キミと見た流星
「お姉様、空にたくさんの線が!」
初めて見る流星を指差し、彼女は言った。顔一杯の笑顔は、生きる事の苦痛で僅かに歪んでて。世間の事なんて何も知らないその顔は、いつかたくさんの人に愛されるだろう、そんな予感を感じさせる程に無垢で。
「線じゃないよ、マリア。あれは流星って言うんだ。あれが流れている間に三回お願いごとをするといつか叶うんだよ」
「へぇ、そうなんだ! あ、また!」
再び流星を見上げ、はしゃいだかと思うと、彼女、マリアはキラキラと夜空を流れる星に祈りを捧げる。止む事の無い流星は、願いを託すには十分な程の時間をもたらし、彼女は笑顔で星空を見上げた。
「マリア、何をお願いしたんだい?」
「えへへ、秘密!」
悪戯っぽい笑みを浮かべ、マリアは僕にそう言い返す。恥ずかしさも交えた笑みは、星に託した願いが口にするには恥ずかしい何かなのだろうか、と推察させるには十分で、少し背伸びしたのであろうそんな仕草に、自然と彼女の頭に手が伸びる。
子犬にする様な撫で方で、彼女の頭の上で手を動かす。流星にはませて見ても、僕に見せる表情は年不相応な程に幼い。
否、肉体年齢と彼女の精神年齢はイコールでは無いから、ある意味吊り合った顔なのだろう、と僕は、自身の錯覚を戒めた。
「ナギサ、マリア、明日のブリーフィングを始めるわよ。戻ってきて」
林間の足場の悪さに苦戦しながら、アイネが僕達にそう呼びかける。“この頃”はまだ、視力補助デバイスなんて物を彼女は身に着けていなかったから、尚更歩きにくそうだった。
「ああ。今行くよ」
彼女に見えもしないのに、微笑を返してしまった僕は、楽しそうにスキップしてきたマリアの体当たりを受け、アイネにぶつかってしまう。
驚くマリアの声を背負いながら、小さく悲鳴を上げたアイネを抱え、手近な成木に手を突いた僕は、腕の中の彼女を見下ろす。
「ごめん、アイネ。大丈夫かい?」
吐息が掛かるほどの距離で、アイネは無言で頷く。俯きがちな彼女の頬は赤く、そこで僕は意図しない形で迫った事に気付いて、彼女から飛び退いた。
「本当、ごめん」
気まずげに謝った僕に、赤面はそのままのアイネは、可笑しげに笑いながら僕とマリアの手を取った。
「もう、びっくりさせないでよ。ほら、行きましょう。道案内してくれないと、歩き辛いの」
そう言いつつも、先を行くアイネと彼女と横並びになって笑い合うマリア。談笑の邪魔にならない様、彼女等の手を放した僕は、一歩後を歩きながら、木々の合間に見える夜空を見上げた。
甲州撤退戦。その最中にあっても、甲州の星空は、無数の星と流星が彩っていた。それはまるで、散って逝った人々の輝きの様で。
理不尽に召された人々が天に混じり合う中でも、夜空を行く旅人達は、純粋無垢なマリアの願いを何処かへ届けてくれるのだろうか。
そんな不安を抱いた僕は、遠い炎の色に向かいながら、笑い合うアイネ達の後を追っていった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
夏の生温い海風が、僕をそんな夢から覚めさせる。目覚めと共に見上げた星空は、見知った体に切り取られながらも広々としていた。暗色の空にばら撒かれた星の輝きは、まだ沈み切らない夕日に気圧されてか、等級の高い星の輝きだけが見えていた。
後頭部に感じる体温に微笑を漏らした僕は、身動ぎと共に、夜空を切り取った主であるアイネに声をかける。
「ごめん、少しだけって言っといて寝入っちゃって」
「ううん、大丈夫よ。何なら、もう少し寝てても良いくらい」
