機動戦士ガンダムUC バタフライ・エフェクト 作:しゃくなげ
「ミノフスキー粒子、戦闘濃度散布急げ」
「敵艦はクラップ級と推定。熱弾を感知!」
「隔壁閉鎖、遅いぞ!」
「敵艦、高熱源体を射出。モビルスーツと推定。数は五、いや六!」
垂れ流しの通信は、ブリッジに漂う緊迫した空気が伝わるようだった。
コックピットの空気は冷えきって、宇宙空間に放り出されたような心地すら覚える。
人工の手足はとっくに切り離されて、僕の感覚はモビルスーツとつながっている。五指の先端まで、液体になった身体は細い管を満たしている。
となりには、クシャトリヤ。いつか見た大型を思い出す、なつかしい気持ちがどこかにあった。
ふと、思うことがある。
これは、僕の目がモニター越しに見ている光景なのか。それとも、ギラ・ズールのアイカメラが知覚した光景なのか。
身体をつなげていると、ときどき、どっちが自分の感覚なのかもわからなくなる。一度こうなると、降りたあとに具合が悪くなるから困るんだ。
「マリーダを出せ、母艦は無視しろ。ガランシェールの足なら振りきれる」
「了解、目標補足。足の速いジェガンがいる。特務仕様かもしれない」
「偶然の出会いじゃないってことだ。ジンロウ、マリーダの援護に回れ」
「諒解。こちらも確認した、問題ない相手だ」
キャプテンの声で、名前を呼ばれる。
あのときは教えなかった、僕の名前を。
悪い気持ちもしなければ、いい心地でもない。きっと、ここが戦場だから、なのだろう。
そうでなければ、もう接続酔いを始めてるのかもしれない。
「暗礁宙域まであと十分、かたづけて帰ってこい」
「了解、マスター」
「マスターはよせ」
コックピットの中か、それとも格納庫の中か。通信機からなのか、受信機からなのか。あいまいになる境界を感じながら、僕はいつも通りのやりとりを聞いている。
「すぐに戻る。六分で終わらせるよ」
「ああ、しっかりやれ」
何度の夜を越えて、何度の朝を迎えたのだろう。
宇宙世紀0096が始まったころ、僕のテストベッドとしての役目は終わった。
だからといって、自由の身になれるわけではない。
月に帰るための道は、とっくに閉ざされてしまっている。
よしんば月に帰れたとしても、僕らの住居は知られている。逃げる場所も隠れる場所も、僕は持ちあわせていなかった。
機密情報を知っている僕を、袖付きが手放すはずもない。考えるまでもない、当たり前の話だ。
殺すか、飼い殺すか。
反体制のテロリストというやつは、きっと、人類が宇宙に出るずっと前からそういう手段を選んできたのだろう。
「マリーダ・クルス。クシャトリヤ、出る」
僕ができるのは、従順に首輪をつけられて、機をうかがうだけだ。
そういう意味でも、悪いようにしないというジンネマンの言葉は正しかった。
少なくとも、ガランシェール隊の中では、僕は人間として扱われている。首輪つきの強化人間、戦争のための備品ではない。
だから、というのも変な話だけれど、自分の扱いを感じるたびに罪悪感がつきまとう。
僕の考えは、いつだって変わらない。
いつか、袖付きの連中を出し抜いてやる。
それだけを胸に、今を生き抜くと決めていた。
いつか、ガランシェール隊を裏切ることになったとしても。いつか、恩を仇で返すようなことになったとしても。
ひどい考えだと理解した上で、僕は、ユイのために生き抜いてやろうと決めていた。
生きるために、生かすために、僕は今を生きるんだ。
「ジンロウ・セナ。ギラ・ズール、出る」
配属先の希望を聞かれたとき、僕はあまり考えることもせずガランシェール隊を選んだ。
知らない大人たちよりも、ジンネマンの方が信じられる。そんな、ひどくあいまいな理由で。
彼のことを、詳しく知っているわけではない。
ただ、ニッコのことがあったときに、キャプテンは僕を助けてくれた。あのときジンネマンがかけてくれた言葉は、今でも僕の中に根づいている。
それだけの、たった一度きりの記憶でさえ彼を信じたくなるような気持ちにさせるほど、ひさしぶりの戦争は僕にとって異質な場所に成り果てていた。
僕の、兵器としての精度は、昔と比べてずっと悪くなっている。性能は向上したはずだのに、精神がまるで不安定だ。
