流れをぶった切るようで申し訳ないが。
メインPCの異変の調査をしている真っ最中ではあるが…
本日はデジモン研究報告成果を発表するための講演会の日である。
本当ならば、もうちょっと後にさせていただきたい。
メインPCの異変の調査をして、その結果を講演会の報告内容に組み込みたい。
しかしながら、今回の講演会には、世界各地から権威ある学者様が何ヶ月も前からスケジュールを組んで、忙しい中合間を縫って集まってきてくれるのだ。
それをこちらの一存で一日二日延ばしてしまうわけにはいかないのである。
それに、聴講者との質疑応答の中で、なにか分析のヒントが得られるかも知れない。
損すると決めつけるのは早計である。
逆に、作戦実行前に発表ができてよかった…となるかもしれない。
そうなることを祈ろう。
そういうわけで、我々のグループは講演会場にて、一般の方々や学者の方々を招き、研究成果を発表した。
デジタルワールドのこと。
そこで進化を遂げたデジタルモンスター達のこと。
まるでSFのような事実に、聴衆は大いに沸いた。
そもそもデジタルワールドとは何か?
現時点では「コンピューターネットワーク上のデータが反映される、もう一つの世界」と仮定している。
デジタルモンスターとは何か?
現時点では「コンピューターウィルスが進化し、生命を持った存在」と予想されている。
なんとなくフワっとしたイメージは湧くかもしれないが、ある程度コンピューターに詳しい者ならば、誰しもが考えるはずだ。
そのデジタルワールドのデータや、デジモンのデータとやらは、一体どこのどいつのサーバー上に存在しているのか?
その世界での出来事は、一体どのハードウェアの計算資源によって演算されているのか?
その世界をどんな原理で観測しているのか?
そもそもコンピューターウィルスの進化とは、エンジニアが起こすものであって、ウィルス自体が自己進化することは有り得ない。
ましてや、メモリやハードディスク上のビット如きが生命を持つことなど断じて有り得ない。
そんな批判的意見が、我々に滝のように寄せられた。
なる程、至極真っ当な質問である。
我々とて、実際にこの目で見るまでは、同じ疑問を抱いたものであった。
まず、一般に誤解されがちな事だが…
デジタルモンスター達の本体は、コンピューター上のデータそのものではない。
そこに宿っている、「魂」こそが生命の本体なのである。
かつての生物学では、「魂」の存在は否定され、機械論的唯物論こそが絶対だとされていた。
だが、生命を生命たらしめる「魂」の実在証明と観測に、5年前にドイツの物理学者が成功して以来、「魂」の存在は当たり前のものとして認識されている。
かつて、アミノ酸の海という非生物からタンパク質の高分子配列を組み立て、そこから細胞膜を持つ原生生物という生命を誕生させた存在…それが「魂」である。
魂は、生命の肉体が代謝系と自己増殖機能、外界との境界を獲得するよりも、ずっと前にこの宇宙に存在していた。
魂それ自体が、質量を持たない一種の情報生命体といえるかもしれない。
そして生命活動とは、物質の単なるランダムな化学反応の連続ではない。
そこに宿る「魂」によって制御される指向性の変化である。
そう、我々が脳によって行っている思考や、それによって芽生える自我、心が感じる感情さえも、生命の本質である「魂」が行った演算の結果にすぎない。
我々の脳は、生体コンピュータである。
コンピュータとは、「計算機」…。計算のための道具だ。
我々は、肉体を操る脳と、それが生み出す心や感情こそが魂の本質だと誤解しがちだ。
だが、それは違う。
人間を自動車に例えるならば、自我や心は「車載コンピュータ」に相当する位置付けであり、「運転手」ではない。
車載コンピュータを操作してエンジンやブレーキの制御を行う「運転手」は、自我より上位に位置する「魂」である。
そして、この関係はそのままデジタルモンスターにも当てはまる。
コンピュータ上のデータは、デジモンの「肉体」でしかない。
デジモン達の自我と魂…遺伝子は、データよりも上の領域に存在しているのである。
アミノ酸の海に溶け込んだ魂が、タンパク質の肉体を得たものが我々であり、
ネットの海に溶け込んだ魂が、データの肉体を得たものがデジタルモンスターである。…というのが、現時点で最も有力な説だ。
「デジタルモンスターは、どうやって思考を行っているのか?」という質問も上がった。
これには我々も大変頭を悩ませた。
我々人類が持つ脳は、それぞれが独立の演算機能を持った生体コンピュータである。
だから、ひとつのコンピュータが一個体の思考を制御しているというのは分かりやすい。
