東京・霞ヶ関、午後6時――――。夕暮れの日差しが差し掛かる5階建ての建屋、内閣府直属ガーデン運用監査局に宛がわれたそこの3階。リリィ向けの待機室には10人のリリィが夜襲に向け、集まっていた。
既に準備を終え、最終チェックに移っていた彼女等の中で、1人、添え付けの電気ケトルでインスタントコーヒーを淹れていた真波は真新しいスーツを身に纏い、溜め息を漏らしていた。
あの後、卒無く引継ぎを終えた彼女だったが、長時間居たせいで死臭とタバコの臭いが混じってとんでもなく不快な臭いを放っており、色々と揉めた末に近場の紳士服店で購入させられる羽目になった。
とは言え、血生臭さで言えばリリィ達も同様で、特に実働していた渚達は、今回の件で着ていた制服を処分する羽目になり、3着あった筈の予備はもう既に無くなっていた。
また予備を複数手配しなければならんのか、と思案していた彼女は、装備のチェックを終えたらしいアイネと渚に気付き、持ち込みのカップを棚の上に置いた。
「装備の最終確認、完了しました。電子承認をお願いします」
「確認した。承認済みのデータは後で部長に送っておく。事前に貰ったリスト通り、だな?」
「はい。戦術も送信させていただいたものを基本として運用する予定です」
差し出された端末に、タブレットを当ててデータを取得した真波は、装備リストに目を通すと承認欄にサインを書き込む。データ共有でアイネにバックアップを送った彼女は、そのままメールでリストを送信した。
一連の作業を終え、タブレットからカップに持ち替えた真波は、時刻を確認する。作戦時間は午前12時。誰もが寝静まるであろう時間に強襲をかける。近隣住民から安眠妨害についてのクレームと言う見当違いな懸念はあるだろうが、命を脅かす輩の始末と比べれば背に腹は代えられない。
「了解した。作戦時間までまだある。今の内に飯でも食べておけ」
顎でコンビニで買ってきたものを食べている面々を指した真波は、首肯したアイネ達を送り出し、自身は端末で残務の確認を始める。
アイネ共々見送られた渚は、卓の中に入り、乱雑に散らばった食品を手に取った。近所のコンビニで買い漁ってきた夕飯の内、おにぎりに手を付けた彼女は、包みを解いて口に運ぶ。
「……随分質素な晩餐ね」
カルボナーラを巻き上げつつそう言ったアイネに、渚は苦笑を漏らす。咀嚼していたものを呑み込んだ彼女は、自分の分の夕飯を確保した上で話を切り出す。
「終われば良いもの食べれるよ、きっとね」
「そうね。でも、食べ物で釣られるのは何だか貧乏臭く感じるわね」
「それ以外に僕等が釣られるもの、あるかい?」
笑みを浮かべつつ、もう一口頬張る渚に、それもそうね、と返したアイネは、イマイチ食の進んでいない詩季に気付いた。作戦終了から随分経つが、未だに症状が残っているのだろうか、と彼女は思いつつ、それ以上視線は向けないでいた。
少しでも良くなるように、と努力は窺えるホワイトソースの味を舌で感じていた彼女は、徐に立ち上がった詩季に視線を戻された。唐突な行動に、その場の全員が凍り付くが、当の詩季は御構い無しに真波の方へ向かっていた。
「あの、三沢監査官。朝の話ですが」
「……ああ。何だ?」
「私を戦力に加えていただけませんか?」
「……それは、私にあの薬を打つ事を容認しろと。そう言いたいのか? 私とて少しはそう言う心得はある。あれの作用、副作用の事を知らない訳じゃないんだぞ」
「それでも、戦いたいんです。私には、戦う以外に居場所は無いから」
俯き、表情共々顔に影を作った詩季を前に、目を伏せた真波は深い溜息と共に、腕を組んだ。否定でも無く、肯定でも無く、何かを考える仕草をする彼女に、全員の手が止まる。
弱弱しく真波を見返した詩季は、観念した様に息を漏らした彼女に身を竦めた。
「……良いだろう。許可する。薬効時間については後程共有しておらうとして、薬効切れ後の追加処方は一切行わない。打った薬が切れたら即撤退だ。それが守れないなら今後お前は戦力外だ。良いな?」
「は、はい。ありがとうございます」
「礼を言われる覚えは無い。良いから、元の場所に戻れ。処方のタイミングは後程指示する」
深い息を漏らす真波に、一礼した詩季が仮設の食卓に戻っていく。僅かに喜びを滲ませる彼女の背を、憐れみを含めて見ていた真波は、目を伏せながら顔を背けた。
