それから約十分後、崩落を免れたブースへ一時退避していた渚達は組み合わせた長机2つの上、並べられたなけなしの物資とホロデバイスを囲んで各々疲労と苛立ちが混じり合った複雑な面持ちで向かい合う。喋る気力すら失った彼女達は、いつもの様にお互いを牽制し合う余力すら無く、ただただ無気力な沈黙がその場を支配していた。
「……では、状況を整理するわ」
場の空気を打破すべく、溜め息交じりに切り出したアイネはホロデバイスの電源を入れ、起動画面を投影させる。机のサイズいっぱいに広げられた仮想ボードに動作確認用のウィンドウが表示され、数秒の間を置いた後、彼女のデバイスと接続される。
接続確認の表示の後、優愛の立つ長辺を上にラボ内の階層を表示した簡易見取り図が表示され、それに付随する補足資料が折り重なる様にして見取り図の裏に表示される。その後、拡大された簡易見取り図は27階にフォーカス、現在位置である一室が赤く囲まれると、数回黄色に明滅した。
「現在、我々はこのラボからの脱出を企図して最深部地下30階に向かって移動している。脱出に際しては地下2階の隔壁の解放を行う必要があり、隔壁を操作するには地下30階の予備ジェネレーターを稼働させ、コントロールパネルを使用できる状態にする必要がある。そうよね、フアナ」
「うん。一応皆が来る前、自力で脱出できないか、あの辺りの確認はしてたんだけど、緊急弁の解放レバーは人為的に破壊されてて使えなかったから。コントロールパネルも壊されてはいたけど、予備回路は生きてたから、地下からの電力さえあれば、外部から開ける事は出来ると思う。多分。回路の損傷具合からして開放操作しか出来ないだろうけど、それでも脱出の目途はある」
疲れ切った顔で自信無さげに答えた冨亜奈に、苦笑を返したアイネは、視線を彼女から手元の端末に戻し、話を続ける。
「現在、我々の所在地は27階。ここから3階層降り、最奥部である地下30階の予備ジェネレーターに向かい、装置の起動を試みる」
アイネの言葉と共にウォーターシップダウンを示す矢印が再び各階層を簡易的に示した図、それを一番下まで下り、ジェネレーターと記された箱に突き刺さった。
「それで、起動後の動きについてだけど、残念ながら即座に地下2階へ戻る事は出来ないわ。もう一つ、やる事がある」
もう一つ、と言いながら至極面倒そうな顔を浮かべたアイネは、薄い反応を示す面々をつまらなさそうに見回すと一つ咳払いをして話を続ける。
「ジェネレーターの起動後は高脅威目標である人造リリィ『FS-0000』の撃破に移る。隔壁の解放は一方通行、つまり一度開放すれば再び閉じる事は出来ない。このラボの封じ込めが出来ない以上、彼女を排除するまで、私達はこのラボからは出れないわ」
固いアイネの言葉と共に見取り図と入れ替わりに履歴書にも似た書類が表示される。拡大され、上側の3分の1が表示されたそれには、すっかり顔なじみになったFS-0000の顔写真と彼女についての簡易的なプロフィールが記されていた。
「和美と優愛が回収した情報によれば、彼女はS級のユーバーザインと高レベルのリジェネレーターを持っている。サブスキルやその他のブーステッドスキルもあるけど、突出して脅威であるのはその二点。特に前者はS級の特徴である記憶操作を超え、最早洗脳の域にまで達してる。今の彼女を外に出してしまえばこの一帯にどんな被害をもたらすか、想像もつかないわ」
「……だから、ラボ内で彼女を始末すると。確かにあの理性的な行動を見ればそうせざるを得ないとは思いますが、具体的には一体どうするおつもりで? 僭越ながら、現在の我々では彼女に太刀打ちする事は不可能に近いと思うのですが」
「まぁ、そうよね。数でも質でも、中途半端に投入した所で彼女に対抗する事は出来ない。現に連戦で消耗していたとは言え、ナギサが削り切られている以上、彼女にはかなりの質をぶつけなければならないのは理解しているわ。けど……」
言いかけ、口ごもったアイネは、黄昏から優愛の介抱を受けている詩季へと視線を移す。
ウォーターシップダウンにおいて、渚に近いタイプのAZは詩季以外にいない。だが、FS-0000の記憶操作によって心神喪失状態にある今の彼女は、とてもでは無いが戦力として計算する事は出来ない。かと言って渚を再度投入しようにも、今の彼女は多少回復してはいるものの、未だ激しい消耗の影響がまだ残っており、それに加えて先程の戦闘で切札である円環の御手を使ってしまっている。渚を含めた誰もが知る由も無いが、彼女が持つ円環の御手は、カオスティックトランサーを経由してコピーした劣化模造品であり、再使用までに6時間と言うオリジナル以上のインターバルを必要としていた。マギ、そして体力の消耗に切札の消失、今の渚にはとてもでは無いが先程の様な戦いをする事は不可能だった。
