9月も半ばを過ぎ、レーシングプログラムからは"クラシック級未勝利戦"の文字が消えた。
結果的にチーム"マミヤ"の同期で勝ち星を挙げたのはミラクルオコシヤス・マーサーアーツの二人だけで、同輩の大多数は未勝利戦の壁を突破することは敵わなかった。
同輩達は就職活動や転学手続きを進めているし、既に次の進路を見つけトレセンを去った子も居る。
週次ミーティングに参加するメンバーの減りようにふと気づき、寂しさにため息が零れた。
…世間は私達落ちこぼれの事など
ダービーウマ娘・ライデングリズリーをはじめとするクラシック戦線で戦ったライバルたちが秋のG1戦線の目標設定を進める中、オコシとおばさんは秋の大目標を"菊花賞"に設定。
また、8月には調整を兼ね小倉日経オープン*1に出走。本人の得意距離ではない上シニア級ウマ娘との初対決だったが、最終的には3着と健闘した。
9月開催のトライアルレースである"神戸新聞杯"は5着に終わるも、オコシの菊花賞出走はほぼ確実なものとなった。出走権争いで優先される重賞・G1級ウマ娘の多くが秋の天皇賞や海外のレースに流れたこともあり、若駒ステークス含む3勝のオコシが出走枠に入るには十分すぎる余裕があったためだ。
金曜日・午後の東京駅。
トゥインクルシリーズの正常な運営の為、トレセン近隣の東京・中山レース場以外のレースに挑む出走者・関係者は前日までにレース場近隣のホテル等に宿泊することが定められている。
土日に出走を控えるウマ娘・トレーナーの集団がキャリーケースを携え乗車口の一角にたむろする様子は、金曜日の光景としては非常にありふれたものだ。
『おばさん、向こうの天気よくないみたいですけど大丈夫ですか?』
『現地は長雨が続いているようですが傘を買う程でもないでしょう。それより、土曜のバ場がどうなるかですね』
新幹線の到着を待つのは菊花賞に出走するオコシとおばさん。そして2勝クラスのレース"
私は行列には加わらず、後輩から差し出された空のペットボトルを集めてゴミ箱に向かう。再び行列に向かう所で、到着のアナウンスが鳴った。
私はというと、同日にモデル事務所からアシスタントの仕事を振られたため同行を諦めざるを得なくなった。
アシスタントといっても特段大それたことをするわけではない。仕事の半分は荷物持ちで、事務所側がお情けで用意してくれたような仕事である。
おばさん達には申し訳ない気持ちはあるが、給金の発生する立派な務めであることは確か。レースモデル兼任として生きていくことを決めた以上は慣れていくしかないのだろう。
『それじゃあクレノさん、ペコ先輩によろしく』
「は、はい!明日はたぶん会えないですけど、レース見てますから!」
…ホームのはるか遠くに消えていく新幹線を見送ったところで、見計らったように待合室からペコ先輩が姿を現す。
(私やおばさんだけならともかく、自分の事を知らない後輩も多数いる集団の前で姿を見せたくなかったようだ)
久々の再会を控え目に喜び、慣れないコーヒーを飲みながら新幹線の到着を待った。
『クレノと顔合わせるのは中山での撮影以来かな、お仕事楽しい?』
「いや、楽しいというかなんというか… 例の撮影が終わって以来全く仕事こなくて、ここ3カ月ずっと事務所で研修続きなのでひたすら地味だなぁって…」
『…クレノはそういう研修とか全く先送りで初仕事せざるを得なかったんだから仕方ないわね』
おばさん達の乗った便から約30分遅れで、私達は同じ行き先に向かう。
京都レース場の告知ポスターの隅には、"PR大使・スマイルペコ 菊花賞直前トークショー"の文字が踊っていた。
京都に着いた私達は諸連絡を終えると、ホテル内で明日の打ち合わせを始める。トークショー内で菊花賞の簡単な予想会を行う為である。
二人で止まるには少し手狭な客室。テーブルの上は先輩が持ち込んだノートと資料で占拠されてしまったので、私は居場所なさげにベッドに腰かけた。
私がアシスタントとして呼ばれた理由はコネや情も無論あるが、予想会で話す内容をまとめるための話相手という役割が大きかったようだ。
