一方、オリヴィア達を引き連れて廃棄された別荘地帯に陣取っていたアイネは、先まで主戦場としていた山上の更に上、橙色に染まる空を見上げて舌打ちをしていた。それは知ってか知らずか、ロスヴァイセが森林戦では御法度のエネルギー兵器の使用を強行してきた結果だった。
ひとまず後退し、渚と共に廃別荘の一角に身を隠した彼女は、後を追うロスヴァイセの反応を事前に打ち上げたUAV越しに確認していた。下山し、旧道沿いに歩いて探しているらしい彼女達を見て取ったアイネは、対応を考えていた。
(ここならある程度開けているから機動戦で彼女達を攪乱する事も出来る。けど、ここの地形が谷である以上、こちらは変わらずビーム兵器の使用は制限される。その上、攪乱すれば流れ弾が発生するのは必然……)
先の戦闘から鑑みてロスヴァイセがビーム兵器の使用を躊躇うとは思えない。攪乱戦術は時間を稼ぐにはこの上ない選択肢だが、エネルギー兵器の減衰距離が取れないこの谷間では徒に攪乱するのは周辺被害を拡大させる一因になる。となると自然と攪乱戦術は使えない事になる。
(結局白兵戦をするしかない。けど、今この状況では乱戦に持ち込むのは難しいわね)
ロスヴァイセは現在、密集したフォーメーションを取っており、対し、こちらは散開して点在する別荘に身を潜めている。やり過ごすには良いが、仕掛けるには別荘の立地が奇襲に向かない位置にあり、且つ個々での攻撃にならざるを得ない為、各個撃破の危険性が高い。
奇襲するにも、ロスヴァイセを細断する事は絶対条件になる。その前提条件を頭に入れ、全員に現在の装備を申告させたアイネは、接近しているアリス達の反応に気付くや、彼女へ通信を繋いだ。
「ダウン7よりジャック1へ、一つお願いがあるのだけど、あなた達からロスヴァイセへ停戦勧告をお願いできるかしら」
『ジャック1よりダウン7、可能ですが望み薄かと思います。こちらも百合ヶ丘に籍を置いているとは言え、食客の様な立場ですので』
「なるほど。じゃあそんな些末事考えなくて良くなったわね」
忌々しげにそう言い捨てたアイネは、隣で、アリスと同じ様に笑っている渚へ半目を向けた。最初から期待はしていないが、そうとなると力で彼女達を黙らせる必要が出てくる。たかが強化リリィを処分したくらいで、しつこく追ってくる向こうも向こうだ、とアイネは内心で呆れつつ、作戦立案の為に地図を確認する。
水分補給もしながらのそれを阻害する様に唐突にCHARMからの警告が発せられる。複数のケイブの発生警報。宇佐美からこちらにかけ、一定間隔で10ものケイブが発生し、宇佐美側ケイブから放出されたヒュージの群れが真っ直ぐに向かってくる。
「ダウン7より全ユニットへ、ステルスモード解除! 誤射防止の為周辺リリィに位置情報を開示しなさい! 対ヒュージ戦用意! 近隣にケイブが開いてるわ。すぐに襲ってくるわよ!」
別荘地に3つものケイブが開いていると確認してからの判断は早かった。アイネの指示に従って全員がステルスモードを解除し、ロスヴァイセへ各々の現在位置を開示される。同時進行でUAVを操作したアイネが取得した情報をオープン回線を介して渚達とロスヴァイセへ送信する。
ラージ級20超、スモール級、ミドル級約120体。3つのケイブから送り込まれたヒュージの総数をそう算出し、初期情報として送り込んだアイネは、何かに気付いた渚に庇われる。暴風と共に別荘の屋根が吹き飛び、片腕だけが歪に膨れ上がったヒュージが姿を見せる。
覆い被さっていた渚は、腕を振り切る格好のヒュージを忌々しげに見上げると、アイネを抱き上げてその場から飛び退いた。ワンテンポ遅れ、ヒュージはハンマーの様に片腕を振り下ろし、跡形も無く別荘を粉砕した。発破された様に木片が吹き飛び、暴風が二人の体を嬲る。
『何だってんだ急に!』
交戦状態に入っているらしい真霜がワザとらしく通信を繋ぎ、暗に指示を乞うていた。渚に抱えられ、彼女と共に手近な木の上に陣取ったアイネは回避を彼女に任せて指示に集中する。
「ダウン7より全ユニット。周辺ターゲット殲滅後、綱代方面に向け、一時後退するわ!」
理由を説明する手間を省いたアイネは、この地形で戦う事の不利を十分に理解していた。ここは窪地であり、周囲を山に囲まれたこの地形では先と変わらずビーム兵器が使用出来ない為に基本白兵戦しか出来ず、平地に比べて殲滅速度が極端に落ちてしまう。その中で、殲滅速度を上回るペースで大群が押し寄せた場合、間違いなく包囲される。
