パラパラと、黒色の車体が雨を弾く音が車内に響く。その後部座席にはひとりの少女が座っている。
やや赤みがかった栗色の髪は肩にギリギリ届く長さで、瞳は燃え盛る炎のような真紅。少しサイズの大きい紺色のコートの下には、首元まで覆っている黒いインナーを着ている。
それだけならどこにでもいる少女に見えるが、特異だったのは日本刀を大事そうに抱えていることだった。
車窓の外を眺めていた少女は、溜息をつくと瞼を閉じた。
「不安ですか?」
「は?」
運転席に座っている、眼鏡をかけた黒髪の女性──確か、名前は大淀と言っていた──から、不意にそんなことを言われて思わず腑抜けた声が出てしまう。
図星だった。
「大丈夫ですよ、磐梯さん。基地には吾妻さんもいますし……きっとすぐ馴染めます」
磐梯、それが彼女の名。過去の大戦では計画こそされたものの、ついに建造されることはなかった超甲型巡洋艦、その二番艦。それが彼女の正体だった。
ネームシップの吾妻より一年も遅れて着任することになった磐梯は、その分訓練も積んできたが、それでも不安だったのだ。
何しろ、彼女は今日初めて姉に会うのだから。
超甲巡『磐梯』として生を受ける前の記憶が、磐梯にはないのだ。ただ分かるのは、自分が吾妻型の二番艦、つまり吾妻の"妹"である、ということだけ。
そしてその姉は、"第二六戦隊"の旗艦として次々と戦果を上げていると聞いている。そんな姉に自分はついていけるのか。ほとんどの時間を艦娘としての訓練に費やしてきたが、まだ実戦を経験したことがない自分が、姉の隣に立てるのか。
「……そう、だといいですね」
考えていても仕方がない。再び車窓の外に目を向けた磐梯は、ゆっくりと瞼を閉じた。
佐世保の基地へ着く頃には雨も止み、雲の隙間から太陽が顔を出していた。 春というのは本当に天気が変わりやすいものだとつくづく思う。
コツ、コツと規則正しい足音を響かせながら歩いていると、途中すれ違った艦娘が怪訝な目を向けてきていることに嫌でも気がつく。
見慣れない人物が鎮守府内を歩いているのだから、この反応も当然だろうと自身を納得させた。
深海棲艦との戦争が始まった際に新設されたこともあって、基地の内部はかなり綺麗だった。設備も充実しているらしく、運動場やジム、サウナや大浴場まで艦娘が利用できるようだ。また、給糧艦『伊良湖』の甘味処でスイーツを楽しむこともできるが、給糧艦は前線の泊地に行くことが多いため、なかなか食べる機会はなさそうだ。とはいえ、甘味自体は食堂でも味わうことができる。
鎮守府の中を少し歩くと、大淀が扉の前で立ち止まった。
その扉には"提督執務室"と書かれた看板が掛けられている。この扉の向こうに、これから先自身の命を預けることになる上司が待っている。
大淀が扉をノックすると、「誰だ」と男の声が聞こえてきた。
落ち着きがあるが、それでいて堂々とした声だった。
「大淀です。磐梯さんが到着しました」
『そうか。入ってくれ』
「超甲型巡洋艦磐梯、入ります」
真鍮のドアノブをひねり足を踏み出す。執務机で書類を見つめていた男の無愛想な顔は、中将という階級の割には若く見えた。
彼は『提督』と呼ばれる、艦娘の運用・指揮のために配置された海自出身の人間だ。
深海棲艦との戦争が始まったばかりのころ、国を襲う未曽有の危機に対応するべく、政府は大規模な改革をたった数年で推し進めた。自衛隊の権限を拡大し、名称こそ自衛隊のままだが、実質的な軍隊になっていた。
このような基地が設立された理由として、黎明期にずさんな運用が目立っていたこと、そしてとある作戦で多数の戦死者を出したことがあった。艦娘を指揮する立場の人間が必要だと考えた上層部は、新たに艦娘の運用に特化した基地を設立したのだ。
そしてその基地のひとつがここ、"佐世保鎮守府"であり、彼は艦娘の指揮に秀でていたため提督としてここに配置された。
「長旅ご苦労だった。私は尾野義一だ。とりあえず座ってくれ」
