朽梨彩子
俺の幼馴染。最近これ見よがしにカレンダーを見ている。
渚の仇。俺の腸が煮えくり返っていることは隠し切らなければならない
以前から俺はある計画を立てていた。
渚――俺の可愛い妹を殺した、俺の恋人を名乗る不審者、朽梨彩子を葬るための。
しかし方法を考えるだけに留めていた。
この企ては決して露呈するわけにはいかない。死よりも恐ろしい報復が待ち構えている。
言動は逐一把握されている。それ故に動こうにも動けなかった。挙動不審を疑われれば、芋づる式に殺意がばれてしまうから。
あの女はお互いに愛し合っているとタカを括り、油断している。警戒されてしまえば、もう成す術もなく服従を選ばざるを得なくなってしまうだろう。そういう恐怖政治の中にいるのだ、今は。
耐え忍ぶのは、昔から得意だ。機が熟すのを、只管に待った。唯一希望だけは捨てなかった。然るべき相手に絶望を与えることが出来るという、真っ黒な希望は。
そうこうしている間に、6月になる。昔からの付き合いで、23日があいつの誕生日であることは知っている。というより、思い出させられた。俺のプライベートを土足で踏み躙る癖に、カレンダーを気にするだけで催促した気になっているあの女に。
これはチャンスだと思った。
あいつのことだから、俺がサプライズパーティーを企画していると解ったら、騙されたフリをしてくれるだろう。「お約束」にはノリノリで乗ってくれるだろう。“自分にとって都合の良い”という枕詞が付いてくるが。
ならば、利用しない手はない。演技には、演技で返せばいい。精々、掌で躍らせているつもりになっていればいい。どちらが相手の掌の上なのか、それを知るのは最期の瞬間でいい。
だがここで問題になってくるのは、その手段だった。
平時の身体能力ではこちらが上だろうが、時折ちらつかせる暴力性を見るに、そして目の前で渚を殺したあの日の光景を思い出すたびに、保険はうっておきたい。
古来から格上を殺すのに用いられる手段として、毒が挙げられる。直接殺すことは出来ずとも、弱らせることで殺し易くなる。憎しみが渦巻く腹の中で、ハードルは低くなる一方だった。
ではどう盛るか? ここでもあいつの習性を利用する。俺が丹精込めて作った料理とあらば、きっと残さず腹に収めてくれるだろう。あれはそういう生き物だ。
次に何を盛るか? 露骨に毒と知られている物は入手できない。可能性があるとすれば、誤食で中毒が報じられている毒性の植物やキノコの類だ。これなら入手した時点でバレても、まだ偶々間違ってしまったととぼけることが出来る。そして、終わった後も事故で済ませられる。
懸念事項があるとすれば、毒物を口にしたときに生じる違和感だ。変な味がする、と吐き出されたり一口以外口にしなかった場合、中毒に至らない可能性がある。カエンダケの死亡例が少ないのは、見るからに危険な見た目である以上に、近寄ることすら危険なほどの強い毒性にある。無味無臭が望ましい。喩え奴が、見た目でも口にしたら駄目だと本能で理解出来るダークマターでも俺の手料理という付加価値だけで喜んで食べる憐れましい生き物であるにせよ、念には念を入れておくことに越したことは無い。
漢方薬の一つに、附子というものがある。トリカブトの側根を乾燥させたものだ。量を調整すれば毒も薬となる、という良い例であり、これを悪用することにする。亡き母の薬箱を改めると、果たして処方され、飲み切られることなく埃を被っていた附子の粉の袋があった。これを味の濃い唐揚げに擦り込む。勿論これだけで殺し切れるとは思わない。第二第三の毒を用意する。
ニラとスイセンは葉がよく似ていて、度々報道されている。八宝菜に刻んだニラと一緒にスイセンの葉も混ぜた。イヌサフランの球根もタマネギと混同して、オムライスに仕込んだ。これらの植物は普通に観葉植物として売られていて、園芸部員のコネを使ってくすねることができる。家庭菜園でニラもタマネギも収穫可能であるという状況も渡りに船だった。剝き出しの食材を加工することも、本来の収穫時期とずれていることも、浮かれている奴にはスルー出来る範疇の違和感に抑えられるし、混入の件を咎められても不幸な事故というカバーストーリーが用意できる。勿論、練習では一切影も形も見せず、使用するのはぶっつけ本番。緊張で顔が強張るが、これも初めて恋人に振る舞う手料理の本番と向こうは思い上がってくれるだろう。
料理の練習をする光景、もとい、俺の言動は全て筒抜けであるという前提の下で、如何に監視者を欺き切るか。浮かんだ疑問も、氷解するに足る理由がその場にあればそれ以上は追及しない。即ち、俺の不審な行動は全てサプライズパーティーを企画したためである、と。その為にわざわざ検索履歴にそれらしい痕跡も残したし、わざとらしくもある独り言で匂わせた。何せ相手が俺のサプライズパーティーを台無しにしてくるような奴なら全てがご破算な綱渡りの計画だ。念入りに横槍を入れて欲しくないというアピールをしておいた。
本命である毒をカモフラージュするために、仮初の誕生日プレゼントを用意しておく。これは即決だった。何か不満や抗議があればアピールの為に折られる哀れな箸たちも、これで報われるだろう。精々勝手に思い上がって浮足立っていてくれ。
「今日はウチに来いよ」
誘う。本番だ。今ここにいる俺という存在は、恋人の誕生日を祝う不器用な男だ、と信じ込ませろ。そのためにまず自分から思い込め。
お互いに両親が不在であるのならば、外泊を咎めるものは誰も、何処にも居ない。手放しで火の中に飛び込んで来てくれた。是非ともそのまま、焼かれるとも気づかないで導かれてくれ。
「今日の夕食は俺が作ってみたんだ。まだ下手だから味付けも変かも知れないが、まぁ口に合わなかったら残してくれて構わないさ」
白々しいセリフを並べる。いや、白々しいなんて思うな。顔に出すな。いじましい恋人を演じろ。観客もそれを望んでいる。
それにこういうセリフを吐けば、独占欲の強いコレは平らげてくれるさ。俺が料理を振る舞うと知っているから、腹を空かせるために昼食を抜いて来たんだろう? 最後の晩餐になるんだ、ボリューミーな方が嬉しいだろう?