「であれば、代わりに私が。と、言いたい所ですが、恐らく彼女はナギサやシキさんでないと捌き切る事が出来ない手合いでしょう。私やマシモさんが出張った所で、大振りに隙を晒してバッサリ斬られるのがオチですわね」
嘆息を吐きながら飲料水に口を付けるオリヴィアへ苦笑を漏らしたアイネは、顎に手を当てながら少しの間逡巡する。個人の実力で見ればオリヴィアや真霜も渚達と同列ではあるものの、彼女達は一撃の威力を重視するタイプであり、パワーに優れた能力と持っている得物の都合上、小回りの利く人型サイズとの斬り合いは不得手だ。特に、同格の[[rb:武器 > CHARM]]を片手剣の様に振り回す様な人外を相手取るのであれば、一撃で圧倒出来ない分、彼女等の小回りの利かなさはより顕著となる。
「かと言ってTZ以降が仮に集団で彼女を相手取るとしても、トータルのスペック差は歴然。一太刀も浴びせられず、一方的に蹂躙される可能性は極めて高いかと」
「そう、いずれにしても誰かが犠牲にならざるを得ないわね」
「……心苦しい話ですが。現時点では、そうなるかと」
苦虫を噛み潰した様な表情を浮かべる黄昏から、黙々と視線を逸らしたアイネは額を抑えながら一つ溜め息を漏らす。捨て身を前提とした作戦など彼女にとって無策も同然ではあるものの、現状FS-0000を相手取るにはそれ以外に選択肢は無いのも事実ではあった。全員が生きて帰れる最善手が無い事への絶望感から、その場に重々しい空気が立ち込める中、一人満面の笑みを浮かべた和美が小さく手を上げる。
「少し良い? 司令塔さん」
「……ええ、構わない。何かしら?」
「さっきからあなた達の話を聞く限り、この状況は三朝さんが戦える様になれば良くなるって事で良いのよね?」
「え、ええ。そうよ。でも、今の彼女はとても戦える状態じゃ―――」
「だったら、提案なのだけど。三朝さんへ暗示をかけて彼女を一時的に戦える状態に回復させてはどうかしら?」
人懐っこさを感じさせる笑みはそのままにそんな言葉を口にした和美は、絶句し、僅かに動揺するアイネへ刃の様に研ぎ澄ました目を向ける。いつもとは違う雰囲気と目に射竦められたアイネが顔を俯かせる中、僅かな嘲りを含めた薄ら笑いを浮かべた和美は視線から逃れた彼女へわざとらしく嘆息を吐き、話を続ける。
「どうせ、この場にいる誰かが犠牲にならなければならないのでしょう? だったら、それが別に彼女であっても構わないわよね?」
「確かにそうよ。でも―――」
「あはっ、でもって何よ。今が手段を選り好みできる様な状況じゃないって、あなたが一番分かってる筈よね? 司令塔さん。それともこの期に及んで、リリィ共と同じ様なつまらない綺麗事を言うつもりなのかしら?」
薄ら笑いはそのままに詰る様な視線を向けた和美は、体を震わせながら両手を握り締めているアイネを見下ろすと、心底つまらなさそうに頭を振った。
「今あなたが優先すべきは大多数を生かしてここから出る事。その為の犠牲として、三朝詩季は適任じゃないかしら。監査官だって言ってたじゃない。足手まといは見殺しにして良いって」
「それは過失がある場合の話よ! 今の彼女の状態は彼女自身の過失によるものじゃない! 以前から分かってた、精神疾患によるものでしょう!? それを理由に切り捨てる事なんて出来ないわよ!」
「だったら私達に死ねって? まぁ、そうよね。この判断を誤れば全滅するかもしれない状況で、精神疾患持ちの足手まといを連れてあの化け物をどうこうしようって言うんだから」
「それは……」
「二つに一つよ、司令塔さん。一人を犠牲に全員生き残るか、それとも全員死ぬか。誰も犠牲にしないなんて、生温い綺麗事が通じる場じゃないのよ」
糾弾する様な声色を向ける和美に顔を俯けたままのアイネが口を噤む中、殺気立つ彼女の横顔へ視線を向けた黄昏は射竦める様なその目にぎらついた欲望が宿っている事に気付いていた。その内に隠した意図を読み取り、溜め息を吐いた彼女は、笑みと共に一瞬視線を向けた和美を睨み返す。迫真の演技を見せる彼女にはこの状況を如何にかしたいと言う意図は無い。彼女はあくまでもこの状況を利用して自分の欲望を叶えたいだけだ。
―――三朝詩季が死ぬ所を見たいと言う、欲望を。
