機動戦士ガンダムUC バタフライ・エフェクト   作:しゃくなげ

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Departure

 つめたくて、あたたかい。

 かたくて、やわらかい。

 しっている、これを、どこかで、いつか。

 ふたりで、あのこと、そうだ、これは。

 

 ──ジンロウ、起きて!

「っ!」

 脳の誤作動だ、こんなときに。

 視点がぐるぐる回ってる。発声がうまくできない。思考が乱れている。

 右の目はギラ・ズールとつながって、左の目はコックピットの中にある。

 左足と左腕がない、ああ、そうだ、接続してあるのか。おかしい、身体はつながっているままの感覚だのに。

「光……私を、救ってくれる光……!」

 右の耳から、通信が聞こえる。マリーダの声だ、そうだ、マリーダを助けにきたんだ。

 身体が戻ってくる、感覚がつながっていく。指の先が、手首が、ひじが、少しずつ。歯車が噛みあうように、音を立てて動き始める。

「バナージ、なにが起きてる!」

「わかりません! わかりませんけど、普通じゃない! これは、危険な光だ!」

 動ける、動く。そうだ、今の僕はモビルスーツなのだから、動けないはずがない。

 視界が混じり溶けあって、やっと外が見渡せるようになった。コックピットの光景は、もう見えない。

 黒いガンダムが、マリーダが、プルトゥエルブが、吼える。

 モビルスーツに縛られて、身動きすら取れなくなって。

 本当に、頭にくる。

「ユイ、見えるものを教えてくれ、僕ではわからない!」

 また一機、向こう側でモビルスーツが弾き飛ばされるのが見えた。僕だけじゃなくガルダの防衛機も近づけないのか、敵味方の関係もないのか。

 ──私だって、でも、ガンダムだ、ガンダムだよ!

「ああ、だろうね、あれが鍵だ。バナージ退がれ、これじゃ近づけない!」

 弾かれる。触れようとするだけで、身体が外に引っ張られる。矛盾している感覚が、全身をびりびりと走っている。

 それが霧散したのは、やはり、ガンダム同士が離れた瞬間だった。

「ジンロウさん、オードリーが!」

「行けよ、ここは抑える!」

 ガンダムが、翔ぶ。

 バナージの背中を目で追いかけるよりも、僕は目の前のマリーダを見据える。

 あいつはあいつで、助けに行った。それなら、僕は僕で助ける。

 ただ、それだけのことだ。

「私の邪魔を、するなっ!」

「なあマリーダ、もう、キャプテンのところに帰ろう。……それから、プルトゥエルブ。悪かった、僕がへたくそだった」

 すべての原因が自分にあるとは、思っちゃいない。

 僕は結局、ただの、ひとりの人間だ。世界を変えるほどの力はないと、自分でもわかるようになった。

 僕の行動なんて、蝶の羽ばたきでしかない。嵐が起きたか起きなかったか、それを知る術もない。どんな行動をしたって、目に見える以外の結末はわからない。

 だと、しても。

「あの日、あのとき、おまえも一緒に連れて行くべきだった。助けてやれたのに、見殺しにした。その結果が、これだ」

 構える。

 スペックの差は明らかで、手加減せずとも、本気でやっても制圧はむずかしい。だからって、投げ出すわけにもいかないだろう。

「なにを、わけのわからないことを!」

 鉤爪が、展開される。

 怒りか、それとも怨念か。マリーダの、プルトゥエルブのそれとはちがう。きっと、再調整を命じたやつの、誰かのそれを押しつけられている。そういうものが、僕に向かって放たれている。

