「3人目……?」
ヒノエが俺たちを見下す女を見て、声を震わせている。
……傷は癒えている。魔術の行使も問題ない。いつの間にこんな手が届く距離まで近づかれたのかはわからないが、女は武器らしいものを所持していない。
後衛……魔術師だとすれば、あの男二人が前衛、中衛の役割だったとして納得できる。
ダンジョン探索の定石として、アタッカー、タンク、ヒーラーの最低3人がパーティを組む。こいつらがひとつのパーティだとすれば、この女はヒーラーに該当する可能性が高い。あの男たちのどっちも回復役ですって顔はしてなかったからな。
だとすれば非戦闘員。勿論、多少は戦えるのかもしれないが……『Akathuki』持ちの剣士と全身を銃火器で武装した男よりかはマシなはず。
全身に魔力を漲らせる。
戦闘はしない。一瞬だけ目くらましをして、隙を作ってその間にさっきの要領で逃げ出す。追ってきたとしてもさっきの剣士のように俺の“壁”を一瞬で壊すようなパワーはないと見た。
……それに、体と魔力に問題が無くとも俺の精神的な疲労がそろそろ限界に来ている。元々、激しく動けばすぐに熱を出すようなこの体を無理に動かしてる今は、整備もされてない古い車にガソリンだけを延々と投入して走らせているような状況だ。これ以上の無理は避けたい。
大丈夫だ。ここまで来たんだ。手順さえ間違えなければ……。
と、俺が動こうとした瞬間。
「なんだか色々と考えてるみたいだけど」
体に“異変”が生じた。
そしてその異変の正体に気づいた瞬間、俺は背筋が凍った気持ちになった。
「無駄よ?“それ”」
……考えてみれば、おかしな点は色々とあった。
なぜ、後衛がわざわざここまで近づいてきたのか?
視界を遮るものがないこの草原で、どうしていきなり俺たちの背後に現れたのか?
……そしてこれほどの有利を取っておきながら、なぜ不意打ちをしてこなかったのか?
「あなたたち二人とも、私の“射程圏内”」
答えは簡単だ。近づきさえすれば、彼女の“勝利”が確定するからだ。
“魔術発動阻害”。
俺の体内に全く魔力が感じられなくなっていた。
「……ルミネ?」
状況がよく理解できていないヒノエが俺に不安そうな目を向けてくる。
“大丈夫なんだよね?”という言葉にならない言葉に、俺は何のリアクションも返せなかった。
それで状況が理解できたのか、ヒノエが目を見開いた。
「あなたは“混沌級”の魔術を扱えるんでしょう?当然、対策はしてくるわ。“透明化”に“魔力感知妨害”も揃えて、正直出費は痛かったけど……報酬がね?お陰でここまで近づけたわ」
全部。
最初に男二人だけを追わせたのも、その二人を倒したタイミングを狙ったのも、魔術を使える俺に対してメタを張ってきたのも、全部。
この助けが入らない状況で、俺たちを孤立させるためか。
……やられた。
「さて、それじゃあ公正な話し合いをしましょう?ルミネちゃん?」
どこが公正だ。完全にただの脅しだろう。
俺は両手を上げた。
「聞き分けがいいわね。あなたの身柄よ。出来るだけ傷は付けたくないの。商品価値が下がるもの。だから大人しくついてくれなきゃ……イヤよ?」
そう言って女が見たのは、俺……じゃなくヒノエだ。
俺が大人しく従わなきゃヒノエをどうこうするってわけだな。結局こうなるのか。
……考える。
この女を出し抜いて、ヒノエと一緒にこの場を離脱できる可能性を。わずかでもいい。ほんの少しの光明があれば、それを押し広げて……。
「あ、あああぁぁぁぁぁ!!!」
「あら」
瞬間、横から小さな影が飛び出した。
慌てて裾を掴んで止めようとして、前のめりに地面に倒れた。砂埃が口の中に入って咽せる。
「このっ……!ルミネから離れて!!どっか行って!!」
「こっちのお嬢さんは聞き分けが良くないのね……ふんっ」
「あうっ!!」
飛び出したヒノエが、女に蹴飛ばされて地面に倒れる。
