討伐後、アリスの先導で熱海基地へと撤退したアイネは、医療棟の一角で眠ったままの渚を見下ろしていた。ブラッドティアーズからのバックファイアにより損壊していた肉体は和美の応急処置で完治したが、得物が強いた激しいマギの消耗の影響までは治せず、渚は意識を失っていた。
事後処理を優愛に任せていたアイネは、一人渚の傍で彼女の手を取り、延々とマギ供給を続けていた。正負を織り交ぜて互いに共有するマギ交感と違い、送るマギに対して渚から返ってくるマギの感触は無い。それは、ギガント級を葬ったあの一撃で、全てのマギを出し尽くした事の証明に他ならなかった。
「渚……」
一歩間違えれば死んでいたかもしれないそんな状況を知っていて、彼女はそれを選んだ。自分の命など惜しくは無い、とそう言うかの様に。今の渚にとっては、死を強いる選択を前にしても尚、誰の顔も過ぎりはしないのだろう。今のままではきっと、誰も彼女の自己犠牲に歯止めをかける事は出来ない。そう、彼女を強く想う自分でさえも。
空白の一年間、それが渚の心に濃い影を落とした。無限とも言える数の自問自答と戦場での精神摩耗を経て、彼女の心は異常な程の自己犠牲に支配されたのかもしれない。簡単に人を殺せる自分に、人とは違う
だが、それでも、それが彼女を作り上げるのだとすれば、自分はそれを理解したい。知りたい。姫神渚がアイネ・クラウンベックを最大の理解者だと、そう思ってもらえる様に。もし、彼女が本当に人の姿をした異形だとしても、それでも自分は彼女を愛していたいのだから。
そう内心で誓い、祈りを捧げる様にマギ供給をしていたアイネは、不意に鳴った足音に顔を上げた。硬質なトレッキングシューズの足音は百合ヶ丘が標準とする靴の音では無く、聞き馴染んだ身内の物だ、とそう思い、彼女は顔を上げた。
「あっ、すいません。お疲れの所」
ばつの悪そうな苦笑顔の優愛が視線を彷徨わせ、続ける言葉に迷っていた。大方眠っていたのだと勘違いしていたらしい彼女に、思わず笑みが零れる。余計な気遣いまでしてしまうのは、優愛の相も変わらない所だ。
思い詰めていた目は眠気とは無縁で、本来なら何も移す事の無い白内障の目を優愛に向け、笑って見せた。
「良いわよ。眠って訳じゃないから。それで、報告に来てくれたのね?」
「はい。例の百合丘のリリィ2名については無事、処置が完了しました。学院に搬送されはしますが、大事に至る可能性は限りなく低いとの事です」
「そう、良かった」
薄く笑うアイネの対岸、手近な丸椅子に座った優愛は深く息をして、話を切り出した。
「……その、アーヴィングカスタムの件なんですけど。やはり皆さん気にされてまして。特に、和美さんが。CHARMがここまでリリィにダメージを与えた例は無い、と」
「そうでしょうね。まぁ、今まで渚の意向を尊重して追及はしなかったけど、今回の件を鑑みれば、このまま彼女の意向を尊重し続けるのは難しいわね」
「はい。それと、渚さんの容体と主要因については、私と和美さんで監査官に報告しました。すいません、事後報告になってしまって」
浅く頭を下げる優愛に、渚を挟んだ対岸のアイネは苦笑を返す。
「いいえ。気にしないで頂戴。むしろ謝るのは私の方よ。私の我がままで一切の指揮を放棄してここにいる訳だし」
敢えて罪悪感は表に出さず、軽い口調でアイネはそう言い、気まずそうに顔を俯けた。事情があるとは言え、指揮を放棄して優愛に任せきりにしているのは事実だ。本来なら監査官から職務放棄についての厳しい叱責を受けてもおかしくは無い。
「それで、監査官は何て?」
「アイネさんの指揮放棄については組織が回ってるなら問題は無い。が、懲罰無しは今回だけ、だそうです。それと、アーヴィングカスタムの件については黒木さんが情報を持っている筈から問い合わせる、と」
「フアナが? どうして?」
「実は黒木さんもアーヴィングカスタムの所有者だったそうで、派遣時の携行CHARMのリストに、渚さんの物とは別のアーヴィングカスタムの名前が記載されてたそうです。それと、彼女は現在ルドビックラボのインターン生であり、妖刀の構造解析についても許可を得ていたとか」
