同時刻、目黒区某所部分陥落地域──―大きくそびえ立った分厚い壁が目を引くそこは、通称『穴』と呼称される、都内でも数か所しか存在しないエリアディフェンス装置の恩恵を受けられない地域の一つ。
かつてビジネス街の一角だったこの地域では、壁の内に乱立する廃ビル群がエリアディフェンス装置が放つ特定周波数の電波を乱反射させており、乱れた電波によって薄らいだエリアディフェンスの効果はこの地域におけるケイブの頻発を許す結果を生み出していた。
こうして出来た『穴』に対し、現在に至るまでに大小様々な討滅活動を繰り返されてきたが何れの手段も根本的な解決は出来ず、最終的にエリアディフェンスの境界線を描く様にして分厚い壁を配する事で、ようやく『穴』は塞がれる事となった。
その後の維持管理については訓練所としての転用も兼ね、エレンスゲ女学園に委託される事となり、そしてこの日、運用母体であるアウニャメンディシステマス社主導の下、とあるCHARM郡の運用実験が行われる。
──―筈だった。
ヒュージを相手にした運用実験の為、『穴』の中に入ったアウニャメンディシステマス社の実働部隊は突如として奇襲を受け、碌に反撃する事も出来ないまま、何者かからの一方的な攻撃を受けて壊滅した。
闇の中に沈んだ廃ビル群の谷間、怪物の闊歩と激しい戦闘によって大きくひび割れた舗装路の上には破壊された車両の残骸が炎を纏いながら転がり、その傍には応戦する間も無く殺害された実働部隊の死体が倒れ、赤黒い血の池を広げていた。僅かに息の残った兵士達もゆらりと姿を現した襲撃者達によってトドメを刺され、同僚達と同じ死体に変わっていく。
「ぅう……」
大腿部を撃ち抜かれ、意識朦朧となって呻き声を上げるばかりの兵士にも機械的な動きでサプレッサー付きのアサルトライフルが向けられ、くぐもった銃声に射貫かれた頭部がゴム鞠の様に跳ねる。
死にぞこないの体が死体に様変わりすると同時、襲撃者が身に着けたジーンズの裾に返り血が散り、紺色の染められた上に赤黒い斑点模様を描く中、私服にプレートキャリアを始めとした完全武装を施した死神の隊列は、まるで一つの生物の様な規律の取れた動きで、各々四方へ銃口を向けながら車列の後方へと歩みを進めていく。
歩みを進める先、破壊を免れた一般的な輸送トラックの周囲には慌てて降りたのであろう運転手とその護衛が割れたアスファルトへ顔を突っ込む様に倒れ、銃創から漏れ出した血の池が赤黒く変色しながら歪に広がっていく。
トラックの後方、それを盾にする様に位置するジープへと歩を進めた彼等は、トラックの荷台に取り付くグループとジープの後方確認を行うグループに分かれ、後方確認に向かったグループは更に二手へ分かれ、挟み撃ちをする様に車両の左右から徐々に距離を詰めていく。
「く、クソ野郎共がァ!」
命を狙われる恐怖に耐えられず、右側へ飛び出した兵士の一人が手にしたアサルトライフルを構えようとした瞬間、構えていた死神達が素早く引き金を引く。兵士が狙いを定めるより前に的確に胸部を穿ち、ボディアーマーに防がれたそれが凄まじい衝撃で以って兵士の胸骨を圧し折り、肺を圧迫させながら倒れ込ませる。
苦し気な呼吸を繰り返し、時折咳込む彼へ近付いた死神はそれ以上の身動ぎを許さず、眼球を通す様にしてライフル弾を二発撃ち込み、即死させた。
「さっ、斎藤──―」
死後痙攣する同僚を前に、車の後方へ隠れていたもう一人が恐怖の声を上げた瞬間、左側から迫っていたもう一グループに首と頭部を撃ち抜かれ、脳漿をぶちまけながらその場に倒れ込む。湿った肉の音が鳴る中、駄目押しの二連射を撃ち込んだ死神は、銃口を巡らせる同僚とアイコンタクトを躱すと、自ら作り出した死体に興味を失ったかの様にトラックの荷台へ向かう。
