アイネ達と共に上階に逃走した渚は、追ってくる敵性勢力を如何にか振り切ろうと走る。地響きを伴う群れの先頭を行くリリィ達は全力で走りながら手にしたCHARMを乱射し、まぐれ当たりを試みていた。
反響する銃声にアイネが身を竦め、逃げ足を鈍らせようとするのを片腕で捕らえたオリヴィアが半ば抱え上げる様な形で無理矢理に押し進める。性能面の都合上、ラインの出にくい意匠の制服でもなお突き出た豊満な胸と、筋張った芯を感じる二の腕でクリップされたアイネは、縺れそうになる足を必死に動かし、呼吸を荒げながら前へと進む。
控えめなトレーニング量がそのまま持久力として表れたアイネを見下ろし、オリヴィアは苦い表情を浮かべる。そんな彼女の背後、ホルスターから拳銃型AHWを抜き放った渚は狙いも碌に着けないまま、真横に向けたそれを乱射し、横いっぱいに広がったリリィ達を牽制するが、狂った様に突っ込んでくる彼女達には目立った効果は無く、アイネの疲弊も相まって徐々に彼女達との距離が詰まってくる。
拳銃程度の牽制も長くは続かず、闇雲な射撃と相まって渚の手首にスライドオープンの衝撃が伝わる。それと同時、CHARMから乱れ飛んでいた内の数発がアイネの足元を掠め、バランスを崩した彼女がその場に倒れ込む。
ある程度の速度が出ていたが為に、防護障壁で軽減されても尚無視出来ないダメージを受けてしまい、アイネは苦悶の声を上げる。転倒に気付いたオリヴィアが慌てて引き返し、後を追っていた渚はいち早く彼女の傍にしゃがみ込み、容体を確認する。
激しく咳き込む彼女の体力はもう限界であり、これ以上は自力で逃げられないと判断した渚は意を決し、弾切れのAHWのスライドを戻してホルスターに差し直すと、アイネを小脇に抱える為に彼女へと手を伸ばす。
『御姉様、後ろ!』
腰に手を回す直前、体から分離したマリアが警告を発し、彼女と同期した視界が背後から迫る少女を捉える。瞬間、逆手に持っていたサクリファイスを突き出し、グングニル・カービンを大上段に振り上げた彼女の胸中を刺し貫く。
まるで物の怪や機械の様に、紫色に輝いた目を吐血する少女へと向けた渚は、マリアからの警告を受けるや得物から彼女を振り落とし、彼女の背後から迫っていたリリィの一撃を受け止める。異形の膂力で振り下ろされたダインスレイヴ・カービンによる重い一撃が鈍い痺れとして手首に伝わり、歯を食い縛って耐えた渚へと立て続けに人狼型のミドル級が迫る。
眼前の薄い腹を強かに蹴り飛ばした渚は縦一閃に未成熟なリリィの体躯を斬り裂き、振り上げられたヒュージのかぎ爪が達する前にカウンター気味に切り裂く。遠吠えに近い悲鳴を迸らせたミドル級が後退り、その両脇を潜り抜け、狼型のミドル級2体が渚めがけて突進する。
「お退きなさいな!」
物々しい作動音と共に背後からの叱咤を受けた渚は、不意打ち気味のそれに一瞬体を強張らせるとその場から飛び上がり、最大出力まで引き上げた身体強化を用いて天井へ抜き手を叩き込み、そのまま天地逆転の状態で張り付く。
直後、彼女がいた場所を機関砲が薙ぎ払い、渚を襲おうとしたミドル級諸共、音速弾の連打に晒された追跡者達が血煙と化す。辛うじて生体を持たない人型兵器は元の面影を残してはいたが、それでも傍目には惨く砕かれたスクラップにしか見えなかった。
摩擦熱に晒され、熱を帯びた血煙は臓物と血の混じり合った悪臭と共に生々しい温さを漂わせ、深呼吸と共に少し吸い込んだオリヴィアは生理的な嫌悪感と共に激しく咳き込んだ。
「助かったよ、オリヴィア。ごほっ」
張り付いていた天井から飛び降りた渚は開口一番に血煙を吸い込み、反射と共に激しく咳き込みながら蹲る。
「全く、どんな発想をしたら天井に張り付いて射線を避けようと思いますの?」
笑みと共に咳き込む彼女を呆れた表情のオリヴィアが見下ろす。射撃形態で肩に担っていたティルフィングを近接形態に変形させた彼女は、射撃用グリップを握ったままのそれを下ろし、空けた片腕でアイネを抱え上げる。
換気の悪い地下空間では宙を漂う血煙は容易に流れず、少しでも影響から逃れようと呼吸を止めたオリヴィアは、抱え上げたアイネ共々その場を離れる。容体の落ち着いた渚もその後を追い、脇道の壁へと連れたって彼女達は逃げ込む。
アイネを壁に寄りかからせたオリヴィアは、しゃがみ込んだ視線の先、呼吸の落ち着いてきた彼女に安堵と苦々しさを交えた表情を浮かべる。
腰のポーチから小型の水筒を取り出した渚は、落ち着いても尚苦し気なアイネへとそれを差し出した。酷く喉が渇いていたらしい彼女はそれを受け取るや否や一気に飲み干し、空になった中身を渚へと返した。
「アイネ、申し訳なかったですわ。あなたを無理に走らせてしまって」
「いいえ、あなた達が気にする事は無いわ。謝るのはむしろ私の方よ。私の体力不足のせいで、あなた達を足止めさせてしまったわ。ごめんなさい。私ならもう大丈夫だから、早く移動を―――」
そう言いかけたアイネを心配そうに見つめたオリヴィアに、本心を見透かされた様な気まずさを感じたアイネは、彼女の目から逃れる様に目を伏せ、観念した様な顔と共に苦笑を浮かべ、浮かせた腰を元の場所へ戻す。