「ああ。だから渚にあんな物を渡せたのね」
1か月前の偵察任務中の事を思い出したアイネは、冨亜奈が渡してきたとされる『|妖刀の機能を組み込んだヨートゥンシュベルト《アーヴィングカスタムもどき》』の事を思い出していた。
『空中楼閣』と名付けられたそれは簡易版とも言えるほど粗末であったが、そもそも百合ヶ丘の工廠科ですら解析できなかった物を複製出来ているのは、その内部構造を知り尽くしている証明に他ならないだろう。
そう思えば合点がいく、とアイネは小さく声を出す。
そう言えば、とアイネは冨亜奈がペラギクスに居なかった事を思い出す。一応派遣された外部の人間である彼女は、機密性の高い今回の作戦には一切の参加が許されなかった。準備期間を含め約3か月ほど。『空中楼閣』の提供を除けば、その間、彼女は監査局に対して何の関わりもしていなかった事になる。その間、相当な暇を持て余していた事は想像に難く無かったが、意外にも彼女は何のアクションもしてこなかった。
イタズラの予防策で冨亜奈からの通信を一方的に遮断したとも聞いていなかったアイネは、今彼女は何処にいるのだろう、と不意に疑問を抱いた。その意図を組んだ優愛は、他愛の無い会話と言う体で話題に出した。
「ところで監査官が言ってたんですけど、冨亜奈さんは今ルドビックラボに戻られてるそうです。何でも、しばらく出番が無いから戻ってもらったそうです」
「まぁ、さもありなんって所ね。だいたい何でルド女の研究員をアーセナルとして迎え入れる必要があったのかしらね。政治的な理由かしら」
「そう言う事じゃないですかねぇ」
いつも通りの温厚な笑みを浮かべた優愛に、笑い返したアイネは、そんな雰囲気へ水を差す様に病室に現れた3人の百合ヶ丘の制服姿に気付いた。前の人物は丸腰だが、後の2人はそれぞれアステリオンを持っている。遅れて気付いた優愛が振り返り様、アイネを庇う様に立ち上がり、腰の拳銃型のアンチヒュージウェポンを抜く。もしもの時は、と身構えた優愛は、視線で牽制しつつグリップに両手を添えた。
「随分な挨拶ね。アイネ、優愛」
親しげにそう呼んだ最前列の人物、
―――ブリュンヒルデ。
百合ヶ丘に属するリリィの最高司令官であり、『シルト殺し』事件の折、優愛達アッシュチームに辛酸を舐めさせた役職。彼女は今その立場として、眼前に立っている。
そして、百合ヶ丘を代表するその肩書を背負う彼女が、何の意図でここにいるのかも推測が付いていた。
「ガーデン運用監査局として警告します。こちらは監査官より自己判断での自衛行為が許されています。出江さん、いくらあなたが相手でもこちらは引き金を引きます。それ以上近付かないで下さい」
「用件も聞かずに威嚇行為? 大人しかったあなたが、随分と不躾になったわね」
「大方上層部の意向でこちらを拘束しようとしているのでしょう? 手の内は読めているんです。繰り返します。これ以上接近しないで下さい!」
病室と言う事こそ忘れなかったが、立場の保持の為に声を張った優愛は、トリガーガードに這わせていた指を引き金に掛ける。ぴく、と眉を動かした史房に、ブラフが正解だった事を悟った優愛は乱れかかった呼吸を整えて照準する。
しびれを切らしたリリィの一人が前へ出ようとした瞬間、銃口を向けた優愛は躊躇なくトリガーを引いた。咄嗟にアステリオンで防いだリリィが驚愕する中、彼女が下がるまで優愛は撃ち続ける。スライドが開き、手慣れた動きでリロードした彼女は、周囲に照準を巡らせる。
「ハッタリでは無いと分かって頂けましたか?」
冷えた語調でそう言い、史房の胸部を照準した優愛は、諸手を上げた彼女にここから出て行く様にハンドサインを出す。だが、対する史房も立場上退く訳にも行かず、お互いに一触即発の雰囲気が漂う。
冷え切った空気感の中、不意に渚が目を覚ます。