何やら厳重なロックが施された荷台のドアは思った以上に強固であるらしく、トラックの荷台に回っていたグループが溶断用の小型レーザーカッターを手に分厚いドアロックを焼き切ろうとする中、彼等が身に付けた通信機に低い男性の声が響き渡る。
『プナイネン1より各自、状況報告』
『シニネン1よりプナイネン1へ。最後列クリア。周辺に敵性無し』
『ヴィヒレア1よりプナイネン1へ。梱包材の開封に苦戦。あと3分程、お時間を頂きます』
『プナイネン1、了解した。全ユニット、パッケージ周辺へ集合。俺も合流する。パッケージの確保後、即座に撤収する。全員、準備を進めておけ』
全体の統括であるらしい低い男性の声、プナイネン1からの指示に各リーダー達が了解を返す中、激しい火花と共にドアロックが焼き切られ、半ばで断ち切られた金属片がひび割れた道路に吸い込まれる様にして落下していく。それと同時、観音開きに後部ドアを開け放ったヴィレヒアチームが開け放たれた荷台の中に向けてライフルを構え、銃口と同期したライトが荷台の中に詰め込まれた強化リリィ達の姿を暴き出す。
光と共に殺気に晒され、まるで物の様に荷台に詰め込まれた強化リリィ達が一斉に悲鳴を上げる中、拳銃に持ち替え、荷台に乗り込んだヴィレヒア1は年若い隊員と共に荷台の中を探索し始める。
『クソ、まるでモノ扱いだ。隊長、本当に彼女達を──―』
手足を拘束され、まるで囚人の様な風貌の彼女らを前に舌打ちした年若い隊員が英語で疑問を呈す中、拳銃に取り付けたライトを頼りに荷台の捜索を進めていたヴィレヒア1は複雑な表情を浮かべながら彼のいる背後を振り返る
『無駄口を叩くな、ヴィレヒア5。彼女等の処分は決定事項だ。諦めろ』
『しかし……』
『この子達は運が無かったんだ。俺だって心が痛まない訳じゃない。だが、ここで情に流されて作戦が失敗すれば、俺達だけで済まない程のより多くの損失を生む』
『分かっています。ですが』
『ああ、分かっているよ。そう言われた所で簡単に割り切れるもんじゃない。だから、この子達に手を下すのは俺か、隊長だ。無事に作戦を終えられたら、この子達の分、お前は俺達を恨めよ』
寂し気な笑みを浮かべるヴィレヒア1に言葉を失った年若い隊員、ヴィレヒア5は唇を噛み締めながら投げかけられた言葉を咀嚼すると観念した様に深く息を吐き、隊長と共に積み荷の捜索に加わる。
それから程無くして目的の物である長方形のコンテナ4つを見つけた彼等は端末を介して照合を済ませると、強化リリィ達共々トラックの外へ運び出す。
『パッケージ、例の『アーヴィングカスタム』とやらはあったみたいだな、ヴィレヒア1』
いつの間にか合流していたプナイネン1と敬礼を交わしたヴィレヒア1は、取り繕う様な笑みを浮かべ、隊員達の手で一か所へまとめられつつある積み荷達を見つめる。
『はい。情報通りでした』
『予定通り、ヴィレヒアチームはシニネンチームと共にパッケージの移送を開始。打ち合わせ通りパッケージは4ヶ所へ分散して保管を行え』
『了解しました。シニネン1とユニットには急ぎ撤収の指示を……。隊長?』
肯定と共に敬礼をしたヴィレヒア1へ一瞬迷う様な素振りを見せたプナイネン1は怪訝そうな表情を浮かべた彼に気付き、その横顔に苦笑を浮かべる。
『いや、何。そうだな、お前はこのまま各部隊を連れて撤収。後の事は私の方で処理する』
『しかしそれでは──―。いえ、了解しました。申し訳ありません、隊長』
『何を謝る必要がある。こう言う事は、背負うべき時に背負うべき人間がする事だ。撤収急げ』
強い口調で念押ししたプナイネン1は再び敬礼を返したヴィレヒア1の背を見送ると、下げていたアサルトライフルを手に彼等の撤収を見守る。シニネン隊の護衛の下、『穴』の外に向けてパッケージを運び出していくヴィレヒア隊の隊員達を緊張の面持ちで見送った彼は、緊張の面持ちと共に速足で駆け寄ってきた部隊員に目を向ける。