まだ本調子じゃないだろう、と視線でダメ押ししたオリヴィアは、自身の水筒も彼女に手渡し、ゆっくり飲む様に促す。
そんなやり取りを一歩引いた位置で見ていた渚は、幼馴染故の空気感にやりにくさを感じ、周囲を見回す素振りをしながら彼女達から視線を逸らす。お互い気心が知れた間柄による遠慮の無さが垣間見えるやり取りは、好意を向けられているとは言え、高等部からの浅い付き合いである自分には出来ないやり取りだ、と内心で思いながら、彼女は離れた位置で見つめる。
そんな浮かない顔に気付いてか、得物を手にしたオリヴィアが彼女の下へと歩み寄り、入れ替わりにマリアがアイネの下へと流れていく。
「マリアの事、話しませんの?」
不意打ちの様にそう問いかけたオリヴィアは、身を竦め、怯えた様な目を向けてくる渚を睨み付け、逃げるな、と暗に叱咤する。臆病を糾弾する様な目に晒され、一瞬怯んだ渚は、唇を噛みながら逃げる様に視線を逸らしてしまい、オリヴィアからの失望の溜め息を浴びる。
「想い人を掠め取っておきながら、情けないって思ってるのかい?」
「まぁ、そうですわね。少なくともその自分善がりな臆病さには、辟易してますわ。あなた、アイネの事を信頼してませんの?」
「……彼女への信頼か。どうなんだろう」
諦観した様な笑みを浮かべる渚に、むっとしたオリヴィアは逃げる様にしてその場を離れようとする彼女の後を追い、肩を掴んで無理矢理に振り向かせた。叱咤しようとしたオリヴィアは振り向かせた渚から流れた涙に気付き、出かかった言葉を飲み込む。
泣き喚く訳でも無く、つと流れ続けるそれに目を伏せ、数瞬吐き出す言葉を考えたオリヴィアは、深呼吸と共に両の親指で渚の涙を拭った。
「その分だと、別段信頼していない訳では無いみたいですわね」
ただ事実確認だけをするかの様な、感情の無い事務的な口調でそう言ったオリヴィアは、手の内に収まる渚の顔を見上げると両頬を挟み込む様にして張り、戸惑う彼女に微笑を洩らす。
「であれば、隠し事はお止めなさいな」
諭す様な物言いをしたオリヴィアに、赤くなった両頬を撫で擦りながら苦笑を浮かべた渚は、眉間に皺を寄せた彼女に頬を掴まれる。随分な勢いで叩かれたそれへ追撃を食らう形になった渚は、頬を刺す様な痛みと共に緩んだ態度を咎める意図を感じると、笑みはそのままに彼女の手を払い、痛がる素振りをして見せた。
眉間の皺はそのままにむくれていたオリヴィアは苦笑の奥にある反省と理解の目を感じ、それ以上の追撃を止め、溜め息を返す。
「あなたが如何あれ、あの時の約束、忘れないでくださいましね」
「……忘れないよ。今までも、そして、これからも」
微笑と共にそう言った渚の脳裏には彼女から認められた日の事が浮かび上がっていた。
『私からアイネを略奪するのですから、約束してくださいまし。アイネを幸せにする事とアイネを悲しませない事の二つ。もしもそれが出来ないと私が判断したら、彼女はいただきますからね!』
二年前、アイネ共々、寮室のロビーに呼び出された渚を指差したオリヴィアが、真剣そのものの目で見つめ、それに応じる様に彼女は頷く。
入学直後の現地訓練で小規模な群れに襲われたこの日、逃げ遅れたアイネを守る為にオリヴィアと共にたった二人で群れを撃退した渚は、その夜、彼女に認められ、アイネとの交際を許された。彼女の一目惚れが戦いを経てより深刻化していた事もあったが、それ以上に戦いにおいて背中を預けられるだけの実力と人格を確信した事が大きかったと、先の約束を口にするより前に、そう彼女は告白した。
自分は彼女に託された。幸せにする事を、悲しませない事を約束して。
「それで、アイネの様子は?」
「まだ本調子ではありませんわね。今すぐ動かす事は出来ますけど、先の様な全力疾走は不可能と思っていただけると幸いですわ」
「了解。休ませたいのはやまやまだけど、あまり長居は出来ないから、少ししたら移動しよう。ゆっくり歩かせる程度でも、距離は稼ぎたい」
一息と共に思考を切り替え、そう指示を出した渚は首肯するオリヴィアへ頷き返した後、周囲を見回し始める。相変わらずの暗闇は人影の一つも無く静寂に染まっており、サクリファイスから僅かに鳴った金属の擦れる音が空間に響き、反響した音が渚の耳朶を打つ。
それ故に、彼女の胸中に疑問が芽生える。
(……思ったよりも早く音が反射している?)
目の前の空間の広さに対し、反射するまでの時間が早い事に気付いた渚は、何かが隠れ潜んでいると推測し、じっと目の前の空間を凝視する。一方、アイネの様子を横目に窺っていたオリヴィアは、何かを探す様に凝視する渚の様子に違和感を感じ、何事かと問いかけようとする。
唇に左人差し指を当てて制止した彼女は、言葉を飲み込んだオリヴィアへ見える様に前を指差し、何かいる、と仕草で示し、先よりも大きめにサクリファイスを鳴らすと、自らの仕草の意味を示す様に反響音を響かせる。
黙して聞くオリヴィアを他所に、先よりも早い速度で返ってきた事に気付いた渚が彼女へ警告しようと顔を横に向ける。瞬間、突如としてFS-0000が姿を現し、跳躍した体勢から上段にダインスレイヴを構えた彼女は、渚の首に狙いを定める。
