2マンセルを維持し、地下3階に降りた詩季は、冨亜奈から先行し、出口から十字状になった通りへとダインスレイヴ・カービンの銃口を巡らせる。
暗がりを補正してくれる筈のコンバットバイザーは、気を失う前後に強い負荷を受けたらしく、アイプロテクションウェアとしての機能はともかく、ウェラブルデバイスとしての能力を完全に消失していた。
デバイスの大本である端末の方も、外部から負荷をかけられた影響で機能停止に陥っていたが、昏睡中に冨亜奈が修復を施していたらしく、必要最低限の機能を取り戻す事は出来ていた。と言っても、地図を見る事と短距離通信くらいなのだが。
「クリア」
銃口を巡らせた詩季がそう呟くと、踊り場で後ろを警戒していた冨亜奈が彼女の背後に張り付く様に移動してくる。背と背が軽く触れた後、冨亜奈が詩季の太ももを軽く叩き、周囲を警戒していた詩季がそれを合図に前進、フロアへと進入を開始した。
地下3階はやはりと言うべきか、処分された研究員達の死体がそのまま放置されており、白衣を染め上げる流血は、膠の様な強い粘性のある物に変わり、色も鮮やかさを失って赤黒く変色していた。
換気設備が止まった影響からか、噎せ返るほどの死臭が立ち込める。ここ2日程で嗅ぎ慣れてしまっていた冨亜奈は、ある一点を見つめ、歩みを鈍らせた詩季に気付いた。フォーメーションを崩して歩み寄り、彼女の視線の先を追った冨亜奈は、黒焦げになり、皮膚をひび割らせた女性らしき死体に気付いた。
「ど、どうしたの、詩季にゃ──―」
惨く壊された死体を前にした冨亜奈は激しく動揺し、冷静さを失って不用意に彼女に触れてしまった。接触と同時、絶叫を発した詩季は、触れられた方へダインスレイヴ・カービンを向け、躊躇い無く引き金を引く。直感でゼノンパラドキサを発動していた冨亜奈は、運動ベクトルから行動を予測し、回避する。
威力調整があるとは言え、並大抵の銃火器を凌駕する威力の熱線が座り込んでいた死体諸共、壁を撃ち抜き、爆発音に近い銃声が敷地内に反響して波打つ様に響きながら消えていく。
荒い息をしながら浅くカービンを構えた冨亜奈は、銃声で目を覚ました詩季と目を合わせた。自分のした事に気付いたらしく、動揺しきった顔の彼女は咄嗟に口元を抑えると数回の嚥下の後、こみあげていた物を飲み下した。
「ご、ごめんなさい。私……」
「え? あ、ああ、いーのいーの。私、死んで無いからさ!」
グングニル・カービンを取り落とさんばかりに動揺する詩季に、気丈に笑って見せた冨亜奈は、銃撃の一瞬に見た彼女の殺気を思い出し、得物を握る手を震わせ、背筋を冷やしていた。深呼吸と共に幾分か戻ってきた冷静さで、彼女が正気に戻ったと判断した冨亜奈は浅く構えたカービンを下げる。一息ついた彼女は、そのまま、改まって確認した遺体の損壊ぶりに顔をしかめて見せた。
「しかしまぁ、悪趣味だねぇ」
精一杯の強がりを見せた冨亜奈は、俯いたままの詩季へおどけて見せ、単身、焼損したブースに立ち入る。悪臭に顔を歪めつつ、彼女が火元を辿るとPCが据えられていたらしい机の残骸を見つける。超高熱の物体で融かし切られた様な痕跡を見下ろした冨亜奈は、それとは別に香った灯油の匂いに強い嫌悪感と怒りを抱いていた。
(テルミットでバーベキューか。本当に悪趣味だね)
胸中でそう呟いた冨亜奈は、目ぼしい物が何も無い事を確認すると、去り際、胎児の様な格好の死体を見下ろす。
この死体は、もしかすれば自分の知り合いかもしれない。だが、彼女を構成する何もかもを焼き尽くされてしまっては判断する術は無い。今、目の前にあるのは、人間だった、個人だったであろう黒焦げの肉人形でしか無い。
これは故人に対する侮辱だ、と冨亜奈は強い怒りを抱いていた。人並みの生を過ごしていたであろう個人を、過ごしてきたであろう人生ごと、無慈悲に焼き焦がし、悪臭漂う死体の群れとして認識させる。それまでの個を否定し、凌辱的な群の一つになり果てさせる。
