ホテルに戻った真波は、各々を割り当てた部屋に一旦戻し、自らも身支度を終えてホテル側と話をしていた。
「一体、何があったというのです」
「調査中のトラブルです。一応、火の粉は払っていますので、ご安心を」
「……チェックイン時から気になっていましたが、あなた方は一体何なのですか! 内閣府の直轄機関としかお伺いしていませんが!?」
「極秘です。詮索を入れようとするのであればご自由に。但し、身の安全は保障しかねます」
「ッ……。分かりました。我々とて政府関係者は上客です。この件についてもスタッフにはかん口令を敷きます」
歯を噛み、顔を俯けた支配人に目を伏せた真波は、応接室の椅子から体を起こし、一礼した。
「ご協力、感謝します」
淡々と、そう告げた彼女は警備役のPMSC社員に導かれ、部屋を後にする。
エレベーターから下に降り、自室に戻った真波は、部屋の前にたむろしている渚達に気付き、中に通した。
「適当に座ってくれ。各々飲むものは持ってきたか?」
そう問いかけ、冷蔵庫から缶コーラを取り出した真波は、テレビ台に凭れかかると手近に置いていたホロデバイスを中心に投げた。
カーペット式の床に落下したそれが小さく跳ね、制止する中、彼女はプルタブを起こす。
「さて、事前調査ご苦労だった。流石にロビーで話すのは憚れるのでここに集めさせてもらった訳だが」
そう言い、コーラに口を付けた真波は、カートンから一本取り出す。
「私の方だが、支部の出入り口付近は確認した。見張りはバックアップ含めても2人。正直始末して侵入するのも容易な人数。まぁ、普通ならそれ以外にもいると思うが相手はアマチュアだからな」
「で、調べてる最中にあの騒ぎですか」
「そう言う事だ。それで、お前等の方はどうだ?」
「周辺組織についてですが、規模としては極小規模。チンピラレベルがせいぜいの連中です。仮に強襲時にこちらへ攻撃を仕掛けてきても十分に迎撃できるかと」
「そうか。それなら一安心だ。まぁ、攻め入りは先の件のほとぼりが冷めているかどうかで決めるとしよう。クラウンベック、装備と作戦プランについて出来次第共有を頼む」
気だるげに言った真波は、タバコに火を点け、換気扇の強度を強めに設定すると一服し始める。
「話題を変えるか」
真上に紫煙を吐いた真波は、とんとんと灰皿に灰を叩き落とす。気だるげな視線の先、一時的に真波の私服を借り、缶ジュースを手にした詩季が気まずそうに視線を逸らしていた。
火のついたタバコを手に、額を抑えた真波は、ため息を吐きながら話し始める。
「三朝詩季さんだったか? どうしてあそこにいた。この近辺は御台場女学校の指定防衛地域とは言え、一リリィが勝手に出歩ける訳じゃないだろ」
「それは、その……。あなた方を探して、いました」
「我々を探していた? 何の為にだ?」
タバコを置いた真波は、詩季に向けて僅かに身構えた渚達を視線で抑える。彼女の仕草からスパイをしに来た訳では無いと真波は直感し、先を促す。
「あなた方がどう言った活動をしているのか、それを知りたくて」
「真意が分からんな。それを知ってどうしようとしていたんだ?」
「私を、編入して頂きたいんです」
そう言い、封を開けた缶を凹ませた詩季は顔をしかめた真波を見上げ、懇願の視線を向ける。視線に晒された彼女は、務めて冷静な目で詩季を見返す。
燻ったタバコを再び手に取った彼女は、深く吸い込むと宙に煙を放って元の場所に戻す。
「いきなり言われても承諾しかねる。大体、君は“我々がしている事”を見た筈だろう。それでも尚、そう言う理由は何だ?」
重要な事柄を強調した真波は、煮え切らない態度の詩季に、溜め息を返すと徐に立ち上がる。
用済みのホロデバイスを拾い上げた彼女は、仕事道具を入れたリュックサックへ乱暴に突っ込んだ。
