記憶の壊れた刃   作:なよ竹

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防衛ではなく殲滅ですよ

 黒崎一護はたどり着いたその一室で足を止めていた。

 さして特徴のない部屋であったが、唯一、高い天井までに届きそうな階段がそびえ立っている。

 そこを等間隔の足音を響かせながら降りてくる青年がいた。

 

「ウルキオラ……!」

「俺の名を(おぼ)えているのか。お前に名乗った(おぼ)えはないんだがな」

 

 口ではそう言うものの、さして疑問を持っているように思えない。以前と変わらないように無機質な印象を受ける破面(アランカル)だ。

 

「まあ良い。朽木ルキアは死んだ」

「ーー! なん……だと……!?」

 

 彼からもたらされた情報は驚くのに十分だった。

 

「正確には第9十刃(ヌベーノ・エスパーダ)に討ち取られた。全身を切り刻まれ、槍で体を貫かれた。生きてはいまい」

「適当なこと言うなよ。ルキアの霊圧が小さくなってから時間は経ってないぞ。戦ってもいねえてめえがそんな事……」

「認識同期。第9十刃(ヌベーノ・エスパーダ)の能力の一つであり、奴の役目の一つでもあった能力だ。奴は自分の戦った敵のあらゆる情報を瞬時に、すべての同胞に伝えることができる。……なにも吉報ばかりではなかったが」

 

 最後の言葉だけ、今までの淡白なものとは色合いが違っていたが、それに一護が気づくことはなかった。

 感情が(たか)ぶる。すぐさま否定の言葉を吐きたい。しかし、それすらも強引に理性で押さえつけて、一護は部屋の脇にある扉へと歩き出す。

 

「どこへ行く」

「ルキアを助けに行く」

「死んだと言ったはずだ」

「信じねえ」

 

 言い切った一護を、ウルキオラが切り捨てた。

 

狷介(けんかい)だな。朽木ルキアだけではない。お前の他の仲間もロクに勝つこともできないまま次第に死んでいくだろう。十刃(エスパーダ)も腰を上げ、他の破面(アランカル)たちも動き出した。……そして、援軍としてやって来た朽木白哉も倒れた」

「なッ……あいつが!?」

「リーセグリンガーと戦闘した霊圧は感じただろう」

 

 たしかに、一護は白哉とニルフィが交戦をした際の霊圧を感じ取っている。それからパッタリと両者の霊圧が消えてから嫌な予感というものがしていた。

 白哉は強い。かつて尸魂界(ソウル・ソサエティ)で戦い、ほぼ相討ちに近い形で辛くも一護が勝利できた相手だ。勝敗には運の要素も関わっていただろうし、そんな強者がもう倒されているのが信じられない。

 ならばなおさら早く行かなければならなかった。

 ふたたび歩き出そうとした一護の背に声が投げかけられる。

 

「俺を殺しに行かなくてもいいのか?」

「……てめえと戦う理由は()え。てめえは敵だが……、てめえ自身はまだ誰も俺の仲間を傷付けてねえからだ!」

「ーーそうか。虚圏(ウェコムンド)に井上織姫を連行したのが、俺だと言ってもか」

 

 気づけば、一護は斬魄刀を抜いてウルキオラに斬りかかっていた。それをウルキオラが右腕で受け止めてつばぜり合いとなる。

 霧のように見えなくなっていた答えがわかった。

 

「やっぱり井上は、自分の意志で虚圏(ウェコムンド)に行ったんじゃなかったんだな……!」

 

 ギシギシと歪な音の中でウルキオラが言った。

 

「意外だな。助けに来た仲間といえど、少しは疑心があったらしい」

「わかってんのか!? てめえのせいで! 井上は裏切り者呼ばわりされてんだぞ!」

「だろうな。そうなっていなければ、こちらの計算ミスということになる」

「てめえ……!」

「俺と戦う、理由はできたか?」

 

 ひときわ強い衝撃と共に二人が距離を取る。

 今まで部屋の隅で丸くなっていた少女、ネルに一護が離れていろと忠告した。

 

「い、一護」

「どうやらこいつは、俺をこのまま通す気はなさそうだ」

 