呻き声を上げ、体を起こした彼女は激しい頭痛を感じ、額を抑える。瞬間、酷い耳鳴りと共に視界が白と赤に明滅し、白い生者の世界と赤い死者の世界を交互に見る。赤い世界に、死んだ姿そのままのリリィ達が映り込む。この世に残った残滓である所の彼女達はその場に固定され、身動きすらせず、その世界の異物である渚を凝視していた。
生気の無い、まさに死んだ人間の目に射竦められた渚は不意を打つ様に背後から抱き竦められる。恐る恐る振り返った先、血染めのドレスに身を包んだマリアが彼女の頬にキスをした。
『今日は楽しかったよ、御姉様。私の出番は無かったけど、御姉様達が協力して戦ってるの、凄くワクワクした。またやってね』
すりすりと頬擦りをしてくるマリアに渚が触れると水面を弾いた様に彼女の姿が消え、同時に赤い世界も消え失せる。彼女を苛ませていた激しい頭痛は嘘の様に消え、そして耳鳴りも消え失せていた。赤い世界でマリアに触れていた筈の手は宙を掻いており、そんな所作の渚をアイネが唖然とした表情で見ていた。
「ナギサ……? 何、してたの?」
動揺するアイネを前にした渚は、どう誤魔化すべきか迷い、目を泳がせる。まさか、死人の世界でマリアと話していたとは言えず、一時的な夢遊病と誤魔化すべきか、と彼女は迷う。だが、アイネにそんな稚拙なごまかしが通じるとは思えない。じっとりとした汗を掻く渚は、逃げる様に彷徨わせた視線に見知った顔を入れる。
アイネと同じく動揺している史房と目が合った渚は、まるで鏡写しの様に目を見開いた。
「な、渚? あなた、死んだ筈じゃ」
死人を前にした史房の動揺を浴び、居たたまれなくなった渚は溜まらず視線を逸らす。アリスはともかく、出江史房は甲州撤退戦の前後で何度か面識があり、体術の面で相談を受けた事もあった、少なからぬ縁のあるリリィの一人だ。
だからこそ、動揺も一入だろう。折り合いを付けた筈の人間が、生きて目の前にいるのだから。背後で待機するリリィ達を他所に、史房は渚を睨み付けた。姿形をまねた別人では無いか、と至極真っ当な意図の視線を浴び、思わず苦笑を漏らした渚は、ベッドから降りる素振りを見せる。
「動くな! あなた、何者なの!? どうして彼女の姿を―――」
「その質問に、答える義務は無い」
そう言い、立ち上がった渚は、テーブルに並べられたアーヴィングカスタムとアンチヒュージウェポンを手に取り、腰に取り付けた。答えればどうなるか、それが分からない彼女では無い。戸惑うアイネの手を引き、退室の動きを取ろうとした渚はあくまでも引く姿勢を見せない史房を前に足を止めた。1年もの間、死者として世間と切り離されてきた渚は、彼女が百合ヶ丘の
立場を背負う彼女の事情など知らないが故に、渚は簡単に敵意を向けられた。
不当に拘束される危険性を孕んだ現状において、それは正しい行動ではあるのだが同時に百合ヶ丘との全面戦争の危険性を孕んでもいた。アイネと優愛を後ろに庇い、サクリファイスの鯉口を切った渚は、固唾を呑む史房とその取り巻きへ刃の様に鋭い視線を向ける。少しでも手を出せば斬る、と言わんばかりの殺気を出し、彼女達を牽制する。
「待って!」
険悪な雰囲気を断ち切る様に、出口からアリスが駆け寄ってくる。史房の背後にいたリリィを避け、一息に駆け寄った彼女は、まるでボクシングのレフェリーの様な振る舞いで、彼女達を諫めた。
「待って、二人共。この場はお互いに引きましょう。でなければ無用な血が流れるだけ。お互いに得する事は何も無いわ」
真に迫った表情で、彼女達を交互に見たアリスに仮初の笑みだけを浮かべた渚は、鯉口を切ったサクリファイスから手を放し、肩を竦めて見せる。
「彼女達が僕らの撤退を邪魔しなければ、手は出さないさ」
手出ししない条件を提示し、史房とその取り巻きへ殺気立った目を向けた渚に、アリスは背筋を凍らせる。温厚とも言える彼女が見せる悍ましいまでの殺気は、気の弱い人間ならば浴びるだけで卒倒する程に強烈だった。否、過剰に威嚇する事で先手を打たせ、攻撃口実を得ようとしているのかもしれない、と彼女の冷静な部分がそう推測する。