顔が蒼褪めているのは、味のせいか? 量のせいか? それとも、毒のせいか?
はたして、完食した。マジかよ。
「ごちそうさまでした」
「お粗末様。まさか完食するとはな。お替りがあるって言ったら、どうだ?」
「……タッパーはありますか?」
「冗談だ、もう在庫切れだよ。残念だったな」
「もう!」
「ははは」
怖いもの見たさでからかい半分の冗談を言ってみたら、芸術的な顔をしてくれたものだから乾いた笑いが出た。正念場はこれからなのに無理をさせないで欲しい。
「誕生日おめでとう、彩子」
「すっかり忘れていたのかと思いましたよ」
「ちゃんと覚えてるさ。大事な日は」
「どうでしょうね。昔の大事な約束を、危うくすっぽかされる所だったことがありましたけど」
「……まさかとは思うが、これがプレゼントだって思ってないか?」
「違うんですか?」
「ちょっと待っててくれ。取ってくる」
忘れるものか。お前が渚を殺したあの日の全てを。俺の何処が悪かったのか、何がいけなかったのか。暗闇の中で問いかけても返事はない。慙愧の念に堪えず、後悔し続けることになる、あの日の判断を。当時の俺を。
「これだ。受け取ってくれ」
「ありがとうございます。……開けてもいいですか?」
「好きにしてくれ」
「はい、好きにします。これは……箸、ですか?」
それら総ての、清算の時だ。冥途の土産にくれてやるよ。叛逆の狼煙だ。
「すぐ折るだろ、お前。だから選んだんだよ」
もう暴力に屈しない、と暗に言う。きっとお前は、自分のなかで自分にとって都合の良い解釈をしてくれるだろうが、そろそろ時間だ。
「ありがとうございます。大切に使い、ます、ね……?」
漸く効き始めたか。余りにも平然としている時間が長かったからもしかして気付かれたのかと嫌な予感が頭を過ったが、杞憂だったな。
「パンはパンでも食べられないパンは何だ?」
わざとらしい、遠回しの死刑宣告の前口上。生憎と、俺の手料理の味に声も出ないようだが。
「簡単すぎて答える気にもならないか? じゃぁこういうのはどうだ? フライパンはフライパンでも俺がお前に
振りかぶって、構える。弱っているとはいえ、いやむしろ、弱っているからこそ手加減が出来なくなって手痛い反撃を喰らうかも知れない。全て喪ってもらうには、ここから慎重に立ち回らなければならない。
「答えは、お前が渚を殴ったときに使ったフライパン」
頭部に思い切り叩き付ける。当然、倒れる。
痙攣し、起き上がりそうな気配はない。
ここからが、
サプライズパーティーを装った殺人計画自体が嘘偽りのまやかしだ。附子も、水仙も、イヌサフランも、致死量には程遠い。ただ単に弱らせればそれでよかった。ついでに言えば、言い逃れようのない証拠を残したかった。
毒と打撲で意識がもうろうとしているこいつに包丁を握らせる。その状態で、仰向けになった俺を跨るようにした。所謂マウントポジションを、朽梨彩子にとらせた。包丁を握らせた手を掴み、振りかぶらせる。このまま手を振り下ろさせれば、俺の腹に包丁が刺さり、それを俺が防ごうとしていた、ように見える。
客観的に見れば、毒殺に失敗した挙句、フライパンで殴り殺そうとしたが包丁で反撃され、刺し殺されたマヌケな男。それが野々原況の最期になる。
あの日から、ずっと俺は恨めしかった。渚を助けてやれなかった、俺自身が憎たらしかった。天国に行ける渚と違って、俺は地獄に行くだろうから、もう会うこともかなわない。
だから俺は、俺が出来る最大限の努力をした。その為に心を偽って、本心に嘘を吐き、都合の良いように演じてきた。全ては、朽梨彩子に希望を与え、全てを奪う為に。
包丁が腹に突き刺さる。痛さの中に、金属特有の冷たさがあった。
生暖かい血が零れていく。
「受け取れよ。俺からお前への、
渚を殺した罪を贖わなかったお前には、俺を殺した罪も清算させてやらない。
ここまで物証が揃えば、お前の正当防衛を優秀な警察官や弁護士の方々が立証してくれるだろう。喩えお前が本当の事を喚こうが、嘘八百を並べようが、まずもって無罪放免になるだろう。良かったな。
そんなに俺が欲しいなら、いいだろう。俺の命をくれてやる。先に逝ってやるが、待ってやらない。
お前は、何も償うことも出来ないまま、ゆっくり死ね。
Gift[独]:毒