私は何になりたいのか
2月、G1レース"フェブラリーステークス"開催日の朝。
私はトレーナー・チームメンバーと共に、東京レース場の関係者入口で手続きを済ませ、控室に向かっていた。
”3年ぶりの栄冠へ、かつてのジュニア王者雪辱誓う”
”前走東京大賞典3着の上がりウマ・初G1射程圏だ”
”前哨戦圧倒、社会人ウマ娘はG1制覇の偉業なるか”
|
レース場の内外には
「客席、混みますかねえ」『どうかしら。天候がネックね』
契約解除届を出した"あの日"以降、レースに対しては極力何も考えないようにした。
G1の舞台で走る彼女たちを凄いとは思えど、自分に能力があったのなら、巡り合わせが良かったなら。深く思いを巡らせるとそういった
それに、私達はこのレースの出走メンバーとは一切関わりが無い。
私に与えられたサポートの仕事を、出来る範囲でこなすだけだ。
「おばさん!ヘアゴム買ってきました!」『ありがとう。天気予報はどう?』「昼までは降らないって書いてます!でもバ場状態は不良のままです!」
東京第1レース・ダート1400m。クラシック級未勝利戦。
当チームメンバー、マーサーアーツが出走する。
週の中頃から関東一帯を襲った暴風雪は、前日・土曜のレース開催に多大な影響を与えていた。
夜には雪こそ止んだものの、レース場一帯にこびりつく雪はいまだ溶け切れていない。
こうしたバ場状態を──ましてや実戦経験に乏しいクラシック級のウマ娘に走らせることは、トレーナーとしても歓迎できるものではない。
脚を取られやすい不良バ場、もし仮にレース中転倒でもしようものなら… 競走生命に関わる怪我になることは嫌でも想像がつく。
『今日のダート環境で大切なのは脚をしっかりと踏みしめて、滑らせない事。スタートをうまく切れれば勝機はあるわ。あとは安全第一で走り終えて来なさい!』
『はい、おばさん!』
私と
第1レースが終わった。体操服や泥に塗れたゼッケンを回収する。
マーサは勝ちウマと2バ身足らずの5着。
『あああ… 悔しい!ホンット悔しい!バ場のせいにしたくないけど
「ほんと、お疲れ」『ごめん、もう一回シャワー行ってくる。このまま帰るとおばさんやクレノに八つ当たりすることになる』
『…サポート、ありがとうね』
早めに先行し有利こそ取れたものの、足元に意識を集中せざるを得なくなったために周囲の仕掛けに気を配れなくなり、結果として最後の決め手勝負で後手を取った…
トレーナーは敗因をそう分析した。
「…バ場がまともだったら勝ててたんですかね」
『そうかもしれない。今回は勝利より怪我なく完走する走りを指示した以上、私の責任。彼女は立派に走ってくれたわ』
『例えばこのレースで無理をさせて…競走生命どころか日常生活にすら支障のある怪我をされて御覧なさい。幸いトレセンには怪我からの復帰を助ける諸制度が用意されてるから、すぐに退学になるわけではない』
『でも貴女達はどういった形でトレセン学園を去っても、先の人生がある。もしかしたら今後、ずっと回復不可能な怪我を負ったまま今後の人生を過ごすことになるかもしれない』
私含め、
心の中でそれぞれ勝ちたいという気持ちはあれど、全員が
『
そういった背景もあり、トレーナーは勝利第一ではない指導方針を取っているのだ。
『…さて。今回はライブが無いから一度彼女をトレセンまで送ってくるわ。一般入場エリアで自由にしてていいけど、第6レースが始まる頃にイベントブースで待ち合わせできないかしら』
「イベントブースですか。わかりました。 えーっと… "ウマ娘レースモデル・スマイルペコさんトークショー"…?」
『その子ね、うちのチームの元卒業生なの。挨拶しておきたくてね』
"社会見学で来たのだから、レース場で働いてる人をよく観察なさい"、そう言い残してトレーナーとマーサはレース場を発つ。
さて、そのレース場で働く人に着目してみる。
レースに出走するウマ娘のパドック誘導役。
出走ウマ娘のゲート誘導を行う職員やスターター。
レース場内や関係者スペースの警備員。
売店・フードコートの店員。
インフォメーションセンター。
清掃スタッフ。
…改めてみるに、結構な割合でウマ娘の方々が働いていることに気付く。
ドリンクスタンドでG1開催日限定のドリンクを購入した。
笑顔を崩さずも忙しなく接客を行う店員を見て、私が"トウカイテイオーになる夢"を持ったままこれらの仕事に就くのは難しそうだと感じた。
目の前でレースに挑むウマ娘に嫉妬せず、淡々と自分の職務をこなせるか?
