私にもエゴがある
"皐月賞"完走を果たした18名。出走者はスタッフによる
例外として、勝ちウマ・ナートゥサクティはウィナーズサークルでのインタビューを終えても控室に向かうことはない。優勝レイを携えたうえでのトレーナー・関係者との記念撮影が待っているうえに、観客へのファンサービスも挟まれる。
控室に戻ってからは改めて取材ブースでの囲み取材が待っているため、彼女が一息つくまでにはもうしばらく時間がかかるだろう。
一方、取材ブースではそのナートゥサクティが引き上げるまでの時間を使って他の出走者への取材が行われていた。ただやはり勝ちウマに比べるとそれぞれに割けられる時間は少なく、取材を終えた出走者はひっそりとそれぞれの控室に戻る。シャワールームで汗を流し、最終レース後に行われるウイニングライブに向けた準備を進める。
何より、今から出走者たちが披露するのは一年に
センターサークルに立つ3人にせよバックダンサーにせよ皆が初めて経験する曲。そのため、振付・立ち位置の再確認などは普段以上に念入りに行われる。
1バ身足らずの惜敗に涙を飲んだ者もいるし、着順争いにすらならない大差で負けてしまった者も居る。
それでも皆気持ちを切り替え、皆に感謝の気持ちを伝えるために全力でライブの準備を行っているのだ。
各々がそういった準備を始める裏で、ただ一人シャワールームから出てこない出走者が居た。
「オコシ… もう12レースの子、レース場入り出したよ…ライブ準備しないとやばいよ…」
ミラクルオコシヤスは他の出走者が去っても尚、シャワールームに籠っていた。
別に出走者が悔しさからシャワールームに
控室に戻ればトレーナーと顔を合わせることになる。自分一人で感情をまとめるなら控室で行うより都合がいいし、トレーナーに弱気な姿を見せたくないウマ娘も居る。
だがそれでも周囲のことを考える彼女にしては珍しい行動だし、何より音に違和感がある。
水滴が床に落ちる音が扉の向こうから聞こえるが、音が乱れる様子はない。身体の汗はすでに流し終えたが、
オコシ本人の
『とても周囲に見せられる笑顔で、ウイニングライブに立てる自信がありません』
彼女が返事をしてからしばらく…私はどのように二言目を継げばいいのかが判らなかった。
前走の結果を見れば、もとより勝ち目は薄い競走であることは明らかだった。
着順は仕方ない。でも生涯二度立てるかもわからないG1レースの出走者として名を遺した。
ダービーに出られるかは分からない*2が、まだこれから重賞に出られるチャンスはある。少なくともチームの勝ち頭である事実は…
何を話せばいいかまごついているうちに、扉の向こうから感情を必死に押し殺した声が響く。
『G1に出たい思い。そして
『今日この日まで指導していただいたおばさんには返し切れない程の恩があります。でも、私は敗因をおばさんにぶつけようとしている』
『私がこんなに薄情だとは思わなかった!おばさんのお陰でG1に出れたのに、満足な練習をさせていただけなかったおばさんを恨もうとしている!』
『………もう3分、一人にさせてください。再度お呼びしたら、髪を纏めて出ますから』
『…そうですか、報告ありがとうございます』
ステージに出向くオコシを送り出した裏で、私はおばさんにシャワールームでのいきさつを話すことにした。
言うべきか迷ったが、
それにおばさんであればオコシの今の感情を伝えても、安易に気遣って不安にさせるような人ではないという信頼もある。
一方で、オコシも敗因を
トレーナーに負けた原因がある… そう思った理由は何か。
『オコシさん。私は貴女に二つ謝ることがあります』 『一つはチームトレーナーという立場上、今日この日まで貴女のサポートに全力を割くことが出来なかったこと』
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原因はこのチームの実態そのものに
おばさんは数十人単位のウマ娘を指導している為、一人一人に割ける時間が少ないことは度々語っている。
練習時間の
面談では私やハッピーカチーフのような既に競走の道を諦めた子にも手厚いサポートをしていただいているが、それはオコシの様な勝ち頭であっても特別
G1に挑むウマ娘に対して満足な練習を提供出来ていないことは、第三者らもうすうす感づいていた。
当然オコシ本人も早朝・夜には門限ギリギリまでランニングを行っているし、出来得る限りの努力はしている。
だがそういった場でも彼女は基本的に一人だった。チームには同格の相手が居ないからだ。
…さらに言えば。私達は高等部後半でのトゥインクルシリーズ参戦である。私達より早くデビューした同級生は、多くが重賞出走の資格すら得られずトゥインクルシリーズを去っている。
シニア級までの最初の3年を終えても尚活動を続けられるようなウマ娘は決して多くない為、チーム外の併走相手を探すことも難しい。
同格の練習相手が居ないことで起こる
そのうち最も困るのは、本番を想定した追い切りだろう。
