それから1年の月日が経った。
6歳になった俺は、退院して孤児院でいつもの日々を送っていた。ヒノエやその他のガキどもとも関係は良好だ。
まぁ変化というか、あの日から変わったことがあるとすれば。
「ルミネ、ご飯食べられる?私が食べさせてあげるね。美味しい?良かった。あ、はいルミネ。本も持ってきたよ。私が読ませてあげよっか?疲れてない?もし疲れたなら言ってね?ベッドまで運んであげる。あっ、もしかしておやつとか欲しい?私の全部あげるね」
ヒノエが過保護になったことくらいだろうか。
“大丈夫”。
俺はヒノエに対し、水魔術で“文字”を作って見せた。
「でも、やっぱりルミネは体を大事にしないと……本当ならずっとベッドの上で安静にして、何も危険がないようにして、誰も入れないように鍵を何重にもかけて万が一にもルミネに危険が及ばないように世界的な文化遺産に登録してもらって大切に保護してもらうのが」
怖い怖い怖い怖い。
“本当に大丈夫”と俺は慌てて次の文字を作った。
「……わかった。ルミネがそれで良いなら」
あぶねー。危うく文化遺産になるところだった。
うん。まぁあんなことがあったんだから、多少心配になるのはわかるんだが。あれから一年も経って、それ以降問題らしい問題は何も起きてないんだからもっと肩の力を抜けばいいと俺は思うわけだ。
ヒノエは俺に対してこそ、ちょっと感情の制御が利かず暴走気味になることが多くなったが。院長や他3人……いや、そろそろ名前で呼んであげよう。ドレッド、イエラン、ソブル達ともたまに憎まれ口は叩くこともあるが仲良くやっている。むしろ俺より仲良くなってる気がするのは気のせいか?
そして男児組に関してもよく孤児院の仕事を手伝うようになったな。ヒノエに対しても協力的だ。俺の目から見ても、実に優しい奴らになったと思う。ヒノエほどじゃないが、以前にも増して俺の世話を焼こうとするという困った点もあるのだが。あと、これは俺のいない所であった出来事だが、3人はあの後正式にヒノエに謝罪をしたらしい。ヒノエからも、未遂とはいえ魔術を使って攻撃したことを謝ったのだと。
そして俺は、コミュニケーション手段として“水文字”を開発した。水魔術によって文字を形作り、それで会話しようというわけだ。いちいち紙に書いてたんじゃキリがないしな。こっちの方が手早くて良い。
だが、これをするなら当然孤児院の皆に俺が魔術を扱えるという事実を打ち明けることになる。最初は多少悩んだが、俺は素直にその事実を公表することにした。
元はと言えば、俺が魔術の存在を隠したからあんなことが起きたとも言える。実際に被害に遭ったのは俺だけで、それは良かったが他の3人──例えば煽ったイエランが被害に遭ってたとも限らないし、他の誰かかもしれない。火事になった可能性もある。だから俺なりにこのことは重く受け止め、せめて魔術の存在は周知させることを決定したのだ。
生活の変化はそんな感じ。ここ一年は本当に平和そのもので、俺はこの生活に全く不満がない──わけがない。
ダンジョンに潜らせてもらえない!!!
これは俺にとって由々しき問題である。なにせ魔術を習得した理由の大半、というか殆ど、というか全てがダンジョンに潜るためだからな。その魔術によってダンジョンが遠のいたのは皮肉というべきかなんと言うべきか。いやまぁ自業自得ではあるんだけど!!