「黒木さん?」
眉間にしわを寄せる冨亜奈へ、未だ抜けない動揺を声色に含め、詩季は問いかける。脳裏の怒りをため息として吐き出した冨亜奈は、呼吸と共に入り込んだ悪臭にむせながら、詩季の元へと引き返す。
「さっきは、本当にごめんなさい」
「いーよ。詩季にゃん、あれを見て嫌な事思い出しちゃったんでしょ?」
「うん、その……。大切な友達が、戦えなくなった時を思い出して」
苦笑と共にそう言う詩季へ、笑い返して見せた冨亜奈は昏い彼女の目を見据え、すぐに笑みを吹き消す。気丈にふるまって見せても、過去の戦いが詩季に刻み付けた傷はデータで見るよりもずっと深かった。
「大切な友達、美晴って子の事?」
「うん。その子と最後に出撃した任務で、大きな失敗をしたの」
「失敗?」
「護衛してたバスが、全滅したんだ」
「……ああ。あれか」
思うよりずっと冷え切った口調でそう呟いた冨亜奈は、怯える詩季に謝りつつ、ラボで繰り返し見ていた詩季に関する書類を思い出していた。ほんの2年前、彼女が再起不能になる前の護送任務で彼女と鹿島美晴のペアは護送中にヒュージによる強襲を受け、護送していた移民全員を死亡させていた。味気ない報告書が記した、移民達、総数135名の末路は凄惨さを極めており、一人残らず、炎上した車内で蒸し焼きにされていた。
遺体の状態までは記されていないものの、黒く焼け焦げた者も中にはあったのだろう、と呼吸を安定させようとする詩季を見て、冨亜奈は逡巡していた。
「でも、凄いね、黒木さんは」
呼吸を整え終えた詩季の言葉に、冨亜奈はきょとんとした顔を彼女に向けた。射竦めるような視線を向けられ、苦しげな笑みと共に肩を竦めて見せた詩季は、先の死体を指さす。
「私と違って、ちゃんと、色んな事を割り切れてるんだね。弱音を吐いても、やっぱり黒木さんは──―」
寂しげな笑みを浮かべ、言いかけた詩季の言葉を、冨亜奈は大声で遮った。そうしないと、彼女は自分を見放すと思ったから。
「違う。詩季が思うよりも、私、凄くなんて、無いよ。私、まだ、何も割り切れてなんか無いよ。自分がどうしたいのかも、何も! 分かんないの、わかんないんだよ! 誰かを殺してスッキリしたいのか! 自分の手を汚すのが怖いのか! それすらも! 分かんないんだよ……。どうして、どうして、教えてくれないの……。誰も、詩季も、どうしてしまえば良いのか、どのラインを踏み越えれば良いのか!」
パニックを起こす冨亜奈は、今まで心の内に封じ込めていた感情を氾濫させる。理不尽に身内を奪われ、顔見知りを凌辱され、彼女の持つ原初的な感情は衝動に駆られるまま、復讐を叫ぶ。だが、冷静な理性が、殺し屋と同じ場所に落ちぬ様、踏み留まらせていた。
矛盾する思考が併存し、身動きが取れなくなった彼女はその場に崩れ落ち、声を上げて泣き出す。その声が反響しない様、再び顔を埋めさせた詩季は、祈るように俯いた彼女を包み込む様に抱き締める。
「どうして、背中を押してくれないの……。私の幸せをめちゃくちゃにした奴らを殺してしまえば良いって、自分の為の人殺しをしてしまえば良いって。君が言ってくれれば、私は楽になれるのに! 君が食べたケーキは、私が祝う筈だった人達の為の物だったんだよ! それを食べたんだから、それくらい、言ってよ。復讐の為に、人を殺せって……!」
涙ながらにそう言う冨亜奈は、ひき付けを起こした様にしゃくり上げる。
「何も分からないんだよ、この気持ちの整理の仕方が……。大事なモノを理不尽に奪われた時に、どうしたら良いのかが」
力無くそう呟き、縋る様に抱き着いてきた冨亜奈に、詩季は昏い表情を浮かべる。その言葉への答えを、彼女は持たない。
──―人の幸せを奪った自分には。
戦友を死に誘い、誰かを見殺しにし、血を浴びても尚、のうのうと自分は生き続けている。他人の幸せを奪うだけの自分が、奪われた苦しみを飲み下そうとする彼女に、何かをしてあげる事は出来ない。
