アサルトリリィEDGE   作:Sence023

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第12話『Osmanthus』

 地下28階。幾重にも重なった剣戟の音に、爆発音と聞き誤らんばかりの轟音となった銃声が混じる。ヒュージ、人型兵器、そしてリリィ。怒涛の様に押し寄せる敵意の渦中に、渚達はいた。サクリファイスの黒い刀身が細い喉笛を刺し貫き、鏑矢の様な甲高い音を立てて幼子が倒れていく。

 辺りはすでに青い血の池を形成し、彼女達が仕留めきった異族達の骸が浮かび上がったそれの様に倒れ伏す。三途の川、と形容するに相応しい情景を前に、オリヴィア共々、汗だらけの渚は荒い呼吸を吐く。

 アイネを護り、酷く消耗した様子の彼女等は、彼是30分以上戦い続けており、未だ勢いの衰えない敵を前に再び得物を構える。

「くっ、キリがありませんわね……!」

 人型兵器の振り下ろしをティルフィングで受け止めたオリヴィアは、悪態を吐きながら鉄の巨躯を蹴り飛ばす。物々しい音を立てて吹き飛び、壁に叩き付けられたそれは内壁を砕き、瓦礫に紛れて見えなくなる。

 乱れた呼吸を整えつつ、一歩下がったオリヴィアが振り返った先、援護役に徹しつつ、シューテイングモードとして2分したトリグラフを構えるアイネの姿があった。

 視覚にハンデを持つ彼女は、元々正面切っての戦闘は得意で無く、援護役に回っているのも自衛を兼ねての配役だが、それでもこの暗がりや壁の密集具合、そしてジャミングに近い密度の濃いマギ。

 眼鏡型の視覚補助デバイスはまだ健在だが暗がりで視界が確保出来ず、そして彼女の主要な感覚である聴覚とレアスキル『レジスタ』の俯瞰視野は、壁の密度とマギによってどちらも封じられていた。

 今の所、誤射無く戦えてはいるが、故に酷い消耗を彼女に強いている事は推察するに難くは無かった。

「オリヴィア、アイネを連れて先に行け。取り敢えず上階への道を探すんだ。殿は僕が持つ」

 彼女の視線の先に気付き、指示を下した渚は、突進してきたヒュージを返り討ちにすると、斬りかかってきたリリィの一人の突進を受け流し、振り被ったもう一人を蹴り飛ばす。半ば見捨てろと言うに等しい彼女の進言にオリヴィアが躊躇する間、喉笛を刺し貫いた少女が血溜まりから起き上がり、隙だらけの彼女にグングニル・カービンを振り上げて襲い掛かる。

 不意打ちに近い一撃は寸での所で渚が受け止め、火花と共に鍔迫り合いが始まる。ぎりぎりと金属が擦れ合う、不快な音を悲鳴としてサクリファイスが上げる中、彼女は動揺するオリヴィアを振り返る。

「行け! この場をある程度捌けたら僕も後を追う!」

 そう言い、突進の勢いを失った少女を押し返した渚は左の逆手でサクリファイスを持ち帰ると、右にブラッドティアーズを引き抜く。瞬間的に起動した赤い妖刀で少女を刺し貫き、そのまま縦に引き裂く。再生阻害の妖刀で切り裂かれた彼女は、そのまま臓物を零し、真っ二つになって倒れていく。

 残心で血振りをしたブラッドティアーズを納刀する渚に、一瞬視線を奪われていたオリヴィアは、鯉口の合わさる音で正気を取り戻す。

 そして、彼女の視線に促されるまま、踵を返し、アイネの下へ向かった。

「アイネ、移動ですわ。ここから撤収し、上階に移動する階段を捜索しますわよ」

「え、ええ。分かったわ。渚はどうするの?」

「この場は殿を務め、折り合いを見てこちらを追う、と。一先ず自殺願望の出任せでは無さそうでしたわよ」

「そう……。なら、その言葉を信じるしか無さそうね」

 半ば呆れ気味のオリヴィアを他所に、顔を俯かせたアイネは、何かを念ずる様に無意識に瞼を閉じ、そして意を決すると瞼を開け、白く濁った眼を彼女へ向け、先導を受けて階段の捜索へと移った。

 一方、一人殿として残った渚は一刀の下にリリィを斬り伏せ、呼吸を乱す。倒れ伏すリリィから青い返り血を浴びていた彼女は既に5人を屠っており、足元には幼い骸が折り重なる様にして転がる。顔を俯け、痛む胸の内を抑えていた彼女へ人型兵器が襲い掛かり、咄嗟に顔を上げた渚はサクリファイスを振り上げて凌ぎ、立て続けに突進してきたヒュージを返す刀で両断する。

 飛び散った青い血がスクリーンの様に視界を遮る中、未だ健在の人型兵器へ切っ先を向けた渚の目の赤色に青色が混じり始め、2つの色の境界線、紫色へと変色したそれが帳を下ろす様に赤色を塗り潰していく。

 その間にも迫る人型兵器の振り下ろしを受け止めた渚は、睨み付ける様に赤い光芒を瞬かせたそれを睨み返す。追撃と言わんばかりにもう片方のアームが振り上げられ、咄嗟に蹴り飛ばした彼女はブラッドティアーズを抜刀、そのまま纏わりついていたマギを斬撃波として放ち、射線上の人物諸共、袈裟状に両断し、沈黙させた。

「ッ、はぁっ……はっ、はっ」

 振り上げると同時、自分の中が吸い取られる様な感覚と、今まで抑圧されていたストレスと、心当たりの無い負荷が綯い交ぜになって一斉に渚へと襲い掛かる。今までに無い、視界が歪む程の激しい頭痛を受け、堪らず両刀を取り落とした彼女は、青い血の海へ崩れ落ち、胃酸を吐き戻す。

 激しい呼吸を繰り返す彼女の目は紫色に染まり、波打つ様に歪んだ視界に赤と白、2つの世界が同時に映り込む。

「な……っ?!」

 死者の赤、生者の白。今まで別離して彼女の視界に映り込んでいた2つの世界が同一し、渚の視界には死者と生者が等しく映り込む。その今までなかった光景を前に絶句した彼女は、それまで襲っていた頭痛の痛みも忘れ、しばしの間、呆然と周囲を見回していた。

 赤みがかったノイズの奔る視界には、老若男女問わず様々な人物が立ち竦み、その何れもが何かを見つめるばかりで身動ぎもせずにいた。恐らく死人であろう彼等の夥しいまでの数は、彼女の認識を阻害するに十分で、彼等の体を貫き、増援がゆったりとした動きで渚へ迫ってくる。

 まるで古いアクション映画の様に緩慢な動きは、“時間と言う概念の無い”死者の世界と、“時間と言う概念がある”生者の世界が綯い交ぜになった結果だろう。痛みが抜けつつある頭でそう冷静に推察した彼女は、同じく緩慢な動きの中で自身の体を動かした。

 取り落とした両刀を手に取った渚は、逆手にしたブラッドティアーズを納刀すると、片翼を広げる様に左のサクリファイスを構えた。

(くっ、視界が……!)

