男の夢は純粋だった。
男の理想は真っ当だった。
──誰しもが幸せであってほしい。
どんな幸福にも代価となる犠牲がある。
それは純然たる真理だ。
誰しもが自然と理解して、目を逸らしながら生きている。
しかし男は違った。
全ての生命は犠牲と救済の天秤に乗っている。
そのことを理解した日から、男はより多くを救う道を選んだ。
それが、この世界から嘆きを減らすのだと信じて。
1人でも多くの命が載った皿を救う為に、少ない方の皿を切り捨てる。
多数を生かし、少数を見捨てる。
命の量を間違えてはならない。
正しく裁定しなければならない。
それが、嘆きを減らせる唯一の方法なのだから。
命の価値に優劣はなく、そこに"知っているから"と言う感情は介在せず、ただ定量の命として天秤に乗せる。
分け隔てなく救い、見捨てなければならない。
しかし彼は最大の間違いを理解した。
理解した頃にはもう遅かった。
全ての命を公平に尊ぶと言う事は、誰1人愛さないことと同義なのだと。
もっと早くから理解していれば男にも救いはあったかもしれない。心を完全に殺す術を身につけていれば、命の裁定者として成立していただろう。
だが男は違った。
喜怒哀楽があり、恋慕や友情もある。男は、あまりにもただの人間だった。ただの人間が、人の世の理を超えた理想を追ってしまった。
矛盾は、着実に男を蝕んでいった。
人間らしい心を持ちながら、
男は夜闇の中、月を見上げる。
「僕はね、子供の頃、正義の味方に憧れていたんだよ」
傍に座る子供は問う。
「憧れてたってことは、諦めたのかよ」
「あぁ。 ヒーローは期間限定で、大人になると名乗るのが難しくなるんだ」
悲しげな男の雰囲気を察してかは分からないが、子供は運命の言葉を口にする。
「そうかよ。 なら、俺が代わりになってやるよ」
めったに感情を露わにしない男の表情が、僅かばかりの驚きに染まる。
「任せな。 爺さんの夢は、俺が......」
静かに、月明かりを見つめる男。
その表情は見えず、感情は窺えない。
「そうか……ああ…安心した」
この日から、少年は正義の味方と言う
○
登校日。
ただの高校生である衛宮士郎は何事もなかったかのように学校へ通う。
(ふーん。 これが学校かぁ。 なんだか楽しそうなところね)
霊体化している武蔵が気楽に学校を散策している様子に溜息を吐いた士郎は、不安を覚えながらも教室へ向かう。その道中。
「やぁ衛宮」
たまたま鉢合わせたのは友人である間桐慎二だ。
「慎二か。おはようさん」
軽く交わす挨拶。しかしそれは以前のような友人と交わす温かなものではなく、無機質なもの。
いつからか、慎二は変わってしまった。何が慎二を変えたのかは不明だが、かつての友人の変貌に士郎もあまりいい気はしない。
「昨夜は楽しかったか?」
「あ? なんの事を言ってんだ?」
「だから昨夜の事だよ。 途中から使い魔が消えちゃったけど、確かに呼んだよな、サーヴァント」
朝の眠気も彼方へ飛ぶような一言に、士郎は慎二を見据える。
「おいおい怖いじゃないか。 そんな睨まないでくれよ。 僕はただ交渉に来ただけなんだ」
「交渉だぁ?」
「ああ。 僕と同盟を組まないか? 最後の二組になるまでは共闘しようじゃないか。
そうだな、まずは遠坂を殺そう。あいつは僕の誘いを断りやがった。お高く止まりやがって。絶対に後悔させてやる」
慎二の行為は浅慮であると言わざるを得なかった。
マスターだと自白する行為にメリットはない。士郎の信頼を得て同盟を結びやすくする為だとしても、断られたのならば最早殺し合うしかない。
もしかすると慎二の中には士郎が同盟を断ると言う可能性は含まれていないのかもしれない。
そんな短慮をするマスターと組むメリットは士郎には無い訳で。
「同盟は組まねえ。
「は?」
予想外の返答に、間の抜けた声を思わず漏らした慎二。
「待てよ。 冗談だろ? だって僕たちは友達じゃないか」
「真剣勝負に私情は持ち込まねえ主義だ」
端的な士郎の言葉に慎二は髪を掻きむしり怒りを露わにする。
「...んで。 なんでだッ! 遠坂もお前もッ!! 僕を見下したような目で見やがって。 絶対に許さないからな。 これから起こることはお前らが原因だ」
そう言い残すと慎二は走り去っていった。
「いいのかしら。 あれ、殺さなくても」
「......次はねえよ」
己の未熟さを戒め、決意をする。次に慎二と邂逅した時は、会話の暇無く殺そうと。
そしてその機会は放課後に訪れた。
「マスター。 これ、結界よ。 生命力を奪う類のものね。 一般人は意識を保てないわよ」
倒れゆく生徒達を視界に入れながら士郎は走る。
この結界の元凶、慎二を探して。
赤く染まった校内を走る士郎は内心で怒りを露わにしていた。
(馬鹿野郎が。 ここまでしたらもう本当に斬り伏せるしかねえだろうがよ)
多くを救う為には慎二を殺すしかない。
腹を決めた士郎は剥き身の刀を投影し、構える。
「こいつは使い魔か? 骨の兵がわんさかと、洒落臭え」
闇の淵より這い出た竜牙兵を、無骨な刀で斬る。
武蔵に背を預け、視界を埋め尽くさんばかりの敵をただひたすらに。
「斬ったそばから湧いてきやがる。 ならこれはどうよ!」
羽虫の如く湧く竜牙兵に刃の雨が降り注ぐ。
消滅しては再出現を繰り返す竜牙兵。破壊と再生のスピードは五分であり、このままでら埒が明かない。
「私の宝具をぶっ放してもいいけど、どうする?」
「馬鹿オメェ、それじゃ学校が壊れて死人が大量に出やがるだろうがど阿呆!」
「でもこのままじゃ埒が明かないわよ」
斬り伏せながら言葉を交わす両者。
今、この間にも校舎内の人間の生命力は吸われ続けている。
「くそったれが」
悪態を吐いた直後のことだ。
階下より間桐慎二の悲鳴が響き渡ると、それに呼応するように結界と竜牙兵が消滅した。
この程度で済んだのならば死人は恐らく出てはいないだろう。しかし、悪事には裁きが必要だと、士郎は決意を胸に慎二の元へ向かった。