一方の渚は、オリヴィアへ流そうとした視線の端で彼女を捉えており、咄嗟に屈んで一撃を回避する。血染めの魔剣が空を切り、得物に引かれたFS-0000は姿勢を落とした渚を越え、回転受け身から起き上がるとその間に距離を詰めていたオリヴィアの一撃を受け止める。
激しい金属音と共に火花が散り、上段から袈裟で下ろした彼女は、下段から切り上げたオリヴィアのティルフィングと鍔迫り合いを演じ、火花散る刃越しに少女達は睨み合う。
「何者ですの、あなた!」
「ウザい! オマエに用は無いんだよ!」
殺意に満ちた目で睨むオリヴィアへ狂った笑みを返したFS-0000は、咆哮と共に体内のマギ出力を高めて彼女を圧倒すると、がら空きになった胴体を蹴り飛ばし、壁に突き刺す。残像を生む程の速度で吹き飛ばされたオリヴィアが轟音と共に砂煙に包まれる中、もうもうと立ち込める砂煙を裂いたFS-0000がダインスレイヴを手に低空を跳躍し、吶喊する。
弾丸の如き彼女を前に歯噛みした渚は、サクリファイスを振り上げ、叩き付けられた刃を受け止める。薄い刃が僅かに軋み、悲鳴代わりの火花が金属の擦れ合う音と共に渚へと降りかかる。
獣性の笑みと共に渚を足蹴にしたFS-0000は、サクリファイスを手放して大きく仰け反る彼女を嘲笑い、宙で身を回しながらの着地と同時に再び突撃を仕掛ける。
「死ねよォ!」
ダインスレイヴの切っ先で渚を捉えんとした瞬間、左腰の柄に手を添えた彼女は真横へ跳躍し、軌道から逃れながら左腰から赤黒い剣閃を奔らせる。短く響いた甲高い金属音と共に、赤黒いマギの残滓がダインスレイヴの刃を貫き、やがて宙へと消える。
数瞬と経たぬ内に血に塗れていた鈍色の刃が中腹から斜めに切断され、まるで片刃の切っ先の様な綺麗な切断痕を晒す。接合したまま切り落とされた刃は速度を失って落下し、乾いた金属音が虚しく空間に響き渡る。
「あっは、凄い凄い!」
驚喜を浮かべ、反転しながら減速したFS-0000の視線は、袈裟斬りの残心を残す渚へと注がれていた。掲げる様にして彼女が振り上げた一刀、もう一振りの妖刀であるブラッドティアーズが脈動する様に刀身のマギを揺らめかせる中、荒く息を吐いた彼女が膝を折る。
体力とイコール関係にあるマギを激しく消耗した渚は、震える手を何とか手繰り、妖刀を収める。胸を抑え、何とか呼吸を整えていた彼女は、好奇の目を向けるFS-0000を若干やつれた目で睨み付けると刀身を収めた鞘を支えに立ち上がる。
震える足で立ちながら腰へ鞘を差し直した渚は荒れたままの呼吸で酸素を掻き集め、ぼやけた視界に少女を捉えながら再び居合の構えを取る。
「そいつがオマエの本命って奴?」
対するFS-0000は得物を破壊されながらもその戦意は失われておらず、むしろ破壊前よりも増していた。片刃剣の様になったダインスレイヴの切っ先を向けた彼女は、一歩引いて構える渚へ吶喊すると左手首に刃を当て、引き切りながら振り被る。
「じゃあこっからは本気を出さなきゃあなぁ!」
手首から夥しい量の青い血が零れたのも一瞬、鞭の様に凝結したそれが腕の動きに連動して振り回され、渚へ襲い掛かる。
「ッ!」
反射的に放った居合斬りで切断した渚は、眼前に広がった青い血を浴び、咄嗟に顔を拭う。血と汗で機能を失って久しい制服が彼女の視界を塞いだ一瞬、その隙を突いたFS-0000が彼女の視界に飛び込んでくる。
「死ね!」
咆哮と共に刃と化した血が渚の胸部目掛けて突き出され、完全に先手を取られた彼女は身動きを取る事も出来ず、ゆっくりと進行する視界でその動きを捉えていた。抵抗する気配も見せない渚に、必殺を確信したFS-0000が口端を吊り上げた刹那、血の刃は寸前で展開された障壁に阻まれ、砕け散った破片が血の雫へ逆戻りしていく。咄嗟に顔を上げた彼女は、一段と目を引く紫色の目を光らせた渚に気付き、吊り上がった口端を更に吊り上げた。
何が起きたかを理解するより前に、袈裟に振り上げられた刃を捉えたFS-0000は文字通り瞬く間に渚から距離を取る。まるで逆再生したかの様に元の位置へ戻った彼女を、朦朧とした視界で捉えた渚は用無しのブラッドティアーズを納刀し、膝を突く。
(さっきの速度……。『縮地』か?)
朦朧としても尚、冷静な分析が出来るだけの余裕がある事に少しばかりの笑みを零す渚は、砂埃を引いて制動した彼女を真正面に捉える。
レアスキルによるものと捉えるべき速度で以って離脱したFS-0000に、違和感を感じていた渚は、くす、と笑みを漏らした彼女に眉を顰める。
「オマエさ、まだ何か隠してんだろ? とっとと見せてよ、それでもアタシが殺すからさ」
「僕がまだ何か隠しているだって? 一体何を言って……」
「そんな言い訳良いからさぁ。こっちはもう見たんだよね。こっから先、オマエが何をするのか。そして、どうやったらオマエに勝てるかってのを、さ」
下手な誤魔化しと見たFS-0000がにやにやと嘲笑う中、彼女の言葉の意味をようやく理解した渚は、その動揺を表に出さない様にしつつ、取り落としたサクリファイスへ視線を向ける。
(今度は『ファンタズム』……か。まさか、奴はレアスキルを複数持っているのか? それとも別の手品がある?)
