彼岸の花は月の色香   作:パッチ・スパイダー

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あんた、あんまり、手を汚すんじゃあないよ

狩人狩りなど、あたしに任せておけばいいのさ



人であっての物種

 『そこまで』

 

無機質なキルハウス。

リコリスたちが訓練に利用し、日々よりその腕を磨くための場所。

その一角は血を模した赤い色の塗料にまみれ、2つの人影が向かい合うようにして立っていた。

 

 「おぉ……。」

 

まじまじと、自身の胸部に盛大に広がる塗料を眺める井ノ上。

それ以外にも青い制服のあちこちにはペイント弾の塗料が付着し、なんとも悲惨な格好になっている。

 

対して、 

 

 「ハァ……ハァ……ッ」

 

息も絶え絶えといった様子で腕をだらんと垂らす千束。

制服には一切の汚れも見当たらず、ただ大粒の汗が額にいくつも浮かんでいる。

無傷の勝者と傷だらけの敗者。はたから見ればこの模擬戦、千束の完全勝利のように見えなくもないのだが、

 

 「ーーッ!!」

 

千束は何か恐ろしいものでも見るように、銃を握る自分の手を見つめていた。

 

 (撃った。撃った。胸を。心臓を。)

 

千束はとても、目がいい。

それも弾道を見切ることができるほどに。

対して井ノ上はどういう訳か、こちらもステップ一つで銃弾を躱して見せていた。

 

そして模擬戦は、最後の攻防へと縺れ込む。

 

銃弾を見切る千束に対して不用意に距離を取ることを悪手とした井ノ上は、なんと銃撃を捨てた白兵戦に打って出た。

体を掠める弾丸になど目もくれずに至近距離に潜り込んだ彼女。その細身の体からは想像もつかない膂力を遺憾無く発揮し、ついに千束は銃を握る腕を弾かれ、壁際へと追い詰められてしまった。

 

そして最後。掛けられた足に姿勢が崩れ、倒れながらに瞳が捉える。

 

右手の指を一筋に束ね、骨を砕き肉を刺し貫く凶器を作り出した狩人の姿を。

 

 そこからの記憶は曖昧だ。

気がつけば井ノ上の青い制服は赤く染まり、手中には引き金を引き絞ったままの拳銃が握られていた。

 

これは模擬戦だ。誰も死んでいないし、誰も殺していない。

打たれた相手は眼の前に立っているし、飛び散っているのはただの塗料。

 

そう自分に言い聞かせる。言い聞かせ続ける。

……言い聞かせているのに。

 

 

殺した感覚が、消えない。

 

 

 「フゥ……フゥ……ッ」

 「……大丈夫ですか?」

 「へ、あ、う、うん。か、勝てたーって。」

 

我ながら酷い誤魔化し方だと思う。

口はろくに回らないし、呼吸は未だに荒いまま。顔に血の気がないこともよく分かる。何より井ノ上と目を合わせられずに視線が下に向く。

 

 「……へぇ。」

 

突然耳元から声が聞こえた。

はっと顔をあげる。上げてしまう。その拍子に澱んだ瞳と視線が交差した。

 

 「ッ……」

 

また自分の奥底を見透かされるような感覚が千束を襲う。

息を呑む千束をよそに、井ノ上はじっと瞳の奥を覗き込み続けた

 

 「怯え?……いや、恐れか。」

 「え?」

 「何、恐れることは良いことだ。理性なき獣ではない他ならぬ証拠でもある。

やはりあなたは、人なのですね。」

 

また、獣の話。

彼女は自分のことを人だという。そして、人を狩りたくないと。

ならあの腹を貫かれた男は果たしてなんだというのだろうか。

 

 「……獣って、なに?」

 

思わずそんな言葉が口をつく。

 

 「私とお腹ぶち抜いた人、何が違うの?」

 「さあ?私も詳しいことはよく知りません。」

 

即答された。理解ができない。

であらば、何を持ってして彼女はヒトを獣などと呼ぶのだ。

呆ける千束をよそに、井ノ上は言葉を続ける。

 

 「ただ、私の瞳にはそう映った。」

 

今一度、井ノ上の瞳が千束を捉えた。

彼女の瞳に、自分はどう写っているのだろうか。彼女は今、自分に何を見ているのだろうか。

 

 「目に見えるものが事実であるとは限らない。しかしそれが間違いであるとも言い切ることは難しい。

故に私は、自らの瞳を信じることにしました。

 

それが、私にとっての紛れもない真実なのだと。」

 

 千束は目を凝らす。眼の前の少女の暗く澱んだ瞳、そのさらに奥底に。

不意になにかが見えてくる。でも、まだよく見えない。もう少し。もう少しでなにかーー

 

 「それ以上は、いけない。」

 

突然視界が暗転する。どうにも目を掌で覆われているらしい。

諭すようなその声と突然襲った暗闇が、段々と思考をマトモに戻していく。

 

 「う……」

 

思わず一歩退いて目を覆う。

今、自分は何をしていた?何を見ようと覗いていた?

