血に紛れて、そこには赤く血濡れた白い腕が生えていた。
「あーー」
続きを発するよりも早くその腕は無造作に引き抜かれる。
男の体が、それこそ糸の切れた人形のように投げ出された。今まで喚いていた口からは血がゴポリと溢れ、ピクリとも動かない肉体が男の死を見せつける。
男の背後、そこに立っていたのは一人の少女。
人質となった少女とさほど変わらない背格好。黒く美しかった長い髪と青い制服はすでに手遅れなほど真っ赤に染まり、時折雫がスカートの裾から垂れている。
右手には今しがた男の体から引き抜いた臓物を、左手には巨大なアンティーク銃を持った奇妙な出で立ち。
彼女は、たった今自らが引き起こした残状を一瞥し、その口元に僅かな笑みを浮かべた。
直後、突然襲いかかった衝撃とともに視界がブラックアウトしーー
◇◇◇
「なぁにこの子。」
画面の内で起った一連の出来事に、千束は一言そうひねり出すので精一杯だった。
「お前でも見えないか。」
テーブルを挟んで向かいに座った楠木は、千束の反応に皺の寄った額を抑えてため息をつく。そのため息には、深い深い諦めの色が多分に含まれていた。
そんな楠木の様子に千束は「老けますよ〜」などとちゃかして見るが、どうにも現実から逃げられそうにはない。
仕方あるまい。気を取り直してもう一度画面に視線を戻す。
色々と突っ込みたいところはある。……というより、ありすぎて何をどう突っ込んでいいのかわからないという方が正しい。
「マ〜ジでどこにいたの?」
「男の後ろにいたそうだ。」
気がついたら当然のように画面に映り込んでいた少女。
男の腹を貫くその瞬間まで、どれだけ目を凝らそうともその姿も、気配すらまるで見えてこない。
合成やCGだと言われたほうがよほど納得ができるであろうその映像はしかし、紛れもない真実であると楠木は言う。
「本人に直接確認したが、青い秘薬がなんだかんだとはぐらかされている。」
「秘薬ってそんなファンタジーな……。」
薬一つで姿をけすことができるなら、この世界は今頃犯罪で溢れかえっていることだろう。スパイだろうが覗きだろうが空き巣だろうが、何でもかんでもやりたい放題である。
そこまで考え、千束は唸り声を上げながら頭を振る。
「そもそも、この子元からこんなだったわけ?」
千束自身、DAから出てかなり長い。それ故本部のことを事細かに知っているかと言われればNOである。
しかし、健康診断や時折押し付けられる仕事、自らの働く喫茶店に顔を見せるリコリス達から時折内情を耳にすることはある。
こんな摩訶不思議なことをやってのける少女がいるのなら、噂くらいは聞きそうなものではあるのだが……。
「3ヶ月。」
「?」
「3ヶ月の間、やつは昏睡状態だった。」
楠木は語る。
ことの発端は4ヶ月前。とある任務についていた少女は深手を負い、暫くの間生死の境を彷徨っていたらしい。
仲間たちの懸命な処置もあり、なんとか一命はとりとめた。しかし長らくのあいだ目を覚まさず、意識を取り戻したのはほんの一ヶ月ほど前のことなのだそう。
「それからだ。やつがおかしくなったのは。」
目を覚ますや突然涙を流し、かと思えば穴が空くほどになにもないはずの虚空を凝視し、挙句の果てには突然の高笑い。
気が触れたのか。そう思うほど笑いに笑い転げ、笑いながらこう言ったそうだ。
『あぁ、居る。居る。そこかしこに獣が居る。』
当時のことを思い出したのか、楠木は体をブルリと震わせる。
獣とは何を指すのか、一体その現場がどんな状況だったのか。察するに余りあるが、相当に混沌としていたことだけは容易に想像がついた。
「えと、目が覚めてからは……?」
千束は恐る恐る続きを促す。
聞いて後悔する気しかしないが、好奇心のほうが勝ってしまった。いわゆる怖いもの見たさだ。
「なにかに取り憑かれたように任務を遂行するようになったよ。一切の容赦はなく、無慈悲で、まるで酔っているような様子で敵を殲滅していく。」
以前は大人しく、命令にも忠実。少々我が強い一面もありはしたものの、概ね優秀なリコリスだったそうだ。
「少々使いづらくはあったがな。」楠木はそう言うが、千束の経験上、彼女は本当に使えないと判断すれば即刻切り捨てる人間だ。少し薄情だと思うこともなくはないが、組織の上に立つものとして必要な勤めであることも理解している。
そんな彼女が率直に評価するのやだから、なんだかんだ楠木は少女のことを認めていたらしい。
そうでなかったとしても、少なくとも以前までの少女は腹を素手でぶち抜くような存在でなかったことは理解できた。
何が原因でああなってしまったのか。気を失っている間に変な夢でも見たのだろうか?