荒い息を吐きながら相手の様子を伺った渚は相対するFS-0000が促すまま、サクリファイスを手に取り、目立った損傷の無い事を確認する。
妖刀の効力で頭がクリアになった渚は、壁にめり込んだままのオリヴィアに目を向け、マリアへと念話を送る。
『マリア、アイネをこっちに連れて来れるかい? オリヴィアの回収を頼みたいんだ』
『うん、大丈夫、だけど……。オリヴィア御姉様、どうかしたの?』
『敵と戦って気絶してしまったんだ。僕はこれから敵を引き付けるから、その間に二人と一緒に安全圏へ移動してほしい。出来れば、応援も呼んできてくれると嬉しいな』
『分かった。アイネ御姉様に伝えておくね。頑張って、御姉様』
『ああ、ありがとう』
穏やかその物の声で会話を閉じた渚は、閉じ際に聞こえた嬉しげな声を名残惜しく思いつつ、深呼吸を3回繰り返すと、退屈そうに待っているFS-0000の方へと歩み寄っていく。
(ここから奴を離す。殺し切る事は考えなくて良い)
何をすべきか、心の内で復唱した渚はサクリファイスを左手に持ち替えると、空いた右手をブラッドティアーズにかけ、紫色に染まった目を光り輝かせる。レアスキル『カオスティックトランサー』を介した円環の御手の発動を告げると共にブラッドティアーズが抜き放たれ、血を吸った様な赤い刀身から、瘴気と形容できる様な禍々しいマギの奔流が放たれる。
「あっは、待ってました」
待ち望んだ大道芸を前に狂喜したFS-0000はまるで子どもの様に目を輝かせながら手首を切り、手にしたダインスレイヴへ鮮血を流し込み、自身の“手品”を介して凝結させ、破壊箇所を補う。嬉しそうに笑いながら得物の応急修理を終えた彼女は、応じる様に二刀を構えた渚をねめつける様に見るとくすくすと嘲笑を漏らした。
「真面目になってくれた所、申し訳ないんだけどさぁ」
肩にダインスレイヴを担い、にやにやと嫌味っぽい笑みを崩さないFS-0000がそう言った瞬間、彼女の背後からぼんやりとした光の群れが現れ、まるでイルミネーションの様な赤青様々の光が一斉に渚を捉える。
幻想的とも言える光景に一瞬呆気に取られた渚は、突如として現れた光の正体を推察して下ろしかけていた構えを直す。
「あっは、察しが良いねぇ。でも言った筈じゃん、全力で行くってさァッ!」
言い様飛び出したFS-0000へ応じる様に吶喊した渚は、振り上げられたダインスレイヴへサクリファイスを打ち合わせ、鍔迫り合いを演じようとするも添え手と質量の差から圧倒され、弾き飛ばされる。
「遅いなぁ!」
叫び、大上段に振り上げたFS-0000を捉えた渚は、ブラッドティアーズで振り下ろされた刀身を斬り飛ばし、隙を晒した彼女の顔面にソバットを叩き込む。踏みつける様な蹴りと同時、フル出力の身体強化とマギ放射の合わせ技で彼女を大きく吹き飛ばした渚は、入れ替わる様に攻めてきたヒュージの群れを捌きながら彼女との距離を詰めていく。
青い血飛沫と共に異形の骸が飛び散る中、マリアと共に曲がり角から顔を出したアイネは戦闘の気配を知覚し、不安そうな顔を浮かべる。
「ナギサ……」
まだ死に急ごうとしているのでは無いか、と不安がったアイネはその感情を汲んでか、心配そうに見上げてくるマリアに誤魔化す様な笑みを返す。
(ちゃんと、帰ってくるわよね。ナギサ)
苛烈極まりない量の赤い剣閃が奔る闇を、食い入る様に見ていたアイネは、気を引く為に袖を引いてくるマリアへ頷きを返すと思考を切り替え、彼女の先導でオリヴィアの下へと向かった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
一方その頃、優愛達と共に行動していた詩季は、時間を経る毎に酷くなるフラッシュバックに苛まされていた。戦闘ストレスに加え、FS-0000に脳内を弄られた事で、抑制治療の記憶が全て消された彼女は、今まで以上に酷い幻覚と幻聴を発症し、最早現実を認識する事すら難しくなりつつあった。
和美に支えられ、彼女に引かれる様にして歩く詩季の目の前には、夕暮れ時の教室が広がり、太平洋に沈みゆく夕日に照らされる室内には一クラス分の机が並び、その机上には一つずつ違う花が差された花瓶がそれぞれ飾られていた。
それは、共に戦い散っていったクラスメイトを、共にリリィとして学んだ友人達を忘れない為に三朝詩季が送った手向けであり、そして、当時弔われなかった彼女達の墓標でもあった。夕日と共に差し込む潮風に懐かしさを感じると同時、送り相手一人一人の最期を頭に過ぎらせた詩季は、咄嗟に口元を抑えると顔を俯け、込み上げてきた吐き気を堪える。
荒い鼻息と共に数度のえづきを繰り返し、何とか飲み下した彼女は荒い息と共に顔を上げて深呼吸を繰り返す。口端から垂れた涎を拭った彼女は、いつの間にか御台場の制服に変わっている事に気付くも、それに疑問を抱く事は無く、教室に足を踏み入れる。
潮風に吹かれ、一様に揺らめく花達を眺め、無人の教室を練り歩いていた詩季は、正面一番後ろにあった自分の席に歩み寄り、上に何も無い天板をそっと撫でた。飾りっ気の無いそれは鏡の様に詩季の姿を反射し、恐る恐る覗き込む彼女の暗鬱とした顔を写し出す。
『三朝さんの席にはまだ何も無いの?』
天板に映る自分の顔を呆然と見つめていた詩季へ、縁起でも無い言葉と共に聞き覚えのある無邪気な声が投げかけられ、彼女の全身からどっと汗が流れる。心臓の鼓動が早まり、鈍い汗を滴らせる中、詩季と天板との間に割り込む様にして声の主であろう一人の少女が顔を覗かせる。
少女の名は、双木果歩。死を看取った内の一人で、生前、アイドルリリィを目指すと豪語していた彼女は、それに見合う美貌に人好きのする無邪気な笑みを浮かべながら、何故動揺しているのか分からないと言った仕草を詩季へ向けていた。
『ねぇ、どうしたの?』
よく通る声でそう問いかける果歩が詩季の顎に手を当て、無理矢理に顔を上げさせる。線の細い見た目からは信じられない力の強さに驚愕した詩季は、顔の半分が抉れた彼女と目を合わせ、息を呑んだ。救出した少年ごと貫かれ、抉り抜かれた彼女の美貌は先と変わらない無邪気な笑顔のまま、断面から粘り気のある血を滴らせる。
徐々に呼吸を乱し、過呼吸症状を起こし始めた詩季を他所に、ニコニコと笑い続けていた彼女の顔がノイズと共に崩れ、彼女が死の間際に浮かべた絶望の表情に変わる。助けると励ました少年諸共、死に追いやられた彼女は、CHARMの延命によって、徐々に死んでいく感覚を味わっていた。
『助けて……。助けて……。三朝さん……』
ゆっくりと自分の命が潰えていく事に絶望しながら、彼女は壊れたラジオの様に繰り返し詩季へと救いを求め、美声と謳われた良く澄んだ声が消えていく彼女の命を表すかの様に徐々にか細く掠れていく。やがて事切れた果歩は詩季へ手を当てたまま、色を失った目を彼女に向ける。