 その声に反応したのはウルキオラだ。無駄話を嫌いそうな性格だと思っていただけにそれは意外だった。そして開かれた口から出た言葉も、予想していた毒舌とは違うものだった。

 

「こちらも二人倒されている。だから、俺はここまでやって来た。俺は通す気がないんじゃない。ーー危険因子の一つであるお前を排除するだけだ」

 

 ウルキオラが霊圧を纏う。命令だからではなく、仲間が倒れたから動いた。ウルキオラ自身はそれを自覚しないままだった。

 だからといって一護も引くわけにはいかない。

 ドルドーニとの戦いのように、全力で倒す。

 卍解と一緒に(ホロウ)の仮面を引き出して跳躍した。黒い霊圧を引き連れながら斬魄刀をウルキオラに振り下ろす。

 黒い爆発からこの戦いが始まった。

 

 

 ーーーーーーーーーー

 

 

「持ち運びできる器具だけでは、彼女の治療の処置はこれで精一杯です」

 

 申し訳なさそうに一礼したのは、顔の右半分が髑髏状の仮面で覆われた黒髪の若い女だった。セーターと薄手のワンピースが合わさったような服は雑用として働く破面(アランカル)の身分を表しており、このロカ・パラミアも治療係として割り当てられたものであった。

 天蓋付きのベッド脇に腰を下ろしていたアネットはそれを手で制す。

 

「べつにいいわよ。あなたがいないとこの娘は死ぬしかなかったから」

 

 アネットは視線を死んだように眠っているニルフィへと移した。

 この大きな寝台と比べればひどく小さな存在だった。身が削られてそれも顕著になる。触れることさえ躊躇われる傷は全身にも及んで包帯が隠していた。ほんのかすかな胸の上下がなければ、死んでしまっていると思うのも仕方ない。

 そして何よりも少女を小さく見せている要因があった。

 囁くようにアネットが言った。

 

「また、伸びればいいわね」

 

 黒髪が今では肩よりも少し下からバッサリと無くなっている。幼い見かけにコンプレックスを抱いているニルフィだが、(からす)の濡れ羽色の長くなびいていた髪だけはよく自慢していた。それが、今ではセミロングがいいところだ。

 

「……他の持ってこれる器具だけでは峠も越せないということか?」

「本当ならば治療室まで運んで回復まで持っていくことが最善です。応急手当だけでは、時間の猶予を増やすだけに留まるかと思います」

「……それができれば苦労はない。だが巨大な器具まで持ってくるにしても限界がある」

 

 今まで黙ったまま治療を見ていたグリーゼが首を振る。

 ニルフィのダメージは思ったよりも大きすぎる。響転(ソニード)の移動にも耐えれず、アネットは近場でもっとも安心できる自分たちの宮に帰ってきた。そこまでの短距離移動だけでもニルフィは傷を広げていたために、比較的近いとはいえ、治療室まで運ぶにしても寿命を縮める。

 治療道具を持って駆けつけたロカに二人が気づき、ほぼ拉致の手際で時間を短縮させたのは余談だろう。

 

「このまま時間が過ぎてしまえば、ニルフィネス様の命は刻一刻と減っていくはずです」

 

 出来るかぎり事務的にロカが告げた。

 

「ですが」

 

 言葉を切り、ロカは眠っているニルフィに目を向ける。

 これでもニルフィの交流は深い。

 ニルフィがある日を(さかい)に命のやり取りと変わらない鍛錬を繰り返したことで、ほぼ毎日負傷、あるいはそれに近い怪我をして治療室にやって来た。それに担当を任されたのはロカだ。人懐っこいニルフィの性格もあり自然と会話も増え、少女がザエルアポロの研究室にまで勉強しに来た時も世話をさせてもらった。

 ロカはザエルアポロに創られた破面(アランカル)だ。その主人はロカを誰かと接触させることをよく思っていなかったが、なぜかニルフィとのふれあいだけは禁じなかった。

 

「ーー井上織姫様の力ならば、あの方をこの場へ連れて来れたのならば、それがもっともニルフィネス様の負担が小さくなるでしょう」

 

 従者たちは各々の反応を見せる。

 

「……たしかに、無から左腕を作り出せるのなら大それた器具もなしに可能だろうな」

 