冗談めかしてそう言うアイネに、僕は笑い返して体を起こす。左腕のスマートウォッチで時刻を見ると、18時近くを表示していた。彼是2時間近く、ここで眠りこけてしまった事になる。
「本当、ごめん。帰り、ご飯奢るよ」
「ふふっ、気にしなくて良いわよ。こうして二人きりなの、随分と久し振りだったから。それだけで私は嬉しいわ」
「ああ、そうだったね・・・・・・」
嬉しそうな声を向けてくるアイネへ背を向けたまま、僕は星空を見上げる。沈みつつある夕日と入れ替わりに、星達が各々の輝きを放ち始め、夢で見た星空と同じ輝きを天に映し出す。澄んだ空気と、明る過ぎない地表が生み出す満天の夜空は、生前のマリアを惹きつけて止まなかった幻想的なプリズムを放つ。
あの時と違うのは、それを引き裂く位に流れていた流星群の存在だった。
「相変わらず、綺麗な空ね」
黙したままの僕に、アイネはそう呼びかける。無言の空間が居たたまれない、と言うよりも、僕に何かを話させる為の布石だった。宇佐美での出来事から今日で3日経つ。その時、マリアと触れあった事を、未だに僕は打ち明けられずにいる。死人と会話が出来る事、触れあえる事は、衆目から見れば怪人の所業だろう。
そんな怯えから、「そうだね」と、当たり障りの無い返答をしてしまう。
それは、決して彼女が望む答えでは無いだろう。そんな確信と共に。
嫌な沈黙の後、背中にアイネの体がのしかかり、彼女の体温と僕の体温が混じり合う。痩せている彼女の体温は僕のそれよりも低く、そして、のしかかる負担も苦にならない程に軽く、物理的な戒めとするにはやや頼りなかった。
拗ねた感じも無く凭れかかるアイネの意図を読みかね、少し怯えながら、僕は彼女の名前を呼んだ。どうして欲しいのか、それを聞きたくて。
「ねぇ、ナギサ。あなたからは私はどう見えるの?」
震える声は、アイネも僕と同じく、少し怯えている事を指し示していて、お互いの臆病に対して、少しでも埋めていきたい彼女の意図が垣間見えた。
「僕の、最愛の人だよ。アイネ。変わらずにね」
彼女の為に浮ついたセリフを放って見せ、返答を待つ。聞きたい事はそうじゃないだろう。そう言葉の裏に忍ばせて問いかける。
「……それならどうして、まだ私に隠し事をしているの?」
捕らえ切るには頼りの無い力で、彼女は僕を抱き締める。バカにするなとも、そんな捉え方も出来てしまう様な、力の強さで。
やっぱり、敏い彼女に隠し事なんて出来ないよな。なんて思いながら僕は顔を俯けてしまう。
「ねぇ、ナギサ。教えて。あの時、あなたは誰を見ていたの?」
僕の背中に顔を埋め、アイネはそう言う。いつもと違う、少し過剰なスキンシップに、僕は笑って答えた。
「マリアさ」
俯き加減のまま、僕は短く答えた。それが意味する所を、彼女が理解してくれると信じて。
抱き締める強さがより強まり、背負ったアイネが小さく呻く。話した言葉の意味を咀嚼しているのだろう彼女の言葉を待つ間、僕は月明りに照らされた相模湾を一望する。
よくマリアに乞われて、夜に寮を抜け出していたあの頃が思い浮かんでくる。望遠鏡を持ってこっそりここまで来たっけな、とそんな事を想っていた僕は、何も返してこないアイネに首を傾げていた。
「アイネ? どうかしたのかい?」
顔を僅かに向け、僕が問いかけると、アイネは表情を隠す様に顔を俯けて首を横に振っていた。抱き締める力は強く、そして肩に回された手は、彼女の力の限界まで僕のそれを握り締めていた。
「今日はもう、帰りましょう……」
か細い声でアイネがそう言うのに、僕は戸惑った。けど、それ以上に念押ししてくる彼女に負けて、二人分の鞄とアイネを抱えて丘を下った。時刻は19時近く、もう百合ヶ丘は門限を過ぎており、賑わう宿舎とは対照的に、外には誰もいない。
