数分後、詩季の回復を待って移動を開始した冨亜奈は、先行する彼女の様子を伺いつつ、列の最後尾として後方警戒に当たる。不慣れな後ろ歩きで歩く度、腰に下げられたアーヴィングカスタム二刀が汗を吸ったタイツに包まれた太ももに当たる度、湿った快音を立てる。
広く響く訳では無いながらも耳元を騒がせるそれに、苦笑を漏らした和美が浅く振り返る。1ブロック前を行く詩季に影響こそ無いものの、隠密と言う概念に真っ向から反するその音に、嘲笑と言う形で和美は苛立ちを向けた。
「何?」
視線を感じた冨亜奈は堪らず後方警戒を解き、嘲笑に対して睨みを返す。微笑を含み笑いに変え、視線を逸らした和美は先を行く詩季の様子を伺いつつ口を開いた。
「いいえ? 随分と賑やかに歩くのがおかしくて」
嫌味っぽくそう言う和美に、何も言い返せず舌打ちを返した冨亜奈は、彼女の肩越しに先を行く詩季を見る。自分達に危害を加えさせまい、と念入りに周辺確認を行う彼女を見た冨亜奈は、内心の苛立ちを一つ溜め息にして落とした。
正直な所、冨亜奈にとって和美の態度は気に食わない所なのだが、だからと言って今、彼女と反目し合えば、集団行動に影響を及ぼす。そうなれば、無関係な詩季が巻き添えを食う形になる。和美の腹の内はともかく、今は自分が冷静にふるまうべき時だ、と彼女は己を律していた。
とは言え、そろそろ我慢の限界が近いのも事実であり、このまま和美と広義のコミュニケーションを交わしていては、いずれ爆発する事は目に見えていた。となれば、協力関係を結ぶ要所を別に移す必要がある、と冨亜奈は思案する。
「ねぇ、和美」
「何? 学者先生。馴れ馴れしく私の事を呼んで」
「くっ……。っ、君に聞きたい事がある。率直に言う。君は詩季の事をどう思ってるの?」
「どう、って。頑張り屋で良い隊長さんだと思ってるけど?」
「分かりやすい嘘を吐くなよ。私は君の本心が知りたいんだ」
睨み目と共に冨亜奈から放たれた鋭い言葉を前に、和美は含み笑いを崩さず、ゆるりとした態度で受け流す。相も変わらず馬鹿にした様な態度の彼女は、笑みの形に細めた目に憐れみを含め、冨亜奈を見る。
「本音を話すのが嫌だ、って言ったら?」
「道中、背中に気をつけろって言うよ」
言うべき事を言い切った冨亜奈は、言葉を返さない彼女に舌打ちを放つと、まともに目線を合わせず、後方警戒に戻ろうとダインスレイヴ・カービンを構え直す。一々付き合っていては身が持たない、と判断した冨亜奈は、笑いかけ続ける和美へ拒絶の態度を全身から発する。
「あら、怖い怖い。聡明な学者先生とは思えない、品の無い発言ね」
挑発する様なねちっこい言い回しをした和美は、嘲笑を交えた視線を冨亜奈へと流す。嫌味たっぷりのそれを無視し切れず、睨み返した彼女を揶揄う様に見返した和美は、けらけらと嗤った。フロアに響き渡ったそれに、前を行く詩季が一度振り返り、視線に気付いた和美が『気にするな』とハンドサインを送る。一方で露骨な挑発を浴びて不快感を募らせた冨亜奈は、熱っぽい視線で詩季を見ている和美を睨み付ける。
「でも良いわ。そんなに私の事が知りたいなら、特別に教えてあげる」
そう言い、振り向いてきた和美の満面の笑みに捉えられ、冨亜奈は本能的な恐怖で身を凍えさせる。先の威勢はどこへやら、まるでヘビに睨まれたカエルの様に震え上がり、僅かながら呼吸を乱す。
眼前で晒された醜態に、くつくつと嫌味っぽく笑った和美は、恐怖心から得物を振り上げようとする冨亜奈の襟首を掴み上げた。不意を打たれる形で引き寄せられた冨亜奈は、少しよろけ気味の彼女と無理矢理目を合わせられる。
「私は、自分に絶望しながら死んでいく三朝詩季が欲しいの」
狂気を感じさせる笑みを浮かべ、和美は言い放つ。内面に収めた、狂気を言葉に変えて。
「彼女は、私が今まで見た中で一番の最高のコレクションになる。そう確信してるの。30人以上のリリィを見殺しにし、自分を死ぬべき人間だと規範し、それでも無意識に生き足掻こうとする醜い自己矛盾。彼女が内に秘めた、素晴らしい絶望が放つ輝きを、私はこの目に焼き付けたいの! 死の間際、自分が本当に求めたモノが何だったのかに気付いた彼女が見せる、自分への絶望の光を!」
