未勝利ウマ娘の就職・仮初の有馬記念   作:兄萬亭楽丸

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■7月下旬 仮初(かりそめ)の有馬記念
私達の本気


◎三冠ウマ娘とマイル女王が初の激突!"宝塚記念"直前特集

◎皐月制覇ナートゥサクティ、凱旋門狙う!7月末渡欧予定

◎地方"帝王賞"特集、聖母・マリアークラレンス復権の一戦

 

 

"日本ダービー"も一か月を過ぎ、春のG1戦線も終わりを迎えようとしている。

 

風呂上がりの髪を乾かす間、買ってきたレース情報誌を読む。分かってはいたが、皐月・ダービーの直前に何度か取材を受けたオコシの情報は全く載っていない。

やはり世間の注目はG1級ウマ娘の秋以降の動向や今年メイクデビューを迎える未来のスター候補。ダービーに出走しただけの彼女が注目されないのも仕方ない。

みんなゲンキンだなと毒づきながら情報誌を鞄に入れ、代わりに分厚いノートほどある冊子を丁寧に取り出した。

 

《社外秘》

 

《Abeuma秋のG1特集 追憶の有馬記念》

トウカイテイオー編 幕間レースドラマ部

 

 

レースキャスト台本 決定稿

 

 

 

 

しばらく台本を読み返しながらのイメージトレーニングを進めていると、いつしか寮の消灯時間が迫っていることに気付いた。

同室がトレセンを卒業してからはこの部屋に私以外が立ち入ることはない。しばらくは寂しかったが今ではすっかり慣れたものだ。

 

《社外秘》の重々しい記載がなされた台本を丁寧に机にしまい、部屋の電気を消した。

 

 

 

私は無事モデル事務所とのレースモデル契約を締結したわけだが、そこから一か月は多忙に次ぐ多忙を極めた。

以前ペコ先輩が言っていたように本当に撮影までギリギリのスケジュールだったらしく、事務所先輩方やスタッフへの挨拶もそこそこに撮影用衣装のフィッティング( 着付け作業)や出演陣による事前の顔合わせが組まれ、その合間にはペコ先輩らにより、タレントとしてのマナー教育が挟まる。

 

チームメンバーの多くにとってのタイムリミットであるクラシック級未勝利戦の締め出しに向け各々(おのおの)が全力を尽くす裏で、学園と仕事先を行き来するだけの生活が続いた。

 

 

 


 


 

『さて、今週末からは主要四場(東京・中山・阪神・京都)を離れた地方開催になります。以前より説明しています通り当チームはこの時期は夏季合宿を行わず、小倉レース場を中心に出走予定を組みます*1

『ジュニア級の皆さんはメイクデビューに向けまずは怪我なく、クラシック級、特に未勝利級の皆さんは最後の夏になるかもしれないこの数か月を悔いなく過ごしてください』

 

『では、先週出走した4名はこれから面談がありますので、ここで暫く待機をお願いいたします。それでは最後に、伝達事項のある方は居られますか?』

「あっ、はい!おばさん!印鑑もらいたい書類がありまして…」

『分かりました、では先にそちらから対応させてもらいますね。では解散』

 


 

『…いよいよなのね』

おばさんは普段書き慣れたトレセン寮の書式とは異なる、事務所側に提出する外泊届を熟読し判を押す。

 

台本に《トウカイテイオー編》とあるが、今回私が(のぞ)む"追憶の有馬記念"は多種多様なウマ娘を紹介するオムニバス形式の番組*2であり、ダイワスカーレットやジェンティルドンナといった他のレジェンドウマ娘の撮影も行われると聞いている。

今回自分の担当はトウカイテイオーただ一役(ひとやく)しかないが私以外の多くは専属ではなく、別エピソードの撮影ではまた別のウマ娘を演じる。

また、屋外撮影には天候の問題が付きまとう。撮影期間の天気に合わせて撮影順を変えることも起こりうるため、演者は数日単位の予定確保が求められるようだ。、

 

「こう、情けないとは思うんですけど、なにか初仕事のアドバイスとか、ありませんか?」

『先輩や周りの大人を積極的に頼りなさい、それくらいね』「はあ…」

 

私の進路問題がひと段落したからか、おばさんが私を気に掛けることはほとんどなくなった。

別に私を見放したわけではなく進路選択に悩む必要のなくなった私の優先順位を下げただけに過ぎないのだが、なんだか少しばかり寂しく思えた。

 

『トレーナーって意外と世間知らずなのよ。勉強して、トレーナー学校に入っても勉強し続けて、卒業したらずっとトレセン勤め。私のようなトレーナーが知る世間はとても狭いものでしかない』