 力の一端を目にしたことがあるグリーゼが頷いた。

 

「でも天挺空羅(てんていくうら)とかいう鬼道も無いし、アーロニーロの使ってた認識同期みたいな便利な通信手段もありませんからね。他の助力があるかもしれないけど、待ってるだけならアタシたちで行動を起こさないといけないわよ」

 

 たしかにアネットの言っていることももっともだ。

 それこそが、ロカがザエルアポロから出された指示だった。ロカだけではニルフィをこの場から動かすこともできない。不穏な動きを見せてしまえば、一秒後には顔見知りとはいえ首が切断されるか灰にされてしまう。

 そしてそんな二人をザエルアポロはそろって相手にするつもりはない。

 アネットかグリーゼのどちらかが宮を離れている間にザエルアポロは動き、他からの横槍が入れられないうちに“回収”を済ませる腹積もりだった。

 これは自分によくしてくれた彼らに対する裏切りだろう。

 ーーそれでも、私は『道具』ですから。

 ならば主人の命令には絶対でなければならない。

 

「…………」

 

 以前ニルフィに『道具』であることを疑問に持たれた。

 

『なんで自分のことを道具だって言うの?』

『それは……、私が道具として造られたからです』

『道具? だからなんで? ロカさんはロカさんでしょ。道具は自分で考えて動いたりしないし、いまのキミみたいに困惑なんて感情はないと思うよ』

『私には……“目的”や“目標”といったものはありませんから』

 

 自意識が薄いことを理由にしてロカはその問いから逃げかけた。

 うつむくロカをしばらくじっと見つめながらリンゴを食べていたニルフィが、おもむろにフードに入れてあったもうひとつのリンゴを取り出す。

 

『コレがナニか知ってる?』

『現世の果物……です』

『味は?』

『知識にあります』

『それがどういうものか知ってるの?』

『……いえ、食べるということをしたことがないので』

『じゃあ食べてみなよおいしいから。そもそもキミってば、おいしいって言葉は知っててもそれを体験したことなんてないんでしょ』

 

 目をキラキラさせながらロカがリンゴを食べるのを待っているニルフィ。

 それに根負けしてロカはリンゴの端にかじりつく。

 

『どう?』

『……よく、わかりません』

『おいしくなかった?』

『初めて、なので。これが甘さというもので、それでこれが、おいしいということなのでしょうか』

 

 知識にはあっても味わうという行為は新鮮だった。そして赤い果実を食べることは不思議と抵抗もない。

 もう一度確かめるようにリンゴをかじったロカにニルフィが笑いかけた。

 

『キミは知らないだけなんだよ。与えられた自分の世界しか知らないから、自分の目標とかになることが見えてないから道具だって思ってしまうんだ。……いまはまだ分からなくてもいいよ。でも私が教えてあげる。ロカさんには助けてもらってばかりだからさ、今度は私がキミをーー助けたいんだ』

 

 打算も悪意もない笑顔。それにロカは惹かれた。そしてこれが情というものなのだとロカは理解できた。

 それこそがザエルアポロが狙っていたことでもあるのだろう、と。

 選択肢はたったひとつだ。このままではニルフィが危ない。ならば織姫を頼るほかなく、そしてその時間も足りない今となっては従属官(フラシオン)の枠を飛び出た二人に彼女を連れてきてもらわなくてはならなかった。命令以上にロカの心がそうさせていた。

 

「お二人のどちらかに、井上織姫様をお連れしていただきたいのです」

「まあどっちにしろそうなるわよね、確実性を増やすためには。それで……あなたが頭を下げる理由って、どんなのですか?」

「仮にそうしたところでしばらくすればザエルアポロがこの宮にやって来ます。それに対抗するための戦力が二分となり、そうするようにも命令されていました。私がやって来たのもそのためです」

 

 顔を上げなくてもこれだけはわかる。 

 殺気がロカのうなじあたりを舐めていた。

 

「そりゃあ、あなたがザエルアポロのトコの破面(アランカル)だってわかってたし、さっきまでの治療の時も幼女に変なことしないか見張ってましたけど。だからってわざわざ言うことはないんじゃないかしら。殺されないかと思った? アタシとか、グリーゼとか、それにあの変態眼鏡に」

