一年間のうち競走の世界でデビューを飾るウマ娘は、日本各地のローカルシリーズを併せ八千人余りともいわれる。
その大半が未勝利戦を突破できずトゥインクルシリーズを去るという事は何度も語っているが、
早期に勝ち上がったウマ娘に開かれる夢への道は、まだ遠く
6月末より解禁されるジュニア級のメイクデビュー。デビューしてまもなくダート・ティアラ路線といった別路線を目指す子も居るが、王道路線としては年末に行われる
このどちらかを勝てば年内のG1レースに確実に出走できるだけの
それから約1年。この日のメインレースに出走するのは"皐月賞"上位5名と、ステップレースである"青葉賞""プリンシパルS"から権利を得た3名。そして上記を除くレーティング上位。合計、最大18名。
同世代のライバルと
全てのウマ娘・トレーナーの夢と称される"日本ダービー"。
ウマ娘競走の歴史がどれだけ変わっても、このレースの価値は決して揺らぐことはない。
その"日本ダービー"、発走約5時間前。
──さあ最終直線、先頭は依然としてグラブレインボー4バ身リード、後方集団は届くかどうか!
「いけーっ!がんばれーっ!!!」
東京第1レース、クラシック級未勝利戦。
私が今いるのはマーサが数十分前に飛び出したばかりの控室。そして隣には次のレースに臨もうとするチームメンバーがいる。
ミラクルオコシヤスと共に人生二度目のダービー出走を果たした
当チームからはダービーに臨むオコシの他、今のレースを含めた3つの未勝利戦と1勝クラス、占めて5レース・7名が出走することが決まっている。
更に言えば…結果は伴わなかったが、昨日・土曜日にも3人が出走していた。ダービー出走枠の決まった木曜から、冷徹にチームトレーナーとしての役割を黙々とこなし続けている。
おばさんはオコシのレース出走に一本に絞ってスケジュールを組むこともできたはずだ。
でもその選択は獲らなかったし、オコシもトレーナーの選択を受け入れた。
──残り200メートルを切ってまだグラブレインボー粘る!外からバ群迫る、ラクーンジブリールが抜け出た!
──先頭代わったラクーンジブリール!さらに外からマーサーアーツ、差し切ってゴールイン!
──東京第1レース、最後に差し切ったのは8番・マーサーアーツ!担当トレーナーは本日8年振りのダービーに臨む
──ダート1600メートルクラシック級未勝利戦、勝ち時計は1分38秒2、上がり3ハロンは…
なぜなら。ダービーでなくても、自分のレースでなくても。
自分の青春を賭けてレースに挑む仲間の勝利は何にも代えがたいと分かっているから。
控室の仲間と手を取り合い、歓喜に打ち震えた。
『クレノさん、関係者の記念撮影に行ってくるので第2レースの付き添いをお願いします!いきなり普段通りでない対応させて、本当に申し訳ないわ』
「いや、そんな!おばさんもお気をつけて!」
…感傷に浸る余裕はない。特に次走・第2レース出走者のパドックは既に始まっている。
パドックに上る準備を終えた仲間を見送り、おばさんは足早にウィナーズサークルに向かっていった。
私はおばさんの指揮下で、引き続きレーススタッフとしての下働きをしている。
出走メンバーに付き従っての荷物持ち、補食の準備。この忙しい折に任されているのは雑用でしかなかったが、少しでもおばさんの為に貢献したい思いがあった。
『ごめんクレノっち、パドック下がったら爪切り貸して!』「判った!」
『クレノー!ゼッケンって届いてる!?』「1勝クラスはまだ!」『ごめん!』
以前はレーススタッフを目指すことに対してあれだけ尻込みしていたのに、いざ現場で見習いとして従事してみれば思った以上に適応していることに気付く。
今になってみれば"向いてない"と思って悩み続けていたのも、ただの思い込みでしかなかったのかもしれない。
出走時刻が徐々に迫ってきた。
ダービーの興奮というものは
自分用に置いておいたペットボトル飲料に手を出す。すっかり
午前中は
『作戦に変更はありません。"皐月賞"と同様、早期でのスパートを掛けて体力勝負に持ち込みます。1000メートル通過ペースのタイムだけ警戒してください』
これまでの長い歴史の中、逃げ切ってのダービー制覇を成し遂げたのはアイネスフウジン・ミホノブルボンとごく
逃げウマがダービーを勝てない理由は識者の間でしばしば話題になるが、結論は今ではトレーナー関係者どころか一般のファンにも広く定着している。
525メートルに及ぶ
最後に待ち受けるこの直線を前にいたずらにスタミナを消耗することは、差しウマに対して圧倒的な不利を負う。
特に高速化した現代のトゥインクルシリーズでは、単純な逃げでは大したアドバンテージを得られない。他者を圧倒的に突き放すほどの大逃げを魅せるか、徹底的なペース管理のもとに高速決着を強要するか…。何にせよ高い総合力が求められる東京2400では、逃げウマが勝つためには並大抵でない素質が必要だ。
『皐月賞で取ったスパートの目的は、あくまで未知の展開から
『しかし他の陣営はあなたがトップスピードで劣ることを知っていても、最後の急坂をスタミナを切らさず登れることを知らない』
この一か月、おばさんは坂路の逆走と併せて一般的な坂路練習も重点的に課している。
