機動戦士ガンダムUC バタフライ・エフェクト 作:しゃくなげ
なにが正しくて、なにがまちがっているのか。
そんなことは、きっと誰にもわからない。
バナージの降下で、戦いは終わった。あれだけ一方的だった戦況は、あっという間に入れ替わる。
ガンダムがシャンブロを追い詰めるさまを、連邦の部隊がジオンの残党を撃墜するさまを、僕はコンソール越しの情報でながめているだけだった。
知人、友人という目で見れば、バナージの生存は喜ばしい。
だとすれば、会話を交わさなかったロニ・ガーベイの戦死は、顔すら知らない残党のパイロットの戦死は、価値がちがうのだろうか。
知っているもの、好きなものの死だけを悼む。それは普通のことなのかもしれないけれど、それが正しいのかは、僕にはわからない。
ただ、少なくとも。バナージのやつは、知っているかいないかを問わず、生命そのものを助けたがっているようにみえる。
きっと、性根の優しいやつでなければたどりつかない場所なのだろう。
「フラスト……この空域から離脱だ」
キャプテンの指示に、フラストが答える。
いつもの流れ、いつもの動き、いつもの言葉、いつもの風景。そんな中で、どうしたっていつもと違うもの。
それは、形のゆがんでしまった歯車のように、思考と噛みあわない僕の心だった。
気分が悪くなったのは、緊張の糸が切れたからだろう。
軽いめまいと、不快感。そういうものを脳が感じて、少しの休息を申し出る。
キャプテンも、フラストも、アレクのやつも。ブリッジの大人たちは、ふたつ返事で受け入れてくれた。
おかげで、意識がぷつりと途切れる前にベッドに寝られたのは幸いだ。仮眠を終えてから、素直にそう感じた。
「ジンロウはさ、ガルダって、知ってる?」
ユイの問いかけで、覚醒しかけていた意識が鮮明になっていく。聞かれたことに答えるまで、ほんの少し記憶を探したせいで時間を要した。
船室の天井は、いつもと変わらない。重力があるせいで、身体を起こすとベッドがいつもより大きな悲鳴をあげる。
「ああ……昔、聞いたな。とにかく大きなやつだよ、なんとかの、なんとかって……なんだっけな」
寝ぼけているのか、言葉が出てこない。
僕の反応を見ると、ユイは心配そうにまゆをよせる。
心配そうなのではなく、たぶん、実際に心配なのだろう。脳という、僕に残されたわずかな生体部品の不具合が。
このところ好調だったけれど、ユイにもとうとう不調の波がきたようだ。気持ちが落ち込んでしまうと、彼女はいつもこうして、泣き出しそうな顔を僕だけにみせる。
「ジンロウ、疲れてない? ここのところ、大変だったでしょ」
顔に触れてくれる指先は、恐る恐るといった感じで遠慮がちだ。
ほほから、耳に。髪をなでてくれるころには、ユイのまなざしには不安な色がにじんでいる。
それを払拭するためにも、いつも通りの僕でいる必要がある。
「大丈夫、心配するな。ストレスだとか、そういうものは自覚してない。あとはマリーダとミネバ・ザビを取り戻して、ガランシェールは元通りだ。そうしたら、帰れるさ」
宇宙へ帰れば、きっとすべてがうまくいく。
理由も根拠もないけれど、落ち込んでいるときは、そんな希望があったっていいはずだ。
「皆、息巻いてたね。私たちはさ、ミネバ・ザビともザビ家とも無関係だから、かやの外って感じがする」
「仕方ないさ。一緒に過ごした時間もジオンって国への意識も、僕たちと皆はちがうからね。ただ、そうだな……最近、少し変化が出てきたかもしれない」
「当ててみよっか、バナージに影響されてる。あーあ、私以外のひとでも助けてみようって思うようになっちゃったなあ。昔は、私だけしか見てなかったのになあ」
ユイのそれは言葉だけだ、本心ではない。
むしろ、さっきよりも少しだけ、声が明るくなっている。
ふしぎなことに、ユイは僕のこうした変化を好ましいと感じているようだ。
昔は、僕たち以外の存在に意識を向けると、それだけで怒っていた。思えばこれは、学校に通うようになったからなのかもしれない。
小さなコミュニティでも、ひとと触れあうことは大切なのだろう。ユイの情緒はとても豊かで、昔よりもずっと成熟しているのが感じられる。
