記憶の壊れた刃   作:なよ竹

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血心ラプソディ

 ニルフィたちは玉座のある間へとやってきている。そこで、今回のグリムジョーの無断侵攻の裁量を決める。

 中央にはグリムジョーとその従属官(フラシオン)たち。そして東仙要がいた。

 壁際にニルフィがおり、その少し後ろの両脇にアネットとグリーゼが控えている。

 上方に据えられた玉座に腰掛ける藍染が言った。

 

「--おかえり、グリムジョー」

 

 ここまで不安になるおかえりは世界を探してもそうないだろうとニルフィは思う。誰の目から見てもそわそわと落着きない様子で事の成り行きを見ていた。

 グリムジョーは何も言わない。それを見かねた東仙が口を開く。

 

「......どうした。謝罪の言葉があるだろう、グリムジョー」

「別に」

「貴様......」

 

 眉をしかめた東仙に藍染が声を掛ける。

 

「いいんだ、要。私は何も怒ってなどいないよ」

「藍染様?」

「グリムジョーの今回の行動は、御しがたいほどの忠誠心の表れだと私は思っている。違うかい? グリムジョー」

 

 グリムジョーは一息間を置き、

 

「そうです」

 

 彼の襟首を東仙が乱暴に掴んだことで、ニルフィは不穏な空気を感じ取る。

 そして疑問を抱く。なぜ、藍染はわざわざ東仙を(・・・)挑発するような言葉を選ぶのだろうか、と。

 ニルフィは横合いから口を出した。

 

「でもさ、東仙さん。結果論になっちゃうけど、グリムジョーは現世にいる死神の数人に傷を与えたよ? 副隊長格が二人、それに隊長格が一人。それなりの打撃だったんじゃないかな」

「ニルフィネス、貴様も分かっているはずだ。最低でも瀕死の傷を与えなければ死神には回道という鬼道がある。時が多少なりとも経てば、相手には何の痛みもない」

「じゃあ、今からでも行く? この短時間だと向こうもみすみす尸魂界(ソウルソサエティ)に帰ってないだろうし、確実に仕留められるよ」

「それは許可できない」

「どうして?」

「藍染様の意志に反するからだ」

 

 ニルフィは藍染を見上げる。彼は内心を伺い知れない微笑を湛えたまま、肯定も否定もしなかった。

 東仙が声を張り上げるように進言する。

 

「藍染様! この者の処刑の許可を!」

 

 その言葉にニルフィは柳眉をひそめた。ほんのかすかに感じられらるだけだった不穏な空気が、形あるものとして目の前に現れたような、そんな感覚だ。シャウロンたちもそれに警戒する。

 

「東仙さん、本気なの? 大切な時期なのにグリムジョーにそんなことしたら、せっかく埋まってた十刃(エスパーダ)の席に穴が開いちゃうよ。今の十刃(エスパーダ)虚夜宮(ラス・ノーチェス)での最高戦力だと思うけど」

「だからこそだ。今後このようなことが無いよう、見せしめにしなければならない」

 

 逆に平然としているのはグリムジョーで、口の端を吊り上げながら東仙を横目で見た。

 

「私情だな。てめえが俺を気に喰わねえだけじゃねえか。統括官様がそんなことでいいのかよ?」

「私は調和を乱す者を許すべきではないと考える。それだけだ」

「組織のためか?」

「藍染様のためだ」

 

 グリムジョーは鼻で笑う。

 (ホロウ)に規則など必要ない。それを無理やり矯正して調和を乱しているのは、お前だとでもいうように。

 

「はっ、大義を掲げるのが上手なこった」

「そうだ、大義だ。貴様の行いにはそれがない」

 

 東仙が己の斬魄刀の柄を握りこむ。その様子がニルフィにもはっきりと見えた。

 --まさか。

 いや、そんなはずはないとニルフィは考える。東仙は自分で許可を求めていながら、それを待つことなく柄に手を掛けた。そんなものは大義ではなく独善に堕ちている行為。藍染は許可を出していないのだから。

 東仙の独白が続く。

 

「大義無き正義は殺戮に過ぎない。だが、大義の下の殺戮はーー」

 

 東仙が刀を引き抜き、一閃した。

 グリムジョーの左腕が肩の辺りから斬り飛ばされる。

 

「--正義だ」

「ァああああああああああああ!!」

「グリムジョー!」

 

