未勝利ウマ娘の就職・仮初の有馬記念   作:兄萬亭楽丸

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私達はなぜ頑張れるのだろう(前)


 


 

夢を見ていた。

 

 

 

 

 

気が付くと私はレース場にいた。ビジョンには"未勝利戦"の文字。外の景色はあいまいだが、ゲートの位置でここが中山レース場だということは判った。

うすぼんやりとした感覚のなか、スタッフに(うなが)されるままにゲートに入りスタートを待つ。

 

ゲートが開く。手ごたえは悪くない。最序盤の位置取りも目立ったミスはない。

先輩達の教えがレースにも生きているのか、これまで以上に上手く走れている実感があった。

 

だが最初のコーナーが近づいても隊列が落ち着くことはなく、むしろ私の周囲を取り巻くライバルたちはペースを上げ続ける。

セオリーにない動きに面食らいながらも、置いていかれまいと脚を必死に動かす。だが重い。泥溜まりに脚を突っ込んでいるかのよう。抜け出せない。

 

ライバルたちは私など放ってゴールに行けばいいのに、あがき続ける私をあざ笑うかのように内外で取り囲む。

鬱陶(うっとう)しいと思った。逃げ出したかった。

その裏で、私を観測している別の自分が居る事に気付く。視点が鳥のようにレース場全体を(とら)え、苦しむ私の後姿が見える。

 

これが夢であることをうっすらと理解すると、これまでぼんやりとしていた周囲の光景もよく見えるようになった。

 

 

 

私を取り囲むライバル達に実体はなく、蛍のように薄明るい(ウマ)型の光が"そこ"を走っているだけだ。

眼と耳をしきりに動かしながら抜け出せる進路を探す。外に進路が見える。重い足に一段と力を込め、バ群からの脱出を試みる。

 

だが私が脱出の第一歩を踏み出そうとしたとき、その光たちはまた異なるものに姿を変えた。

 

サラリーマン。

大学生。

バス運転士。 飲食店店員。

塾講師。 漁師。 栄養士。 清掃員。

 

現実ではまず有り得ない事態に驚くと同時に、夢を観測している自分はそれが何かを考えた。

…この秋にトゥインクルシリーズを去ろうとしている仲間たちが、進もうとしている進路の一部。

 

今の時期にクラシック級未勝利戦に挑むウマ娘達は夏のローカル開催((札幌・新潟・小倉等))で最後のあがきをすると同時に、もしダメだった場合の就職活動を並行する子が(ほとん)どだ。私は多少ずるい形ではあるが、既に就職活動を終えている。

一方でこの時期就活に挑む仲間たちが選ぼうとしているのは現実的な()()。トレセンでの青春に区切りを付け、今後の為に取ることのできる最善の選択肢を取ろうとしている。 …ある日仲間たちの雑談に交じった私はそう解釈していた。

 

姿を変えたライバルたちは、また唐突にペースを上げ私を突き放していく。

脚が重い。どれだけ脚を踏み抜いても、その差が縮まることはない。

涙がこぼれる。レースについていけないことに泣いているのではない、自分が進学・就職する周りについていけない…「置いていかれる」という恐怖感があった。

 

どれだけあがいても差は広がるばかり。私が息を切らしながら呼び止めても誰一人振り向くことはなく、社会人達は光の奥に消えていく。

 

 

 

…いや、後方に一人だけ残っていた。だがその一人も息が切れながら減速する私を気に掛けることなく、あっという間に抜き去った。

 

後姿には覚えがあった。()()は人型の光ではなく私のよく知る人物。一回り大きい体格。お世辞にもキレイとは呼べない流星。

 

その一人…作業着に身を包んだ姉、クレノエニィモアが振り向き(ささや)く。

 

 

この先、"普通じゃない仕事"の人間として

生きていく覚悟はあるの?

 

 

 

 

覚悟を決め心の奥底に閉まっていたはずの核心を突かれ、反射で目を覚ます。

視界に真っ先に入ったのは数日前から連泊しているホテルの目覚まし時計。

 

 

 

「…縁起でもない夢」

 

時計は、その"普通じゃない仕事"…。レースモデル初撮影の現場入りまで2時間を切った事を示していた。

 


 


 

部屋の灯りを点け、まだ脳の(たかぶ)りに追い付いていない身体をゆっくり動かしながら出立の準備を始める。

カーテンの外から見えるビル街は寝静まっており、太陽の昇る気配すら見えない。

 

この時間には到底そぐわないスマホの通知音が鳴る。メッセージの相手はペコ先輩に代わって仕事の世話をしてくれることになったマネージャーだ。

簡単な連絡を済ませ、シャワーを浴びるために急いで服を脱ぐ。(ひたい)には起き抜けとは思えない量の冷や汗。

一刻も早く悪夢の事を忘れ、仕事に集中したかった。

 