プロフェッショナルとして、ターフやウイニングライブに立つウマ娘を、眉一つ動かすことなく支援できるか?
…そんな自分は想像できなかった。
「やっぱり、働いている人ってすごいんだな…」
少しナーバスな気分になりながらも、トークショーの舞台となるイベントブースに向かう。
"スマイルペコさん トークショー"。彼女は長らく改装工事をしていた京都レース場リニューアルのPRに携わっているらしい。*1
テレビでその名を聞いたこともなく、決して広く名の知れたウマ娘ではないようだ。それでもトークショー会場は満員とはいかずも徐々に座席が埋まりつつあり、新しいレース場へ対する期待の高さを感じさせられた。
まもなく始まろうか、というタイミングでトレーナーと合流することが出来た。手にはお土産と思しき紙袋を携えていた。
──まもなく全面改装が終わりリニューアルオープンとなる京都レース場!今回はレースモデルのスマイルペコさんと京都レース場のリニューアルポイントについて告知させていただきます!皆さんよろしくお願いします!
『みなさん
綿密に手入れされた
すらりと伸びた長い脚とは対照的に、ジーンズの上からでも判る現役ウマ娘さながらの筋肉。
引退からだいぶ時間が経っているとはいえ、今の自分がこの人と戦っても勝ってしまうだろう…と自虐する。
──司会からスマイルペコさんの簡単な経歴についてお話させていただきます、元トレセン学園生、トゥインクルシリーズではクラシック
「レースモデルって何ですか?」
『そうね… 映画のスタントマンは判るでしょう?』「はい」
『スタントマンが役者に代わって危険なシーンを演じるように、レースモデルはウマ娘の役者さんに代わってレースシーンを代わりに走るのが主な仕事ね。彼女は確かテレビ番組の再現VTRだったり、レース関係の企業CMに出てたかしら』
「トゥインクルシリーズや
『一度お仕事を見せていただいたことがあるけど、画面に映った時の見栄えを重視するために全速力で走るわけではないようね。だから本格化を終えても十分仕事が出来るのでしょう』
トークショーの話題は京都レース場のPRに代わり、会場後方には撮影したプロモーションビデオが映し出された。
空撮カメラがレース場周辺の景色を映し出し、
朝焼けの空が、誰も居ないゲートに入っていく彼女の後ろ髪を
京都レース場の伝統をイメージした白と紫の勝負服に身を包んだ彼女は、ゲートの解放と共に
──実際に京都レース場のコースを走られてどうでしたか?
『そうですね、まず思ったのがまさか現役でもない自分が真っ先にコース走っていいんだって…』
少しばかり、この人をうらやましく感じてしまった。
仕事の一環ではあるのだが、レース場を一人で駆ける経験なんてG1ウマ娘でも早々無い経験だろう。
──こちら撮影時のオフショットなんですけど、レインコート着てらっしゃいますね?