()担当トレーナーとして貴女にできることは、スタッフ業との予定調整をすることくらいしかありません。でもこれはクレノさんが自分で将来の道を決めてしまったから、私にはこれ以上貴女の将来に携わる権限が無いという事の裏返しでもあるの』

 

 

 

『…改めて、就職おめでとう』

 


 


 

数週間後。授業を終えた私はおばさんに簡単な連絡を取った後、迎えのワゴン車に乗り込んだ。

数名のレースモデルの先輩達に囲まれながら、"皐月賞"当日からは想像できないほどに静かな中山レース場に向かう。

 

トゥインクルシリーズ時代と同じ関係者入口から手続きを済ませ、初仕事の舞台に足を踏み入れる。

と言っても撮影開始予定日はあくまで明日。本日はレースモデル・撮影スタッフの本格的な顔合わせとロケ環境のセッティングが主だ。

 

 

 

「は、はっ、はじめまして!今回"仮初の有馬記念 トウカイテイオー編"にてトウカイテイオー役を勤めます、クレノフォーエバーと言います!皆さん、よろしくお願いいたします!」

 

50名は軽く居ようかというキャスト・スタッフ陣に囲まれ、私の初仕事である挨拶を無事に終えた。

 

『よっ、新人!』『茶化さないの!』『デビューおめでとー!』

キャストの殆どは私設レース場で何度か見知った顔で、私の事も気にかけてくれる。正直心強い。

一方でカメラ・音声をはじめとするスタッフ陣とは打ち合わせの場で顔を合わせた程度。悪気が無いと判っていても、私の初仕事を見守る視線が少しばかり居心地悪い。

 

 

 

『なー!クレノと一緒に仕事出来るの、本当に嬉しい!よろしくなー!』

 

この現場には初めて会った時から私を気にかけてくれたジューンキュポラ先輩も居た。

ジューン先輩は今回、私達にとっては見知った存在である"メジロパーマー"を担当する。先輩にとっても今回の様な大口の仕事は初めてらしく、普段以上に気合が入っている様子が見て取れた。

 

「そのー… 挨拶の延長で聴くのは失礼とは思うんですけど、ペコ先輩は本日来られてないんでしょうか?」

『ごめん、クレノには共有回してなかったね。ペコは別の仕事が押してて遅れるみたいで、到着は夕方上がりのクレノ達と入れ違いになるかなあ』

『なー。それとマツ先輩は本業を優先してお休み。代わりになーがクレノのサポートに回るから、何でも聞いてなー』

 


 

本番で着用することになる衣装から靴のみを履き蹄鉄等を調整、実際の走り心地を確認しつつの本読み(リハーサル)に入る。

出走メンバーとスタッフ陣が本番と同じコースを歩きながら、どこでどのように動くかを皆で確認するのだ。

 

中山レース場は"皐月賞"開催週を(もっ)て春のレース開催が終了しており、再開は9月の"紫苑S""京成杯オータムH"開催週からになる。

毎年休止期間中は他場で開催されるレース・ライブの中継会場の役割を務めるが、その裏で芝の張替えや(ダート)の補充を行い秋の開催に備えている。

 

私達の足元に()かれているのは丁度その張り替えたばかりの芝であり、足を踏み入れるたび足元から香りが立ち昇るほどに若々しい。

 

『うわぁ、芝奇麗すぎる』『仕事とはいえ新品のバ場は気分いいわぁ』

『なーは浦和しか知らないから芝コース初めてだけど、クレノはもう慣れてたり?』

「そうですね。現役時代走ってたのって()(さら)な芝で挑む第1・第2レース(未勝利戦)ばかりでしたから…」

 

皆が感心して(うなづ)いた為、途端に会話が止まる。

 

『…ジューン謝りなよ、クレノ、トゥインクルシリーズ正式に辞めたの最近なんだよ』『な、なーが悪いんですか!?』

「い、いえ!?もう現役には踏ん切りついてますのでお気になさらず!?」

 

…そういった微笑ましい雑談を交わしながら撮影準備に入ったが、いざ始まってからは途端に張り詰めた空気がレース場を支配する。

 

 

 

『ストップストップ!|最初46ペースなんだからこの横入りは早いって!』

『カメラさーん!これカメラの画角的にテイオーとライス見えなくなるんじゃないですか?』

『すいませんハヤヒデ(スマイルペコ)代理*3なんですけど、この表記だと前とぶつかりませんか?台本の誤記です?』

 

 

 