狡猾な彼女を前に内心複雑な心境を抱いていた黄昏は、かと言って彼女の欲望が自分達の利害に反する訳では無い、と自分に言い聞かせると伏せていた目を開き、アイネを見据えた。
「和美の言う通りです、クラウンベックさん。今の我々には彼女を犠牲にする選択肢しか残されていません」
務めて冷静にそう告げた黄昏は、嬉しそうに笑っている和美を黙らせる様に横目で睨み付けた。あくまでも口車に乗る気は無い、とそう殺気立った視線で告げた彼女だったが、微笑を浮かべた和美によって嘲りと共に軽く受け流される。半ば呆れ気味の苛立ちと共に溜め息を吐き、目を伏せた黄昏は顔を上げたアイネへと逸らした視線を向ける。
「現状、我々の中であの人造リリィに太刀打ちできるのはマルクルスさんの言う通り、姫神さんと三朝さんだけです。しかし、姫神さんはここに至るまでの戦闘で激しく消耗しており、とてもではありませんが万全とは言い難い状態。対して三朝さんはこれまで戦闘への投入が避けられていた事もあり、精神面での消耗を除き、ほぼ万全に近い状態にあります。そう言った観点から、彼女以外に犠牲に出来る人間はいません。無論、彼女は死ぬ事は無いでしょうが―――」
「無理矢理戦闘へ投入した時のストレスが、精神にどう影響するか、でしょう? そんなもの、ここから出てから考えれば良いじゃないの」
「門外漢であるあなたは黙ってて下さい。私は司令塔と話をしているんです」
そう言い、殺気立った目を向けた黄昏へ、涼しい顔を返した和美はニコニコと楽しそうに笑う。挑発の意図を込めたそれを向けられ、苛立ちから歯噛みした彼女は机上に置いた手を強く握り締める。
「あら、ご挨拶ね。現場における彼女の担当は私よ? 少しくらい口を挟んだって良いじゃない」
「投入後の事は後から考えれば良いなどと無責任な発言をしておいて、よくそんな事を言えますね。それに、先のクラウンベックさんへの態度もそうです。他人へ責任を押し付ける素振りを見せておいて、関わる事だけは譲らないその姿勢。些か卑怯ではありませんか?」
「あっは、酷い言われ様。でも、あなただってそのつもりなんでしょう? 提案するだけしておいて、その責任は選んだ人間だけに取らせれば良い、って、ね?」
「あなたと一緒にしないで頂きたい! 提案し、選ばせた以上、その責任は私にもある。何もしない卑怯なあなたとは違う。私は、クラウンベックさんだけに責任を負わせる気は無い!」
「……ふぅん、あっそう。そう言う事なら、責任を取れない卑怯者は口を紡ぎましょう。後はあなた達に任せるから、きちんと多数が生き残れる様な作戦を立てて頂戴ね。まぁ、無いとは思うけど、任務のどさくさに紛れて私を殺すなら事前にそうと教えて。きちんと身綺麗にしてから殺されるから」
牽制する様に笑えない冗談を放ち、けらけらと笑いながら後を譲った和美は作戦テーブルを離れ、暗がりへと引っ込んでいく。それを肩で息をしながら見送った黄昏は、おっかなびっくりと言った体のアイネの視線に気付き、気まずそうに視線を逸らす。
「……意外ですか?」
「え、ええ。そうね。失礼ながら、そんなに熱くなれる人だとは思ってなかったから」
「自分でも、らしくない言動だと思います」
「まぁ、そうかもね。でも、良い事だと思うわ。少なくとも私はそう思う。だってそのおかげで踏ん切りがついたもの」
口元を浅く隠しながら苦笑を浮かべたアイネの一言に、その場の全員と共に目を見開いた黄昏は、暗がりの中で笑っている和美に気付き、苦虫を噛み潰した様な表情を浮かべる。
「踏ん切り……。良いのですか? 私も同類とは言え、結果的に和美の口車に乗せられる事になりますが」
「まぁ、あなたには癪かもしれないけど、正直私にはそんな些末事、どうだって良いわ。目的を達成さえ出来ればね」
「……なるほど、あなたらしい判断です」
微笑を浮かべた黄昏へ笑い返したアイネは、表情を誤魔化す様に再び顔を俯けると机の下に隠した手を少し震わせ、御し切れない恐怖心を如何にか誤魔化そうとする。それを横目に見ていた渚が顔を上げた先、同じ様にアイネを見ていたらしいオリヴィアと目を合わせる。アイネの様子を確認する様な彼女の目に、苦笑と共に頷き返した渚は、二拍手を打ちながら姿を現した和美に視線を向ける。
「話はまとまったみたいね。じゃあ、隊長さん。暗示をかける役をお願いしたいから、こっちに来てもらえるかしら?」
「君がやるんじゃないのか?」
「まさか。口下手な私じゃ脅迫になってしまうのがオチよ」
肩を竦め、苦笑を漏らした和美に苦笑を返した渚は、暗がりで蹲っている詩季へ目を向け、少しばかり表情を曇らせる。