 油断していた。まさか本当に東仙が刀を引き抜くとは、ニルフィも、そしてグリムジョーも思っていなかった。

 ニルフィから見た東仙要という男は、この虚夜宮(ラス・ノーチェス)でも理性的な性格をしている人物であり、藍染への忠誠心も折り紙付き。しかし本当は違う。忠誠も、忠義も、藍染に対して向けられるそれらが欠落していた。

 

「破道の五十四」

 

 廃炎

 

 東仙から放たれた霊子の塊が、床に落ちたグリムジョーの左腕を灰にする。

 残していたのなら、くっつければ治っていたかもしれないのに。

 

「そして従者も同じだ。主人を止めることもせず、正義無き殺戮に手を染めようなど、万死に値する」

 

 東仙が刀を閃かせる。

 力量ゆえに警戒心というものを持っていたシャウロンたちだが、グリムジョーが腕を斬られたことに動揺し、その凶刃を避けられなかった。

 イールフォルトとナキームが胴体から血を吹き出し、膝から崩れ落ちる。

 唯一シャウロンだけ、急所を斬られながらも意地とでもいうように踏みとどまった。

 

「なんでッ......!」

 

 我に返ったニルフィは霊圧を体に纏い、東仙を殺してでも止めようと動き出そうとする。

 しかし背後から伸びた手によって両腕を後ろに回され、無理やり膝を突かされた。

 

「ッ!? どうして! アネット! グリーゼ!」

「......すまない、主よ。だがここで、東仙を殺しに掛かるな」

 

 ニルフィの右腕を拘束していたグリーゼが押し殺したような声で言う。

 最後の望みを掛けて、ニルフィは震えながら左を後ろ眼で見る。アネットは顔を合わせてくれなかった。

 膂力という点で勝っている二人に拘束されたニルフィは、ただ見ていることしか出来ない。それでも。なぜ、仲間をみすみす見殺しにしなければならないのか。

 肩がはずれてもいい。あの光景を止められるなら、どうなっても良かった。

 しかし。

 

「ぅ、あ......」

 

 シャウロンと目が合う。仮面に覆われていない右目が、真っ直ぐにニルフィを見据えていた。だから、分かってしまった。

 

『来るな』

 

 言葉は無くともそう言っていることに。

 一瞬あとにシャウロンは心臓を貫かれ、床へ倒れ伏す。

 

「シャウ、ロン」

「--くそッ!! くそッ! くそッ! くそッ!!」

 

 殺意の眼光をぎらつかせるグリムジョーの叫びにニルフィの声はかき消された。グリムジョーはシャウロンたちを見て、ギシリと歯を食いしばる。

 

「てめえ......! --殺す!!」

 

 グリムジョーは残った右腕で斬魄刀に手を添えようとした。

 

「止めろ、グリムジョー」

 

 上から降ってきた藍染の声に、まるで体に超重量のおもりを付けたように身動きを取れなくなった。

 

「ニルフィも同じだ」

 

 霊圧を軋ませていたニルフィは力なく藍染を見上げる。

 藍染は少しばかりの厳しさを含んだ表情で言った。

 

「君たちがそこで要を攻撃すれば、ーー私は君たちを許すわけにはいかなくなる」

 

 逆らえば待っているのは死だ。それを明確に二人の十刃(エスパーダ)に刻み付ける。ここでは感情を押し殺すしかなかった。

 肩を上下させるグリムジョーは、シャウロンたちの死体を一瞥する。斬魄刀で斬られたことにより死体は霊子へと戻っていき、彼らの存在を示すものは残らなかった。グリムジョーが何を思ったかなどニルフィには知りえない。しかし彼は奥歯を砕けんばかりに噛み締めると、舌打ちを残して部屋を出ていった。

 

「グリムジョー!」

 

 拘束が弱まったのを機に、従属官(フラシオン)の腕を振り払ったニルフィは、その背を追う。

 

「アネットとグリーゼはこの場に残ってくれ。話しておきたいことがある」

 

 藍染のそんな言葉を聞くこともなく、床に点々と残る血の跡を辿って行った。

 

 

 ----------

 

 

 どんな道順だったのかニルフィは覚えていない。気づいたらその場にいたし、疑問を持つこともなかった。 

 砂漠の上に建てられた適当な塔の上にいる。

 ニルフィは塔の端に腰掛けたグリムジョーに呼びかける。彼女が泣いた、あの日のように。

 