眼前を走る相手に対しどこで勝負を掛けるか。また相手の仕掛けに対してどこまで脚を残すか。
そういった駆け引きに必要な、同格との実戦経験が圧倒的に足りなかったのだ。
トレーナーが提案した向こう正面から行う早々の仕掛けも、裏を返せば独走することで後方との競り合いや仕掛けるタイミングといった駆け引きを拒否し、実戦経験の差を極力なくすためのものだ。
「おばさん。オコシ…に限らずですけど、練習って各自で個別メニューやって。その後チーム内で3人とか4人とかグループ組んでの併走が多いじゃないですか」
「オコシより早い子ってチームに居ないと思うんですよ。それなのにオコシ、未勝利のチーム仲間にスピード合わせて走ってくれるんです」
「マーサとか…それで救われてる子はいると思います。でも、オコシ本人がそれで鍛えられるわけないじゃないですか…」
おばさんは私の主張を
『オコシさんには練習の面で迷惑をかけているのは事実です。…ですが、当チームに入っていただいた際には極力チームから一人でも多くのウマ娘が勝ちあがれるように練習を行う、と説明をしております。当チームの目的はあくまで"一人でも多くの皆さんに後悔なくトゥインクルシリーズを走っていただくこと"。ダービーも未勝利クラスでの勝利も、本人にとって特別な一勝であることには変わりないからです』
『私がサブトレーナーを呼べれば一番いいのですが… 他のトレーナーの皆様にも生活が懸かっています。勝利を
おばさん側にも、…特に今の時期にはオコシ一人に構えない理由がある。過去の私達のように、高等部になってもなおトゥインクルシリーズ契約を行えないウマ娘に対するスカウトを並行して行っているからだ。
当然スカウトから正式な契約にむけては双方納得する面談の機会も必要だし、URA本部への書類手続きも必要。それらすべてをおばさん一人で
勿論オコシだってそういった事情があることは理解している。何より昨年スカウトを受けたのは他でもない私達である。
でも、彼女だってこれまで勝ち進んできた以上、やはりチーム事情に左右されずにG1に臨みたい気持ちはあっただろう。
自分はチームの勝ち頭で、G1出走の資格を得たんだ。それなら特別扱いしてくれてもバチは当たらないんじゃないか。
言葉にすることは無くても彼女にもエゴがあるはずだし、同じ立場に立ったとすれば皆そうしたいと望むはずだ。
誰に悪意があるわけでもない。
オコシにはオコシの思いがあるし、おばさんは限られたリソースを限界まで使ってトレーナーとして尽くしている。
それにオコシはこのままダービーにも出走したいと口にしている。
一年弱共に走った仲間として、何かできることがあれば協力したかった。
でも私には彼女に並ぶほどの競走能力はない。知識もない。一人で出来る支援などたかが知れている。
ただ、頼れる人には心当たりがある。過去にクラシックG1戦線を走った先輩が、一人。
光の速さで 駆け抜ける衝動は
何を犠牲にしても 叶えたい強さの覚悟
(no fear)一度きりの(trust you)この瞬間に
賭けてみろ 自分を信じて
時には運だって 必要と言うのなら
宿命の旋律も 引き寄せてみせよう…
私にもエゴがある。落ちこぼれチームの仲間として、覚悟を決めた。
私がオコシへできる精一杯の支援は、ペコ先輩を一時的にでもコーチとして招くこと。
『…で、私に無茶なお願いをするわけね』
翌週。久々にG1レースのない週末。久々の私設レース場。
私はその"無茶なお願い"の為、ペコ先輩に頭を下げる。
『前も言った通り"天皇賞・春"の週…来週のGWの入り以降は予定が埋まっているけど、来週木曜日までならいけないことはない。でもね。クレノに対して指導するのとオコシヤス、さん…に対する指導は、全く性格が異なるのよ』
『クレノとは今後同じ職場で仕事するかもしれない後輩への指導、という目的がある。でもオコシヤスさんと私には、在籍したチームの
「おばさんからは"貴女に責任が降りかからないようにする"ってお話しいただいてるので大丈夫です!」
『根回し早いのね…』
トレーナーにはコーチ依頼について既に話を通している。
無理に誘うことはしないでほしい…とのことであったが、私とトレーナーはこのお願いに対してある程度の勝算も持っていた。
『私は卒業した教え子の皆さんには 「なぜって、そのー、…失礼ですけど、重賞を勝ったからじゃないですか?」 『…あの子ね、毎年練習用具を 「先輩、あんまりお金なさそうなのに…。でもどうしてです?」
『彼女がクラシック三冠に出たときの話はしたかしら』「具体的には聞いていないと思います」
『…私・ペコさん双方にとって初めてのG1レースが"皐月賞"でした。あの時は展開に恵まれての4着。勝ちウマとはだいぶ離されましたがそれでも優先出走権を得られたので、"日本ダービー"への直行を選択することになりました』