 身構えていた彼女の視野は、理の違う世界がまだ完全に混じり切っていないのか、等速とスロー、停止が不規則に入れ替わる。制御不能の視界によって間合いを掴み損ねた彼女は、リリィからの一撃を受け、大きく吹き飛ばされた。

 弾丸の如く吹き飛ばされた彼女は内壁を砕き、降り注ぐ瓦礫に打ちのめされながら土煙に巻かれる。

 うめき声を上げ、耳鳴りのする体を起こした渚は、力無く項垂れた視界の先、心配そうに覗き込むマリアに気付き、無理矢理に笑みを返した。

「やあ、マリア。今日はまだ呼んでない筈なんだけど……。どうしてここに?」

『それはね、たくさんの壊れた魂を食べたからなの。いっぱいいっぱい、御姉様達が殺した子の魂を吸収したから、御姉様が呼ばなくてもこうやって出て来れる様になったの。それより、御姉様こそ大丈夫?』

「ああ、まぁ。大丈夫。サクリファイスがあるから。それより、マリア、今僕の体に起きている事、君は理解できてるんじゃないか? 良ければ教えて欲しいんだけど」

 その場に座り込み、黒いエプロンドレスに身を包んだマリアを見上げる格好になった渚は、子どもの様な笑みを向ける彼女に笑い返す。

『うん、良いよ。今、御姉様の体は、魂、ううん、レアスキルが進化している段階にあるの。御姉様のレアスキルは、壊れた魂を大量に取り入れた事で進化していて、前よりもっと、死者の世界に近付いている状態。だから、御姉様が取り入れた死者である私も、よりこの世界に干渉出来る様になったの』

 まるで幼子の様だった生前からは考えられない程にしっかりとした口調で説明するマリアへ、お礼を言いながら顔を俯けた渚は、得意げな彼女の言葉を理解し、そして、自身に起きた異変を理解した。

(要するに、僕はより怪物になったって事か)

 死者の世界と生者の世界にまたがる門であり、両者にとっての異物。レアスキルの進化に伴って異物としての格が上がった事で、この世のあらゆる人々から、より乖離した存在になっていた。それが、マリアから告げられた、認めがたい宣告だった。

 目を伏せ、その事実を飲み込んでいた渚は、徐々に近づきつつある足音に目を開くと、体に力を入れて立ち上がり、手持無沙汰に踊っていたマリアへ視線を向ける。

「マリア、質問がある。僕の視界に、死者が映らない様に出来るかい?」

『うん。出来るよ、お姉様。だって今の私は、お姉様のパートナーだもん!』

「そっか、頼もしいな。じゃあ、お願いするよ」

 寂しさを残した渚の微笑に対し、励ます様な満面の笑みを向けたマリアは、体を宙に浮かせると頭二つ分高かった渚と視線を合わせた。笑みを張り付けたままの彼女の人差し指がそっと差し出され、渚の額に触れる。

 幼子がまじないをかける様な、そんな仕草でマリアが念を送ると、渚の視界に広がっていたノイズは収まり、無数の死人は姿を消した。

『これで良い? お姉様』

「ああ、十分だよ。ありがとう、マリア」

『えへへ、どういたしまして』

 年不相応の、幼い笑みを向けるマリアへ、誤魔化しきれない寂しい表情で笑みを返した渚は、サクリファイスを手に破孔を跨いで外へ出る。追撃の為に掛けてくるリリィ達を見た彼女は、腕の内側に付けたスマートウォッチに視線を向ける。

「ああ、そろそろ合流しなきゃ不味いな。……この散らかり様でトラック出来れば良いんだけど」

『だったら道案内したげようか? アイネお姉様の魂なら覚えてるから、何処を通ったか追えるよ』

「へぇ、そう言う事も出来る様になったんだね。じゃあ、お願いしようかな」

 微笑と共にそう言った渚は、またまた得意そうな顔をするマリアが先を行くのに苦笑し、彼女を追って敵の渦中へと飛び込んでいった。

 

 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 地下25階。上階までの捜索を終え、陰惨さ極まる雰囲気を纏うそこへ足を踏み入れた優愛達は、その並々ならぬ気配に固唾を飲む。

 強化リリィを取り扱う地下21階以降のエリアでも、“それなり”の実験設備や部署が集う、特に生臭いフロアである地下25階は、そう言うテーマのホラーハウスと銘打てば一級品と称される程に内装は酷く痛み、彼方此方には弾痕や斬撃に対する修繕の痕跡や染み込んだ多種多様な色合いの血痕が見られ、その凄惨な痕跡は、具体的にこそ分からなくとも、ここで何をしているのか、と言う雰囲気を見る者に伝える。

 雰囲気に違わず、ルドビックラボの非公式実験の総本山とも言える場所であり、優愛達はこの場所を、強化リリィについての情報収集における最終目的地と設定していた。

 先導する真霜に続き、グングニル・カービンの銃口を巡らせていた優愛は、停止のハンドサインを出した彼女に気付き、足を止める。曲がり角の向こうにリリィがいる、と出されたハンドサインへ優愛は頷き、背後で待機していた和美達にも同様のサインを出す。

 その間、デバイスを起動した真霜が自身の視界情報を優愛へ送る。一本道の先、リリィが一人、こちらに背を向けて蹲っており、何かを捕食しているらしく、時折咀嚼する様な素振りを見せている。外見からはCHARMを携えている様子も無く、やろうと思えば速攻で排除出来る相手だが、それには一つ問題があった。

 仮に何かあった場合、戦闘音で周囲の気を引かないか、と言う点だ。

 今の所、フロアには彼女以外に敵性対象はいなく、当の本人も丸腰の様だが、かと言ってそれ以上何も無いと楽観視出来る訳では無い。現状、2名の戦闘不能者を抱え、チームとしての取り回しに難が生じている以上、対応の出来ない不測の事態を引き起こすリスクは避けたいのが実情。

 だが、そうもいかない事情もあった。

 彼女がいる一本道は、このフロアの第一目標である中央研究室に通じる近道だ。無論、来た道を戻る事でこの場を迂回する事は出来るが、それでは到着に時間がかかる。孤立した渚達が耐えられるまで、と言う検討のし辛い、極限られた時間の中でフロアの捜索を進めなければならない、と言う事を考慮すればあまり時間を浪費する行動はベストな選択では無い。

 なし崩しに指揮を任されていた優愛は、含蓄を込めた目配せをする真霜に苦笑を返し、通信機を起動する。

「ここを強行突破します。浅木さん、私が援護します。戦闘準備をお願いします。浅木さんによる目標の無力化後は全員速やかに移動し、目的地へ向かいます」

 一息に指示を出した優愛は、横顔を向けてきた真霜に指で3カウントを指示し、自身の背後に回っていた面々にアイコンタクトを交わす。全員一様に頷き、指示の伝達が出来ている事を確認した彼女は、目標の観察を続ける真霜の肩に手を添えた。

 不意打ち気味だったらしいそれに驚き、小さく身を竦めた彼女は、手の主が優愛と認識するや強張っていた体を緩め、戦闘に備える。

 一呼吸の後、優愛が3度肩を叩き、0と同時、彼女に押された真霜は、彼女が与えた勢い以上の速度で瞬発し、角から飛び出す。

 程よく脱力し切った彼女の手に引かれ、ヨートゥンシュベルトはマフラーの様に棚引き、その切っ先で床をなぞっていく。痛んだリノリュームの床が削れ、破片が舞い上がる中、異音に気付いたリリィが行動の手を止め、音のする方、自身の背後を振り返る。

「くたばれクソガキ!」

 悪態と共に薙ぎ払われたヨートゥンシュベルトが少女の首を撥ね、弾丸よろしく打ち上がったそれが天井で破裂する。スプリンクラーよろしく内容物が降り注ぐ中、自身も青い鮮血を首から吹き上げていたリリィは、膝立ちになると同時、首から夥しい量の触手を吹き上げた。

「んだと!?」

 驚愕し、一瞬足を止めた真霜は、ヒュージと化したリリィの首から降り注いだ触手を回避し、そのまま後方転回で距離を取る。仕留め損なった事に憤慨してか、何処からともなく奇声を上げるそれは、威嚇する様に地面を叩く。しなり、叩き付けられる度に鞭の様な快音を鳴らす触手はまるでスケールアップした青白いミミズの様な体躯をしており、明らかに体に収められない長さであるそれは、根元(リリィ)が持っていたブーステッドスキルに相乗りし、か細い少女の首を拡張しながら徐々に数を増やしていく。

 計6本まで増えたそれは真霜に狙いを定め、鞭の様なしなやかさで絶え間ない打撃を彼女に浴びせる。軌道こそ読み易くとも、踏み込む隙を与えない連打を前に真霜は足踏みし、回避に専念する事で手いっぱいになっていた。

「クソが!」

 横薙ぎに振るわれた一本をカウンター気味に切り裂いた真霜は続く乱打をロールで回避し、そのまま前へ飛び込む。姿勢を低く取り、ヨートゥンシュベルトを構えた彼女は、本体である少女の体を狙って突貫する。

(本体さえやっちまえば、こんなもん!)