単純に突破して離脱できればまだ良いが、群体によって2ヶ所しか無い外部への出口が塞がれた場合、離脱に時間がかかればヒュージに挟撃される。ロスヴァイセがどうかは知らないが、周囲に気を使った戦いでこちらはある程度消耗している。それを考慮すれば、個々のスペック頼みであまり無茶をさせるのは得策ではない。
(それに、対ヒュージ戦がここだけで済むとは思えないもの)
急激なケイブの展開は予想外とは言え、経験の無い事では無い。とは言え、今展開されるのはかなりマズい。運良く展開範囲がここだけで済めば良いが、優愛達の移動進路上までもが範囲内であった場合、3人の命が危ない。いくら身体強化が入っているとは言えど、人一人を背負う事の負担はかなり大きい。特に機動力が落ちるのは致命的だ。
最悪ここのヒュージの殲滅はロスヴァイセに任せ、優愛達との合流に向かう必要も出てくる。状況は見た目よりもより深刻になりかねない状態にあった。
「行くよ、アイネ」
通信機を介さず、そう呼びかけた渚は腕の中で頷いた彼女に微笑を返し、太い枝をへし折りながら高く跳躍。綱代方面の出口に向けて移動する道中、ある程度戦況を俯瞰しながらロスヴァイセの様子にも意識を向けていた。
如何に百合ヶ丘十三レギオンの一角と言えど、この状況で彼女達に銃口を向ける余裕は無いらしく、攻撃される事も、殺気が向けられる事も無かった。被害を免れた別荘の屋根に着地した渚は、マギに吸引され、進路を変えたヒュージの強襲を回避。空中で身を回すと別の家屋の屋根に着地し、そのまま跳躍する。
ターゲット殲滅と言いつつも、綱代方面の出口に一番遠いのは渚とアイネの2人で、他の面々は比較的近い地点で待機していた。下山をすぐに感知できる様に、と言うアイネの判断からだったが、思わぬ形で当ては外れる事になってしまった。
「ナギサ、後ろ!」
そんな事を思いつつ、着地体勢を取っていた渚は、アイネの叫びと共に真横を振り向く。彼女の目に飛び込んできたのは先のラージ級と同種の拳だった。横っ面への直撃する寸前、拳に背を向け、そのまま直撃を受けて吹き飛ばされる。アイネを庇い、旧道に叩き付けられた渚は、背骨が粉砕される程の衝撃で彼女を投げ出してしまう。
受け身を取ったアイネが顔面蒼白で駆け寄ってくるのを渚は制そうとしたが、大量に吐血し、肺にもダメージが入っていて思う様に声が出ずその場に崩れ落ちる。手にしたサクリファイスの効果で強制的に体は修復されていくが、その間にラージ級が迫っていた。ダジボーグを抜刀したアイネはシューティングモードに変形させたそれで牽制射撃を放ち、渚を抱えて逃げようとする。
だが、修復途中の体は背骨の修復が完全でなく、上下に千切れる激痛に襲われ、彼女の体に力が入らず崩れ落ちる。見ればラージ級の指揮によってミドル、スモール級が目の前に迫り、嬲り殺し寸前に追い込まれる。アイネ一人で追い払える量では無い。
「アイ……ネ、ここから、逃げろ……。多少、嬲られても、僕は……平気だから。その間に、オリヴィアを」
「バカ言わないで、ここに置いておける訳無いでしょ!?」
「良いから……」
修復途中で真っ直ぐ立つ事すら出来ない渚は、サクリファイスからの麻酔作用で動きのままならない体を使い、何とかアイネのくるぶしを押して逃げる様に促す。麻酔効果で体の感覚が消失している為に這う事すら出来ない渚は、ぼやけた視界にミドル級を捉える。せめて救援信号でも、と無い感覚でポーチに手を伸ばした彼女は、頭蓋を射抜かれ、絶命したそれに目を見開く。
外殻を叩き割られ、割れ目から青い体液を滴らせたそれは、銃創からワイヤー状の物体を伸ばしていた。若干の遊びを見せたそれは、数秒と経たずピンと張りつめ、ずるりと湿った音と共に、先端のブレードユニットを引き上げた。暴れ気味に巻き上げられていくブレードの先、見覚えのあるスカートを翻しながらアリスが着地する。
「お二人共ご無事で?」
固めの口調でそう言い、庇う様な動きを見せたアリスは、襲い掛かってくるミドル級2体を手にした長剣で切り裂く。その間に修復を終えた渚は荒く息を吐くと、サクリファイスを支えに立ち上がった。
「あ、ああ。何とか」
麻酔効果が抜けるにつれ、体の感覚がはっきりと戻り、渚の足取りも確かな物へ変わっていく。呼吸を整える彼女へ振り返ったアリスは、振り返った先、渚の体に何の傷も残っていない事に目を見開いた。
「あなた、強化リリィなの?」
「え? あ、まぁ……そんな所かな」
思わず口に出たアリスの疑問に、曖昧な返答を返した渚は、不審がる彼女から逃げる様に視線を逸らした。あからさまな反応をしたか、と内心冷や汗を掻く渚の背へアイネはぶつかる。そんな事を気にしてる場合か、と諫める様な態度に咳払いを返した渚は、サクリファイスを構えた。