 ガンダムの突撃は、恐ろしく速い。重量を感じさせない、羽毛のような静かさが、突然弾丸のそれに変わる。

「真っ直ぐ、そうだ、いいぞ!」

 振りあげ、振りおろす。

 関節部の可動域、武装の形状。使い方は決まっていて、ただ、力が恐ろしく強い。

 見えているはずの攻撃でも、捌いて躱すだけで精一杯。

 ただ、やれる。防御に全力を注げば、できないほどのことじゃあない。

「小賢しいまねを!」

 わかるぞ、わかる。誰だってそうさ。

 撃って、当てて、墜とすのが一番楽しい。そういうふうに、頭の中にすりこまれている。

 だからこうして、防がれ躱され続けると、どうしたっていらだってくる。

 でも、やらせない。やらせるわけには、いかない。

「連れて帰る、絶対に、おまえを、キャプテンと。待ってるやつが大勢いるんだ、ミネバ・ザビも、フラストも、バナージだって、ユイだって!」

 ライフルの銃口を向けられて、立ち位置を変える。そこを狙う鉤爪は読めている。ああ、なのに、くそ、トルクの差が大きい、力を受け流すにはこの身体は貧弱すぎる。

 じきに四十五秒だ。もう、動きを読まれ始めている。同じ手品は、これ以上は通じない。

 どこかで、背部で、故障が生じた。機体のフレームが、格闘戦に耐えきれない。エラーアラートがひっきりなしだ。

 情けない。機体性能の差が、どうしてもくつがえせない。昔の僕だったら、こんなことはなかったはずだのに。

 どうすれば、こいつを止められる。さ

 どうすれば、おまえを助けられる。

 ──わかってるでしょ、わかってるくせに。

 わかるか、わからない、そういうのは苦手なんだ。

 ──格好つけてる場合じゃない、ちゃんと聞かせて、閉ざさないで、ちゃんと伝えて!

「わかった、わかってる、ああ、わかったよ! 聞けよ、皆おまえに戻ってほしいと思ってるんだ、マリーダ! 僕だって、おまえに生きていてほしいんだ!」

 ぶわりと、膨れあがる感情が見えた、気がした。

「おまえが言うのか、今さら、私を、見捨てたくせにっ! ……なんだ、私は、なにを」

 マリーダの感情は、声は、あれは。嘆きか、哀しみか、怒りか、それとも。

 ああ、そうか、そうだな。伝えなければ伝わらないって、わかっていたはずなのに。

 ぶつけられる感情を受け止めながら、身体を動かす。これがきっと、最後の一手だ。

 ひじと、ひざ。二箇所のサーボが限界を訴えている。内部に熱がこもっている、フレームが焼けそうなのが感じられる。

 受け、左の前腕部を用いて。

 踏み込み、重心は低く、身を縮めるように。

 狙い、敵機の左腕肩部。

 ああ、親衛隊のやつなら、スパイクアーマーがあるのに。

「受け止めてくれよ、バナージ!」

 屈めたひざを、踏み抜くように跳ねあげる。

 それこそ、ガンダムが浮きあがるほどに、強く。

「キャプテン、どうか、マリーダを頼む!」

「おまえ、なにを、っ!」

 体勢を立て直すよりも先に、崩れた一瞬の無防備を逃さずに。ありったけの力をこめて、ガンダムの胴体へ右のこぶしを叩きつける。

 ひじの関節から黒煙が噴きあがる。フレームがゆがんで、たぶん、使いものにならなくなったろう。

 それでも。

「こんな、ばかなっ!」

 ああ、やっぱり。

「大丈夫、受け止めます!」

 バナージのやつが、見えた。吹っ飛ぶマリーダのガンダムと組みあって、ガルダの格納庫に突っ込んでいく姿が。

 衝突音を聞きながら、僕もまた、身体の制御を失う。ギラ・ズールの性能だと、やっぱり剛性が足りてない。

 ──ジンロウ、もう、ガランシェールが向かってるから!

 ガルダからすべり落ちる、その直前に。

 ユイの声を聞けて、ひどく安心した。

 

 もしも、あのとき。

 僕があの宇宙(そら)にいなかったなら、どうなっていたのだろう。

 ユイはプルテンのままで、いいや、彼女はへたくそだったから、戦死していたかもしれない。

 けれど、もしかすると、ネオ・ジオンがエゥーゴに勝利していた可能性だってある。グレミーのやつも、生きていたのかもしれない。

「ダメだ、ジャッキ持ってこいジャッキ!」

「無茶しすぎなんだよ、フレームもガタガタだ!」

 そうだったら、マリーダは、プルトゥエルブだったのかな。それとも、やっぱりマリーダになってキャプテンと一緒だったのかな。

 あのひとだって、死なずに済んだのかもしれない。もっと早くに、死んでしまっていたかもしれない。

 可能性はいくらだってある。

 ただ、どうしたってもしもの話、イフの話でしかない。だから、普段は考えることはなかった。

「よし、開いた! おい、大丈夫か!」

「なんです、これ、なんなんですか、これ、どうして、こんな」

「これがね、私とジンロウが生きていられる理由。バナージ、腕と足、こっちに移しておいて」

 光を見た、気がする。

 僕がいなかったら、誰がいたのか。僕がいたから、誰がいるのか。

 ガンダムからあふれ出した光の向こうに、そんな、ありえない光景を見た、気がする。

「ねえ、聞こえる? 今から、外すね。……苦しかったら、ごめん」

 消えていく。見えていたはずの光が、消えていく。

 手を伸ばそうとしたけれど、身体がうまくつながっていない。

 視点が定まらない、視界がいくつにもわかれている。

 ぶつりと、ひどくいやな音。

 それを聞くと、意識が闇の中へ沈んでいった。

 

