────成長。
伊地知虹夏の言った、その言葉を後藤ふたりは考えていた。
少し前に、店長である伊地知星歌から、ライブしたければオーディションに受かれと言われた。
それに対し、山田リョウは髪型はキノコヘアだの、酒にタバコに女遊びだの、女を殴った数だけ上手くなるだの、だいぶアレな事を言っていた。流石は山田さんだとふたりは思う。
喜多郁代曰く、とにかく頑張ってる事が伝われば良いと思うとの事。
だから、これからも練習よろしくお願いしますと、改めて言われた。
成長。よく、解らない。思えば、後藤ふたりは成長しているのだろうか。
もちろん、八歳の頃よりかは大きくなった。でも、そういう話じゃない事くらい解る。
そもそも、あの日から自分はどれだけ変われたのだろうか。
──あの日から。後藤ふたりは、なにか変われたのだろうか?
解らない。身体だけ大きくなって、あの日から自分の時間は止まっている気さえする。
成長。成長って、なんだろう。なにをもって、そう言うのだろうか。
山田リョウは、一週間しかないし今回は頑張らなくともと言っていた。
分かる気がする。あの人は、ようは急ぎ過ぎる必要もないと言っているのだろう。
結成して半年もたっていないバンドだ。喜多に至っては、ギターさえ始めたばかりなのだから。
……成長。成長。成長……。
「おーい、ふたりちゃーん」
オーディションを控えたその日、帰宅中にふたりは虹夏に呼び止められた。
「ごめんごめん。……コーラでいい?」
「……え?あ、ありがとうございます」
何かを言う前に既に虹夏は購入しており、ふたりはそれを少し遠慮がちに受け取る。
「……いやぁ。ふたりちゃんとさ? こうやって、ちゃんと話をしといた方が良いと思って」
「……?」
「ほら、私達って二人きりで話した事ないじゃん?
喜多ちゃんとは学校で。リョウとも、この前に二人で話したんでしょ?」
「ああ……そう言えばそうですね」
確かに、虹夏とはまだ二人きりで何かを話した事はない。何時も、誰かがいた。
「あ、リョウにカレー奢ったって聞いたけど?」
「正確にはお金を貸しただけです」
「………オーケー。今度絶対に返させるからね?」
虹夏の目から、一瞬だけ光が消える。それから彼女は自分のレモネードを購入した。
「……私の事が、重荷になってたりしたらごめんね?」
「え……?」
「だってさ、急にバンド組むように一方的に頼んで。
ふたりちゃんが、どんなバンドやりたかったのかちゃんと聞いてなかったなって」
「……」
解らない。どんなバンドをやりたいとか、考えもしなかった。
「私には夢があるからさ。そのせいで、突っ走ったりする事があって。
それがふたりちゃんを苦しめてないかなって」
「そんな事──ないです」
あるわけがない。山田リョウのアレな行動や、喜多郁代の眩しさに焼かれる事はあっても、少なくとも虹夏に苦しめられた事はない。
「そう?ならいいけど……」
自販機を見たままに、買った飲み物を開けながら。
「……ふたりちゃん、何時も辛そうだったからさ」
「……そう、なんですか……?」
「うん。今日だって、練習の時に苦しそうだったし」
「……」
分からない。そうなのだろうか。
あの日からずっと苦しくて。それが当たり前で。当たり前で……?
最近は、どう? わからない。答えられない。
「………ねぇ、ふたりちゃん。ふたりちゃんには、何か夢がある?」
「……喜多ちゃんから、なにか聞いてないですか?」
「うん、聞いた。……でも、それは『目的』であって、『夢』じゃなくない?」
「…………ッ」
答え、られない。夢? 夢って、なに。
お姉ちゃんは夢を持ってて、いろんな人がお姉ちゃんに夢を見た。
わたしも、夢を見た。それは、どんなだったっけ?
「……虹夏さんの夢は、なんですか? やっぱり、有名になること?」
「んー……そうだね。勿論、そうなんだけど……私の夢は、その先かな?」
「……その、先?」
「うん。でも、ふたりちゃんにはまだ内緒だよ?」
そう言って、人差し指を口元にやって、彼女は無邪気に笑う。
「……夢。わたしには、まだ、分からないです」
「……そっか」
少し寂しげに空を見上げ、虹夏は何かを思い出すように目を閉じて、そして開いた。
「なら、何か考えてみなよ。どんな小さい事でも、いいと思うの。
それがあれば、きっとふたりちゃんだって……」
「……わたし、でも?」
「……ううん、なんでもない! それじゃ、呼び止めてごめん。明日はよろしくね!」
そう言って、虹夏は笑顔を残して去っていく。
その背に手を振った。成長。夢……。
どちらも、今のふたりにはわからない。だから、答えようがなかったのだった。
「結束バンドです!」
舞台に立った妹達の姿を、伊地知星歌は眺める。そして、演奏が始まった。
形にはなったその演奏。文化祭とかでやる分には充分だろう。
なら、舞台(ステージ)に立つならばどうか。
かつてバンドを組んで。レーベルからも声をかけられた星歌から見れば、はっきり言って微妙だ。
でも、確かに光る物は感じる。熱意は充分に伝わる。
だから、少しだけ迷った。三人は良い。だがあの子は……後藤ふたりは、まだ早い気がした。
チームプレーの経験不足とか、そういうのじゃない。もっと、根本的なモノが彼女には足りていない。
……が、結局のところ星歌は合格にした。ソレは言葉にしたり、時間がたてば見付かるものでもないと思ったから。
結局、演奏の中で。バンドの中で。舞台の上で。
人と関わる中で、見付けるしかないと思ったから。
「本当は、最初から出すつもりだったんでしょー?」
とか言われた。その通りではある。実際、枠は空けていたのだから。
夜。外に出て、星歌は空を見上げた。
空には月がひとつ。星は見えない。
ぼんやりとタバコを取り出し、火を着けた。
「……ねえ。もしかしてだけど、アンタがあの子をここに呼んだの?」
ふと、呟いてみた。今はこの世にいない、桃色の髪をした、永遠の少女に。
「……だとしたら、面倒な事を押し付けやがって」
眉間に皺を寄せて煙を吐く。
後藤ふたり。あの子を見てると、どうしても思い出してしまうのだ。
あの、満たされた青春(バンド)時代を。
「………」
後藤ひとり。ライバルだった。目標だったギタリスト。
急にいなくなり、壁が。道が急になくなった喪失感。
それから、母が。
あの年は、まさに激動だったなと星歌は思う。
なんにせよ、今に不満がないと言えば嘘にはなるが後悔はしていない。
間違っていたとも思わない。
それはそれとして、揺さぶられるものがあるのも事実だった。
「……まぁ、いいや」
目を細めて。都会に吹く夏の生ぬるい風に、咥えたタバコが燃え尽きる。
「──ま、安心しなよ」
「あの子の事……ちゃんと見とくからさ」
この世界にはもういないその姿に対し……伊地知星歌は、一人呟くのだった。