機動戦士ガンダムUC バタフライ・エフェクト 作:しゃくなげ
思えば。
六年も経ったというのに、僕はいつまでもこどものままだ。
大人になることはできなかったけれど、それはそれで、別にいい。
別にいいと、素直にそう思えるよ。
システムが起動するまでの百二十秒間、僕は真っ暗な闇に包まれている。
いつもは空虚だったけれど、今はただ、もどかしくて苦しくなる。気がはやるというのは、この、これか。
びりとしびれるような感覚で、視界が戻る。闇は格納庫に塗りつぶされて、ローゼン・ズールとクシャトリヤの姿が見えた。
身体がほどけていく時間さえ惜しい。マニピュレーターの先端が、まだ指の感覚とずれている。
「六時方向、高熱原体補足! モビルスーツ、ゲタをはいています!」
「速い……接敵まで九、いや、八分!」
艦内の通信がさわがしい、ゼネラル・レビルのやつか。
聴覚と通信機能の同期、進行中。視界の端で、ユイのうしろ姿が見える。
「兵を引きなさい、フル・フロンタル!」
ノイズ混じりだけれど、声が聞こえる。
この様子ならミネバ・ザビは健在だ。となればマリーダも問題はない。これで不安の種がひとつ消えた。
フレームがきしむ。つぎはぎになっている部分の動きが悪い。いいさ、このくらいのハンディならちょうどいい。
格納庫の中で一歩を踏み出す。足は、ちゃんと僕のものだ。つながりの悪い部分はあっても、この身体は動いてくれる。
親衛隊のリーダー機が、アームユニットを切り離す。インコムを起動するよりも早く、クシャトリヤがコックピットの収まる胸部を強かに踏みつける。
袖付きのモビルスーツ同士が戦うというのも、妙な話だ。向こうはクシャトリヤに押さえこまれながら、なおも反撃の機をうかがっている。
周囲を確認。起動しているモビルスーツは、僕を含めた三機だけ。状況は悪くない。
「ローゼン・ズール、アンジェロ・ザウパー。投降しろ、これで二対一だ」
「死に損ないどもが、徒党を組んで!」
さけぶ声は、手負の獣のように激しい。怒りか、憎しみか、そういう怨念を感じるほど。
対するミネバの声は、背筋を伸ばしたように凛々しいままだ。格納庫にひびく声には、気品のようなものさえ感じられる。
彼女は連邦よりも、袖付きの人間に問うている。
フル・フロンタルの語る、サイド共栄圏。地球を間引いて、スペースノイドだけの繁栄を確立させるための切り札として『箱』の中身を使うことの是非を。
現在とさして変わらない、変革のない永続は未来と呼べるのかどうか。そんなこと、こどもの僕は考えたこともなかった。
やっぱり、大人になってるやつは見ているものがまるでちがう。同じ場所に立つことは、僕にはきっとできないことだ。
けれど、それはそれで、いいんだ。同じ場所に立てないとしても、構わない。
僕はこどものまま、やれることをやればいい。ただそれだけなんだと、素直に受け止められる。
「モビルスーツ、接近! 攻撃、きます!」
割り込んだオペレーターの声は、危機感に満ちている。
直後、強い衝撃がネェル・アーガマを震わせる。ミネバの言葉に耳をかたむけていたやつらだけが出遅れた。
「大佐、こちらへ!」
射出されたクローアームに、クシャトリヤが体勢を崩す。こちらに向けられたもう一発を防いだところで、フル・フロンタルがローゼン・ズールに飛び込むのが見えた。
「姫様、そしてバナージ君。我々はこれで失礼する、ここから先は競争だ」
格納庫の隔壁が、赤熱化する。アンジェロ・ザウパーめ、脱出のために撃ちやがった。
クルーが吸い出されないよう、隔壁が次々とおりていく。その一方で、強烈な衝撃が艦を揺らした。
「第四ブロックに被弾! 隔壁による閉鎖を確認、損傷軽微!」
「モビルスーツ、なおも接近! 本艦、ビーム・ライフルの射程圏内です!」
「ジェガン隊、出撃準備!」
「だめです、このままじゃ狙い撃ちにされる!」
「袖付き艦隊、モビルスーツ部隊の展開を確認!」
艦内の通信が、聞こえる。
状況は一変して、今度はこっちが不利になっている。
目まぐるしく戦況が変わるにしても、これはやりすぎだ。ネェル・アーガマ一隻に、何機が群がってくるんだ。
「まずいぞ、カタパルトを抑えやすい場所につかれた。これじゃ狙い撃ちだ、動けないままやられる」
