記憶の壊れた刃   作:なよ竹

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トランスフォームと主従たち

 これは、のちにザエルアポロが語ったことだ。

 

「そうだね、あの薬とも呼べない代物に名を付けるとしたら、『完成促進薬』なんて安易なもので十分だ」

 

 彼は眼鏡を中指で押し上げながら、肩をすくめる。

 

「不完全なものを形だけ完全にする。それだけに終始してしまう駄作。まァ、もちろんそうなるだろう、魂にまで影響を及ぼすのはただの薬に無理だってことさ。......どういう意味かって? 言っただろう、不完全を形だけでも完全にする、と。聞こえてなかったのかい?」

 

 だからそれがどういう意味なのかと問えば、ザエルアポロはそんなことも分からないのかとも言いたげに、鼻で笑う。

 

「つまりね、完全であるものには元から作用しないのさ。あの飴玉をそこらの奴の口に入れてみるといい。そうすると、なにも起こらないからね。不完全である者が服用した時にだけ効果を表すのさ。そうすると、ソイツの完全な、つまり全盛期であったはず(・・・・・・・・・)の姿へと強制的に引き戻す」

 

 つまり不完全であることが変化に必要な条件ということらしい。

 そして割れた器をもともとあった形に戻す。けれども肝心な『中身』は満たされないため、言葉通りの形だけになるのだろう。

 破面(アランカル)は仮面を割った時点でほとんどが完成体であり、該当するものはごくわずかだ。該当者は非常に珍しいようだった。

 それだけのいわゆる被験体をなぜ簡単に帰したのかと訊けば、

 

「僕は一目見た時から『彼女』が未だに不完全な体だと思った。だからもっと別の薬じゃなくて、研究成果の一つにでも加えられるのならと思い、あの飴玉を与えただけだ。クソッ、あの時の僕はどうかしていた。貴重なサンプルが目の前にあったというのに、いつもなら聞き流す戯言を真に受け、蟲なり毒なり入れていたものを、ね。今でも悔やむよ。あの白い腹にメスを入れて『ピー(自主規制音)』を引きずり出して、『ピー』して『ピー』した後は、刺激に対してどのような反応をするのか『ピー』に『ピー』をブチ込んで『ピー』から『ピー』を弄りまわし、『ピー』『ピー』『ピー』してやったはずなのに!! バラガン様が目に掛けてやってなければ、藍染様の許可さえ下りていたら! まったく、『ピー』にいろんな管を『ピー』して『ピー』してやれば僕の研究がはかどって、なによりあの可愛らしい顔が歪んで『ピー』すればさぞ『ピー』『ピー』『ピー』ーーーー」

 

 以下、自主規制用語のオンパレードの為、削除しました。

 

 

 ----------

 

 

 グリムジョーは立ち尽くしていた。

 第6宮(セスタ・パラシオ)を揺らすには十分な爆発が眼前で、それも顔見知り......それ以上に親しくはないと自分に言い聞かせている少女から生まれたのだ。

 

「なん......だと......!?」

 

 霊子の煙によって視界が遮られ、さっきまで話していた少女、ニルフィの安否は分からない。

 

「おい、ニルフィ!」

 

 彼にしては珍しく戦いでもないのに焦った声が喉から出た。それに気づくこともなく、呼びかけ続ける。

 いきなり顔見知りが爆発した。それだけで常人ならば声も出ないまま呆然としていただろう。しかしグリムジョーは煙の奥を睨みつけ、叫ぶように少女の名を呼んだ。

 ザエルアポロ印のキャンディ。ただそれだけでこの突発的な出来事が説明できるような、狂気の産物だ。

 なぜそれをニルフィが持っていたのか。あれほど口酸っぱく、耳にタコができるほど十刃(エスパーダ)の連中が忠告したのに、なぜ食べたのか。

 そんなのはあとだ。

 グリーゼや従属官(フラシオン)たちはもうすぐこの部屋に来る。

 今はニルフィの無事を確認しなければならない。

 

「チッ、くだらねェことしやがって!」

 

 グリムジョーは煙の中に足を踏み入れた。

 しかし足もとに違和感。視線を下げれば、なにか薄いものを踏んだようだ。

 

「............」

 