実際、史房の取り巻き達は渚に対して飛び出しそうな予兆を見せていた。対ヒュージ戦で培った勘が、ここに来て仇になりつつある。恐怖からの防衛本能に近いその一線を越えていないのは史房がそれ以上に抑えているおかげだ。
「史房。彼女達の条件を呑み、ここは引いて」
「申し訳ないけど、アリス、これは学院からの命令です。あなたの頼みとは言え、ここで引く訳にはいきません」
「……史房。これはお願いじゃないの。警告よ。彼女の手にかかればあなた達は確実に死に、そしてこの熱海基地にいるリリィ全員が死ぬわ。彼女は一切の容赦をしない。命乞いも、何も、彼女には通用しない。あなたの一存で、ここにいる百合丘のリリィは全員死ぬ事になるわ。冗談じゃない、本当よ」
焦りからか、早巻きに耳打ちしたアリスに胡乱げな目を向けた史房は、力強い視線で見返す彼女へ溜め息を返した。
「分かりました。アリス・ヴィクトリアの判断を聞き入れ、この場は見逃します。行きなさい」
そう言い、進路を開けた史房は、先までの視線が嘘の様に人懐っこく笑った渚を睨む。取り巻きに包囲の解除通知を依頼した彼女を他所に、アリスは殿についた渚を見送る。史房を警戒する彼女の姿が見えなくなると共に胸を撫で下ろし、睨みつけてくる史房へ悪戯っぽい笑みを向けた。
取り巻きが去っていく中、医務室で二人きりになった史房は、ニコニコと笑い続けるアリスを見下ろす。
「アリス、上層部の意向を捻じ曲げさせたあなたへの処罰は重いわよ」
「はいはい。せいぜい楽しみにしておくわ。……命拾いさせた貸しの分は、そこにツケておいてくれても構わないわよ?」
「最少額で見積もらせてもらうわ。でも、ありがとう」
そう言い、史房はその場を後にする。コツコツとブーツの硬い足音を鳴らして去っていく彼女を、笑って見送ったアリスは足音が遠のくと共に笑みを吹き消した。あの時、姫神渚、と言うリリィが見せた目は間違いなく、その場に居る障害全てを消し去る覚悟のそれだった。一度でも引き金が引かれれば、放たれた弾丸の如く姫神渚は立ち塞がる障害を全て斬り殺していただろう。
否、彼女だけに限らない、ウォーターシップダウンと言うレギオンそのものが自己防衛の名の元に軛を放たれ、障害を排除する殺人マシンとして機能し得る。彼女達がどんな踏ん切りの着け方をしたのは不明だが、一度決めた彼女達の意思の強さは並大抵のものでは無い。殺せと言われれば殺す。自分の身を最優先にしろ、と言われれば、その行動がどんな結末を繋がろうとも自分の身を最優先にする。
彼女達の精神性は、至って歪だ。まるで機械の様に、命じられた事をこなしていく。無論彼女達には、何かへの情もあれば、個人の意思も存在する。だが、それとは別に切り離された部分があって、それが彼女達を機械的な何かだと錯覚させている。
だが、そんなパーソナリティの共通項についての哲学は彼女にとって本題では無かった。今回の同行を経て彼女達の精神性を悟り、アリスは一つの結論を得ていた。
(……一先ず、ブリーフィングに出なきゃ)
その結論を言葉にするのは、まだ気が早い話だ。そう思い、アリスはもうすぐ帰ってくるであろう可愛い後輩達の出迎えに足を向けた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
―――駐日米海軍所有原子力空母『CVN-206 ペラギクス』艦内ブリーフィングルーム
あの後、無事回収された渚達は、顔をしかめる程のヤニ臭さを纏った真波を前に置き、デブリーフィングを受けていた。
「総員、ご苦労だった。とんでもない番狂わせを食らいつつも、全員が無事に帰って来れた事を幸運に思う」
抑揚の無い声でそう言いながらも、疲労の窺える目の奥には安堵の色が見え、それを悟った渚は隊を代表して彼女に苦笑を返す。艦内設置の日本標準時計の時刻は午前6時近く。渚が昏倒していた時間を除けば、凡そ5時間近い作戦時間だった事になる。
「諸君らが時間をかけてくれたおかげで、私も書類仕事が進んだ。お前らの申請の殆どにもじっくり目を通す余裕さえあったよ」