だから──―。
「──―黒木さんが本当にそうしたいのなら、復讐をしても良いんじゃないかな」
ぽつりと、そう言い落とした詩季は、胸の中で身を竦めた冨亜奈を見下ろす。一しきり泣き終わったらしい彼女を解放した詩季は、一転して驚愕している彼女に小首を傾げて見せた。
「それ、本気で言ってんの? 曲がりなりにも政府機関所属でしょ?」
「この件に関して、私の立場と、黒木さんがどうするかは、関係の無い事だから」
「……そっか。分かった。詩季にゃんの意見はそうなんだって頭に入れておくよ。あんなに言っといてごめんだけど」
泣き腫らした目はそのままに、冷静さを取り戻した冨亜奈は、地面に寝かされていたダインスレイヴ・カービンを手に取り、移行したシューティングモード用のグリップに手をかけた。剥き出しのグリップを掴んだ手は小刻みに震え、一線を超える事を想定した彼女の内心を表すかの様だった。
「先を急ごう、黒木さん」
同型のカービンを手にした詩季は、震える手を忌々しげに見下ろす冨亜奈へそう声をかけ、自身は先を行く。慌てるでも無く、手の震えはそのままに冨亜奈は後を追い、胸中のざわめきを分析していた。
(本当に、どうしたいんだろうね、私)
他人に縋っても尚、決めきれない自分の優柔不断ぶりを嗤い、震える手を抑え付ける様に力を込め、足早に詩季の背に張り付いた彼女は、後方警戒を始め、彼女と共に先へ進み始めた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
それから十数分後、手付かずの持ち出しボックスに添え付けられていた懐中電灯を手に、フロアを巡っていた詩季達は悪趣味なまでの殺人と破壊の痕跡を見て回るだけに留まっていた。表情には出さずとも内心憔悴していた彼女達は得物を構え、月明かりの差し込む破孔へと近付いていた。先陣に立ち、左手で懐中電灯を構える詩季は、曇り空に遮られ、慰め程度の月明かりに照らされた通路へ銃口を巡らせる。
僅かに差し込むばかりの月明かりは、視界の悪さを改善するには頼り無く、銃口と同軸に構えた灯りが落ち着き無く左右を行き来する。変わらず足音を殺し、通路に進入した彼女は破孔の対岸へも銃口を向ける。閉塞感のある先までの通路と異なり、下階まで解放されたそこでは、音がよく響き、故に詩季も、後続する冨亜奈も、通過する間は物音を立てない様、慎重に進んでいた。
忍び足で進んでいた彼女達は、真下から聞こえた金属音に足を止める。音響センサーの作動音なのか、奇妙な電子音が吹き抜けに響き渡る。
平常心を保つ詩季とは対照的に、過度に緊張した冨亜奈が呼吸を乱し、過呼吸気味に激しく息をする。苦しげに胸を抑えた冨亜奈へ振り返った詩季は、不意に止んだ作動音に嫌な予感を感じ、彼女を押し倒した。
瞬間、床を砕き、上階で遭遇したロボットが姿を見せ、怪しく瞬いた単眼が彼女達に向けられるや、ロボットは体を震わせ、遠吠えする様な仕草で特徴的な電子音を鳴らす。生物の様な仕草に異常を覚えた詩季は、怖じ気付く前に引き金を引いた。
閃光と共に粒子ビームがダインスレイヴ・カービンから放たれ、亜光速のそれがロボットに直撃する。何層にも渡る対ビームコーティングが施された装甲がビームを弾き飛ばし、熱量が直撃したコーティングを蒸散させながら宙に散っていく。
白煙を上げる装甲を見た詩季は、這い蹲る様な体勢になったロボットの頭部へ3連射を叩き込む。通常のビームライフルと大差無い威力にまで落ちたバスターランチャーを牽制に、詩季はロボットから距離を取る。
パニック症状を起こした冨亜奈を抱え、通路の暗がりまでバックステップした詩季は、過呼吸を起こす彼女を見下ろし、フラッシュバックを起こす。暗がりを背景に、異常なほど呼吸を繰り返す冨亜奈の姿が、パニックを起こした美晴の姿に変わる。ヒュージの攻撃によって炎上するバスを目の前にした彼女は、先の冨亜奈と同じく、異常なほど繰り返される呼吸によって息苦しそうな仕草を見せる。