 白い死覇装の切れ端だった。それが誰のものかなど、教えられなくとも分かる。

 煙を掻き分けながら前に進もうとするグリムジョーだが、すぐに鬱陶しくなり、霊圧を放出して煙幕を吹き飛ばす。

 その何気ない行動を彼はすぐに後悔することとなった。

 視界を遮るものがなくなり、景色はクリアになる。そしてモロにグリムジョーの視覚にその光景は飛び込んできた。

 

「ーーーー?」

 

 煙の最中に居たのは、床にへたり込むようにして不思議そうに小首を傾げた、女性(・・)。いや、もしかしたら少女(・・)かもしれない。外見的な区別からはそのように判断が困るような、大人にも子供にも成りきれていない存在だった。

 涼やかな白い体には丸みを帯び、しかしそれが華奢な体躯を一層儚げにさせている。鴉の濡れ羽のような腰までありそうな髪と対比するように、金色の双眸は無垢な光を放つ。さらに形の良さげな双丘が腕に挟まれて、これ以上ないほど自己主張していた。

 幼さと女性らしさが合わさったアンバランスな色香が倒錯的だった。

 なぜこうもグリムジョーがわかるかと言えば、それはひとえに、女が一糸まとわぬ裸体を晒していたからだろう。

 グリムジョーはまず顔を天井に向けて目頭を押さえる。そうすること十秒。そしてまず右を見て、左を見て、正面に。よく見知った幼女の姿はなく、代わりにその幼女が成長したかのような容姿の女が目の前にいた。

 

『これで私も大人になれるはずーー』

 

 ニルフィが爆発する直前に言ったセリフが頭に思い浮かんだ。

 ザエルアポロ印の怪しげな飴玉。ニルフィの言葉。そこから得られる答えは言わずもがな。

 

「てめえ、ニルフィ......か?」

 

 特徴的な耳の上から生え、髪を掻き分けるように後頭部にまで沿って伸びた角のような仮面の名残。それが何よりも証拠として機能する。

 しかしニルフィと思われる少女は目をパチクリとするだけで、不思議そうにグリムジョーを見つめていた。

 裸体の美しい少女がいるからとグリムジョーに劣情の類は湧かない。その要因は、もしかしたら少女の正体を知っているからかもしれないが。

 聞こえていなかったのかとグリムジョーが顔を寄せる。

 

「いいか? てめえは、ニルフィか?」

「--?」

 

 区切りながら、再度の質問。けれど少女は可愛らしく小首をかしげるだけだ。

 そこに違和感を感じるが、今の少女の姿を思い出し、グリムジョーは気まずげに己の一張羅である上着を脱いで彼女に被せた。

 少女はされるがままといったように受け取った上着を肩に掛けられる。好奇心の旺盛な犬のように、スンスンと死覇装の匂いを嗅いだ。

 ここまで一言も喋っていない。

 

「おい、声は聞こえてるな。なら何か喋ってみろ」

「----」

 

 反応はない。グリムジョーの声は確かに聞こえているようだが、その意味を理解できていないかのようだ。

 深く考えることは苦手だ。そうしている暇があれば殴りに行く。だからこうしてくだらない問答をするのは性に合わない。

 これはあの馬鹿(ニルフィ)だ。直感でそう結論付ける。

 なぜ馬鹿が馬鹿馬鹿しいことをしたのか疑問だが、それはやはり馬鹿だからだ。

 

「何やってんだよ、お前は」

 

 コレは何故、自分からハプニングを起こすのかと白い額を指で小突く。

 

「----ッ!」

「うおァッ!?」

 

 するとなぜか少女はパッと顔を輝かせ、飛び掛かるようにグリムジョーに抱き着いた。ーー彼の頭に。程よく膨らんだ二つのたわわな果実がぶち当たった。あの平皿がどうすればこうなるのかと場違いにも思ってしまう。

 しかし体重は、とても軽い。羽でも受け止めたのかと錯覚する。

 間が悪かった。それが誰にとってかというと、グリムジョーに他ならない。

 部屋の扉が蹴破られるように開かれた。

 

「おい、なにがあった!?」

 