「その言い方、人誑しって言われてるみたいで嫌だな……」
「口説けない人間よりはマシだと思うけど」
「それはそうだけどさ……。まぁ、良いや。それで、僕は何をすれば良い?」
「あー、そうねぇ。適当に何か励ましの言葉でも言ってくれれば良いわ」
「月並みだな。そんなもので騙せるなら君がやれば良いだろうに。良いよ、分かった。取り敢えず如何にかしてみるよ」
額を抑え、呆れ気味にそう言う渚に、満面の笑みを見せた和美は彼女の周囲をふわふわと浮かぶマリアに気付き、暫し彼女へ視線を流す。猟奇的とも取れる彼女の目に晒されたマリアは怯えた様に身を縮め、逃げる様にして渚の背後に隠れる。残念そうな表情を浮かべ、小首を傾げて見せる和美を他所に詩季の方へ移動した渚は、蹲ったままの彼女の傍にしゃがみ込む。
俯いたまま微動だにしない詩季へかける言葉を迷っていた渚は、不意に視界に入った青白い残滓に気付き、誘われる様にしてか細い糸の様なそれを目で追う。アイネ達を追った際にも見たそれは、しかし彼女達のものとは異なり、今にも消えてしまいそうな程に細く、そして景色へ同化しかかる程にその色味は薄い。
凡そ生きている人間のそれでは無い、とそんな予測を立てながら目で追った渚は、詩季の背後、彼女を守る様に浮かぶ2人の少女を見つけ、ほんの一瞬、目を見開いた。
「ナギサ? どうかしたの?」
僅かな兆候を見逃さず、アイネが心配そうに声をかける。まるで彼女がどこか遠くへ行く事を危惧しているかの様な一言に心配無いと苦笑を漏らした渚は、心配そうな顔をする彼女を一度流し見ると再び眼前の少女達へ視線を向け直す。揃って詩季の容体を心配する素振りの少女達は困り眉のまま、揃って彼女を見下ろす。
何処か見覚えのある彼女達の内、紺色のショートヘアにトパーズブラウンの目を持つ片側は自分達とそう変わらない年恰好で、黒いロングヘアのもう一人は彼女よりも僅かに年下に見え、温厚そうな印象を放つ垂れ気味の目は紺色に近い色をしていた。
詩季に取り憑いているのだろう彼女達の姿に見覚えがあった渚は小さく唸り声を上げ、隣で怪訝そうな顔をするアイネを他所に自分自身の記憶の内を探り、何時どこで彼女達を見たか思い出そうと浅く目を伏せる。そのまま何気無く視線を動かしていた渚は薄暗い視界の中、不意に目に入った履歴書に気付き、目を見開く。同時、真波と共に見た詩季のプロファイル資料の中に彼女達についての資料が合った事が頭を過ぎり、点が線で繋がった事に渚は反射的に声を出しかけ、口を噤んだ。
更に訝しむアイネの視線を無視した渚は、幽霊らしくぼんやりと光る少女達の姿と脳裏に過ぎった資料の顔写真とが一致している事を確認すると、一度その場から立ち上がり、詩季ごと幽霊達から距離を取る。
(確か彼女達は……鹿島美春と、一ノ瀬夏輝か。彼女達は三朝さんと特に親密な関係だった筈。なら、未練を抱いてこの世に残っていてもおかしくは無いか)
僅かに離れた位置から、蹲ったままの詩季と、彼女を取り巻く様に浮遊する幽霊達、紺色のショートヘアの少女、鹿島美春と黒いロングヘアの少女、一ノ瀬夏輝を眺めながら思考していた渚はプロファイル資料の内容と共に真波の言葉を思い出していた。
『鹿島美春と三朝詩季は酷い別れ方をした。それも、戦場で死に別れる以上の方法で』
記憶の中の真波は言葉と共に、確信はしつつも、それを信じたくない、と言いたげな苦々しい表情を横顔に浮かべ、その目に得体の知れない昏い感情を宿していた。それが一体何だったのだろうか、と思い出しかけた渚は不思議そうな顔と共に流れて来たマリアに道を逸れた考えを中断させられる。
いたずらっぽくのぞき込む彼女の頬へ触れる様に、苦笑と共に指を動かした渚は、つまらなさそうにしていた彼女をあやしながら脱線しかかった思考を修正し、自分が今すべき事を内心で諳んじる。
(今この状況で優先すべきは多くを無事に連れて帰る事。その為に三朝さんを騙す必要がある)
自分へ言い聞かせる様にそう内心で呟いた渚は、湧き上がる嫌悪感を溜め息と共に吐き出し、浅く目を伏せる。あやす手を止め、不思議そうに見てくるマリアを他所に、嫌悪感とは別に浮かび上がった最善手に怒りすら沸いた彼女は、伏せていた目を開くと遠く位置する詩季達を見つめる。
(三朝さんが経験した酷い別れを、利用するしかない)
他人を騙し、意のままに動かす事への自己嫌悪を抑えた渚は、自身の唇に手を当てながら小さく息を吐くと、いつの間にか背中に抱き付いていたマリアへと視線を向ける。