この感覚を、なんと呼ぶのだろう。
僕の知識で表現するなら、きっと、
「……大人になったね、君は」
「……たくさんのひとに、教えられたから。大人になるって、悪いことばかりじゃないかも。もちろんさ、まだちゃんとなりきれてはいないんだけど」
でも、と待ったをかけるようなユイの声。
「どんなに大人になっても、私が一番心配なのはジンロウだから。だからね、無茶はしないで。ジンロウが戻らなかったらって思うと、私さ……あ、ダメだ、ああもう、また泣きそう。ごめん、ちょっと」
そうやって、ユイは僕の胸に顔をうずめる。
震える背中をそうとなでて、僕たちはできる限りに身を寄せあう。決して離れないように、互いを探し求めるように。
「戻るさ、ちゃんと。次の作戦は、僕が得意なやつだ」
「ばか、ばか。そうやって、すぐ戦争に行くんだから」
やはり、君の泣き声を聞いているのは胸が苦しくなる。
だから、次の出撃も、なるべく早く終わらせよう。
いっそのこと、宇宙へ戻ったら船を降りてしまえばいい。ガランシェールが元通りになれば、彼らだって探しはしないはず。
そんな都合のいい空想をしては、無意味なことだと自嘲する。
僕の身体は、もう、脱走することなんて不可能なのだ。
オーバーホールこそしたけれど、昔よりもずっとずっと、身体の中身は人工物の比率が増えた。
定期的なメンテナンスを受けなければ、どのみち、長生きすることはできない。そういうものに、作り替えられてしまっている。
「知らないんだ、ジオンも、連邦も、ガンダムも。私たちを引き裂くものなんて、みんな、みんな、だいきらいだ。……ああ、せっかく大人になったって褒めてくれたのに、こういうときはこどもなんだから」
情けないなあと、ユイが力なく笑う。それから彼女は、思い切り声をあげて泣いた。
せまい船室の中で、僕はただ、背中をなでてやるしかできない。
それこそ情けなくて、自分がいやになるほどだ。
「帰ろう、宇宙に。ふたりで、皆で、宇宙にさ」
それから、どうするか。
これから、どうなるか。
未来がまるでわからないまま、今の僕は、それしか言ってやれなかった。
地球から離れていたこともあって、ベースジャバーを見るのはひさしぶりだ。
最後に見たのは、いつだったか。記憶の中を探しても、もうさすがに思い出せない。
ギラ・ズールに接続する一方で、通信機越しの会話は止まらないまま。
ふしぎなことに、仲間とのやりとりが心地いいものに感じる。やっぱり、僕は少しずつ変わっているのかもしれない。
「こいつで、ガルダに。キャプテンが、生身で。僕は、一緒に入らなくてもいいのかい」
「おまえは上に乗ったままで待機だ。ゲリラ屋のやり方だからな、なるべく目立たずにやりたい」
「キャプテン、もう五十三だっけ」
「おい、俺はまだ五十二だ」
僕の問いが心外だとばかりに、キャプテンは言う。たったの一歳くらい、どうってことないと思うのだけれど。
「変わらないじゃないか、歳を考えろよな」
「やかましい。とにかく、おまえは最後の手段だ、へたに暴れるなよ。最悪、ガンダムとやりあうことになるかもわからんからな。なるべく温存しておけ」
ああ、なるほど。それを聞かされたなら、黙っているわけにもいかない。
僕のほかにやれるやつなんて、ひとりだっていやしないものな。
「……四十五秒まで、二十メートル以内。ギラ・ズールのスペックで完全に優位に立てるのは、その状況だけだ。忘れるなよ、時間稼ぎはそれしかできない」
だから、公平に。
気に入らないけれど、限界だけは伝えておく。
強いふりをするのはたやすいけれど、現実は現実だ。フレームの剛性ひとつとっても、ガンダムとギラ・ズールでは相手にすらならない。
「それだけあれば十分だが、覚えておく。……素直じゃないか、今日は。泣かせたのが、こたえたか」
ああ、くそ、聞いてやがった。
「うるさいよ。僕は絶対に戻るからな、キャプテン」
「そうしろ。あの顔で、あの声で泣かれるのは困る、俺だってな。……あいつは、マリーダは、もう俺にはふたりめの娘なんだ。おかげでユイの泣き声は、俺にもこたえる」