 単純明快な軌道の殴打を回避し、眼前に迫った少女の体目掛けて振り被った彼女は、全身に走った悪寒に目を見開き、突進の勢いを殺してバックステップする。瞬間、彼女の眼前を交錯する様に鏃状の殻を纏った触手が貫き、突き出していた真霜の手の甲が浅く切り裂かれ、鮮血が宙を舞う。

 寸での所で回避した真霜はバランスを崩したまま、後方転回を決め、再び距離を取る。舌打ちし、再び突き出された殻付きの触手を捌いた彼女は、鞭打ちに混じって放たれるそれにリズムを崩され、次第に被弾し始める。

「チッ、うぜえんだよォ!」

 悪態と共に、叩き付けられた殻を弾き飛ばした真霜は、全身の傷口から不快な水音を鳴らしながら再び突貫する。彼女を包み込む様にその先端を向けた触手が迫り、緩慢な動きのそれに不敵な笑みを浮かべ、彼女は更に加速する。

 押し潰す様な重量のある衝突音を背後にすり抜けた真霜は、眼前に迫った殻に目を見開き、咄嗟に身を躱す。大きく姿勢を崩した彼女は、横ロールでバランスを取り戻し、着地するも、すかさず振り下ろされた追撃を受け止める。

 十分に加速した外殻の一撃に、防御こそ間に合ったものの叩き付けの衝撃を諸に食らった真霜は、不出来な突撃槍を思わせる殻の下で、半ば無意識に呻き声を上げる。

「くっ、そがぁああッ!」

 気合一閃、真上に弾いた真霜は、そこを狙って突き出された触手を腹部に受け、そのまま壁と挟まれる様にして叩き付けられ、四肢をなびかせた彼女は崩れたそれの向こうに消えていった。

「浅木さん!」

 堪らず叫んだ優愛に気付いた触手は、次の標的を彼女と決めたのか、眼球を生やした先端を向け、不気味に体をしならせる。見る者が見れば発狂しかねない相手を前に歯噛みをした彼女は、構えたグングニル・カービンの引き金を引く。

 瞬間、けたたましい銃声が鳴り響き、カービンの銃口から絶え間なく放たれたペレット状の粒子ビームが構えられた殻に弾かれ、廊下の壁に無数の弾痕が穿たれる。放たれた光弾を全て弾いてみせた殻には、何らかの器官によって表面に何層ものマギが張られており、盾としても行使出来る様だった。

「くっ……!」

 真霜の苦戦から、あっさり片が付くとは思っていなかった優愛だが、それでも上手くいかなかった事に歯噛みし、カービンを構えた。彼女が引き金を引くよりも早く、攻撃に転じた触手が一手先を行き、真霜と同じく叩き潰さんとその先端をしならせる。

 そのあまりの速さに引き金を引く事を忘れた優愛は、猛烈な勢いで迫る肉塊を見つめる事しか出来ず、その間にも触手は鞭の様な速度で以って叩き潰さんと迫る。風切り音と共に彼女の頭が果実の様に砕かれる寸前、触手は横合いから射抜かれ、スイングの勢いを伴ったそれは、無残に千切り飛ばされ、廊下に叩き付けられる。

 トカゲの尻尾の様に暴れるそれは追撃の一撃で破裂し、四方八方に肉片と体液を飛び散らせる。

「大丈夫!? お姉ちゃん!」

 追撃を放つ時の冷徹な目はそのままに声を張った麻衣と目が合った瞬間、体の力が抜けた優愛は崩れ落ちそうになった体を彼女に支えられる。涙目の姉を見下ろし、苦笑を漏らした麻衣は、怒り心頭と言わんばかりに触手を振り乱すヒュージに銃口を向ける。

 庇う様に前へ出た麻衣は天の秤目を発動した目を刃の様に鋭く研ぎ澄まし、天井を擦りながら触手を躍らせる怪物を照準した。その背後、グングニル・カービンを立てた優愛は、妹に撃ち飛ばされた1本が何ら修復の兆候を見せていない事に気付く。

(……もしかして、触手の成長に回したせいで貯蔵マギが切れてる?)

 内心で事象に対する推測を述べた優愛は、咄嗟に背で押し倒してきた麻衣に小さく悲鳴を上げる。直後、冷や水を浴びせる様に触手が麻衣の防護障壁を掠め、侮れない質量の一撃を受け流した障壁が、バチバチとスパーク音を上げる。

 そのまま妹の背を支える格好になった優愛は、脳内の仮説を実証すべくカービンの射撃モードを変更し、麻衣の脇をくぐらせ、彼女の体側からビームライフルを放つ。

 数発放たれたそれは、照射半径の問題から切断にこそ至らないものの、障壁を擦る触手を疎らに抉り、火傷と切創を伴う激痛を与える。白煙と炭化した断面をひび割らせ、触手は何処からか苦悶の叫びを上げて優愛達を威嚇する。

 空気を震わせるほどのそれを前にしても尚、優愛は冷静さを失わず、自身が付けた傷跡が回復しない事を確認し、そのまま妹の肩を叩く。

 阿吽の呼吸でアステリオンを構えた麻衣は、狙い撃つまでも無い距離に僅かな嘲笑を浮かべ、引き金を引いた。

「良し……っ」

 手応えを感じた優愛の声と共に、衝撃波を伴う音速弾が触手を射貫き、切断されたそれが彼女達目掛けて落下する。麻衣毎の横ロールでそれらを回避した優愛は、切断痕から青白い体液を零し、弱弱しく舞い踊る触手を自身の視界に認める。

(やっぱり、もうリジェネレーターを行使するだけのマギは無いんだ)

 内心で実証結果を反芻した優愛は無言で麻衣の肩を叩くと、アステリオンを構えた彼女に発砲させた。音速以上の高初速で放たれた大質量の一撃は、盾として構えられた殻に弾かれる。だが、質量と初速の相乗効果で生み出された高威力の前では如何に堅牢であっても無傷では済まず、外殻には大きな亀裂が穿たれる。

 亀裂を生みつつもしならせる事で衝撃を受け流した触手は、天井を砕いたそれに目もくれずその切っ先を麻衣達に向ける。刺し違えてでも彼女達を貫かんとするそれに、脇道から様子を見ていた黄昏が助勢を進言するが、冷静さを保っていた優愛は躊躇わず拒否する。

 今ここで黄昏の助勢を受けると詩季達の護衛が和美だけになってしまう。別動隊の来襲などの不測の事態に備えるならば、極力対処の手数は維持したい、と彼女は考えていた。

 そして、自分達はまだ、致命的なピンチに陥ってなどいない、とも。

 視界に呼び出していたウィンドウから目を逸らし、不敵な笑みを浮かべた優愛を、不安そうな顔の麻衣が振り返った直後、ヒュージによって穿たれた破孔から再び猛然と砂煙が上がる。

「ゥおらァあああッ!」

 白煙を切り裂き、柳葉刀を振り上げた真霜がひび割れた殻ごと数本を切り落とし、ヒュージ本体を挟んだ対岸へ着地する。切り落とされた肉片が降り注ぎ、墜落した殻がトドメを刺されて砕け散る中、真霜は飢えた獣の様な目をヒュージに向け、肩にヨートゥンシュベルトを担う。

 腹部に一撃を受けてから今までの間に、リジェネレーターで内臓損傷を回復していた彼女は、自身に不快感を与えた相手であるヒュージに並々ならぬ殺意を向ける。

 恐怖を感じないのか、それとも観念したのか、身動ぎしないヒュージ本体へと真霜はゆっくりと歩み寄り、担っていた得物を見せつける様に下ろす。

 対するヒュージは切り落とされた触手を修復出来ず、唯一残された殻付きの一本を振り乱して近寄ってくる真霜を威嚇するが、当の彼女には通用せず、むしろ耳障りな風切り音に苛立ちを募らせ、舌打ちをしていた。