『あらあら、そんなにシキさんを怯えさせてはいけませんわよ』
詩季の背後から聞こえた声に咎められ、眼前の果歩が口端を釣り上げる。強張った筋肉に押し出されてか、抉られた断面から気の抜ける音と共にどす黒い血が噴き出し、霧状の血飛沫が詩季の顔面に化粧を施す。
咎められても尚色の戻らない目に視線を吸われ、詩季は過呼吸からの息苦しさで胃の中の物を全て吐き戻した。喘ぎと共に胃酸を吸い込み、激しくむせ返した彼女は、いきなり視界を埋め尽くしたハンカチに因って、顔面の返り血諸共、乱暴な手付きで口端に張り付いた吐瀉物を拭われる。
突然の事に、半ば反射的に暴れ回った詩季は、ハンカチを握る手の先、自身の背後を振り返った。
『そんなに激しく吐いては、せっかくの美貌が台無しですわよ、シキさん』
振り返った先、長いプラチナブロンドの少女、ルーシア・バフェットがくすくすと忍び笑いを漏らしており、新たな人物の登場に詩季は更に怯えた表情を浮かべる。引き攣った様な呼吸を繰り返す詩季に微笑と共に首を傾げて見せたルーシアは、怯え切った彼女をそっと抱き寄せる。
『怯えなくても大丈夫ですわ。私達は何時でも、あなたの味方ですから』
そう言い、強く抱き締めた彼女の腕から芯の感触が失われ、軟体動物の様な肉の感触だけが詩季を包み込む。
『ですから、あなたは逃げないでくださいませ。あなたのせいで死んだ、私達から』
かくんと折れた頭を耳元に寄せ、くすくすと笑ったルーシアは死の間際の姿―――群れたヒュージによって骨格を粉砕された全身で、恐怖した詩季を絡め取り、暴れようとする彼女を抑え込む。異形と化したルーシアから逃れようと、パニックになった詩季は必死に身動ぎするが、驚く程にル彼女の力は強く、巻き付いた四肢の弾性もあって容易に振り解く事は出来ない。
床に伏し、一しきり暴れ回り、息を切らせた詩季はいつの間にか自分を囲む級友達の姿に気付き、威圧する様な声量で悲鳴を上げる。耳障りだと思われたのか、ルーシアが口を塞ぎ、詩季が放っていた悲鳴は彼女の腕の内に封じられる。
荒い鼻息と共に目尻から涙をこぼした詩季は、道を開ける様にして囲いを割った級友達に動揺し、彼女等が通した道を歩く人物に目を見開いた。
『まさか逃げるつもりなの、詩季』
冷え切った声を放った人物、鹿島美春は、酷い隈と共に鬱屈さを湛えた目と共に、口端を吊り上げた顔に嘲笑を浮かべる。
『逃げる訳無いわよね、詩季。だってあなたは、ここにいる全員を死なせたんだもの。それから目を背ける事なんて、どんな人間であっても許される訳無いわよね? それとも、何? 私達が死んだのは私達自身の問題だって言いたいの?』
「ち、違う……」
『違うなら、どうして私達から逃げようとしているの? 責任を取る気は無いの?』
表面だけくすくすと忍び笑いを浮かべる美春に、返す言葉を失っていた詩季は、失望のため息を漏らす彼女に怯えた目を向ける。
『残念ね。出来るならあなたの口から言ってほしかったけど』
心底残念そうに言いながら、美春は自身の腰に手を回す。手が向かう先には、彼女が常に下げていたヨートゥンシュベルトがあり、スタンダードなロングソード型のそれが一息に抜き放たれる。
『私達の為に、あなたは死ぬべきなの、詩季。あなたは人を死なせ過ぎた。その責任は、その命で持って償うべきなの』
冷え切った口調で宣告する美春の手の中で、数多のヒュージを屠ってきた剣がその切っ先を詩季に向ける。共に戦い、怪物共の血を啜ってきた剣は、まるで詩季もその仲間であると告げるかの様に、その飾り気の無い鈍色を瞬かせる。
それが何をするかを既に汲み取っていた詩季は、鈍い汗を背に流しながら切っ先の向こうにある親友に乞う様な目を向ける。
『さようなら、詩季。[[rb:向こう> 冥土]]で会いましょう』
深く引かれた剣が振り下ろされる瞬間、絹を裂く様な悲鳴を上げた詩季は腰のホルスターからAHWを引き抜き、激情のまま、その引き金を引いた。染み着いた習慣によって三度の破裂音を鳴らした彼女の姿はいつの間にか御台場の制服から監査局のそれに変わり、立ち上る硝煙の匂いが制服の灰色に染み込んでいく。
噎せる様な刺激臭を伴う排煙の向こう、弾丸が差し向けられた美春の胸部は赤く染まり、ヨートゥンシュベルトを取り落とした彼女は膝を折り、まるで正座でもしているかの様な格好になる。
荒い息と共に言葉を詰まらせた詩季を他所に、無言のまま力を失った美晴は糸の切れた人形の様にその場に倒れ、その姿を虚空に溶かしていく。
見れば他の面々も煙の様に消えていき、彼女がいる場所も潮風穏やかな教室からルドビックラボの廃墟に変わる。硝煙立ち昇るAHWはそのままに周囲を見回した詩季は、僅かに身構える優愛達に気付き、動揺する。
「み、三朝さん?」
そう戸惑いがちに問いかけた優愛の手にはグングニル・カービンが握られ、明らかな動揺を浮かべる詩季の様子を伺っていた。様子を伺っているのは彼女だけで無く、和美を背後に置いた黄昏もまた、ダインスレイヴの腹を詩季へ向け、様子を伺っていた。
「あ、あの……」
「落ち着いて、大事有りませんから。一先ず拳銃を収めて、深呼吸を」
「は、はい」
正気に戻ったと判断した優愛に促されるまま、AHWを収めた詩季は深呼吸を繰り返しながら周囲を見回す。黄昏に庇われた和美の頬には殴打痕が刻まれ、相対する優愛の頬にもよくよく見れば数か所の痕が見られた。
自分が幻覚を見ている間の動きが、優愛達にも影響を与えていた事を認識した詩季は意図せず心拍数を上げ、整いかかった呼吸が徐々に乱れ始める。パニックになりかかったと即断した優愛が俯きかかる詩季へ自分を見る様に促し、目を合わせた彼女に呼吸のリズムを指示する。
「私なら大丈夫です。まずは落ち着きましょう、三朝さん」
笑みと共にそう促した優愛は、再度深呼吸する詩季の様子を観察し、落ち着きつつある事を確認するや彼女を囲んでいた面々に警戒解除を指示する。
各々の溜め息と共に張り詰めていた緊張感が解け、詩季と相対していた優愛もグングニル・カービンを左逆手に持ち直して武装解除し、詩季へ手を差し伸べる。差し伸べられた手を前に顔を俯けた詩季は、微笑と共にしゃがみ込んだ優愛に身を竦め、彼女から逃れる様にして視線を逸らす。
「大丈夫です。これ位なら、何て事はありませんから」
強がりでも何でも無く、ただ、慣れた事だとそう言いたげな雰囲気と共に言葉を返した優愛は、間が悪く口端から垂れた血を指で拭った。垂れた血を目にし、動揺を浮かべた詩季へ肩を竦めた優愛は気まずそうに笑う。
「ごめんなさい、私が卯月さんを……」
声を震わせる詩季が顔を上げた先、苦笑を崩さない優愛の姿に美春のそれが重なる。生前の彼女も級友の死を悼む自分を、優愛と似た笑顔と共に慰めていた。そんな彼女を喪失した事を認識し、再びパニックになった詩季は震える手を腰のホルスターへ伸ばす。
(やっぱり、私は……!)