「グリムジョー」

 

 けれどグリムジョーは振り返らず、彼に付き従う従属官(フラシオン)の背中も見えなくて。たった一つの背にニルフィが近寄った。

 

「--失せろ」

 

 拒絶の意志に足がすくむ。このまま近づけば、押し固められたような声が怒りに荒れ狂うだろうか。それは当たり前のように怖い。背が凍りそうだ。

 グリムジョーの左腕があった場所からは、ぽたぽたと血が垂れ落ち、水たまりを作っていた。痛々しい傷を見たくはない。

 それでも、

 

「ねえ、グリムジョー」

 

 足を踏み出す。肌を痺れさせるような霊圧の威嚇が強まった。

 

「......ごめんね」

 

 少しして、肩越しにグリムジョーが振り返る。

 

「なんて顔してやがる」

「え?」

 

 ニルフィは頬に手をやった。流れる涙は無いし、視界もぐちゃぐちゃになっていない。いつもこんなに悲しい時は目に溜まる涙が、今日に限って出て来なかった。

 強張っていた頬を無理やり動かして、笑う。

 

「私、だいじょうぶだよ。泣いてなんかないもん。泣かないって、約束してるから」

「泣かねえのか?」

「......うん。でも、悲しいよ? だけどなんだか涙が出ないの。それで......わかんない」

「俺も分かんねえよ」

 

 グリムジョーが前を見た。飾り気のない巨大なだけの塔が白い砂漠に乱立している。塔の壁まで白いものだから無機質極まりない。

 

「けどな、言っておくが、『自分のせいでこんな結果になった』なんてくだらねえことは考えるな」

「どうして?」

「どうせお前らが来なけりゃ、あいつらは現世で死んでた。遅いか早いかの違いでしかなかったんだ」

「でも......」

「てめえは関係ない。言ったのはてめえのはずだ。シャウロンは命欲しさに教えたわけじゃねえってな。他のやつらも同じだ」

 

 たしかに、そうだ。しかし屁理屈のようにも聞こえる。グリムジョーが言ったことも、そして自分の考えることも。もしかしたら他に選択肢があったのではないか? そんな気がしてならない。

 

「あいつらは俺に勝手に付いてきた。最初から、ずっとな。生きようが死のうが勝手にしてろって言ってやったぜ」

 

 最下級大虚(ギリアン)であるシャウロンたちが今まで一人も欠けてこなかったのは、奇跡に近いことだろう。常に決まっていたのはグリムジョーだけが生き残ることだけ。そしてついにーー独りとなった。

 孤高の王だ。民も、臣下も、何も無い『王』になった。変わったといえばそれだけのこと。

 しかしグリムジョーの言葉の端々に苦々しさがあると思ったのは、ニルフィの気のせいだろうか。

 

「私は悲しいよ」

「なんでだよ。てめえの部下でもねえってのに、どうしてお前は悲しいって言える」

「いっぱい遊んでくれたし、根が良い人たちだったから」

「嫌々やってたかもしれねえぞ」

「......じゃあ、時々見せてくれた笑顔も。あれも全部嘘だったの?」

「そうだと言ったらどうする」

「それこそ嘘だって思う」

 

 一歩一歩、ニルフィがグリムジョーに近づく。

 年単位の日々を感じる破面(アランカル)にしてみれば、ニルフィとシャウロンたちとの交流の時間など、ごく微々たるものだ。それでも他人という括りにすることはできない。

 

「みんな、乱暴なところはあったけど、私のことを傷つけた人なんて、いなかったから」

 

 反論の言葉は飛んでこなかった。くだらない判断要素かもしれないが、ニルフィにとってはそれだけで十分である。

 少しばかり疲れたような声で、グリムジョーが言った。

 

「......俺にどうしろってんだよ」

 

 馬鹿馬鹿しいとでもいうようにグリムジョーが立ち上がろうとする。それをニルフィが押しとどめた。

 

「まってよ、傷が」

「黙ってりゃあ治る」

「すぐじゃないでしょ。こんなに血を流して。......じっとしてて」

 

 グリムジョーの右腕。肩の近くから無くなり、血を滴らせながら滑らかな断面をさらしている。

 腕が残っていれば無理やりくっつけられたかもしれないが、東仙に灰にされてしまったためにそれも出来ない。超速再生を失った破面(アランカル)では新しく腕を生やすことは出来ないのだ。