 威圧的に煌めくヨートゥンシュベルトの刃が闇夜に担い手の凶暴性を浮き上がらせ、それに怯えたのか、錯乱した様に宙でとぐろを巻いたそれがばね細工の様に加速し、真霜へと猪突する。

 コークスクリューブローの要領でとぐろを解き、回転した触手に心底つまらなさそうに嗤った真霜は、二度の爆音と共に横合いへ弾かれたそれを流す。アステリオンの銃撃で切っ先を弾かれ、本体から切り離された殻は回転した勢いを維持し、ドリル宜しく壁に突き刺さる。身動きの取れない不自由さに藻掻き、暴れ回った触手は断面から青い体液をまき散らしながら突き刺さった壁の構造材を削り、やがて力を失った。もうもうと上がる砂煙へ隠れていくそれに興味を失くした真霜は、流した視界にアステリオンを構えた麻衣とその背後、彼女の肩に手を乗せた優愛の姿を認めた。

「おせっかいどうも」

 小声で皮肉った真霜は、下ろしていたヨートゥンシュベルトを払い、切っ先を引いて構えると、そのままヒュージ本体目がけて駆け出す。触手を失ったそれに、もう彼女を邪魔する術は無い。必殺を確信した彼女は、身動ぎの無い薄い体に向けて刃を突き立てた。

 心臓を潰し、最後の主要器官を破壊した彼女は刃を引き抜くと共に、倒れていく元少女の体を心底下らなさそうに見下ろす。仰向けの胸部に傷痕を穿った少女の体は、倒れるに遅れて床に青い体液を広げていく。

 なけなしのそれは数秒と経たずに枯れ、白い病衣に溜め息と唾を吐いた真霜は血振りから納刀し、そして優愛の元へと戻っていく。

「御節介感謝するぜ、臨時隊長殿」

「ご無事で何よりです。ちゃんと仕留めて頂けると思ってました」

 賞賛を向けた優愛は、興味無さそうな真霜に無言で流され、その愛想の無い行動に苦笑を漏らした。

「一先ず、当初の予定通り、ここから移動しましょう。和美さん、こちらへ合流をお願いします」

 通信機を起動し、そう指示を出した優愛は、無言で先を行った真霜を追い、目的地に向けて歩いて行った。

 

 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 一方その頃、アイネ達を追っていた渚は、赤いノイズが走る視界に光の糸の様な物を映し、それを道しるべに廊下を駆ける。

(マリアが言っていたアイネ達の魂の残滓とやらを追ってはいるけども……)

 光の糸、それは赤い死者の世界に転写されたアイネ達2人の魂の残滓で、時間と言う概念の無い死者の世界においては、彼女達の移動の軌跡は連なった1本の線となっていた。

 レアスキルの進化により、より死者の世界へ近付いた事の副産物。自身が世界にとっての異物である自覚と嫌悪感を抱きつつも、その恩恵に預かっている現状に、渚は苦々しい思いを抱いていた。

 気持ちを切り替え、道しるべを追う渚は、自身と併走するマリアに視界を塞がれ、笑みと共に彼女を払い除ける。逃走する際の戦闘以降、基本的に戦わない様にしていた事が、彼女にとっては退屈かつ苦痛である様だった。

(実際、彼女達と交戦する事はマリアにとって都合の良い事でもあるだろうしな……)

 そう内心で独り言ちていた渚の脳裏には、先の戦闘直後、前のめりに積極的な戦闘を提案するマリアの様子が過ぎっていた。

 らしさを失う程に前のめりな提案は、娯楽を求めてと言うよりも、飢えていた獣が腹を満たす為により多くの餌を求める様な、きわめて原初的な欲求に突き動されての産物であり、それは霊体が備えた本能の一つと言うべき、堪えがたい物であろう事を理解していた。

 だが、渚にとってリリィ達を殺し、その魂で以ってマリアを昇華させていく事は、自身が嫌悪するレアスキルをより進化させていく事に他ならず、故に彼女は必要最小限の戦いに留める方針でいた。

(ごめん、マリア)

 利己的な選択で可愛がっていた義妹を苦しめている事に内心で謝っていた渚は、不意に足を止めたマリアに気付き、慌てて引き返した。一部が破壊された扉の向こう側、食い入る様に彼女が見つめた先、人一人を収められる程の大型シリンダーが内液に気泡を浮かせ、怪しく光っていた。

「ああ言うものに興味があるのかい、マリア」

 少し悪趣味すぎやしないか、と内心で思いつつ、子どもにする様な問いを向けた渚に、マリアは首を横に振る。

『少し、懐かしいなって、そう思って』

「懐かしい?」

『うん。懐かしい。だってここは、私が生まれ育った所だもん。昔ね、たくさんあるあの中に私の妹が一つずつ浮いてたのを見たの。まだ小っちゃい、赤ちゃんにもなってない妹が』

 笑みを浮かべ、そう言うマリアの言葉の意味を理解出来ず、渚は酷く困惑した。

 ルドビックラボの、それもいかにも血生臭そうなこの場所を彼女は生まれ育った場所と言い、挙句たくさんあるあの悪趣味なシリンダーそれぞれに妹が浮いていた、と言う。

(どう言う事だ。この子は普通の、ラボ預かりの強化リリィじゃなかったのか?)

 眉間に深いしわを寄せ、浮かび上がる思考を彼女が咀嚼する間、マリアは鏡写しの様に困惑の表情を浮かべていた。まるで親の顔色を窺う子どもの様なそれを前に、誤魔化し笑いを浮かべた渚は、考え事を止め、泣き出しそうな彼女の頬へ手を伸ばす。

「ごめん、マリア。不安にさせて」

 務めて柔らかい声色でそう言った渚は、伸ばした手をマリアに掴まれる。握り締める小さな手の感触と、鉄の様な冷たい温度に身を竦めた渚は、それまで頭を巡っていた思考が全て吹き飛ぶ程に驚き、そして、すりすりと頬擦りされる感触に背筋を凍らせた。

(僕、今、マリアに触れて……!?)

 動揺し、心拍数を上げた渚は、サクリファイスの作用で冷静さを取り戻しつつ、親指の先でマリアの頬を撫でた。戦いで荒れ、ざらついた感触のそれに、きめ細やかな肌の感触に冷たい死人の体温が混じって伝わる。繰り返すスキンシップをくすぐったく感じ、嬉し気に笑った義妹を見下ろした渚は、ようやく手に伝わる感覚が幻覚では無い事を確信し、顔を俯けた。

『……御姉様? どうしたの?』

 義姉とのスキンシップを堪能し、満足そうに渚の手を離したマリアは、静かに目を閉じていた彼女へ心配そうな声をかけ、その顔を覗き込む。

 気を引こうと肩を叩いてみる彼女に苦笑した渚は、深呼吸の後、脳内に渦巻かせていた心配事を一旦押し留め、目を開けた。

「僕は大丈夫。先を急ごう、マリア」

 誤魔化す様にそう言った渚は、腑に落ちない顔のマリアへ微笑を向け、再び道しるべを追って走り出す。

 忍者を思わせるコンクリートの迷宮へと彼女が消えていく中、一部始終を見ていた一人の少女が曲がり角から姿を現す。

「へぇ、私に似た幽霊を連れたリリィかぁ」

 血まみれのダインスレイヴを手にした彼女は、上階で詩季達を襲撃した白い髪の少女。赤い目を笑みに歪めた彼女は、床の構造材を削りながらゆっくりと渚のいた所へ近付いていく。

「服装からして、アイツはさっき壊し損ねた奴の仲間っぽいし、あっちも面白そう」

 くす、と笑い声を漏らした彼女は退屈しなさそうな遊び相手の姿を思い出し、踊る様な足取りで渚を追っていった。

 