 

 ろくに戦闘をしたことがないロカではこの場で抵抗もできずに殺されるだろう。いくら特殊な『能力』があってもこの二人とまともにぶつかって勝てるなどとは考えられない。

 震える口元を引き締め、ロカが言った。

 

「身勝手な物言いだと自覚しています。ですが……、ですが、ニルフィネス様が完治されることが、いまの私の願いです」

 

 初めて本心を言葉にした気がする。

 しばらくして、声がかかった。

 

「顔、上げなさい」

 

 わずかに逡巡したロカだが、すぐにアネットの催促に従った。

 

「言いたいことは理解できたけど、それが本心かどうかなんてアタシたちには判断できないわ。酷な話だけどね。そうやってホイホイ調子のイイ事言われて信じるヤツだったら、そもそもアタシは十刃(エスパーダ)を降りてないわけだし」

 

 でも、とアネットは続ける。

 

「ニルフィだったら、あなたのことを信じちゃうんでしょうね」

 

 皮肉な笑みがアネットの内心を表していた。グリーゼも異論はないのか、特になにも言わなかった。

 ニルフィの頬をそっと撫でるアネットの表情はひどく冷めている。

 

「アタシたちにもまだやることがありますし、こういう些細な(・・・)邪魔はただ面倒なだけ。時間もあんまり無いわね。そうするとロカが下手に宮に残ってたり、変にこっちの情報を流されると困るから……」

「織姫様の場所まで同行する、ということですか」

「そうなるわね。じゃあ、この宮に残る方だけどーー」

 

 三人はこれからの簡潔な予定をまとめ、少女の眠る部屋から姿を消した。

 

 

 ーーーーーーーーーー

 

 

 一護の斬撃を右腕で受け止めたウルキオラ。彼は予想以上の衝撃に後方へ飛ばされ、いくつもの柱に叩きつけられると一護には見えた……が。

 

「なッ!?」

 

 響転(ソニード)

 

 みずからの超回復にものを言わせ、不自然な体勢からの高速移動を可能にした。転移場所はすぐ頭上。突きつけられたウルキオラの指先に霊圧が収束した。そして放たれる。

 

 虚閃(セロ)

 

 それに月牙天衝(げつがてんしょう)を叩き込んで相殺に持ち込んだ。

 一護の立つ場所を中心としてドーナツ状に床が削れ、立ち上がった煙幕が視界を隠す。

 ほとんど本能によって右からの手刀を受け止めた。煙の向こうからガラス玉のような目が現れ、再度つばぜり合いとなった。

 

「……もう少し、マシな攻撃が来ると予想していたが」

「抜かせッ!」

 

 手刀を振りほどき、斬魄刀に黒い霊圧をまとわせた。光を一切反射しない、ただただ黒の塊を集める。それによって立っているだけでも床が剥がれていく。

 ーー仮面のまま出来る、最後の一発ってトコか。

 頭の隅にそんな考えが浮かんだのをねじ伏せる。いまは目の前の敵だ。ドルドーニに避けられたのならば、あの戦いよりもさらなる集中力が必要になった。いや、この場合は威力か。ウルキオラは避けるまでもないというように前方にたたずんでいた。

 

 月牙天衝(げつがてんしょう)

 

 広間の一角を黒に染め上げる霊圧を放出した。

 それをウルキオラは右腕で受け止める。その背後を月牙天衝(げつがてんしょう)の衝撃波が通過して破壊を撒き散らしていく。だがウルキオラは受け止めており、威圧的な音を上げる黒の塊を押しとどめてなお、表情を変えることはない。

 その拮抗にも変化が訪れた。

 ついにウルキオラが今まで使わなかった左腕を持ち上げて斬撃を掴むようにして止める。

 一護はそれだけで止まるような霊圧を込めたつもりはない。

 だが、

 

「無駄だ」

 

 ふいにウルキオラが両腕に霊圧を込めた。

 

 虚弾(バラ)

 

 軽く腕を出す程度でかなりの威力のあるウルキオラの虚弾(バラ)。それがゼロ距離でマシンガンのように連射され、黒の塊を凄まじい勢いで削り取っていく。

 ついには腕自体にもさらに力を込め、文字通り斬撃を圧縮して破壊した。

 

