未勝利ウマ娘の就職・仮初の有馬記念   作:兄萬亭楽丸

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8月下旬・小倉レース場 未勝利戦

 

ある月曜日。モデル事務所での研修続きだった私に久々の長期休暇が与えられた。

久々にトレセンで昼食を取れることに胸を躍らせながらカフェテリアに向かうが、昼休みにしては普段より静かに感じられる。

一部の生徒が夏合宿に向かっている為、純粋に学園を行き交う生徒が少ないためだろう。

 

 

 

『クレノじゃん、今日はお仕事ないの?』

「今週いっぱいは休み。マーサとオコシこそ、こんな時間まで昼食べてて大丈夫?」

『おばさんからクラシック級の生徒は本日全休とお話しいただいてます。私達はお手すきなので宿題を片付けようと…』

 

私達のように、チームを統括するトレーナーの方針で合宿に向かわない生徒は珍しいわけではない。理由の一つは夏の開催地が関東を遠く離れるため、合宿所で指導をしながら毎週のようにレース場を行き交うことが事実上困難なためだろう。

トゥインクルシリーズの1勝自体が狭き門である以上、未勝利級の子は何処にでもいる。必然的に合宿に向かう生徒は専属トレーナーの元で指導を受けている子や、複数のサブトレーナーを抱えるような大型チーム所属の子が殆どになる。

 

『それに今日から説明会じゃん?転属で話付いてるのワダツミくらいだし、みんな就活にシフトしはじめてるんじゃないかな』

 

もう一つの理由。当チームのメンバーは未勝利戦打ち切りの場合、地方レース場への転属はせずそのまま退学を決めている子が大多数だ。だがたとえ勝てなかったとしても、数年にわたって学業と並行して厳しいトレーニングやダンス練習をこなし続けた生徒たちをトレセン学園が見捨てる道理はない。

この時期は授業で使われなくなった教室を使い、秋以降の退学を決めたウマ娘を対象に進学・就職のサポートを行っているのだ。

 

ウマ娘本人からしても、トレセン主催の説明会に参加するメリットは多い。トレセン学園出身というだけで素行や身体能力に一定の保証が生まれるため、様々な種の学校や企業団体が門戸(もんこ)を開いてくれるのである。

それこそ説明会には農産学校を始めとしたURA関連の企業、各地方での消防・警察や国防のお仕事といった、素人目からすれば威厳のありそうな団体名が名を連ねる。

慣れ親しんだトレセン周辺を離れる点を除けば、待遇は相当良いだろう。

 


 

『企業説明会さ、丁度去年の今頃(のぞ)きに行ったんだよね。正直自分が未勝利抜けられるって思ってなかったから予習も兼ねて』

人波が去ったところで、マーサが周囲を気遣い大人しめに口を開く。私達は近くの席に誰も居ないことを簡単に確認し、耳をそばだてた。

 

『参加者は… まあ、結構いたよ。私達の先輩も何人か参加してた』

『でさ。私達のチームみたいな、言うのは悪いけど勝つこと前提じゃない面々はある程度腹を()えてるじゃん? …たぶん新人トレーナーなんだろうけど、トレーナー付添いで説明会に参加してた先輩が何人かいてさ…』

 


 

とある地方農業学校の説明会。会場の教室後方で開会を待つマーサのさらに後ろに座った一人のウマ娘が居た。

彼女に付き添っていたトレーナーと(おぼ)しき人物は松葉杖を預かり、ぎこちなく肩に背負いながら廊下で待機する。

松葉杖を運び慣れてない様子からおそらくはごく最近怪我に見舞われ、それがきっかけで退学を考えたのだろうな… そう推測した。

 

説明会が始まってしばらくして。遠くから小さく鼻水を(すす)る音が聞こえる。

耳を澄ませると、その音の主は松葉杖を抱えたさっきのトレーナーだとわかった。

悪いと分かっていながらも、眼前で行われる業界の説明をメモに取りつつそのまま廊下方面に聴覚を集中させると、トレーナーのすすり泣きが、うっすらと聞こえた。

 

一瞬なぜ泣いているのか理解が出来なかったが、続いて真後ろに座る子の事を思い出し、顔が曇る。

すすり泣きの理由を理解した途端背中に重いモノがのしかかったような感覚になり、もうそれからは後ろを振り向くことが出来なくなった。

 

 

 

廊下の外で松葉杖を抱えるトレーナーに限らず、廊下で担当ウマ娘を待つトレーナーの多くは担当ウマ娘を勝たせることが出来なかったためにこの場に居る。

 