 夢を見た気がする。

 どんなだったかは覚えていないけれど、ぼやりと、不快感のようなものがある。

 身体の大半が人工物になっていても、そういう経験をするのだと少しだけおどろいた。

「起きた?」

 知らない天井と、よく知る声と。

 医務室だろう、消毒薬のにおいがする。

 ベッドサイドには、ユイの姿。その、向こうには。

「……ああ、ああ。起きた、うん、起きた」

「マリーダね、キャプテンが運んできたよ。生きてる、ちゃんと、生きてるんだ」

「ああ、本当に、よかった。けれど、くやしいな。まるで役に立った気がしない」

 僕の言葉をさえぎるように、とびらの開く聞きなれない動作音。

 足音はゆったりと、堂々と歩いているのが感じられる。

「そう仰らないで。あなたがいなければ、私は地上に墜落していたかもしれませんから」

 黄金の髪と、宝石のような緑色の瞳。彼女の顔を見るのも、ずいぶんとひさしぶりだ。

 ミネバ・ザビ。ジオンの姫、袖付きのアイドル、ザビ家の女。とてもではないけれど、医務室は似合わないひとだ。

「ああ、やっぱり、そうか。バナージのやつは、オードリーと」

 身体を起こそうとしたけれど、どうにも、うまくいかない。この感覚は、接続酔いだ。最近は、つないでいなかったものな。

 そのままでいいと告げるようにミネバ・ザビは首を振り、片手で僕を制した。好意に甘えて、視線だけを彼女へ向ける。

「僕らはバナージとはちがうから、姫様と呼ぶべきかな」

 凛々しい顔だけれど、バナージの名を出すと、少しだけ口元がゆるんだ。それもすぐに引き締められてしまうけれど。

「好きに呼んで構いません、あなたたちは月のひと。私は民間人を無理やりに連れてきている、悪い女ですから」

 ふしぎと、彼女の存在を受け入れることに抵抗はない。となりにいるユイからも、不機嫌は感じないままだ。

 ただ、なにを話せばいいのか、そこまでは考えが至らない。寝起きは弱いのかもしれないと、自分のことながら新たな発見だ。

「……マリーダのこと、感謝しています。傷つけないよう、必死だったのでしょう」

 ミネバ・ザビの言葉は、労いのそれだった。礼を言いながら、向こうのベッドで寝ているままのマリーダへ、慈しむような目を向けている。

「うまくやれてたなら、よかった。見慣れない部屋だけど、ここは?」

「艦名は、ネェル・アーガマと聞きました。今は、彼らの好意に甘えさせてもらっています」

 冗談めいたその名前に、思わず、笑ってしまう。

 ミネバ・ザビも、ユイも、ふたりともふしぎそうな表情でいる。どうやら、僕がなぜ笑ったのかはわからなかったらしい。

 それもそうだ、彼女たちの知らない話だものな。

「なつかしい、エゥーゴの母艦か、だからか」

「なにか?」

「昔さ、この艦に乗っていたはずのガンダムと一度やりあった。戦いなんてものでなく、会話しただけのようなものだけれどね。それだけだよ」

 知らないけれど、知っている。

 思えばジュドーのやつだって、声しか知らないんだな、僕は。

 もっと、もっと、いろんなやつと話してみたい。話してみればよかった、触れてみればよかった。

 そんなことを考えてしまうのは、大人になったからなのか。

 それとも、ひとにはひとを求める本能のようなものがあるのか。それなら、僕よりずっと大人になったユイも、ひとを求めているのだろうか。

 思考がぐるぐると回り始めたものだから、一度、頭を切り替える。聞くべきことは、もっと大事なことは、あるはずだ。

「状況は、あまりよくないんだろう。なんとなくだけれど、空気でわかる」

「ええ、その通りです。……正直、あなたたちにはもう、降りてもらうべきかと考えています。おふたりは、民間人なのですから」

「そうしたいのは山々だけれど、そうもいかない。僕の身体はもう、袖付きのメンテナンスがなければ生きていられない。逃げ出すうまみは、ないだろう」

 ミネバ・ザビの顔が、曇る。

 けれど、それは事実でしかなくて、別に構わない。今の僕にはそれよりも、もっと大切なことがある。

「それよりさ、ずっと大事なことがあるんだ。ここにはマリーダがいる。ユイの、なんて言うべきかな、そう、妹だ。たったひとりの生き残りが、ここにいるんだ。それを残して、僕らだけってわけにはいかない」