当初の終了予定から4時間以上上乗せされた作戦時間をそう皮肉りつつも、内心で真波は心配していた事を敏い渚達は汲み取っていた。最も、目に見える位、過度に心配されても困るのは事実ではあるが。
さて、と一呼吸置き、真波はペラギクス添え付けのプロジェクターを操作する。彼女の端末と同期したそれに、高松咬月、及び高松祇恵良両名の顔写真が表示される。
「先刻、百合ヶ丘女学院上層部より、こちらへ抗議文が送り付けられてきた。内容は特別任務妨害の件と、ノインヴェルト戦術で生み出された地形被害の件、それと事情聴収への拒否についてだ。まぁ、これに関してお前達が関与する必要はない。ここは大人の領域だ。とは言え、情報共有くらいはして置かんとな」
そう言い、真波は属する強襲捜査課の更に親、統合監査本部の名義で返信された各抗議についての回答を表示する。
1件目、特別任務については該当する任務が防衛省などの関係各所に届けられていない為、該当任務についての問い合わせ文を送信したが、現在も無視されている旨が記載されていた。
2件目、ノインヴェルト戦術での被害については緊急性があり、且つ攻撃後の被害状況については廃棄区画である事を理由に妥当性に問題が無いと結論し、返信した。
3件目、事情聴収への拒否については、こちらから情報開示について許可を出していなかった事を記入、加えて半ば強引な同行を求めた事への抗議を添付し、送信したが、返信は無いとの事だった。
「こちらから回答した抗議については以上だ。まぁ、当面の作戦目標はクリア。
そう言い、デブリーフィングの終了を告げた真波は、端末とプロジェクターの接続を切りつつ、話題を切り替えた。
「それと、本部に戻り次第、お前等に夏季休暇をやる。ここの所働かせ過ぎたんでな。遊ぶなり、寝るなり、好きにしろ。緊急招集でも出さん限り、その間は働かんで良いぞ」
しれっと言った真波に、渚達はきょとんとした顔を向ける。意外だ、と言うよりも、急に言われても困る、と言いたげな顔だったのに、真波は思わず半目になる。特段、真波とて実情と乖離した休みを与える事には乗り気では無かったが、組織運用上と子どもを働かせ過ぎる事による世論の反発を警戒した上層部からの命令と言う致し方の無い事情があった。
休暇を与えると言ってはみたものの、実際には取ってもらわないと困る、と言う状態だ。対外アピールに終始すると言えば見聞は悪いだろうが、そうでもしないと面倒な連中が騒ぎ立てる以上、致し方の無い処置だった。
「まぁ良い。どの道、貴様らには休みを取ってもらう。拒否権は無い」
ため息交じりにそう言った真波は、話が終わったと見た渚が大きく伸びをしながら去っていくまで待った。優愛、アイネ、和美を除いた面々も戦後のストレスとも合わせ、余程疲れたのか、ふらふらと覚束無い足取りで渚の後を追っていく。
彼女達の姿が見えなくなるまで待ち、一息ついた真波は居残った面々に向け、話を切り出す。
「姫神のCHARM、アーヴィングカスタムとか言ったか。その件、報告ご苦労だった。それで、お前達が戻ってくるまでの間に黒木に確認した。しかし、彼女も姫神の持っているアーヴィングカスタムについては詳細な情報を持っていないらしいが、アーヴィングカスタムの基本構造はどれも変わらない筈とも回答してくれた」
「その回答をした、と言う事は今回姫神さんが受けたバックファイアはそこに起因する、と?」
「黒木の言い分を鵜呑みにするならばそうだろうな。だが、アイツは肝心な構造については情報開示を拒否した。何でも、契約上の問題だそうだ」
呆れるでも無く、納得した様な顔で真波は告げ、ポーカーフェイスで不信感を覆っていた和美が同調する素振りを見せつつ、話を切り返す。
「監査官の交渉手腕でどうにか出来ないんですか?」
「私も交渉なり何なりで情報を手に入れたい所だったんだがな。黒木曰く内部構造の設計データはG.E.H.E.N.A.の管理する情報でも相当高位であり、開示請求するには彼等の運用母体と額を合わせなければならないそうだ」
「ああ、なるほど。それは確かに無理にでも納得せざるを得ない状況ですね」