当然、事務所内で現在トレセンに容易に出入りできるのは私だけである。オコシを含む出走メンバーの何人かと顔見知りなこともあり、トークのネタ出しにはある程度貢献できた。
だがいくらトークの話題があっても、それを限られた時間内に出せるかどうかは別の話。
また主題はレース予想なので勝つと予想する子に話を絞る必要もあるし、他のゲストが予想する子との兼ね合いもある。
『まあ普通にいけば
出走表には先輩が大量のメモ書きを走らせている。うわごとのように度々口にする「5人」の名前の横には、どう序列をつけるか現在進行形で苦心している様子が垣間見える。
人気を集めるのはダービーウマ娘ライデングリズリーと、"皐月賞"2着のバルベルデ。ダービーでも対決したエルムクルーガーとリズムアンドポリスはそれぞれ前哨戦を勝ったし、夏の"ラジオNIKKEI杯"を圧勝したラプタージブリールもいる。
これら重賞タイトルを手にしている子と他の評価ははっきりしている。オコシこそまだ一桁人気に留まっているが、これはリステッド競走勝ちウマという格付けが出来ている為に"オコシですらそういう位置に収まる"といった表現が正しいのだと思う。
週末出走する18名のうち、3勝クラス以下に在籍する子が半分を占めている。同世代で一線級に立つウマ娘の多くは、未知の距離・3000メートルを避けることを選択したのだ。
「…オコシが予想の対象になることはあるんですか」
『同門のよしみで紹介はするし、向こうもそれを期待しているみたい。皐月やダービーよりは力関係が上になったし勝つとしたらここ…おそらく、おばさんやオコシさん本人もそう思ってるはず』
『それでも私は、オコシさんが勝てる理由を論理立てて説明できる自信はない』
現代のトゥインクルシリーズを走る一流どころは出走数を制限し、大一番に備える傾向がある。出走資格が得られている以上、必要以上に出走する事による万一のリスクを避けるのが狙いだ。
例えばダービーウマ娘のグリズリー。彼女の陣営はダービー後十分に休養を取りブランク明けの調整として"神戸新聞杯"に出走した。調整目的の出走として無理に勝ちにはいかなかった為、肉体の消耗は殆どないと見ていい。
一方オコシは次戦"菊花賞"をもって通算12戦目になるが、メイクデビューが昨年8月だったので、約1か月に一度出走している計算となる。
菊花賞に出走する事だけでいえば1月の"若駒ステークス"勝利でレーティングは既に足りているので、夏の小倉や"神戸新聞杯"に出走する必要は無かったとも言えるが、これはトレーナーとして提供できる練習の質が低い為、実戦を重ねることで経験を積ませるチーム"マミヤ"の方針に依るものだ。
…だが世間はこの異常な出走数を、不安要素として評価する。実戦勘に対する評価や精神面の成長より、休養期間を置かず出走する事に対する消耗を重く見るためである。
『おばさんやオコシさんが無理をしてないのは承知の上だし、出走ペースを抑えて大一番に挑むやり方では勝てないことも分かってる。そこを実戦経験で補う考えは理解してるけどそれ以上の考えを言語化できる自信はないし、おばさん本人もできないと思う』
先輩の言葉は私達に最大限配慮してくれているが、レース誌が下している事前評価と変わりない。やはり、ひいき目に見てもオコシの勝ちは難しいのだろう。
オコシがG1級のメンバーに届かない理由はいわばエンジンの差。位置取りやペースを掴むための道中の争いは見劣りしないが、そういったことを考えなくていい全力疾走のスピードでは大きく劣っている。一線級のウマ娘を10で例えるとオコシは…ひいき目に見ても7.5程だろう。
私がしばらく口をつぐんだのが悪かったのか先輩はしばらくペンの動きを止め、会話のない時間が続いた。…しばらくして、先輩が思い出したように口を開く。
『あとクレノには一つ聞きたいことがあったの。…オコシさんと同じ日に出走するマーサーアーツさんの事で』
マーサはダービー開催日のクラシック級未勝利戦で初勝利、夏の小倉・1勝クラスでも引き続き勝利を挙げている。
オコシの陰に隠れてはいるが、クラシック級で2勝を挙げたというだけでトレセン学園全体の一割に入る出世頭である。