「一先ず、ここを突破しましょう。ジャック1、バックアップは?」
「ジャック2を狙撃位置で待機させています。動き出せば、彼女は気付いてくれます」
「了解。では、ダウン6、ジャック1、先行。私は後を追うわ」
指示しつつ、後方の群れへと乱雑に銃撃を放ったアイネは、渚と共に前へ出たアリスに続き、走り出す。さらに渚よりも前へ出たアリスは、自身の複合武装型ユニークCHARM『アガートラーム』、その1ユニットであるガントレットを起動。右手に持った高周波ブレードと共にアガートラームを構成する左腕のガントレットからワイヤーブレードが射出され、襲い掛かろうとしたミドル級の胴体に突き刺さる。装甲の隙間を抜け、深く刺さったブレードが返しを展開、容易な引き抜きが不可能となるや、アリスはフレイルよろしくミドル級を振り回し、進路上のヒュージへ滅茶苦茶に叩きつける。
外殻をひび割らぜ、瀕死になったそれを、背後に追ってくるラージ級へ投じた彼女は、入れ替わる形で渚達を先へ行かせる。投じられたミドル級が打ち払われ、快音を鳴らす中、先行した渚は進路上のスモール級やミドル級を切り裂いていく。蹴りも併用し、有象無象である彼等を容易く切り伏せる中、人を模した様な姿のミドル級が襲い掛かる。
「ッ!」
掴まれる寸前に蹴り飛ばした渚は、腕を変形させ、突きの形で伸ばされた刃をサクリファイスで弾き逸らす。ミドル級は仕留め切れないと確信するや、そのまま鞭の様に振り回すも、彼女は再び弾き逸らした。その背後から数体、似た様な個体が迫り、渚の気が逸れた隙を逃さんとばかりにミドル級が五指を伸ばし、彼女の体を絡め捕ろうとする。
包み込む様な軌道を前に、バックステップで距離を取った渚は、収束し、突き刺す様に伸びてきたそれを寸でで回避、振り子の様に前へベクトルを変換し、ミドル級に切っ先を突き出して突撃する。脇から深々と突き刺した渚は、そのまま足蹴にして切っ先を引き抜き、ひらりと宙を舞う。急所を穿たれつつも、まだ息のあるそれは断末魔と言わんばかりに千切れかかっていた左腕を飛ばし、宙を舞っていた渚は目を見開きつつも、咄嗟に弾き飛ばす。
ダイヤモンドの様に硬化しているそれが宙を舞い、渚の体勢を崩したミドル級だったが、更なる悪足掻きとして右拳を放つ前に横合いから胸部を射抜かれた。一瞬の射線の先、背の高い巨木の枝葉からマズルフラッシュが数度瞬く。瞬間、点滅分の弾丸がその数だけミドル級の群れを射抜き、ガラス質な体組織が破砕音を伴って飛び散り、無力された彼等をその場に伏せさせた。
『ジャック2よりダウン6、7へ。そちらの姿は捕捉しております。急ぎ、こちらへ。背後のラージ級は姫さ……。んんっ、失礼しました。ジャック1が引き受けます』
「ダウン6よりジャック2。君の言葉を信用して良いかい?」
『[[rb:はい > ヤー]]。ジャック1の実力は私が保証いたします』
澄んだ声でそう返答するアンネリーゼに、了承を返した渚は狭い旧道を埋め尽くすミドル級の群れに目を向けた。視線を向けると同時、手前にいた1体が右腕を片刃の剣に変えて襲い掛かる。左の逆手にサクリファイスを握っている渚はスローモーションになった視界に、襲い掛かるミドル級を捉える。
ガラス質な体のミドル級が、駆け引きも何も無く大振りに右腕を振り上げる。明確な隙を見計らい、渚は赤と黒の飾り紐が巻きつけられたブラッドティアーズの柄を握り、一気に振り抜く。瞬間、渚の体から急速に吸い出されたマギが赤黒い瘴気となって斬撃の軌道に乗り、剣の間合いよりも遠くに放たれたそれが斬撃波となってミドル級を袈裟に切り裂く。
ガラス質に見合った硬度を持っていた筈の体は呆気無く吹き飛び、減衰しきらない斬撃波は進路上の対象を切り裂いて進む。瘴気を渦巻かせ、血の色に染まる刀身を振り切った渚は、激しく消耗しながらブラッドティアーズを血振りし、納刀した。赤黒い刀身が鞘に収まると同時、停止させられていたサクリファイスが再起動、消耗した体へ急速にマギを引き寄せ始める。
『進路クリア。さぁ、今の内に』
周辺監視に徹するアンネリーゼからの報告を受け、無理に立ち上がった渚は付いていけない体をよろめかせ、倒れかかる。咄嗟の支えとしてするりと間に入り込んだアイネは彼女の体を抱え上げ、離脱させるべくそのまま前へ体を蹴り出す。が、先天性の視力障碍により機動制御が苦手な彼女は、2人分の体重を抱えた事でバランスを崩し、彼女の体は渚を抱えている右へと傾いていく。
(しまっ……!)
