機動戦士ガンダムUC バタフライ・エフェクト   作:しゃくなげ

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Prologue

 きっかけは、些細なことだ。

 ひじやひざの関節が、動かし辛くなった。きしむような感覚と、動かすたびに小さな軽い痛みがあった。

 身体に異常があったとしても、僕は、病院での治療は望めない。だから、見て見ぬふりをした。

 そうこうしているうちに、僕の身体は少しずつ、ゆっくりと壊れていった。指先の動きがにぶくなって、細かな作業に支障が出始めたのもこのころだ。

 曲げたひじが、戻らなくなった。伸ばそうとしてもどこかで引っかかっているようで、身体の中から異音がする。左手でまともに動かせるのは、手首と親指、人差し指くらいのものだ。

 それとは逆に、右のひざは曲げられなくなった。足首で重心を調節しようとしても、うまく歩くことができない。階段の昇り降りが、ひどくむずかしい。

 ただ、身体のあちこちに痛みはあるけれど、気になるほどではなかった。どうせ、この身体は人工物の寄せ集めだ。本当の肉体が傷ついているわけではない。異常を知らせるための電気信号を、脳が痛みだと認識しているだけにすぎない。

 だから、苦しくはない。

 身体が壊れることに苦しみは感じない。

 僕が苦しいのは、そんな小さなことではない。動きの悪くなった右手を使って、君の涙を拭ってやるときだ。

 君が泣くのを、なぐさめてやれない。それがなにより苦しくなる。

 ああ、本当に、くやしい。

 なにのために生きているのか、まるで、わからない。こんなふうに身体が壊れるだなんて、考えてもみなかった。

 だからといって、事実は変わらない。起こってしまったことは、もう元に戻すことなんてできない。時間をさかのぼることは、どうあがいても叶わない。

 こうなってしまった以上、僕のできることなんて、壊れるだけしかない。

 その、はずだった。

 

 その日、僕らの家は襲撃された。

 いや、襲撃なんてものではない。攻撃する必要すらなかったのだから、訪問か。

 インターフォンが鳴ったときから、直感めいたものがあった。戦争がやってきたのだと、理由もなく感じていた。

 誰も知らないはずの、僕らの家。来るはずのない客人は、思いもしないひとだった。

「ひさしぶりだな、もう四年か? 正直、こんなかたちで再会したくはなかったが」

 向けられる言葉は、なぜか、切なさを感じさせる。

 本来であれば、無事の再会に喜ぶはずだというのに。

「本当にひさしぶりだ、キャプテン」

「ジンネマン。スベロア・ジンネマンだ。こうやって、向かいあって名乗ってはいなかったよな」

 見覚えのある男たちの、頭領。いつかのあの日に、僕を助けてくれた大人のひとり。

 記憶の通りのキャプテンは、少しだけ、どこか疲れているようにもみえた。こちらに銃を向けることはなく、ただ、部下たちに玄関を押さえさせている。逃す気はないと伝えているかのように。