さっきのはローゼン・ズールを狙った一発だったから、この艦は沈んでいないだけだ。最初からこっちを撃たれていたら、どうにもならなかった。
とはいえ、このまま接近されきったら艦ごと沈む。引き剥がさなければ、バナージのやつも出られない。
「ジンロウ、つゆ払いだ。フル・フロンタルを先に行かせるわけにはいかない、バナージの行く道を作ろう」
「やれるか、マリーダ。最悪、出た途端にカモ撃ちだぞ」
やれるさと、マリーダが笑う。
そうしなくてはいけないと、わかっているやつの声で。
ああ、なるほど。おまえがやりたいことは、それなんだな。じゃあ、それを手伝うのが僕の役目ってわけだ。
バナージの姿は、すぐに見つけられる。あいつのノーマルスーツは、わかりやすくていい。
「わかった、武装を十分にしておけよ。距離があるうちだ、艦ごと沈めたいわけじゃないらしい」
連邦のクルーは、僕たちに敵意を抱いている様子もない。クシャトリヤが誘導されていく。僕もまた、それに従って歩く。
ちょうど、そんな矢先だ。
「マリーダ・クルス」
キャプテンの声。
静かで、少しだけ堅い。けれど、いつか聞いた冷たさはない。
「姫様を連れて、コックピットから出ろ。命令だ、これは命令だ」
むしろそれは、切実なものだ。
命令の口調ではあっても、願っているように。
自分の命令であれば、マリーダは必ず従う。マスターの命令に、プルトゥエルブは絶対服従する。
それすらも信じてすがるような、必死の声だ。
「おまえもクシャトリヤも、万全の身じゃないんだ。無理はするな、おとなしくしていろ。……恨みも、後悔も、理屈では消せない。消せないが、それでも、俺は堪える。今だって、堪えている。だから、戻ってきてくれ。おまえさえ生きていてくれれば、俺はもう、それでいい」
「ジンネマン」
「姫様、許してほしいなどとは申しません。だが、娘を二度も失うなど、我慢がならんのです。敵前逃亡だ、それはわかっている。その上で、マリーダを、そいつをもう、休ませてやってはもらえませんか」
ああ、ああ。
よかったな、本当に、よかった。
やっぱり、キャプテンはいい父親だった。
それがうれしい、とてもうれしい。
「お父さん」
マリーダの声は、やわらかい。
静かで、穏やかで、あの日に見た海のよう。
兵士としてのそれじゃない、娘としての声なんだ。
「わがままを、許してくれますか」
その言葉には、たくさんの思いがこもっている。だからそれだけで、なにもかもが伝わったのだろう。
嗚咽が聞こえる。
止めたくとも、止めてはいけない。ここで無理やりにでも止めたなら、後悔が残ってしまうから。
たとえ生きていたとしても、それでは心を戦場に置き忘れてしまう。大切なひとだからこそ、そんな目に遭わせるわけにはいかないんだ。
きっとあの子も、同じ思いだったのだろう。
見えないし、触れられないし、泣くことだって叶わない。
ただ、キャプテンの感情が、今の僕にならわかる。痛いほどにわかるから、人工物の心臓に、火のような熱が宿っている。
「……許す。最後の命令だ……心に、従え」
心配するなよ、キャプテン。
二度目はない、絶対に。
僕もあなたも、二度目は絶対に起こらない。
約束するよ、絶対に連れて帰るって。
「フルアーマーとやらの火力を前面に展開して、一点突破。その間にこちらは、敵モビルスーツの軌道データから母艦の位置を解析」
作戦を伝えるキャプテンの声は、いつものそれに戻っている。
いつも通りに、力強くて冷静だ。
「敵戦力をユニコーンが引きつけている間にメガ粒子砲をぶちこみ、レウルーラの随伴艦を沈めます。そのためにも、まずはユニコーンを正面の敵にぶつけなきゃならない」
接敵まで、一分を切った。
誰が乗っているのかは知らないけれど、モビルスーツはあの黒いガンダムだ。
対空砲火は躱されて、足止めにすらならない。向こうからの狙撃が、いつブリッジを焼くかもわからない。
「わかるな、道を拓くのはおまえたちだ。黒いガンダムを足止めして、なにがなんでもユニコーンを送り出せ」
「諒解」
「了解」
そうさ、それでいい。
先陣を切るのは、僕とマリーダのふたりだ。ガンダムにはエースをぶつける、それしかない。
「動きをあわせろ、マリーダ。勝負は、バナージを出すまでの一分かそこらだ」
「出撃後、ミサイルを発射する。二秒でいい、注意をひいてくれるか」
「誰に言ってる、任せておけよ」