そしてこの重大な問題を解決する道標となる可能性が高い“ラングルディア・メソランダ”氏。俺の喉の不調を治せる可能性が高いかもしれないその人に、俺の担当医であるセシル先生がコンタクトを取ってくれたらしく、わざわざ遠い地からこのメグルディア王国までご足労願っているとのことだ。いつ着くのかはわからないが、解決の目処は立っているわけだ。
ヒノエはこの件に関してかなり張り切っていたが、俺はそこまででもなかった。いや、ダンジョンに潜るために必須という意味ではラングルディア氏の到着は待ち遠しくもあるんだが、声が戻らないからと言ってこの1年で不便に感じることはあまりなかったしな。元々そんな喋らん方だったし。
あぁ、でも俺が不便を感じなかったのは、ソブル、イエラン、ドレッドの3人が独学で文字を学んで、俺の“水文字”を読めるようになってくれたというのも大きいな。それが無かったら多少手こずってたかもしれない。
本当に文字が読めるか確かめるために俺が行なった“水文字テスト”を、全員が満点で通過した際の盛り上がりは中々のものだったな。彼らも日々努力しているというわけだ。ちなみにヒノエは元々文字が読める。流石。
そん感じで日々を過ごしていていたある日。
孤児院に速報が届いた。
「こちらの街に向かっていたラングルディアさんですが……つい先ほど“探窟者協会“で緊急依頼が張り出されました。内容は
その一報を届けてくれたのはグリエッタ院長だった。とても深刻そうな表情で、俺が朝食の席でヒノエに「あーん」を無理矢理させられている所への発表だ。「美味しい?」と聞いてくるヒノエに頷くと、すっごい幸せそうな表情をした。
「皆さんも知っての通り、ラングルディアさんはルミネさんの診察のためにわざわざ遠い地からやって来てくださったの。だけど、その道中で魔物の被害に遭ったみたいね。逃げ込んだ先の洞窟が“ダンジョン”だったらしいわ」
院長がそう話を続けると、朝食の席が静かになっていく。みんな深刻そうな表情をしている。
「この依頼はまだ誰も達成していないわ。それどころか、受ける人がいないみたいなの。
院長は暗い表情でそう言って、頭をふるふると振った。
グリエッタさんは探窟者協会から孤児を引き取るくらいだから探窟者の内情には中々詳しいようだった。信憑性は高い。
「ごめんなさいね。朝食前に重い話をしてしまって。私も伝えるべきかどうか悩んだのだけど……ルミネさん。貴方にとってはとても重要なことだからお伝えしました」
最後にグリエッタさんは私の顔を見てそう締めた。残念なお知らせをしたように、顔を伏せて暗い表情をしている。
「ルミネ……元気出せよ」
「大丈夫か?ルミネ……」
「きっと無事だからさ……」
ドレッド、イエラン、ソブルの3人は俺を労るように心配げな声をかけてくれた。俺のトレーの上にドレッドが好物のフルーツを分けてくれた。
俺は……。
(つい先ほど“探窟者協会”で緊急依頼が張り出されました)
院長の言った言葉のこの部分が、頭の中でずっとリフレインしていた。
院長から聞いたことだが、実は“探窟者”になるには色々な制限が設けられている。満12歳以下は探窟者になれないとか、妊婦は探窟者になれないとか。
だから俺は探窟者になりたいとか散々言っておきながら、実はその資格がなかったりしたのだが……緊急依頼となれば話は変わる。
“緊急依頼”は協会の規約により、それらの制限が一時撤廃されるのだ。制限をクリアしていない者……それどころか“探窟者”として登録していない者にまで報酬を設定するという破格の制度。だからこその“緊急依頼”であり、緊急依頼においては“探窟者”でなくとも“探窟者”として活動することが制度的に許可されているのだ。
つまりそれって……。
合法的にダンジョンに潜ってもいいってことですか……!?