 こんな身体では逃げられないと、ひと目でわかったろうに。以前とちっとも変わらずに、生真面目なひとだと思う。

「袖付きってやつかい」

「ああ。あのとき、おまえがやったことの取り立てさ。いいか、うちに来い。悪いようにはしない、俺を通せばいくらかマシなはずだ」

「今さら、なにもできやしないよ。見ての通り、身体が動かせない」

「それも込みだ、直してやれる。詳しいことは船で話すが、悪い話じゃない。それに……その子も連れて行ける、離れ離れにはしない」

 僕の腕をつかんで、ユイはキャプテンをにらみつけている。振り返らなくても、気配だけで感じられた。強い拒絶の意思は、ぴりぴりとした重たさがある。

「戦場に出たなら、離れ離れになる。私だって十六だ、もうこどもじゃない。ジンロウがなにをされるかくらい、理解できる」

「……やり辛くて、かなわんな。その顔で、俺を見ないでくれ」

 ふと、キャプテンは眉をさげてため息をもらす。毒気が抜かれたようでいて、空気がゆるんだのは一瞬だった。

 静かな足音が、床を伝う。

 四年前の見知った顔ぶれに、知らないひとりが増えている。キャプテンのかたわらで歩みを止めた女を見て、思考が完全に停止した。

 もちろんそれは、ユイも同じだ。

 むしろ、彼女の方が、僕よりもおどろいているようだった。

「プルトゥエルブ……?」

 震える声で呼ばれても、ユイと同じ顔の女は、ただのひと言すら発しない。能面のような無表情で、じっと僕らを見つめている。

「マリーダ」

 聞き覚えのない名前で呼ばれて、女はキャプテンに顔を向ける。なにかをささやいているものの、会話の内容までは聞きとれない。

「ジンロウ、プルトゥエルブだ。ジンロウだって、わかるはず。あれは、プルトゥエルブだよ。生きてた、生きてたんだ」

 ユイの声は弾んでいるようで、困惑しているようにも聞こえる。きっと、感じているのだろう。背中にのしかかるような、暗くて重たい、不快なものを。

 戦場に戻れと、見えないなにかが言っているようだった。このまま静かに暮らせるなんて思うなと、突きつけられているようにさえ思える。

 もしかすると、罰なのかもしれない。

 今まで僕が犯してきた、たくさんの罪への罰だ。

「キャプテン、わかった。行くよ、このまま壊れるよりはいい」

 僕の言葉に、キャプテンの表情は浮かない。むしろ、陰を濃くしたようにすらみえる。彼はただ、軍人として任務をこなしているだけだというのに。

「ジンロウ、いやだ」

「わかってるだろ。それに、せっかく会えたんだ。これきりなんて、さびしいだろう」

 ユイはそれきり、口をつぐむ。

 なにか言いたそうにしているけれど、黙っているままだった。

「話はついたか」

「続きは船で、だろう。四年前と同じやつかい」

「ああ、登録もリバコーナ貨物のままさ。積んでるモビルスーツは、少しばかり変わったがね」

 なんとなく、感覚的なものでしかないけれど。キャプテンとの間に、壁のようなものを感じる。

 その正体を考えるほどの余裕は、今の僕には残されていない。

「悪いけれど、足も動かなくなってきてる」

「最悪、担がせるさ」

「そうかい。ユイ、鍵を頼む」

「……わかった」

 施錠の音を背後に聞きながら、キャプテンの背中を追いかける。右足はやはり動きが悪くて、ひざを曲げられないままだった。

 

 考えてみれば、当たり前で簡単な話だ。

 メンテナンスもせずに稼働させ続ければ、必ずどこかでガタが来る。

 生身の部分は脳と一部の内臓くらいなもので、身体のほとんどが機械だらけの人工物。壊れるべくして壊れたといっても間違いはない。

 だから、というわけではないけれど、頭のどこかで思ってはいた。いつか、こういう日が来るだろうと。

 