 

いつもの人の動きを見るモノとはまるで違う。

わからない。まるでわからない。全身に走るなにか未知の感覚。

千束はそれに、また恐怖した。

 

うろたえる千束に井ノ上はやはり動じることはなく、むしろ何かを確信したように、浮かべた笑みを深く刻んだ。

 

 「古き学び屋、ビルゲンワース。」

 「……?」

 

 不意に井ノ上の口から、聞き慣れない言葉が繰り出される。

 

 「学長ウィレームより、彼の学徒たちへ送られた言葉。」

 

我ら血によって人となり

 

人を超え

 

また人を失う

 

知らぬ者よ

 

「かねて血を恐れたまえ」

 

 「要するに、人として生きて人として死ねということです。」

 

井ノ上の瞳に、ふわりと優しげな笑みが宿る。

今までの恐ろしい笑みとも嘲るような嗤いとも違う。ただ純然たる慈愛の色がそこにはあった。

 

 「恐れ続けなさい。死を。狩りを。血を。」

 

まるで幼子を諭すように、井ノ上は優しく語る。

 

 「そうすれば貴方は、いつまでも人でいられるだろうから。」

 

彼女の澄んだ瞳は嫌に優しげで、恐ろしい。

相変わらず何を写しているのかもわからない。

でも、なぜだろうか。千束にはその瞳に、ほんの少し、ほんの少しだけ悲しみが宿っているように見えたのだ。

 

 「さ、行きましょう。いつまでもこんな格好をしていたくはないですからね。」

 

早くこの服を変えないと。

そう言って踵を返した井ノ上。その服の裾を、千束は思わず掴んでいた。

 

狐につままれたような顔で振り返る井ノ上。

 

 「……?なにか。」

 「あの、えと……あのさ!」

 

何も考えてなどいない。思わず手を伸ばしてしまったのだから。

しばしの思考、無駄に回転の早い頭を総動員した末、千束は喉奥からなんとか言葉をひねり出した。

 

 「名前、なに?」

 「ですから、井ノ上だと「じゃなくて!」……?」

 

キョトンと首を傾げる彼女に、千束はじれったい気持ちを全面に押し出し半ば叫ぶように言う。

 

 「First Name!下の名前!」

 「な、まえ。」

 

グイグイと突っ込む千束の勢いに押されたらしく、今まで見せたことのない表情で一歩退く井ノ上。

しかし流石というか、直ぐに正気に戻っーー

 

 「クッ……クク……ッ」

 「え。」

 「アッハハハハ!!!」

 

訂正。いきなり狂ったように笑い始めた。

掌で目を押さえ、天を仰いで笑い続ける。

そんなに自分はおかしなことを言っただろうか。彼女への不気味さと共に、なんとも言えない不安感が湧き出してくる。

 

 「ハハっ……はぁ~~。すみません。」

 「あ、いや、大丈夫……?」

 「ええ。なにぶん、あの陰気臭い街で名を名乗ることなどなかったもので。あぁ。こちらではほんの半年にも満たない時間でしたか。」

 

色々気になるワードはあるが、千束もここ数時間の彼女絡みのやり取りで学んだ。好奇心で地獄を覗くものじゃない。

千束は引きつった顔をどうにかごまかし、黙って井ノ上の答えを待った。

 

 「おっと、私の名前でしたね。」

 

未だ笑いが収まらないらしく、つり上がった口角をそのままに彼女は胸に左の手を当てる。

 

 「たきな。井ノ上たきなです。以後、お見知り置きを。」

 

恭しく頭を垂れ、井ノ上はーーたきなは自らの名前を名乗った。

 

 

 ◇◇◇

 

 

夜。街灯も無い暗い道を、一人の少女が歩を進める。

彼女が身に纏うのは、まだらにに赤く濡れた青い装束。

おおよそ年頃の少女が着るようなものではないそれが、風に乗ってゆらりとなびいた。

 

 「錦木、千束。」

 

少女はそう呟いて、その口元を三日月型に釣り上げる。

 

 「彼女が狩人となれば、私よりも多くの意思を継ぎ、そして優秀な狩人となるのでしょう。」

 

それは獰猛で、しかしどこか哀愁の漂う寂し気な笑み。

なにかを哀しむような、それでいて慈愛と狂気に満ちたその表情。頬にべたりと付いた血糊が、その恐ろしさ/美しさを際立てる。

 

 「だからこそ惜しい。彼女を人で無くしてしまうのは。」

 

天を仰ぎ、手を突き出して虚空をなぞる。

その隙間から見える暗い空に、しかし眩しい何かを見つめるように、彼女はすっと目を細めた。

 

 「人であるからこそ美しい。微睡みの中にあるからこそ見えている。彼女を狩人にしてしまえば、ソレはすべて夢に消えてしまうだろうから。」

 

彼女は歩みを止め、その足元に瞳を落とす。

そこには迫る狩人に怯え、身を丸める一匹の獣/男の姿が写っていた。

 

 「あぁ千束さん。間違っても獣に堕ちることなどありませんよう。」

 

ゆっくりと右の腕を振り上げる。

虚空をなぞってあたはずの掌には、いつの間にか鈍く輝く一振りの得物が握られていた。

 

 「かねて血を恐れたまえ。」

 

模擬戦に終ぞ使用しなかったそれは、無駄と知りながらも自らが人としてあろうとする意志の最後の抵抗。

 

人に獣を狩る道具を向けてどうするのだ。

 

彼女がこれを振り上げるのは、獣を前にしたときだけだ。

故に真の力を見るものは狩られる獣を置いて他にいない。

まさに今、目の前で這いつくばる男がその一例。

 

 しかしまぁ、獲物が狩人の恐ろしさを語り継ぐすべを持つはずもなく、

 

 

 ザクリ

 

 

生々しい肉が裂ける音。

周りを染め上げる鮮血の雨。それを一身に浴びて彼女は嗤う。

まるで美酒に酔うかのように、うっとりとした顔で。

 

 「私は貴方を狩りたくなどありませんから。」

 

振り返る彼女の背後には、血に濡れ事切れた人型が山と積まれている。

 

 今日は美しい、満月の夜だ。





・小さなオルゴール

ヤーナムの少女から預かった、小さなオルゴール。

両親の思い出の曲が流れるらしい。

蓋の裏の紙片は、どうやら古い手紙のようでかろうじて2人の名前が読み取れる。

それはヴィオラと、そしてガスコインであろうか
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