くすくすと笑った和美は、残る二人共々、真波の言葉が意味する所を理解していた。アーヴィングカスタムの情報はG.E.H.E.N.A.内でも相当厳重に保管されており、開示請求は日本支部所では無く運営母体の方へと出す必要があり、下手を打てば痛手を食らわされる危険性を考えると、ただの好奇心で手を出すには割に合わない。
粋がって藪へ手を突っ込むよりも、そう言う物と心得、大人しく溜飲を下す方が、様々な観点から見て正しい判断である事は火を見るよりも明らかだった。
「結局、真相は闇の中、ですか」と、そう言いながらアイネは顎に手を当てる。
次の手としては渚に聞くしかないのだが、今まで詳細を話す事を嫌がっていた彼女がどんな理由を突き出されたとしても、素直に口を開くとは思えない。自白剤でも持ち出すか、と冗談めかして和美は言うが、信頼関係を崩してでも得る必要がある様な重要かつ緊急性のある内容でも無い。最悪分からなくても構いはしないが、今回の様な使用する事でのバックファイアのリスクを避ける為、より攻撃の主軸に置けなくなるだけだ。
加えて、得体のしれない物をそのまま身内に置いておくのは、アイネと真波にとっては少々気分が悪く、明かせるものなら明かしておきたいのが心情であった。
「まぁ、一先ず内部構造についての情報取得については統合監査本部へ上申しておく。情報共有については以上だ。また何か分かれば呼び出す」
これ以上彼女達を留めておいても、先に進まない、と内心で結論付けた真波は、気だるげに命令しつつ、部屋から追い出しにかかる。割り当ての待機室へ移動する様に告げ、一人甲板へと上がった彼女は、朝焼けを望める相模湾の向こう、巨大な竜巻の様な風体のネストを睨む。現役時代には終ぞ成す術の無かった怪物共の巣穴は、巻き上げる暗雲と共に今や風景の一部と捉えても良い程、永く相模湾を支配していた。
忌々しい戦いの象徴を遠目に見つつ、真波は懐からシガレットを取り出し、愛用のライターで火を点けた。まだ薄暗い甲板上で、淡い光が彼女を照らし、紙巻の先端がじんわりと赤熱化する。緩やかな点火と共に紫煙が立ち上ると、それを肺に取り入れ、入り切らなかった物を空に放った。
ゆらゆらと紫煙が海風に乗って去っていく中、転落防止柵に凭れ掛かった真波は、付け加える様に冨亜奈が連絡してきた内容を思い出す。
(アーヴィングカスタムのデータが流出した可能性、ね)
G.E.H.E.N.A.上層部が冨亜奈を介し、伝達してきた情報だ。何でも、開発元が間借りしていたラボがLGロスヴァイセに襲撃された際に起きた事案らしく、冨亜奈曰く、上層部から監査局にも伝える様、命じられたらしい。恐らくはこちらに流出の件についての尻拭いを任せたい、と言う意図で情報共有をしてきたのだろう。アーヴィングカスタムの所有者を擁する
(全く、面倒を押し付けてくれる)
あのノインヴェルト戦術で見せた攻撃力を鵜呑みにするならば、戦術級の破壊力を持つCHARMが技術流出した事になる。関東エリアを含めた日本国をヒュージとは別の脅威に曝したくなければ、この件を早期に解決しろ、とそう言いたいのだろう事は誰の目にも明らかだった。全く図々しい話だ、とそう思いつつも、真波はそう言った手を取らざるを得なかった事情を察していた。
推測だが、百合ヶ丘を始めとする反対派に嗅ぎ付かれる事を警戒しての事だろう。下手に組織を動かせば、恐ろしく鼻の利く反対派の連中はすぐに行動を察知する。強化リリィや人造ヒュージの類ならともかく、今回は戦術級の脅威評価が出せるブーステッドCHARMのデータだ。流出先から強奪されれば間違いなく複製され、対G.E.H.E.N.A.戦に投入されるだろう。そうなれば対ヒュージ戦どころの話では無くなり、一種の与太話とされていた筈のリリィ脅威論が現実味を帯び、再び蒸し返される事になる。
現実味を帯びた脅威論が一気に広まれば、管理に置きたがる政府と反発するガーデンとの間で対立が起こるだろう。それは少女達の命の上に出来上がった仮初の平和が大人の功名心によって破壊される事を意味する。怪物から人々を守る為に命を賭してきた少女達の誇りが、そんな形で破壊される事は避けなければならない。