「それ、僕でなくてマリーダに言ってやれよ。きっと、喜ぶからさ」
そうだなと、いつもなら返る声がない。
茶化すような気にもなれなくて、言葉が続くのを待った。
「……言おうと、言ってやろうと、何度も思った。けれどな、だめなんだ。どうしたって、言葉にできない」
話し始めたキャプテンの声は、どこかさびしげに、苦しげに感じる。
僕が、素直になったからか。キャプテンも、ブリッジでは見せないような弱気を吐露しているのがわかる。
作戦開始まで、もう、時間なんて残っていやしないのに。
「俺は、あいつの父親になれない。なってやりたいと思うのに、また家族を失ったらと思うと、な。それなら、いっそ最初から……最初から、指揮官と部下でいようと、逃げるのさ」
ああ、ああ。
わかるよ、わかる。キャプテン、それは、僕も通った道だ。
あのときは、怒られたっけ。泣かれて、怒られて、大変だった。
「情けないもんだろ、大の大人が」
「いや、そうは思わない。聞かせてくれて、うれしいと思う。……なあキャプテン、生きて帰ろう。マリーダも、ミネバ・ザビも連れて、皆で宇宙に帰ろう」
システム、異常なし。
指先を動かして、身体の接続を試す。問題はない、いつも通り、これは僕の手足と同じだ。
「家族ができたら、きっと、マリーダは幸せになれる。……知ってるだろ、ふたりがうまくいってないこと。僕やユイには、マリーダを救ってやることができない。できるのは、あなただけだ」
「お互いがらでもない話をしてるな、まったく。……ユイも、アイスクリームを食べるのか」
「ああ、大好物だよ。月のあのバー、覚えてるかい。あそこのマスターのチョコパフェもだ。連れていってやったらさ、マリーダだって、きっと」
接敵報告、次いで出撃の伝達が通信機に割り込む。
会話を切りあげて、僕はまた、戦場に向かうための意識へと切り替わっていく。
キャプテンとのやりとりも、次回に持ち越しだ。
「行くぞ、これが地球最後の大仕事だ」
「諒解。ベースジャバーに接続した、いつでも」
「敵味方の識別を間違えるなよ、ラー・カイラムの連中は味方だ。俺たちの敵は、財団だけだからな」
「わかってるって、フラスト。僕らの帰る場所がなくなる、ガランシェールは落っことすなよ、絶対に」
ガランシェールが、浮上する。直後、ビーム砲の閃光が上方のガルダを狙い、船に残った連中がここにいるぞと雄叫びをあげる。
交戦の開始を、目視で確認。敵の防衛隊が出撃し、高高度での交戦が始まる。
一拍を置いて、ベースジャバーが青い空へと舞いあがる。下方で爆炎。誰かな、誰か知らないけれど、うまく墜としてる。
翼が、巨大な雲を引き裂いていく。大きく迂回して、ガランシェールから距離を置いて。
派手なえさを見せつけて、食いつくように誘いながら。僕を乗せて、キャプテンを乗せて、ベースジャバーが空を駆ける。
重力下で僕が翔ぶには、こういう小道具が必要だからやり辛い。宇宙の方が、きっと、性にあっている。
ああ、また無駄な思考に時間を割いて、暇つぶしか。
そんな余裕なんて、ないくせに。
「キャプテン、下後方にバナージがいる。マリーダのことも、感じる」
ガルダに張りつくまで、もう少し。推力は十分だ、防衛隊の連中もガランシェールに気を取られている。
だから、気がかりなのはガンダムだけ。
正確には、バナージではないガンダムだ。見えてはいないけれど、感じる。わからないけれど、バナージの近くに、別のガンダムを感じる。
うなじのあたりに、ぢりぢりと。刺すような不快感は、いつか感じた、なつかしいもの。
にぶくて弱い僕の感覚でも捉えられるような、いやな感覚を撒き散らすもの。
「ただ、わからないけれど、なにかがいる。互角に戦えるのは最大で四十五秒だ、交戦が始まったらなるべく早く戻れよ」
「わかってる。死ぬなよ、おまえもな」
ガルダに、張りついた。
上部装甲に取りついてしまえば、銃撃を受ける心配はない。最初の関門は、突破できた。
ノーマルスーツを着ているとはいえ、キャプテンは生身のまま、細いワイヤーを頼りに飛行中のガルダへと乗り込むつもりだ。ゲリラ屋のやり方なんて言っていたけれど、あまりに力任せなやり方には、さすがにあきれる。