自分の思いに興奮し、声を荒げた和美は、大きく息を乱しながら顔を紅潮させる。狂った性根に中てられ、すっかり怯え切った和美を見下ろした彼女は、さも自分は違うとそう言いたげな目を、嘲る様に見下ろし、気道を締め上げる様に引き寄せる。
「何、学者先生、その目。私の事を怪物みたいに見て。でもね、私とあなたは同類。本質は同じ、三朝詩季を喰う怪物なの。自分本位に三朝詩季と付き合い、自分の為に彼女を欲する。例え彼女が犠牲になろうとも、何ら良心は痛まない。仕方の無い事だった。その一言だけ残してね」
狂った様な笑みを浮かべ、冨亜奈を睨み付けた和美は、恐怖に染まりつつある彼女が空気を求めて喘ぐのを楽しげに見つめる。顔を赤らめ、暴れ始める彼女を手放した和美は、激しく咳き込み、噎せる冨亜奈へ嘲笑を向ける。
「似た者同士、仲良くしましょう。マッドサイエンティストの学者先生」
咳き込んだまま蹲る冨亜奈へ、挑発した和美は、振り上げられた刃を空中で受け止めた。フリスで展開したマギクラウドフィールドによる防護障壁が、叩き込まれたダインスレイヴ・カービンの刃を捕らえる。
側頭を穿つ軌道に乗ったそれの先、激しく息をした冨亜奈が殺意のこもった目線で和美を睨み上げていた。
「一緒にするな。私はお前と違って、彼女を犠牲にするつもりは無い!」
怒りと共に振り払った冨亜奈は、砕くに至らなかった障壁の内で、涼しげに笑う和美を睨んだ。
「ご立派なプライドね。でも、現にあなたは自分のやりたい事の為に彼女を振り回しているでしょう?」
答えを期待しない様な口ぶりで問いかけた和美は、得物を手にしたまま、固まった冨亜奈に笑みを向け続ける。ふふ、と無様を晒す彼女に含み笑いを漏らした和美は、一つ息を整えるとねめつける様な目を冨亜奈へ向けた。
「ねぇ、学者先生。あなた、三朝詩季に対して、アンプルを隠してるわよね? あれは彼女が戦闘で受ける精神的なダメージを緩和する為に必要な物。それを抜きに戦っている現状、どんどん彼女は心にダメージを負っている。気付いているんでしょう? その懐にしまい込んだものの重要性に。それとも、隠すべきだと判断した自分の為に認められない? でもそれって、彼女を犠牲にしている事にはならないのかしら?」
そう言い、和美は嘲る様な含み笑いを漏らす。一時的にでも抱いた善意を真っ向から否定する様な言葉に、自分のすべてを否定された気分を味わった冨亜奈は、怒りそのままに銃口を突きつける。
「そうかもしれない。けど、それでも私は、彼女の為を思って!」
そう言いかけた冨亜奈は、冷めきった目を向ける和美に気付き、まっすぐに向けていた筈の銃口を僅かにブレさせる。内面を射竦める様な、そんな目で見つめる和美は、底を見切ったと言わんばかりに冷笑を向ける。
「つまらない答え。そんなに自分の本質を認めたくないの?」
彼女の口から出た言葉が、本心では無く現実逃避から来たものだと和美は見抜いていた。目を背けなければ、[[rb:幻想 > ゆめ]]を見続けなければ、彼女の内面は自分を保てない。誰の為でも無く、自分自身とそれを形作る何かの為に、黒木冨亜奈はお行儀の良い自分を錯覚しなければならない。
―――自分にとって都合の悪い罪を直視出来ないありきたりな人間。
やり取りを経てそう評価を下した和美は、それと同時に彼女への興味を失っていた。自分を傷つけ、矛盾を自覚しても尚、罪と向き合い続けようとする三朝詩季とは違い、極普遍的な他責思考である彼女がこの先、凡人に無い、罪の意識に囚われる姿を見せる事は無いだろう。
何処まで行っても普通の人間と変わる事の無い彼女に関わっても、時間の無駄でしかなく、同時にコレクションへ入れる価値も無い。
「つまらないあなたへこれだけは言っておくわ。あなたがどう否定しても、どう目を背けても、あなたの本質は変わらない。何処まで行っても、あなたは他人を平気で食い潰すごく普通の人間でしか無いの」
呂畑の石ころも同然までに価値の落ちた冨亜奈へ、冷え切った口調でそう告げた和美は、もう興味は失せた、と言わんばかりに顔を背けると、離れた場所で待っている詩季の方へ向かう。
遠退く和美の背を目で追った冨亜奈は、彼女に突き立てられた言葉を思い返す。彼女の言う通り、何もかも、自分の独り善がりに過ぎない事は重々理解出来ていた。だが、それでも自身の行動原理は善意であると認識していた彼女にとって、それすら認めない和美の考えは到底受け入れがたかった。