思考はどこまでも透明で、身体のすみずみまで意識が届いている。まるで昔に戻ったように、心が軽い。
射出シーケンス、最終段階。ありったけのシュツルム・ファウストを、前面に向ける。
「キャプテン。今まで本当に、楽しかった。皆にも、よろしく言っておいてほしい」
出撃の寸前、カタパルトの先をめがけてトリガーを絞る。
「おい、ばかをするな!」
ああ、少しでも軌道がずれたなら大事故だ。けれど、僕はそういう精密射撃だって得意なのさ。ほら見ろ、エサに食いついた。
「ギラ・ズール、出る!」
加速、射出。間髪を入れず第二射、第三射。
反応するようにビーム・ライフルの狙撃、爆炎は三度。最初の関門は抜けたぞ、ガンダム。
「クシャトリヤ、出る!」
マリーダの声を聞きながら、推進剤に火をつける。継戦時間は捨てる、この一分だけでいい。出し惜しみなんてしている暇はない。
見えた、黒いガンダム。銃口を絞らせてはいけない、向こうよりも先にビーム・ライフルを当てにいく。ああ、そうだよな、単純なのは躱すよな。
「仰角二十八度、十時方向に移動中!」
クシャトリヤは、いいや、マリーダならあわせるはず。あいつにできないはずがない、姉妹の中でもうまい方だった。
ビーム・サーベルだ、格闘戦に徹して周りを撃つ余裕をつぶす。ああ、くそ、昔よりもシールドが頑丈になってる。
「退け、雑兵がしゃしゃり出るな! バナージ、やつさえいなければ!」
感じるものは、怒りとあせり。
そのくせ冷静に、機体の剛性にものをいわせてくる。推力の差が大きすぎる、タックルを受けることさえままならない。
「ジンロウ、代われ!」
「諒解!」
吹き飛ばされる力には逆らわない。慣性をずらして機体を制御し、それ以上の追撃を避ける。入れ代わりのミサイルが、黒いガンダムの鼻先で炸裂する。
爆炎を突っ切り、ガンダムが走る。マリーダの手持ちは、ビーム・ジャベリンか。
立て直して、僕もまたあとを追う。スペック差ってやつが、いよいよもって足かせだ。
「貴様たちを、バナージを『ラプラスの箱』に近づけるわけにはいかないんだよ! あんなこどもが、ニュータイプだなどとおだてられて!」
阻止しなくてはならない、俺には義務がある。
パイロットの声が聞こえた気がして、意識がぶれる。こっちまで押しつぶされそうな責任感が、あいつを動かしているのを感じる。
膨れあがるのは、青白い炎。ガンダムは爆ぜるように加速して、またたきさえも許さずに僕との距離をゼロに縮める。
動きも速いし、なにより判断が早い。ワンオフ機め、腕も悪くない。
「ニュータイプなんてひとの亜種はな、あっちゃいけないものなんだ! あれは『ラプラスの箱』の呪いを具現するものなんだよ! 誰かが人柱になってでも、沈めなきゃいけないんだ!」
恨みじゃない、憎しみでもない。
聞こえてくるのはこいつの声のはずだのに、ひどく空っぽだ。
叩きつけられるサーベルを、受け止める。出力が足りない、いや、つぎはぎの右腕にもう限界がきている。
「墜ちろ、墜ちろ、墜ちろ! マーセナス家をつぐ俺は消える、だがその前に、ビスト家をつぐあいつも!」
ひじ関節のサーボが、ちがう、シャフトそのものがゆがんでる。万全だったなら、負けやしないのに。
「退がれジンロウ、バナージが出た!」
「っ! 退け、道を開けろ!」
ビーム・ライフルを構える腕に、飛びつく。あいつを墜とさせたなら、僕たちの負けだ。
「離れろ、と、言っている!」
「落ち着け、おまえは呑まれてる! 機械に呑まれてるぞ、自分を見てみろ!」
「それがどうした! 新人類を倒そうっていうんだ、機械に魂を売るくらい!」
足止めのようなビーム・ガトリングは、マリーダの援護射撃だ。
忌々しいと吐き捨てる声。ギラ・ズールのフレームが、蹴り飛ばされてぎしぎしときしむ。突きつけられる銃口、推進剤を食い尽くしても構わない、座標を飛ばして真下へと潜る。
「ニュータイプは、おまえもだろう! 聞こえてるんだよ、声が、ずっと!」
頭上を、閃光がかすめていく。逆噴射、間合いを離すと不利になる。
いいぞ、見ている、僕を見ている。どうかそのまま、食いついていてくれよ。
「……! なにを、なにを言ってる、なんだ、今のは、ミネバなのか?」
不意に、ガンダムの動きが目に見えてにぶる。
混乱しているんだ。