ほったらかしにされた事に寂しさと不満を抱いていた彼女は、酷くつまらなさそうに口を尖らせ、顔を伏せた頭をぐりぐりと渚に押し付けていた。実体の無いじゃれつきに苦笑を漏らした渚は、押し付けられた実体の無い義妹の頭に平手を添える。
一方的な感触に顔を上げたマリアへ、申し訳なさそうに苦笑を浮かべた渚は目に光を取り戻した彼女の耳元へ口を寄せる。
「マリア、彼女達に話しかけてこっちに連れてきてもらえるかい?」
ひそひそ声でそう呟いた渚に、嬉し気に頷いたマリアはくるくると宙で身を回すとそのまま泳ぐ様にして少女達の元へ向かう。その様子を遠目に見ていたアイネ達が彼女以外にも幽霊がいると気付き、それとなく動揺し始める中、少女達の下に向かったマリアが驚く彼女達へ一言二言告げると半ば強引に渚の元へ連れてくる。
人慣れしていない故の強引な仕草に苦笑した渚は、自分の元へやってきた二人を出迎えた。
「どうも、お呼び立てして申し訳無い」
『こちらこそ、ごめんなさい。まさか生きてる人間が今の私達の事を見る事が出来るとは思わなかったから。ああ、自己紹介がまだだったわね。私は鹿島美春。こっちの子は後輩の一ノ瀬夏輝。あなたの事は詩季を介して見てたから良く知ってるわ、姫神渚さん。それで、死人の私達に何の用かしら』
「三朝さんを再起させる為の説得に協力して欲しい」
『嫌だ、と言ったら?』
「彼女を含め、僕達はこのラボで全滅する。彼女が戦えなければこのラボから誰一人として生きて出られない。今はそんな状況にある」
ねめつける様な視線を向ける紺色のショートヘアの少女、美春は睨み返してくる渚と数秒の睨み合いを演じ、そして観念した様に溜め息を漏らし、視線を逸らす。
『……冗談よ。今の状況くらい、言われなくても承知している。勿論協力するわ。詩季には生きてここから出てもらわないといけないから』
「ありがとう」
『その代わり、条件があるわ。ここから出たら、彼女にリリィを引退する様に説得して欲しい。本当なら彼女はリリィを続けていない筈なの、色々ともう限界だったから。それなのにどうして……。体を壊す前に辞める様に遺書へ書いていた筈よ、もしかしてあの子、私の遺書を読んでいないの?』
独り言ち、顎に手を当てた美春の一言に引っかかりを覚えた渚は目を伏せて考え込む彼女の死因を察し、そして、真波が言っていた酷い別れ方の正体を推測した。
(彼女は、鹿島美春は……自殺している? それが、酷い別れ方の正体?)
だとすれば彼女が言っている事は身勝手にも程がある、と苛立ち交じりの嫌悪感を抱いた渚は、冷静さを取り戻そうと溜め息を吐き、それと同時に独り言を呟いていた美春を無言で制し、逸脱しかけていた話の趣旨を元に戻した。
「……一先ず、説得については善処はする。けど、ここまで来た以上、彼女は止まらないと思うよ。立ち止まるには、彼女は色々と背負い過ぎている」
『だとしても……。まぁ良いわ、取り敢えず私達は何をすれば良いの?』
「僕の質問に一つだけ答えてくれれば良い。多分それだけで彼女には効くと思うから」
淡々とそう告げた渚は、思いの外あっさりとした要求に戸惑う美晴達を他所に、怯えた目を向けてくる詩季へ苦笑を向け、彼女の傍へしゃがみ込む。幽霊など見える筈も無い詩季達、ウォーターシップダウンの面々からすれば渚と美晴の会話は、渚個人の一人芝居にしか見えないだろう。
怯えられるのも当然か、と内心で独り言ちた渚は顔を浅く俯かせ、一つ深呼吸をすると眼前の詩季へ視線を向けた。そんな彼女等を取り巻く様に、同類であるマリア共々浮遊していた美晴達はゆらゆらと雲の様に所帯無く移動し、ちょうど詩季の背後へ回る様な形で静止する。その直前、一瞬だけ彼女達へ視線を向けた渚は誰に見せるともつかない様な微笑を浮かべると、詩季へ視線を向け直しながら口を開いた。
「じゃあ質問だ、鹿島美春。君は、いや、君達は。彼女を許しているのか?」
微笑から一変し、内心の嫌悪感を抑え込む様な顔をした渚は、感情を抑えた抑揚の無い声で美晴達へ問いを投げかける。質問の内容に驚く彼女達を他所に、トラウマを刺激された詩季へ視線を向けた渚は、端正だった顔に浮かぶ激しい動揺の色と共に崩れ落ちそうになった彼女の肩を掴み上げる。不意打ち同然のそれに詩季が引き攣った声を上げ、周囲が困惑する中、渚はただ一人幽霊からの答えを待つ。
「答えてくれ」
周囲には見えない美晴へと催促の声を上げた渚は、酷く怯える詩季の震えを握り締めた彼女の肩越しに感じ取り、苦々しい表情を浮かべる。上手くいく確証も無いし、そうであっても彼女への負担を考えれば可能な限りこうしたくも無かった。だが、際悩まされている彼女を前へ向かせるには、聞かせる必要がある。自分が死なせたと思っている鹿島美春、そして一ノ瀬夏輝からの言葉を。