『…そうなんですよ!この日朝方小雨が降ってたんです!でも聞いたところによるとコースの水
彼女の名を検索サイトで調べる。
ダービーの出走経験があることもあり現役時代のニュース記事もわずかに見受けられたが、やはり彼女が出演した舞台を取り上げた記事の方が多い。
とあるインタビュー記事ではトゥインクルシリーズ時代について触れられていなかったこともあり、今の仕事に就いてからの頑張りが認められ、京都レース場での仕事を受けることになったのだろう。
「…うちのチームの
『だいたい7年前かしら。私が指導するにはもったいない才能の子だったわ。もっと早くトゥインクルシリーズをデビューできればね…』
…………………………
ドキュメンタリーシリーズ 追憶の天皇賞(秋) 出演者
………………
………………
オグリキャップ役:スマイルペコ
|
彼女の来歴の中にあった見知らぬ番組名に目が留まる。
おそらく過去の名レースを紹介するドキュメンタリー番組なのだろう。番組名を調べる限り、ネットメディアで配信されていたようだ。
しかし私の目が留まったのはそれだけではなくオグリキャップ役、という文字。
…トゥインクルシリーズの歴史に名を遺すウマ娘を演じているのか。
── …メインレース"フェブラリーS"ですが、スマイルペコさんが特別応援されている方などはいますか?
『ちょっと特定の子に肩入れしていいかわかんないんですけど、昔一緒にダービーを走った子が今回出てるので、応援していただければと…』
この人がどうやってオグリキャップ役に選ばれ、実際にそれを演じたかはわからない。
それにこの役を務めるまでに、血の
仮にこの仕事に就くとしても、目の前の彼女のような第一人者になるにはどれだけの時間がかかるのか、今の私では想像もつかない。
それでも私は、"レースモデル"という職業が今の私を救う何かであるかのように思わずにはいられなかった。
この道に進めば、いつか憧れのトウカイテイオーになることができるのではないか、と。
──…以上をもちまして、スマイルペコさんトークショーを終了いたします!皆様引き続きトゥインクルシリーズをお楽しみください!
『皆様、新しい京都レース場をよろしくお願いいたします!』
『…クレノさん。アポは取ってるから関係者入口に行きましょう』「あ、はい!」
『お久しぶりねペコさん。これ、差し入れね』
『
『まあまあ。軽口も変わってないようね』
スマイルペコ。ステージを降りた彼女は想像以上にフランクで明るい方だった。
それでも手の届く距離で見る足元の筋肉。その鍛えられ方が
トゥインクルシリーズを引退した今でもトレーニングを重ねているであろうことは想像に難くない。
「す、スマイルペコさん。初めまして」『はじめまして、よろしく。…おばさん、彼女は?』
『うちのチームの子。今日はレーススタッフとして同行してもらってるの』
「…あの」
これから自分が口にすることを一瞬だけ無謀だと思い、
質問するだけじゃないか、"働かせてください"ってわけじゃないんだ。
幾ら初対面の人とはいえ、相手はプロフェッショナルなんだ。それくらい応えてくれるはずだ。
それにだ、未勝利戦で最下位になった時に書いた恥よりはマシじゃないか。
…必死に自分に言い聞かせながら、息を吸い、口に出した。
「スマイルペコさんのお仕事、今日初めて聞いたんですけど!…その、レースモデルになるには、どうしたらいいですか!」
『…えっ』
【登場人物】
・スマイルペコ(Smile Peco)
勝ち鞍:共同通信杯(G3)
トレセン学園卒業生。現在は中堅俳優事務所に所属し、レースモデルを中心に活躍。
現役時代はクラシック三冠全てに出走するが皐月4着、ダービー15着、菊花賞12着と振るわず。
本格化が遅かった為にトゥインクルシリーズデビューが高等部後半になった事もあり、クラシック級末で引退している。通算成績10戦4勝。
・マーサーアーツ(Mercer Arts)
クレノの同僚で東北出身。トウカイテイオーを目標にしていたこともあり、クレノとは比較的仲が良い。
今回のレースが決め手に欠けたため、以降は距離を延長して適正距離を模索することになる。
・スマイルペコが昔一緒にダービーを走った子
主な勝ち鞍:弥生賞(G2)
クレノフォーエバーとは今回交わることのない、この日のメインレース"フェブラリーステークス"に出走するウマ娘。
年齢の事情もあり昨年トレセンを卒業、九州の地方レース場の職員として就職し、職員兼任という形で現役を続行している。
同ウマ娘については、拙作「最後の希望 ベテランウマ娘、8年目の地方転戦」を参照のこと。