たった一度きりの青春を託してくれた担当ウマ娘を勝たせるほどの力がなかった。その結果今目の前で、担当ウマ娘との緩やかな別れという形で見せつけられている。

担当ウマ娘に対する罪悪感、担当の就職活動への不安、自分への怒り… そうした感情がまぜこぜになった重い感情を、ずっと背中に感じ続けていた。

 


 

『…居た(たま)れなくなってさ、資料も取らずに退室しちゃった』

 

マーサは反り返り天井を遠くに眺める。カフェテリアにいる生徒はもう私たちしかいない。

食べ終わったプレートを運びながら、三人ともおばさん(トレーナー)のことを思い返す。

 

「おばさんってすごいよね。私が辞めるって時も、カチーフが辞める話した時も、眉一つ動かさずにそのまま手続き始めてた」

『…二十年近くもトレーナー業を続ければ、今のおばさんのようになれるのでしょうか』

『毎年私達みたいな落ちこぼれの面倒見てるだろうしなあ…』

 

三人とも悪意はなかった。現に皆はおばさんと契約したからこの場に居る。

 

マーサの話を聞いて改めて思えば、おばさんは担当がトゥインクルシリーズを去ることに対してすっかり慣れきってるフシがある。

決して酷薄(こくはく)な人物ではないはずだが、担当一人が引退する度に先ほどの話のような思いを抱えていてはとても今の仕事はできないとは思う。

 

…今私達に対してある程度割り切った対応をできるようになるまでに、何十・何百の別れを経験したのだろうか。

考えを進めるうちに、何か途方もない心の奥底にたどり着くような気がして …考えることを止めた。

 

 

 

しばらく言葉を交わすうちに皆同じ考えに至ってしまったのか、無言のままカフェテリアを後にした。

 


 


 

『こうやって出走表に自分の名前が載るのも最後かねー…』

「…あれ?ワダって浦和に転属するんだっけ?未勝利突破したらどうするの?」

『あー。あれ、断った。このレースっきりでアタシは引退』

 

 

 

久々にレーススタッフとして出走に帯同することが出来たのは8月最終週…夏の小倉レース場最終開催日。

小倉に向かう隣の座席に座るのはチームメンバーの一人であるモンスターワダツミであり、彼女が当チーム最後のクラシック級未勝利戦出走者だ。

 

8月後半には、チームメンバーの多くは出走を取りやめるようになる。規定により出走が制限される問題*1もあるが、チーム加入の時点である程度自分の競走能力に見切りを付けている子が殆どという事情もあるだろう。

それに、私やハッピーカチーフのように限界まであがく前に心が折れ、早々に次の道を探す子も居る。そういった一方でワダツミがこの時期まで走り続けていたのは、地方レース場への転属を検討していた事情による。

 

『月アタマの台風でアタシの地元こっぴどくやられて、実家はまだマシだったけど避難所生活してる知り合いとか大勢いてさ』

『まだ未練はあるけどさ、今できることと言ったら家業継いで復興手伝うしかないよなって。…2つ3つ勝ってるならまだ決断は違っただろうけどね』

 

彼女は未勝利クラスばかりの同期の中では比較的善戦している方だ。春からは3走連続で掲示板圏内を確保していることもあって、フルゲートで多数ひしめく中での4番人気。

今年勝ち上がった同期はオコシとマーサ二人しか居らず、残りのほとんどが競走の世界を去ることを決めている。

 

たった一年でも共に練習した仲間が一人でも多く現役を続けてほしいという気持ちはあった。流石に二人には敵わないとはいっても、もう少し続ければ勝つことはできるんじゃないか… そういう期待の気持ちを抱いていた。

 

 

 

「そっか… 仕方ない、よね」

…ただ、その気持ちを口に出すことはできなかった。事情が事情故にこの決断に至る理由もわかるし、私が口を挟む理由もない。

 

会話が止まり、お互い()()()()()スマホを弄り始める。私達を運ぶ車体の轟音だけが響いていた。

 


 


 

レース当日。関係者入口での手続きを始めた頃には、丁度第1レース"クラシック級未勝利戦"が始まろうとしていたところだった。

 

控室入場までの時間、関係者に解放されている広間のモニターでレースを見守る。その中にはデビュー間もないジュニア級や他出走者の付き添いも当然いる。

その中に、レースの顛末を祈るように見守るウマ娘を見た。同行しているワダツミも気になったのか、椅子に座ってからも彼女を遠巻きに見守る。

 

 

 