「…………ッ!?」

 

 その光景を、剥がれていく(ホロウ)の仮面の奥から驚愕の目で一護が見ていた。

 

「……まさか両手を使うことになるとは思ってもいなかった。それだけ、お前はあの時から成長を遂げていたということか。少し驚いた」

 

 袖が消えたことでウルキオラの両の前腕が見える。腕は無傷でもなかったが、負傷しているわけでもなく、(ほこり)でも払う動作で両の手を鳴らすと元通りとなっていた。

 

「それで、今のが全力か?」

 

 答えることができない一護を見て、最初よりも興味をなくした声でウルキオラは納得した。

 

「どうやらそうらしいな。修練を重ねてきたはずだが、どうやら俺はお前を買いかぶっていたらしい。お前の進化は俺の目論見には届かなかった。ーーここまでだ」

 

 声は背後から聞こえた。同時に、そしてそれ以前に、一護の視界からウルキオラは消えている。

 攻撃は技とも言えないような腕のひと振り。

 たったそれだけ吹き飛ばされた一護は壁を貫通していき外へと吐き出された。

 ほんの一瞬だけなにかに気づいたように明後日(あさって)の方向を見た

 

 

 ーーーーーーーーーー

 

 

 ハリベルは斬魄刀を振るって血糊(ちのり)を払う。

 その背後では倒れ伏した死神が斬魄刀を握り締め、さっきまで戦いの渦中にいたことを表すように荒れた砂漠に血を染みさせていく。 

 明確な勝敗のわかれた戦いの結末は存外に呆気ないもので、

 

「死神すらも死からは(のが)れられないということか」

 

 斬魄刀を背に下げた鞘に戻し、戦いの熱を発散させるように呟いた。

 これで五人の侵入者のうち二人……、そしてニルフィと戦ったらしい者も含めて三人、討ち取ったということだ。 今さら話し合いなど叶わない。最初に手を出したのが虚圏側(こちらがわ)とはいえ、やはり解決には戦闘、それも勝利という結末で終わらさなくてはいけないようだ。

 ーー私からニルフィにしてやれることは無いからな。

 十刃(エスパーダ)上位とはいえ自分は所詮剣しか能がない。関係といっても親しいが仲間という枠組みまでだ。ニルフィがこれから進んでいく道を決める資格など、持ってるはずもなかった。

 そのことが歯がゆい。

 止めることは簡単でも運命が見逃してくれるはずもない。

 

「ーーーーぁ……!」

 

 声が聞こえた方向を見やる。

 

「ハリベルさまぁー! 置いてかないでくだ……んだおらァ! 押すんじゃねえよミラ・ローズ!」

「それだったら真っ直ぐ走りなアパッチ! こっちはアンタの巻き上げた砂が服に掛かってんだよ!」

「およしなさいな二人共。言動も服も見苦しいのはいつものことでしてよ」

「「表出ろやスンスンおらァ!!」」

「これ以上ないほど表でしてよ」

 

 騒がしい従属官(フラシオン)三人がすぐそこまでやって来ている。悩めば悩むほど凝り固まっていく思考をほぐすためにも、肉親ともいえる仲間がいたことで気がほぐれた。

 意図していたわけではないだろう。

 それはただ相手の幸運だった。

 

「ーーーーッ!」

 

 ハリベルが目を見開いて死神の死体へと振り向く。死神に変化はない。しかし探査回路(ペスキス)に引っかかった霊圧の持ち主が姿を現したのはーー砂の中から。

 

「ぶはああああ! 恋次ぃぃいいいいい!!」

 

 飛び出してきたのは、巨大な顔面を持つナニカだった。姿はまさしく(ホロウ)そのもの。戦いが始まってから敵意無しとして見逃していたはずの相手だ。

 そしてその霊圧が、ハリベルの記憶の一端を刺激した。ーーそこから連想した緑髪の女のことも。

 一瞬にも満たないわずかな隙。

 その中でソレは顔面だけ砂から突き出し、あろうことが大口を開けて死神を飲み込む。

 元から戦うつもりはないらしいソレはハリベルを見ることもせずに砂の中へと潜っていく。

 