『私が知ってる限り、勝ちレースの東京未勝利戦はダート
『マーサさんがいつまでトゥインクルシリーズに居続けるかは分からないけど別々のレース場で勝てたのは良いことだと思う。いろんなレース場で勝てるに越した事はないと思うから』
『で、今週末は二か月開けての2勝クラス初挑戦。でも出走するのは"清滝特別"…芝・2200m』
『出走登録は今もおばさんの主導だろうし、マーサさんがいきなり芝に転向するのは早急…だと思う。私はおばさんが何らかの意思を持ってオコシさんが出走する今日に予定を合わせたようにしか見えないのよ』
URA公式サイトには、すでに明日・明後日のレースプログラムが公開されている。京都レース場のメインレース、"菊花賞"は日曜第11レースの開催だ。
そしてマーサが出走するのは日曜第9レースの"清滝特別"。芝2200メートル。
素人目線ではこれまでの出走傾向からすれば到底選択肢に上がらないレースだろうし、一週間待てば彼女が本来得意とする条件のレースが用意されている。
一応、マーサにはオコシの練習パートナーとしての役割もある。ただ京都まで同行するのであれば必ずしも出走する必要は無いし、最終12レースに行われる3勝クラス…ダート1400メートルの競走に格上挑戦という形で登録する手もあった*2。
そういった様々な手があって尚、おばさんはこの選択肢を取った。
「私がダービーの前、オコシさんの練習に付き合ってたのは知ってると思います」
「ダービー後は撮影とかで練習を開けることが多くなったんで、マーサにオコシの練習パートナーを任せてたんです。で、自然とマーサも同じように心肺能力を鍛えるメニューが増えたんです」
「おばさんもメイクデビューから一年経てば、長い距離での力の抜きどころを学ぶものと言ってました。だから距離を延ばすこと自体は理にかなってるんだと思います」
『じゃあ。菊を走るオコシさんの練習にずっと付き合ってるのに、マーサさんはどうして"菊花賞"に出なかったと思う?』
「…あ」
今年の菊花賞は条件クラスの子が出走できる程度には枠に余裕があった。
同じ2勝クラスのウマ娘との出走枠抽選にはなるが、おばさんはその気になればマーサを菊花賞に出走させることすら可能だったのだ。
菊花賞に出られるかもしれない。仮にマーサがそういう話を振られたら彼女はどう答えを返すだろうか。
実力を考えればオコシ以上に厳しい。それでも一生に一度しか出られない栄光のレースに参加したい気持ちがないわけではない筈だ。
一方、皐月・ダービーで"勝てるかもしれない"という思いを打ち砕かれた仲間の様子を眼前で見てもいる。
負けて心に来るなんらかの辛さを理由に出走を回避したとしてもおかしくはないし、普段現実的な路線を選ぶおばさんも無理強いをしないだろう。
『マーサさんはダービー前まで未勝利だったから、クラシックの追加登録*3をやらないといけないはず。でもそんな理由で出走させないようなおばさんでは無い』
先輩は再び沈黙し、言葉にならない考えをまとめ始める。
別に私が
──正確には。先輩のこういった様子はこの半年で何度も見てきたが、たった今その真意に気付いた。
…トゥインクルシリーズ時代、ダービーに大敗した先輩はおばさんに一度心を閉ざした。
普通ではないチームに拾われ、G1戦線で走ることに出来た恩がある一方、もし仮に普通のトレーナーの元で走れたら…と思ったこともあるだろう。
トレセン卒業を機に関係を切ることだってできた。それでもそうした複雑な感情と向き合いながらおばさんと関係を持ち続けてきた。
厳しい台所事情で苦労するおばさんに消耗品を支援し続けることで生徒に割ける時間を少しでも増やそうとし、思考を解釈することでおばさんが当時どのような理由で先輩本人を指導したかを考えようとしている。
おばさんを理解することでトゥインクルシリーズでの思い出に整理をつける。
先輩は不器用なりにそういう生き方を選んだのだ。
日曜日・京都レース場。
長雨は収まったとは言い切れず、場内のアスファルトには所々水たまりが見える。
──それでは只今より、G1・菊花賞直前トークショーの方を始めさせていただきます!