 シャウロンが先頭に立ち、そして次にグリーゼ、奥にはグリムジョーの従属官(フラシオン)たちが集っていた。

 あの爆発だ。グリムジョーの心配はしてないが、ニルフィの身に何かあればアネットから制裁を受けるのは自分たちである。男として情けない? そう思うのならば激昂したアネットの前に放り出してやろうではないか。熾烈で苛烈で激烈。その怒りを一身に受ければ、灰が残れば運がいいほうだ。

 だからこうして急いでやって来た。

 しかしどうだろう。冗談でもなく死神の......ここで例に出すのは黒いフードを被り大鎌を振りかぶる髑髏面の方だが、その死神のキスを感じていたのに。

 それを退けるために来てみれば、なんのことはない。

 グリムジョーが裸体の女に抱き着かれているという、痴話もいい場面だったのだ。

 

「......遅かった、か」

 

 一目見て事情を理解したグリーゼが小さく呟く。そして右手で顔を覆い、あらぬ方向を向いた。

 しかし何も知らぬ第6十刃(セスタ・エスパーダ)従属官(フラシオン)たちがすぐに割り切れるはずもない。気まずげにシャウロンが視線を逸らしながら言った。

 

「グリムジョー......。貴様の趣味にとやかく言うつもりは無い。しかし姫君と仲が良いからといって、流石に容姿的に似たような者を侍らせるのは、いかがなものか」

「なに勘違いしてやがる! 早くコイツを引っぺがせ!」

 

 お母さん悲しいとでも言いたげに首を振るシャウロンにグリムジョーが叫ぶ。

 少女はグリムジョーに抱き着いたまま離れない。彼が少女の頭を掴んで押し返そうとする。接着剤が二人の間にあるように、あるいは磁石のように引きはがせないようだ。

 

「そう隠すこともないだろう。しかし今は姫君が来訪している手前。情緒教育に良くないことは、アネット嬢が許さぬと思うが。それより姫君はどこだ。ここに向かったはずだが」

「馬鹿かてめえ! こいつがニルフィなんだよ!」

「............」

 

 従属官(フラシオン)たちは何か可哀想なものを見る目になった。

 

「そこまで錯乱しているのか......」

「ぶっ殺すぞてめえらッ! そのムカつく顔やめやがれェッ」

 

 殺気が形となったような霊圧が吹き荒れた。自分はこの部下たちにどう思われているのかと。

 グリーゼが頭痛を堪えて仲介していなければ、宮の一角と従属官(フラシオン)の何人かが消滅させられていたかもしれない。

 

「......どうする? お前にも選択権があると判断するが」

「どうもこうもねェだろ。この馬鹿を今すぐ戻せ」

 

 この宮に応接間といった場所はない。適当な広い部屋を選んで一同は会していた。

 苛立ちが燻り止まぬといった様子のグリムジョー。彼は対面にいる石材に腰掛けたグリーゼを睨んだ。......その威圧の様子も、いまだに抱き着いてくるニルフィのせいで半減どころの騒ぎではない。

 彼女はローブのようなものを纏っている。男所帯に女物の服などあるはずもなく、下官に適当なものを用意させたのだ。これを着せるためにグリムジョーとニルフィを引きはがすのは重労働であった。

 

「......それは俺には無理な話だ」

「あァ?」

「......お前の言う通りなら、主が食したのはザエルアポロから貰った飴玉だろう。奴が言うには、効き目は半日で切れるらしい」

「あの野郎の言ったことを信じろってか」

「......それ以外に方法もあるまい。さすがにこの状態の主を連れまわすのも気が引ける」

 

 グリーゼはニルフィに目をやった。彼女は不思議そうに見返す。一度もその小さな口からは言葉を聞くことができないでいた。

 

「......副作用については何も言っていなかったんだがな」

 

 声が出ない。様子を見る限り、自分が誰なのかもわかっていないかもしれない。

 体は大人になったというのに、精神はもしかしたら更に幼くなってしまったのか。こうしてグリムジョーにくっついているのも、生まれたての雛のように刷り込みとして、最初に目にした彼を親か何かと思っているからだろう。

 もしかしたらこれがザエルアポロの意趣返しなのかもしれない。

 この状態のニルフィをアネットの前に持って行ったら、確実にあの朱色の髪の従属官(フラシオン)は怒り狂う。もしかしたらザエルアポロの宮に突撃をするだろう。女とは恐ろしい生き物なのだ。なぜノイトラがあそこまで正面切って女に反目できるのか、いまこの場に集まった男たちには理解に苦しむものだった。

