私設レース場
「ペコさーん。なんでよりによって船橋法典*1で待ち合わせなんですかー。チームメンバーみんな中山で走ってるんですよー…」
『目的地がややこしい場所にあるからよ。行ったことのない駅名言われても困るでしょ』
日曜日。G3"スプリングステークス"開催日の朝。
レース場に向かう観客やトレセン生徒を遠巻きに、駅の一角でスマイルペコさんと合流する。
練習に必要なジャージやシューズ類をリュックにまとめて背負い自動販売機の脇にたたずむ私は、異常ではなくともレース開催日にここを訪れるウマ娘としては珍しく見えただろう。
「ああ、中山が遠ざかっていく…」
『
「そりゃあ未練はないですけど、一緒に走ってるチームメンバーで今日重賞走る子居るし…そういえば今日呼んだ理由ってやっぱり、能力試験的な?やつ…ですか?」
『それもあるけど、前回の業界説明の延長の方が近いかもしれない。あの説明だけでは私以外にどんなウマ娘が働いてるかは分からない。私が偏った情報を言っている可能性もあるしね。それに私は副業のジム内でトレーニングが出来るけど、全てのレースモデルが同じ環境にいるわけではない。じゃあレースモデルは普段どんなトレーニングを行っているか?…その答えを今日は見せてあげる』
電車に乗って中山レース場を離れ、そこからローカル・船橋レース場の近くを通りすぎ、練習場の最寄り駅を降りる。
駅前の住宅街をまっすぐ突っ切ると、田畑地帯が見えてくる。幾つか車庫や小さな工場の様なものが点在しているが、そのほかは手つかずの野原が一面に広がっている。
その中にポツンと、野球グラウンドのようなフェンスに囲まれた広大な空き地が見える。
空き地の隅にはそれこそ野球グラウンドに常備されているようなベンチと日よけが設置されており、何らかの意味を持った施設だということが判る。
『ここが私達、レースモデルがお世話になっている練習場。ある奇特なウマ娘が私有地をレース場に改造して、私達に開放してくれてるんだ』
中山レース場ではまもなく第1レースが始まる頃だが、私設レース場の一角には含め30名強のウマ娘が集まっていた。数人単位のグループに分かれ、着替え用の簡易テントの設営やレース前のウォーミングアップを行っている。着用しているジャージなどから推測するに、近隣の船橋レース場など関東のローカルシリーズに所属している子が多いようだ。
また、その中に一回り年上と思しきウマ娘の集まりも見受けられた。
『ペコさんおはよー』『おひさー』『ん。
『連れてきてるの新人?』『今んとこ
身なりでは判別がつかないが、彼女らが同じレースモデルとして働く面々の様だ。
皆が着ているのは学生時代のものと思われるジャージや有名スポーツメーカーの練習着、Tシャツに短ジャージと様々で、様々な立場のウマ娘が働いている事もわかった。
「今日一日、よろしく、お願いします…」
『よろしくねー』『緊張せんでも取って食わんてー』
今後同じ仕事をするかもしれない先輩方に囲まれ多少緊張しながらも挨拶をしていると、グラウンドの付近に車を止め、此方にやってくるウマ娘の姿が見える。
ペットボトルケースを抱えてこちらに近づいてきたウマ娘は、ローカルシリーズ・レースモデルどちらの所属でもなさそうだが…
『あ!パーマーさん!新入り連れてきました!』『おっ、ペコじゃん久しぶり!京都レース場のPVマジ決まっててよかったよ!』
『クレノ、紹介するね。彼女がこのレース場を管理してるパーマーさん』
壮年のウマ娘は想像以上に軽いながらも包容力のある太陽の様な方に思えた。
…パーマー、さん…?