『許す事なんて何も無いわ。私は、彼女を恨んでなんていない。むしろ、謝りたいの。私は彼女の力になれなかった。彼女に余計な重荷を背負わせ過ぎてしまった。だから―――』
そう言いかけた美晴は、渚の手の内にある詩季の様子に気付いた。まるで聞こえているかの様な、先にも増した動揺の程を見せる詩季と目を合わせた美晴は気のせいでも何でも無く、先の言葉を彼女が聞いていた事を悟り、渚の眼前へ移動する。
『どう言う事!? 私の言葉は、あなたにしか聞こえない筈でしょう!?』
鬼の形相で糾弾する美晴を見上げ、ぎこちなくほくそ笑んだ渚は詩季から手を離し、距離を取る。喪った親友の名を聞き、パニック状態に陥った彼女は過呼吸を起こし、喉元から引き攣った呼吸音を迸らせてその場に蹲る。苦し気な声を出し、崩れ落ちる様にして身を縮めた彼女が痙攣する様を遠目に見ていた渚は、周囲から向けられた複雑な色模様の視線を敢えて無視し、彼女の腕に触れた。
突然の接触でパニックになった詩季は咄嗟に腕を振り上げ、予見していたそれを難無く受け止めた渚は、怯える彼女の目を見据えた後に目を伏せ、脳裏に美晴の言葉を思い出す。
―――彼女がどんな言葉を選んだか、そして、どんな口調で話していたか。
今だけ、三朝詩季を騙す為に鹿島美春になりきり、彼女の存在を自分の言葉を届ける為だけに歪める。相手が死人とは言え、尊厳を踏みにじる行為であり、渚自身の気分はあまり良くない。だが、今は必要な事だ。
「“詩季”、落ち着いて“私”の言葉を聞いてほしい」
伏せた目を開けながら美晴の声のトーンと口調をトレースした渚は、息を呑みながら身を竦ませた詩季の焦点の合っていない目を見据え、唇を固く結ぶ。彼女が自分を亡き戦友と誤認する事への期待とそうあってほしくない感情に引き裂かれ、苦しげに息を吐いた渚は苦々しい表情を浮かべながら顔を俯ける。
「み、はる……」
案の定、詩季はパニック症状による認識障害によって渚を誤認している様だった。よしんばそうでないとしても、幽霊である美春が渚に憑依し、話していると思う事だろう。
つたない三文芝居と思いつつ、上手く釣れた、と言う喜びも薄く溜め息を一つ落とした渚は言葉を待つ彼女へぎこちない苦笑と共に首肯する。
「……ごめんなさい。私の不甲斐無さが、今日まであなたを苦しめてしまっていた。けど、これだけは伝えたいの。私はあなたを恨んでいない。だから、もう私達に囚われるのは止めて、今の仲間達の為に戦ってほしいの。それが、詩季。あなたがこれから先すべき唯一の贖罪。もう赦す事の出来ない私達では無く、今共に戦う仲間達の為に戦う事。それが私達の犠牲に報いる唯一の方法なの、だから」
そう言いながら手を取った渚は、縋る様な詩季の視線に気付き、内心に抱えた自己嫌悪を膨らませる。本物の鹿島美春がそこにいると思う様な目、騙す事が出来ている事を確信させる様なその目に吸い込まれ、束の間言葉を失っていた渚は不思議そうな彼女の視線に気付き、誤魔化し笑いを浮かべる。
「だから、戦って、詩季。今生きている誰かの為に。だから、目を覚まして。皆の所へ、戻って」
そう言い、握る手に力を込めた渚は焦点の合わない詩季の目へ憐れみの感情を抱きながら手を離す。ゆっくりと離れていく手と共に消えていく親友を名残惜しそうに見送った彼女は、その目に力を宿し、徐々に眼前の渚へと焦点を合わせていく。いつもとは違う紫色の瞳の彼女に気付いた詩季は、脳内との認識のずれを感じ取り、表情を歪める。
今、渚が立っている場所は、詩季からすれば美春がいた場所だ。もしかして今まで喋っていたのは美春では無く渚では無いのか、と頭の片隅で認識しかかった彼女は、憔悴し、やつれていた顔を苦痛に歪ませる。極々僅かなそれに気付いた渚は、彼女が考えこもうとするより早く口を開いた。
「大丈夫かい、三朝さん」
当たり障りの無い一言を向け、思考が向く先を逸らした渚は、首肯しつつ複雑な表情を浮かべた詩季に苦笑を返す。
「随分と放心してたけど、何かあった?」
「え、あ、ううん。その、今、友達と話してた気がして。そんな風に見えてましたか?」
「残念ながらね。……その友達は、何か言ってた?」
「もう自分に囚われなくて良い、と。自分達じゃなくて、姫神さん達の為に戦ってほしい、と」
「それが、君が赦される唯一の方法だ、って?」
心の内の罪悪感からつい口にした渚は、目を見開き、驚く詩季へ肩を竦めて見せる。