 波蒼砲(オーラ・アズール)

 

 斬魄刀の空洞に霊圧を溜め、砂の中へと撃ち放つ。

 砂漠を大きく穿った霊圧の塊だがそれによって威力を殺されたのと、悲鳴を上げる巨大な面の怪物が予想以上の速さで深く潜ったことで取り逃がしてしまった。

 ーーいや、問題はない。

 ーー死神は確実に仕留めている。

 ーー回収されたからといって、復活させることもできないはずだ。

 それでもハリベルは自分が開けた巨大な穴を見下ろした。

 ーーあの霊圧は、たしかに“彼女”が引き連れていたはずの……。

 刻み込まれた『3』の数字を意識しつつ、飛ぶようにしてやって来た従属官(フラシオン)に向き直る。

 

「ハ、ハリベル様!? さっきのあのデカブツは……」

「見逃して問題ない。死神のほうは仕留めている。私の予想が当たっているなら、アレにはどうすることもできないだろう」

 

 冷静なハリベルの様子を見て三人娘たちは落ち着きを取り戻したようだ。

 ミラ・ローズがもうひとつの懸念を口にする。

 

「それで……、あのチビはどうしました?」

「…………」

 

 押し黙ったハリベルを見て、差はあれど従属官(フラシオン)たちは不安そうな顔つきとなった。

 ーーいつのまにか受け入れているみたいだな。

 幼女の挑発に本気で乗ってアヨンを解き放った頃の三人を思い出しながら、思考を割いていく。

 ニルフィはノイトラの鋼皮(イエロ)を模倣しているワケではなかった。十刃(エスパーダ)の中でもっとも打たれ弱い彼女があの密度の攻撃に負傷だけで済んだとは思えない。そしてハリベルが見たところ、あの時点でもかなり危なかった。

 

「十分な治療が必要だと思う以外は、な。もうしばらくすれば、私たちが手を出すこともできなくなる。信じるしかないさ」

 

 言葉を切り、ハリベルは鋭い目つきで第7宮(セプティマ・パラシオ)があるであろう場所を見た。

 その付近で戦いの予兆を感じ取ったが、それははたして、間違いではなかった。

 

 

 ーーーーーーーーーー

 

 

 第7宮(セプティマ・パラシオ)の南側には巨大な塔が森のように乱立している区域がある。

 各宮の近くにもある予備の物品がたくわえられた場所で、家具などを“うっかり”壊しても、新しく運び込む距離を短縮させるためにつくられていた。

 しかしこの時、そんな場所の中央の砂が大きくへこんでいく。ボコリ、と。へこんだ中心から筒状の物体が現れていき、側面にあった扉が開かれると、わらわらと鎧のように装甲を来た異型の破面(アランカル)たちが転がりでた。

 

「ふん、乗り心地の悪さはまだ改良の余地があるね」

 

 最後に出てきたザエルアポロがそうぼやくと眼鏡を押し上げる。

 第8宮(オクターバ・パラシオ)からここまで通らせた道を、鉄道よろしく筒状の物体に乗ってやってきたのだ。砂漠を歩いて進行するのがスマートではないと考えたりもしたが、そもそも、この目立つ従属官(フラシオン)たちを引き連れて他の十刃(エスパーダ)に絡まれないためだった。

 ーーあまり時間は掛けてられないか。

 ロカからの通信ではすぐ先ほどグリーゼが一緒に織姫の場所に向かったらしい。

 ーーこれはまあ、予想通りだろうね。

 アネットが重体のニルフィを放って宮を離れるとは考えにくかった。そのための対策はしてある。

 従属官(フラシオン)たちの着込んだ装甲はアネットの獄炎を防ぐ効果があった。バラガンの『老い』の呪いにも劣らない凶悪さを誇る炎を彼らが灰にされながら(・・・・・・・)止めている間に、ザエルアポロが己の能力でアネットを仕留める腹積もりだ。