そうでなくては、そうしなくては、自分をここまで育てて逝った両親の心を蔑ろにしてしまう気がしてならなかった。自分を科学者として、育ててくれた両親が指し示してくれた研究者として持つべき良心と善意。彼らが自分の親友達にした様に、誰かの為に研究を役立て、貢献する事の尊さ。それは紛れも無く、良心と呼べるものだった。
そして、あるべき規範が崩れた今、事の善悪を規定出来るのは自分の中にある心だけであり、両親を始めとするたくさんの人から受け継いだそれに従って詩季を救い、彼女と共にここまで来た。
だからこそ、和美からの言葉は、自分と言う存在を形作ってきたものへの冒涜に近かった。
(私の本質はお前の言う通りかもしれない。けど、その上に被さるモノは違う。彼女への想いの無いお前と有る私は、違う存在だ)
そう思いながら立ち上がった冨亜奈は、先を行く和美の背へ指鉄砲を向けた。詩季が見ている今、本物を向ければ勘違いされてしまう。だから今はこうするしかない、とそう内心で納得しながら、彼女は仮初の銃口を向ける。
(いつか、お前を否定してみせる。三朝詩季を食い物にする、お前を)
明確な殺意を込め、冨亜奈は不可視の弾丸を放つ。それに気付いてか、振り返った和美はとうに興味を失った彼女へ、刃の様に冷え切った目で一瞥をくれていた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
それから十数分、目的地であるデータルームへ到着した詩季は、相も変わらず手付かずのそこに違和感を覚えつつ、非常電源を作動させる。
非常用ジェネレータが物々しい音を立てて電力を供給し始め、補助動力であるバッテリーも内部に溜め込んだ電力を開放し、稼働を始める。外で回路を操作していた冨亜奈の手で空調設備を最低限の稼働を始め、、コンピューターに電力が回される。
3つあるそれ等が左側から順を追って起動する中、フリスを抱えた和美が至極退屈そうに欠伸を噛み殺す。先のやり取りからまだ一時間と経たない今、大した作業でも無い事を理由に和美は冨亜奈への協力を拒否していた。
つまらない女のつまらない作業。そこに至るまでの経緯について、詩季が知る由もなかったが、一方の冨亜奈はその理由をひしひしと感じ、悟られない場所で一人歯噛みをしていた。
(あの時、何話してたんだろ)
奥のジェネレータールームから戻ってきた詩季は、ほんの十数分前から変わらない雰囲気を他所に資料棚の方へ移動する。詩季からしてみれば、二人きりの話し合いの後、急に仲が悪くなっていたのだが、道中の連携に支障が無い以上、それを咎めようとはしなかった。
険悪な雰囲気への興味も一瞬の事で、資料棚を前にした詩季は道中、冨亜奈から知らされたこの部屋での目的を思い出していた。
(『アーヴィングカスタム』についての資料探し……)
『アーヴィングカスタム』。渚が帯刀している日本刀型CHARMのシリーズ名であり、熱海での作戦で持ち主に牙を剥いた文字通りの『妖刀』。ここの調査についての発案者である冨亜奈も帯刀するそれについての資料が、ここに保管されている。詩季はその事実の異常性について、いまいち認識出来ていなかったが、和美は違っていた。
熱海での作戦後、渚が『妖刀』からのバックファイアを受けた事に異常を覚えた彼女は、監査官を経由してある程度の情報を得ていたらしい。その中に『アーヴィングカスタム』の情報についての秘匿性が含まれていた。
(G.E.H.E.N.A.の中でもかなりセキュリティレベルが高いんだっけ)
冨亜奈から提供された掻い摘んだ説明をそのまま内心で反芻した詩季は、それだけで今回の事態が不味い事なのかを理解していた。本来厳重に管理されて然るべきモノが流出し、気安く見れるレベルにまで落とされている。
盗み出した人間がどんな意図の下にあるかは兎も角、仮に流出したデータから『妖刀』の複製がなされれば、どんな事態を招く事になるかはあの威力を目の当たりにすれば考えるまでも無い。