『隊長、エレンスゲ所属のガンシップがこちらに接近しています』
『分かった。早急に処理を行う。お前達は先に指定ポイントへ移動。用が済み次第、私もそちらへ移動する』
『いえ、お供いたします』
『ダメだ。今は我々の存在が露見するリスクを少なくする必要がある。何人たりと私に同行する事は許さん。IFFは常時発しておく。反応が消えた場合、即座に撤収せよ。くれぐれも私や姫様に蛮勇を見せるなよ』
『……了解しました。他の面々にも厳命しておきます』
『すまんな。では、また後で』
『はっ、お待ちしております』
然程年に差の無い部隊員と敬礼を交わしたプナイネン1は後を任せ、自身は拘束されたまま野晒しになっている強化リリィの下へ移動する。これからする事を想像し、深呼吸を繰り返す彼は得物をアサルトライフルから拳銃へ持ち替え、怯える少女達の下へ歩み寄っていく。最後の深呼吸と共に覚悟を決め、銃口を少女の顔面へ向けた彼は、照星と重なった竦み上がった顔に今は亡い愛娘のそれを重ねる。
(許せ、名も知らぬ
内心で謝辞を述べ、プナイネン1は拳銃の引き金を引く。反響の無い鋭い銃声が迸ると同時、額に穴を開けた少女は怯えた表情はそのままに後頭部を爆ぜさせ、衝撃波に破壊された脳漿が体液と混ざり合い、ミンチ状になって後部から吹き飛ぶ。水音と共に力を失った少女の体が倒れ込み、彼女の物だったものが流れ出る中、怯え上がったリリィ達が口々に悲鳴を上げる。
金切り声に近い声に歯を噛んだプナイネン1は内心に納めた良心の呵責に潰されながら、如何にか生きようともがく少女達を次々に手にかけていく。一切苦しめる事無く、即死させたプナイネン1は知らず知らずの内に乱れた呼吸を自覚し、呼吸を取り戻そうとして数度咳き込んだ。
拳銃を収めつつ、呼吸を整えた彼は深く息を吐くと、下げていたアサルトライフルを手に取り、撤収地点に向けて走り出す。
『プナイネン1よりプナイネン2へ。処理作業完了。これより合流地点へ向かう』
悲しみに暮れた口調でそう符丁を打ったプナイネン1は自ら手にかけた少女達を振り返る事無く、部下達が待つ合流地点へとまっすぐに走っていった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
──―3日後、霞が関・ガーデン運用監査局本部3階統合監査本部オフィス
新宿での一件から日を経て一応の平穏を得ていたこの日、仮配属の部下と共に強襲捜査課のオフィスに詰めていた真波は連日気を張り詰めていた反動からか、気だるげに欠伸を噛み殺していた。
「だらしないですよ、先輩」
季節外れの温かいコーヒーと共に出された部下の小言を無視した真波は、眠気覚ましのそれを啜りながら机上に置かれていたルドビックラボへの強襲捜査についての報告書へ目を通す。検査入院中のウォーターシップダウン及び黒木冨亜奈への聞き取りだけで作成された報告書は、客観的事実に欠けた通常ならば何の役にも立たない代物であるが、そうせざるを得なかった状況が逆に状況の深刻さを示していた。
(物的証拠は火消し部隊及び脱走した強化リリィとの交戦によって失われ、端末に回収したデータ類も戦闘の余波でハードウェアを損傷した事で全て消失した。いくら奴等が無事に帰ってこれたとは言え、この収穫の少なさでは大赤字も良い所だな)
内心で忌々しげに呟いた真波は、一服の余韻も兼ねた一息を漏らすと、分厚いそれのページをめくり、部下達の口頭供述の項目へ目を通す。コーヒーを片手に、検査入院を要する程の状態とは思えない位に口軽な様子だった彼女等の文字通り十人十色な報告の数々に目を流した彼女は、軽度の眼精疲労を感じる密度の情報を取り入れ終わると、目頭を揉みながら部下達の報告について内心で要約をかける。