 四年ぶりのガランシェールは、ニッコのやつを追いかけたあの日とまるで変わっていなかった。

 さほど広くない船室へ案内されて、袖付きからの勧誘ビデオとやらを再生する。ノイズのないクリーンな画質は録画機材の性能を物語っていて、やたらと高級な雰囲気がある。

「まずは『はじめまして』と言うべきかな。私は、フル・フロンタル。詳しい話はジンネマン大尉から聞いているだろう」

 モニターに映し出される男は、まるで一年戦争のシャア・アズナブルを思わせる。一方で、語られる内容は予想の通りでわかりやすいものだった。

 レガリアを撃破した実力への賛辞と、その代償。僕がやるべき役割と、その見返り。

 連鎖のような関係性は、ネオ・ジオンに亡命したころから始まったのか、もっと前から続いているのか。時間が流れて忘れたころに、ふと思い出す悪夢のようだ。

「こちらの掲示する条件としては、以上だ。君にとっても悪い話ではないと思う、色よい返答を期待しているよ」

 語り終えたフル・フロンタルは、仮面の下でもにこやかな笑みを浮かべているのだろう。口角の形から、彼の素顔がありありと浮かんでみえるような気がする。

 選択肢などないことを、最初から知っているだろうに。

「だいたい、わかった。確かに、僕でなければむずかしい仕事だ」

 ビデオメッセージを確認する間、ユイは動きの悪い左手を曲げ伸ばしさせようと苦戦していた。その気づかいが、今は胸を締めつける。

「行かなくたって、いい。私は、行ってほしくない。……きっとさ、動くようになるよ。ねえ、お願いだから」

「わかるだろ、もう動かないってさ。変形してるんだよ、きっと。部品を取り替えなきゃ、もう、どうにもならないんだ」

「やめて、やめてよ」

 ああ、うまくない。本当に、うまくない。もっと、本を読めばよかった。もっと、ひとと触れあえばよかった。

 僕の言葉を聞いて、ユイの顔は苦しそうにゆがむ。泣き出す寸前で、必死に堪えているのがわかってしまう。

 どうして僕は、こういうときの言葉を間違えるんだろう。

「連中の言うことなんて、信じられない。実験機だなんて、口だけだよ。私たちだって、最後は戦場に出たじゃないか」

「わかってる、わかってるよ。あいつは、信じられない。けれど、やるしかないんだ。……そうでなければ、やっぱり」

「その話は、やめて。聞きたくない、やめて」

 僕の口調から悟ったのか、それとも、心がつながったのか。ユイは強く言い切って、会話を中断する。

 別れようと伝えたのは、一度ではない。身体を動かせなくなってから、何度も言い聞かせては失敗している。

 ユイの人生にとって、重荷でしかない。今の僕は、そういうものだ。

「わかった、悪かった。けれど、だからさ。やるしかないんだよ、やっぱり。……そうしないと、僕は」

「私は、それでもいい。ジンロウが戦場に行くよりも、その方がいい。……戦ったよ、もう、十分すぎるくらいに戦ったよ。休んでいいって、そう言ってるんだよ、神さまとかが」

 どう答えたらいいのか、僕にはもうわからない。ユイの優しさを食いつぶしているようで、自分が心底、いやになる。

「やめようよ、ジンロウ。いかないで、月で暮らそう。私は、なにもいらないから。なにもなくたって、構わないから」

 感情を抑えきれなくなったように、ユイは涙をこぼす。昔のように声をあげて泣くことはなくても、その泣き顔は、あのころからずっと変わらない。

 わかってくれとは、言わない。理解してほしいわけではないし、僕の思いを押しつけたいわけじゃないから。

 わからなくたっていい、僕を嫌ったって構わない。せめて、君を不自由させないようにしたい。

「行くよ。行って、連中を出し抜いてやるさ」

 そのためなら、君のためなら。

 たとえ壊れかけていたとしても、僕はどこまでも翔んでいけるんだ。

 

 宇宙世紀0094が終わりに差しかかるころ、僕らは袖付きへと組みこまれた。

 メンテナンスのためだと言われてガランシェールを降り、そこから先は覚えていない。目が覚めたころには二ヶ月が経過していて、新しい一年はとっくに始まっていた。

 壊れた身体は、再び動くようになった。なにをどういじられたのかはわからない。ただ、関節を動かすときの痛みや異音はなくなったから、悪い結果ではなかったらしい。

「もう、起きないかと思った」

 ユイはそう言って、僕を抱きしめて泣いた。細い肩が震えていて、どれほど恐ろしかったのか、どれほど孤独だったのか。それが痛いほどに伝わって、胸の奥が痛んだ。

 泣いているユイを抱きしめるたびに、この話を受けてよかったと素直に思う。

 けれど、連中だって慈善事業じゃない。僕を修理した理由が、もちろんある。

 そこからは、仕事のくり返しだ。

 

 僕に与えられた役割は、試験機の運用。古いシステムを発掘してきたらしく、量産機であるギラ・ズールのコックピットを回収しただけの、ひどくお粗末なモビルスーツだった。

 計測器を接続する都合からか、装甲は外されてムーバブルフレームがむき出しだ。人工の皮膚や筋肉を取り除けば、僕も似たようなものなのかもしれない。

 そういう意味では、きっと、僕にお似合いのモビルスーツなのだろう。

 計測器だらけなのは、見てくれだけでなくコックピットも同じだ。

 リニアシートが撤去された空間は、余剰スペースいっぱいにわけのわからない機械で埋め尽くされている。僕が収まる場所なんて、胴体と頭が精々だろう。それだけあれば、今の僕には十分だというのも事実だけれど。

「0095、三月……今日は何日だったかな、とにかく、試験を開始する。こっちはいつでもいけるよ」

「では、いつも通りに君のタイミングで始めてくれ」

 通信機からの指示に従って、コンソールを操作する。股関節にほど近い接続部のロックを解除、切り離した両脚は機械のアームが保持してくれる。同様に肩関節から両腕を取り外して、準備は整った。がちんと硬質な音と共に、背負わされた接続器具が胴体を固定する。

 直立式の試作型コックピットはごちゃごちゃとしていて、リニアシートとは違ってとにかくせまい。コフィンみたいだと、整備士の誰かが言っていた。

 四肢を切り離した接続部にコネクターを接続、コンソールを次々と文字列が流れていく。中身はどうせわからないから、読み飛ばした。

 強いめまいのあとに知覚するのは、形容するのがむずかしい、身体が液体になったような違和感。肩のつけ根が、びりびりとしびれた気がする。

 ややおいて、指の先から、僕の身体はどろどろとほどけていく。痛みは、特に感じない。

 ほどけたままで細い管を流れていくと、やがて行き止まりにぶつかった。液状の身体は行き場を失い、管の中にゆっくりと満ちていく。そうしてなにもない空間に満ち満ちて、腕の形があると認識して、視界が一度ぐにゃりとゆがんだ。