「それが言えないなら、君の要請を受け入れる事は出来ない」
元の位置に戻った真波が消えかけのタバコを手に取り、吸い込む。
憂鬱そうに煙を吐く彼女は、ゆらゆらと揺れたそれを気だるげに見上げる。
「……ガーデンから、離れたいんです」
意を決し、消え入る様な声で詩季は言う。唯一無二であり、それでいて馬鹿馬鹿しい理由だと自覚した上で、彼女は口にする。
その一言で、渚達は凍り付き、真波は微笑を漏らした。悪い冗談を聞いたかの様な、そんな笑みを。
「そんな下らん理由で、我々に接触しようとしていたのか?」
「……はい」
「そうか。なら、良いだろう。すぐに所属させる事は難しいが、臨時の護衛役として御台場女学校に同行を要請する」
「あ……。あ、りがとう、ございます」
「ホテル側には私から話をしておく。どうせ客は来ないんだ。空き部屋なんざ幾らでもあるだろう」
そう言い、ポケットから取り出した端末を弄った真波は、戸惑っている渚へもう一つ注意をする。
「今後、君も我々の戦力としてカウントするが、足がつく可能性がある為、こちらが有するCHARMを供与する事は出来ない。つまり作戦参加時は君が携行していたヨートゥンシュベルトのみを使用してもらう事になる」
「構いません。最近はずっとあれだけでヒュージと戦っていたので」
「ほう。それは頼もしい限りだ。私からは以上だ。何か気になる事はあるか?」
「今の所は、特に」
「そうか。ならこの場は解散としよう。私はこれから各方面との調整業務がある」
伸びをしながら言う真波は、モダンPCを取り出すと憂鬱そうに電源を入れる。慌てて飲料を飲み干す面々に苦笑していた真波は、窓の外を眺めながらぽつりと提案する。
「お前達の時間が許すなら、飯でも食いに行くか。18時半集合でどうだ?」
彼女の提案に渚達が頷く中、詩季は一人手にした端末の電源を付けていた。追跡を逃れる為に切っていたが、話がまとまった事を受け、彼女は意を決していた。
システムが立ち上がり、OSの起動画面とキャリアのロゴが表示される。立ち上げ終わった瞬間、黙々とした空間に大音量で着信音が鳴り響く。
「うわ」
更に通知のホップアップは50件以上に上り、慌てて応答した詩季は、大音量の罵声を浴びる。
『詩季、お前今どこにいんだよ!』
電話の主である真霜が発した凄まじい剣幕はスピーカーフォンに匹敵する音量で響き渡り、何事かと渚達が振り返る。
「あ、え、えっと、その……」
しどろもどろになる詩季に、見かねた真波が、彼女から端末を受け取るとスピーカーフォンに切り替えた。
「彼女は今品川にいる」
『アンタ、誰だよ』
「昨日君とは会っている筈だが。まぁ、良い。私は内閣府直属ガーデン運用監査局監査官の三沢真波だ。三朝詩季さんだが、今我々の元にいる」
『そうかよ。じゃあ、あいつに今すぐ戻って来る様にアンタからも言ってくれねえか?』
「それは出来ない。彼女にはこれから私の護衛を務めてもらうからな」
『は? 聞いてねえぞ』
不機嫌そのままの真霜の声に、面倒臭さを感じていた真波は、務めて冷静に返答する。
「だろうな。その件は今決まった事なんでな。それで、そちらの用件は何だ?」
『相棒がしかるべき場所にいねえから電話しただけだ』
「そうか。なら通話は切らせてもらうが良いか?」
『おい、待てよ。潔白そうな態度取ってるが、アンタ、アイツを口先で丸め込んじゃいないだろうな?』
「あ? どう言う言いがかりの付け方だ」
流石に不機嫌になりつつある真波は、一度深呼吸をすると真霜との通話に戻る。
「下手なごまかしは止めろ。要するに何が言いたい」
『アンタの所に乗り込ませろ。それでアイツと会って話がしたい』
「それでどうするつもりだ。大人の決めた事に子供が意見する気か?」
『アイツの事はアイツの意志で決めるべきだろ』