与えられたモビルスーツも、量産機のマイナーチェンジ。単騎で戦局をひっくり返すような力も、きっともう残されてはいない。
ガランシェール隊の面々は、そんなありさまでも快く迎え入れてくれた。
とはいえ、きっと僕は、ひどく迷惑な客だったろう。
果てのない
砂つぶめいたドットが輪郭を持って、やがて見覚えのあるモビルスーツのシルエットに変わっていく。
接近はあっという間で、接敵はそれよりもずっと早い。ロックオンアラートは、いつだって不愉快な音がする。
「船は追わせない。ファンネル!」
マリーダは、もう始めている。クシャトリヤのファンネルがジェガンを撃ち抜き、爆炎は
意識を切り替えて、ビーム・ライフルを構えた。散開する軌跡ひとつで、敵小隊の練度を感じる。
「やっぱり、量産機なのに速いな」
上方に二機、下方に一機。ジェガンたちは開いた口のように、一定の距離を保ち続けて接近してくる。
上方右側、ミサイル、四発。見せるだけ、追い込むつもりか。
「こっちは武装も手札も足りないのに」
シンプルな武装の機体は好みだけれど、それはハイスペック機だからこそだ。ビーム・マシンガンか、せめてハンドグレネードを積んでくるべきだった。
推進剤に点火。短距離でもいい、座標を飛ばす。後退しつつトリガーを絞って、最初の一発を誘爆させた。
下方の一機が回り込むのが見える。隙をつぶすように、上方からの銃撃。連携のタイムラグが感じられない、流れるような動きだ。
「速い、うまい。けれど、これなら」
左、右、すぐに切り返してまた左へ。ジグザグに、稲妻の軌道。二歩前の空間をメガ粒子の閃光が射抜き、僕もそれに応射する。視界の端で、爆炎の花が咲く。
「いいぞ、今日はきちんとつながってる」
ライフルを持ったまま、右の腕を掲げる。人間サイズの身体では持ち上げることすら叶わないはずなのに、重さはまるで感じない。
OSに設定されたコマンドで動くモビルスーツとは別格の、細かな調整が感覚でやれる。偏差射撃をするための座標計算にあわせて、気持ち右へ。
僕ならこっちに躱す、その分を含めた調整がやりやすい。予想は的中、直撃だ。ジェガンの噴射した青白い炎が、機体の爆発にかき消された。
「ほら見ろ、絶対、そう躱すんだ」
抜刀したビーム・サーベルは、昔と違って光刃を形成し続けない。アイドリングしているように、小さな閃光が断続的に弾けている。
「袖付きめ……!」
怨嗟の声。敵機の装甲を通り抜けて、いらだちと、ぢりとする悪意と、敵意。そういうものが向けられている、気がする。
視界の端、ミサイルの爆炎が霧散する先に月が見えた。隊長機らしいジェガンが、ビーム・サーベルを構えて駆ける。
マリーダのやつ、もう終わらせにかかってるのか。マニューバひとつとっても、昔よりもずっと洗練されているのがわかる。
「うまくなったな、本当に」
けれど、よそ見ばかりもしていられない。
噴き上がる炎に押され、側面にいたはずのジェガンがぐんと沈む。リニアシートの下へ、目で追えない位置へと潜り込む軌道だ。
昔とは別物のように、空間戦闘の技術が進歩している。
上下を入れ替えて、とっさに構えた。予想よりも接近が早い、光刃がぐんと伸びる。
斬撃を受けると、手首から上腕にかけてびりとしびれるような手応えがある。斥力ってやつだ。
無理やり押さえ込むと手応えが強くて、ほんの少しだけ心地いい。
モニターの右上で、クシャトリヤがジェガンを切り裂く姿を見る。先を越されたと思うと、衰えを感じざるを得ない。
「この、っ!」
おどろいたような、気迫の揺らぎ。
当然だ、今のは完全に必殺の一撃だった。不意打ちは、完璧だった。
僕でなければ、両断されていた。
ビーム・サーベルが弾かれて、無防備になる隙を突く。
手首の上下を反転。光刃を向けるのは、コックピットの一点だけ。装甲が蒸発し、風穴を穿つ光景を見る。
おそらくは、中にいたひとが溶けてなくなる光景も。
「すまない、セリーヌ……!」
最期の声は、頭に直接響くよう。
手首をぐるりと回転させると、いつも違和感がある。ひとの形と似ているのに、こういうところの構造が違う。不自然な角度であっても、痛みはない。
こういうときに、身体が機械なのだと感じる。こういうときに、心も機械になっていないか、心配になる。