だが、デジモンの肉体…そして脳は、コンピュータ上のデータとして存在してるはずだ。
そして、データそのものは自ら演算する機能を持たない。
コンピュータウイルスは、それが寄生するコンピュータのCPUが提供する計算資源を奪い、利用しているにすぎない。
我々は当初、デジタルモンスターも、それが宿るコンピュータのCPUに依存して思考を行うものと考えていた。
だが、デジモンキャプチャーを使って幼年期デジモンのデータをサーバー上に保存し、そのデータを解析したところ…
デジモンの「脳」に値するビット配列には、アクセスポインターらしき不変の定数値が刻まれていた。
そして驚くべきことに、デジモンが食事をするとき、その肉体を構成するデータ配列は、デジモンのデータが保存されているコンピューターのCPUを一切利用せずに変化したのである。
試しに、ハードディスク単体に電源を繋ぎ、そこにデジモンとキノコのデータだけを入れて数分待機したところ、次に観測したときデジモンはキノコを食べ終えていた。
このことから、デジモンという生命は、ハードウェアの演算回路に依存しない思考・演算機能を持っていると結論付けられた。
そして、
「デジタルワールドをどのように観測しているのか?」
「この世界のどのハードウェアに、海だの島だの森だのサバンナだのといった地形のデータが保存されているのか?」
という疑問も上がった。
まず第一に、世界とは何か?という前提を共有しなくてはならない。
我々は、世界そのものを観測しているわけではない。
光や音、熱や衝撃などの刺激を、我々の感覚器官によって信号へ変換し、我々のクオリア(主観)の中に形成されたものが「世界」である。
我々のいる現実世界ですら、海だの島だの森だのといったものは、我々が感覚器官から得た情報をクオリアで意味づけしたものにすぎない。
つまり、我々人間が五感によって観測している世界と、先カンブリア時代の原始的な生物が嗅覚等の限られた感覚器官だけで観測している世界は、同じものを見ていても全く異なると言っていいものである。
そして、これは我々人間とデジモンに対しても言える。
我々が五感とクオリアによってネットワークを構成するデータを直接見たところで、磁気テープやフラッシュメモリの電荷の羅列にしか見えず、そこに意味漬けをすることはできない。
だが、デジモンの感覚とクオリアでは違う。
我々の五感では意味付けできないものを、森や海のように意味付けすることができるのである。
我々がデジタルワールドを発見することができたのは、デジモンの感覚器官とクオリアをコンピューター上で擬似的に再現するソフトウェア…「デジクオリア」というツールのおかげである。
デジクオリアがいかなる原理で動作しているのか…という質問もあったが、それをきちんと説明すると日が暮れるので、解説している論文を紹介しておいた。
「デジモンをコンピュータ上で飼育しているといったが、生物ひとつの身体機能をまるごと再現できるだけのデータ量が、そのコンピュータ上に詰まっているとすると、とんでもないデータ容量を圧迫しているのはないか?」という質問もあった。
これについてだが、我々のパソコン上にあるデジモンのデータは、デジモンの肉体そのものを構成するデータがフルで揃っているというよりは、「そのデータへのハイパーリンク」に近いものが入っていると言った方が適切である。
プログラマーの方には、コンピュータ上には変数そのものではなくポインターが入っている、と言うと分かりやすいかもしれない。
そんなわけで、デジモン達は我々の世界の生物と遜色ないくらい極めて複雑な身体機能を持っているにもかかわらず、コンピュータ上に住むことが可能なのだ。
ロボット工学の研究者からの質問があった。
ベタモンがディノヒューモンに進化したとのことだが、いったいベタモンの骨格や筋肉、神経系は、どのように発達してディノヒューモンのものへと移り変わっていったのか、という疑問だ。
なるほど、ロボットの研究者からするとごもっともな疑問だ。
腹ばいでペタペタと這い回っていたベタモンが、突然人間と同等の直立二足歩行ができる脚と、器用に道具を扱える腕を手に入れる進化をしたとすると、当然ながら進化の前に「完全に機能する骨格と筋肉の構造」の情報を得ていなければならない。
その情報を、ベタモンはどうやって得たのか…ということだ。
人間の動きを再現するシステムを構築するのがどれだけ難しいかを現場で嫌という程理解している人間だからこそ出てくる質問といえるだろう。
私は正直に答えた。「まるでわからない」と。