(戦う以外の居場所か。『大人』の責任として、彼女を含め、奴等にはいずれ用意してやらねばならんな)
日が落ち、光の灯った夜景を見下ろしていた真波は、浸っていた感傷をコーヒー毎、飲み干し、かしまし娘達の輪の中に入っていった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
東京・新宿区、午後11時――――。高田馬場駅前に集合した渚達は、ワンボックスからケースごとCHARMを下ろしていた。小雨にやられ、湿気気味のタバコに火を点け、作業を見守っていた真波は、傍らに立つ冨亜奈に視線を向ける。
ポスターケースに偽装した細身のケースを2つ背負う彼女はその視線に気付き、少しだけ体を寄せた。
「黒木、ルドビコへの連絡は?」
「やりましたよ。返事も立派。ま、しくじってくれなきゃ良いんですけど」
「どちらでも構わんさ。もしもの備えでしかない連中だからな」
そう言い、火の燻る煙草を吸い込んだ真波は、各自が装備し終えたのを確認し、データリンクを繋げた。偽装も兼ねた眼鏡型のウェラブルデバイスを介し、渚達の視界に真波が用意した資料が広がる。
一括送信された資料を、各自に支給された端末が予め設定されたサジェストを元にフィルタリング。各自の交戦距離に応じて必要な情報が再度表示される。
「全員データは行き届いたな? よし。では、これから諸君等には徒歩で作戦地域に接近してもらう。戦術については道中クラウンベックが説明するだろう。加えて今晩は幸いにも雨だ。奇襲効果は高いだろう」
「了解しました。それで、監査官は作戦中はどちらに?」
「カフェにこもってモニタリングしながら貴様等を待つさ。どうせ私は戦場じゃお荷物だ。出来る事と言えば、お前達の戦術決定に印を押すくらいだよ」
そう言い、ワンボックスのドアを開けた真波は、吸いかけの一本を路地に投げ、座席に乗り込んだ。パワーウィンドウを下げた彼女は、ウィンドブレーカーのフード越しに雨に打たれる少女に一礼して発車させた。
ハイブリット車らしいそれは、モーターの音を鳴らして走り去っていき、それを見送った渚達は、ウェラブルデバイスのナビに従って歩き始めた。
「で、何でこんな雨の中、俺達は歩かなきゃいけねえんだ?」
忌々し気に雨雲を見上げた真霜は、春先の冷たい気候に拍車をかける小雨が次第に強まる事を端末から提供された情報で知る。一々うるせえな、と彼女はサジェスト情報に苛立ちを浮かべる。
「車は早いけど色々と目立つ。それに、作戦開始地点の自由が効かない。連中がどこで仕掛けて来るかも見当がついてないのに」
「地下鉄って奴が通ってた場所は使えねえのかよ」
「それ、十何年と放棄されてるトンネル使うって意味なら、真性の馬鹿なの? 何時崩落するかも分からない道なんか、使う意味ある?」
辛辣な物言いと共に半目を向けた麻衣は、納得しつつも苛立っている真霜から下らなさそうに視線を逸らす。急場作りの人間関係などこの程度だろう、と後ろからそれを見ていた和美は、別の話題をアイネに振った。
「それで現地での行動はどうするのかしら、司令塔さん。監査官には事前に説明していたみたいだけど」
「相手は武装ゲリラだし緻密に行く意味も無いから、大雑把な二段階作戦よ。第1段階は敵が保有する四足歩行戦闘車両の全撃破。第2段階は敵本拠地への強襲。そんな所ね。今、現在進行形で第1段階の布石を監査官には打ってもらってる所」
「布石?」
「あの周辺一帯の居住区に避難勧告を出してもらった。分かりやすくね。ま、それを聞いても連中は警察を撃退した事に味を占めて逃げないでしょうし、寧ろ全面的に戦闘車両を前面に押し出す筈よ。そこをうちのスナイパーが持ち込んだCHARMの最大出力で射抜く。元々対ラージ級用の狙撃砲よ。そこらの兵器なんか紙切れみたいに吹き飛ばせるわ」
「アマチュアにしか通用しなさそうね。それで、車両破壊後は素早く拠点制圧。それで証拠品を押収するって事ね?」
次第に強まりつつある雨脚をフード越しに感じる和美は、アイネの説明と共に事前に送られていた資料を開いて細かく確認する。作戦概要は官僚に提出したとは信じがたいペラ紙1枚程度の簡素なものだが、実情込みで許可が下りたのだろうと和美は察していた。