「ああ、くそ、六分を超えてる」
コンソールの時計に目をやって、思わず悪態がもれた。
ガランシェールの格納庫は、せまい。
船体そのものが小型なのだから、当たり前といえばその通りだ。圧迫感のようなものも、慣れてしまえば感じなくなる。
船内に帰還した僕は、いまだにギラ・ズールに接続されたまま、クシャトリヤがアームで保持される様子をモニター越しにながめていた。
両腕を使えないせいで、ヘルメットを脱ぐこともできやしない。両脚を使えないせいで、ひとりで降りられやしない。
本当に、不便だ。
「ジンロウ、平気?」
「ああ、問題ないよ。外せるまで、あと三分だ」
ささやき声のような通信が聞こえると、心が落ち着く。
ほかのクルーの邪魔をしないように、ユイはいつも、声をひそめて話しかける。
接続解除をするための、よくわからないたくさんの処理。僕の脳が壊れないようにする、安全装置のようなものらしいけれど、待ち時間はいつになっても苦痛なままだった。
「今日は具合がいいんだ、酔いもあまりない。ただ、降りたら水が欲しいな、冷たいやつ。身体が、熱くてさ」
「わかった、用意しておく。あの、さ……マリーダ、無理してなかった?」
「ああ、僕よりずっとうまくやってるよ。……まだ、話はできてないんだね」
ユイの声は、いつものように沈んだままだ。
昔の声は、もっと、明るかった気がする。
僕のせいでこうなってしまったと思うと、胸が苦しくなるのは相変わらず。だからといって、なにをできるわけでもないのも、相変わらず。
情けない話だ。
「私は、嫌われてる……ううん、憎まれてるから」
「そんなこと、言うなよ」
ふたりの衝突は、今に始まったことではなかった。
彼女の境遇は、それとなくジンネマンから聞かされている。だから、そうなってしまう理由も、仕方がないことだとわかってしまう。
「ユイが悪いわけじゃない、マリーダが悪いわけじゃない。マリーダを傷つけた大人と……助けてやれなかった僕が、悪いんだ」
原因の一端は、きっと、この僕にある。
「そんなこと、ない。ジンロウは、頑張ってたよ」
「それでも、僕が手を伸ばさなかったのは事実なんだ、ユイ。その結果は、どうやったって変えられない」
あのとき、僕は、彼女を置き去りにした。
交戦中のプルトゥエルブを助けはしたけれど、プルテンを助けるために
僕があのとき、彼女を助けていたのなら。
もしもの話でしかないけれど、ふたりの立場は入れ替わっていたのかもしれない。もしかすると、ふたりとも助けられたのかもしれない。
考えたところで、答えは出ない。
だから、その場で回り続ける思考を切り替える。もしもの話をするよりも、これからどうするのか、その方がずっと重要だから。
「とにかく、マリーダ自身もどうしたらいいのか、わからないだけなんだと思う。僕も、話を聞いてみるからさ」
「ジンロウ、無理、してない?」
君はいつも、するどい。
そう思うと、自然と笑いがこぼれる。
身体もそうだけれど、今は心がぎしぎしときしんでいる。まるで見抜かれているような問いかけに、どきりとした。
自分のやってきたことの結果をみせつけられるのは、やっぱり、どうしたって辛いものだ。善良な結果ならまだしも、こんな結果だと、どうしたらいいのかわからない。
ただ、ここで足を止めるわけにはいかないから、僕は言う。
いつものように、静かに、淡々と。
心まで機械で作られているように、感情を乗せないように心がけて。
「ああ、してないよ」
慣れないくせに、下手な演技をしていたからか。まるで助け舟を出すように、コンソールに接続解除のメッセージが表示された。
接続酔いは、モビルスーツに乗るたびにいつだって起こる。
主な症状は悪心とめまい、ときには幻肢痛や異常な眠気もともなう。
早い話が、人間の脳みそというものは機械に接続すると誤作動を起こすらしい。メカニズムも聞かされた気がするけれど、もう忘れてしまった。
前々から感じていた僕のもの忘れも、そういう誤作動のひとつだったのかもしれない。調べる手段なんて、ありはしないのだけれど。
とにかく、僕が目を覚ましたときには、いつだってものごとが進んでしまっている。
疲労だかで起きていられないというのは、やっかいな話だ。