 

スマホの時計が丁度午前5時を指すと同時に、ホテルの駐車場からマネージャーが顔を出す。

挨拶もそこそこに車に乗り、本日の仕事現場である中山レース場に向かう。

 

他の演者は既に現場入りを済ませているためワゴン車の中は二人きり。空いた助手席に置かれたコンビニ袋の音が、静かな車内に響いていた。

 

「初仕事の日が重役出勤って…余計に緊張しますね。学校で遅刻したときの事思い出します」

『他のレースモデルは既に現場入りされてるけど、まだ教育機関を卒業していないクレノさんの深夜就業は業界の慣例*1でダメってなってるの。だから気にしなくてオーケー、そういうものと思って走るのに集中してね』

 

 

 

専属ではないとはいえ私にマネージャーが付き、仕事のやり取りを始めたのはつい先日。未だこの待遇(たいぐう)に慣れない私から発するコミュニケーションは、マネージャーにとっては未だ余所余所しいものに聞こえるかもしれない。

だがマネージャーはそんな私を受け入れてくれた。私がレースモデルとして入所した経緯についても理解してくれている(むしろ私の採用にも関わっていた)し、多少のお世辞は含んではいるだろうがレースモデルの才能があるまで言ってくれたのだ。

 

自分が一人のレースモデル(社会人)として受け入れられていることを嬉しく思う一方でおばさん(トレーナー)の元で指導を受けた1年を思い出し、少しばかりの寂しさも覚えていた。

 


 


 

「おはようございます!トウカイテイオー役を務めます、クレノフォーエバーです!よろしくおねがいします!」

 

撮影現場に入る。私の挨拶に対して返ってきた声は昨日よりは少ない。先んじて現場入りした多くのレースモデルはすでにメイクに移っているからだ。

 

 

 

『ん…まめで(元気で)よろしい。クレノは今日が初現場やっけ(だっけ)?』

「は、はい!パーマーさんとの試験のお陰で、あの時よりは緊張はないんですけどやっぱり怖いですね」

あんときゃあ(あの時は)スタート前ガッチガチやったけんなあ(だったからな)…。ま、今くらいの緊張感で仕事に臨むんが一番ええと思う』

 

本業の関係で共に遅れての現場入りとなったムホウマツ先輩と共に、ウォーミングアップ…仕事前の準備運動を進めていく。

まだ日が登り切ってはいないのに、真夏の外気下での運動は想像以上に身体を火照らせる。これからシャワールームで改めて汗を流し、本格的な着付け・メイクに入ることになる。

 

『そういや昨日は"ジェンティルドンナ編"の撮影やったけど、クレノ見にきたんやっけ?』

「はい、当日バックアップ(負傷者発生の際の代理)だった先輩と一緒に客席。ただご迷惑かなと思って午前で帰らさせていただきました」

『なら、昨日ゴルシやっとるんはそんなに見とらんか… ペコが役者なんは(なのは)知っとるよな』

「はい、以前ジューン先輩と一緒に舞台見に行きました」

 

その舞台でペコ先輩が演じていたのは役名もないアンサンブル。役所の衛兵や主人公と共に走る出走者等、複数の端役(はしやく)をまとめて演じていた。

 

演目が終わった後のカーテンコールでは流石に顔が(ゆる)んでいたが、舞台上に立つ先輩に私の知っている先輩の面影は全くなかった。

勿論公演終了後の先輩はいつもの先輩だったし、舞台役者としてはあれくらい演技分けが出来ないといけないのだろう…当時はそう考えていた。

 

『昨日のペコはやかぁしかった(煩かった)。ゴールドシップさんがホンに(本当は)どういう方なんかは知らんけど、地下バ道の撮影んときは大方皆が想像するゴールドシップそんまま(そのまま)やった。…ハハ、見せちゃリたかった(見せてあげたかった)な』

 

『…舞台役者由来のプロ根性なんやと思う。うち等は正直、カメラ回ってなければ別に演技しとらんでも(しなくても)ええやろ?』

『ペコは違う。メイク終えて控室を出た瞬間から、演じる"誰か"であり続ける。勿論仕事に必要なやり取りは"ペコ"でやるけど、現場に入る時の歩き方も(たたず)まいも、普段のペコじゃあ無くなる。今後レースモデルとして生きると決めたんなら真似はせんでもええけどよう見とったがええ』

 

「…プロ根性」

 

 

 