「……苦労を、かけます。あなたも、それでよいのですか?」

「……正直、心配は心配。けど、ジンロウがさ、そうしたいんだって思ってるのがわかるから。だから、私はそうさせてあげたい」

 なにかを言うよりも先に、また、つながる。

 僕の中に、ユイの感情が流れ込む。それが、とてもあたたかい。

「ああ、うん、つまりさ。だから、残るよ。マリーダのやつだって、本調子じゃない。皆が生きて帰るためにも、兵力は少しだって多い方がいいだろ」

「こう見えて腕利きの教官だったからね、ジンロウは。私もマリーダも、追いかけっこしたなあ」

 ミネバ・ザビの顔に、かげりはない。

 僕たちの意志を、感じてくれたらしい。あとはもう、いつも通りの、ジオンの姫らしい凛々しさをみせていた。

「わかりました、感謝します。……すべてが終わったら、あなたの身体は私たちが保障すると、そう言ってあげたいのですけれど」

 ああ、言い切れないのもわかるさ。

 希望を変にちらつかせるのは、心苦しいのだろう。

 ミネバ・ザビ。君はそれだけで、誠実だ。

 ああ、まったく。ひとをちゃんと見るだけで、世界はずいぶんと変わって見える。そんなことに、今さらになって気がつくなんて。

「いいさ、構わない。そっちに厄介になっていたら、いつまで経っても日常に戻れないからね。……僕はもう、身体をいじらせたくもないからさ。終わったあとのことは、そのときに考えるよ」

 つないでくれと、ユイに頼む。

 回収されていた右腕がつながると、ようやく、指先を動かせるようになった。

 

 眠っている間に起こったことを、ユイやガランシェールの皆から聞かせてもらった。

 状況は、思ったよりもずっとひどい。

 末端に生きていた人間からしてみれば、とてもひどい話だ。

 例の『箱』をめぐる陰謀とやらは、腐敗だとか汚職だとか、そういうもののかたまりらしい。百年近くも前の話が大きくなりすぎて、誰も触れられなくなったというやつだ。

 鍵となるガンダムを消し去るために、連邦は仲間のはずのネェル・アーガマごとガランシェールを沈めにかかった。

 いいや、むしろ。ガンダムごと沈めようとした、というべきか。どちらの艦も、ガンダムのついででしかない。あまりにめちゃくちゃな話で、笑ってしまいそうなほど。

 とにかく、仲間から追われる身になったネェル・アーガマの連中と僕たちガランシェール隊、そして救助にやってきたフル・フロンタルまでもが共同戦線を張ることになってしまっている。

 今後の相談とやらで、ガランシェールの皆はユイも含めて出払っている。ひとりきりの医務室は、やたらと静かで居心地が悪い。向こうのベッドにいたマリーダの姿も、今は見えない。

