密室で何してるんですか?ペロペロしちゃってますが何か?ふざけてるんじゃねえですよ追放させて頂きます 作:すかすかのタキ
空はまばらに雲が散るだけで、陽光が島全体を朗らかに照らしていた。
空気は清浄に澄み渡り、頬をなでる微かな風が、緑豊かな山々の香りを届けてくれる。
68番島は浮遊大陸郡の中でもかなりの辺境の地にあたる、牧歌的な田舎だ。市街地も小さく、基本的には自給自足。これといった名産品も当然なく、外部からの商船が訪れるのも、月に数回程度のものである。
それでも古来から変わることなく残されてきた大自然に、直に触れてみたいという観光客が後を絶つことはなく。住人達が慎ましくも安定した生活を送れるだけの収入を、継続的にもたらしてくれている。
今もこの空の何処かには、あらゆる生命を滅ぼし尽くさんとする獣の種子が漂い続けていて。
もしかしたら明日にでも、この68番島を放棄せよという通達が軍から送られてくるかもしれない。
そんな現実などきれいさっぱり忘れ去ってしまう、あまりに平穏であまりにいつも通りも日常が、今日もこの島では繰り返されていた。
あるトロールが、関わっている場所以外では。
「みんな~恥ずかしがらなくたっていいのよ~♡わたしが愛を込めていっぱいペロペロしてあげるんだから~っ♡♡♡」
「ひゃー!?」「きゃー!!」「ふわあああー!!?」
妖精倉庫の運動場にて。そこでは危機に鈍い妖精の子供達ですら悲鳴を上げ、四方八方に逃げまどう阿鼻叫喚の光景が繰り広げられていた。
先日、ナイグラートは診察室でエクルエクラをこっそりペロペロしていたのが発端で管理者からの解任を言い渡された。
それはラーントルク流の、本気なのか冗談なのかあまりに見分けのつきにくい、質が激悪なジョークであったのだが──、とにかく彼女は本気にし、泣いて喚いて取り乱し、住人達の大事な観光資源を一部破壊した後止める間もなく町になだれ込んで酒場に突入、恐怖で震える店主を余所に在庫を全て空っぽにする勢いで飲みまくったが酒豪すぎて酔い潰れることもできず。最終的にカウンターに突っ伏して、重いオーラを漂わせながらえっぐえっぐと啜り泣き。お引き取り願いたいのだが、うかつに声をかければバクリと丸呑みされそうだから絶対無理。もうどう解決すればいいか見当もつかず、店員達は星空を肴に現実逃避を始めてすらいたのだが。
「あらアルミタ、転んじゃったの?大変、ひざを擦りむいちゃってるじゃない。安心してね、わたしがすぐにペロペロして傷口をきれいにしてあげるから☆☆じゅばば」
一晩の間に、何があったというのだろうか。町人達にあれ以上迷惑をかけず家に戻ったのはいいのだが、ペロペロ欲が数段上のレベルにまで振り切れている。
「ああーずるいー!」「あたしもー!あたしもつれってってー!」「みんなぁ、アルちゃんはほうっておいてもいいのー!?」
やはり非常事態というものは、人を急激に成長させるらしい。一部のセンスある子供達は、拙いながらも見事魔力で翼を形成。地面から飛び立ち、絶対ナイグラートの手の届かないであろう屋敷の屋根や森の樹上にまで、フラフラながらも避難することに成功していた。助けを求める同期の声は当然無視。残酷な世界の縮図である。
と、そこに、
「こらーナイグラートー!またこりずにペロペロしようとしてるわねー!」
弱きを助ける救いの手が。もとい、妖精倉庫の未来のリーダー候補筆頭、賢すぎる幼女エクルエクラがやって来た。
傍らにはカーナやリンシャを始め、比較的聞き分けがよくしっかり者な子ら数人がついており、それぞれが訓練用の木剣を携えている。
「みんな、アルミタをペロペロの魔の手から救出するわよ!フォーメーションD-3!とつげきー!!」
「わーーーーっっ!!」
年少妖精達はエクルエクラの指揮の元、大柄なナイグラートに対し、その小柄さを生かしての連携を仕掛けた。右からは大腿部を、左からは腓腹を狙って二人同時に木剣を打ち据える。
「ひゃ、ちょ!?」
当然ナイグラートの注意は足元へ向く。そこに飛行能力を使える子が頭上から。背後に回り込んでいた子が臀部を目がけて。それぞれが木剣を全力で振り下ろし、また迷うことなく全力で突き上げた。
「ていやあーーっ!」「たああーーっ!」
護翼軍武官が目にしたのなら感嘆したであろう、幼いながらも統率され、しっかりと形になった四連撃。しかしトロールは皆、刃物や銃弾程度なら軽々はね返してしまう鋼の肉体を持って生まれつく。幼女が振り回す木剣など、平手で軽く叩いた程度と変わりがない。当然ダメージなど、欠片も受ける筈がないのだが。
「ひぎい!?」
