視界が赤い。
最初に思った感想は何とも言えないものだった。
それが自分の瞼の裏で今自分が横になっているのだと理解するのに長い時間を要した。
体が酷く重く感じる、まるで自分の身体じゃないみたいだと思うほどに手足の感覚が鈍く、全身に感じる倦怠感ともいうべきものは凄まじかった。
瞼を開けることにすら暫く苦戦し目を開けると、目のピントが合っていないのか視界は酷くぼやけ、差し込む光に目が眩んだ。
目を開けてからも周りを見ることにすら苦戦しながら時間が経ち、何とか周りの状況が見えるようになってくると未だに思うように動かない首の動きに辟易としながらも眼だけを動かして辺りを見回した。
天井や壁も自分の寝ている周りに掛けられたカーテンも白で統一されており、付近に置かれた花瓶といった調度品といった周りの状況を整理し、上手く考えの回らない頭をフル回転させてそれが恐らく病院だと思い当たるのにかなりの時間を要した。
そして一人思うように動かない身体と頭に一人格闘していると、扉をスライドする音が耳に届いた。
入ってきたのは白い服を纏った女性で、ワゴンを押しているのが見て取れた。
看護師と思われるその女性は己の近くに来ると、手際よく花瓶の花と持ってきた花をを入れ替え水を変えた。
そうして花瓶から目を離しこちらを向いた時に目が合った。
声も出せず動けない自分と、何が起きているのか処理しきれていないのか目を合わせたまま固まってしまった看護師と無言で見つめあう事数十秒。
突如飛びのくように看護師が後ろへ後ずさりワゴンを倒した。
ガチャーンと大きな音が鳴り響くがそれを行った当事者は一切気づいていないのかそのまま振り向き大きな声で叫びながら飛び出していった。
「”彼”が目覚めました!!誰か、誰か来てください」と。
なんだかもう色々疲れた己はよく分からない現状への理解を後の自分に丸投げにする事を決め、さっさと寝ることにした。
そうして目を閉じるとたったあれだけの事でも酷く疲れていたのか驚くほどスムーズに眠る事が出来た。
眩しっ!
それが二度目の目覚めの感想だった。
1度目よりも遥かに簡単に瞼を開ける事が出来た己の視界に飛び込んできたのは白髪の老人とその後ろに立つ先ほどの看護師とその奥に見える先ほど見上げた天井だった。
頭に「知ってる天井だ」なんて謎のワードが通り過ぎている間に、己の目にライトを当てていた初老の医者と思われる老人は酷く驚いたか顔をして「まさか本当に目覚めるとは...」なんて意味深なことを呟きこちらを凝視していた。
暫くすると男は此方に幾つか質問の言葉を投げ掛けてきた。
音は聞こえるか、こちらの言葉は分かるかといった質問から始まり、指を3本立て何本に見えるかといったものに声は出せるか身体は動かせるかといったもの。
果ては自分の名前は分かるか、最後に何があったか思い出せるかといった内容まで聞かれた。
それらに対し己は聞こえる・見えると頷き、声と体に対する質問は何とか首を横に振る事で答えた。
そして最後の質問である自分の名前と記憶に関して言われたときに気が付いたのだ。
まったく何も覚えていないことに。
それに気づいた瞬間、足元が、自分の存在そのものが崩れ落ちるような感覚がした。
息が上手く出来ない、視界が歪む、頭が酷く痛む。
真面に動かない体で暴れそうになると医師が己を押さえつけ、看護師が体に何かを注射をするのが見えた。
すると瞬時に体が動かなくなり視界が暗転した。
あぁ、またか。
それが3度目の目覚めの感想だった。
2度目と同じような光景が視界に移るが、それと違うのは医師と看護師の顔に此方を案ずるような表情が浮かんでいるのと、窓から差し込む光が太陽では無く月の光になっている事ぐらいだろうか?
そんな風に一周回って冷静に考えていると医者がゆっくりと語りかけるように口を開いた。
「大丈夫ですか、落ち着きましたか?」
そう声を掛けられ先ほどの目覚めを思い出し体が硬直するが、衝撃は先ほどの時よりも遥かにマシになっていた。
それを確認すると医師は少しホッとしたのか肩の力を少し抜き言葉を続けた。
「大丈夫そうですね、では改めてもう一度お尋ねします。
貴方は目覚める前の事について何か覚えていますか?どんな些細な事でも構いません、焦らずゆっくりと考えてください。ゆっくりで大丈夫ですからね?焦らず一つずつ考えてみてください」
その言葉を受けもう一度深く、深く考える。
自分の内側に対して水に潜るように深く奥へと進むように。
奥に見える時計の短い針が1巡するほどの時間が過ぎた、けれど、どれだけ時間を掛けて思い出そうとしても何一つ思い出せず諦めて医者に何も分からないと伝えるために顔を上げた時だった
風が流れるように目の前の光景が変わったのだ。
驚きの余り固まっていると、地震の横を何人かの人影が突然横切り己に対し親しげに声を掛けてきたのだ。
人数は10人程度で、その誰もがペンで塗りつぶされたように顔が見えず、声は性別は分かるがそれ以外は何も分からないという摩訶不思議な状態であった。
そうしてその人影たちが自分を追い越した最後の一人が振り返り首を傾げて不思議そうに声を掛けてきた。
「そんなところでボーっとしてどうしたんだよ?早くしないと置いてっちまうぞ、
レイ」
そう言われた瞬間、急速に目の前の光景が変わり、元の病室に戻っていった。
そんな自分に心配そうに声かける医師と看護師に対して、熱に浮かされているような状態で、しかし口調ははっきりとしながらこう言ったのだ。
「レイ、自分の名前はレイです。それだけは、間違い、ありません」
そう告げた自分の頬には何故か、透明な雫が一つ流れていた。