まだ結成して2日しか経っていない即席に近いグループには、緻密な作戦を実行できる程の連携精度は無い。各々醸成したキャリアから来る疑似的な連携は出来るかもしれないが。
大して仲が良い訳でも無い集団なのもあって、暫くの間、沈黙したまま、少女達は都道8号線を歩いていく。
「優愛、そろそろUAVの射出ポイントよ」
ウェアラブルデバイスのナビに従い、アイネは優愛に指示を出した。大型バックパックから中折れ式グレネードランチャーを取り出すと弾頭を挿入し、宙に放った。
低圧ガスで射出された弾頭は一定高度で外殻を弾き飛ばし、二枚の羽根を持ったタケトンボの様なシルエットを現す。一瞬の間を置いて羽を回転させたそれは青いLEDの燐光を数回光らせると薄暗闇に紛れ、飛び続けた。
「UAVとのデータリンク接続。部隊と監査官との相互データリンクと通信経路確保。カウンターハックシステム正常。定期周波数変更同期確認」
雨空を見上げ、腰のポーチに下げていた超小型PCで諸々の設定をした麻衣は、真波との通信が待機状態になっている事を確認するとPCをスリープ状態にして閉じた。悪環境に耐える程の防水が施されたPCにとって雨は大した事無く、雨粒を拭う事無く仕舞われる。
程無くして真波との通信が開き、バータイム営業のカフェテリアを背景に、彼女の姿がワイプに映り込む。彼女の傍らには湯気を立ち上らせるブラックコーヒーが置かれていた。
「監査官、通信状況はどうでしょうか」
『良好だ。まぁ、流石に10人の視界を同時に映すと鬱陶しいな。まぁこれは後で整理するか。それで、通信が繋がったと言う事はチェックポイントを過ぎたのか』
「はい。これから旧落合南長崎駅方面へ向かい、途中もう1機、通信リレー用のドローンを展開。その後、作戦を開始します」
『了解した。事前のプラン通りだな。そのまま頼む』
「ええ。では、後程」
目を伏せたアイネはそのまま回線を閉じ、手を取って先導していた渚に微笑でお礼を告げる。その後方、卯月姉妹の後を追う詩季は、個別で送信されたIMに気付いた。
《Manami_Misawa:To Shiki Misasa 投薬タイミングは現地に到着次第、私が指示する。自己判断での投与は厳禁だ。通信不能時は姫神、クラウンベックに判断を仰げ》
釘を刺す様なメッセージに生唾を飲んだ彼女は、視線入力で了解の返答を返した。雨は止まず、深夜の車道は、真夜中に出された避難勧告の影響か1台とも通る事は無い。
2つ目の交差点でUAVを打ち上げ、そこから更に歩く事数分、旧落合南長崎駅の傍、大きな交差点が見えてくる辺りで、列は旭通りに入った。
「UAV展開」
雨宿りした廃商店の軒下から組み立てていたクアッドローター式のUAVを宙に飛ばした優愛は、雨粒を弾いて飛んでいく。廃墟寸前の西落合をあらゆるセンサーを駆使してドローンが精査する。
周囲の警戒を渚達に任せていた麻衣は、PCを使って送信された情報を地図に重ねて戦術データリンクに送信した。西落合1丁目から2丁目まで敵影は無く、安全とは言えないが気取られずに移動する事が出来そうだった。
「西落合3丁目、4丁目方面に熱源4つ探知。アイネ、アンタの予想、当たってる。多分戦闘車両だ。その熱源後方に生体反応多数。クソが、排熱で阻害されてよく探知できない」
「十分よ。後のモニタリングは監査官に任せて、現時刻より私達は作戦行動を開始する。事前に伝えた通りの作戦プランで各自行動を。初撃はBZが担当する。初撃を入れた後、AZ、TZは作戦エリアに侵入。各自行動を開始せよ」
「各リレードローンの通信状況良好。監査官へセンサードローンのコントロール権限、譲渡完了した。作戦開始できる」
PCを仕舞い、ケースを背負った麻衣に頷いたアイネは、CHARMを手に、雨に打たれながら警戒していた面々を見回す。フードの向こう、戦意に満ちた目が壊れかけの街灯の反射光でぼんやりと光る。
それに応じる様にCHARMの宝珠が光を放ち、個々のルーンを灯す。アイドリングが終わり、CHARMが彼女達の周囲に薄く障壁を展開して雨を弾く。
「監査官、こちら実働。準備完了しました」
『こちら監査官、了解した。三朝、投薬を行え。……よし、では、作戦開始だ』
各自のデバイス、ワイプで映り込んだ真波の言葉を皮切りに、少女達は雨降りしきる薄暗い戦場へと駆け出していった。