どこかで聞いたことが───
『はじめまして、だね。まずはこれ書いてもらっていいかな? 怪我したときの連絡先とか念のためにね』
私の思案は"パーマーさん"の差し出した書類にかき消され、何を考えていたかも忘れてしまった。
『いい名前だね…。クレノって呼んでいい?ペコが
「そう言われても私、成績のほうは全くひどい物ですし… そういえばパーマーさんはどうしてこのレース場?で働いてる?んですか?」
『ハハッ、働いてるように見えるかー!あ、ごめんね。でもここを運営してるのはあくまで私の趣味、ボランティア!まあ、このレース場建てた経緯も結構複雑なんだけどね』
『…フリースタイル・レース、ってのが昔流行ってね。トゥインクルシリーズとかとは一切関係ないやつで、こういう私設のレース場とか路地裏、河川敷をみんなで走ってた。私も昔はトレセンで走ってたんだけど、いろいろ苦しんでた時期があってさ。デビュー前とか行き
『それで…まあいろんな方面に顔の立つ成果は残せたし、引退した後もフリースタイルレースにはちまちま顔を出しててね。でも最近は条例の改正とかで公道でのレース自体がちょっと難しくなってね。現役時代助けられた立場から、何とかできないかなーって』
『で、私有地ならそういう手続きさえやってしまえば、私設練習場という名目で幾らでもレースが出来る!ってなって。思い立って私設レース場を構えたってワケ!トレセンからは離れた立地だから昔ほどは盛り上がってないけど、こうしてレースモデルとして働くみんなとの縁もできたし、レース場開いて良かったって思ってるよ!』
"パーマーさん"は私がトレセン学園でどのように過ごしているかは聞いても、トゥインクルシリーズでの活動を話題にすることはなかった。
この場に来る以上、私が何らかの悩みを抱えていることを察知しているのだろう。
…年下が語るのも失礼だが、この人も波乱万丈の人生を歩んでいるんだなあ、と納得してしまった。
同時に、この人はなぜフリースタイルレースの為にこれだけの情熱を捧げられたのか、という疑問が湧いて来た。
例え郊外でも地方レース場のトラック程ある広大な土地を丸ごと買うためには相当お金…特に維持費もかかるはずだ。それに幾らお金があったとしても、実際に土地の契約を結んだり建設に必要な業者を確保したりといった手間もかかる。何かしらの情熱だけで、これだけのレース場を建てられるのだろうか?
…だが、初対面の相手にそこまで話を聞くことはできなかった。あまりにも失礼だと思ってしまったからだ。
間近で観戦するフリースタイル・レースは、想像以上に
当然レース中は皆鬼気迫る表情で走っているのだが、レースを終えた後は皆晴れやかな顔でクールダウンを行い、笑い合いながらレースを振り返っている。
勝ち負けは付き物ではあるが出走に資格が必要なわけではないし、負けたからと言ってなにか資格を失う訳でもない。
此処で走る皆は単純に走ることが好きだからこの場に居るのだろう…
…私が今までトゥインクルシリーズで走ってきたのは何だったのだろう。
三冠ウマ娘?トウカイテイオーを目指すため?トウカイテイオーを目指したくなった理由は何?
…と、様々な思案にふけつつレースを観戦していると、ペコ先輩から肩を叩かれた。
『クレノ、今回練習道具一式持って来たよね。ウォーミングアップ終わったら3000m走ってもらうけど、いける?』
「え!?そんな!?いくらテイオー目指してるって言っても!私未勝利戦で2000より長い距離走ったことないのにいきなり3000は!?」
『現役退いた私がトゥインクルシリーズのペースで走れるわけないでしょ…』
『私たちが仕事で走るのは、トゥインクルシリーズでいえば軽い追い切りくらいのスピード。必要なのはスピードではなく撮られ方…走る姿やペースに乱れが無いか。今回は上がり45秒*2で行くから、後ろに着く私を抜かさず引き離さずくらいのペースで走ってくれればいい』
「えーと、あの、ペース走下手で、未だに1000m60秒とかよくわかんなくて…」
『あー…。じゃあ前にもう一人つけて、後ろを私が走る。クレノは抜かず抜かされずの位置で軽く走ればいい。ジューン、併走行ける?この子の前で平均ペースで走ってくれたらいいから』『あっ、はい!』
『みんなお疲れー!じゃあ走る組は休憩で、今から当面レースモデル組が使うってことで宜しくね。えーっと、最初はペコ、ジューン、クレノ、と…』
パーマーさんの合図で、私たち三人はスタートを切る。
朝方からまだ一度も手入れされてない地面は砂が分散しており、多少
スタートこそ気持ち遅れたが、三者それぞれの走る位置が決まっている為に列の形成は特に問題なく終わる。
トゥインクルシリーズのレースとは違いスピードは求められない。このまま今の自分が出来る普通の走りをすれば大丈夫なのだ。