サイコフレームが、誰かの思いを伝えている。増幅しているのか、ミネバの声を。いいや、こいつを知る皆の声を。
「幻だ、こんなの! サイコミュが人の雑念を拾ってるんだ!」
拒絶しようとさけぶ声を、声の主を、僕は知らない。
知らないのに、見えている。息苦しそうに呼吸を荒げて、視線はあちこちに揺れている。苦しそうだと、素直に思う。
リディ、リディ・マーセナス、少尉。
知らないのに、見たことすらないのに。彼のことが、指先に触れる。
ユイの感じている感覚は、きっと、この、これなんだろう。僕のような旧型でさえ、こんなに感じられるだなんて。
「機械は増幅しているだけ。そのバンシィも可能性の獣、人の心に反応するシステムを持っている」
今のは、ミネバ……いや、マリーダか。
わからない。混じりあっているようで、思考が追いつかない。追いつかないのに、考えるよりも先に、見えて、触れられて、感じられる。
心が伝わっている、感情がつながっている。
あまりに早すぎて、めまいがする。それなのに、ゆっくりだ。
「人の心? 心が伝わる……? なんだよおまえ、その、それは。機械じゃないか、俺よりずっと。……なんだ、俺は、なにを見てるんだ」
こっちのことも見えているのか、見えているんだな。
ああ、すごいな、すごい。知らないやつなのに、たくさんのことが見える、わかる。伝えていないのに、伝わっている、届いている。
けれど、だめだ、頭が、心が追いつかない。僕たちはまだ人間だから、これは、僕にはまだ早すぎる。
僕では、まだこれを扱いきれない。
伝えるなら、言葉にするしかない。
コックピットのハッチを開く。見るといい、僕の身体はもう、人工物ばかりだ。こんなふうに宇宙に身体を晒しても、すぐに死ぬようなこともない。
ニュータイプなんかよりも、よほど、ばけものなんだ。機械に魂を売るなんてやめておけよ、ろくなことにならないからさ。
「そうだ、僕は機械だ、機械に呑まれると最後はこうなる、おまえだってこうなるぞ。引き返すなら今しかない、皆の声を、いいや、自分の声を聞くだけでいい! さっきから、ずっと感じてるんだ。おまえ、責任感で押しつぶされるぞ、リディ!」
「俺は、ちがう、俺は、そんな……俺がやらなきゃ、ならないのに……」
殺意が、収まっていく。
黒いガンダムが、ライフルを手放して沈黙する。身体中を刺すような、ぢりぢりした不快感がうすれていく。
「マリーダ、無事か!」
「ああ、問題ない!」
休んではいられない、敵が来る。
袖付きのモビルスーツ中隊が、ネェル・アーガマを沈めるために。まったく、やることが多すぎだ、バナージのやつは無事なのか。
集中していた意識が、それた。
それてしまったと気づいたのは、
「ぐ、あっ!」
リディの声を聞いた瞬間だ。
なにがきっかけだったのかは、もうわからない。彼の中にあったなにかか、袖付きの敵意か、それとも僕が悪手を打ったのか。
わかることなどひとつだけ、気を抜いたという自分の失態だけ。
ぶわりと、黒いガンダムが膨らんだように見えた。
悪意ではない、敵意でもない、やらなければならないという強い意志。無理やり増幅させられたように、ひび割れているさけび声。
「皆で、皆で俺を否定するのか!」
なにかを聞いたんだ、増幅された声のなにかを。
ガンダムか、サイコフレームか、それとも
「リディ!」
今のは、はっきりと聞こえた。案ずるような、ミネバの声だ。
けれど、あの黒いガンダムは、それさえゆがめてしまっている。
「ミネバ、おまえは俺を……ひとりにしないでって、言ったのに……!」
激情が、殺意に変わる。
塗りつぶされるように、声が聞こえなくなっていく。ビーム・ライフルの銃口が、ネェル・アーガマを向いているのが見えた。
前へ。
真っ直ぐに、ガンダムに向かって。意識するよりも先に、身体が勝手に飛び出していた。
広がる
あれは、なんて名前だったかな。
君が教えてくれた記憶は、あるはずなのに。
少しだけ考えてみたけれど、僕にはどうしても思い出せなかった。
けれど、まあ。
ひとつくらい、別にいいか。
やり残しなんて、もう、数えるほどもない。
うん、本当に見たかったものは、見られたものな。
僕の人生は、とても、とても充実していた。
大人になることはできなかったけれど、それはそれで、別にいい。
別にいいと、素直にそう思えるよ。