『皆さんこんにちは、京都レース場広報大使のスマイルペコです!よろしくお願いしまーす!』
トークショーが始まった。昼も過ぎたところでようやく雲行きは回復の兆しを見せ、外を行き交う傘の花も無くなり始めていた。
ホテルで悩みに悩み続けた昨日からは考えられない程快活な姿を見せるペコ先輩を遠くに眺め、私は人前で仕事をすることの凄さを改めて思い知らされていた。
私に本日与えられた役割は、ステージ脇に控えホワイトボードや小道具類の移動・撤収を手伝う仕事。
ホワイトボードを設置して舞台脇に下がる一瞬、ふとホワイトボードに反射して映る自分の耳がピンと張り続けていたことに気付く。
テイオーの仕事は今後多くの人に見られるものだとは言え、あの時は観客が一切ない中での撮影。
よく思えば人前に出たのは今日この瞬間が初めてだったことに気付き、少しペコ先輩に近づいた感慨が湧いて来た。
──それでは最後に、スマイルペコさんにはまもなく行われる京都第9レース・2勝クラス"鳴滝特別"の展開予想をしていただきましょう!
『そうですねー、前走阪神で2着3着に入った二人が抜けていると思います。ただその二人がどちらも極端な枠に入ってしまったので…』
私の中に芽生えた小さな感動も世界は別に留め置くことはなく、トークショーは着々と進んでいった。
直前に京都レース場のバ場状態が重から稍重に変わったこともあり、9レースの予想は他の登壇者も頭を悩ませているようだ。
『9番マーサーアーツがオコシヤスさんと同じようにチームの後輩なので推したいですが、いきなりの距離延長なのでどこまで… 評価していいか悩みますね』
珍しく語りが淀んだ先輩が見つめていたパドック画面の向こうでは、丁度マーサの蹄鉄が外れていたところだ。
パドックで蹄鉄が外れるのは珍しいが誰かが怪我をしたわけでもないので、場は淡々と進行する。後方に控えていたおばさんに外れた蹄鉄を渡し、一礼して壇上を降りた。
予想イベントを終えたが先輩の仕事はまだ終わっていない。休憩もそこそこにメインレース・菊花賞の表彰式に出席するための簡単なお色直しを行うところだ。
二人きりの控室。手際よく目元の手直しを行っているが、耳は忙しなく動き続けている。先輩が何らかの思案を続けていることは誰の目から見ても明らかだ。
"清滝特別"が始まった。
マーサはやや後方からのスタートになったが徐々に位置を上げ、向こう正面ではやや外目ながらも先団から5バ身程度の位置に収まることに成功。
コーナー突入直前でさらに位置を上げて先頭を視界に収め、淀の下り坂を最高速で下る。
どよめきが起こる。第三・第四コーナーの約400メートルで20メートル近い着差をマーサは縮め、一瞬先頭に踊り出た。
まさか、という所まで来たが最後の直線勝負ではじりじりとバ群に飲まれ、7,8着かどうかというところでレースを終えた。
『…クレノ』「はい」
『マーサさんも、私がオコシさんに提案した坂路を下る練習をしてるのよね』
私は首を縦に振る。
先輩は再び鏡に向き直る。昨日と似たような会話の無い時間が続いたが、忙しない耳は徐々に落ち着いてるように見えた。
『おばさんの真意がわかった気がする』
パドックでは、菊花賞に臨む18名の入場が始まろうとしていた。
皆様、大変お待たせし申し訳ありません。
予定こそ後ろ倒しになっておりますが今年度中の同人誌出版に向け、ゆっくりとではありますが歩みを進めている状態であります。
こちらでの完結の暁には即売会などでの頒布イベント報告をしたいと考えておりますので今度とも何卒心に留めていただけますと幸いです。
【挿絵表示】