私の憧れていたトウカイテイオー
"オークス"を週末に控えた火曜日。おおよそ5年ぶりの故郷。
故郷の最寄りは国際線もある大きな空港ではあるが、平日この時間帯の乗客は数えられるほどしか居ない。
受け取り口で荷物の到着を待つのはビジネスマンと思わしき人ばかり。トレセン制服を着てこの中に交じっている私は異様に見えるかもしれない。
…そんなことを思いながら到着ロビーに歩みを進めると栗毛のウマ娘が一人、周囲には似つかわしくない作業服でただじっと、私の帰りを待っていた。
『エバ*1。お帰り』
私の姉、クレノエニィモア。
「姉ちゃん…。 ただいま。ママとパパは?」
『ダンナ夫婦のトコで前飲みしてる。あんたを家に連れてったらダンナ宅行って回収してくるけど、明日式を控えた新婦に送迎させるかねフツウ…』
トレセン入学手続きを進めていた頃とは色も車種も変わったワゴン車に乗り込む。
エンジンが
「オコシ、ダービーも迫ってるのにトレセン離れちゃってごめん。おばさんに話して、マーサに代わりの併走に付き合ってもらうよう話してるから…よろしく」
数時間前。学園を発つ前に話の機会を設けることにした。
なにより、チームメンバーが昼の練習を行う前に併走に付き合っているオコシと話がしたかった。 私のわがままでペコ先輩を介した練習に付き合わせて、その末に組み上げたメニューを数日間とはいえ不完全にしてしまう。オコシが望んだこととはいえ自分がきっかけで立てた練習メニューに付き合わせている以上、一言でも謝る必要があると思ったからだ。
『大丈夫です。一生に一度しかない家族の結婚式ですから、今日明日は私達の事を気にせず精一杯お祝いされてください』 『こっちも…本気のオコシを相手するのは大変だけどキツめの追い切りだと思って頑張るよ。自分も未勝利クラス抜けないといけないし』
「伝えたかったのはそれだけ。金曜には練習戻るよ」 『あ、あの』
『…クレノさんは私の思い 「オコシ… ありがとう」
『…クレノさんを駅まで送ってくるわ。二人は練習に戻って頂戴』
「…おばさん。口に出してないけど悩みって判るもんなんですね」 『具体的な進路については判らなくても、他の方とは違う並々ならぬ努力をされていることは皆しっかり見ているものです。…ましてや実践形式のレースを引き続き行うような業種は中々ないですから』
「ペコ先輩が薦めてることは… レースモデルの道に進む分には正しいと思います。でも私が今後レーススタッフとの兼業を行うとしても、皆のサポートとして働ける自信が無いんです」 「トレセン学園に進んでから… 自分の能力の無さに絶望して、ずっと契約できなくて、おばさんの元でも負け続けて。ずっと
私もおばさんも口にこそ出さないが、今回の帰省は今後の進路について相談する絶好の機会だと理解している。 春には自分の今後に責任を持てる年齢になった。両親も私の将来に過度には干渉してこない。 それでも家族と相談の機会を設けることは必要だし、その進路は一般的な会社員でない以上
『貴女の人生です。大人として
『そうでなければ、マーサさんやオコシさんが貴女にさっきのような言葉を投げかけるものですか』
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『…そっか、トゥインクルシリーズはだめか。今年1月以来出走してないから心配してたけど』
「それでトゥインクル辞めたあとなんだけど…」
空港から自宅までは市をまたぐ。私の身の上話をする時間はたっぷりある。
実家は遠く
姉は地方・園田*2のトレセンを中退した後専門学校で農業技術を学び、卒業してからは家で手伝いを始めた。
だが両親も流石に歳を取った。トレセンに通う私以外のきょうだいは姉しかおらず、跡取りが出来ないと農場を閉めることになりかねない。それを避けるため、同業者家族との見合いを経ての結婚…いわば婿入り婚に至ったそうだ。
男には恵まれなかったが農場だけで一家を養えているし、私をトレセンに通わせるだけの経済的余裕はある。