落ち着いた雰囲気のワインレッドのカーペットの上を歩き、言われた通りソファに腰掛ける。黒いレザーのソファは、至る所にヒビ割れが入っていた。
「インスタントですまない。最近はコーヒーも高くなってきてな」
「ありがとうございます。いただきます」
コーヒーカップと共に資料の束がテーブルに置かれた。
尾野の言った通り、海運業の危険性、そして人材不足。さらに南西海域での戦局悪化により、コーヒーなどの嗜好品は価格が高騰し、高級品になってしまった。
インスタントや不味いコーヒーでも飲めるだけありがたいのだ。
「既に艤装の慣熟訓練も終えているようだな。試験の成績も素晴らしい。……流石は吾妻の妹だ」
「光栄です」
カップを掴み、ふう、と息をふきかけてから中の液体を口に含む。
──苦味が口の中に広がり、思わず顔をしかめた。
「……ミルクもいるかい?」
尾野は苦笑しながら問うが、「平気です」とだけ返事をする。苦味がしばらく残っているが、いい眠気覚ましになるだろう、と思った。
苦いお湯をすすりながら尾野の話に耳を傾ける。
「なら、早速だが本題に入ろうか。君が配属される第二六戦隊についてだが……」
尾野が話を続けようとしたその時だった。コンコン、と扉をノックする音に遮られてしまう。
「入れ」
扉の向こうから現れた女性の顔を見て、磐梯の表情が少し引きつった。
腰まで届くほど長い小豆色の髪、空のように透き通ったやや色素が薄い青い瞳。
何処かで見た事があるような、何故か懐かしいような感覚。しかし自身の記憶の限りでは、彼女と会うのも、顔を見るのも初めてのはずだった。
気味の悪い感覚に困惑していると、その女性は磐梯の傍へ歩いてくる。
「……磐梯」
穏やかな、慈愛に満ちた声。それでいてどこか物憂げな、戸惑っているような雰囲気も感じさせた。
不意に腕を広げたと思ったら、次の瞬間には彼女に抱きしめられていた。
突然のことに驚きつつも、彼女の腕の中にいると不思議と心が穏やかな気持ちになる。それと同時に、彼女が吾妻なのではとも思った。
磐梯自身もなぜそう思ったのかは分からなかったが、"身体が覚えている"という感覚に近いような気がした。
「ごめんなさい、名乗りもせずに」
ハッとしたように磐梯から離れた女性は、改めて磐梯を見つめると、自身の名を名乗った。
「吾妻型超甲型巡洋艦、一番艦吾妻。あなたの姉よ、よろしくね」
吾妻──そう名乗った女性は、磐梯の瞳を見つめながら手を差し伸べる。その手を握り返すと、吾妻の表情が少し和らいだような気がした。
「よろしくお願いします、ええと……吾妻、姉さん」
少し照れくさそうに磐梯が言うと、吾妻は微笑みを見せた。
「さて、話の続きだが。磐梯、君は吾妻の第二六戦隊に配属される。この戦隊には君たちのほかに、航空巡洋艦最上、重巡洋艦加古。そして軽巡洋艦酒匂と駆逐艦時雨、駆逐艦長波が所属している」
「皆優秀な艦娘よ。旗艦の私なんかより何年も戦っているだけのことはあるわ」
そうそうたる顔ぶれだった。
最上型重巡洋艦のネームシップ、最上は第二改装のあとにさらに"改二特"へのさらなる改装を受け、航空甲板を短縮し主砲を一基再装備して火力を向上したほか、甲標的を運用可能となったことで多目的な任務に使える艦娘となっている。第二六戦隊で唯一航空戦力を扱える艦娘でもあり、部隊のなかでの重要性はかなり高いといえる。
ただ、本人も理由はわからないが、なぜか人や物に衝突しやすいという悩みを抱えているらしい。
加古は同型艦の古鷹や青葉、衣笠からなる第六戦隊に所属している。彼女らも歴戦の艦娘で、特に青葉は幾度となく大破しているにもかかわらず毎度生還することから、いつからか"ソロモンの狼"の異名がつけられた。
加古含め、彼女らはあの
軽巡洋艦酒匂は第二六戦隊に配属されるまでは内地で待機していた。そのため目立った戦績こそないものの、第二六戦隊の一員となってからは吾妻のもとで経験を積み、姉たちに負けず劣らずの腕前となった。第二改装は実施されていないが、この調子ならば近い将来に許可が下りるだろう。