前後のスピードに合わせ、緩やかにレース場を周回していく。
風と蹴り出された土が身体を
風の音に交じり、私の胸ではなく脳から聞こえていく。高鳴る
身体を動かしていることからくる動悸とは全く別の、なにか根源的な恐ろしさ。
恐ろしさの正体は直ぐにわかった。ペコ先輩が私を
真後ろに目があるわけではないので正確にそうだとは言い切れないが、私の
彼女はかつてクラシック三冠を争い、世代最強のライバルたちに食らいついたウマ娘だ。
例え何世代も前、それも決して一流とは呼べない成績であったといえど、私とは比べ物にならない強者が私の真後ろについているのだ。
耳を後ろに動かし先輩の様子をなんとか確かめようと試みるが無駄なあがきだ。
先輩本人が走り方を指定している以上、抜かすなんて意地悪をするわけはない。
しかし"圧"はそれに相反して私を喰らい尽くさんとするかのように強く、重い。
いつ抜かされるかも分からない"圧"をむき出しの状態で受け続けることはとても耐えがたく、汗すらピタリと止んでしまうような錯覚にさえ
コーナーが近づく。先頭のウマ娘は最内のコースにへばりつく。実際のレースよりスピードを落としている分、外に振られることはない。
"圧"から逃げ出したかった。今すぐにでもコーナーの外からスパートを掛け、前に立ちたかった。
だが今後レースモデルとして走ることを演じる立場になるのだ。事前の指示を無視することは許されない。
今の私にできることは、指定されたペースを落とさず走りに続ける事だけだった。
得体の知れない恐怖に涙すら浮かべながら、正解のない3000メートルを走り終えた。
『…クールダウンしながらでいいから聞いて。全然ダメとは言いたくないけど…結論出すのとは別に、能力試験も必要かも』
『まず、併走中ずっと耳が
『それに足を出すタイミングも知らず知らずのうちに前に合わせてしまってる。あと手の振り方も最初の数百メートルと最後では明らかに…』
姿勢のズレ、コーナーの曲がり方、呼吸の仕方。それら足りない点を先輩は事細かに指摘し、持参したであろうノートに書いて具体的に説明してくれた。
スタートからの3000m、私をくまなく観察した結果が先ほど後ろに感じた"圧"なのだろう。
先輩の観察眼に
一昨日の面談だってそうだ。先輩の
ペコ先輩の真意がわからない。
『新人候補、ドンマイなー。ウチさっき一緒に走ったジューンキュポラな、よろしく』
簡易テントの外で立ち尽くす私を見かねたのだろう、ジュースを差し出してくれた。
私の前で走っていた彼女はレースモデル組では一番の新人らしく、ここで練習を始めてまだ日が浅いらしい。
仕事の方も名前の残らないような下積みばかりだが、話を聞く限りはとても楽しくやっているようだ。
「そんなに自分の走り酷かったですかね…」
『そんなことないと思うな。確かに耳は落ち着いた方がいいかもだけど、後ろに付かれててもペースの乱れとかは全く感じなかったな』
『ペコ先輩と同事務所だからフォローさせてもらうけど、ウチ含む後輩には基本やさしいのになんか今日の先輩ピリピリしてるようなんな…。初めて
「すごい失礼な推測なんですけど、
『なー…そんなことはないって思う。でも新人候補をここに連れて来たってことはすっごく期待されてるはず。ウチ、モデル初めたころはずっと家の周り走ってトレーニングしてたけど、2年目でようやくここ教えてもらったもんな』
『ま、新人候補さん。今日はあんまり考えずに楽しんでな』
語った内容は彼女なりのフォローなのかもしれない。それでも、彼女の言葉からは2つのことが判る。
まずこのレース場に呼んでいる以上、私にレースモデルを辞退させたいわけではない事。そして私に対する態度は意図的なもので、何らかの考えがあってのこと。
『クレノ!休憩終わったら次もう一本行くよ!今度は2人で!』「…はい!」
…先輩に疑念こそあるが、当分は今のまま教えを受けるしかないのかもしれない。
【登場人物】
・パーマーさん
"パーマー号"と名付けている(らしい)愛車と共にやってくるお姉さん。趣味はゴルフ。
レース場の管理はあくまでボランティアとのことだが、何の仕事をしてるかは分からない。
ペコ先輩に彼女について伺っても『あの人のプライベートには立ち入らないけど、間違いなくいい先輩だよ』としか語ってくれない。
・ジューンキュポラ(June Cupola)
元ローカルシリーズ浦和所属。通算成績17戦1勝。
奨学生制度で地元・浦和トレセンに入学したものの競走成績は振るわず。
他地方に転属し現役続行の意志こそあったが、慣れ親しんだ関東を離れるのは心細くそのまま引退。
地元撮影映画のエキストラ募集をきっかけに事務所とレースモデル契約を結び、ドラマのエキストラなどを中心に出演。現在は運送業アルバイトと兼業で活動中。