 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 場所は戻り、地下25階。道中、数名のリリィを排除した優愛達は、同フロアで最も大きい研究室に侵入していた。オフィスの一角も格やと言った内装の研究室は、扱う研究の影響からか、他に比べて一段とレベルの高い厳重なセキュリティが施され、今や優愛達によって無残に破壊されたドアもその一端だった。

 今や万人を歓迎する有様の研究室の一角で、補給物資を広げていた優愛はこれから先の道のりと各個人の消耗度合いを考えて各人が回収、保有していた物資を振り分けていた。汁気の無い固形栄養食にラベルレスの飲料水、嗜好品の類は一切無い、味気無い必要最低限の物ばかりが、突き合わせた事務机を辛うじて賑わせる。

 上階と比して貧相と言える状況は、道中の殆どの食料品が強化リリィ達に食い尽くされていた事に起因していた。

 満足な糧食を保証できない現状は、優愛にとって好ましい状況では無く、長時間行動の疲労に加えて十分な栄養補給も出来ないとなれば、当然部隊が発揮できるパフォーマンスは下がってしまう。かと言って無い物ねだりをしてもしょうがない。

 そんな状況を頭の中で思い起こしながら、優愛は改めて机上を見下ろす。彼女の傍では、キャスター付きのイスを並べて真霜が仮眠を取り、その対岸では深い呼吸を繰り返す詩季が昏い顔を俯かせて腰を抱き、彼女の背に張り付いていた。

 物資管理用のメモとのにらめっこを終えた優愛は休憩がてら背後を振り返り、彼女に押し退けられる様な形になった詩季が軽くパニックになりかける。呼吸を乱しかかった彼女を宥めた優愛は、自身の背後で進められていた作業に目を向ける。

 視線の先、電子データ検索の担当になった冨亜奈と麻衣は、沈黙したPCとCHARMを繋ごうと側面のカバーを開けた筐体をを弄り回していた。

 と言うのも、この研究室には予備電源が無く、現状ではPCの一つも動かす事が出来ない。強化リリィについての情報収集に際し、PCが点かないのでは電子データの検索も閲覧も出来ない為、如何にかして動かそうと麻衣が考えついたのがCHARMを外部電源として利用する方法だった。

「んもー、まだ電源点けれないのぉ? かれこれ十数分経ってるよぉー」

「口を開くな、黙ってろ。気が散る」

「んだよその連れない態度はぁ」

 取り付く島も無い態度にむくれる冨亜奈に目もくれず、机の下に潜り込んだ麻衣は黙々と作業を進める。優愛から借り受けたグングニル・カービンのパワーサプライユニットに接続したコードを、PCの電源ユニットへ接続した彼女は、事務椅子の上でつまらなさそうに回る冨亜奈へ、CHARMを起動させる様に指示した。

 電源ユニットのLEDに緑色が灯り、パワーサプライユニットを経由して適切な電圧で電源供給が為されている事を麻衣へ伝える。カバーを開けたまま、机の下から這い出た彼女は、PCの電源ボタンを押し込み、起動させた。

「電源係、CHARMから手を放すなよ」

「分かってまーす。ってか私病み上がりなんだけど、気遣いとか無い訳?」

「は? お前、今が病み上がりに優しく出来る様な状況だとでも思ってんの?」

 横目で睨んだ麻衣に、コメディリリーフな動きでうっと詰まった冨亜奈は、その勢いで手にしたグングニル・カービンを取り落としそうになる。詩季への考慮もあって麻衣が声を荒げる事は無かったが、それでもより一層鋭い目が冨亜奈へ注がれた。

 吐き捨てる様な溜め息の後、キーボードに手を付けた麻衣は流れる様なキータッチを披露しながら、PCのデータを探り始める。彼女の操作によって開いては消えていくシステムログが、目当ての物は無いと告げ、ほんの数秒の間にPC内の全てが検索される。

「キーワード、強化リリィに該当するデータ無し……。ん? いや、そもそもPC自体に保存されてるデータが無いのか」

 主要なフォルダを手当たり次第に開いた麻衣は、空と表示されたそれを見て独り言ちる。とは言え、記憶領域が常に空のパソコンが研究所に存在する筈が無く、機密保持を目的に何らかの手段で消されたか、と脳裏で推理した麻衣は手掛かりを求め、更にキーボードを操作する。

 その隣、動力役に徹しようとしていた冨亜奈は、漏れ聞こえた麻衣の独り言に反応し、開いた左手で彼女の肩を叩いた。

「まいまい、ルドラボの高レベルセキュリティのPCは、サーバー一括でデータ管理してるからPC本体じゃ情報取れないよ」

「……それ、早く言えよ。後、馴れ馴れしく私をあだ名で呼ぶな。お前はまだ仲間じゃない」

「ちぇっ、お堅いこって。全く、お姉ちゃんと違ってそっけないねぇ、麻衣ちゃんは」

 肩を竦めつつ、揶揄う様な物言いをした冨亜奈は、仏頂面でシャットダウン操作を行う麻衣から睨み付けられる。わざわざやらなくて良かった作業をやらされた事もあってか、その目は薄い刃か針の様に鋭く、心臓の弱い者が見れば心停止を招きかねない程だった。

 性格上の相性故に未だ打ち解け合えない二人のやり取りを、苦笑を浮かべて見ていた優愛は用無しのグングニル・カービンと引き換えに、彼女達に割り当てた補給物資を手渡す。

 小言の言い合いが絶えない二人が指し示した様に固形栄養食を口に運ぶと、乾燥した粘土の様な食感が口の中の水分を一気に吸収し、噛み砕かれた可食性の土塊達がザラザラと口の中で転がる。ぼそぼそとした食感と小麦の微かな甘さ以外の刺激が無いそれに彼女達は気勢を削がれ、口を開けば出た筈の小言も栄養食と共に噛み砕かれて無くなった。

 騒がしい雰囲気は鳴りを潜め、訪れた静寂の中、手持無沙汰になった優愛は突然襲い掛かる眠気に負けじと深く息を吐いた。アドレナリンが抑制していた疲労の感触の剣呑さに苦笑した彼女は、自身に隠れる様にして凭れかかってきた詩季に驚き、落ちかけた瞼を大きく開いた。

 何かから隠れる様に縋り付き、フルフルと小さく震えていた彼女は、その体躯とは裏腹に何かに怯える小動物の様な印象を優愛に与える。ゆっくりと詩季の背に触れ、優しく撫で回した優愛は苦し気な呼吸を聞きながら内心の焦りを募らせていた。

(この感じ、あまり時間は無さそうですね……)

 詩季の心の耐久がそろそろ限界に近い事を悟った優愛は、脳裏に過ぎった同級生達の死に姿に唇を噛む。

 常に死の匂いが漂い続ける戦いと言う名の非日常に晒され続け、心を砕かれたリリィがどう言う末路を辿ったのか、彼女はその目で飽く程見てきた。自棄になり、暴れ回った挙句に処置された者、自らこの世との繋がりを絶った者、非日常から帰れなくなった者、非日常に砕かれたリリィ達は様々ながら等しく、優愛の目の前から去っていった。

 ──―もう悲劇は繰り返さない。

 そう心の中で呟いた優愛は、麻衣や冨亜奈の視線を無視して詩季を抱き返す。震える詩季の体温を感じ、ゆっくりと目を閉じた優愛は呼吸を荒げる彼女の背をそっと撫で擦り、正常な呼吸を促す様に落ち着かせていく。

 呼吸が安定し、詩季の震えが収まっていくのを確認した優愛はゆっくりと彼女を解放すると、気まずそうにそっぽを向いた冨亜奈へ苦笑を向ける。

 気まずさを与えた事を優愛が謝罪する中、輪に馴染んでいる彼女を遠目に見ていた麻衣は仏頂面の裏で燻る様な焦燥感を感じていた。

 今まで危惧していた姉が自分から離れていく事が現実味を帯び始め、一人置いて行かれる恐怖に駆られた麻衣は、無意識に手の中のペットボトルを握り締め、ペット材の悲鳴が部屋中に響き渡る。