(施設が壊滅する以前より、ルドビックラボは施設の最奥部に過去に開発していた人造リリィを封印していた。それがヒュージ脱走の余波で封印が解かれ、ラボ内で暴走。暴走した人造リリィは同施設に保管されていた強化リリィやヒュージを洗脳し、戦力として火消しに投入されたG.E.H.E.N.A.部隊を壊滅に追い込み、ウチの連中もあと一歩の所まで追い詰められ、しかし、寸での所で仕留め切った)
そこまでで要約を区切ると同時、深く息を吐きながら表情を曇らせた真波は、戸惑う部下を他所に再び大きく溜め息を漏らすと、机上のコーヒーを手に取り、一息に飲み干す。
(その代償に、フェイズトランスセンデンスを行使した三朝は
そう内心で呟いた真波は、渦巻く自己嫌悪を大きな溜め息に変え、俯いた顔を支える様に額を抑えると、掌でそれとなく隠した唇を小さく噛み締める。
(結果論で話すのは愚か者と心得てはいるが。こうなると分かっていればな)
顔を俯けたまま、噛み締めた唇から溜め息を漏らした真波は、視界の端にちらと映った落ち着きの無い部下の足捌きに気付き、薄く笑みを漏らしながら顔を上げる。
「落ち着け九条。ただの自己嫌悪だ」
「……はぁ。何処に落ち着く要素があるので?」
「それくらい自分で考えろ。それと、コーヒーの代わりをくれ」
苦笑と共にそう言いながら空になったカップを軽く押した真波は、無茶苦茶な言葉を前に呆れ顔の部下、九条へダメ押しの笑みを向ける。ほんの一瞬、隙を晒す様なそれに頬を赤らめた九条は咳払いを一つ落とすと、引っ手繰る様にしてカップを手に取り、二杯目のコーヒーを淹れに据付のコーヒーメーカーへと向かっていく。
心なしか上機嫌にも見える彼女の背を見送った真波は、一つ息を漏らしながら報告書のページをめくり、次項に記された今回の強襲捜査で発生した損害について読み進めていく。
(損傷した機材はマルクルスのティルフィングがブレードユニット損失、三朝のヨートゥンシュベルトは要完全分解整備、浅木、姫神、黒木を除くその他メンバーのCHARMについては精密検査を要する状態。CHARMだけでこれか。携帯端末及びウェラブルデバイスは、三朝のレアスキルで発生したプラズマにより全損。回収されたデバイスは修理不可の為、全て廃棄処分。着ていった戦闘用の略式制服も外傷や発汗で使い物にならなくなった為、合わせて全員分が廃棄された)
レギオンの損傷について冗談めいた大赤字の嘯きもあながち間違いで無かったと思い知らされた真波は、至極面倒そうに溜め息を漏らすと、めくったままの資料を机上へ投げ出しながら天を仰ぎ、立て直しに向けた今後の対応策を考える。
(CHARMはともかく、携帯端末と略式制服は代替品が無い以上、損失した分は改めて発注する必要がある。“直近の仕事”を終えたら、またしばらくは書類と打ち合わせで駆けずり回る事になるか。少しは休ませてもらいたいものだ)
憂鬱そうにオフィスを囲む曇りガラスへ目を向けた真波は、二人分を手に戻ってきた九条から渡していたカップを受け取ると一口付ける。
憂鬱さと共に余韻に浸る彼女を不思議そうに横目で見ていた九条は、半分ほどコーヒーを傾けながら隣に据えられた自席に腰掛け、適当なキーを叩いて備え付けのモダンPCのスリープ状態を解除する
今回の強襲捜査で損傷したCHARMの整備を委託する為の計画書を画面に表示させた彼女は、仕掛りの計画書を完成させるべく、一服もほどほどにメカニカル式のキーボードを叩き、耳障りの良い鍵打音と共にテンプレートの中身を埋めていく。
真剣そのものの表情を浮かべ、作業を進める九条を横目に見た真波は、覗き見防止の無いモニターへ視線を向け、書き進められていく内容を盗み見る。