──―何処に逃げても、私達はあなたの傍にいる。
ばくん、と大きく心臓が波打ち、彼女が辿った末路が連鎖的に引き出されていく。きぃきぃとロープと繋がった梁が軋みを上げ、振り子の様に事切れた美晴の体が揺れる。ストッキングに包まれたつま先から滲んだ体液が滴り、横倒しの椅子の傍にシミを作っていく。
「ッ!」
それが意味する所を理解し、詩季は膝を折り、込み上げた物を足元へ吐き出す。自分の過去に踊らされ、無様を晒す彼女を嘲笑う声がフロア中に響き渡る。酷いノイズとなったそれが彼女の聴覚を埋め尽くし、幻聴に支配された詩季は、笑い声を掻き消す様に耳を抑えて叫び声を上げる。金切り声にも似たそれに、身を竦めた冨亜奈は正気を取り戻し、乱れていた呼吸を一瞬止めると、錯乱した彼女を凝視する。
腕を抱き、全身を震わせる彼女を前に、冷静さを取り戻した冨亜奈は、ゆっくりと迫るロボットに気付き、カービンの銃口を向けて引き金を引いた。
追い詰める様にゆっくりとした動きで迫るロボットは、光線を浴びながらも歩みは止めない。それを見て効果が無く、このままでは埒が明かないと即断した冨亜奈は、ダインスレイヴ・カービンを近接モードに変形させると、詩季を庇う様に立ち、身構えた。
ドロドロに溶けた装甲に、まだら模様を浮かべたロボットは間合いを図る様子も無く迫り、それを見た彼女は先手を打つ形で跳び、切りかかる。
瞬間、上体を起こしたロボットは片腕を上げ、振り下ろされたダインスレイヴ・カービンを受け止める。出力を落とした影響で、本来なら
全体重を乗せる様に振り下ろしていた冨亜奈は、体重差故にやすやすと跳ね飛ばされ、天井に背を打ち付けて墜落する。激痛を感じつつも受け身を取り、うつ伏せで叩き付けられる事を防いだ彼女は、振り下ろしを回避し、シューティングモードでセンサーを狙う。
銃声と共に粒子ビームが迸るが、直撃寸前でアームが間に入り、遮られた光線は各々弧を描きながら後方へと飛散する。威力と熱量を失いつつあった粒子が壁に当たって弾ける中、強引に距離を詰めてきたロボットの一撃を回避し、その上を飛び越す。
真上を跳び越す冨亜奈を視線で追うロボットは、錯乱状態の詩季よりも彼女の方が脅威であると見たのか、着地し、背後を取る形になった彼女を180度曲げた頭部ユニットを向け、逆関節状態のまま、俊敏に駆けてくる。
「ッ!」
人外の動きに一瞬怯んだ冨亜奈は、距離を詰められ、カービンを防御姿勢で上げた。瞬間、打ち下ろしの動きでアームが叩き付けられ、高馬力に圧倒された彼女の体が大きく吹き飛ぶ。咄嗟に踏ん張るもその隙を狙ってロボットは距離を詰め、閉じていた目を見開いた冨亜奈は、残された冷静さを使い、レアスキル『ゼノンパラドキサ』を発動して身を屈めた。
左脇を潜り抜け、すれ違いざまに切りつけた冨亜奈は、血管よろしく這わされたケーブルを切断し、そのまま背後に回る。勢い良く金属がぶつかる音が鳴り、再び詩季を庇う様に位置付いた彼女は、震える手を抑え、口端を引き攣った様に吊り上げる。
(意外と戦えるんじゃん、私)
荒れたままの息で消耗した酸素を取り込む彼女は、レアスキルの効果によって視界に現れた赤い線に集中力を研ぎ澄ます。冨亜奈の方へと振り返ろうとするロボットの行動予測を、赤い輪郭線の形で視界に表示させた彼女は、次に打つ手を選び取っていた。
振り返り、再び捕縛しようと右手を突き出し、襲い掛かろうとするロボットに向け、加速能力を使った冨亜奈は跳躍。大きく飛び越え、天地逆転の体勢になった彼女は、背面から関節部のモーターにブレードを叩き付けた。主要部を損傷したそれからスパーク音が鳴り、肩の高さまで上がっていたアームが支えを失い、腱を切られた人間の様に垂れ下げた。
(左の動きが鈍い。さっき切ったケーブルはメイン制御系か!)