──決着が着いた。彼女の落胆ぶりから、応援していた子が敗北したことは嫌でも判る。

 

 

 

しばらくして、戻って来た出走者達の足音を耳に感じた。皆足取りが重い。今日を最後のチャンスにしていた子も居たようで、そこかしこから泣きべそも聞こえる。

 

私達は悪いこととはわかっていても、脇目で戻ってきた子の様子を見守っていた。

トレーナーに()びる子。逆に頭を下げるトレーナー。行き場のない思いをぶつける子…

様々なやり取りを遠巻きに眺め、ワダツミと顔を見合わせながら、どのように形容していいか分からない感情を少ない言葉で共有する他なかった。

 

レース終了後はゼッケンの返却や控室の引き払い等、トレーナーが行わなければならない手続きが幾らかある。ただ今この時間にあっては、トレーナーやチームメンバーがそういった手続きを進めている様子はない。事務手続きを進めるレース場のスタッフも、気を遣って対応しているように感じた。

 

 

 

突然の音に耳を絞る。控室のどこからか、金属──おそらくは蹄鉄の力強い落下音が響いた。

 

『…クレノさんも蹄鉄の取り扱いは特に気を付けてください』

控室の案内を受けたおばさんが戻ってきた。普段と全く変わらない姿がいつもより頼もしく見えた。

 


 

"重賞・G1と比べるのは酷だが、今の時期はクラシック級未勝利戦が面白い"

 

トゥインクルシリーズを長らく応援する好事家(こうずか)はこういったことをよく口にする。

それに出走する当事者からすれば失礼な話だが、この発言は実際的を得ている。

 

当然ながらどのレースであっても1着を狙うのは当たり前ではあるのだが、例えばメイクデビューであればレース内容が悪くても「仕掛けの位置を変える等、作戦を変更する」「距離等を変え、適性のあるコースを模索する」…と、内容を(もと)に次戦につなげることが出来るだろう。

一方で今日のレースは"次戦につなげる"なんてことは言ってられない。1着を取ることしか許されず、負けは実質的な挑戦の終了を意味する。

 

重賞レースのように出走者取材を受けることも少ない為他走者の情報も得辛いが、1年近く経てば同じ未勝利級のライバル間でも能力格差はある程度分かってくる。

だからこそ一か八かの戦術が功を奏したりするし、それに泣かされる子も出てくる。

 

好事家が未勝利戦に見ているのは、単純な能力や技術を比べる事ではなく各出走者の葛藤(かっとう)奮起(ふんき)… 心根の部分なのだろう。

 

 

 

第4レース・クラシック級未勝利戦の出走メンバーがそれぞれ控室に通される。

私は広間の緊迫した空気から逃れることが出来た安堵から、小さくため息をついた。

 


 

『…おばさん、アタシ、出る意味あるんでしょうか』

 

着替えを終えたワダツミは名残惜しそうにゼッケンを手に取り、圧着された文字部分を(もてあそ)ぶ。

 

『…続けて』

 

『あんま弱気な事言っても仕方ないと思うんですけど… アタシ以外はみんな、勝ってトゥインクルシリーズに残る為に死に物狂いでレースに来たんですよね』

『仮に勝っても、今後走る意思が無い状態でこの場に居る事は… 失礼だったりしないんでしょうか』

 

今回ワダツミにとってはあくまで心に()()()をつけるための出走であり、勝っても負けても次の無いレース。一方、出走表に名を連ねるライバルたちはトレーナーと共に走り続けることが出来るかの瀬戸際。

自分以外が勝てば秋以降"1勝クラス"で引き続き走れる権利をワダツミは放棄することが決まっている。ライバルが血眼になって欲しがるこの権利を懸けたこのレースに出る意味は確かに無いかもしれない。

負けるのが怖いのもあるだろう。ただそれ以上に、レースに出る以上は誰か十余人余りの夢が断たれるという避けられない事実から目を(そむ)けたいようにも見えた。

 

 

 

しばらく、沈黙が続いた。

 

 

 

『全力で挑んでダメだった事よりも、挑むチャンスすら与えられずに学園を去ることの方が、はるかに辛いことです』

『貴女も、他の出走者も同じです。皆が欠けることなく全力を出し尽くすからこそ、トゥインクルシリーズが美しく映るのだと思っています』

 

おばさんはそれ以上何も語らずワダツミを送り出した。

ワダツミは何度も私達の居る関係者席を気にしながら、ゆっくりとゲートに向かった。

 


 


 

小倉第4レース。芝1800メートル・クラシック級未勝利戦。レース自体はあまりにもあっけない結果に終わる。

 