裏では撮影スタッフによってカメラなどの設置作業が進んでいる。この時間に飛び交う掛け声はトゥインクルシリーズ出走前の控室を思い起こさせた。

初めての仕事の緊張からか無意識に耳を立て、様々な方向の音を拾おうとするなど気疲れはある。だが聞きなれた先輩の酒焼け声が心の落ち着きを取り戻させてくれた気がした。

 


 

準備運動を済ませた私は、メイクルームの簡素な張り紙の貼られた出走者用控室に移動し撮影用衣装となる勝負服に袖を通す。

今日に至るまでに何度か衣装調整を行っているので別に初めてではないのだが、スタッフに囲まれての着替えは正直今でも恥ずかしい。

 

いくら私の風貌(ふうぼう)がトウカイテイオーに似ているとは言っても、私はテイオー本人ではない。

それでも私の後ろに立つメイクスタッフたちは口々に「テイオーに似ている」「おかげでメイクが楽」と褒めてくれる。悪い気はしない。

 

テイオーを意識してはいても控えめにしていたウマミミの飾り、流星のわずかな違い。ずっと気にしていたほくろ。

それらは全て撮影という大義名分の元に全て上塗りされ、鏡の前の私は徐々に"トウカイテイオー"になっていく。

 

私がまばたきをすると、眼前のトウカイテイオーもまばたきをする。そんな当たり前の光景にもなんとなく嬉しさを覚えていた。

もうすぐ私がトウカイテイオーとしてカメラに映る。胸の奥から湧き上がる思いが、自然と口角を釣り上げさせる。

 

 

 

 

この先、"普通じゃない仕事"の人間として

生きていく覚悟はあるの?

 

 

突如、鏡の前に映るが問いを投げかける。

トウカイテイオーの勝負服に身を包んでいるはずの私は姉と同じ作業着を着ていた。

 

冷や汗が流れる。ヘアメイクの仕上げを行うスタッフが何も知らずにその汗を拭きとった。

 

 

 

一段と大きくなった心音が耳に伝わる。視線を一度手元に落とす。

 

メイクが付かないように被っているケープの端から見える青と白の袖。手袋は外しているが今の私が着ているものは作業服なはずはない。

再び鏡を見ても目の前にはトウカイテイオーへの変身を進める私とメイクスタッフが二人居るだけ。

 

今のは何なんだ。覚悟ってなんだ。こんな所まで来て私は怖気(おじけ)づいているのか。

 

 

 

覚悟はとうに決めたはずだ。だからこそ実家で家族を説得し、レーススタッフ兼任という道を選択した。

ペコ先輩の元で試験をする前ならいざ知らず、もう後戻りなんてできるはずはない。控室を出れば先輩方と撮影スタッフが私を待っているんだ。

 

 

 

覚悟したから今この場にいるんじゃないか。

そもそも、テイオーになることは私の憧れだったんじゃないのか。

 


 

遠くにノックの音が聞こえる。自問自答を繰り返していた私は、メイクスタッフの返答で我に返る。

ノックの相手は別室でメイクを行っていたマツ先輩のようだ。うっすらとジューン先輩の声も聞こえる。

 

「は、はい!メイクもう終わりますので入って大丈夫です!」

『ほんな邪魔するけー』

 

頭の中の煩悶(はんもん)を必死に振り払い、平静を装う。

そうだ。私はトウカイテイオーなんだ。今から夢を叶えるんだ。

 

 

 

挨拶の為に椅子から立ち上がる。

 

その瞬間、なにかが首筋を(つた)う。

私の中の意識はその何か… 冷や汗に一瞬意識が向いてしまい、少しよろめく。

 

 

 

『…おいおい、そんな意気込みすぎて掛からんでもええて』

「す、すみませ… 練習とかスチル撮影の時はこんなことなかったんですけど、結構緊張してますね…」

 

ムホウマツ先輩は既にナイスネイチャ役としての準備を終えていた。履きなれてなさそうなブーツで(あわ)てて私の元に駆け寄る。

 

先輩とメイクスタッフの小さな笑い声が響いた後、しばしの沈黙。

 

 

 

『…すんません、メイクの方。ちょっと外出てもらっとって(貰って)いいですか?』

『ジューン、監督に遅れるって言うてきて。その後ペコをここに呼んどって欲しい』

 

 

 

椅子から再び立ち上がるが、その際に初めて自分の膝が震えていることに気付いた。

そしてムホウマツ先輩はその震えを見逃すような人ではなかった。

 


 


 

『怖いか』

ブーツの装飾が細かく揺れ続ける。

 

「…なんでか分からないんです。ちゃんとこの日に対する覚悟もして、今日に臨んできたはずなんです」

「でも、震えが止まらないんです」

 

一度震えを意識してしまったのが悪かったのだろう、脚の震えは収まることを知らず、さらには指先すら震えるようになった。

…この状態ではとても出走できるとは思えない。

 

『わかっとる。試験の時のように、走ることを怖がっとるわけじゃないんは判る』

 

 

 

先輩は決して怒っているわけではない。

ただそれでも撮影を止めてしまうかもという罪悪感からか冷や汗はとめどなく流れ、いつしか顔が火照るような感触すら湧いて来た。

 

呼吸を落ち着かせながら必死に思考を整理する。

理由の根本は判っている。あの夢だ。

 

昨日参加したジェンティルドンナ編の撮影見学を思い出す。

数センチ差に渡る着順を完璧に再現した先輩達。

それを見て私はどう思った?