「麻衣ちゃん?」

 妹の様子がおかしい事に気付いた優愛が心配そうに見つめ、身を竦めた麻衣は恐る恐る彼女の目を覗き込む。何の疑いも無い澄み切った目が覗き込んだ麻衣の目を迎え、それ故に彼女は苦しい表情を浮かべた顔を俯かせる。

 具合が悪いのか、と立ち上がった優愛が頬に触れ、促されるまま顔を上げた麻衣は本心から心配する彼女の表情に、安堵と怯えを交えた表情を返す。姉を気を引けた嬉しさと、自分の内心を彼女に知られる恐怖、それを綯い交ぜにして浮かべた彼女は僅かに呼吸を乱し、合わせていた筈の目を泳がせる。

「麻衣ちゃん、麻衣ちゃん!」

 強い語気と共に真に迫った顔の優愛が麻衣の体を軽く揺さぶる。少し乱暴な姉の対処で僅かに落ち着きを取り戻した麻衣は、軽く彼女を押し退けて距離を取る。押し退けられた優愛は、安堵と不安が織り交ざった目を彼女に向け、数度の深呼吸をする妹を見守る。

「ごめん、お姉ちゃん。私なら大丈夫。心配させてごめんね」

「え……。あ、うん。なら、良いんだけど」

 有無を言わさぬ麻衣の言葉に優愛が歯切れの悪い返答を返す。物理と行間、それぞれに少しの間隔を挟んだ二人の間に、気まずい沈黙が流れる。

 数瞬の後、沈黙に耐えきれなかった優愛が何かを切り出そうとするが、1台のタブレットを手にした和美に割り込まれ、タイミングを失った。

「あら、何かしようとしてた?」

 悪びれるでも無い口調と微笑を優愛に向けた和美は、手にしたタブレットを目の前に据えられた机にそっと寝かせた。バッテリー残量減少と記されたロック画面をスワイプした彼女は、何処からか手に入れたパスワードを入力する。

 ロックが解除され、一時的に封じられていた情報が同時に解かれ、文書データの1ページが彼女達の前に表示される。

「これは?」

「この研究室の研究成果にアクセスする為の端末よ。そこの金庫の中に保管されてたわ。まぁ、端末の殆どが放電してたけど」

「それで、この文書達は?」

「何度か交戦してるリリィ達に関する資料よ。ルドビックラボにおける強化リリィの開発資料と、そして優秀なリリィの細胞にヒュージ細胞を馴染ませ、培養して製造する人造リリィの開発資料。大まかにこの二つがこの端末に保管されていたわ」

「強化リリィはともかく、ルドビックラボは人造リリィまで開発を……」

「あら、知らないの? 国際条約の規定上、表に出てこないだけで人造リリィの研究開発は世界的なものなのよ? 何せ、世界的に対ヒュージ戦戦力の量は圧倒的に不足しているし、おまけにその不足しがちな戦力の質が個人の素養に左右されるとなっては、近い将来、戦力確保に苦心するのは目に見えているもの」

 条約違反と言う汚れ仕事に身をやつす事になった者を嘲笑うでも無く、ただ淡々と事実を述べた和美へ頷きを返した優愛は、その脳裏に甲州撤退戦で死んでいった犠牲者達を浮かべる。この技術が確立できていれば、彼女達は命を落とす事は無かったのだろうか、とそう疑問した彼女は、閑話として和美が説くヒュージ細胞の神秘とその万能性についてを聞き流しながら資料をめくっていく。

 滑らかなパネルの感触と共に切り替わる資料を流し見ていた彼女は、その中に挟まった画像、一糸まとわぬ姿に剥かれた、見覚えのある様な容姿の少女にスワイプする指を止めた。髪や肌質の特徴から、幾度と無く渚達を襲った少女その人を写していると、優愛は即座に断じる。

 だが、視線映像以上に鮮明に写された幼い容姿は精巧な人形の様であり、特徴的な髪や肌質と合わせ、今は亡い義妹(マリア)の姿を優愛に想起させる。脳裏に彼女の笑みを過ぎらせた優愛は被りを振り、悪趣味極まりない画像へと意識を向け直した。

 画像の日付は2年程前。鈍色の施術台を背景に眠る少女の四肢は、頑強な手錠によって固定され、まるで“人体の調和”の様に広げられていた。同じ年頃と納得出来る大人になり始めの幼さの抜け切らない、どこか見覚えのある可愛げを湛えた顔、透き通る程のきめ細やかな白い肌に美しい曲線を描く、女性らしさを発露し始めた彫刻を思わせる様な、思春期特有のアンバランスな肉体美。

 それらとは裏腹に、まるで解剖前の実験動物の様な有様は、画面越しにも血生臭さを漂わせ、これから起こるであろう悪趣味極まりない狂人達の児戯を連想させるに難くなかった。

《人体との内部構造の相違点を確認する為、解剖される人造リリィ第0号『FS‐0000』》

 画像に添えられた説明書きを読んだ優愛はページを巻き戻し、そのまま滑らせた目を資料のタイトルへ移動させる。

《ルドビックラボ製人造リリィ第0号、識別名称『FS‐0000』について》

 何とも味気無い英字と数字の組み合わせ、読み進めてもそうとしか呼称されてない彼女は本当に人の姿をした実験動物としか扱われなかったのだろうと優愛は内心で独り言ちる。

 早期にS級レアスキルに覚醒し、評価と称した殺し合いでも生半可な強化リリィを圧倒したと記されており、その確かな性能を読み解いていた優愛はそれに反比例する様な凶暴性と反社会性について記された項目に目を通す。

《FS‐0000の成長速度は我々の予想をはるかに上回る目覚ましい物であった。しかし、成長するにつれ、彼女の中に自我の様な物が形成されてしまい、我々の命令に対し反抗する場面が増えてきた。また感情的に担当職員や他の実験体を殺害し、レアスキルを悪用して設備破壊を行うケースも増えてきており、後始末を含めた運用コストの増加が研究室内でも問題になり始めていた》

《上申の結果、ルドビックラボ上層部は人造リリィの量産ノウハウが確立している事とランニングコスト高騰を理由に彼女の運用は不要と判断し、処分する事を決定した。しかし、彼女には予め高レベルのリジェネレーターを付与していた為、現状、殺処分が不可能であり、急遽セクション0への封印に変更されている》

 淡々とした内容文を読み進める優愛は、件のS級レアスキルの詳細について記された項目をめくる。

《FS‐0000が覚醒したレアスキルはユーバーザインであり、比較的早期にS級覚醒を確認した。同レアスキルのS級は有機物、無機物問わず記憶操作、及び接触対象の洗脳を行える様であり、FS‐0000を対象に実施した過去の実証試験ではヒュージ及び敵対勢力の同士討ちを行わせる事に成功している》

 実戦記録を含めたレアスキルに関する詳細な記録へ目を通した優愛は、先の文書と合わせ、崩壊したルドビックラボに起きた二次災害について何かを察した。

「どう、何か分かった?」

 優愛の背に凭れかかり、そう言った和美はいたずらっぽい笑みと共に彼女へ視線を向ける。身を竦め、咄嗟に読み解いた事実を答えようとした優愛は、視線を通じて受け取った和美からの無言の圧力に口を噤み、少し頭を整理して答えを変えた。

「度々こちらを襲撃しているリリィについて、恐らく彼女がこのルドビックラボの崩壊に追い打ちをかけた存在であると思われます」

 事実では無く、読み解いた上で考えた推測を聞きたいのだろうとそう察し、答えた優愛は、満足そうな和美の視線を見て胸を撫で下ろした。別段答えを外したからどうと言う相手では無いが、ただでさえピリつく現状において、いらないストレス要因を生むのは得策では無い。

「良かった、あなたもそう思ってるのね。私も同意見よ。襲撃者とその資料の強化リリィの一致を偶然と断じるには、状況証拠が多過ぎる。他の強化リリィや兵士の不審とも言える連携、彼女に洗脳されていないと言い訳が付かないわ。それに、三朝さんの記憶消去や、撤退に移るやすぐに気配と姿を消す高度なステルス性も合わせ、襲撃者のリリィがS級ユーバーザインを有していると断定できる状況証拠は揃っているわ。そして、レアスキルは個人のパーソナリティ(心情)に影響を受ける以上、いくらクローンとは言え再現性は限りなく薄い。よっぽどの事でも無い限り、他人の空似と言う事は出来ないでしょう」