「聞こえてたんですか?」
「ああ。そう言う……体質、だからさ。見聞きしたり会話したり出来るんだよ。死んだ人とね」
「それは……。難儀ですね」
「もう、慣れちゃったから。さて、取り敢えず、この話は後にして、一旦、薬を飲んで落ち着いてほしい」
「分かりました」
首を縦に振り、渚から精神系の常備薬と残り少ない飲料水を受け取った詩季は、水で薬を流し込むと頭にこびり付いたフラッシュバックの残滓と共に、先ほど感じた違和感が薄れていく感覚を味わう。すっかり慣れ切った感覚の後に一息吐いた詩季は、服薬が済むまで待っていた渚へ視線を向ける。
申し訳なさそうな彼女からの視線に、気にしなくて良い、と苦笑を返した渚は一拍置く様に息を吐くと口を開いた。
「それで三朝さん。これから君はどうしたい?」
「可能なら、戦線へ戻りたいです。美晴との約束を、果たしたいので」
「そうか……。分かった。だったらこれ以上の話は僕からは出来ない。続きはアイネから指示を受けてくれ」
顔を逸らし、淡々とした口調でそう命じた渚へ頷いた詩季が立ち上がると同時、立ち眩みを起こした彼女の体が大きくふらつく。反射的に手を伸ばした渚に支えられ、ふらつきながら立ち上がった詩季はそのまま覚束無い足取りでアイネの方へ向かっていく。それを心配そうに見送った渚は、楽しげな顔の和美に気付き、むっとした顔で彼女を睨み付けた。
「あの感じだと、三朝さんは問題無さそうね。それで、一体どんな手品を使ったの、隊長さん」
「企業秘密。それで、後は君に任せて良いのかい?」
「ええ、もちろん。きちんと仕事はするわ」
軽い口調でそう言い、ウィンクを飛ばした和美へ半目を返した渚は、揶揄う様な微笑を浮かべた彼女をそのまま見送ると、自身の背後に感じた気配の方へと振り返る。振り向いた先、宙に浮いたつま先を認めた渚は視線を上げ、浮き上がっている美晴と夏輝と目を合わせる。社交辞令としての微笑を浮かべる渚を見下ろしていた美晴は、眉間に皺を寄せながら彼女へと詰め寄った。
『どうしてあの子に私の言葉を聞かせたの?』
目くじらを立て、糾弾する様な声色でそう言い放った美晴は足先から天井に吊り下げられたかの様な姿勢のまま、彼女へと迫る。天地逆転したまま、眼前まで迫る美晴の睨みを前に、微笑を崩した渚は紫色に染まった双眸に陰りを宿すと、一切怯む事無く彼女を睨み返す。
「もういない君の声を聴けば、彼女はパニックを起こし、僕を君だと誤認すると思ったからさ」
ぽつりと言い放ち、視線を戻した渚の睨みに射竦められた美晴は喉元に刃を突き付けられたが如き、冷たい感触に生唾を飲み込む。言葉を詰まらせ、睨まれたまま身動ぎすら取れない美春は、不気味な紫色に変色した彼女の目の内、そこで昏く燃え続けている怒りに気付き、浅く目を開く。
「君の死因、自殺だろ」
事が事だけに周囲に聞こえない様、声量を抑えて口にした渚だが、その静かな口調には明確に感じ取れるだけの敵意と怒りが混じっていた。
『え、ええ。そうだけど……』
身に覚えの無い怒りを前に困惑していた美春は、口にせずとも滲み出るあからさまな嫌悪感に目くじらを立て、負けないくらいの敵意と共に渚を睨み返す。
『何なの。そんな態度を取られる謂れが私には無いのだけど』
分かりやすい表情と怒気を孕んだ美晴の口調に、気まずそうに視線を逸らした渚は一度苦々しい表情を浮かべると、溜め息を吐きながら言いにくそうに口を開く。
「君の気分を害したようですまない。けど、僕は疑っているんだ、鹿島美春。君が、彼女を言い訳にして死んだんじゃないかって」
そう言いながら殺気立った目を向けた渚に、図星を刺された美春は僅かな動揺を滲ませ、一歩後退る。思った通りの態度に溜め息を漏らした渚は、腕を組んだまま、手近な事務机に凭れ掛かるとねめつける様な視線で彼女を見上げる。
「その態度、そうなんだな?」
『い、言い訳になんて、してないわ……! 私は、彼女の為を想ってるの。だから、あれは私にとっても、詩季にとってもベストだった。そう、ベストな判断だったのよ!』
「死ぬ事が最善手な訳無いだろうが!」
堪らず声を荒げた渚は、何事かと視線を向けてくるアイネ達に気付き、気まずそうに手を振った。彼女達に美春達は見えない。それに、今は身を隠す必要がある段階だ。幸いにしてそうはならなかったが、これ以上感情的に声を荒げれば致命的なミスを生む可能性もある。
冷静さを取り戻した内心でそう自省した渚は、動揺する美春を見上げると苦虫を噛み潰した様な顔で言葉を続ける。