機動制御に失敗した事を悟ったアイネは、カウンターウェイトとして咄嗟に逆方向にロールしようとするが、ロール量を誤り、自分が前へ倒れ込む様な形になり、つんのめった。体側を強かに打ち付けた彼女は、加速した勢いのまま、道路に擦り付けられ、激痛と共に擦れた制服がぼろ布に変貌していく。破れた繊維の合間、荒い舗装の道路に擦られた体側の手足は皮膚が剥かれており、剥離したアルファルト片の食い込みと合わせ、少なくない量の血が流れ出す。
呻き声と共に目尻に涙を滲ませたアイネは、荒い息を吐きながら体を起こそうとするが、激痛に屈し、再び地面に倒れ伏す。そんな彼女の様子に気付いた渚は膝立ちになり、彼女の様子を確認する。その間にも色褪せたアスファルトに、血が滲んでいき、激痛の反射でアイネの体は痙攣する。
(クソッ、出血範囲が広くて止血出来ない。担架を持ってる訳じゃないからこの状態で運ぶ訳にも行かないし……)
そう言い、極力患部へ触れない様に気を付けながら様子を見ていた渚は、ふとある事を思い付き、自身の手を見下ろす。もしかすれば、とそう思った彼女は、心の中で和美の姿を思い浮かべ、掌に念を集中させる。彼女の脳裏に暗いトンネルの様な空間が広がり、トンネルの外壁へ体を擦った様にノイズの様な酷い耳鳴りが耳朶を打ち、意識はトンネルの中を進んでいく。過去にサブスキルを行使した時と同じ感覚。
瞬間、渚の掌に力が灯り、恐る恐る患部へ近付けると、酷い怪我が嘘の様に修復されていく。否、正常な姿に巻き戻されていく。時間こそかかるものの修復の度合いは完全なもので、破れた制服すら皮膚ごと巻き戻されていく。レアスキル『Z』の低出力型、所謂サブスキルに相当する出力で渚のそれは実行されていく。
「ナ、ギサ……?」
痛みが嘘の様に消えていくのを感じているアイネが、怯えた様な目で渚を見上げる。足、腕、そのいずれの体側の状況は怪我を負うよりも前の状態に戻り、それを確認した彼女は、出力していたスキルを打ち消し、深い息を吐いてその場に座り込む。過集中による疲労感はすぐに消えたが、それでも思っていた事が上手くいった動揺は消えなかった。
自身が持つ特異なレアスキル『カオスティックトランサー』、その能力の一端。端的には個人が持つスキルのコピーだが、実際は関わる人間の魂を自分の中に取り入れる能力であり、肉体と強く結び付いている生者の魂においては、日常生活で放出され続ける残滓をその代わりとして取り入れていた。
4月末の結成以降、バニーチームとも交流を持っていた渚には、3か月の交流期間を以て出力可能になるだけの魂の残滓が蓄積されていた。だからこそ、世間の観測外である所のレアスキル『Z』のサブスキルを行使する事が可能だった。
「二人共、無事ですの!?」
激痛が失せたクリアな思考でアイネがその理屈を解するよりも前に、空からオリヴィアの大声が降り注ぐ。闇夜でも目を引く、毛量の多いブロンドカラーが降下と共にたなびき、気を使ってか珍しい軟着陸で彼女は着地する。左の逆手で持っていたティルフィングを右の順手から背中に回し、マウントした彼女は2人に手を貸す。体に異常が無い事を概観で判断した彼女は、呆れと安堵を織り交ぜた息を漏らす。
「全く。ジャック2からの情報を鵜呑みにして損しましたわ」
やれやれ、と首を振りながら半ばオーバーリアクション気味にそう言ったオリヴィアは、そんな態度を見せつつも内心では2人の様子がおかしい事に気付いていた。アンネリーゼからの情報だと、アイネは渚を庇う形で派手に転んで大怪我を負っていた筈だった。誤認情報だと言う可能性こそあるが、彼女達の様子を見たオリヴィアは、それが誤認だと言う事はあり得ないだろう、と結論していた。
彼女は見た限りをそのままきちんと伝えてくれた。私見も、先入観も無く、ただ事実だけを伝える。それが出来るのは、優秀なリリィ以前に優秀な人間とも言える。そんな閑話休題を浮かべていたオリヴィアは、お互いの距離感を掴みかねた様子の2人の頬を軽く摘まんだ。
「ほら、合流ポイントに急ぎますわよ。ジャック1の時間稼ぎも―――」