認識できたのは、ジンネマンの声。聞き取れなかったのは、単語めいた短い言葉だ。
ぼやけていた意識がはっきりするにつれて、見下ろす彼の顔と口元の動きで、なにを言われているのかを頭が勝手に補完する。
「起きたか?」
ようやく音声として認識できるようになったところで、うなずきを返す。この様子だと、起きろと何度か声をかけられていたのだろう。
目覚めたときには、いつものようにものごとが進んでいる。ガランシェールは目的地、インダストリアル7に到着していた。
「どうにか。寝起きが悪くてすまない」
最初は、指先から。あちこちの関節を曲げ伸ばしさせて、動くことを確認する。
「いいさ、わかった上だ」
ジンネマンの声も疲れているように聞こえてしまうのは、僕の精神状態が原因なのだろうか。
「姫様が密航なされた。マリーダに追わせているが、どうなるかはわからん。カーディアス・ビストとの接触を止められれば御の字だが」
「プランBってやつは?」
「あるなら使ってる、いつだって現場判断だ」
シートから身体を起こすと、コロニー特有の人工重力を感じる。
無重力の宇宙と違って、振り回されているような錯覚さえあった。
「目的は、ああ、忘れてる、なんだっけ」
「寝ぼけすぎだ、行くぞ」
「諒解、弾除けなら任せていい」
言うが早いか、胸ぐらをつかまれる。
にらみつける視線に、ジンネマンの低い声に、強い怒りが感じられる。
「任せられるか。そういうことをさせるために乗せてるんじゃない、間違っても二度と言うな」
ジンネマンが僕へ向ける、怒り。その理由は、うまく理解ができない。
理解ができないのか、それとも、目を背けているのか。
頭のどこかでは、本当はわかっているような気もしている。
とにかく、動きのにぶい頭には、考えることは大変な仕事だ。
「わかったよ、悪かった」
衣服が放されて、身体を引かれる感覚が消える。
ジンネマンは怒るけれど、僕の身体なら、そういう役割が適任だ。拳銃なんかで壊れることはないのだから。
「わかりやしないさ、今のおまえじゃな」
ぽつりと、ため息まじりのつぶやき。
不機嫌そうなジンネマンの目元からは、なぜだか、さびしげな印象を受ける。ただ、それ以上に言葉がかけられることはない。
僕に背中を向けると、ジンネマンは早足で船を降りてしまった。時間が迫っているせいか、僕を待つ様子はない。
急いであとを追いかけると、半開きになった船室のとびらが目についた。不安げな視線が僕へと向けられるのが、見ていなくてもわかってしまう。
「ごめんな、ユイ」
謝罪の言葉が、こぼれ落ちるように口から出ていく。
理由なんて、わからない。ただ、ユイが不安に思っているのがわかるから、ああ、そうか、そういうことか。
ジンネマンの怒りに、今さらながら行き着いて、自分のありさまにため息がもれる。
考え込むのは、そこまでだ。
仕事をこなさなければ、僕は生きる道を取りあげられる。今はまだ、首輪を受け入れるしかない。
「待てよキャプテン、僕も行く」
船からコロニーへと降り立って、小さくなっていく背中を追う。
なんだってやって、生きてやる。
生き抜くためになら、銃弾を受けることだって必要経費だと割りきれる。僕はもともと、そういうふうに作られた、古い型の強化人間だ。
そうやって、身体だけでなく、心まで機械になってしまえば。損得だけで、真偽だけで、ゼロとイチで判別するようになってしまえば。そういうものになれたなら、僕はきっと、もっとずっとうまく生きていけるのだろう。
ジンネマンが、そんな思惑に怒ったのだとわかっていても、僕はそうするほかに手段を知らない。
「……、……」
ふと、胸の表面が、じりと痛んだ気がする。
指で触れても、痛みはしない。別に、衣服の上だから、というわけではない。
以前は胸に残っていた銃弾の傷跡も、劣化した部位を丸ごと取り換えたから消えてしまった。
もう、そこにはなにもない。
傷跡も、傷を負ったという痕跡も、そもそも傷ついたという事実さえも。
表層から内部骨格に至るまで、僕の身体はどこも別のパーツになっているのだから、もう、そこにはなにもない。
僕の脳が、ただ、何年も前の痛みをおぼろげに記憶しているだけなんだ。