『当時の私は、チームメンバーに対するメンタル面の支援が欠けておりました。ダービーに向けて 「個別面談を重視してるのって、そのせいなんですか?」 『そう思ってもらって構いません。ところで、その年のダービーウマ娘の名前憶えていますか?』 「だいぶ前の授業で確か、えーっと三冠が出たのが2年前で…ゴーンザウインドですっけ?」
『ええ。その子とペコさんとはウマ番が隣でした。それでスタート直後、内を取ろうとしたペコさんがウインドさんの前にいきなり出て、あわや 『結果的に順位に影響するものではなかったので降着・失格処分はありませんでしたが…お
『おそらくその衝突未遂で頭が真っ白になったのでしょう。ペコさんは掛かってしまってハイペースでバ群全体を引っ張ることになり… 結果は言わずともよいでしょう』
『ウマ娘とトレーナーは二人三脚。結果的に私はペコさんを一人でダービーに送り出してしまった。"トレーナーのせいで負けた"…本心でなくても、そう言われても仕方ないことをしたと思っています』 「…」
『それ以降、ペコさんは私に心を閉ざしてしまった。その後秋の"菊花賞"が彼女の引退レースになってしまって、それも結果的には惨敗。以降は練習に来ることもなく、半ば喧嘩別れのようになってしまったの』 『それでもトレセン学園の卒業式の日には…相当勇気を出したのだと思います。わざわざトレーナー室にまで頭を下げに来てくれたわ。"せっかくG1出させてくれたのに、今まで本当にごめんなさい"…って』
『彼女が役者の道に進むというのは聞いてたけど、おそらくある程度生計が安定したのでしょう、その翌年から彼女名義で練習用具が贈られるようになったの』 『それでも数十人のチームメンバーが1年で消費するだけの量は、個人で出すには相当きつい額です。ましてやレースモデル・一般のタレント業・ジムインストラクターと三足の
『…話が逸れてしまったわね。つまりペコさんがクレノさんを助けているのは、私にダービーでの負い目を感じているからだと考えています』 「私を一人前のレースモデルにすることで、少しでも恩返しがしたい…?」 『そうだと思います。悪く言えばペコさんは私から親離れできずにいる。トゥインクルシリーズに対する"未練"もあるのでしょう』
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ペコ先輩は頭を抱えたまま動かない。向かいのコースではレースモデルの先輩達がコースを走り終わったらしく、徐々に減速しながらクールダウンを図っている。
『…しばらく考えさせて。ジューン。次クレノが一本走るんだけど、私の代わりに併走ついてくれる?』
『
腕を強く振っても、筋肉が腕の振りにだらしなく従う感触が以前より薄い。ペコ先輩の計画した筋トレメニューが、僅かでも結果となって表れているのだ。
また、今走っているタイムであれば特に周囲を警戒することもなく、自然体で走れるようになっているようにも感じた。
耳を無理に張り詰めなくても、併走するジューン先輩のリズムもなんとなく理解できる。
それでも。すぐ後ろにはいなくても。
思案にふけるペコ先輩が、私から目を離さずにいることを見逃さなかった。
『…来週2時間だけでいいなら時間を取るわ。おばさんには此方から連絡しておく』
「あ、ありがとうございます!」
しばらくの
『さっき言った通り、私はトレーナー資格を所持していない。そしておばさんも私の滞在時間フルで見ることは出来ないと思う。何より私が一回練習を見たくらいで格段に強くなるなんてことはまずありえない。それは伝えさせて』
『実際には私が見た後、後日おばさんとの相談を挟むことになるはず。私に無茶なお願いをした以上、ダービーまではクレノが責任もってオコシヤスさんの練習パートナーを務めてほしい』
「わかりました」
トレーナー資格を持っていない先輩が指導として口を出すことは不可能なため、先輩が出来ることはオコシの
何より先輩はオコシに対する情報を何も持っていないため、大きな方針転向を強いらせるような指導は逆に彼女の首を絞める事にもなりかねない。
それでも元ダービー出走者の目線から必要な情報を伝えることはできるし、今のオコシに必要な練習をトレーナーに伝え、それを基にダービーまでの練習メニューを作ることもできる。
『最後に一つ。クレノ、最近チームメンバーと併走してないでしょ。一度目の前でやってるメンバーに交じって走ってみない?』
「? 交じって走るって、レースモデル仲間の方々とですか?」
『いや、私達じゃない。今
「…はい?」
【登場人物】
・ゴーンザウインド(Gone The Wind)
主な勝ち鞍:日本ダービー・宝塚記念(連覇)・天皇賞(秋)、フォワ賞(フランスG2)等
トゥインクルシリーズ→ドリームトロフィーリーグ(引退)。
スマイルペコが何度も挑み、一度も先着することはできなかった"ミス・ダービー"。
弥生賞2着・皐月賞3着と重賞戦線で勝ちきれない結果が続いていたものの、ダービーではスマイルペコとの進路争いに怯むことなくレースを進め、歴代最大の6バ身差で重賞・G1初勝利を飾った。
現役最終年には"凱旋門賞"に出走、その後の