 

"私も早くこんな仕事がしたい" "こんな風に走りたい"。確かにそうは思った。

憧れのトウカイテイオー役として撮影ができる。それに先輩やいろんな人の気持ちに報いたい。

その気持ち自体に偽りはない。

 

じゃあ、夢の中の姉が私に吐き捨てた「"普通じゃない仕事"の人間として生きていく覚悟」という言葉は何なんだ。

ひょっとして、心の奥底ではその覚悟が(わず)かにでも揺らいでしまったんじゃないか。

 

 

 

夢の内容をさかのぼる。

 

ぼんやりとした記憶の中、ゲートが開く前に目にした文字は"未勝利戦"。

それは私にとってある種の呪いである、5年以上かけても突破することのできなかった関門。

 

私は半年前の未勝利戦から何ら進歩していない。未知の挑戦に対して一歩を踏み出すことすら怖いのか。

成功体験が無いばかりにこんなことになるなら、どうすれば良いのか。

 

 

 

『…クレノには少々残酷な事言うかも知らんけど、今日の撮影メンバーはクレノ、他にもジューンみたいな比較的経験浅い子が混じっとるのは判るやろ?』

『それは演者のレースモデルだけやなくて撮影陣も変わらんで、要は今日は"若手を育てる日"っつうことになっとる。まあこういうこと言っても(なぐさ)めにならんとは思うちょるけど、いくらデカい初仕事言うてもあんまり気負わんでええ。それに万一の場合はクレノの代わりにバックアップの子も控えとる』

 

『やから今、"私のせいで撮影が台無しになる"みたいなことは考えんでええ。時間は取ってもらうけ、まずはしっかり呼吸落ち着かせな』

 

 

 

先輩の(なぐさ)めを理解はしながらも、それ以上に申し訳ないという気持ちで頭が回らない。

レースモデルになるまでいろんな人に便宜(べんぎ)を図ってもらったのに、結局初仕事で足踏みする理由がこれなのか。

 

 

 

心根を落ち着かせようとしても、ネガティブな考えばかりが頭を巡る。

 

未勝利戦。負け。今日見たばかりの夢。

 

迷惑。私を助けてくれた先輩達。

 

脚の震え。■罪。仕事。■■。将来設計。

 

迷惑。■惑。謝罪。■■。■■■謝■────

 

 

 

───堂々巡りになる思考を、乾いたノックの音が一瞬かき消した。

 

 

 

 

『…ペコか。後は先輩のアンタの方が話し相手としてええやろ、任した』

 

ドアが開く前に、(ほお)を伝う涙を(ぬぐ)う。極力余計な心配を掛けさせたくはなかった。

 


 

ムホウマツ先輩と入れ違いに入ってくるはずのペコ先輩が入室してくる様子はなく、しばらく控室は無音状態にあった。

涙をぬぐい切りティッシュ類をゴミ箱に隠し終わってもドアノブは動かない。再び不安の感情が渦巻き始めた頃…再びノックの音が鳴る。

 

 

 

『…"失礼するよ"

ドアノブが回り、聴きなれない声と共に一人のウマ娘が此方に向かってくる。

 

 

 

 

 

櫛が通るほどに流れる芦毛(あしげ)の長髪は影も形もなく、体格の大きさを強調するようなボリュームのあるパーマ。

バスト・ヒップは補正によって見知った先輩の姿より明らかに盛られ、当日共に走る先輩達の誰よりも大きく見える。

 

普段の世話を焼いてくれた先輩はそこに居ない。まもなく行われるはずだった撮影に向け、自分の役割を(まっと)うすることを考えていた役者がそこにいた。

 

「ビワハヤヒデ…さん」

 

 

 

『…"私は役に入り込む性分でね、スイッチを切り替えるのに少しばかり時間を頂こうか"

 

作ったような声には、かすかにペコ先輩の雰囲気が残っていた。

 

*1
労働基準法では18歳未満の年少者は深夜10時~翌朝5時までの労働が禁止されている。クレノの年齢は同法が定める年少者に当てはまらないが、トレセンに類する教育機関に属する学生という事で深夜就業を自粛させている。

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