 防ぐとはいえ、装甲は数秒間灰にされないことしか実現できなかった。

 こうして数多くの連れてきた従属官(フラシオン)たちはいわば捨て駒。そうでもしないと、あの女との戦いで勝機を見出すことなどできない。 

 ーーこいつらがいくら死んだところで、あれほどの被検体が手に入るのなら安いものだ。

 ーーだからこそ、アネット共々(いじく)り甲斐がある。

 自分を毛嫌いする澄ました女の顔が泣き叫ぶように歪むのを想像して気分がよくなりながら、ザエルアポロは最初の一歩を踏み出した。

 

「……悪いがここは通行止めだ。説得は最初から無駄だと判断するが、ここから退(しりぞ)けと最終通告をしておく」

「ッ!?」

 

 第8十刃(オクターバ・エスパーダ)主従が声のした方向を振り返る。

 彼らが出ていきた場所のすぐ背後に、手頃な石材に腰掛けてなにかの雑誌を読んでいるグリーゼがいた。大剣はそばに突き立てて、グリーゼ自身は最初からそこにいたかのように自然体であった。

 

「どうして君がここにいるんだい」

「……それは俺が残っているための疑問か? それとも、お前たちがモグラのように出てきた場所にピンポイントでいることにか?」

「ロカの通信では…………」

 

 ロカが虚言をザエルアポロへ伝えたことにすぐに思い当たる。

 おそらく織姫のところに行ったのはアネットで、自分たちが出てくる場所を教えたのも含め、なにもかも洗いざらいに吐いたのだろう。いくら痛めつけられたところで本当に忠誠心があったのならロカは話すこともしなかっただろう。

 それはあの道具でしかないはずの彼女が、自分の意志で謀反をしたということで。

 

「…………」

 

 純粋な疑問。

 いまのザエルアポロの顔は、安物の消しゴムを使用したとき、余計に紙が汚れるのを見た子供のようだ。

 そして、原因が“道具”にあると解った瞬間、その感情は驚嘆から苛立ちへと変化する。

 ーー僕は、わずかでも歯向かうなと命令したはずだ。

 ーー事前に、解体する、と宣言してやったはずだ。

 しかし、この心の荒れ方は。

 

「予想しなかったワケじゃない。むしろ、ニルフィの影響を考慮した上で交流させていたが……、実際に体験するまで、これほど苛立つものとは思わなかったよ。ーー道具が(・・・)僕に逆らうなんて(・・・・・・・・)!!」

 

 ザエルアポロは苛立ちと恍惚を混ぜ合わせた笑みを浮かべ、鬼気に満ちた吐息をゆっくりと吐き漏らす。

 危険な空気を察したのか、グリーゼは閉じた雑誌をかたわらに置き、おもむろに立ち上がった。

 そして、

 

「なぁんてね」

 

 一瞬後には、普段通りの冷静な科学者の顔つきへと戻っていた。

 

「君が残っていたことだけは予想外だったけど、ロカが君らを取るだろうことも、残った最後の壁がこの場(・・・)へやってくることも、全部予定通りなのさッ」

 

 ザエルアポロが指を鳴らす。

 するとここら一帯の塔から、事前に埋め込まれていたザエルアポロの造っていた機械から、特殊な霊圧の波が生まれる。その霊圧は満遍なく空気に満ちていった。

 それにいち早く気づいたグリーゼが周囲を見渡す。

 

「……成程(なるほど)。宮の外で俺たちのどちらかを相手にする自信は、これが原因か」

「察しがいいね。ロカには知らせていない情報さ。あいつは知らないだろうね。自分が、君たちをみすみす死地に送り込んだことなんて」

 

 ロカが最初に意図せぬニルフィとの邂逅をした時から、少なからず少女に影響を受けていた。それはザエルアポロにとって良いとは思えぬ方向にロカを変えるだろうという予想があった。

 ならばまだニルフィへの関心が弱いうちに芽を摘むより、助けたいと思うほど仲を深めておいて潰すほうが面白いと、ザエルアポロはその時考えている。自分のせいで『7』の主従たちが壊れていく様を見せていけば、ロカに生まれた感情も壊して本当の“道具”にできるだろうと。

 ザエルアポロは饒舌になっていく。

 

「元からどちらが残ってようと、ここでは君たちは思うように霊圧を使えない。アネットの炎はもとより、駆霊剣(ウォラーレ)も、甲霊剣(インモルタル)も、何より君が僕の数字を受け継ぐに足りえた『能力』もね。手間が掛かったよ」