「……そうか。なら、18時半に指定の場所に来い。話はそれからだ。もう良いな? 切るぞ」
そう言って赤い切断アイコンをタップした真波は、手の中で端末を回すと、下面を前にして詩季に差し出した。
恐る恐る手に取った詩季から視線を逸らした彼女は、呆れ気味に缶コーラを煽った。
「おま……君の相棒は一体どう言う奴なんだ?」
余所行きの態度を崩しかけた真波に、表情を歪ませた詩季は顔を俯かせた。
「真霜は、ただの仕事仲間です。相棒じゃありません」
はっきりとそう告げた詩季の表情に、そうか、とそっけなく返した真波はその言葉の真意を少しだけ推し量っていた。
(相棒とはあの真霜とやらが勝手に思っているだけなのだろうな)
自分の本心とは別の事情を押し付けられる事に、内心同情しながら、真波はPCを立ち上げた。
「おい、そろそろ定期連絡の時間だ。さっさと出てくれ」
苦笑交じりに真波が促すと、素直に応じた渚達はぞろぞろと部屋を出て行った。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
時刻は18時30分。制服姿の渚達は、ロビーに現れた真霜達の姿を認めると立ち上がり、真波の元に案内する。
「昨日ぶりだな、元気だったか?」
「下らねえ世辞は止めろ、お役人様。それより、こんな所に来てやったんだ。詩季と話をさせろよ」
「まぁ、待て。普通に話すのもなんだ。食事でもしながらでどうだ?」
真面目さを醸しつつも、和やかさを見せようとする真波に、真霜は苛立ちを募らせて額を抑える。
「ふざけてんのか? こっちはわざわざ出てきてやってんだぞ?」
そう言い、掴み掛かろうとした真霜は、腕を弾いた真波に虚を突かれる。
「だから何だ。子どもだから手を出さないと思って、舐めているのか?」
苛立ちが最高潮になり、歯を噛む真霜を睨み付けた真波は、突き飛ばして距離を取らせた。
覚束無い足取りの彼女に、呆れ気味の溜め息が漏れた真波は、彼女の背後をちらと見た。
「君達は神庭の……。どうしてここに?」
「本業が落ち着いたので、付き添いで。あぁ、勿論ここで知り得た情報は口外いたしませんから。ご安心を」
「そんな気遣いが出来るなら、来ないでほしかったがな」
苦笑を漏らした真波に、肩を竦めて見せた和美は、付き添いの黄昏共々担っていたCHARMを下ろす。
重量を感じさせる音を上げるそれを見下ろした真波は、フロアマンに一時預かりを頼むと全員を見回す。
「一先ず店に行くか。この人数は予想外だがな」
呆れ気味にそう言った真波は、少女達を先導し、外へと向かう。程無くして近所の居酒屋に連れ込んだ彼女は、貸し切り状態の店舗に彼女等を座らせた。
真波側とそうでない側で分かれ、対面する形で座った彼女達は終始険悪な雰囲気で向かい合っていた。
「各々食べたいものを注文しろ。話はそれからで良いだろう」
険悪な雰囲気をどうこうするでも無くそう言った真波は、全員分の注文を終える。
しばらくして注文の品と飲み物が届き、彼女等が形ばかりの乾杯をした後、話題は本来の物に変わる。
「それで、浅木真霜よ。お前、彼女に何の話をするつもりだ」
ジョッキに入っていたビールを空にした真波は、二杯目を注文しつつ、真霜にそう切り出す。
不意打ち気味な問いかけに、不機嫌そうな表情を浮かべた真霜は、咀嚼していた物を飲み込むと返答した。
「アンタに黙くらかされてんのかって話をしに来たんだよ。詩季は御台場のリリィだ。そう簡単に鞍替えしようなんて考えるのはおかしいだろうが」
半目で真波を睨み付ける真霜は、まごつく詩季に視線を流す。
「そうだろ、詩季。お前、この女に強要されたんじゃないのか?」
語気を強め、糾弾する様な口調でそう言った真霜は、制止した真波を睨み付けた。