自身を追う様に頭部共々背面に回る左アームの動きを見て取った冨亜奈は、着地と同時に蹴り出すと、鈍い動きで突き出されたアームを足場に跳躍。ダインスレイヴ・カービンの切っ先をロボットの頭部に向け、天井を足場に真下へと蹴り出した。
「くたばれ!」
冨亜奈は悪態と共にゼノンパラドキサの加速も加えた一撃を放つ。少女の全体重が乗った亜音速の一撃はさしものロボットの装甲も阻めず、マットブラックに塗装された刃は頭頂部に深々と突き刺さり、中枢系を破壊された機械の体が痙攣を起こしながら膝を突く。肩口を足場に着地した冨亜奈は、振り落とされた勢いを使って胸部を抉る様に刃を引き出した。
物々しい破砕音と共に、2mを超すロボットが倒れ込み、息を荒げた冨亜奈は戦後の高ストレスで吐き気を催すが何とか下した。
(何とか、なった……)
スクラップと化したロボットを見下ろし、そう逡巡した冨亜奈は、多少戦えるとは言えど、所詮アーセナルである自分が単身で成した結果を見下ろし、半ば放心していた。呼吸が整うと共に詩季の事が頭に浮かび、耳を抑え、蹲ったままの彼女に視線を向けた。
「詩季にゃん!」
そう言い、駆け寄った冨亜奈が詩季に触れた瞬間、恐怖心を爆発させた彼女の全力で手を振り払われ、腕に激痛を走らせる。後ろに引っ張られたかの様な衝撃を受け、冨亜奈の顔が苦痛に歪む。
「あっ、痛ぅ……」
苦悶の声を漏らした冨亜奈は肩口を抑え、脱臼していない事を確認すると、瞳孔の開き切った目を向ける詩季に微笑を返す。自分のした事を飲み込もうとしているらしく、押し黙る彼女を前に、冨亜奈は懐に隠したアンプルの存在を意識していた。
(……やっぱり、あのカルテ、嘘じゃなかったんだね)
詩季を救出した折、データベースで見た詩季の治療カルテ、そこには彼女が未だにPTSDを患っている事が記されていた。それは、彼女が幾数多の戦場で多くのものを失ってきた証明であり、そして、その証明に未だに苦しめられている事に他ならなかった。
だが、そんな彼女だからこそ、自分が抱え込んだ苦しみに対する答えを与えてくれるかもしれない。そんな期待を抱いていた冨亜奈は、詩季を回収した折、彼女が携行していたアンプルを全て抜き取っていた。それは、薬効で矯正されてしまっては本来の彼女ではなくなってしまう事。そして、処方薬が持つ強力な副作用が、これ以上、彼女を蝕まない様にする為だった。
(この薬は強力過ぎる)
内心そう呟いた冨亜奈は、脳裏にラボで見ていた薬品についてのデータを思い浮かべる。薬効中の感情の振れ幅を抑制する代わりに、強力な振り戻しに襲われるアンプルの危険性は、専門外の彼女でも理解する事は出来ていた。
未だ、アンプルが抜き取られた事に詩季は気付いてはいないが、仮に気付かれたとて彼女へ素直に返そうとは毛頭考えてはいなかった。使い続ければいずれ彼女の体は限界を迎える。自分の目の届く範囲にいる以上、彼女にそんな結末を許したいと、冨亜奈は思えなかった。
「終わったよん、詩季にゃん」
カービンを持った、痛みの無い方の手でブイサインを作った冨亜奈は、怯え切った詩季に笑みを向け、何とか彼女の心を正気に戻そうとする。それ位の事ならば、薬に頼らなくとも乗り越えられるだろう、とそんな身勝手な思いを向けながら。
G.E.H.E.N.A.インターンの身とは言え、専門であるCHARM工学を離れれば、冨亜奈も年相応の少女に過ぎない。盲目的とも言える理想を抱いた彼女は、落ち着きを見せている詩季に満面の笑みを向け、手を差し伸べる。
「ごめんなさい、何も出来なくて」
「ううん、大丈夫。案外何とかなったから」
昏い顔の詩季に、笑みを向け続けた冨亜奈は、彼女が取り落としていたダインスレイヴ・カービンを拾い上げ、手渡した。持ち手を向け、自身に刃を向ける冨亜奈に、申し訳なさそうな笑みを返して、詩季はそれを受け取る。再びマギの経路が繋がったカービンから、力を与えられた彼女は、震える足を前に出し、再び前進しようとする。