デジモンの進化という現象が、いかなる論理に従って引き起こされているのかが分からないのだ。
我々の世界の生命の進化は、「自然選択説(ダーウィンの進化論)」と「メンデルの法則」で説明される。
ざっくり言うと、進化とは精細胞のランダムな突然変異によって引き起こされ、それが子に遺伝する…というものだ。
たとえば、魚のヒレの形状に変化があったとする。
それが単に泳ぎづらくなるだけならば、遊泳スピードが落ちて、生存に不利になって消えていくだけだ。
だが、変化したヒレのおかげで泳ぐスピードが上昇したり、水中を飛び跳ねたときに長く対空していられるようになったなら…
より生存に適した姿へ「進化した」といえるのだ。
我々の世界の生物は、一握りの成功を得るために、無数の失敗をしているのである。
そうして「有利に働くか不利に働くかが未然に判断できない形質変化」に莫大な試行回数をかけてトライするからこそ、全く予想だにしない進化ができるのである。
しかし…
ダーウィンの進化論よりも前には、別の説が有力視されていた時期があった。
「ラマルクの進化論」である。
ラマルクの進化論は「自然選択説」ではなく「用不用説」といわれる。
「よく使われる部位が発達し、使われない部位は退化する」というものだ。
だがこの説は、様々な反論を受けた。
たとえばネズミを使った実験では、22世代にわたって尻尾を切断し、尻尾を「使わなくさせる」ことで、尻尾が短くなるかを調べたのだ。
だが、22世代目になっても、使わなくなったはずの尻尾は短くならなかった。
この結果によって「使わない部位は退化する」という説は否定されたのだ。
…さて。
デジモンの進化は、そのどちらにも当てはまるようでいて、どちらにも当てはまらないのだ。
一見すると、「用不用説」が近いように見える。
たとえば魚型デジモンであるスイムモンが、陸に上がりたいと望んだことで、肺を持ち淡水に適応できるシーラモンへ進化した。
その子であるウパモンは、進化して手足のある両生類型デジモン…ベタモンとなった。
これは当初「強く望んだ形質を得ている」ものと見なされていた。
だが、冷静に考えるとおかしいのだ。
スイムモンはどうやって「肺」という完璧に機能する器官を、試行錯誤なしに知り得たのか?
両生類型デジモン達はどうやって、陸上をうまく歩行できる手足の骨格や、乾燥から身を護る皮膚の構造を知り得たのか?
両生類型デジモンだけではない。全てのデジモンがそうだ。
シャコモンがヌメモンに進化して上陸に成功したのは、一見すると「大した変化ではない」ようにも見える。
しかし、このたった一回の進化の間に、ヌメモンは「陸上で呼吸できる肺」や、「体を乾燥から守るための粘液を分泌する腺」、「陸上を移動し、泥を投擲できる筋肉の構造」を獲得しているのである。
たとえどれだけ「陸に上がりたい」と望んだところで、その場でぱっとそれらの構造を瞬時にゼロから閃くことなど、いくらなんでもあり得ない。
それでも尚、分かっていることを分かっている範囲で言うならば…
「デジモンは、己の望みを叶えるための身体構造をダウンロードし、それを肉体へ実装する手段を持っている」ということだ。
最後に「デジタルワールドにも神はいるのか?」という質問が上げられた。
我々の研究チームのリーダーは即答した。
「分からない。そもそも我々の世界にすら神がいるかなど分からないのだから」と。
会場は、このとき笑いに包まれたが…
後にこの発言はなぜか問題視され、リーダーは紆余曲折あって公の場で謝罪することになった。
一応建前上謝罪はしたが、後に彼は私に言った。
「納得できない。なぜ謝らなければならないのか」と。
リーダーよ、神がどうって話はデリケートなものなのだ。
神とは人の心の中に存在するものなのだから。
…そういうわけで、我々この発表の後、しばらくの間取材漬けになり…
先日やっと解放され、研究に戻れたのである。
さて、これまでの研究で色々分かりはしたものの…
デジタルワールドは未だに未知で溢れている。
はっきり言って分からないことだらけだ。
彼らの進化のメカニズムとは?
何がどこまでできるのか?
産業利用は可能なのか?
…特に3つめが一番重要である。
我々に出資してくれている者達は、我々がデジモンの観察によって得た成果の産業利用によって、支払った以上の利益を求めることだろう。
これからも、デジタルモンスターとデジタルワールドを観測し、未知の解明に努めていくものとする。
まずはそのためにも、デジクオリアのオフライン起動用ドングルを使い、メインPCの異変を解決しなくてはならない。