最終直線にある上り坂は当然ウマ娘により適性の良しあしがあるが、オコシは幸運にも坂でのスピード維持に比較的苦しむことはなかった。
彼女は逃げウマに求められる素質こそなかったが、いわゆる"長くいい脚を使える"と称される粘りのレースに向いている。
東京2400という未経験のウマ娘も多い距離は、こちらに不利ながら紛れを演出するにも向いている。
『…おばさん、こういう時
『能力で他者に敵わないのは理解しています。でも私が夢見たトレーナーは、"必ず勝てるぞ"って言ってくれるトレーナーなんです』
第三者目線で見ても、正直オコシとおばさんの相性は良くはないと思う。
おばさんは現実路線で物事を進める。チームメンバーの競走人生を扱う以上それは仕方ないことだと思う。でもそのチーム内の外れ値として勝ち進んだオコシは、重賞戦線に進むことでどうしても他のトレーナーと自分たちを比べてざるを得ない環境に置かれてしまった。
"皐月賞"の後に私に思いの丈を叫んだように、
『でも。おばさんが今日のダービーに向けて、私にどれだけ力を尽くしてくれたかは忘れていません』
『…至らないトレーナーで、これまで迷惑をかけましたね』
『だから、嘘ついてください。私達はおばさん以外のトレーナーなんて知らないんですよ。おばさんが居なければ…私達はトゥインクルシリーズで走ることすらなかったんです』
『だから、私はおばさんに恩返しがしたい。"ダービートレーナー"の肩書をおばさんにあげたい』
それでもチームに所属する皆はおばさんに並々ならぬ恩がある。
そして常日頃からチーム全体に気を配り、常にトレーナー室で皆の練習を管理するおばさんを知っている。
オコシも、私も。他の皆も。…きっと、ペコ先輩も、不思議とおばさんの為になら頑張れるという気持ちになる。
そういった気持ちの根源があるとすれば、"報われて欲しい"のだと思う。
『…勝負服の約束、忘れていませんから』
『気負わず、全力を尽くしてらっしゃい』
私達が控室を引き上げた頃には既に本バ場入場が始まり、ターフビジョンには出走ウマ娘が次々と映し出されていた。
立ち並ぶライバル達の集団の中でただ一人、レンタルの勝負服で歩みを進めるオコシの後姿は悪目立ちしているようにも見えたが、それでも立ち昇る気持ちの強さは変わらないように見える。
遅咲きデビューも無敗での"青葉賞"制覇、青き巨星が魂を震わせる走りを見せる 1枠1番、ソーブルー
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ドバイ・UAEダービー2着から驚きの参戦、異国の見識を糧に新たな門を開け 1枠2番、タンホイザーゲート
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憧れのレジェンドはマチカネフクキタル、菊の舞台より一足早い奇跡を起こすか 2枠3番、ミラクルオコシヤス
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ターフビジョンについさっきまで共に居た仲間の晴れ姿が映る。
この1年間同じチームメンバーとして共に練習を重ね、悩み続けた仲間が。
『オコシーッ!!!』『がんばれーっ!!!』
声を張り上げる。耳が私達の方を向いた。
皐月賞ウマ娘は真の英雄になるべく世界に力を見せつける、我が名を知っているか 4枠7番、ナートゥサクティ
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観客席… それどころかレース場全体から歓声が乱れ飛ぶ。やはり"皐月賞"を制覇した王者に対する期待には
チームメンバーと顔を見合わせる。G1ウマ娘の風格と自分達落ちこぼれ組の無力感からか、皆少しばかり顔がゆがむ。
改めて、トゥインクルシリーズの世界は残酷だと思う。
オコシや私達がどれだけ努力しても、世間は結果のみを見る。別に私達以外も努力していることに変わりはない。
『大丈夫、声をかけ続けて』
『…わかっています。貴女達が言葉にしなくても、オコシさんに対する客観的な評価は理解しているつもりです』
"つもり"とは言っているが、おばさんは20年以上トゥインクルシリーズに携わっている。
オコシがどれだけ能力面で厳しいかを一番理解しているのはトレーナーのはずだ。
別に今日のオコシだけではない。私の様に未勝利のまま契約を解除するような落ちこぼれもさんざん見てきた。
それを指導する立場として、おばさんは何十年も…今の私達では想像もできない
それでも私達の努力を否定することは決してしないし、忙しいなりに私達の為に力を尽くしてくれる。
いつだってそうだ。
私が未勝利戦を抜けられず苦しんでいた折も、何とか私を勝たせようとして頭をひねっていた。
練習メニューを変え、作戦を変え、靴や蹄鉄を変え… 勝つためにできる範囲で試行錯誤を繰り返していた。
今、改めてわかる。
ダービーに出ようが、おばさんはオコシと他のウマ娘全てをどこまでも同列に見ているのだと。
そしておばさんが一番、全てのウマ娘の活躍を諦めてはいないと。
『いつも通り。私達なりに、たくましく応援していきましょう』
G1ファンファーレが鳴り響く。
管弦楽団の力強い演奏がすべての出走者に向けた歓声と共に空高く響き、空に散っていった。