恐怖と共にゆっくりと進んだ手がグリップにかけられると同時、それに覆い被さる様に優愛の手が重なり、上から押さえつける。
「ダメです。三朝さん」
叱咤しそうになる気持ちを抑え、務めて冷静に告げた優愛は怯える詩季の目を見据える。
「落ち着いて。ここにあなたの敵はいません。あなたを責める人も」
言い聞かせる様に耳打ちした優愛は、荒い息がゆっくりと落ち着いていくのを感じながら抑え付けていた手を恐る恐る放し、距離を取っていく。
離れる直前、詩季の目を見た優愛は、光を失った彼女の目がきちんと現実を認識出来ている事を祈った。彼女が離れると同時、引き攣った呼吸と共に蹲った詩季は両手で顔を覆い、すすり泣き始める。
そんな彼女をやるせない気持ちで見ていた優愛は、少し楽し気な態度で歩み寄ってきた和美を見下ろす。
「三朝さん、いよいよまずそうね。これは早急な合流をするべきじゃないかしら?」
「分かっています。ですが、これは防ごうと思えば防げた筈の事態だと言う事は、認識してくださいね」
「ええ、勿論。でも、その事態を引き起こす判断に、あなたも同意した事もまた、事実でしょう? 責任逃れをする訳では無いけども、同意してきた人間に手のひらを返されるのは些か不本意よ」
くす、と笑みを浮かべながら言う和美に返す言葉を詰まらせた優愛は、溜め息と共に彼女への反論を諦め、次の手を思案する。
(お利口さん)
内心で優愛を揶揄った和美は、それと分からない様に嘲笑を浮かべる。そんな事も露知らず、詩季の様子を窺っていた優愛は、彼女がすぐに移動できる状態に無いと判断し、手をかけた通信機を起動させた。
「ダウン4よりダウンユニット、ダウン4よりダウンユニット。聞こえていましたら、応答願います」
薄暗い空間に呼び掛けの声が響くも、当の通信には何も返って来ない。
(楽観視し過ぎたかな……)
一抹の不安と共に、優愛は自分自身の想定の甘さを恥じた。幾ら2階層下とは言え、マギインテンシティが濃くなっている以上、エネルギー干渉で正常な通信が出来る保証は無い。それに、ここに至るまでに今までかかった時間を考えれば、彼女達が無事でいる保証も無い。
最後の祈りとして再度符丁を繰り返した優愛は、数秒の間を置いて通信機に走ったノイズに顔をしかめる。耳障りなそれはやがてたどたどしい足音に変わり、荒い呼吸音がノイズとなって耳朶を打ち、電磁干渉のノイズと共に聞き馴染んだ声が手短な返答を返す。
『こちら[[rb:ダウン7 > アイネ]]。聞こえるわよ、[[rb:ダウン4 > ユア]]』
「良かった……。ダウン7、今どちらに?」
『そうね、最初にいた階から1階層上に上がって、そこから更に上に行こうとしているわ。あなた達はどこにいるの?』
アイネからの報告を受け、頭の中で階層を計算した優愛は彼女は今、27階にいると推測し、通信機のスイッチを入れる。
「恐らくですが、あなたが上がろうとしている階にいます。自力での合流は可能ですか?」
『[[rb:無理ね > ネガティヴ]]。気絶した[[rb:ダウン2 > オリヴィア]]を抱えているの。その感じだと、そちらからの合流は難しいのかしら?』
「はい。こちらは[[rb:ダウン5 > 三朝さん]]がPTSDを発症し、症状が落ち着くまで待っている状態ですので」
『了解。じゃあ、誰か迎えを寄越してくれないかしら。私1人でオリヴィアを抱えるのはちょっと大変だから』
「分かりました、こちらから2名送ります。合流までは手近な場所で待機を。また、バッテリー残量に余裕があれば、識別装置の起動もお願いします」
手短に指示を出した優愛に、了解を返したアイネはワンテンポ遅れて通信を切断する。珍しく指示を出さなかった彼女に、事の深刻さを噛み締めた優愛は、真霜と冨亜奈に声をかけ、彼女達にアイネの捜索を指示する。
お互い組みたくない相手であるが故に反応は悪かったが、それでもやらない選択肢は無かったらしく、憎まれ口を叩き合いながら彼女達は闇夜に消えていく。声よりも早く消えた彼女達の背から視線を変えた優愛は、幾分か落ち着いてきた詩季へ手を差し伸べる。
「移動しましょう、三朝さん」
そう言い、浮かべられた優愛の笑みはやはり亡き親友に似ており、躊躇いと共に手を取った詩季の心を静かに抉っていった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
一方、アイネを逃がす為、単身戦っていた渚は、迫り来る敵を両手に握った妖刀で捌きつつ、FS-0000と剣を交えていた。
「おらァ!」
粗暴な掛け声と共にダインスレイヴが大振りに振り下ろされ、咄嗟に回避した渚は大穴を開ける一撃と共に立ち込めた砂煙に舌打ちし、背後から迫っていたゾウムシ型のスモール級ヒュージを切り裂き、イノシシ型のミドル級の突進をブラッドティアーズで迎撃する。
突進の勢いそのまま、両断した渚は大穴を飛び越えて来たFS-0000の振り下ろしをサクリファイスで受け止め、開いたブラッドティアーズにマギを集中させる。刃状に固めた赤黒いマギを至近で放射した渚は、弾道を読んでいた彼女に逆立ちの様な格好で回避され、振り戻しの勢いを持った膝蹴りを顔面に喰らう。
快音と共に額が割れ、僅かな血が吹き零れるが瞬く間に傷口は塞がる。だが勢いは消えず、大きく仰け反った渚に向けてFS-0000は追撃を構える。本来の刃の長さからすれば早い構えであるが、今の彼女には関係が無かった。
切断されたダインスレイヴを飾った血刃がその姿を針状に変え、急速に伸びた切っ先が渚の頭を狙う。咄嗟に回避するが、針は左目の目尻を掠め、鈍い音と共に横一直線の傷が化粧の様に刻まれる。
「ぐッ……!」
左目に血が飛び、咄嗟に目を閉じた渚は左のサクリファイスを突き出し、薙ぎ払って彼女に距離を取らせ、血を拭う。その隙を狙い、伏せていた狼型のヒュージが彼女の左腕に噛み付く。刃の様に鋭い牙が彼女の腕に食い込み、夥しい量の血が吹き出る。
痛覚抑制が間に合わず、苦悶の声を上げた渚は、苛立ちと共にその躯体を切り裂き、絶命した半身を壁に投げつけた。快音を伴い、青い血と共に破裂した肉袋には目もくれず、息も絶え絶えにFS-0000を見据えた渚は、ゆっくりと修復されていく傷を見下ろし、舌打ちした。
発動から5分が経過した現在、円環の御手に異常が出始めており、その影響を受けた妖刀の動作が不安定になっていた。辛うじて強度性自体は働くものの、ブーステッドスキルの発動が影響を受け、低出力化、または動作停止などの症状が出ていた。
(クソ、こんな時に!)