 アネットの実力と性格を知っているだけに、下手に動けない。

 

「頭の足りない奴だと思ってたぜ。けどな、どうしてコイツはこんなバカなことをしやがった。理由が、くだらねェ理由があるだろ」

「......たしかに、くだらないかもしれない。が、主にとっては重要なことだった。どうにもできないと思ったからこそ俺は付き合った」

「コイツはなんて言ってたんだ?」

「......大人になりたい、と」

 

 グリムジョーがニルフィを見下ろす。たしかに肉体は成長し、柔らかさが服越しにも伝わるほどだ。二の腕に絡めば双丘が感じられ、肩に乗っかるようにすれば心地よい温かさがある。無垢で、さらに無防備。仮に襲われてもされるがままだろう。

 グリムジョーにとってはうっとおしいだけだが。

 しかしそれだけである。今のニルフィは精神が同じくらい退行してしまったようだ。

 だから、なにを言っても伝わらない。猫のようにじゃれつく少女を呆れの眼差しで見るしかなかった。

 

「こうなりゃあ、ザマねェだろうがよ」

 

 背伸びしたがりな様子は普段から気づいていた。

 それがまさか、ここまでやるとは思いもしなかったが。

 

「......主は自らと他者の距離が開くことを嫌う。それは知っているな?」

 

 現世での調査から帰ってからの報告が気に入らなかったグリムジョー。その辛辣な言葉を聞いてニルフィは傷ついた。そして必死に追いかけ、嫌わないでほしいと懇願した、傷以上に痛ましい姿。

 あの言動はいっそ異常だった。ニルフィの表情は普段とも、戦いの時のような表情とも違う。切羽詰まり崖に立たされたような表情をしていた。

 嫌わないでほしい。何でもする。

 もし藍染を倒せなどと無茶な要求をしても、躊躇いなく実行しようとしただろう。それだけの焦燥があった。

 

「......俺たちのやり取りを見て、主は自分が距離を置かれていると思ったようだ。その理由を自分の容姿に結び付けた。俺たちのような成体の姿になれば、それを解消できると考えたようだな」

 

 どちらともなく、ため息。

 体が大人になったからといって精神がそれに引っ張られていかなければ、ニルフィが変わったことにはならない。

 そこまで彼女は考えただろうか。おそらく、答えは否だ。

 手のかかる妹、あるいは娘。知り合いの破面(アランカル)からしたらニルフィはそんな存在だ。

 破壊衝動の多い存在である彼らにしてみれば滑稽極まりない感情だろう。個であることを定める彼らが、親愛などという、あるいはそれに類した感情を持つなど。

 幼く無垢な心を持つからこその関係。もしニルフィが破面(アランカル)として完全な心を持ってしまったら......、すべてが脆く崩れ去るかもしれない。

 そう考えれば、むしろこの状態になって良かったのか。

 

「ーーーー」

 

 そんなことも気付かずに、ニルフィはグリムジョーの背に抱き着きながら、興味深そうに二人のやりとりを見ていた。

 ただ肉体が成長したからといって、他の十刃(エスパーダ)たちの接し方が変わるはずもない。

 幼いままでいいのだ。葛藤も、苦悩も。この少女には似合わない。

 偽りの姿ではなくありのままであることこそ、一番必要なのだろう。

 子供ゆえに。

 

「てめえは、無理に変わろうとしなくていいんだよ」

「----?」

 

 理解できないと分かっていても、つい言葉を投げかけた。

 普通ならば最初から見捨てている。それでもグリムジョーが、他の破面(アランカル)たちがないがしろにしなかったのは、ニルフィだからだ。それ以上でもそれ以下でもなく、彼女だからこその繋がり。

 そこに理由なんて必要ない。意義を求めて彼らが出会ったわけではないからだ。

 

「話はこれでいいだろ。さっさとこいつをどっかの部屋に押し込むぞ」

「......ザエルアポロの所には行かないのか」

「今のコイツを連れて行くってのはどう考えても危険だろうが。それよりだったら下手に動かねえように、アネットが気付かない内に縛ってあと半日を待ってやる。それで戻らねえなら......」