そう言いかけたオリヴィアの声が激震に阻害されて止まる。背後に目をやったオリヴィアは、背中のティルフィングに手を掛け、2人を背後に引き込んで庇う。2度目の激震と共に斬り飛ばされた生首がボールの様にバウンドし、旧道を破壊する。老朽化した道路に止めを刺し、砂煙を巻き上げたそれは、単眼を見開いたラージ級の物だった。まさか単独で、とそう思った彼女達は、砂煙に巻かれながら引き返してきたアリスと目が合う。
青い返り血を浴びつつも、それ以外には外観に目立った変化が無い彼女にオリヴィアは絶句していた。一方のアリスは手にした剣を血振りし、ガントレットに納刀してオリヴィア達と合流する。育ちの良さ気な見た目に反した実力を目の当たりにしたオリヴィアだったが、よくよく思えばウォーターシップダウンの面子もそんなリリィばかりだったと思い直し、アリスを出迎える。
「てっきり時間稼ぎをするものとばかり思ってましたわ」
「あの位なら朝飯前です。それよりも、お二人の容体は?」
「御覧の通り、ピンピンしてますわ。心配して損しました」
肩を竦めて見せたオリヴィアに苦笑を返したアリスは、胡乱げな目をアイネに向ける。アンネリーゼの一報は彼女の耳にも伝わっていた。だからこそ、急いでラージ級を仕留めたのだが、その間に彼女は回復していた、と言う。レアスキル『Z』でも無ければ、何事も無かったかのように回復する事など不可能だ、と彼女は思っていた。
彼女の傍にいたのは渚だ。とすればレアスキルを持っているのは彼女になるのだろうか、とアリスは内心で実用も兼ねた好奇心を膨らませた。
「ダウン6、あなた、Z持ちなんですね」
何と無くそう口にしてみたアリスは、予想に反して凍り付いた3人に眉をひそめる。如何にもな状況に、気付いたオリヴィアは咄嗟に誤魔化す様な声を上げて全員の気を逸らした。
「と、とりあえず、この場は急がないと戦線が持ちませんわよ!」
上ずった声でそう言うオリヴィアの先導に従い、アイネと渚が後を追っていく。それを呆然と見上げていたアリスは、呆れと入れ替わりに底知れぬ恐怖を沸き上がらせた。一体彼女は何者なのだろう、と。
ふと沸き上がる疑問に沈みかけた彼女は、監視を続けていたアンネリーゼの呼びかけに応じ、ミドル級の包囲を受ける前にその場を飛び去って行った。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
合流地点へ渚達が合流する頃には、通りの狭い地形を利用した詩季達によって何とかケイブから漏れ出たヒュージを撃退する事に成功していた。戦場が自分達のいる方にも拡大し始めている事を悟ったアイネは、早期に移動し、先行している優愛達への合流を目指す事にした。
詩季、真霜、麻衣の2人が先行する中、残りの5人は殿も兼ね、後を追う形で市街地を進んでいた。上空に偵察用のドローンを配置し、警戒を行う道中、列から少し距離を取ったアイネは渚に問いかける。
「ねぇ、ナギサ。さっきはありがとう。それで、あれもその、カオスティックトランサーの効果なの?」
「……ああ。和美からレアスキルをコピーした。サブスキル程度の出力でしかなかったけど、効果時間はサクリファイスを使って伸ばした」
事務的に回答した渚は、あまり話したくない、と珍しく態度で示し、顔を俯ける。気まずそうなアイネは数度迷った後に渚の腕を引き、縋る様に抱き着いた。尾を引く様な形で腕を引かれた渚は減速し、彼女の隣に並ぶ形を取る。
どうしたの、と問うまでも無く、横並びになった渚へアイネは口を開く。
「あなたは私を守る為にスキルを使ってくれた。なのに、どうして悲しい顔をしていたのの?」
あの時見せた彼女の怯えた様な目には、渚の顔は酷く悲しい表情が映っていたらしい。そう知るや、渚は誤魔化す為の言葉を探す。あの時自分は、誰とも違う魂と生き方を持っていると思い知らされ、そして、未だ人の形をした怪物では無いのか、とそう思っていた。
そんな本心を明かせば、アイネは悲しんでしまう。そう思うと、本心を明かす為の言葉を、渚は選べなかった。アイネの事を思えば、その感情に蓋をせざるを得なかった。
―――だから何時までも理解されないんだ。
心の片隅に、そんな思いがじわりと顔を出す。2年前と同じ様に、自分だけがその思いを持っていれば良い等と思っているから、だからこそ、アイネは自分に理想を抱く。本当はそうではない、人並みに扱って欲しいと言い出せなくなる。