話す事は無い、と遮ろうとした彼女に渚達が身構えて見せ、無理矢理交渉のテーブルに引き戻した。
「先ずは事の経緯だが、本日午前、天王洲での作戦行動中、不審者に絡まれた彼女を保護。その後の事情聴取にて、彼女がこちらへの加入の意思を見せた為、仮処分として護衛を申請した」
掻い摘んで説明した真波は、敵意を隠さない真霜に半ば呆れつつ、渚達に視線を向けた。
「それで、だ。三朝詩季については、実働部隊に組み込もうと思っているんだが、お前達としてはどうだ?」
「戦力として換算するのは早計だと思いますが、人が増える分には歓迎しますよ」
焼き鮭をほぐす渚が、笑みと共に返し、一口分を口に放り込む。他人事、と言うより懸念点さえ何とかなれば良いと言うニュアンス。
合図血を打ちつつ、一先ず意見として受け取った真波は、もう一人にも判断を仰ぐ。
「クラウンベック、副隊長としてはどうだ?」
「部隊長が良いと言うのであれば異論はありません」
肩を竦めた真波から意識を外したアイネは、優愛の介助を受けて食を進める。
無愛想、と言うより真霜に対する強い敵意ゆえの態度だと理解していた彼女は、咎める事無く話を続ける。
「と、言う訳なんだが。三朝さん、君の意見を聞こうか」
そう切り出した真波は、まごつく詩季の言葉をじっと待った。
「私は、それで構いません。私は、御台場女学校から離れたいので」
「そうか。なら、今後は我々の指揮下に入ってもらう。詳細は後程話す」
「……分かりました」
首肯しつつ、詩季は対岸の真霜を睨み、真波はその様子を複雑な目で見ていた。
これは自分の意思だ、とそう告げる様な視線だが、当の本人は目も合わさず、一点真波だけを睨んでいた。
「本人がああ言っているが、お前は納得出来ないのか?」
2杯目のビールから口を離した真波は、無言のまま顔を逸らした真霜に酒気を帯びた溜め息を漏らす。
「無言は肯定と取らせてもらう。以後の異論は受け付けない」
その場で言葉を返さない時点で無効だ、とジョッキを置き、そう言い切った真波は端末を手に席を立つ。
「姫神、私は三朝詩季の件について本部に正式に連絡をする。その間、この場は任せる」
店の奥に引っ込んでいった真波に肯定を返した渚は、不服そうな真霜を見て苦笑を漏らす。
「何笑ってんだ、テメェ!」
八つ当たり気味に突っかかった真霜に、諸手を上げた渚は、歩み寄り、胸倉を掴み上げてきた彼女を睨み付ける。
「あなた達、お止めなさいな。お店の方に迷惑をかけてしまいますわよ」
仲裁に入ろうとするオリヴィアだったが、掴まれている渚は笑みを崩さず、手で制した。
「お前も! あの女と同じで詩季に何か吹き込んだんだろ!」
「仮にそうだとしたら、何だって言うんだ? 何か君に不都合が生じるのかい?」
「うるせえ! 得体の知れねえテメエ等に、はいそうですかってアイツを引き渡すのが気に食わねえだけだ!」
「……それは、どう言う意味だ?」
「どうだって良いだろうが!」
怒りのままに締め上げようとした真霜を、笑みを吹き消した渚が睨み付ける。
一触即発の状況に、思わず立ち上がった優愛は、意図を察した麻衣に止められる。
「止めて、ナギサ」
慌てて仲裁に走ったアイネだが、それの間を差す様にくすくすと忍び笑いが聞こえ、全員の視線が笑いの主である和美に向く。
ワザとらしいリアクションでお道化て見せた彼女に、真霜は怒りの矛先を向ける。
「何だ、テメエ!」
渚から手を放し、掴み掛かろうとした真霜は、間に入った黄昏に箸の先端を喉に突き付けられた。
あまりの速さに圧倒された彼女を他所に、和美は渚とアイネに視線を向ける。
「ねぇ、部隊長さん達。少し質問なんだけど。あなた達の部隊に、私達が入る事は出来るかしら?」
「不躾で悪いが、どうしてだい?」
不意打ちとも言える問いかけに、その場の全員が動揺し、冷静さを保った渚が意図を聞き返す。