「ーーへえ。さっきから押し込むとか、縛るとか、変な言葉が聞こえたのは気のせいですかぁ?」

 

 空気が凍った。ここにいるはずのない人物の声が、よく響いた。

 全員がゆっくりと扉の方へ首をまわす。目に入ったのは朱色の髪。そして笑顔。それも特大の、目が笑っていない恐怖を煽るものだ。いつの間にか佇んでいるアネット。彼女は片手にバスケットを下げながら、口調だけはほがらかに言った。

 

「探したわよ、グリーゼ」

「......そうか。ご苦労だったな」

「ええ、ホントに苦労したわよ。ニルフィがクッカプーロにあげるお菓子を忘れたから、第10宮(ディエス・パラシオ)に届けに行ったら、なぜかヤミーしかいなくってね。問い詰めても知らぬ存ぜぬ。探査回路(ペスキス)もあなた達が霊圧を抑えてたせいで役に立たなかったわ」

 

 ついさっきまでは、ね。アネットは口の端を吊り上げた。耳元まで裂けてしまいそうな凶悪な笑みだ。

 

「驚きましたよ。なぜかいきなりニルフィの霊圧が、この宮の方向から感じられたんですから」

 

 ニルフィが飴を飲み込んだ瞬間の爆発のことだ。あの爆発は彼女の霊圧が暴走したことで、被害を大きくしたのだろう。

 

「それで急いで来てみれば......」

 

 顔をもたげ、アネットがグリムジョーの背にくっついている少女を見やる。

 ただ見るだけで、その少女がニルフィだと一目で見抜いた。霊圧の質も同じであり、なによりアネットが気付かないはずもない。敬愛する主人の存在を。

 

 

 

「その子に何してやがるんですか、野郎ども」

 

 

 

 ドスの効いた、殺気の混じる低い声。纏う霊圧は陽炎のように揺れ動く。

 男たちの恐れていたことが起きた。もしかしなくとも、アネットは凄まじく怒っている。即座に殺りに来ないのはニルフィがいるからだろう。

 弁のたつシャウロンが怒りを抑えようと試みる。

 

「アネット嬢。我々は無実だ。姫君の姿は一時的なものに過ぎない。そのため、心配は無用だ」

「心配するなと? ニルフィがそんな状態なのに?」

「このようになったのは我々の責任ではないことを先に言っておく。怪しげな薬を飲んだために、彼女は......まぁ、少しばかり成長してしまった」

「少しどころか結構いろいろと成長してますよね」

 

 アネットの姿を見れば普段ならばニルフィがなにかしら反応する。しかし今は新しい顔ぶれに首をかしげているだけだ。普通ではなくなっているのは理解できた。呼びかけにも、一切の返事をしないのだから。

 そのニルフィがくっついている男にアネットの視線が行くのは因果である。

 

「グリムジョー?」

「なんだ」

「なに侍らせてるのよ。もしかしてアレ? YESロリータNOタッチの戒律を守らなくて良くなったから、その子が大きくなったのを良いことに体にベタベタ触ってるんじゃないの? アンタみたいなのがいるから、愛でるだけのアタシたちが肩身狭い思いをしなくちゃいけないのよ!!」

「知るかよ! 代わりたきゃ代わりやがれ!」

 

 勝手にキレたアネットにグリムジョーがキレ気味に返す。

 

「ふん、アタシはですね、貴方たちが羨まーーけしからーー代わってほしいけども!」

「......アネット。この場面でも欲望に忠実なお前に、敬意を示したいぐらいだ」

「うるさい! いかがわしいことしてた野郎どもが! ニルフィが抵抗できないのを良いことに、部屋に監禁していかがわしいことに励もうとした癖に!」

「......話は最後まで聞け」

 

 怒りとピンク色な欲望の占めている頭に、グリーゼの言葉など届いていないだろう。

 

「それにどうして貴方が付いていながら、こんな不祥事を起こしてるんですか。何のためにアタシたちが保護者として同伴してるのか忘れた訳じゃありませんよね? 拾い食いさせない、悪い大人に付いて行かせない、迷わないように、って」