内心で悪態を吐いていた詩季は、正面からの気配を感じ、咄嗟に顔を上げた。
「どこ見てんだ、テメエ!」
嘲笑う様な叫びと共に距離を詰めたFS-0000は、ダインスレイヴに施した血の刃を伸長させ、鞭の様に渚へと叩き付ける。
円環の御手の不調に気を取られ、防御が遅れた渚は血刃の直撃を左肩に受け、壁へと吹き飛ばされた。
「ぐあッ!」
クレーターを生む程の衝撃を受け、堪らず苦悶の声を上げた渚は叩き付けられた衝撃で脳震盪を起こし、足元をふらつかせて壁に凭れかかる。
「死ねェ!」
それをチャンスと見たFS-0000は瀕死の獣よろしく覚束ない足取りの渚を凶刃にかけようと迫り、大上段にダインスレイヴを振り上げる。
形状の戻った青い血刃が振り下ろされんとする直前、円環の御手が強制終了し、後出ししていたブラッドティアーズが先に力を失う。
同時、それまで不安定になっていたサクリファイスの出力が戻り、スキル効果である使用者の身体機能の最適化により、朦朧としていた彼女の全身へショックが走る。マギによるカウンターショックで覚醒した渚は、そのまま真横へサクリファイスを薙ぎ払い、FS-0000の胸部を浅く切り裂く。
不意打ち同然の痛みに彼女の動きが一瞬止まり、そして振り上げた刃に引かれる様にして後退り始める。バランスを崩した事で生じた隙を見逃さず立ち上がった渚は、それと共に振り上げたブラッドティアーズにマギの供給先を切り替え、赤黒いオーラを揺らめかせた刃を振り下ろす。
踏み込みが足らず、全力で振り下ろされた刃は、盾の様に掲げられたダインスレイヴを掠めるに留まる。得物の腹に縦一直線の浅い傷を刻んだFS-0000は無駄な一撃、と渚へ嘲笑を浮かべるも、直後、冷や水を浴びせる様に、返す刀で放たれた斬撃波が彼女を大きく吹き飛ばす。
高衝撃を与えると同時、斬撃波は瞬く間に霧散し、赤黒いマギが蛍火の様に散る。
距離を取らせた渚はマギ供給をサクリファイスに切り替えると、切っ先で牽制しながら腰のスイングも使ってブラッドティアーズを納刀する。鯉口が合わさる音が空間に響く中、渚は体を戻しながらサクリファイスを握り直し、黒の妖刀を正眼に構える。
「へぇ、まだ動けるんだ、オマエ」
小馬鹿にした様な口調でそう言い、瞬発したFS-0000は肩に担っていたダインスレイヴを振り上げ、サクリファイス目掛けて叩き付ける。不意打ち同然の接近に咄嗟の反応が遅れた渚は、上段から放たれた一撃をサクリファイスで受け止め、激突し合った刃が火花を散らす。
金属同士が擦れ合う不快な音を放ちながら鍔迫り合いを演じた彼女は、刃越しに嘲笑を向けたFS-0000を睨みつけ、一瞬出力を上げた身体強化で以って圧倒してみせる。圧倒された勢いそのままに、左右へステップを踏みつつ後ろへ大きく距離を取ったFS-0000は、血の刃を振り上げ、青白いそれを再び鞭の様にしならせる。
地面を舐める様にして逆袈裟状に奔った刃は、予備動作で見切っていた渚にあっけなく回避され、大振りの隙を突いた彼女は、懐に向けて身体強化を込めた一歩で瞬発する。踏み出しと同時、右手のサクリファイスを突きに構えた渚は射程圏内にFS-0000を捉える。
ボロ布に隠された胸へ刃を突き立てんとする直前、凝結が解除され、刃となっていた異形の血液が膜状に広がる。血刃を排除し、身軽になった得物を手にしたFS-0000は突き出された凶刃を回避すると、がら空きになった渚の脇へ膝蹴りを打ち込む。
肋骨が圧し折れ、圧迫感と共に押し出された空気を吐き出した渚は、追撃で振るわれたダインスレイヴをダッキングで回避し、その勢いを使い、踵からの回し蹴りを彼女の側頭部に叩き込んだ。しなる様な鞭の様な一撃は、快音と共にFS-0000の脳を揺らし、眉間から僅かに血を噴出した彼女は脳震盪を起こし、膝を折りながら一瞬白目を剥く。地面へ膝が突くより前に、畳みかける様にして回転斬りを放った渚は、彼女の胸部を深く切り裂いた。
夥しい量の血が壁の様に吹き出し、視界を埋める直前、渚はFS-0000の口端が僅かに上がっていくのに気付いた。
「バァカ」
力無く呟かれた一節に、その場から飛び退こうとした渚は針の筵と化した血液に刺し貫かれる。全身を滅多刺しにされ、血管と神経を損傷した渚はサクリファイスの効果によって感覚を失いながらその場に崩れ落ちた。
「血を流したらダメだって学ばなかったのか、よ!」
歯を噛みながら頭を起こした渚を思い切り踏み付けたFS-0000は、修復されていく傷口を何度も踏みつけ、どす黒い血の色と共に傷口を広げていく。感覚こそ無くとも、傷が広がる不快感は拭えず、じくじくと広がった血の生暖かさが、痛みだけがフィルタリングされた肌の感覚に伝わる。
「もっと楽しめるかと思ったけど、もういい加減飽きてきちゃった。だからとっとと死ねよ、お前」