「……絶対、絶対に……!」
それでもヒノエは、涙を流しながら再び立ち上がった。
「あんた達なんかに連れて行かせない!」
「あっそう」
「……あ」
地面から、大きな槍が二本生えた。
俺が使ったのと同じ魔術だ。
「じゃあ、あなたも一緒に連れて行きやすい形に変えてあげるわ」
殺意が込められた槍がヒノエに向けられる。
「い、いや……!」
座り込んだヒノエに、大きな影が差して──。
その影の前に小さな影が立った。
「……ルミネ」
立った、というよりは……かろうじて這ってきただけなのだが。
「ふふ……私に従う、ということでいいのね?」
こくん、と俺は頷いた。
このまま見ていたら、この女は何をしだすかわからないからな。ヒノエに平気で危害を加えるこいつに今の俺が取れる最善手は、これしかなかった。
降伏の意思を示したと見ると、砂で出来た槍は俺の腕や足に絡みついて次々と拘束していく。
まったく、見た目はどうであれ中身はただの廃人ゲーマーを縛って拉致とか誰が喜ぶんだか。
「ルミネ……?ルミネ……!?」
砂はやがて小さな“檻”のような形に変形し、俺を取り囲んだ。
駆け寄ってくるヒノエと俺を、砂の牢獄が隔絶する。
「ルミネ!!ダメ!行っちゃダメ!!」
ヒノエが檻の向こうで絶叫していた。
魔術が使えない今の俺は言葉を伝えることもできない。だから……。
「……ルミネ」
とりあえず、ヒノエの目の涙を拭った。
別にこれが今生の別れになるわけじゃない。俺を攫うように命令した誰かは、俺を生捕りにすることに拘っていたらしい。
すぐに殺されるわけじゃないなら、いくらでもやりようはあるだろう。
どうせすぐに戻って来られる。だから──
「あと、こっちの処置もしないとね」
突然、下顎を掴まれ仰ぐように上を向かされる。
そして口の中に、ドロリとしたナニかが侵入した。
──。
それは、体の中のナニかを徹底的に破壊すると。体の奥底へと潜っていって。
視界がピンク色に染まり……。
……
…………。
すぐに戻ってきたら、またダンジョンへ。
◆
「……ルミネ」
砂で出来た檻の中で、ルミネが倒れた。
倒れた体が、さらにビクッ、ビクッと魚のように痙攣している。
「何を、したの」
「“奴隷の刻印”」
その女がルミネの顔を持ち上げると。
額に、桃色に光る禍々しい刻印が施されていた。ルミネの目も桃色に染まり、光が失われている。
「ふふ、素敵でしょう?これが刻まれた者は、“ご主人様”の命令に逆らえなくなってしまうの……どんな命令でも、ね」
「何、それ」
どんな命令にも逆らえなくなる。
子供のヒノエでも、それが意味するところがどんなに恐ろしい意味を持っているかが理解できてしまった。
「ルミネは……どうなるの……」
「どうなるって……まぁ……」
その女は、わざとらしく頬に指を添えると……。
「このまま一生、奴隷のルミネちゃんとして暮らすんじゃない?」
……ヒノエは、その時抱いた感情を言葉にすることができなかった。
そのあまりにも膨大で、爆発的な感情を抱くにはヒノエは幼過ぎた。だが、たった一つのことだけはわかった。
この女は死なないといけない。とてつもなく、惨たらしく。
「……絶対に、許さないから」
噛み締めた唇の端から赤いなにかが垂れた。
「そう。楽しみにしてるわ」
その赤い液体と同じ色をした、朱色の唇を弧に歪ませた女が笑い。
「……!!」
砂嵐が吹いた。
「……ルミ、ネ」
そして砂嵐が過ぎ去ると、そこには何もいなくなっていた。
女も、檻も、ルミネも。
「ルミネ……」
ヒノエはその場に両膝をついて、無力感のままに泣いた。
何も出来なかった。何も。
「……絶対に」
脳裏に浮かぶのは、あの死ぬほど憎たらしい女の姿だ。
「殺゛し゛て゛やる……!!」
少女はその日。
ただひたすらに純粋な、黒く澱んだ殺意を抱いた。