「......これ以上言い訳をしても見苦しいだけだな」

「グリーゼ殿。我々のために気を強く持ってほしい。とばっちりを受けるのは御免なのでね」

 

 かなり潔く首を差し出したグリーゼをシャウロンが止めようとした。この巨漢は気づいてるだろうか。差し出す首の隣に、第6十刃(セスタ・エスパーダ)主従のものまであるのを。

 しかし次のアネットの質問で、退路が断たれた。

 

「一つ、教えて頂戴」

「なんでしょうか」

「いかがわしいことしてないって言うのなら、ニルフィの死覇装はどうしたのよ? ねぇ、もしかして見たの? それと誰が着替えさせたんですか、そのローブに」

 

 誰が最初というワケでもなく、アネットから視線が逸らされた。アネットの殺気が倍に増しているのだけが理由ではないのは確かだ。

 なるほど、へぇ……とアネットは深く頷き、

 

「いい? これからアタシはアンタ達を殴る。けど、アタシはアンタ達が憎くて殴るわけじゃない! --殴りたいから殴るのよ!!」

 

 それからしばらく、二人の十刃(エスパーダ)の主従たちのいる部屋では爆砕音が響いた。そしてそれ以上に、無数の鈍くて重い打撃音が下官たちの耳に届いたという。

 煙が噴き出す部屋から出てきたのは、猫のように丸まるニルフィを抱きかかえたほくほく顏のアネットで、どちらも無傷だったらしい。

 幸運にも、ザエルアポロの予測通り、ニルフィの姿は半日で戻った。

 成長している姿の間の記憶は無くなっていたようだ。正気に戻ったニルフィは、なぜかアネットの肌がつやつやしているのが気になった。身体が火照ること以外には、特に後遺症などはないようだ。

 元に戻ったニルフィは、アネットからありがたい説教を聞かせられて懲りたらしい。

 ただ、それよりも、

 

「無理に変わろうとしなくても、いいかな、って」

 

 ニルフィは気恥ずかしそうにはにかんだ。

 

 

 ----------

 

 

 グリムジョーは鈍く痛むわき腹に舌打ちを零した。

 

「クソッ、あの煩悩女が......ッ」

 

 あの細身の体のどこから出るのか、凄まじく重いボディブローを一発喰らってしまった。それなりの力で回避をしようとした。けれどこのザマだ。朱色の髪の女に、そして自分の力量を疑ってしまうのが苛立たしい。

 

「............チッ」

 

 再度の舌打ち。今度は大きく。

 そもそもアネットは自分から十刃(エスパーダ)を降りていなければ、今でもその座に居たであろう実力を持っている。あれが十刃落ち(プリバロン・エスパーダ)従属官(フラシオン)という立場なのだから、笑い話もいいところだ。

 その身分に甘んじる姿を見た時の苛立ちは今でも覚えている。お前はそんな所に収まっていい器じゃないはずだ。何度、この言葉が喉元から出かかったか。

 それにさっきまで宮にいたグリーゼも。

 並の破面(アランカル)ならば一発でノックアウトしそうな殴打を甘んじて無数に受けながら、二秒ぐらい床に倒れていただけで、ニルフィが自分の宮に戻ると知ると平然としながら立ち去って行った。タフとかそういう次元ではない。彼も彼で従属官(フラシオン)としては規格外である。

 グリーゼは自分の座を明け渡すとき、本気で戦ったのか? ふと、そんな疑問が時折あり、くだらないと答えを出すことはない。

 けれどあの二人とはそれなりに面識がある。だからもどかしい。なぜ、お前たちみたいな実力を持った奴が、下にいるのか。

 そしてどうして、時々満たされているような表情を浮かべるのか。

 ニルフィのことをグリムジョーが苦手とするのは、彼女の主人としての在り方がよく分からないというのもある。

 退化したからとはいえ、元が下級大虚(ギリアン)であるグリムジョーの従属官(フラシオン)たちは、やっと回復したところだ。

 

 ーーこれでいけるのか?