「死にそうなのはそっちだろ、まったく。退路は絶対に守る、だから、絶対に連れて帰れよ」
僕の声が届いたかは、わからない。
ただ、猛烈な風に身ひとつでさらされるキャプテンの姿は、ふしぎと頼もしいものに見えた。
侵入するキャプテンを見送るのも、一瞬のこと。
最初に感じたのは、形のない不快感。次にセンサーの反応、最後にロックオンアラートの警告音だ。
索敵、目視、後方にベースジャバー、二機。
乗っているのは白と黒の、一本角。同じ形、同じ感覚。そうか、あれもガンダムか。
黒いやつのビーム・サーベルが展開されるも、光刃はこちらに向けられてはいない。白い方が防戦している、まるで僕たちを守るように。
「バナージか、バナージだな」
この状況で、まだあんなことをするやつなんて、僕はひとりしか知らない。
機動力確保のためにも、こっちの武装は最小限だ。ガンダムがバナージなら、ありがたい。
携行武装は、ライフルとサーベルだけ。ガンダムの装甲は貫けない、狙うならベースジャバーか。
「聞こえるか、僕だ、ガランシェールのジンロウだ。これよりそちらを援護する、三秒後に着弾」
「ジンロウさん、ダメです! マリーダさんなんだ、黒いユニコーンは、マリーダさんが乗ってる!」
通信に応えるバナージの声には、あせりが感じられる激しさがある。
直後、黒いやつがビーム・ライフルをぶっ放す。バナージのマニューバは、大丈夫、あの軌道なら問題ない。
けれどバナージ、今、なんて言った。
「マリーダなのか、マリーダが乗ってるのか。バナージ、キャプテンがガルダにいる」
「こっちでも、見てました! マリーダさんとキャプテンが戦うなんて、あっちゃいけない!」
ああ、まったく、同感だよ。
使えるはずの手札が、一気になくなる。こんなところで、こんな形で、最悪の再会だ。
「バナージ、おまえの助けが必要だ。やってくれるか」
「最初から、そのつもりですよ!」
黒いやつが、マリーダのガンダムが、吼える。いいや、吼えたように見える、というべきなのか。
角が割れ、装甲が展開し、光の粒子が舞う。サイコフレームか、あれは、サイコフレームの光なのか。
「ああ、くそ、いやな感じだ。頭の中、刺さるみたいに……!」
ひどいめまいで、くらくらする。
感情に、いつも以上の起伏がある。昔の僕は、こうだったはず。
だから、押しとどめる。昔のように、撃って楽しくならないように。墜として遊ばないように。
「来ます!」
マリーダのガンダムが、翔ぶ。
同時に射出されたメガ粒子が尾を引き、雲を破って青い空へと放たれる。ガルダに着地するなり、マリーダは僕に背を向けてバナージと向きあうようにライフルを構え直した。
二発、三発。白いガンダムを撃ち墜とそうと、黒いガンダムは機械のようにトリガーを絞る。
妙だ。
マリーダは僕を見ていない、バナージだけを意識している。あいつの判断は、もっと的確だったはず。
スペック差だけで優先順序を間違えるなんて、らしくない。
「援護、お願いします!」
ああ、どいつもこいつも、考えを読む。
「言われなくても、そのつもりさ」
「なんだ、おまえ、邪魔をしてっ!」
踏み込む。同時に推進剤も燃やして、弾丸のように、真っ直ぐに。
足場になっているガルダは、この大きさだ。多少の格闘戦なら、問題ない。距離は、三十、二十五、二十、入った。
「バナージ、四十五秒だ。それ以上は動きを読まれる、それまでに着地しろ」
「こいつ、っ!」
間合いを詰めつつこぶしを握り、ゆるめる。
指の感覚は鋭敏、いける。
「聞こえるだろマリーダ、ガランシェールのジンロウだ。交戦を止めろ、戦う必要なんてないはずだ」
前へ、前へ。向けられるライフルの裏へ、ガンダムの背後へと回り込む。
トリガーを引かれる前に、前腕を打って射線を外させる。背面に入るよりも早く、一歩を退かれて真正面。
「プルトゥエルブ、私は、プルトゥエルブだ! 敵のくせに、語りかけるな!」
どんなに呼びかけても、反応は薄い。なにより、自分を認識できていない。
この状況で思い当たることなど、ひとつしかない。