逃げる2番人気が大きく先行し集団を引き連れるような形になるも、素質の差があるのか後続が中々差を縮められない。

コーナーに入ってからも差は縮まれどリードを維持していたが、最後まで脚を溜めた1番人気が最後の10メートル余りで差し切って、人気通りの着順決着。

1番人気を終始マークし続けたワダツミも3着と健闘したが、着差自体は大敗と言っていい。

 

 

 

ワダツミは走り切った後しばらく立ち止まっていたが、係員に(うなが)されてようやくコースを後にした。

何かアクシデントでもあったのかと心配したが、足取りは普段と変わらない。

 

彼女にとって最後のレースと分かり切っているおばさんも、レース後の対応自体は変わっていない。

足下を診て特に異常が無いことを確認すると、私を連れたままゆっくりと控室に脚を進めた。

 

 

 

『レースはどうでしたか』『…』

 

ワダツミが顔を合わせたがらないのを見越していたかのようにおばさんは靴の手入れを始める。

工具箱を取り出し、シューズに装着していた蹄鉄を丁寧に()がす。声色(こわいろ)所作(しょさ)も、普段のおばさんと全く変わらない。

 

別に険悪な空気ではないのだが、三者それぞれが顔を合わせず別の方向を見ている現状に少し胸を痛めた。

 

 

 

『分かってるんですよ。勝てなかったから極論無駄なことだって。でも、"もう二度と走ることはないんだ"って思うと、どうしようもない気持ちになってくるんです』

『見慣れたパドック、見慣れたゲート、見慣れたゴール板…。もうこの当たり前の風景を出走者として二度と見れないって事実が、たまらなく辛くて』

 

『もっと走りたかったんですよ、おばさんにも何も恩返しできてなくて、それなのに…』

 

まもなくワダツミの瞳から涙がこぼれ、そのまま押し殺しきれない嗚咽(おえつ)が静かな控室に響いた。

 

 

 

『…クレノさんもそうですが、私はワダツミさんに何も与えることが出来ませんでした。私本人の能力を超える多すぎるチームメンバーを抱え、それ故に貴女達を勝たせるためのサポートも決して満足いくものではないでしょう。何も与えられなかったトレーナー相手に、貴女達が負い目を感じることは無いと思っています』

『トレーナーの私にできる恩返しと言えば… 真っ当に社会に巣立っていくことくらいです』

 

そう語りながら、おばさんは新たに蹄鉄を付け替え始めた。…ワダツミがもう二度と履くことのないはずのレース用シューズに。

 

『…これは私の我儘(わがまま)なのだけど、またいつかこの靴を履いてあげて欲しいの』

『トレセン学園を去る以上、確かにレース場で走ることは叶わなくなります。でも貴女達ウマ娘の人生がここで終わるわけではない、ワダツミさんのように故郷に帰っても、クレノさんのように仕事に就いても、脚がある限り走ることはできるはずですから』

 

私とワダツミは(いぶか)しげに作業を見守る。ワダツミが涙を拭き終え落ち着くより早く金具を打ち付け、あっという間に装蹄を終えた。

つい数十分前走ったばかりの一足は多少()()()()てはいるが汚れが取り払われ、靴底の蹄鉄は真新しい光沢に包まれている。

 

 

 

以前の食堂での会話を思い返したが、考えを改めた。

おばさんは別れに慣れきっている訳ではないし、むしろどうしようもなく担当に対して未練を残している。

だからこそ私のレースモデルへの就職に付き従ってくれたし、何年も前に卒業したペコ先輩の援助を断れずに長年交流を続けていた。就職支援に積極的なのも、心のどこかでは担当を勝たせられなかった罪悪感をどこかで挽回(ばんかい)したい思いがあるのではないかと思った。

 

おばさんは聖人君子ではない。私達と何ら変わりない、ただの指導者に過ぎない。

 

 

 

『…走ることをずっと好きでい続けてください』

 

それでもこの言葉はトレーナーの嘘偽りない本心なのだと、思わずにはいられなかった。

 

 

 

*1
1着の子より一定の秒数以上遅れての入線・若しくは連続して一定の着順以下でレースを終えた場合、URAより2か月の出走制限を受ける。勝ち目の薄い状態で頻繁(ひんぱん)に出走し、他未勝利ウマ娘の出走枠を奪うことを避けるための制度。







現状、エピローグ執筆(残2話を予定)と並行して同人誌作業に掛かっております。
こちらで掲載している本編完結の折には即売会での頒布がお知らせできるよう頑張ります。


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