 

 もう少しで自分がやろうとしていることに、疑問が付きまとう。

 グリムジョーの従属官(フラシオン)たちは数の上ではアネットたちより多いが、いざ戦えば確実に負ける。力がない。その事実が、これからの選択肢でどう動くのか。

 これは成功するしないの話ではない。ただグリムジョーの個人的な感情で、いわゆる独断の行動だ。

 それに自分をここまで慕ってきた者たちを巻き込んでいいのだろうか? 普段なら、そもそもシャウロンたちは勝手に付いてきて、そしてグリムジョーも勝手にしろと何も言わない。

 そのまま死ぬのなら自業自得だ。そう割り切ったし、従属官(フラシオン)たちも心得ている。

 けれど、

 

 --これでいいのか?

 

 甘ったれた考えが浮かんでは消える。

 それなりに長い時間をシャウロンたちと共に過ごした。それが欠ければどうなるのだろう。

 

「くだらねェ」

 

 グリムジョーは『王』だ。それを疑ったことはない。藍染には形だけ従っているつもりである。

 自分はバラガンとは違う『王』だ。

 孤高となるのならば、甘んじて受けよう。

 それでも心のどこかで、ニルフィたちのような関係が築けたのではないかと......。

 

「ここにいたのか」

 

 思考が中断された。むしろそれでよかったと、グリムジョーは思う。

 宮の屋上で仰向けに寝っ転がり、偽りの青空を眺めていたグリムジョーは視線をずらす。

 

「なんだ、シャウロン。もう寝てなくていいのかよ」

「これでも誇りはある身だ。さすがに女に殴られて昏倒したままでは、恰好が付かないだろう」

 

 アネットは手加減していたのか、とにかく痛めつけるだけに制裁を終えた。

 特に後遺症もなくシャウロンたちは動けるまでに回復したようだ。あと少しすれば戦闘も全力で可能になるだろう。......ボッコボコにされた(あざ)が痛々しいのは気のせいだ。

 

「貴様らしくもなく、気付くのが遅かったな。らしくも無く黄昏ていたか?」

「てめえは茶化しに来たのかよ」

「それでも良かったのだがな。とにかく、我々は回復した。さほど時間もなく出発できるだろう。アネット嬢が居なくとも、予定調和ではあったが」

 

 グリムジョーの横まで来たシャウロンは、立ったまま砂漠の地平線を眺める。

 

「姫君への挨拶はしなかったようだが、良かったのか」

「あァ、アイツは関係ない。それをするだけ義理もねェだろ。むしろ俺が義理立てしてもらうぐらいだ」

「......そうか」

「なんだよ」

「もう一度確認するが、良いんだな? 一気に立場が危うくなる可能性がある。不測の事態が起こるかもしれない。つまらぬ......いや、他者から見ては無意味な行為だぞ」

「それに着いて来るてめえらも大概だろうが。他の奴等に見られるようなヘマはするんじゃねえぞ」

「......ああ、見られは(・・・・)しないさ」

 

 含みを持たせてシャウロンが肯定する。

 現世への独断進軍。これからグリムジョーが行おうとしていることだ。もちろん藍染のためを思ってではない。ただ気に入らなかったからだ。あの死神の少年が生きているのも、先に現世に行った面々が誰も仕留めなかったのも。

 彼の気質が、認めようとはしなかったのだ。

 

「ディ・ロイも連れていくことにした。アネット嬢からの拳でダメージが最も大きかったのは奴だが、懇願する始末でな」

「......そうかよ。勝手にしろ。それと、わざわざ俺に言わなくていい」

「ところで、いまからでも時間はある。姫君へ何か伝えておけばどうだ? そうすればいじけることもしないだろう」

「お前なぁ」

 

 グリムジョーは半身を起こし、不機嫌そうな顔をシャウロンに向ける。

 

「今まで思ってたんだけどよ、どうして何度も何度もニルフィのことを言葉に混ぜやがる」

 

 皮肉屋な気質のあるシャウロンだが、ここ最近はよくニルフィのことを口にしていた。それもグリムジョーに絡ませるように。それが不可解だ。

 何のことはないと、シャウロンが肩をすくめる。

 

「貴様は不器用極まるからな。彼女を気に掛けても行動に移せないだろう。それをけしかけてるだけだ」

「てめえ......ッ」

「私としては嬉しいことだ。貴様が他人を気に掛ける姿を、見ることができるからな」

 