温い風と共に守衛所へ入校証を返した僕は、黙ったままのアイネを気にしながら、駅までの道を下っていく。苔生した廃墟に切り取られた星空を見上げると、一筋の流星が空を駆けていた。あ、と思わず声を出した僕へ呼びかける様に、アイネが肩を掴む力を強めた。
「……ねぇ、ナギサ。あなた、マリアから願い事の事、聞いた事ある?」
「願い事……? 流れ星への? 聞いたけど、恥ずかしいからって誤魔化されたんだよね。そう言う君は知ってるの?」
「ええ。あの時、教えてもらってたから」
「そうなんだ。それで、あの子は何を願ってたの?」
「そうね。
”あなたとずっと一緒に居たい“、
って、言ってたわ」
ぽつりと言い落された言葉は、酷く重たかった。ずっと一緒に居たい。そうか。だから、あの時、マリアはとても嬉しそうな顔をしていたのか。
星に託した願いを、大きく歪めた形で叶えてしまっていた事に、僕は愕然とした。酷く動揺して、帰路に向かっていた足が止まる。
あの時、苦しい思いで手を掛けた、あの瞬間を、他でも無い彼女は望んでいた。ずっと、僕と一緒に居られるのなら、彼女にとってそれがどんな形であろうが、関係無い事だった。
あの時、彼女と見た流星は、違わず願いを届けた。僕の知らない遠い何処かでは無く。他でも無い、僕自身の元に。
「そっか……。そう、なんだ」
動揺しきりの僕の背中から、アイネが降り、奪い取る様に鞄を手に取った。白い合皮のそれを肩から下げ、赤いローファーの音を鳴らした彼女は、一歩前へ出て、僕の方へ振り返った。
「そうよ。だから少し驚いたわ。こんな形で、あの子の願いが叶っている事に。だって、あの子は今、あなたの中にいるんでしょう? なら少しだけ、私の気持ちは救われたわ。あなた自身の手で、あの子とお別れにならなくて済んだのだから」
「君は、そうかもしれない。だけど、僕は、こんな形で一緒にはなりたくなかったよ。もっとあの子に、自分の体で、星の本や、星空を見せてあげたかった。あの子にとって苦しい、生きるって事に、少しでも意味を持たせてあげたかった」
「そうね、私だって叶うならそうしたかったわよ。でも、あの子はそんな物を持てる程、命が長くなかったの。だから、こうなるしか、あの子の願い事は叶わなかったの」
諭され、唇を噛む僕の手を引いて、アイネは駅への道を行く。現実を解している筈の彼女の横顔は、いつも以上に張り詰めていて、何処か脆く感じた。それはまるで、そう言い聞かせる事でしか、自分を保てないかの様で。そう思えば、自然と彼女の手を強く握り返していた。
夢に見た彼女達の笑みを思い返せば、アイネにとって、魂だけの形であっても、マリアの願いが叶ったのは暗闇の中の光明だったのだろう。だけど、それ以上の思いは叶う事なんて無い。それを、僕と彼女は共有し、理解し合っている。
願うなら、ずっと一緒に“幸せ”で居て欲しかった。あの子の苦しみが、生きる事への諦めが、少しでも無くなる位に。
そう願ってしまうのは、あの子が、僕にとって、僕達にとって、とても大切な妹だったのだから。
「いつか……」
喪った苦しみを、分かち合う様に並び、歩もうとする僕に、アイネは声を震わせ、繋いだ手に力を込める。
「いつか、幽霊になったあの子の姿を、私にも見せてね。ナギサ」
精一杯の声を出し、白く濁った眼から涙を流した彼女を、足を止めた僕は、一筋の涙を流しながら笑って振り返った。
「ああ。約束するよ。いつかきっと。もう一度君に、今のあの子の姿を見せてあげるよ」
お互いに見つめ合い、手を重ねて約束を交わす。だけど、それが叶うのがいつかは僕にも分からない。
だからこそ―――