駆逐艦時雨は"佐世保の時雨"と称されるほどの幸運艦であり、長波も一時的ではあるが二水戦を率いたこともある優秀な駆逐艦娘だ。
「この後で第二十六戦隊と演習を行ってもらう。吾妻を抜いた第二十六戦隊との対抗演習だ」
「一対五、ですか」
新入りである磐梯の腕試し、といったところだろう。一対五と言うと不利に思えるが、吾妻型の性能と磐梯の戦闘能力を考えれば妥当に感じる。
自惚れているわけではないが、実戦を経験したことがないとはいえ自分の戦闘技術はかなり優れていると思っているし、それは訓練施設にいたころの師のおかげである。刀もその人物に半ば無理やり教えられたものだった。
とはいえ、実際に深海棲艦と戦ったことがあるか否かではかなりの差が生まれるのも事実だ。磐梯も実戦向きの教育を受けたが、経験の差というものは必ずどこかで出てくる。
「数的不利だが、それだけ君を高く買っているということだ。過大評価ではないと証明してくれると信じている」
基地から少し離れた演習場に、磐梯と第二六戦隊は集結していた。
磐梯の艤装は腰回りに主砲がマウントされた、阿賀野型や大和型に似たレイアウトになっている。主砲の三一センチ三連装砲を三基九門搭載しているほか、一〇センチ連装高角砲を片舷八基、近接防空に二五ミリ三連装機銃を四基、一三ミリ四連装機銃を二基搭載していた。
「あれが磐梯かぁ……吾妻の妹って言っても、手加減はしなくていいんだろ?」
「手加減なんてしてたらこっちがやられちゃうよ」
長波の言葉に返事をした最上は、カタパルトから瑞雲改二を発進させる準備をする。空と海、そして甲標的を用いて海中から攻撃できるというのは最上にしかできない唯一無二の強みだ。
「ふー……」
艤装のグリップを握りしめ、ひとつ息を吐く。自身のもつ三一センチ砲は、戦艦を相手にするには少し不安が残るが、巡洋艦や駆逐艦を嬲る分には充分すぎる火力を投射できる。……もちろん装填しているのは演習弾だが。
(準備できたか?)
インカム越しに尾野の声が聞こえてくる。遠くに見える海自の支援艦から、演習の様子をモニターしているようだ。「はい」と返事をすると、演習開始のカウントダウンが始まった。
(五、四、三、二、一……始め!)
合図と同時に微速から第四戦速まで加速する。向こうは最上を先頭とした単縦陣で、こちらの頭を取ろうと動いているように見えた。丁字を取られれば、集中砲火を受けるこちらが不利になる。それだけはなんとしてでも避けなくてはならなかった。相手の動きに合わせ、同航戦になるよう航行する。
ただ勝つだけならば、こちらは距離を取って相手の射程外から一方的に砲撃すれば良い。しかし、そんなことは磐梯の矜持が許さなかった。
複数の発砲炎が見えたのと同時に、空に赤い軌跡が描かれる。風切り音とともに飛翔してくる砲弾を凝視すると、回避機動を取りながら腰に携えている刀に手をかけた。
「……今」
刀を一閃させると、真っ二つに切り裂かれた砲弾の軌道が逸れて水柱を立てた。回避していなければ何発か命中していただろう。初弾でこれまでの精度を見せたことに、表情には出さなかったが驚いていた。
刀を鞘に戻してから、主砲の狙いを定める。針路と速力を予測し、距離を計算。それらは本来であれば艤装がすべて済ませてくれるが、今回は電探を用いずに射撃することもあって、自身で若干の修正が必要だ。
「主砲一斉射、撃てっ!」
耳をつんざく轟音とともに、砲口から放たれた演習弾が敵艦隊の先頭へ向けて飛翔する。それに続いて長一〇センチ高角砲からも一門ずつ速射し、プレッシャーをかけ続ける。たとえそれが機銃であったとしても、自身のまわりに着弾しているというだけでかなりのストレスになるものだ。
当たれ、と心の中で念じながら回避機動を取る。付近にいくつもの水柱が上がり、磐梯を濡らした。
それと同じタイミングで敵艦隊から一際大きい水柱が上がる。加古に主砲弾が命中したらしく、大破判定が出た。
──まずは一隻。
艦隊から落伍していく加古を一瞥すると、すぐに敵艦隊に視線を戻す。接近戦を挑むつもりなのか、変針してこちらに向かってきている。