「そうですね。ただ、問題はそれが分かった所でどうするべきなのか、と言う事でしょうか」

「そうね、と言いたい所だけど、この問題に対しては一択しかないと思うわ」

「……対象の排除、ですか」

「ええ、そうよ。このまま彼女を野放しにするのは色んな観点から見て危険よ。今後の事を考えるとルドビックラボの檻の中で確実に排除しておく必要があると、私は考えるわ。無論楽な事じゃないって言うのは承知の上でね?」

 一般的に見れば冷酷な和美の言だが優愛は間違いだとは思わなかった。あのリリィを野放しにしたまま脱出すれば、自分達の後を追って彼女は外へ出てしまう。今この場で起きていた問題がこのラボの外でも起きるであろう事は想像に難く無く、そして人造リリィである彼女の存在は外の世界のパワーバランスを大きく傾かせる要因にもなり得る。

 どんな使われ方をするとて、どちらにせよ、彼女が外に存在する事で生じる歪みの是正は自分達がやる事になる。将来、無駄な仕事を増やさない為にも、今ここで彼女を始末する事が何よりも良い選択だと、優愛は内心肯定していた。

「であれば、今以上に戦力を得る必要がありますね」

 内心を示す様にそう言いながら、資料をめくった優愛は、更に人造リリィの複製計画についての項目を見つけ、軽く目を通す。数十体もの量産がされている事、そして、その殆どがこのラボに保管されている事を読み解いていた彼女は、ふと様子の違う一文に気付いた。

《2050年2月、G.E.H.E.N.A.傘下メーカー、カーズメーカーズが、対強化リリィ用に開発された新型CHARMに使用する“簀巻き”の買取交渉をしてきた》

 聞き覚えのあるメーカーの名に並んだ不審ともいえる簀巻きと言う言葉に、嫌な予感を感じた優愛は、不意に心拍数を上げる。2050年は彼女と麻衣、そして渚が百合ヶ丘女学園へと入学した年であり、そして、分裂のきっかけになったあの忌まわしい事件が起きた年でもある。その年の2月と言えばまだ入学する前の話だ。

 まるでホラー小説を読むかの如く、恐る恐る彼女は先の展開をめくる。

《どうやら彼等は、予算都合により廃棄待ちになっていた1体の第1世代の存在を聞きつけたらしく、彼女の買い取りを要請してきた。提示金額こそ数百万と安かったものの、完全なマイナス収支になるよりは、と受け入れ、彼等に最後の第1世代を引き渡した。彼女は引き取り後、百合ヶ丘への途中編入生と偽装する為に『マリア・V・アルスノウァ』の名と、偽りの戸籍を得た上で、新型機と共に、百合ヶ丘へ転校する『姫神渚』と言うリリィの許へ送られた様だ。テロメアの短い第1世代は寿命が短い。長く使えない産廃であっても、せめて最期に誰かの役に立てれば本望だろう》

 無機質極まりない文面に思わず口元を抑えた優愛は目尻から涙をこぼし、受けたショックを御し切れず吐き気を催す。突然の急変に驚く面々を他所に、堪えられず机にタブレットを投げ置いた彼女は部屋の端へと駆け、胃の中を吐き戻した。

「お姉ちゃん、大丈夫?」

 水を手に心配そうに駆け寄った麻衣は、口端に吐瀉物を付けたまま、大粒の涙をこぼす姉に怯み、その隙を狙ったかの様に彼女に抱き着かれた。

 突然の事に固まっていた麻衣は、大泣きし始めた姉をそっと抱き締めながら開けていたキャップを締めた。他の面々と同じく何があったか分からず困惑しつつも、深くは聞くまいと彼女はただそっと抱き返す。

 頼りっ放しの姉に頼られる安心感を胸に抱いた麻衣が、涙の理由を知るのはまだ先の事だった。

 

 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 一方その頃、オリヴィアと共に上のフロアへ上がる階段を探していたアイネは、彼方此方を走り回ってようやく目当ての物を見つけていた。前衛としての体力を身に着けていない彼女にとってほぼ休み無しのハイペースはきつく、先んじて階上へ上がったオリヴィアが安全確認をする間、一人呼吸を整えていた。

 一呼吸一呼吸、大きく息を吸う度にぼやけていた思考がクリアになっていき、同時に殿として敵の渦中へ置いて行った渚の安否が他の思考を押し退けて浮かび上がってくる。たった一人で時間稼ぎを行っているであろう彼女は、進言通り程良いタイミングで離脱を始めたのだろうか、と内心で心配していたアイネは、一つの疑問を浮かべる。

(ナギサは、こちらの位置をどうやって把握する気なのかしら……)

 まさかあちこち虱潰しに走り回るつもりなのだろうか、とそんな危惧を抱いたアイネは、不意に懐かしい気配を感じ、軽く俯けていた顔を上げた。

 ふわりと光の残滓が周囲を漂っており、淡く消えていくそれを目にした時には既に気配は消えていた。きょろきょろと周囲を見回した彼女は、入れ替わる様にして徐々に近づいてくる足音に気付き、身構える。

 速いテンポで鳴る軍靴の硬い足音が良く響き渡ると、足音の主のシルエットが曲がり角から姿を現す。少し息を切らせた様子のシルエットは敵意を滲ませるアイネに気付くや手にした日本刀を逆手に持ち替え、頭の上まで手を挙げた。

「待った、アイネ。僕だ」

 シルエットから聞こえる聞き馴染んだ声に銃口を下ろしたアイネは、光学補正で捉えた渚の姿に苦笑を返しつつ、肩を竦めた。

「ごめんなさい、少し気が立ってて。随分早かったわね」

「え、あ、ああ。まぁ、勘が冴えてたからかな? そっちの状況は?」

「今オリヴィアが周辺の安全確保をしてるわ。安全確認次第、上に上がりましょう」

 目を弓なりにした笑みと共に指示を下したアイネは、真剣な表情で頷いた渚の背がぼんやりと光っている事に気付いた。その光が先ほど見た光の残滓に似たものである事に気付いた彼女は、背負われた光が変じた懐かしい義妹の姿に息を呑んだ。

「ま、マリ、ア……?」

 動揺しつつもその名前を呼んだアイネに、渚は目を見開き、肩へ伸ばされた彼女の手を咄嗟に掴んだ。不意打ちの様に掴まれたアイネは、反射的に振り払う行動を取り、渚から距離を取る。

「アイネ、見えたのか? ……マリアが」

 そうであって欲しくないと願う様に、ぽつりと呟いた渚は、そんな内心の願いとは裏腹に黙々と頷くアイネに絶望感を味わい、そして自身の背に目を向けた。何の事か分からず、きょとんとした顔のマリアに微笑を返した渚は酷く動揺しつつも、どこか納得した様子のアイネに視線を向ける。

「何時からなの。何時から、マリアと一緒にいるの? 宇佐美の時には、もう、居たんでしょう?」

 アイネは理解出来ていた。あの時、宇佐美の病床で彼女が宙を掻き撫でた意味を。あの時から既に彼女はいた。否、その前からずっと、自分に見えないだけで最愛の義妹は最愛の人と共にいた。

「……2年前。甲州でマリアを殺したあの時から」

「そう。じゃあ、あなたは相模に行っても一人じゃなかったのね」

「ああ。一応は、ね」

 歯切れ悪く言いながら目に涙を滲ませた渚は、激しく動揺し、身動きの取れない自身を他所にアイネの下へと浮遊していくマリアを見守る。

『アイネ御姉様、やっと話せるね! 私、また御姉様とお話しできて嬉しい!』

「ええ、そうね。またたくさんお話ししましょう、マリア」

 涙を拭い、彼女と嬉しそうに笑い合うアイネを遠めに見ていた渚は、楽しそうに遊泳するマリアを見上げる彼女の目に恐怖心を抱き、サクリファイスの許容量を超えた感情によって自然と呼吸が激しくなっていく。