この場で行う事は、どの程度のデータが流出しているかを確認する事。流出の事実自体は周知されていたが、今までその規模までは確認できていなかったらしい。が、このデータルームに来るきっかけのレポートを見た冨亜奈によれば、CHARMとして形に出来る程度のデータは流出しているとの事だった。
「詩季にゃん、今話せる?」
状況整理と並行して資料探しをしていた詩季を、棚から顔を出した冨亜奈が呼び出す。件のデータが見つかったらしいと判断した詩季は、手にしたファイルを棚に戻し、彼女の後を追う。誘導に従ってパソコンの前に付いた詩季は、検索終了を待っていた和美と共に、大型モニターに映し出された赤い『妖刀』を見上げた。
「アーヴィングカスタムについて保管されているデータを検索した所、5件ヒットした。それぞれ、基礎研究データ、製造機体の運用データ、アウニャメンディシステマス社側の実証、設計、新造機体の開発研究の各種データ。前者2つが『妖刀』の製造元、カースメーカーズから流出したデータであり、後者3つは流出したデータを基にした模造品について」
「なるほど。それで、重要機密である『アーヴィングカスタム』について、アウニャ社はどの程度把握を?」
「恐らく、根幹技術については把握されてる可能性が高いかな。基礎研究データがまさにそこについてのデータだから。ただ、これをどう機体に応用したかについての開発・設計データが無い以上、彼らは新規に研究、開発しなきゃいけない。だから、根幹システムの模倣は出来るけど、アーヴィングカスタムの模倣までは出来ない程度の理解度、と言う所かな」
椅子に凭れかかりながらそう述べた冨亜奈に、詩季は相槌を打ち、その上で彼女に疑問を呈する。
「であれば、渚さんが使っている様な機体は製造されない?」
「あー、それなんだけどさ。アウニャ社が何作ってるかまではこの場じゃ分かんないんだよね。本来なら、ここで接続されてる端末のデータは見える様になってるんだけど、全部オフラインになってて」
「え? 該当データってサーバー管理じゃないんですか?」
「あ、いや、このデータは個人端末のアクセス可能領域に入ってる。そこにこの端末がアクセスして見える仕組みなんだけど、ネットが物理的に切れちゃってるから見れない状態なんだよ。見ようと思ったら直接行かないといけない」
「直接……。該当データが保存されてる端末の場所は?」
視線を向ける詩季に応じ、キーボードを操作した冨亜奈は、アーヴィングカスタムについてのデータが保管された端末の番号と、その所在地を大型モニターに表示する。フロア表示のみの簡易図、その17階が点滅し、更にズームアップ。フロアの詳細図に切り替わると所在地が丸い光になって点滅する。
「地下17階……。卯月さん達がいるフロアの上ですよね?」
誰に問うでも無くそう言う詩季に、傍らで話を聞いていた和美がようやく口を挟む。
「そうね。そして、警備が厳重になっているフロアでもある。向こうの人手が多い分、こちらの検索行動におけるリスクは高まるわね」
「その点について、単なる皮算用ですが、愛染さんと合流出来れば、彼らの排除はそう難しいとは思えません。あ、いえ、もちろん、合流しても負傷等あれば戦力としてカウントは出来ないのですが……」
「大丈夫よ、隊長さん。あの子はそう簡単にくたばりはしないわ。ここでのんびり、夜を明かそうとか考えなければ、ね?」
そう言い、ウィンクをして見せた和美へ、黙々と頷いた詩季は、つまらなさそうに話を聞いていた冨亜奈に目を向ける。内容と言うよりも、状況に対してつまらなさを感じていたらしい冨亜奈に苦笑した詩季は、慌てた彼女が姿勢を正すのを待った。
「黒木さん、ここでやるべき事はもう有りませんか?」
「んー……。そう、かな。あ、いや。一つある。紙資料の有無の確認。それだけ終われば後は何も無いよ」
「分かりました。では、手分けしてタスク消化を行い、その後、移動を開始します。目標は愛染さんとの合流とその後のアーヴィングカスタムのデータ回収です」
一先ずの主目的を宣言した詩季に、合意の意思を見せた二人は各々行動を開始する。冨亜奈はアクセス可能な他のデータのモバイルストレージへの移行、和美は詩季と共に先んじて紙資料の捜索。
数分の捜索も虚しく、紙の資料は持ち出されている事が分かり、彼女達はそのまま下の階への移動を開始した。