気付けば、仰向けのまま夜空を見上げていた。
星はなく、黒一色の空には、唯一の光源といってもいい月が浮かんでいる。
「んにゃ?」
パチクリと目を瞬かせた『彼女』は、上半身を起こす。
白い砂漠がどこまでも広がり、夜空との対比でその穢れのない色が際立っている。それを馬鹿にするように、あちこちに大量の血の池がへばりついていた。砂の地面も吸いきれないほどだ。
『彼女』はゆっくりと立ち上がる。
あまり視点の変化がなかったのは、彼女が小柄な体躯だったからか。
周囲を見回せば、『彼女』を中心として赤いカーペットが広がっているのがわかる。なにかの残骸や肉も含まれ、乾いているはずの風がむせるような血の匂いを運んできた。
「......おなか、すいた」
鈴が転がるような声音が物寂しい世界に響き、そして消えていく。
殺風景を敷きつめたような常闇の場所で、『彼女』は茫洋とした大きな眼を漂わせた。遠巻きに見ているなにか巨大な、そして不気味な仮面を付けた生物がいる。それが『彼女』の目には脅威には映らず、近寄ろうかと足をそちらに踏み出すも、仮面の生物はそれを視た途端に蜘蛛の子を散らすように逃げていった。
『彼女』は首をかしげる。なぜ、逃げるのかと。
口元に違和感を感じ、それこそ春風に吹かれただけで折れそうな細腕で拭ってみる。
腕は血で汚れた。『彼女』の血ではなく、返り血か、はたまた......喰べたからか。
「おなか、すいた......? あれ、すいてない?」
腹をぽんぽん叩いてみても膨らんだ感触はないが、ひどい飢餓は感じなかった。
お腹が空いたと口から出たのは、おそらく言いなれていたための口癖なのだろう。自分はどれほど食いしん坊なのかと『彼女』は思い出そうとし、しかし柳眉をひそめる。
「んー? いつごはん食べたっけ?」
記憶を辿ろうとしても行き当たらない。
『彼女』の記憶は、ついさっき目を覚ましたところから始まり、それ以前は真っ黒だ。......いや、もやがかかっているだけだ。
「
嬉しそうに『彼女』は笑った。ただそれだけで当たり前の情報も、『彼女』にとっては万金にも値する。
にこにことして、『彼女』は歩き出す。赤い水溜りに足が入っても気にせず、とりあえずといったように移動を開始した。
視線の先には、塵ほどにしか見えないが、たしかに建造物が存在した。
ーーどれほど、歩いただろうか。
『彼女』は途中から飽きが来始めて、けれどもう眼前に迫った巨大な城を前にしてやめようとは思えなくなった。遠近感が狂いそうなほど巨大な城だ。その無機質さに『彼女』は引いた。
「うわー、ムダにでっかーい」
見たところ、入り口はない。この周辺には仮面を被った怪生物ーー知識からは
ぶらぶらと周辺を歩いて、そして誰かが見ていることも気づいている。
「だれ?」
「気づいていたか」
『彼女』の背後には、角が生えた仮面の名残を左頭部に被った、痩身で真っ白な肌をした黒髪の男。
左胸に『4』の刻印がある。『彼女』はかろうじて、過去の知識からその数字は野球のトップバッターのナンバーだと思った。
「貴方はだれ?
「いや、違う。
ひどく無機質な雰囲気の男だ。無邪気と無垢を兼ね備える『彼女』と対比してみれば、それが自然と際立つ。
「アランカルさんの家がここなのかな」
「この城の主は藍染様だ。俺の名はウルキオラ・シファー。藍染様からの命令で、お前に付いてきてもらいたい」
「断ったらどうするのかな?」
「それならば仕方ない。--力づくで愛染様の御前に連れていくだけだ」
「うわーお」
本気と書いてマジな目だ。そもそも固そうな雰囲気から、嘘などは言わないだろう。
試しに逃げるそぶりをして霊圧を足に集め(呼吸をするように自然にできた)、脚を曲げる。
ウルキオラは無言のまま直立体勢で臨戦態勢に移行した。
--強いなぁ、この人。
彼我の戦闘能力の差をかんがみて、逃げることはやめた。勝率は五分もない。
「でもさ、なんで私なの? 強そうな人? は、けっこう一杯いたよ」
「
「......頭がついていかないよ」
「俺に付いて来れば悪いことにはならない。それは保証しよう。それもお前の態度次第になるが」
石像を相手にしているような錯覚を受けながら、『彼女』は頭を悩ませる。
「さっきから出てくる
「
「......この調子になると、私もそれになれってことかな」
「藍染様はそれについては仰られていなかったが、俺の予想ではそうなる。今以上の力をお前が得ることにもつながるぞ」
「別にそういうのは欲しくないんだけどなー」
とはいえ、ここを去ろうとすればアテのない旅になる。さらにウルキオラも逃がしてはくれないだろうし、現段階であまり知識もない『彼女』には頷くことへのメリットのほうが多い。
警戒している。けれどウルキオラは嘘など言ってないと分かる。その藍染某とはわからないが、この城を見た時からなにかピンとくるものがあるのだ。記憶がないのでそそられる。
それになんとなく自意識が緩い。死ぬことに対してあまり恐怖を感じないのだ。敵の本陣営で袋叩きに会うのも、それもまた運命の一つなのだと思った。
敵としているより、とりあえず味方からのほうがいいだろう。
これからどうなるかは、まだわからないが。
「まあ、いいや。ウルキオラさんも私を連れてこないと怒られるんだよね。それに、キミの物言いからだと、私はひどい目にあうために連れていくわけじゃないんでしょ?」
「敵対者ならこの場ですぐさま残滅している」
「ふぅん、そう。わかった、付いてく」
「そうか。......名前は?」
「え?」
「お前の名だ。知っておかなければ、
ああ、と頷き、『彼女』がはにかむ。
唯一、鮮明に残っていた記憶に刻まれた名を、口にした。
「ニルフィネス・リーセグリンガー! ニルフィって呼んでね、ウルキオラさん!」
サブタイトルは間違ってないはず。