「……先輩、今回の委託先、防衛軍のどこなんです?」
「対ヒュージ先進技術開発部。前から取引しててな。データ提供と引き換えに整備してくれる話になった」
「なるほど。ところで、先進技術開発部って、確か杏珠ちゃんがいる……」
「ああ、そうだ。今回の件もアイツが窓口になってる。今度の調整会議にも来るぞ」
「そうなんですね。じゃあその時にご飯でも誘おうかなぁ。先輩は?」
「遠慮する。こちとら、同級生同士、久しぶりの再会に水を差すほど出来た人間じゃないんでな。私に気を使わず、二人で楽しんで来い」
「……分かりました。取り敢えず、ある程度まで資料が出来たので、内容確認をお願いしても良いですか?」
級友に再会出来る事への喜びと、誘いに乗ってくれなかった事への寂しさとを織り交ぜた表情を浮かべながらそう問いかけた九条へ肯定を返した真波は、背凭れに寄りかかりながら目を覚ましたコピー機へ向かう彼女を見送り、手にしたカップの中身を飲み干す。
再び一人になった真波は、不用心に表示されたままのモニターを見つめながら、レギオンの立て直し業務の前に待つ“直近の仕事”の事を思い出す。それと同時、数枚をクリップで止めた紙資料を手に戻ってきた九条は、憂鬱そうな表情を浮かべる彼女へ資料を手渡すと、保存操作をしながらカップを手に取る。
「何かありました?」
「いや、何。例の件がただただ面倒だと思ってな」
「例の……? ああ、流出疑惑のある試作CHARMを御台場から回収する件についてですか? あれは確か、統合監査本部を経由した防衛省からの命令でしたが」
残りに口を付けようとしていた九条が手を止めながらそう返すのに、黙々と頷き返した真波は彼女から手渡された資料に目を通しながら話を続ける。
「だからこそだ。そんな回りくどい経緯で渡される命令なんぞ、どう考えても面倒臭い類の話だろう。とは言え、監査本部から命令が下った以上、今更どうする事も出来ん訳だがな」
そう言いながらペン立てから蛍光ペンとボールペンを引き抜いた真波は、資料に修正を入れる。二重の意味合いで苦い表情を浮かべた九条が見つめる中、修正を入れ終えた資料を突き出した真波は、面倒臭そうな表情の彼女を睨み付けながら手渡し、飲みかけのカップに手を伸ばす。
「分かってると思うが、いくら監査本部の命令だろうが、私達にとって重要なのは
「ええ。分かってますよ、先輩」
「なら良い。だが、しばらくの優先事項は
気だるげに言いながら立ち上がった真波は、修正点を確認する手を止めた九条から行先を問いかける様な視線を向けられ、返答代わりにシガーポーチからライターと煙草の外箱を引き抜き、苦笑を浮かべた顔の横に掲げて見せる。喫煙に行く、と理解した彼女が先の忠告と合わせて頷きを返す中、空のカップをそのままにオフィスを出ていった真波は、廊下を抜けた先、全面ガラス張りの外壁に映った暗雲立ち込める霞が関の空を流し見る。
未だ戦後処理が続く新宿では日を追う毎に被害統計から行方不明者の数が減っていき、その分、死者の数が増え、今現在で既に都内の被害規模としては過去最悪の大惨事として歴史書に書かれ始めている。
そんな過去最悪の大惨事の被害者達は台帳に記された一括りの数字として今や親G.E.H.E.N.A派と反G.E.H.E.N.A派で繰り広げる政治ゲームの駒と化しており、代理戦争の戦場と化した永田町では連日、小間使い達による新宿防衛戦の責任所在について議論が交わされている。
──―死者は何も語らない。
だからこそ、生者が好きな様にその思いを歪め、自らの思惑の為に利用出来る。自らの人生において幾度と無く見てきた、醜悪な光景の再現にこの三日間、吐き気を催し続けていた真波は、辿り着いた無人の喫煙所で紙巻を一本取り出し、火を点ける。