 静かな口調でシャウロンが言った。それは諦観を含んでいるようであり、もしかしたら羨望があるかもしれなかった。前者は主人に、後者は少女に。手に入れられなかったものを見れた。そんな表情だ。

 

「この世に完全なものは存在しない。藍染様も例外ではないだろう」

 

 そして、と続けて、

 

「貴様が『王』となっても、例に漏れることはない」

 

 ここに来て初めてシャウロンがグリムジョーと目を合わせた。グリムジョーにはその内心を知ることは出来ない。

 先に視線をはずしたのはシャウロンだ。認めたくはないが、あと少しそれが遅ければ、先に目を逸らしたのはグリムジョーだったかもしれない。

 

「我々は従者だ。精々、使い潰せばいい。その時の後悔が、貴様が本当の『王』になった姿を見れなかったこと、などとならなければいいが」

 

 らしくもないのは、どちらだろう。

 グリムジョーが獰猛に笑う。虚勢ではない。心の揺らぎが収まり、さっきまで弱さを吹き飛ばすように。

 

「言ってやがれ。てめえの言葉が戯言だって証明してやる」

 

 シャウロンは深く、噛み締めるように頷くだけで、なにも言わなかった。

 迷いは断った。グリムジョーは立ち上がる。

 

 

 

 それから少し経ち、第6十刃(セスタ・エスパーダ)の主従たちは虚夜宮(ラス・ノーチェス)から姿を消した。

 

 

 




『没シーン』(間が空いたお詫びにネタシーン。話の余韻を残したいならUターン推奨)

 アネットが鼻唄交じりに廊下を進んでいく。
 これからニルフィの部屋に行くところだ。ただ彼女の近くにいるだけで、アネットは幸せだった。
 
「ニルフィ、入りますよー?」

 返事はない。寝ているのだろうか。それを(いぶか)しく思いながら、アネットはニルフィの部屋に足を踏み入れる。
 
「ーーそれでね、私はずっとこうだから......」

 椅子に可愛らしく腰掛けたニルフィの背中が見えた。膝の上に置いた何かとままごとのように会話しているらしい。アネットのことにも気付かず、熱心に話しかけている。なんだろうか、この可愛い生物は。
 アネットはそっ......と近寄る。話し相手はお気に入りのウサギのぬいぐるみ『チャッピー』だろうか、はたまた怪しげな魚類抱き枕かつ目覚まし時計の『マグロさん』なる際物だろうか。
 微笑ましく思いながら、アネットが背後から覗き見て、

 --牛乳パック、だと......!?

 予想の斜め上どころか背後を取られたような答えに唖然とした。
 ニルフィが持っているのはどう見ても、現世の食物の一つである、紙パックに入った牛乳(500ml)だった。銘柄が『おしい牛乳』なのは余計か。

「わわっ、アネット!? 居たんなら呼んでよ。びっくりしたー」
「むしろアタシのほうがびっくりなんですけどね」

 なぜに牛乳。背に寒いものが滑った感覚を味わう。
 
「あのぉ、どうして牛乳なんて持ってきてるの? 飲むのならコップを用意してあげるのに」

 するとニルフィは恥ずかしそうに俯き、モゴモゴと口ごもってしまう。コップを忘れたとかそういう理由ではないだろう。
 
「えと、その......」

 金色の眼を伏せ、つっかえながら、ニルフィが語りだす。

「どうしたら、大きくなれるのかって、前にバラガンさんに相談してね。それで、助言をもらったの」
「それが牛乳ですか? 失礼なこと言わせてもらうけど、アタシたちが牛乳を飲んだからって成長はしないわよ」
「そ、それは私も分かってる。でも忙しそうだったバラガンさんが、さ」

 ニルフィはそっと、紙パックを撫でる。

「牛乳に相談しろってだけ、言ってね。だからさっきからずっと、この牛乳にどうしたら私の背は高くなるのかって、相談してたの。けどね、ちっとも私の背が伸びないの」

 ーーでも、中身を飲んじゃったら相談できないでしょ?
 そこまで言い終わり、秘密にしておこうと思っていたニルフィは赤面した。
 
 なんなんだろう、この可愛い生物は。

 アネットはとりあえず、ニルフィをぎゅっと抱きしめた。



(書き終わってなんだこりゃと思ったのは秘密)

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