 ジオンと連邦がひとつの艦にいるせいか、空気は不快なほどにひりついている。一触即発のありさまだと、フラストのやつが言ってたな。

 右腕だけはつないだけれど、不要な衝突を防ぐためにとかなんとかって理由で、それ以外はまだ外されたままだ。おかげで、ひどく不自由している。

 そんな状況だったから、

「失礼します」

 予想外の来客ってやつが、なんだかいつもよりうれしく感じた。

 それが見知った顔なら、なおさらだ。

「バナージ、ああ、ちょうどよかった。皆が見当たらなくてさ」

 声をかけてみたけれど、バナージの表情は少しだけこわばっている。視線の先には、ああ、ストレッチャーか。

「これ、いいんですか、こんなにしていて」

「仕方ないさ、僕が自由になるとそれだけで危険だからね。敵対する意思はないなんて言っても、他人のことを信じるのはむずかしいんだ」

「でも、だからって、こんなふうにしておくなんて」

 ああ、なるほど、憤ってくれているのか。自分のことでもないのに。

 そう思いはしたけれど、最近の僕も、あいつのように憤っていた気がする。

「おまえが優しいやつだって感じるのは、うれしくなるな」

「そう、なんですか。あの、飲みものとか、いります?」

「ああ、うん、少しだけ。ところでその、それはなんだい」

 サイドチェストに乗せられたパックを見ると、バナージはいやそうな顔をする。どうやら、苦い思い出があるらしい。

「病人食、ですね。まずいですよ、すごく」

「へえ、まずいならやめとこう」

「失礼なことを聞いてたら、ごめんなさい。ジンロウさん、食べられるんですか?」

「少しなら、ね」

 手渡されるグラスの中身を、ゆっくりと身体に取り込む。冷えた水は、存外、心地いい。

 バナージは、それ以上は聞いてこない。ただ、なんとなくわかっているように思える。

 気にするほどのことでもないと、そう言ってやれたらいいのだけれど、あいにく僕はそこまで話術に長けていない。

 だから、話題を変える方が建設的だ。

「それよりさ。さっきの放送、聞いてたかい。サイド共栄圏だっけ、フル・フロンタルの」

「ええ、俺はブリッジにいましたから。マリーダさんとも、そのことで少し話せました」

「へえ、マリーダのやつ、元気になったのか。ああ、そうだ、ガルダで助けてくれて感謝してるよ」

「いえ、そんな。あのときはもう、無我夢中でしたから」

 会話は、うまく弾まない。

 僕がへたくそだということもあるけれど、ただ、これは少しちがう気もする。艦内の空気というものが、ざりざりとしているせいじゃないだろうか。

「おまえは、もう、決まってるんだな」

「そう、ですね。俺は、……たぶん、そうだと思います」

 バナージはそう言って、自分の胸にそっと触れる。

「自分の心に、従ってみたい。自分で自分を決められる、たったひとつの部品なんだって。そう、俺に教えてくれたひとが言ってたんです」

 まねをするように、自分の胸に触れてみる。

 肉体的な自分の部品は、とっくの昔に、まるごとなくしてしまっているのに。それでもときどき、幻肢痛のように、僕の胸はうずいて痛む。

 とても、とても、ふしぎだ。思考をするのは脳であって、そこにはなにもないはずなのに。

「なあ、バナージ。あるのかな、強化人間にも。その、部品ってやつは」

「あります、絶対。ジンロウさん、自分で決めてるじゃないですか。だからありますよ、絶対に」

「そう、かな。でも、うん、そうだといいな。……心に、従うか」

 それは、とても、とても遠い世界の話に思えて。

 そのくせ、すぐに触れられるところにあるようにも思える。

「なあバナージ、もしもさ。心に従って、悪い結果になったらどうするって考えたりは、するのかい」

「……あります、いえ、ありました。でも、もう、決めてます。それでもって、俺は言い続けます。言い続けろって、言ってもらえたから」

 本当は、わかっている。

 なにをしたいのか、どうしたいのか。

 やり残してあることが、自分の中にあることくらいわかってる。

「夢みたいなこどもの意見だってことは、わかってるんです。でも、俺はやっぱり、信じていたいから。……最初から、悪い結果になるようにしようなんて思ってないんだ。みんな、良くしようって思って行動してるんだから」

 かたちのないものを言葉で伝えるのは、やっぱりむずかしいらしい。

 バナージのやつも、途中途中でつっかえたり、考え込んだりしている。

 けれど。迷っているようで、実際にはそんなこともなく、僕を見る目はまっすぐなまま。

「だから、なにかしたいと心で思ったなら、俺は心に従いたい。失敗するかも、悪い結果になるかもって、そういう思いで目を背けたくない。……自分の心、なんですから。その声に、耳をふさいだらいけないと思うんです」

 僕の心を見透かしているように、はっきりと言い切った。

「なあ、バナージ」

 迷いってやつは、すぐには晴れてくれない。

 どうしたって、今を変えるのは大変だから。今のままでいたいと、そう思ってしまうんだ。

「やっぱりさ、僕はおまえに会えてよかったって、そう思うよ」

 でも、それでも。

 心の声は、少しずつ大きくなっていく。

「よし、せっかくだから、共犯になろう。左腕から、つないでくれないか」

 空っぽだと思っていた身体の中にも、まだ、少しだけ。

 ほんの少しだけ、僕の中には、熱が残っているようだった。

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