渚達を送り出してから彼是5カートン近くを使い潰していた真波は、仕事用の径の太いそれを肺へ吸い込み、天井へと吐き出す。色濃い紫煙が揺蕩う中、幾分かはっきりとした思考の中で、別の面倒事を思い出した彼女は、大きく煙を吸い込むと口から離し、気怠そうに首を回す。
(戻ったら黒木の入局と転校手続きについての引継ぎ資料を用意せんとな)
内心毒づきながら気怠そうに煙草を咥え直した真波は、全身の疲労を紫煙に乗せて宙へと吐き出す。手狭な喫煙室にぷかぷかと浮かぶ煙を見上げた真波は、昨日見舞いに行った時の冨亜奈の様子を思い出す。
昨日、霞が関の某所にある病院の一角、薄暗い部屋の中で冨亜奈は入室者を拒絶する様に戸へ背を向けて体を横たえており、その様子に違和感を覚えていた真波は直前に出かかった茶化しを飲み込み、ただ無言で添え付けの丸椅子に腰を落とし、心身の調子を問いかける。
「黒木、調子はどうだ」
それ以上の言葉はかけず、辛抱強く待った真波の眼前で、ようやく起き上がった冨亜奈は憔悴しきった表情で見舞いに来た彼女を出迎える。
「監査官……」
何日も眠れず、まともな食事を摂る事すら困難だったらしい彼女は目元に酷いクマを湛え、垂れ下がった藍色の長髪は一日としてシャワーを浴びていなかったらしく、色艶を失っていた。心身共に弱り切った彼女の表情は内に秘めた余裕の無さをうかがわせ、何かきっかけがあれば容易に死んでしまう、そんな危うさを外面に滲ませていた。
そんな彼女の表情に、自死寸前の親友を思い出した真波は早まった動機に呼吸を乱れさせながらも如何にか平然さを取り繕い、彼女が生きている事に安堵した素振りを見せる。それから見舞いの品のリンゴを剥きながら、二、三、言葉を交わした真波は、彼女の憔悴の原因が家族や友人と言った自分の周りにいた人々の全てを失ったと言う残酷な事実を受け止め切れない事にあると察し、ほんの一瞬返す言葉を失う。
「もう皆、いなくなっちゃったんだなって。私だけ……私だけ、生き残っちゃったんだって」
話を進める内に内面の感情を決壊させ、目尻から涙を溢れさせた冨亜奈は口端から噛み締めていたリンゴの欠片を零しながら泣き出し、胸元までかけていた布団に顔を埋める。押し込めていた物を吐き出すかの様に泣き続ける彼女を前に、持ち込んでいたフォールディングナイフを懐に収めた真波はサイドテーブルを移動させると、ベッドに腰掛け、泣きじゃくる彼女をそっと抱き寄せる。
「パパ、ママ……。結婚記念日、お祝いしたかったよぉ……」
胸に顔を埋めた冨亜奈が涙声でそう言うのに複雑な表情を浮かべた真波は、縋り付く様に抱き着いてきた彼女をただ黙々と見下ろす。涙の染み込んだジャケットが湿潤する頃、ようやく泣き止んだ冨亜奈の背を撫でた真波は未だしゃくり続ける彼女を落ち着かせながら口を開く。
「黒木、お前はこれからどうする。体調が戻り次第、ルドビコに戻っても良い。そこはお前の意思に任せる」
「……それ、ズルい言い方ですね。まぁ、そもそも戻ろうなんて考えてませんでしたけど。それに──―」
「それに?」
「いえ、何でも。それより、はっきりしたお返事は必要ですか?」
「要らん。私もそこまで馬鹿では無いし、狡猾な人間でも無い。それに、お前は後出しじゃんけんをする様な愚か者でも無いだろうしな」
微笑と共にそう言った真波は、腰に回されていた腕を解いてもらおうと、笑みを返していた冨亜奈の頭を数度軽く叩く。合図を受け取り、暗に示されるまま腕を解いた彼女は、深く息をしながら立ち上がった真波から去る気配を感じ取り、ベッドから降りようとする。絹擦れの音でそれを感じ取った真波は、苦笑と共に背後を振り返ると右手を鉄砲の形に変え、駆け寄ろうとしていた冨亜奈へ向ける。
「入院中の身で、一丁前に礼儀正しく振舞おうとするな。大人しく寝ていろ。それともまだ、人肌恋しいか?」