「複製データの破棄、および管理外で研究開発されている全てのアーヴィングカスタムの破壊、か」
難しい注文だな、と、端末に表示された依頼文を睨み付け、真波は紫煙を吐き出す。テクノロジーの進歩が数歩下がったとは言え、複製された情報を追跡し、破棄する事は容易な事では無い。追いかけ、見つけだす間に更に複製される事もあり得るし、その間に作られたアーヴィングカスタムが悲劇を生まないとも限らない。
加えて、現状誰が盗んだのかすら分からない状態だ。さしもの真波達とてノーヒントで犯人捜しは出来ない。だが、やらない訳にはいかない。
自分達がやらなければ、より多くの悲劇が生まれるかもしれないのだから。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
1週間後の深夜。アンネリーゼと共に、レギオン待機室にてアリスはPCを介しての通話を開いていた。電話の先は、東京エリアのガーデンへ疎開した同級生だった。とは言え、彼女達の口調からはフランクさは無く、責務を全うせんとする非常に硬いものだった。
「では、予定通りアーヴィングカスタムの情報に関する定期報告会を実施します。先ずはルドビコから」
『ルドビコ女学院のメアリーです。こちらではアーヴィングカスタムに関連する情報は入手できませんでした。……別件ですが、校内の雰囲気が怪しく、現在セーフハウスの確保を進めております。何かあれば、そちらに留学していた生徒を逃がします。報告は以上です』
「分かりました。あなたも命を捨てない様、務めてください。我々3年生もいずれ、故国奪還の為の戦力となるのですから」
そう言ったアリスは、厳格な返答をした同級生達に、深く息を吐く。物々しい雰囲気のまま、東京エリアのガーデンの報告を聞いて回る彼女は、いずれもアーヴィングカスタムに関連する情報を得ていないと確認するや、焦りを感じていた。
このままでは、アーヴィングカスタムを手に入れる事はおろか、使う事すら出来ない。あの驚異的な性能を持つブーステッドCHARMは、自分達の本懐を果たすには必要不可欠な存在だ。だが、無い物ねだりをしても仕方が無く、計画の修正を考えなければならない、とアリスが考えている矢先だった。
通話アプリケーションのリアクションで挙手をしてきたリリィがいた。エレンスゲ女学園に所属する子だ。
『こちら、エレンスゲ女学園のマリーです。我が校付属のラボにて、1年前より進めているブーステッドCHARMの開発計画が難航しているとの情報を聞いております。噂話からの特徴で推察するに、恐らくアーヴィングカスタムでは無いかと』
「エレンスゲ女学園付属のラボ……。
『はい。恐らくアウニャメンディシステマス社側の主導でアーヴィングカスタムの開発を進めているのかと。同社は経営戦略上のカンフル剤としてブーステッドCHARMの開発に躍起になっていると聞いておりますし、可能性は高いと思います』
「ふぅん、随分と危険な火遊びをするのね。けど、これはこちらにとっては好機。開発機体が外部に持ち出される機会は?」
『お待ちください。開発計画のコピーを送ります。そちらによれば次月、同ラボ開発の強化リリィでの運用試験があります。その際、偽装トラックを使い、試験エリアまで陸路で輸送する様です』
共有された画面上、マリーの言葉と共にクラッキングで入手された計画書が操作され、輸送計画と共に試験エリアまでの経路図が表示される。極秘の開発計画故に人による襲撃を何ら警戒していない移動経路を見たアリスは、担当者の危機管理意識の無さにほくそ笑む。
盗聴警戒でカメラを切っている為に、画面の向こうの同級生達の表情を窺う事は出来ないが、何れも似た様な顔はしているだろう、と彼女は思う。最も、その危機意識の無さに助けられているのは他ならぬ彼女達なのだが。手元の地図に経路を重ねたアリスは、進路上の廃棄区画に複数の廃ビルがある事を確認する。