(臆病なままだな、僕は)
アイネに嫌われたくない、幻滅されたくないその一心で、要らない虚勢を張る。彼女が思い描く自分自身に、無理にでも当てはまろうとする。だが、何の為に、だろうか。
「ナギサ……?」
俯いたまま、思慮を巡らせていた渚に、アイネが心配そうに呼びかける。ボーっとしていた自覚のあった渚は、謝罪と共に誤魔化し笑いを浮かべ、適当な言葉を並べて誤魔化して見せる。
そんな会話が耳に入り、背後を振り返ったオリヴィアは、心配そうなアイネへ困った様に笑う彼女を軽く睨んだ。
(あなたは、何も変わりませんわね)
大切な相手が傷付く事を恐れて一歩を踏み出せない。他でも無い自分自身が、何処か他人とは違うと自覚するからこそ、彼女は線引きされた心の先から前に進めない。それ以上前へ進めば、望まない形で相手を傷付けるかもしれない。否、それ以上に、今まで大切に思ってきた存在が、自分そのものを認めてくれないかもしれない、と。
それではすれ違い続けるだけだ。本心が分からなければお互いがお互いにして欲しい事は出来ないし、ただ誤り続けるだけだ。彼女達が本心を明かす為には、優しさは不要なものでしかない。そう思えても、オリヴィアには口を出す事は出来ない。
(私は恋破れ、あの子達の橋渡し役に徹すると誓った身。無粋な口出しはかえって亀裂を生みますわ)
渚にアイネを譲って以来、彼女達の間を取り持つ役割に徹してきたオリヴィアは、当然相談の中で彼女達がお互い明かしていない事情を知っているし、相手にまだ知られたくないからこそ自分に言ってきていると理解していた。それも含め、下手に口出しをすれば関係がこじれるばかりか彼女達と自分の信頼すら危うくなる。
未だにアイネへの未練が無いのかと問われるとあるのだが、だとしても略奪する様な真似はオリヴィアのプライドが許さなかった。付き合うのなら彼女達としっかり折り合いをつけて付き合いたい。だが、今、それは叶う事のない幻だ。だから、その分彼女達には幸せになって欲しいし、その為なら力を尽くそうと誓っている。
歯がゆい思いを抱くオリヴィアの対岸、アリスは余裕のある状況故に先の疑問を浮かべながら、渚達の方を見ていた。
(ナギサ……? もしかしてあのヒメガミナギサ? 妖刀使いの?)
2年前、甲州撤退戦の後処理の最中に発生した『シルト殺し』の主犯であり、処刑されたリリィの名だとアリスは思い出していた。学院からの発表を鵜呑みにし、死んだとばかり思っていたが、どうやら真実は違っていたらしい。何らかの理由で彼女は生きており、[[rb:ガーデン運用監査局 > エオストレ]]のリリィとなっていた。
であれば、先の彼女が使っていた得物は、噂に聞く妖刀とやらなのだろう。希望は残っていた。噂を聞き、一度で良いから実物を目にしたいと願った妖刀、そしてその使い手と自分は今、共闘の機会を得る事が出来ている。
(あの力が実用に足るのならば、報告に合ったアレも、きっと……)
イコールで無いにしろ、ある程度の性能を写し取っているのならば。そう内心で思った彼女は、先頭を行くアンネリーゼの様子を窺う。警戒と並行して、別働隊と連絡を取っていたアンネリーゼの声が、二重に聞こえるのをおかしく思いつつ、聞きに徹していた通信へ参加した。
『現在、予定通り7割を殲滅し、残りを後続に引き継ぎました。現在熱海拠点で補給中です』
「了解よ。ロジー、ちゃんと隊は引っ張れてる?」
『はい。と言っても、姫様とアンネリーゼ様が立てて下さったプランに従って、ですが』
「良いわね。今はそれで十分よ。レギオンの運用計画の立て方はまだ教えてない事だもの。不測の事態は?」
『メルヴィの機体にトラブルが起きた位でしょうか。タイミングが引継ぎの直前だったのでBZまで下げ、周辺の処理後は早期に撤退しましたが』
ロジーと呼んだ後輩からの報告に、アリスは満足そうな声で褒め、その上で状況確認を再開する。
「それで、今の状況について再度報告を」
『はい。メルヴィの機体を除くCHARMの消耗に関しては許容圏内。メルヴィのみ、予備のアステリオンに交換し、残りのメンバーはこのまま交換無しで戦闘を続行します。その他は……あ、姫様、こちら側にバレットが無いのですが』