「ルミネ?」
そんな俺の気配に、ここ1年で俺のことを色々と理解しつつあるヒノエはどこか危ない気配を感じ取ったのか。
「絶ッッッッ対ダメだからね?」
ヒノエがとても眩しい笑顔で、しかし揺るがぬ固い意志を感じさせる目で俺を見ていた。
……ふむ。
なるほど。
◆
「……バリケードももう保ちませんね」
暗く深い、ダンジョンの奥底。
現代最高の魔術師と称される“色彩”のラングルディアは、現在自分たちが立て籠っているダンジョンの一室に繋がる唯一の通路を塞いで溜息を吐いた。
現代最高。ラングルディア自身はその世間からの評価を素直に喜ぶことは出来なかった。確かに、ほとんどの魔術師が一属性を“
だが、
その証拠に、
広い草原で“
だが、最悪なことにダンジョンの入り口付近に未作動の“転移罠”が仕込まれていた。このダンジョンは難易度が高いゆえに、近辺の“探窟者”はあまり足を踏み入れない。そのため罠が作動せずにラングルディア達が足を踏み入れるその瞬間まで残っていたのだ。
そして転移先は最悪。大量のモンスターが狭い室内にひしめく“モンスターハウス”と呼ばれるトラップルームにロクな準備もないままラングルディア達は放り込まれた。
それでもラングルディアは持てる魔力の全てを使って、壁のように重なるモンスター達の中に一筋の道を切り拓いた。そして、死に物狂いでその道を走った先にあったのが、行き止まりの袋小路。ラングルディア達はモンスターハウスの突破のために大きく消耗した状態で、籠城戦を強いられることになった。
「……どうすれば」
ラングルディアは、行き詰まった状況に頭を悩ませていた。彼女自身“探窟者”として活動していた期間はそれなりにあり、ダンジョン探索のノウハウは持っている。そしてラングルディアの経験上、今の状況は最悪に近い。
ラングルディアが率いる一団に余力はなく、いつ通路の先からモンスターが攻めてくるかもわからないという精神的極限状態。物資も少なく、籠城は長く続かない。ラングルディア自身の魔力の回復も、ダンジョン内では遅々として進まなかった。
……ラングルディアは、この洞窟に迷い込むことになったそもそもの経緯である、セシルという名の古い友人からの手紙を懐から取り出した。
“沈黙病”と呼ばれるその病気は、世界的にも発生するケースが非常に稀なものだった。魔力を多く保有する者が、同じく魔力を多く保有する者に魔力的な干渉を行うことで初めて発生するこの症状。
ラングルディアもかつては“沈黙病”に苦しみ、これのせいで人生の長い時間を暗く過ごした。人の人生を狂わせてしまう恐ろしい病気なのだ。
ある小さな村では、全く喋れなくなった“沈黙病”の少女が“悪魔に憑かれた”と村民達に誤解され、語るのも憚られるほど無惨な殺され方をして亡くなった。“沈黙病”にかかるのは共通して高い魔力を保有している者という条件も、誤解を招く要因だった。
きっと手紙に書かれたルミネという少女は、酷く落ち込んでいるはずだ。人生に絶望し、誰にも本心を話すことができず苦しい思いをしているはず。一刻も早く助けにいかなければならないのに。ラングルディアはダンジョンの中で救助を待つことしかできない。
「……元気を出すのです。頑張るのですよ」
ラングルディアに出来るのは、せいぜい疲弊した仲間達を労わってやることくらいだった。何が“現代最高の魔術師”だ。仲間が目の前で死にそうな目に遭っているというのに、何もすることができない。
自分が情けない。
「……どうすれば」
このまま、モンスターに押し潰されるのを待つしか方法はないのだろうか。
何か、何か……“きっかけ”さえあれば。
……熟考するラングルディアが、思考の海に沈もうとしていると。
「──!!」
「……ん?」
声が聞こえた。
「誰か、今話しましたか?」
ラングルディアは仲間達に問いかける。しかし、顔を上げた仲間達は困惑げに顔を横に振るだけだった。
……幻聴だろうか。
そう。ここで人の声なんて私たち以外に聞こえるはずもないのだ。
何故ならここは、何者にも踏破されなかった、難攻不落のダンジョンで──。
と、その可能性を否定しようとした次の瞬間。
「──ルミネェェェェェ!!」
──モンスターハウスを突っ切って、二人の少女が通路に飛び出して来た。