『…大体わかった』
「正直、先輩の提案に従うかどうかまだ悩んでる。でもそれ以外にどういう道に進めばいいか、まったくビジョンが無くて…」
『オトナとしては
経済的余裕はあっても、進路に対して拒否反応を取られるのは当然だ。
ペコ先輩の提言を採用するなら来年度はレーススタッフとして引き続きトレセン学園に在学を続けることになるし、その分学園の卒業は伸びる。
農場の後継ぎとしては卒業を伸ばさず、家を手伝ってほしいのが本音だろう。
『…内心は背中を押してもらいたいんじゃない?』
"レースモデルになれるならなりたい"という気持ちは大いにある。
実際ペコ先輩や業界の打算的な事情を差し置いても、事務所は私を呼ぶために破格の
このオファーを受け取れるのはこの一度きりだろう。
でも、"このまま成り行きに任せて、レースモデルになっていいのか"という戸惑いもある。
夢のことはさておいて、普通の会社勤めではない。レースモデルの私が歩む人生は、他の人には到底頼れないものになる。
出来る事ならば誰かに止めてほしいという思い。でも私は他の進路について一切考えてこなかった。
レースモデル以外の道でどう食べていけばいいか想像もつかない。
そうだ。自分で決断することが怖い。
『
『今一歩踏み出せないのは、大人になったから…トレセンで色々と現実を知ったからだと思う。でも長女として、エバには人並みでない道を進んでほしい』
『私はエバにはなれない。脚も遅かった。
「主体性…」
姉が園田トレセンに入ったのは私が小学校に入ったタイミング。全寮制の為、姉との別れが寂しくて泣いたのを覚えている。
その後デビューから1年で見切りをつけて実家に戻り、地元で進学している。
心中こそわからないが姉にも私でいう"トウカイテイオー"の様な、競走の世界に対する憧れの対象があったのではないだろうか。
だが能力が無いと分かった。早々に夢を諦めた。それは実家の為でもあっただろう。現に今、私は夢を諦めた姉のお陰で実家に戻る車の中にいる。
でも。
私が内心トゥインクルシリーズに対する憧れを諦めきれないように、未だに姉も夢に対する未練があるのだとしたら。
自分では叶えられなかった夢を、どんなにゆがんだ形でも私に託したいのだとしたら。
『エバが"レースモデルとして働きたい"という気持ちを伝えれば、パパママはオーケーしてくれる。少なくとも私はそう思ってる』
それっきり、二人は押し黙ってしまった。
野球中継の実況の声だけが、車内に響いていた。
ようやく慣れ親しんだ自宅が見えてきたところで、時報は午後7時を知らせる。
「…実家に帰省しての晩御飯がコンビニ弁当かー」
『まあ…明日は盛大に食べれると思うから』
荷物と私を自宅に送り届けたところで、姉は両親を迎えに行った。
何年も使っていない鍵で、何年も入っていない玄関に脚を踏み出す。
慣れ親しんだ玄関。靴箱の上には小学校時代に作った写真立て。
…トレセン学園で学んだ5年の間に、自宅の中は様変わりしていた。
歳ゆえに階段の上り下りがきつくなったのだろうか。両親の寝室は一階に移動し、居間の灯油式ストーブも処分されていた。
個室前の廊下には荷解きされていない段ボール箱。婿入りする"ダンナ"の荷物なのだろう。
電子レンジで弁当を温める。冷蔵庫に貼ってあったキャラクターのシールはすっかり色あせていた。
そして、かつての自室は実質的な物置部屋と化していた。今後姉に子供が生まれれば、ここが子供部屋になるのだろう。
幼少期を共に過ごしたおもちゃや衣類は無機質な段ボール箱にまとめられクローゼットの奥にしまい込まれていたが、それでも小学生時代を共に過ごした勉強机だけは部屋の隅で
机の棚に並べられた思い出の品をひとつひとつ、懐かしむように開く。
アルバム。交換日記。捨てきれなかった教科書。卒業文集。
…"トウカイテイオー 引退記念特番"のラベルが張られている映像メディア。