「あ、ごめんなさい。私が持ったままこちらに来てしまってたわ。持ち込んだ予備はまだ二つあった筈だから、一つ持って行って良いわ」
『了解しました。報告は以上です』
「はい。じゃあ引き続き、皆の面倒見、よろしくね」
通信機のスイッチに手を掛けたアリスは、生真面目さが伺えるロジーの返答に苦笑で返し、スイッチを切った。手短とは言え、随分と話し込んだ節はある、と周りを見渡したアリスは、渚と目が合い、彼女の傍へ寄っていく。自己紹介がまだだった筈だ、とそんな真面目な事を思いつつ、歩く速度を落とした彼女は渚の隣に並ぶ。
おっかなびっくりの渚に手を差し出したアリスは、笑みと共に彼女を見据える。握手を求め、それを待つ様な素振りを見せるアリスに、ようやく意図を察した渚は差し出された手を握り返した。
「自己紹介が遅れました。ジャック1、アリス・ヴィクトリアです」
「ダウン6、姫神渚だよ。お礼を言うのが遅れてすまない、救援ありがとう。ヴィクトリアさん」
「私の事はアリスと呼んで下さい、ナギサ。しかし、かの有名な妖刀使いと共闘できるとは思ってもいませんでした」
「聞き覚えの無い二つ名だけど……。人違いじゃないかな。僕はほら、ただのしがないリリィだよ」
乾いた笑みを浮かべ、後頭を掻いた渚に微笑を返したアリスは、ふむ、と前置きをした上で口を開いた。
「甲州撤退戦」
そう、ぽつりと彼女は呟き、聞き逃す事の無かった渚達の体が一瞬硬直する。
「私とジャック2こと、アンネリーゼもその戦いに参加していました。まだ、雛鳥の様だった、私の大切な後輩達を守る為。そして異邦とは言え、リリィの使命として人々を守る為に」
「……それで? その甲州撤退戦と、妖刀使いが僕かもしれないと言う事に、何の関係が?」
「そうですね。甲州撤退戦の戦中、初代アールヴヘイムの陰に隠れつつも、たった二振りの第1世代で獅子奮迅の活躍をしたリリィがいたと聞きました。名はヒメガミナギサ。そして、彼女は禍々しい様相の得物を振るう姿から、『妖刀使い』、と呼ばれていたそうです」
顔を背けようとする渚を紛糾する様に、アリスは握手を交わす手を強める。逃げるな、と視線で圧をかけ、言葉を続ける。
「彼女が持っていた妖刀の色はそれぞれ赤と黒。ちょうど、あなたが持っているカタナと同じ色ですよね。それに、そうまでして必死になるその態度。体は言葉よりも正直を体現しているかの様ですよ」
理詰めで迫るアリスの圧に圧されつつある渚は、粘る様な汗を掻きつつ、彼女の対岸に位置するアイネに視線を向けた。助け舟を期待したそれに、拗ね気味なアイネの姿が映り、目に入れた渚が一瞬硬直する。一見すれば美少女に挟まれる形の渚だったが、実情としては対外に認めたくない事実の認知を迫られていた。
アリスの圧は、要するに自分が死人である事を認めろ、と言う事に過ぎない。素直に認め、その事実を彼女が公表してしまうと、ただでさえ危うい南関東のガーデンにおける政治的なパワーバランスが一気に崩壊する。身から出た錆とは言え、百合ヶ丘の権威が失墜すれば親G.E.H.E.N.A.派が一気に活気付き、対ヒュージ防衛のイニシアチブは彼等の元に行くだろう。
無法のロクデナシ同士が睨み合い、均衡を保ち続けているこの状況こそが政府関係者達には好ましく、それが崩れるのは誰も望んでいない。葛藤する渚の目を見たアリスは、微笑の形を崩し、安心感を与える様な、朗らかな笑みに変えた。
「安心して下さい。ここで聞いた事はジャック2を含め、口外しませんから。私がこう問いかけるのは、そう。ヒメガミナギサさん、あなたの事を知りたいからです」
笑みを崩さずにそう言ったアリスに、歯を噛んだ渚はアイネとオリヴィアを交互に見ると観念した様に口を開いた。
「ああ。僕がその、『妖刀使い』だ。とうの昔に捨てた名、だったけどね」
苦々しい表情と共に、渚は左腰に下げたアーヴィングカスタムを握り締める。称賛としてつけられた筈のその二つ名は、今の彼女にとって義妹殺しを象徴する、呪いだった。苦々しい顔の彼女とは対照的に、表情をより華やがせたアリスは嬉しそうに渚の顔を凝視する。