「くそ、再調整したな、再調整しやがった、よりによってマリーダを。プルトゥエルブと呼ばせたな、マリーダを」
激情は起こらなくても、ふつふつと、怒りが沸いている。顔も知らないやつらに、心底、憤っている。
「マリーダさん、そのひとだって、敵じゃない! みんな、あなたの仲間なんだ!」
バナージの声にあわせて、踏み出す。マリーダの反応は、コンマ数秒遅れる。
いいや、マリーダは反応している。あいつにできないはずがない。
反応できていても、混乱しているせいで動きがにぶい。サイコフレームが思考を動作に変換するといったって、集中できていなければ、どうしたって遅れるんだ。
この間合いなら、ライフルは使えない。脇を抜けて、熱線がほとばしる。けれどそれだけだ、被弾はしない。
頭部への掌打。フレームが頑丈すぎる、折れそうにない。アイカメラでもつぶせたら御の字だったけれど、あきらめる。
モビルスーツの基本動作は、機能化されたパターンの連携だ。脳を直結している僕の方が、反応速度は絶対に上回る。時間稼ぎだけなら、火力不足でも、スペック不足でも問題はない。
こっちの思考を先読みをされて、つぶされない限りは、だけれども。
「マスター、は、パイロットと、コックピットが確保できればいいと言った……ガンダムの、コックピットだけ……」
ぞわりと、背筋を悪寒が走る。
左腕を包むナックルガードめいた装甲板は、打撃用の兵装だと思っていたけれど、なにか違う。こぶしのように打ちつけられるそれを、流して退き、距離を置く。
マリーダのやつ、もう慣れ始めた。
動きの無駄が一気に消えて、コンパクトな動作に切り替えている。
「目を覚ましてくれ! あなたのマスターは、キャプテンはそんなこと!」
「ううっ……!」
マリーダの、苦悶の声。
それとはまるで裏腹に、黒いガンダムが走る。獰猛に、凶暴に、機械のくせに殺意をもって。
展開される装甲板は、まるでそう、鉤爪のよう。
振り上げられた左腕は、格闘専用の特殊兵装だ。直感する。あれは、まずい。
「マリーダさん!」
防げるか。無理だ、この機体では防げない。
避けるか。無理だ、この機体では逃げきれない。
やれるか。やれる、やるしかない。
「マリーダ、頼む、目を覚ませ」
バックステップ。目と鼻の先を通り抜ける一撃に、背筋が冷える。触れられるだけで、あれは死ぬ。そう感じるから、このまま、後退したくなる。
前進。弱気をねじ伏せて、前へ。身体のすみずみまで、意識がつながっている。ひざ関節のサーボがうなる音さえ、フレームを伝って聞こえる。
加速。踏み込みで生じたそれを、関節へ通す。腰をひねり、腕を振り抜き、軸足だけで身体を支えて。頭部に当てられるほど関節部の可動域がない、狙うのは胴だ。
さけんでいた。意味をなさない、言葉でもない声で。
獣のような声だと、思う。
インパクト。蹴り足を力任せに、ガンダムの脇腹を目掛けて。衝突の衝撃で、脚部装甲が砕ける感触。黒い巨体はよろめくものの、倒し切るには至らない。
だから、呼ぶ。
時間は稼いだ、あいつなら間にあわせる。
「バナージ!」
呼応するように、白いガンダムが突撃。交戦中だったマリーダの反応は、どうしたって、半歩遅れる。
「ガンダム……! ガンダムは、敵……!」
鉤爪を振るう隙は与えない。バナージの方が、判断が早い。
マニピュレーターが絡まりあう。五本の指を絡ませて、手四つで力比べをするかのように。
これで、あの武器は使えなくなった。現状は二体一だ、無力化できる。
そう思っていた、けれど。
光が見えた。
ガンダムと、ガンダム。二機が組みあうまさにその場所を中心にして、ドームを形成するように、生じた光が空間を形成していく
「なんだ、おい、なにが起きてる」
周囲を呑みこもうとする光に触れそうになって、思わず身体が退いていた。
すぐ向こうで、ガルダの護衛機が弾き飛ばされる。ドームに触れた途端、ビーム・サーベルが弾きあうときのように。
──逃げて、ジンロウ。
ささやく声は、ユイの声か、それともマリーダの声か。
僕はその判断すらできないまま、不可解な光から逃げるしかできなかった。