飛び出た青白い血がダインスレイヴに集まり、再び血の刃が形成されると、その切っ先が渚の胸部へ向けられる。
「じゃ、さようなら」
ニヤリと笑い、剣を振り下ろそうとした彼女は不意に自分自身を刺す様な殺気を感じ、その手を止めた。戸惑う渚を他所に、殺気のする方へ顔を上げたFS-0000は、暗闇の中で瞬いた閃光に右腕を射抜かれ、もんどり打ってその場に倒れた。
千切られた右腕から滑り落ちるダインスレイヴが乾いた金属音を上げる中、渚共々目を見開いたFS-0000は、ゆっくりと修復されていく右腕に舌打ちし、傷口に力を込めて止血する。片腕のまま、身軽な動きで追撃を全て避けた彼女は、そのまま空いた左腕で得物を回収すると、滑り込む様にして大穴へと逃げ込む。
その間、誤射を避ける為に伏せていた渚は、サクリファイスを落とした右手にAHWを引き抜き、左の逆手に持ち替えたサクリファイスと合わせて構えながら大穴へと歩み寄る。FS-0000は当に姿を晦ませており、追撃の必要が無い事を確認した彼女は、抜き取ったマガジンのインジケーターとチャンバーチェックで以ってAHWの残弾数を把握し、ホルスターに差した。
用無しになったサクリファイスも同様に納刀した彼女は、納めると同時に圧し掛かってきた疲労とストレスに堪らず膝を突く。生唾すら無い乾き切った口腔を経由して浅く息をした渚は、途端に襲い掛かった激しい空腹感と眠気に押され、その場に座り込む。
(随分戦ってたなぁ……)
どこか他人事の様に思いながら大欠伸をした渚は、時計型のスマートデバイスで時刻を確認するとぼんやりと大穴を見つめる。彼是数時間作戦行動は続いており、体力の消耗は宇佐美の時以上に激しい。無論、消耗が激しいのは自分だけで無いだろうが、それでも弱音は吐いてしまう。
そんな事をぼんやりと考え、薄ら笑いを浮かべた渚は疲れ切った自分の顔に差し込んだ陰りに気付き、慣れた夜目がその正体を暴く。
「やあ、マリア。お帰り。アイネ達は?」
力無い笑みと共に義妹へそう呼びかけた渚は、上下反転し、いたずらっ気のある笑みを浮かべる彼女が差す方へ体を振り向ける。振り返った先、オリヴィアを除いたアッシュチームが、硬質な足音の多重奏を奏でながらゆっくりと歩み寄っていた。
周囲の警戒をしながら進む中、先頭に立っていたアイネは構えていたダジボーグを下ろし、差し出した左腕で彼女の体を引き上げる。
「待たせてごめんなさい、ナギサ」
「いや、時間通りさ。オリヴィアは?」
「昇降階段付近でカズミから応急手当てを受けているわ。一先ずあなたも合流して。長時間戦っていたんですもの、補給が必要でしょう?」
「ああ、そうだね。お腹も空いてるし、喉もカラカラだ。せめて水だけでも、飲んでおきたいな」
微笑と共にそう言った渚は、口調とは裏腹の覚束ない足取りでアイネの脇を通り過ぎ、彼女達の先へ行こうとする。そんな渚に苦笑を向けたアイネは、待機していた優愛達へ撤収を指示すると体勢を崩した彼女を支え、二人並んで来た道を戻り始める。
宙を泳ぐマリアを先に行かせ、渚を支えながら歩いていたアイネは、瞼が半分落ちている彼女の横顔を見て柔らかな笑みを向けた。
「眠いの? ナギサ」
茶化す様に問いかけたアイネは、ハッとなる渚にくすくすと忍び笑いを浮かべ、バツの悪そうな彼女の半目を浴びる。誤魔化さなくても良いのに、と笑いながら返したアイネへ、垂れた目付きはそのまま、渚は首を横に振る。
「君や皆も疲れて眠いだろうし、僕だけ特別扱いって訳にはいかないだろう?」
それに、と言いながら、渚は横目に見たアイネへ微笑を向ける。
「君の前でくらい、格好つけないと、ね」
そう言いつつ、顔を背け、小さく欠伸を噛み殺した渚は再び眠気との戦いに入り、そんな彼女を横目に見ていたアイネは苦笑を向ける。夢遊病宜しく、引かれるままに歩く彼女を見たアイネは、マリアについて有耶無耶になっている事を思い出した。
話し難い事とは言え、未だ彼女から切り出しの一言も無いのは、大切な物を通り越し、最早腫れ物として見られている様で少し癪だった。
「ナギサ、向こうに付いたら優愛からさっきのリリィについて報告があるわ。寝ない様にね」
そう言い、渚を揺さ振ったアイネは、ふと促す事すら出来ない自分に気付き、自分も彼女と似た様な物だ、と自嘲し、溜め息を漏らす。
並び立ちたいと豪語したものの、かと言って不躾に渚の内面へ踏み込める程、肝が据わっている訳では無く、加えてほんの1年の間に変わってしまった彼女に恐怖を覚えている。そんな現状では渚にマリアを宿した事、そしてレアスキルについての子細を聞き出す事は難しい。
(臆病者ね、お互い)
だから相性が良いのかもね、と独り言ちたアイネは、苦笑を浮かべると渚から前へ視線を向け、彼女を引き摺りながら歩みを進める。
今は無理でも、何れ台頭に並び立てる様になると、そう決意しながら。