 だからニルフィができるのは血を止める応急処置だけ。

 ニルフィは四つん這いになり、傷口に顔を寄せる。床に広がっていた血が彼女の死覇装を汚す。しかしそんなことには頓着せず、ニルフィは傷口に小さな赤い舌をそっと這わせた。

 

「--ッ!? なにしやがるッ」

「止血、かな。傷を塞ぐことくらいは私にもできるから、ね」

 

 伏目がちなニルフィがそう言うと、グリムジョーはそれ以上なにも言わなかった。彼の死覇装の裾を掴んでいた細い手など、いつでも振り払えただろうに。

 ニルフィが傷口をなぞるように舐める。

 

「ん......ふ、ぁ......」

 

 必死に舌を動かし続けた。口の中に血が溜まれば白い喉を上下させ飲み下す。ぴちゃり、ぴちゃり。その気はなくとも淫猥な水音や、懸命に奉仕するような姿から、ニルフィの姿はいつもに増して背徳的な色香を漂わせる。

 いつしか流れる血は止まっていた。

 ニルフィは唇についた血の玉を舌で掬い取ると、自分の死覇装の袖でグリムジョーの腕の断面を拭う。

 すると傷口は嘘のように消えていた。

 

「どう、かな? まだ痛む?」

「いや」

「よかった」

 

 顔をほころばせるニルフィ。彼女の表情を気まずげに見返したグリムジョーは顔を逸らす。

 気にした様子もなく、ニルフィは身軽な動作でグリムジョーと背中を合わせるように座った。

 

「一つだけ、お願いしてもいいかな。あとちょっとだけでいいから、そばに居てほしいの。なんだか......眠くなってきちゃって」

 

 今日は色々とありすぎた。もう限界だった。

 たとえ表向きは気丈にしていようとも、少女の頭には、いや、心にはすぐに受け止められるだけの強さは無いようだ。見かけ相応の脆さで崩れかかっている。

 グリムジョーが何か言ったようだが、急にノイズが掛かったように聞き取れない。

 --あぁ、全部夢だったらいいのに......。

 意識が闇に落ちるのに、そう時間は掛からなかった。

 

 

 ----------

 

 

 ーーこれは、記憶だ。

 大勢の(ホロウ)に囲まれていた。それはまさに大群にして大軍と称していい。

 最近やって来た『自分』の暴虐に対して、ここら周辺の(ホロウ)たちが決起したようだ。普段は群れないはずの(ホロウ)たちが共通の敵を前にして協力しあうとは、なかなかに皮肉が効いている。

 しかし『自分』に焦りはない。腹を満たせるエサがやってきたことに対する万来の喜び、そして......一抹(いちまつ)の寂しさがあるだけだ。

 向けられる視線は敵意に満ちており、友好的なものなどあるはずもない。

 それがなぜか悲しい。

 

 『自分』は、自分から彼らを攻撃したことなど、一度もないというのに。

 

 『自分』の容姿を甘く見て襲い掛かって来た(ホロウ)は容赦なく捕食する。その強さを見て力試しにやって来た(ホロウ)も食いちぎる。敵意を持って傷つけにくる相手は殺し続けた。だからエサに困ることはない。

 しかし。

 『自分』は仲間というものが欲しかった。

 髑髏の大帝はそれを与えてくれそうだったが、上下関係があることで『自分』の望んだことではないと無視することになる。『自分』はただ、対等に接してくれる存在が欲しかっただけだ。とにかく飢えていたのだろう。腹が満たされるだけではさらに空腹がひどくなるばかりだ。

 しかしそんな存在は現れない。

 話しかければ逆に襲い掛かられ、仲間にしてほしいと申し出てもメスということで狙われることとなる。

 もしこの時、3の数字を冠することになる女の最上級大虚(ヴァストローデ)と出会っていれば、『自分』の運命は変わっていたかもしれない。それもないものねだりでしかないが。 

 一時期は自分から強引に(ホロウ)を仲間に引き入れたこともある。しかしある程度数が増えると反旗を翻そうとしていた。それに絶望し、はじめて(ホロウ)を泣きながら殺し尽くした。

 そこで諦めたのならば、司る死の形に”孤独”を持つ男と同じ道を進んでいただろう。

 しかし諦めない。

 どれだけ裏切られようと、命を奪われかけようと、仲間を得られるまで生き続ける。

 そしてこの日も、『自分』は(ホロウ)を喰らう。


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