茶化す様な言い方と共に固まっている冨亜奈の肩を掴み、そのまま無理矢理ベッドへと押し戻した真波は、嬉し気な顔の彼女が観念した様に布団の中へ下半身を潜らせていくのを見届ける。
後は体を横たえ、首元まで布団を被るだけ、と言った所で笑んでいた表情を真剣な物へ変えた冨亜奈が不思議そうにする真波へと視線を向ける。
「監査官、お帰りの前に一つだけ。今回のラボでの探索中、アーヴィングカスタムの開発データ流出についての調査資料がありました」
「開発データの流出? ……ああ、例の件か。それで?」
「調査資料によれば今回開発データを持ち出したのはアウニャメンディ・システマス社で、同社は既に新型アーヴィングカスタムの開発に着手しているとの情報も記載されていました」
報告しながら促されるまま、体を横にした冨亜奈に真剣な表情で頷いた真波は顎に手を当て、少し考える素振りを見せる。
「分かった。詳細は退院後、機会を設けるからその時に聞く。資料が必要なら用意しておけ。それまでは余計な事は考えず、ゆっくり体を休めろ。寂しくなったらいつでも連絡して来い。どうせしばらくの間、徹夜で仕事してるだろうしな」
素振りを止め、屈めていた体を起こした真波は、不安げな表情の冨亜奈へ苦笑を向けると今度こそドアへ向かって歩き出す。名残惜し気な視線を向けられながらまっすぐに向かった真波は、引き手に手をかけると顔を半分だけ冨亜奈へ向ける。
「今日は渋らずシャワーを浴びろよ。大分匂っていたぞ」
茶化す様な口調でそう言い、むくれる冨亜奈へはにかんで見せた真波はそのまま病室を後にする。
新しい部下との余計な会話までもを思い出し、微笑と共に紫煙を吐き出した真波は、彼女から告げられたアーヴィングカスタムについての報告を思い出す。
(依頼を受けた先々月にアウニャ社へ流出したと仮定した場合、奴等の資本力では既に何機か製造され、運用試験に移されていてもおかしくは無い)
そう言いながら、端末を取り出した真波は専用アプリケーションを経由して局のデータベースへアクセスする。そして、御台場女学院での試作CHARM回収についての計画書を表示させた彼女はそこに記された試作CHARMの名前に視線を流す。
(しかし、妙な偶然もあるものだ。回収依頼の出たガラクタと、同じメーカーとはな)
最後の一服を吸い込んだ彼女の眼前、画面に表示されたCHARMの名前は『ガラテイア』。アーヴィングカスタムの開発データを盗み出したアウニャメンディ・システマス社が開発した特殊機能を備えた試作CHARMであり、本来ならエレンスゲ女学園を中心に運用試験が行われている筈の機体だ。
(しかし、存在が発覚した経緯と言い、ガラクタを使った
任務の伝達から抱き続けた猜疑心と共にそう内心で呟いた真波は先の短くなった煙草を灰皿に擦り付けると共用灰皿のフレームへ画面を睨み付けた端末を置き、その隣に置かれていた箱から次の一本を取り出し、口に咥える。
(事と次第によっては新型の『妖刀』が実地試験をしに来るかもしれんな)
考え得る限り、最悪の想定を浮かべつつ、咥えた煙草に火を点けた真波は薄く笑うと、手に取った端末にコア部分が抉られたガラテイアの写真を表示させる。
何もかもがイレギュラーな機体であるこの機体は、未だ正体の分からない誰かにとっては存在し続けること自体、不都合極まりない代物だろう。そんな代物を回収する任務がただの出張で済むとは思えないし、それ相応の歓迎が待ち受けているだろうと彼女は思っている。
(見え透いた貧乏くじ。いつもの事だな)
溜め息と共に吐き出した紫煙が静かな無人の喫煙所を揺蕩う中、待ち受ける面倒事の数々を思い浮かべ、真波はただ憂鬱そうに新しい紫煙を吐き出す。
何もありません様に、と願うだけ無駄な祈りと共に。