この本読みは今日一度きりで明日から本番という事もあり、演者・スタッフは共に一切の妥協(だきょう)を許さない気持ちで臨んでいる。

1秒・数センチ単位での細かい指示・修正が飛び交う様子を、私は目を丸くしながら見守るしかなかった。

 

言い忘れていたが、今回の打ち合わせは他番組と併せ1日で終える都合上、炎天下のもとで行っている。出走メンバーは台本で時折太陽を隠し、顔の汗をタオルで(ぬぐ)う。

一応私達が打ち合わせを行っている隣のダートコースにはスタッフ車輛が追従しており、飲料や日傘を提供したりはしてくれている。

先輩達は時折それらを受け取り使うが、指示や提案を止めることはない。やはりこれが皆が自分の人生を賭けて選んだ家業であり、小さなミスが命に直結するような仕事であるからだ。

 


 

『クレノもジューンも打ち合わせおつかれ!今日はゆっくり休みな!』

『なー、本日はご指導いただきありがとうございました!』「ま、ました!」

 

一通りのレース展開を確認し終えて解散したが、そのまま別日に撮影するシナリオの本読みが始まる。

本日の全業務を終えた私・ジューン先輩以外にこのロッカールームに居るのは、現在打ち合わせているシナリオには登板しない数人の先輩くらいだ。

 

雑談から私の仕事話に進んでいくうちに、初仕事の前に一度撮影現場を見学したほうが良いのではないかといった話になった。

実のところ有難い申し出だった。先輩達が練習場で走る様子は幾度目にしていても、実際本番の空気を味わってみたい気持ちがあった。

 

『なー、ごめんなさい。自分は本業の方(運送業パート)で埋まってまして』『それなら仕方ないよ、クレノは?』

「ぜ、ぜひ、ご一緒させてください!えーっと、明日ってジェンティルドンナ編の撮影でしたっけ…?」

 

『そうね。わたしはバックアップ*4だけど、クレノの先輩…ペコはゴールドシップ役で出る』

 

 

 

トリプルティアラウマ娘、ジェンティルドンナ。

ティアラ路線に進んだウマ娘は王道路線で苦戦するという風潮を自身の勝利で否定し、果ては中東・ドバイでも輝きを見せた"貴婦人"。

国内王道路線で共に活躍を見せた同輩ゴールドシップよりいち早くドリームトロフィーリーグ転身を発表し、トゥインクルシリーズ最後のレースにこれまで出走経験のない"有馬記念"を選択。

この年、国内では勝ちきれない展開が続いたこともあり初の中山挑戦を不安視されていたものの、終わってみれば危なげない勝利。自身の一つの区切りを最高の形で終えた。

 

 

 

その"有馬記念"の再現に挑むのは、先輩をはじめとする業界を熟知した一線級のレースモデルばかりだった────

 


 

翌日。

 

撮影準備は夏の日の出よりもさらに早い深夜から始まる。炎天下での長時間の撮影を避ける狙いもある。

私が見学用の関係者証を発行し現場に入る頃には、既に先輩達は皆メイクルームに(こも)っていた。顔や勝負服の再現は言うに及ばず、髪形や流星の再現にも時間がかかる為だ。

 

 

 

"追憶の有馬記念"で私達がそれぞれ再現することになるレースは、現実のレースでは不可能な角度での撮影と当時の完全再現…それらの両立をコンセプトとしている。

そのため、まずゲートイン完了からゴールインまでのレース全てを一度ノーカットで撮影。その後、一部の演者の単独カットなど番組演出に必要な画を追加撮影する… といった流れだ。

 

いくらレースモデルが現実のレースより(ゆる)い速度で走ると言っても、そのスピードは時速45kmを超える。現実のレースと変わりない形式で2000メートル以上を走るのは、ウマ娘にとっても相当な重労働である。

故にレース本編の撮影は実質一発勝負。万に一つのミスも犯さないように、スタッフ陣も最大限警戒を強めている。

 

パドックから、まばらな足音がゆっくりと近づいてくる。レース場に足を踏み入れたのは(まぎ)れもなくあの時代最強を競ったレジェンドウマ娘そのもの。

緊迫した空気はそのままレース場一帯にまで広がる幻覚すら見え、私の様な第三者ですら自然と背筋が伸びる。

 

 

 

そしてレース本番の撮影が始まったが、そのレースはとても"撮影"の一言で片づけられるようなものではなかった

少なくとも撮影に挑む先輩レースモデル達は、二か月前"ダービーウマ娘"の座を争った強者たちと何ら変わらない目をしていた。

 

 

 

私がトウカイテイオーを演じる"有馬記念"の最終直線は、実質ビワハヤヒデと二人のマッチアップである。

極端な話、最終100メートルからの私はペースを守りハヤヒデを(まく)るタイミングにさえ気を付ければいい。

 