「そうね。面白そうだから、じゃあ、ダメかしら?」
「少し弱いかな」
「じゃあそうね。三朝さんの事が気になるから。これでどうかしら」
悪戯っぽくそう言った和美に、困った様な笑みを浮かべた渚は、一応、と言う体で真霜を指す。
黄昏に命令した和美は、解放された真霜をつまらなさそうに流し見ると、渚からの回答を待つ。
「申し訳無いけど、僕等に人事権は無いよ。それは三沢監査官に言ってくれないかな」
「そうね。でも、私はあなた達のお墨付きが欲しいの。別にいても構わないって言うね。処世術って奴よ」
「そう言う面倒なプロセス、ウチじゃ存在しないけどな。ま、良いや。後から言っとくよ」
苦笑を漏らしながら言う渚に笑みを返した和美は、驚いた表情の詩季にウィンクを飛ばす。
そんなやり取りを呆れ気味に見ながら、席から戻って来た黄昏は、自主的に席を立った冨亜奈に視線を向ける。
「ナギっち、アタイトイレ行ってくっから、ついでにさっきの件、監査官に言ってくんね」
わざとデリカシーの無い言い方をした冨亜奈が、大回りに去っていく直前、小柄な彼女の体が引き留められた。
彼女の襟首を掴んだのは苦々しい顔の真霜。全員が驚く中、冨亜奈はコミックリリーフな動きでもがく。
「ちょっとアンタ何なのさー!」
「おい、クソチビ。あの女に伝えろ。俺もこの部隊に入るってな」
「は? アンタさっきまで反対の立場だったんじゃないの?」
「だからだ。俺もこの部隊に入ってお前らが妙な事しねえか見てやるんだよ」
「外部監査気取り? 押しつけがましいねぇ」
大きく仰け反り、天地逆転していた彼女は、不機嫌そのものの真霜に嘲笑と冷たい言葉を浴びせた。最も、その言葉はルドビコからの派遣者である彼女が言うべきものでは無いが。
黙って行け、と言わんばかりに冨亜奈の体を押し上げた真霜は、邪険そうに手を振って送り出す。
「と、言う訳だ。文句ねえよなぁ、隊長さんよ」
ばん、と真霜が机に腕を叩きつけ、脅す様な口調と語気を渚に浴びせる。が、当の本人には然程怖いものでも無いらしく、恐ろしく穏やかな表情で見返していた。
「ああ。構わないよ」
含みを持たせた言い方でそう返した渚は、場を整えつつ食に戻る。それからしばらくして、真波が帰ってきた。
いつに無く疲れの見える彼女は、忌々し気に全員を見回すと、すっかり泡の消えたジョッキに手を付けた。温くなっていたらしいそれを一気に飲んだ彼女は、心底嫌そうな表情を浮かべる。
「一気に人が増える事になるな」
忌々しげに吐き捨てた真波は、3杯目を注文すると汚くなってきた机の上を見回す。彼女が注文していた唐揚げは、花の乙女達の襲撃ですでに無くなっていた。
与り知らぬ場で酒の肴を失った真波は、追加で唐揚げを含む3品を注文すると先に来たビールに口を付け、4分の1を飲み干した。
「一応、話はつけて来た。明日、私の上司が各校の上層部と話をつけてくれるそうだ」
「これで、一気に人手不足解消ですね」
「言うほど人手に困っていたか? 貴様等」
半ば呆れ気味にそう言った真波は、イタズラっぽく笑う渚にやれやれと目を伏せてジョッキを傾けた。ようやっと腰を据えられた彼女は、胸ポケットに入れていたカートンを机の上に置いた。
届けられた肴を当てに、酒を呑む彼女は、食が終わり、動きの無い渚達を見回す。
「お前等、先に帰るか?」
大方食べ終わって暇なのだろうとそう思った真波は、様子を窺う渚とアイネを流し見、予想が間違いでは無い事を悟った。
「……お前達は先に戻って休め。私はもうしばらくここにいる。何かあったら連絡しろ。潰れるまで呑む気は無いからな」
「了解しました。先に戻ります。帰り道、お気を付けて」
「これでも28の女性公務員だ。前後不覚になるほど酒盛りはせんよ」