私がトレセンに進んだのも、今悩んでるのも、コレのお陰なんだっけ。
少し悩んで、改めて見ようという気になった。リビングに足を運ぶ。
メディアを再生すると、幼少期飽きるほど聞いていたオープニング映像が私を出迎えた。
URA監修 トウカイテイオー引退記念特番
ありがとう トウカイテイオー ~奇跡を起こした帝王の足跡~
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よかった、まだ見れる。
一昔前のCG画面。現役時代のレースを加工した映像をバックに流れる、ナレーターの前説。
そして画面はトウカイテイオーが奇跡を起こした"有馬記念"のラストシーンを映す。
──…後続の中からウイニングチケットが今、現在三番手まで上がってきている! ──メジロパーマー僅かに先頭!ビワハヤヒデ、そしてウイニングチケット三番手! ──そしてトウカイテイオー!青い勝負服が
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見慣れた映像を改めて目にして、時が止まった。
この"有馬記念"の映像を目にしたのは… 少なくともトレセンに入学してからは初めてだ。
この映像から感じたのはこれまで感じることのなかった強烈な違和感。
同時にその違和感の正体に合点もいった。普段のレースではありえない光景だったからだ。
初めてこの特番を見てから10年以上。当時は全く気にならなかったどころか世間を知らなかった。
仮に今の私くらいの年に初めてこの映像を見れば、"そういうもの"として受け流していただろう。
──残り400mを切りました!残り400を切った!ビワハヤヒデが僅かに先頭か!ビワハヤヒデ早くも先頭に立ったか! ──外側から、トウカイテイオー来ている! トウカイテイオー来ている!
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それでも私は幼少期、たしかに"このトウカイテイオー"を見て、テイオーに憧れた。
最後の直線。先頭をひた走るビワハヤヒデ。
カメラアングルが変わる。二人を真正面に映し出す。
二人の鬼気迫る顔が真横に並ぶ。どちらが抜け出してもおかしくない競り合い。
「そうか!そういう事だったんだ!」
「私って、ずっと、そうだったんだ! ハハ、ハハハ…!」
──…さあ!残り200mを切りました!残り200を切った! ──ビワハヤヒデ!トウカイテイオーか!?トウカイテイオーが来た!トウカイテイオーが来た! ──ビワハヤヒデとトウカイテイオー!ダービーウマ娘の意地を見せるか!?
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これまでの人生をひっくり返されそうなほどのブレイクスルーに、私は床を転げまわることしかできなかった。
"バ鹿らしい"とは思った。でも今抱えている感情は決して重苦しいものではないく、むしろ晴れ晴れとした気持ち。
──トウカイテイオーだ!トウカイテイオーだ! ──トウカイテイオー、奇跡の復活!!!
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"私の憧れていたトウカイテイオー"は当時と一切変わらぬまま先頭を駆け抜け、次の映像に切り替わった。
【登場人物】
・クレノエニィモア(Kureno Anymore)
元ローカルシリーズ園田所属
通算成績3戦0勝
クレノフォーエバーの姉。姉妹で容貌が似ることはなく、流星の無い栗毛・長身に育った。
ローカルシリーズはメイクデビュー4着とむしろ今後を期待されるほどではあったが、以降成績が上向かなかったこともありその年の末でトレセンを去っている。
ちなみに一家そろって(クレノフォーエバー含む)野球好きであり、家業故頻繁には行けないが球場での観戦経験もある。"ダンナ"とは同業者というよりむしろそっちの縁が高じて結ばれたフシがある。