計画の秘匿性を考慮すれば、護衛にCHARMを持ったリリィが付く危険性は少ないだろう。強化リリィにしても、脱走のリスクを考慮してCHARMと彼女達は分離して輸送される筈だ。つまり、先手を取れば素面の人間でも十分勝機はある。
「強奪計画については私の方から、ジョージ達に伝達します。あなた方リリィは、本件への関与は黙秘し、所属校のリリィとして責務を全うしなさい。あなた方の忠心を発揮する機会はまだ先になります。今は、リリィの先達として後継を導く時。故国奪還の礎は彼女達に他ならず。そして、それを育てるのが我々の役目です」
『はい、王女陛下!』
「……深夜ですよ。声は控えめに」
忠臣でもある同級生達の声に苦笑したアリスは、サブモニターの手元の進行表を確認し、伝達事項が消化しきった事を確認。時計の短針も頂点を超えようとしている。良い頃合いだ、と彼女は思う。
「では、皆の益々の活躍を祈り、この会を終了とします。
『
最早口癖の様になった合言葉を閉会の言葉とし、アリスは通話を切る。一括終了で閉じた通話アプリには、会話の内容にも拘らず品質アンケートが表示される。些か間抜けにも感じるそれを煩わしく思いながら閉じた彼女は、大きく息を吐きながら、傍らで待機していたアンネリーゼに視線を向ける。
用意していた紅茶をサーブした彼女は、自分の分を手にアリスのの傍に座る。無言の間が流れるが、不思議と彼女達の間に気まずさは無く、彼女達は静かに紅茶を傾けていた。お互い、カップの中身を半分まで減らすと、ようやく口を開き始めた。
「遂に、この時が来ましたね、姫様」
「……ええ。でも、これで皆が救われるかどうかは分からないけど」
嗤うでも無く、微笑を浮かべたアンネリーゼにアリスは不安そうな顔を浮かべる。カップを置いた彼女の手は恐怖心からか、小さく震えている。それに気づき、抑え込む様に結ばれたアリスの手へアンネリーゼのそれが重ねられ、包み込む様な優しい感触のそれに、彼女は目を見開く。
目を合わせて来たアリスに微笑みを返したアンネリーゼは、目尻に涙を滲ませた彼女を抱き締めた。リリィとして鍛えられているとは言えど、アリスの体はこれから行う事の重責を負うには酷く華奢で、縋り付き、泣き出した彼女の表情は年相応の幼さを見せていた。だがそれは、大人であらねばならない彼女にとって常に見せる事は許されない物だった。
「大丈夫です、姫様。これから起こる事の責任は全部、私達も背負います。あなたを一人にはさせない。これは、祖国奪還は、私達シャトランジ女学院の悲願なのですから」
そう言い、抱き締める力を強めたアンネリーゼは昏い表情を浮かべる。あの時、家族を全て失った4年前を思い出していた。最期のビデオ電話越しに父や母、祖父祖母が気丈に笑って手を振っており、ヒュージの強襲で王宮が崩落すると同時に途絶えた。それは今思えば天の情けだったのかもしれない。奇跡的に繋がっていれば、肉親が磨り潰される様を克明に見せられていただろうから。
そして、あの日から自分達は祖国を失った難民になった。
「でも、それで皆が死んでいくのは……」
そう言いながら泣きじゃくり、アリスはアンネリーゼの肩に顔を押し付ける。彼女は分かっている。いずれ来る決戦の時、集う同級生達はいずれも助かる事など無いのだと。
(やはり、姫様はお優しい……)
慰める様に頭を撫でながら、アンネリーゼは微笑を浮かべる。人の上に立つ義務を課せられた王家の人間であるが故に、アリスは涙を拭って立ち上がった。誰も背に居なくても、彼女は国と言う礎を取り戻すために行動しようとしていた。だからこそ、自分は、同級生達は、彼女の為に命を懸ける覚悟を決めた。
例え、その覚悟を彼女が受け入れられないとしても。
(だからこそ、私は……)
泣き疲れたアリスの声が止み、連日の疲労から昏々と寝入った彼女を強く抱き寄せ、アンネリーゼは眼光をより鋭く尖らせる。
(あなたを愛し、あなたの剣になると誓ったのです)
愛した姫君の為ならば世界すら敵に回す。そんな一介の騎士の誓いを見届けたのは、窓から差し込む月明りだけだった。