それに、お守りは持ったままだしな、と二人に聞こえる程度に真波は呟く。一応、と開示された理由に納得した彼女等は、撤収の動きを取り始める。
耳障りな姦しい声も今時珍しい引き戸が閉じられると、姿と共に締め切られた。
「アンタ達、珍しい客だね」
頃合いと見たのか、渚達が空にした皿を片付けている女将が声をかけた。小言か何かか、と身構えた真波は、敢えて返答をせずジョッキを傾ける。
警戒させている、と悟った女将は、調理と片づけをしている夫らしい大将から徳利を受け取り、上座に座っていた真波の左前に座った。
徳利を掲げ、お猪口を差し出した女将に気付いた真波は、警戒心を解くと素直に受け取った。
「……すいません」
そう一言告げて1杯分受け取った彼女は、一気にあおると深く息を吐いた。
「あの子達、リリィさん達でしょう?」
「……ええ。まぁ。ちょっと訳ありですが」
「やっぱりそうよね。うちの子もリリィなのよ」
「そう、なんですね……。色々と、大変では?」
「ええ。まぁ。そうね。何時いなくなるか、分からないし、いなくなってもすぐに分からないみたいだから、心配よ。でも、あの子がやりたいって言った事だし、周りの人達も応援してるから。私達には、精一杯、応援してあげるしかないのよね」
憂鬱そうな溜息と共に、真波に御酌した女将は、食器の擦れ合う音と水の当たる音を聞きながら、誰もいない店内を見回す。本当ならここに彼女の娘がいたのだろう、とそう思いながら、猪口の中を空にした真波は、返す言葉に困り、時間が経ち、泡が消えつつあるジョッキを見る。
嫌な沈黙。親に思われる様な孝行者でも無かった自分には、彼女の気持ちにも、彼女の娘の気持ちにも、どちらへも立つ事は出来なくて。ただ、言葉を探すだけの時間が過ぎる。
「本心は、どうなんです?」
迷いに迷って、根元に沈めていた疑問が思わず口を突く。しまった、と思っても口に出した以上、もう引っ込める事は出来ない。
女将と、大将が目を見開いて真波を見る。その表情は、糾弾では無く、驚愕の色で。そんな事を聞くのが意外、と、そう言いたげな顔。
「そうね。自分の命を懸けてまで、周りの期待に応える必要なんて無い、って言ってあげたかったかしらね」
遠い目をする女将を見つめながら、味のしなくなってきた酒を傾けた真波は、徳利を手に取ると猪口を彼女に手渡した。
一杯分注ぎ、呑む様に促した真波は、相槌を打ちつつ、死んだ親友の事を思い出していた。
「娘さんは、責任感の強い子なんですね」
寂しげに笑いながら、一口煽った女将に彼女はそう返す。死んだあの子もそうだった。誰かの為に、自分の命を懸け、そしてその誰かを失い、自ら命を絶った。彼女を想い、支えていた筈の自分は最期まで、その誰かの中にいなかった。
最初で最後の本物の恋。告白する間も無い想い人の死と言う、酷い失恋の隙を埋めるべく、誰彼構わず付き合ってみたが、結局の所、彼女の幻想に囚われて長続きはしなかった。
「私の戦友も、そう言う感じの子でしたよ。……もうしばらく、会っていませんが」
28にもなれば、そんな失恋のショックも薄らいでいる。目立って息を乱す事も、言葉に詰まる事も無く、ただ淡々と言葉が口から出ていく。
寂し気な彼女の顔を、じっと見ていた女将は、ふ、と微笑を浮かべて猪口を返した。
「そうかい。うちの子はそんな薄情者になって欲しく無いねえ」
ケタケタと笑いながら、徳利の中身を全て注いだ女将は、心の内を見え透いた様な表情で、真波を見た。
何時になく穏やかで、それでいて少しの恐怖を滲ませた顔に、失言だったか、と焦った真波は、首を振った女将に虚を突かれた。
「まぁ、呑みなさいな。足りなければ、また出してあげるから」
微笑みと共に促した女将から、子ども扱いされている事に気付き、真波は苦笑を漏らすしかなかった。