「よし、接続を確認した、問題ないな。格納庫を出て、宇宙空間へ。動きは小さくしろ、推進器はまだ試さなくていい」

「諒解」

 いつも通りに、手を伸ばす。自分の身体を動かすよりも、ゆっくりとだ。雑に動くと、周囲の機材を破壊してしまう。

 試験用のビーム・ライフルは、金属質で冷たい手触り。いや違う、これは視覚と記憶からの錯覚だ。モビルスーツのマニピュレーターに、温度に関するセンサーは搭載されていないはず。

「カタパルトを使うのかい」

「やれるか?」

「問題ないよ、前に一度、試した」

 圧力センサーは、正常に働いている。一歩踏み出すたびに、足裏に格納庫の床材が当たっているのを感じる。あちこちに接続されたケーブルが、弾けるように引き抜けていった。

 身体の動きは正常だのに、違和感と不快感で吐き気がする。車酔いというやつは、こんな感じなのだろうか。

「脳波がいつもより乱れてるな、記録しているか?」

「ばっちりです、センサーの感度を高めたせいでしょうね。シナンジュの管制システムなら、もっと効率的にやれますよ」

 通信機から聞こえる音なのか、それとも接続されてるケーブルを伝っているのか、そうでなければ電気信号か。

 とにかく、技術屋どもの会話は、声が大きいからなんでも筒抜けだ。言いたい放題しやがって。

 カタパルトデッキに到着、当たり前のように生命維持装置はない。戦争中でもない稼働試験なのだから、当然なのかもしれない。

 つま先からかかとまでをロックされる。シグナルにあわせて、なにもない空間へと、弾丸のように撃ち出される。

 戦争中にあれほど楽しんでいた加速は、今ではまるで感じられなかった。

 

 時間は流れていく。今日は昨日になって、明日は今日になっていく。

 誰がなにをどうしても、流れを止めることはできない。そして、流れていけばいくほどに、時間はあいまいになっていく。一日というものが、どんどん希薄になっていく気がした。

 寝て、起きて、モビルスーツを動かして、身体のメンテナンスを受け入れる。

 試験の内容は複雑になっていくけれど、僕にとってはなんでもない。技術屋どもはいつだって、自分で試さないからわからないんだ。

 この身体でも、モビルスーツでも、大きさ以上の違いは感じない。連中がほしいのは、きっとそういう感覚を数値にしたものなのだろう。

 連中の話は、いつだって理解ができない。けれど、漠然としたものはみえている。

 モビルスーツを接続する、ハルユニットとかいうなにか。

 なるほど、僕とモビルスーツの関係にとても似ている。制御系のブラッシュアップに必要な、テストベッド。それが、僕に与えられた役割なのだろう。

 ただ、正直、どうだっていい。袖付きも連邦も、今の僕にはもう、どうだっていい。

 ここに来てから、ユイは、寝つきが悪くなった。

 僕が試験で戻れない日は、どれだけ遅くなっても眠らずに待っている。部屋の明かりをひとつも消さず、ベッドの上でクッションを抱いたまま。

 今日だって、そうだった。なだめるように頭をなでて、背中をさすり、何度も言葉を交わした末に、ユイはようやく眠りにつくことができた。

 そんな彼女を見ていると、僕のしたことは、失敗だったのかもしれないと感じさせられる。悪魔に魂を売った人間は、こういう感情を抱くのだろうか。

 静かに寝息を立てるユイの顔を見ていると、胸が締めつけられるような痛みがある。そこにはもう、僕の肉体なんてひとかけらも残っていやしないのに。

 左手を頭に触れさせると、ひさしぶりに彼女の髪の柔らかさを、肌のぬくもりを指先に感じる。そうとなでてやるだけで、心が解けていくような心地になる。

 この感覚を、温かさを手放したくないと思ってしまうから、僕はユイを苦しめているのかもしれない。

 君を苦しめていながら生きるのは、なぜなのだろう。そんなにまでして、生き延びる必要はあったのか。

 自分がなにのために産まれてきたのか、どうして今まで生きてきたのか、まるでわからない。

 いっそのこと、君が目を覚まさなければ。

 辛い思いをさせないよう、ふたりだけで時間が止まってしまえば。

 このままもう二度と、朝が来なければ。

 君の寝顔を見ていると、そう、思ってしまうようになっていった。

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