「あ〜〜〜!だめだわからんっ!」
「全くだ。」
いつもならここで「腑抜けたな」だの「鈍ったか」だの、嫌味の一つ吐かれるところなのだが、その楠木はぼぅと遠くに視線を送り、疲れたようにため息をついていた。
これは随分参っていると見える。
優秀な部下だと思っていたモノが、いきなり奇行に走り出すとこうなっていまうのだろうか。
楠木の心労を労り、千束は胸の奥でそっと手を合わせた。
「ところで、なんだけど。」
「……なんだ。」
このまま頭をひねっていてもどうせ何も解決しやしないだろう。千束は話を変えることにした。
「なんで私、ここに呼ばれてるわけ?」
連絡を受けたときから疑問ではあった。なぜわざわざ本部に呼び出されたのか?と。
正直嫌〜な予感しかしなかったためそこには触れていなかったのだが、この際なんでもいいから話をそらしたかった。
対して楠木は「ふむ」と何か思い出したように時計に視線をやり、
そして呟く。
「そろそろか。」
「一応聞くけど……なにが?」
あ、まずい。予感が当たる。
千束の背に一筋、冷たい汗が滴った。
ーーコンコン。
逃げるより早く入り口から聞こえるノックの音。
『……司令。入室しても?』
聞こえたのは、自分と同じく少し幼さの残る少女の声。
しかしなぜだろうか。千束はその声を聞いた瞬間、妙に心が落ち着くような、安心できるような、そんな不思議な感覚を覚えた。
「入れ。」
その声に意識を吸われていた千束は、楠木の声ではたと正気に戻る。扉を開けた先にいたのは、正しく今しがたパソコンの画面の中でスプラッタを繰り広げていたあのリコリス。
固まる千束をよそに、楠木はそのリコリスを中に招き入れる。
「えと……錦木千束、です。」
「はじめまして。」
正面に立ち、じ、と自身を覗き込む黒い眼差し。それはどこまでも暗く澱んでいて、まるで何もかもを見透かされるような感覚に襲われる。
「……ッ」
不意に背筋が凍る。
なんだ?これは。彼女は自分の何を見ている?
顔?いや違う。そうだ。目だ。瞳だ。瞳の奥のさらに奥。その中にある自分も知らない何かを彼女は覗き込んでいる。
「ああ……。」
突然、それの口が声を紡ぐ。
今まで何の感情も映し出していなかった顔面がぐにゃりと歪み、新たな表情を描き出してーー
ニコリ
「ッッ!!??」
気がつけば、千束は腰に手を伸ばしていた。そこに備え付けた愛銃を収めるホルスターに手が触れ、いつでもそれが引き抜けるよう半身に構えている。
全くの意識外にて自らが起こした行動。千束の背筋に走る悪寒はさらに勢いを増し、空調の効いた部屋だと言うのにも関わらず大量の脂汗が吹き出す。
対するリコリスはあいも変わらず……いや、より一層笑みを深めて一歩こちらへと踏み出した。
「やはり、貴方にも瞳がある。頭蓋の中の奥底に。まどろみの中未だ目覚めは遠い。あぁでも、見えているのですね?」
なんだ。何の話をしている?
瞳?頭の奥?わからない。彼女は一体、自分に何を見ているというのか。
まるで頭がかき混ぜられるような不快感……いや、違う。まるで自分の中の何かが目覚めようと蠢いているような、自分が自分でなくなるような。不気味でしかし歓喜に湧くような異様な感覚。
彼女と対峙してからというもの、段々と自分がおかしくなってゆくのがわかる。考えがまとまらない。なのに妙に頭は冴えていて。意味のない思考がグルグルと高速で脳を渦巻きーー
「ーー井ノ上ッ」
その一声が千束を現実に引き戻す。
井ノ上、そうよばれたリコリスは千束から視線を外し、楠にその笑みを向けている。芝居がかった様子で首を傾げ、笑顔はそのまま。
可愛らしくすら見えるその様子に、楠木はタラリと頬に汗を滴らせた。
「何か?」
「……本題に、入らせろ。」
あぁ、そうでした。戯けたようにそう言う彼女の瞳は、美しく透き通った漆黒であった。
千束は袖口で額を拭う。
全身がベタついて気持ちが悪い。帰ったらすぐにシャワーを浴びよう。そう決意したところで、井ノ上が口を開いた。
「それで、私は何をすれば?」
「これと戦え。」
………
…………
………………
「……ひょ?」
時間にしてたっぷり5秒ほど。
千束は自分で思っても見ないほどに素っ頓狂な声を上げていた。
「どっどどどっどどういう?」
「……。」
ワタワタとオーバーに腕を振るう千束。
自分のことを「これ」呼ばわりなことにも物申したいところではあるが、それ以上に突飛な戦え宣言に困惑が頭を支配する。
「そのままだが。」
「いやそんな急に。」
いつも彼女の言うことを聞かない自分への意表返しとでも言うつもりだろうか。
とにかく急にそんなことを言われても困るというもの。
千束は井ノ上に向けて、同意を求めるべく視線を送る。
「ねえ?」
が、しかし、
「……。」
当の彼女といえば、何かを考え込むように俯き千束の声どころか何にも反応を示さない。
ただじっと、薄く開いた瞼の隙間から何かを見つめるように遠くに視線を送るだけ。
「それは、」
不意に彼女が口を開く。
首が傾き、視線が合う。
「それはつまり、」
瞳が、真っ黒に濁った。
「彼女を狩れと言うことですか?」
部屋の空気が一気に張り詰め、ピリピリと皮膚に電流が流れる。
正しく一気触発。
楠木がやれと一言言えば、次の瞬間には自分の腹に彼女の右腕が突き立てられる。そんな光景を幻視した。
「違う。模擬戦だ。」
「あぁ……。よかった。」
瞳が優しげにほほえむ。
心の底から安堵したように深く息を吐き、口元が緩やかな弧を描いた。
「人は、狩りたくありませんから。」
・青い秘薬
医療教会の上位医療者が、怪しげな実験に用いる飲み薬
それは脳を麻痺させる、精神麻酔の類である
だが狩人は、遺志により意識を保ち、その副作用だけを利用する
すなわち、動きを止め、己が存在そのものを薄れさせるのだ