「今更言ったって遅いのは分かってる。けど、君が彼女の為を想うなら踏み止まるべきだった。辛くても、苦しくても、彼女の隣にいるべきだった。それこそが最善手だ。君は三朝さんを言い訳にして逃げたんだよ。辛くて苦しい現実って地獄から」
『あなたに、あなたに何が分かるの! クラスの皆が毎日死んで行って、それで苦しんでる詩季の姿! 任務のミスでたくさんの人を死なせた事! 全部、全部、苦しいのよ! 苦しかったの! 私は、苦しい私をどうする事も出来なかった。そんな私を、詩季は救おうとしてくれた。自分だって、苦しかった筈なのに。自分の事は後回しにして無理して、私を助けようとしてくれた! だから、そんな私から彼女を解放したくて、私なりの方法で救おうとしたの!』
「それで自殺したって言うのか? 彼女に何も言わず、彼女に何か返そうと一生懸命になるでも無く、命を絶つ事が恩義になると? それで彼女は今まで苦しんできたんだぞ」
目尻を吊り上げ、苛立ちを募らせた詩季に、後輩の目も憚らず振り乱した美春は彼女に縋り付く様にして迫る。
『違う、それは! あの子が、私の遺書を読んでくれなかったから……!』
肩を掴む様に手を回し、必死の形相で訴える美春に冷たい視線を向けた渚は肩口へ手を回し、かけられた不可視の手を払い落とすと押し除ける様にして手を伸ばす。
「読める訳無いだろう、彼女が。救おうとした君が裏切った様を見た、彼女が」
『私が、詩季を、裏切った……?』
「だって、そうだろう。三朝さんは君に生きててほしいと思って無理を押して手を尽くしたのに、君は死ぬ事を選び、そしてその通りになった。これが彼女に対する裏切りじゃなくて何なんだ? そんな状況で、君からのメッセージを彼女はちゃんと読むと思うのか? 裏切り者の、君の言葉を」
冷え切った口調でそう告げた渚は、激しく動揺しながら浮き上がっていく美春を視線で追う中、不意に夏輝と目が合う。事の成り行きを見守るだけだった彼女は怯えた様に体を引き、嫌な沈黙がその場に流れる。
「ナギサ、こちらの作業は終わったわ。そろそろ出ましょう」
その場をどうするか困り果てた瞬間、アイネからの呼び掛けを受けた渚は、打って変わって柔和な笑みを返すと胸を撫で下ろしていた彼女へ視線を流す。無言のアイコンタクトで、動揺する美晴の介助を促した渚は意図を汲んでか、頷いた夏輝が移動するのを確認した彼女は、単身、苦笑を浮かべて待っていたアイネの元へと向かう。
「ごめん、任せきりにして」
「良いわよ、別に。それより、さっきの“独り言の相手”は誰だったの?」
申し訳なさそうに肩を竦め、薄く笑った渚の横顔へ、柔和な微笑を向けたアイネは光学補正された眼鏡型のウェラブルデバイスからの視界に彼女の目を捉えた。宝石の様に赤かった彼女の目はその輝きこそ失わずとも、その色を紫色に変えており、彼女の身に何か異変が起きた事をありありと示していた。大方、独り言も熱海の一件の様に、渚にしか見えない誰かがいたのだろうと察していたアイネは、理解への第一歩として彼女に問いかけていた。
そんな意図とは別に眉間に僅かな皺を寄せた渚は小さく目を泳がせ、話し難そうに何度も口を開いては閉じる事を繰り返す。変質し、アメジストの様な色身を抱いた渚の目には、理解を得られず、拒絶されてしまう事への恐怖を宿っており、吸い込まれるような魅力を放つそれと、幾度と視線を合わせては逃げる様に逸らされていた。
彼女のレアスキルについて触れるには時期尚早だ。渚の反応を見たアイネはそう内心で結論すると、苦しげな表情のまま、顔をそむけた彼女へ申し訳なさそうに笑って見せる。
「ごめんなさい。あまり口にしたい話じゃなかったわよね」
「あ、いや。その、えっと……」
「もう。嫌なら嫌って言って良いのよ。別に話す事を強制するつもりも無いし」
「いや、だけど……。それじゃ君は」
「……私だって、嫌がるあなたの内面に土足で踏み込める程、蛮勇では無いのよ。だから、今はまだ話さなくて良いわ。心の整理がついてからで」
そう言って肩へ胸元を寄せる様に抱き着いたアイネは、苦々しい表情を崩さずにいる渚の横顔を見つめた後、苦笑と共に体を離し、そっと背中に手を回す。不意を打たれ、いつもとは逆の仕草を取るアイネに驚いた渚は、いたずらっぽい笑みと共にウィンクを飛ばす彼女へ降参の意図を込めた苦笑を返し、導かれるまま、入り口に集まったオリヴィア達の下へと移動する。
「さあ、行動再開よ」
到着と同時、微笑と共に号令を下したアイネに、各々の形で首肯した全員は臨戦態勢を取りながら室外へと出ていった。