 自分の中の異常性、異形と断言できる魂の形(レアスキル)、それを今、一番見られたくない最愛の人に見られた恐怖が渚を支配する。体は強張り、言葉を形にしたい口が掠れた音を奔らせる。仲睦まじく霊体のマリアを受け入れる彼女が、その心の内で自分に恐怖していたのなら。

 ──―嫌われない為に、どんな言葉をかけるべきなのだろう。

「上の確認終わりましたわよ。あら、ナギサ。合流してましたのね。……それと、マリア?」

『あっ、オリヴィア御姉様! オリヴィア御姉様も私が見えるんだね!』

「え、ええ。随分軽快な動きですわね。……それで、一体どんな状況ですの、これ」

 宙を泳ぐ様に自身の周囲をくるくると回るマリアを他所に、動揺して立ち竦む渚とそんな彼女を見て困惑するアイネとを交互に見たオリヴィアは、大体を察し、二人の間に割り込む様にして歩み寄った。

「取り敢えず、この場は話し合ってもしょうがないみたいですわね。アイネ、一旦ナギサの事は放置ですわ。彼女の身に何が起きたのかについては落ち着いた頃に話しましょう。そして、ナギサ。アイネの事は一旦隅に置いて、今はこの場から立ち去りましょう。あなたの身の上話をゆっくり聞かせてもらうには、ここは陰気過ぎますわ。分かったらほら、動く!」

 強めの語気と共に渚の背を叩いたオリヴィアは、心配そうなアイネに手を払い、気にするなとジェスチャーを送る。今は彼女達を一緒にするのは良くないと、理屈では無く乙女の本能で察した彼女は、とは言え、と前置きをして激しい動揺を滲ませる渚の目を凝視する。

 普段の赤色から、鮮やかな紫色へと変貌した目は、見る者の意識をその中へ吸い込まんとするかの様な魔力を感じさせ、そして目の奥に潜む何かが、本能的な恐怖を励起させる。

(これを気にするなと言うのは、どだい無理な話ですわ)

 ちらと見た渚の目に本能的な恐怖を感じたオリヴィアは、抑えきれそうにも無いそれを溜息にして宙に放つとアイネの方へと振り返る。階段に足をかけ、心配そうに渚を振り返っていた彼女を睨んだオリヴィアは、その背を軽く押し、先を行く様に無理矢理促す。

 渚に起きた異変をゆっくり聞き出す為にも、一刻も早く優愛達と合流し、余裕を確保する。その一心でオリヴィアはまごつく二人を引っ張り、楽し気に浮遊するマリアに笑われながら、先を急ごうと階段に足をかけた。

「ねぇ、お前等さ、何処に行くつもり?」

 出がかりへ冷や水をかける様な、冷たく鋭い殺気と声がオリヴィア達を貫く。軽く床を擦る刃の音、それと共に一人の少女が姿を現す。

 幾度と詩季達を襲い、そして興味津々で渚を追いかけていた例の少女、オリヴィア達は知る由も無い『FS‐0000』と言う味気無い記号を持つ少女は、くつくつと笑いながらその方に得物であるダインスレイヴを担う。

 一方のオリヴィア達は彼女の姿に驚き、足を竦ませていた。不自然とも言える程に整った容姿は彼女にあまりにも似ていた。

「マリア……!?」

 後退りながらアーヴィングカスタムに手をかけた渚は一瞬動揺を見せるも即座に切り替え、むっとした顔の彼女を睨み返しながら身構える。

 僅かに殺意を向ける渚へ嬉しそうに笑みを向けたFS‐0000は、同様に思考を切り替えたオリヴィア達に気付き、更に笑みを強める。威圧する様にも見えるそれに、警戒心を強めた渚はくるりと顔を向けた彼女に一歩後退る。

「ねぇ、質問に答えろよ」

 ニコニコと笑みを張り付けたまま、粗暴な口調で念押したFS‐0000は硬く口を閉ざしたままの渚達につまらなさそうに口を尖らせる。対話する気は無いと態度で示す彼女達を前にしても尚、怯む様子を見せないFS‐0000は、興味深げにマリアを見上げる。

「あ、もしかしてお前がマリア?」

 興味の対象を切り替えたらしいFS‐0000の視線を浴び、咄嗟に渚の背に隠れたマリアは、けたけたと笑う彼女の様子を義姉の肩越しに見る。

 興味津々な視線からマリアを庇った渚は、残念そうな素振りをする彼女を睨み付ける。

「へぇ、お前、思ったよりアタシと同じ匂いがするね? 同じ動物の癖に羨ましいな。私に名前は無いのにお前にはあるんだ。しかも、幸せに死ねてるんだ。ますます羨ましいなぁ、うっざ」

 仮面の様に笑みを張り付けたまま、その奥の瞳から喜の感情を取り除いたFS‐0000に身構えた渚は、ゆらりと体を揺らめかせた彼女にアーヴィングカスタムを抜刀する。

「はーぁあ。私もそう言う幸せが欲しかった……なァ!」

 吐き捨てる様な物言いと同時に瞬発したFS‐0000は肩に担ったダインスレイヴを振り上げ、大上段で渚を打ち据える。過集中によって緩慢になった視界に得物を振り上げた彼女を捉えた渚は、上段に構えたアーヴィングカスタムでダインスレイヴを受け止めた。

 激しい激突音と共に細身の刀と肉厚の大剣が火花を散らし、凄まじい衝撃が渚を襲う。鍔と(はばき)の間で受け止め、姿勢を落としつつ、上手く衝撃を抜いた渚は、泥濘(でいねい)を叩いた様な感触を相手へ伝える。沈み込む様な手応えと引き換えに姿勢を崩した彼女へ、歯を剥いて笑ったFS‐0000は再び得物を振り上げ、今度こそ得物ごと叩き割らんとばかりに大上段へ構えた。

「死ねよォ!」

「オリヴィア!」

 威圧する様な咆哮を掻き消す様に叫んだ渚は、一瞬怯んだ彼女から距離を取る様に後ろ方向へローリング、離れていく彼女を逃がさんとばかりに踏み込んだFS‐0000は、柄尻を掴み、リーチを伸ばしたダインスレイヴを振り下ろそうとした。

 その直前、彼女の体側に強烈な衝撃が叩き付けられ、真横に吹っ飛ばされた彼女の体が激しくバウンドし、闇夜に消えていく。得物であるティルフィングR型を手に全力のドロップキックを放ったオリヴィアは、空中で身を回し、重たい一撃と反比例する様な軽やかさで渚の傍に着地した。

「行きますわよ!」

 着地と同時に叱咤したオリヴィアとアイコンタクトを交わした渚は、彼女と頷き合い、彼女の後を追ってアイネ達と共に上へと逃げていく。

 闇夜の中、逃げていく彼女達を床に伏せたまま見ていたFS‐0000は薄ら笑いを浮かべ、ミンチ状になった全身を修復していく。不快な水音と共に驚異的な速さで元の体に戻っていった彼女は、軽く舌なめずりをすると彼女達の連携攻撃の威力を思い出し、頬を緩ませた。

「くふっ、思ったより楽しめそう」

 思わぬ獲物の強さに心をときめかせた彼女は悪辣な笑みを浮かべると、いつの間にか召喚した自ら洗脳した少女達と機械人形達に、渚達の後を追わせる。彼女にとって戦いは狩猟だ。狩りにおいて戦う相手は狩るべき獲物に過ぎず、どんな手を使ってでも相手を狩ってしまえば勝ちだ。

「活きは良かったけど、アイツら相手にこれからどれだけ持つかな?」

 解き放たれた人型の猟犬達相手にどんな追い詰められ方をするのか。楽し気に頭の中で想像しながら、FS‐0000はダインスレイヴを手に上階へと上がっていった。

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