苦痛に歪んだ声と表情。何故だか明らかに効いている。ペロペロしようとしていたアルミタを放りだすと、半泣き状態のまま山に向かって逃亡しだした。
「ひゃああん、なんでえ~!?わかんないわかんない!!ラーンは喜んでさせてくれたのにい~!!」
哀れを催す情けない声で全力疾走。バキャバキャズドドー。轟音と衝撃に土煙が舞い、野鳥が飛び立ち野ウサギが地を駆ける。滑稽な姿だが、進路の邪魔になる木々を素手で薙ぎ払っていく辺りはやはり浮遊大陸郡屈指の強種族トロールだった。
この展開、ほぼ前日の焼き直しであるが。五百年以上受け継がれてきた地上の遺産──町人達の飯の種や野生生物の居場所である大自然を無自覚に破壊するのはやめてほしいものである。
「こらああ待ちなさーい!いい大人なのに、泣いたら許されるとでも思ってるのー!?」
しかし、彼女の舌の実害を受け、闇堕ち気味なエクルエクラは簡単に見逃してなどしてくれない。
「みんな、アルミタの治療は任せたからね!とおー!」
やはり彼女は将来有望な妖精だ。まだまだ先輩方には及ばない小さな規模だが、実に安定した魔力を熾し身体能力を強化。山の中に飛び込むと、小柄な体躯で木々を軽やかにすり抜けて、あっという間にナイグラートの前方に回り込もうとする。
「うわああんどうして!?どうして暴力を振るわれなくちゃいけないの!?あなた達みんな、わたしの愛を待ち望んでいたんじゃなかったの~~っ!?」
「愛と書いてペロペロと読む異常な世界なんて、どこまでいっても存在しません!二度とそんなことする気を起こさないように、徹底的にしつけさせてもらうんだからねー!」
どういうプロセスを経て、その結論に至ったのかは分からないが。
どうもナイグラートは、子供達は照れて嫌がっているふりをしているだけで、本心では自分にペロペロされるのを心から待ち望んでいるのだという、とんでもない思い違いをしているらしい。ダメージを受けているのは肉体でなく、手酷い形で期待を裏切られた精神面のようである。
怒声と悲鳴、木々が薙ぎ倒される破壊音は妖精倉庫から遠ざかっていっている。遠ざかっている筈なのに、激しさが増しているのが分かる。追いかけまわされ逃げ惑い、運動場に取り残された子供達は『今日のナイグラートは何だったんだ…』と放心するのみである。
そして、
「あれ…?あたしたち、どうやってここまでのぼったんだっけ…?」「だ、だれかたすけて~。おりられないよ~」
無我夢中すぎて、飛んだ記憶がないらしい。火事場の馬鹿力で屋根や樹上に避難していた子達はそこから動くこともできず、呆然と届かぬ声を漏らすのだった。
「…なークトリ。今の話、さっぱり理解できなかったんだけど。外が騒がしくて大事なところを聞き漏らしちまったのか、単にあたしの頭が悪いからなのか、どっちだと思う?」
「そう、おめでとうノフト。それは君の頭がすごくまともで正常だっていうことの何よりの証明よ。安心していいわ、わたしもさっぱり理解できなかったし、そもそも理解したくないから」
「んー?わたしは普通に理解できたけど」
「レン。悪いけど今はちょっと黙っててくれる?」
「クトリ、気持ちはすっげえ分かるがもうちょいイライラを抑えてくれ。目が据わってて怖い」
ナイグラートとエクルエクラの大暴走が最早収拾がつかなくなりつつあるその頃。妖精倉庫の会議室には、年長組五名が一堂に会していた。
司会を務めるのは妖精倉庫の情報屋こと、猫耳少女アイセア。会議用のテーブルには、アイセアから見て左手側にクトリとノフト、右手側にヴィレムとネフレンがそれぞれ席についている。
テーブル中央のお皿には、小ぶりで可愛らしいクッキーの山。話が混沌としすぎていて誰も口にしていなかったそれを、クトリは右手で鷲掴みにした。大きく口を開け、いっぺんに口に放り込む。周りは同期達だけとはいえ、見栄っ張り少女クトリにとってはちょっとあり得ない事態。
「おい下品だぞ、いいのか…?」
恋人がそっと忠告するも聞こえている様子がない。バリボリバリと苛立たしげに噛み砕き、冷めた紅茶で流し込むと、
「…それじゃあアイセア、悪いけどもう一回。わたし達の頭でも分かるくらい、ゆっくり丁寧に説明してくれない?昨日あの二人の間で何があったのか。そしてラーントルクの現状を」
うえーまたかよと、ヴィレムとノフトが顔をしかめ合い、
「ういうい、しょうがないっすねー。あたしも情報屋の端くれとして、可能な限りそうしたつもりだったんすけど」
いつも飄々としたアイセアにしては珍しく、疲弊を隠しもせずに苦笑する。
一応事態を理解しているらしいネフレンは、内面を窺わせないいつも通りの淡泊さで。
ポットから淹れ直したお茶に、ふーふーと息を吹きかけていた。