偏差を修正して次弾を装填する。最上の二〇・三センチ砲が装填中の間、酒匂の一五・二センチ砲と、時雨と長波の一二・七センチ砲がカバーするように砲撃を加えてくる。相手が艦隊全員でやっていることを、こっちは一人でやっていた。
「第二射用意、撃て」
先頭の最上を狙って砲撃するが、すぐに自分でも「これは当たらない」とわかった。
修正射の用意をしていると、視界の端にすぐそこまで迫る雷跡が映った。かなり近い。
「まずい……!」
方位三-〇-〇、本数は四。距離に至ってはもう二〇〇を切っていた。ソナーが使えない状況にもかかわらず、対潜警戒を怠った自分の落ち度だった。
「面舵一杯!」
舵を切りながら、主砲装填完了の報告を受ける。一か八か、主砲を撃てば水中を走る魚雷を破壊できるかもしれないが、炸薬の入っていない演習弾で成功するかはわからなかった。
魚雷はすぐそこまで迫っている。考えている暇はなかった。とにかくやるしかない。主砲を水面へ向けた。
「てぇーっ!」
砲弾が水面に突入したその瞬間、衝撃と水しぶきが磐梯の体を揺らした。三一センチ砲から放たれた砲弾は、魚雷を跡形もなく破壊したか、もしくは少なくともその衝撃で針路を逸らすことには成功したようだった。
「……針路を方位二-四-〇に。最大戦速!」
距離を保ったまま、反航戦になるように航行する。敵艦隊から魚雷は発射されていないようだった。恐らく確実に当たるタイミングで撃ってくるつもりなのだろうが、それよりも先に終わらせてしまえばいいだけだ。
二〇・三センチと一五・二センチ、一二・七センチ砲の集中砲火が磐梯に降りかかるが、それを巧みに回避しつつ一〇センチで応射すると、酒匂がひるんで隊列が崩れた。
「目標、軽巡洋艦……今だ、撃て!」
計九門の主砲から放たれた砲弾は、酒匂とその後ろに続いていた時雨、長波にも容赦なく襲い掛かった。酒匂と長波に命中弾が、時雨は至近弾だったが、酒匂と長波は大破、時雨も主機にダメージ判定が出て航行不能となったようだ。
わずか数分で第二十六戦隊は最上一人になってしまった。
よし、と心の中でガッツポーズを取ろうとしたが、妖精さんの報告で表情が険しくなった。
「方位〇-三-〇、水上機……どこに消えたかと思ったら、そういうことか……!」
最上の搭載機である瑞雲改二は、瑞雲のエンジンを載せ替えて出力を強化したモデルだ。五〇〇キロ爆弾を懸架でき、性能はかなり向上している。
水上にいる最上と、空中の瑞雲改二。同時攻撃をされるだけでも鬱陶しいというのに、十四機もの瑞雲は最上の反対、つまり磐梯を挟撃する形になっていた。
「右舷高角砲、対空戦闘始め」
四基の長一〇センチ高角砲が砲撃を始める。対空電探なしでの対空戦闘も訓練としてしたことはあるが、今のように敵艦を相手にしながらではなかった。
主砲で最上を狙うが、対空射撃をしながらというのはどうも苦手だった。最上は回避機動を取らなかったが、砲弾は当たらない。
空を飛ぶ一四機の瑞雲は、一機、また一機と数を減らしていくが、それでもまだ半数以上残っていた。
「当たれ当たれ当たれ……ッ!」
汗が額を伝う。鼓動が早くなる。黒煙を吹きながら瑞雲が海に突っ込んでいくが、まだ何機か残っている。
空に意識が向いている間に、最上の二〇・三センチ砲弾が次々と着弾して体に鈍い痛みと衝撃が走る。小破。まだ砲は撃てる。あと数秒で装填が終わる主砲を最上の方へ向けて偏差を合わせた。
「早く……」
装填完了。それと同時に空から風切り音が聞こえた。
「主砲、全基一斉射! てぇーっ!」
山なりを描いて飛んでいく砲弾は、間違いなく当たるだろうと確信した。
そしてその確信は事実に変わり、最上が水柱に包まれたのと同時に、頭上で橙色の塗料がまき散らされた。
小説はほとんど初心者です。読みにくい、誤字脱字、描写がおかしい……等々あるかもしれませんが、暖かい目で見ていただければ嬉しいです。
ミリタリー、特に海戦の知識は全くないので、いろいろと間違っていたらすみません。