だがこの年のレースは違う。逃げるヴィルシーナが第三コーナーまでレースを牽引(けんいん)するところまでは変わりないものの、第四コーナー・直線の混み具合は私が演じるものとは比べ物にならない密度。

最終コーナー突入時点で先頭の隊列は5列。そこからの残り400メートル足らずの間に隊列は生き物がうねるように変化していく。

ヴィルシーナはスタミナの限界を迎え位置を下げるが、ゴールドシップとウインバリアシオンはやや内にコースを切りながら脚を延ばし内からくるライバルのスパートを妨害する。バリアシオンはさらに後方外からスパートを掛けるライバルの邪魔にならないよう、位置を維持しながら隊列を内に寄せなければならない。

 

現実のレースでは1着のジェンティルドンナがバ群の内から抜け出しそのまま後続のスパートを許さなかったが、2着から7着の着差は合計して半バ身にも満たなかった*5

ペコ先輩らこの6名を演じる役者はこの順位すら再現する必要がある。

 

 

 

そして先輩達は、この無理難題に一発勝負で回答を出した。

1着から4分の3バ身差、ハナ差、クビ差、ハナ差、アタマ差、クビ差… ゴール板真横に設置されたカメラは、先輩達の死に物狂いの修練の末に果たした着差再現という大仕事を寸分(たが)うことなく正確にとらえていた。

 

スタッフ陣の長いVTR確認の後にオーケーサインが出た瞬間、休憩スペースの各所から安堵(あんど)のため息が漏れたが、一呼吸して皆が改めて気合を入れなおす。

まだ本日の全工程が終わったわけではなく、個別カットなどの撮影が残っている。撮影開始直前の空気よりはいくらか明るくなったが、先輩達は気を(ゆる)めることなく次の撮影に向かう。

 

 

 

今日バックアップの私が言うのもおかしいけど、これが私達の本気よ』

 

私がペコ先輩達と共に走った試験で見たものは、レースモデルのプロが持つ技術の一端に過ぎなかった。

明日私がこの舞台に混ざることに対する不安もあったが、それ以上に自分が目指すべき将来の姿を目の前で見れた興奮に満ちれていた。

 

*1
理由は様々ある。G1級の有望株がメイクデビューの場に選ぶことが比較的少なく、主要四場の中では東京以外が採用している右回りであり、冬場の小倉開催の際は夏の経験を活かしやすい。またトレセンを去った後の面でも、佐賀・高知など近隣のローカルシリーズ関係者ともコンタクトを取れる為転籍手続きをスムーズに進めやすい。

*2
昨季放映された"追憶の天皇賞(秋)は四話構成だった。「私を見て」も参照。"

*3
打ち合わせ欠席のキャストの代理として、本番未出走のレースモデルやスタッフが代理で入る。

*4
撮影中、負傷者などが出た際の代理。

*5
参考:2014年有馬記念 https://youtu.be/uH8Gooc2-FU?si=yXMMy13e9294GM10




【登場人物】

・コマツジュピター(Komatsu Jupiter)
元ローカルシリーズ船橋所属。通算戦績51戦9勝。

ジューンと共にペコ不在の本読みを仕切っていた先輩。トウカイテイオー編ではウイニングチケット役を務める他、ジェンティルドンナ編等他の日にも出演する。

船橋トレセン卒業後もモデル業との兼業で競走契約を継続する"社会人ウマ娘"として活動を続け、現役最終年は船橋開催の重賞にも出走。所属事務所で最低限生活できるだけの仕事が貰えるようになったことと、担当トレーナーの指導依頼増の軽減のためローカルシリーズを引退している。
大阪出身なので、酔うと関西弁が出る。


・ロンリークローバー(Lonely Clover)
元トゥインクルシリーズ所属。通算成績21戦2勝。

クレノをジェンティルドンナ編の撮影見学に誘った先輩。当日バックアップに回ったのは自分の体格に合うレジェンドウマ娘が存在しない為で、例えばトウカイテイオー編ではライスシャワー役を務める。

トゥインクルシリーズ時代は小さな体格と2000m以上を主とする距離適性の都合でデビューが遅れ、更には人事問題でメイクデビュー直前にトレーナーが変わる不幸に見舞われる。そういった事情もあり、クラシック級夏まで掲示板入着が1度もないがけっぷちの状態であった。
だが未勝利級ウマ娘にとってラストチャンスとなる9月のレースで1着を確保、続いてクラシック級以上1勝クラスで連勝したが、2勝クラスの壁を越えられないままトレセン学園を卒業している。

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