深呼吸と共に浮かせた足を踏んだ彼女は、汗を拭う冨亜奈を背後に、ロボットが穿った破孔の先にある通路の出口を目指す。二度目の深呼吸と共に、シューティングモードのストックを肩に当てて構えた彼女は、出口を一度確認すると気配の無い背後を振り返った。
振り返った先、自身が破壊したロボットの背面部を観察している冨亜奈に気付き、詩季は銃口を通路へ向けたまま、ゆっくりと下がる。
「黒木さん?」
姿勢を低くしながらそう問いかけた詩季は、背面装甲を叩く冨亜奈に視線を向けた。何度も叩く彼女の指の先、ロボットの背面装甲には、下部にTDSと記され、角の生えたライオンを模したロゴが刻まれていた。
「そのロゴは?」
「テリオン・ディフェンス・システム。G.E.H.E.N.A.上層部お抱えの警備会社だよ。人材派遣の他に、警備、防衛用に無人機開発とかを行ってて、グループ企業とか、所有する研究施設に派遣してる。けど、詩季にゃんが戦ってた機体もそうだけど、この型は見た事無いなって」
そう言い、端末を取り出した冨亜奈は、数枚写真を撮り、それ以上詳しく調べる事はせず、軽く装甲を触るのみに留めて傍らに置いていたカービンを手に取る。彼女が立ち上がるまでを見ていた詩季は、不意に聞こえた金属音に眉を顰める。足音の様に、一定の間隔で鳴るそれの方へ振り返った彼女は、赤く光るロボットの単眼と目を合わせた。
「もう一機……!」
そう呟き、怯む冨亜奈を他所に身構えた詩季は、荒れそうになる呼吸を落ち着かせながら、ダインスレイヴ・カービンを構え、頭部に照準する。それでも恐怖し、小刻みに震える銃口に歯を嚙んだ彼女は、精密に狙う事を諦め、引き金を引いた。銃口から閃光が迸り、ロボットの頭部に直撃したそれは、まるで花咲く様に拡散する。それでも詩季は引き金を引き続け、数発連続して発砲、手動の照準補正で、その全てを当てながら距離を詰める。
十分に距離を詰めた瞬間、近接モードに切り替えた彼女は、サブスキル『インビシブル・ワン』と共に跳躍。ブレードに出力を集中させると、すれ違い様に一閃した。快音と共にロボットの首が吹き飛び、鋼と電子部品の塊が亜音速で吹き飛び、天井に突き刺さる。メインの制御ユニットを失い、バランスを崩した機体がゆっくりと倒れていく中、詩季は残心で再びシューティングモードに変形させる。地に倒れ伏す直前、再起動したロボットが、頭を失ったまま、這う格好で詩季へ突進を仕掛ける。食らう直前、ダインスレイヴ・カービンを突き出して抑え込んだ彼女は、背面からマギを放射して勢いを殺し切ると、空いた右手にマギを集中させ、サブスキル『聖域転換』を発動。積層された高密度のマギ障壁が眩い閃光を放つ。
そのまま、胸部装甲へアッパーカットを叩き込んだ彼女は、頑強な装甲を一撃で貫くと心臓部を掴み取る。打ち上げられ、大きく仰け反ったロボットから心臓部を引き抜いた詩季は、起動停止したロボットを見下ろし、手にした心臓部を見下ろす。
「うひょー、流石」
茶化す様な口ぶりで歩み寄った冨亜奈は、余裕の無い様子で笑みを浮かべた詩季に気付き、肩を竦めながら小さく謝る。申し訳なさそうな様子の彼女に、詩季は握ったままの心臓部を手渡し、半ば強引に話題を変えた。
「これ、このロボットの心臓部。何か所属を掴む手掛かりになりそうかな?」
「え? あ、あー……うーん、手掛かりにはならないかなぁ。部品を見ただけで分かったら苦労しないし、それに、この手の機体ってよっぽど大事な所じゃない限り、汎用品を使うからねぇ。破損した時の機密性とか、整備性の問題でさ」
エンジニアらしい回答をした冨亜奈に、ある程度理解した詩季は相槌を返すと、無用となった心臓部を地面に置いた。
「それに、相手もバカじゃないから、こんなガラクタ一個で全貌が分かる様にはしてないと思うよ」
苦笑を浮かべた冨亜奈は、苦笑を返した詩季の背を押す。今はとにかく前へ行く時だ、とそう暗に促した彼女に頷きを返して前衛に付き、再び暗がりの中を進んでいった。