有名人でも見た様なそんな顔の彼女から目を逸らした渚に代わり、アイネが食って掛かる。
「ねぇ。あなた、さっきから何のつもり? どうして渚に『妖刀使い』を認めさせたの? 一体、何が目的なの?」
畳みかける様な問いをするアイネに、柔和な笑みを返したアリスは、ふむ、とわざとらしく前置きをし、思慮を巡らせた様な間を置いて話を切り出す。
「私は『妖刀使い』に会いたかっただけです。それ以上でも、以下でもありません。あなた方に不利益をもたらそうと言う意図はありませんよ」
ただそれだけだ、と態度で示したアリスの意図を汲み切れなかったアイネは訝しみの態度を崩さない。それ以外の目的があるだろう、と目線で告げた彼女に、肩を竦めたアリスは観念した様に話を続ける。
「本当に他意は無いです。私はただ、かつて甲州撤退戦で活躍した『妖刀使い』の実力を見たいだけで。しつこく迫ってしまったのも、自分の確証が間違いで無かったと確認したかった為です」
そう言い切り、これ以上出るものは無い、とアイネを見据えたアリスは、敵意を隠さない彼女へただ微笑を返すだけに留めていた。睨んでもこれ以上何も無いぞ、と視線で言い返した彼女の牽制合戦は、視界を塞ぐ様に前へ出た渚の介入で終幕した。
見かねてそうした渚は、少し熱を帯びたアリスの視線を無視し、無言の圧をアイネにかけた。今、こうして対立しあう事は好ましくない、そう視線で告げていた彼女に諭され、アイネは素直に引き下がる。
「申し訳無い、アリスさん。不快な思いをさせてしまって」
「いえ。お気遣い無く。こちらこそ私欲にかまけ、不躾な真似をしてしまいましたから」
視線を合わせずそう言った渚へ、微笑を返したアリスは、無言の彼女の表情を窺う。俯き気味な渚の横顔には悲哀と取れる表情を浮かんでおり、不躾に内面に踏み込まれたにも拘らず、怒りでは無くそれが表に出てくる事に、アリスは内心困惑した。
それも当然で、只の第三者である所の彼女には、渚にとっての『妖刀使い』が何を意味するものであるのか、推して図る事すら出来なかった。最も、その得体の知れなささはアリスにより興味を引かせる結果に繋がるのだが。
そうして訪れた沈黙が暫しその空間を支配し、そんな空気に中てられたオリヴィアは、アンネリーゼと並んで歩きながら居たたまれない気持ちになっていた。
(ここまでくると可哀想ですわね……)
憐れみと共に背後を振り返った彼女は、真っ青になった渚の顔を見てその色が移って来る様な錯覚を覚えていた。アリスが抉った心の傷は、誰も癒す事の出来なかった大きな傷。元々飛び越えていた殺人と言う名の境界線の向こうに、自分が慈しんでいた義妹を放り込んでしまったその事実を抉られれば、渚の心から余裕と言う代は一切消え失せる。
折角、アイネとの隔たりを超える勇気を見せていたにも関わらず、傷を抉られた事で、その勇気は消え失せ、その代わり、傷を抑える為の余裕の確保に手間を取られる形になった。
沈黙を保ったまま歩く彼女達へ、冷水を浴びせる様に緊急通信が開かれる。沈み込んだままの3人に代わり、いの一番に受けたオリヴィアは、隊の最先方である優愛の余裕の無い言葉を受け取った。
『ダウン4より全ユニットへ、近隣にケイブ反応検知!』
『こちらダウン5、了解しました。進行速度を上げ、急ぎそちらに合流します。ヒュージの総数は?』
『スモール、ミドル混成で約30。追加、ラージ1。こちら、移動の消耗があり少し厳しいかもしれません』
レーダー図と共に送信してきた優愛に応じた詩季達のシグナルがぐんと加速し、優愛達のいる場所へと向かっていく。最後尾の自分達も急がねば、と音頭を取るべく背後を振り返ったオリヴィアは、強く見返してくるアリスを他所に、立ち直り切れていない渚と彼女にしがみつくアイネに歯を噛んだ。
今ウジウジとしている場合では無い、とそう言いかけたオリヴィアの肩を叩いたアリスは、アイコンタクトを交わした後、アンネリーゼと共に高く跳躍していった。先に行く、と言う連絡と共に、彼女達を必ず連れて来い、と脅迫気味のニュアンスも加わった視線。
好き勝手に言ってくれる、と内心ムッとした彼女は、跳躍の衝撃波で顔を上げた渚達に呼びかけ、アリス達の後を追う様に跳躍した。