「……『能力』というほどでもないだろう。死神だろうが破面(アランカル)だろうが、少なからず持っているチカラだ」

「君の場合は異常に発達しすぎてもはや別次元なんだ。それを自覚したらどうだい?」

 

 帰刃(レスレクシオン)状態だったとはいえ、グリーゼはニルフィの虚閃(セロ)を真正面から受けてほぼ無傷だった。それ自体が異常なのだ。ニルフィがバラガンの従属官(フラシオン)たちとの鍛錬で虚閃(セロ)を使わなかったのはそれ一撃で戦闘不能どころか殺してしまうためで、ザエルアポロでさえまともに受けてはただで済まない。

 

「……その労力をべつに向けたらどうだ」

「僕が動くのは研究心を満たすか、保身のためだけさ。しかし幸運だ。君たち主従は三人とも研究材料としての価値は、侵入者なんかよりもずっと価値がある。面倒なほう(・・・・・)が残ったとはいえ、ね」

 

 アネットとグリーゼの戦闘スタイルは対極に位置する。

 アネットは能力を主軸にしたもので、グリーゼは能力をサブとした肉弾戦を得意とする。サブを使えなくしたところで、まだグリーゼには主軸の肉弾戦ができた。しかしこれは問題ない。グリーゼが『能力』は使えない現在、クローンを作り出す能力や人形芝居(テアトロ・デ・ティテレ)があれば、こういった蛮人じみた(やから)は簡単に倒せると考えている。

 しかし、グリーゼは次を促すだけだった。

 

「……それで?」

「なに?」

「……口上はもういいのかという確認だ。お前も他の十刃(エスパーダ)が来ないうちに決着をつけたいんだろう。ならばこうしている時間さえ、無駄だ」

「君なら僕の帰刃(レスレクシオン)の能力は理解しているはずだよ。それに……、僕は君たちの手伝い(・・・)をしたいんだ。本当なら敵対するつもりもない」

 

 ザエルアポロは自分の胸に手を当てる。そのさまは純粋に、言葉通りの内心を表すようだった。

 

「君たちがこれからやろうとすることは理解している。いや、当事者ではないから、しているつもりかな。けれど時間はあまり残っていないだろう。どうせ結果は変わりないんだ。もし彼女に情があるだけなら、僕が代わりに終わらせてあげるよ?」

 

 しかし、不利を悟っているはずのグリーゼはその申し出を、大剣の柄を右手で握ることで拒否した。

 

「……くだらん上に、無駄と判断する言葉だ」

「それは、なぜだい?」

「……結果は変わらなくとも結末は変わる。いや、変えるしかない。俺たちがそう決めた」

 

 鉄板かと見間違える巨大な剣をグリーゼが軽く横薙ぎに振るう。

 すると次に手にしていた長大な青龍偃月刀(せいりゅうえんげつとう)を構えた。

 

「……コレが使えるのなら、俺自身がお前になにかしら影響を貰ったわけじゃないな。それなら十分だ。邪魔をするというのなら、お前を排除する」

 

 その言葉に、ザエルアポロが失笑する。

 

「ーーハッ。ヤミーと戦ってわざと負けた奴のセリフとは思えないよ」

「……全力で戦って負けたつもりだが?」

「余力を残してヤミーを僕たちと同じサイズにまで縮めたというのにかい。僕は君の全力というものに興味がある。それをこの戦いで見せてくれるのなら、これが終わってからの実験が楽になるよ」

「……全力を出させない環境でよく言う。だがーー」

 

 突如(とつじょ)グリーゼが偃月刀を豪快に振るった。

 霊子が使えなくとも、研ぎ澄まされたグリーゼの斬撃は()ぶ。それを知っているザエルアポロは腕を交差させて防御の構えを取った。

 だが、

 

「ぐっ、ぉおおおおおおお!?」

 

 壁が迫ってきた。

 従属官(フラシオン)共々、見えない壁に激突したかのようにして、ある者は塔の壁に叩きつけられ、ある者は遥か後方へと吹き飛ばされた。

 

「……状況から判断して、出し惜しみは無駄なことだと判断した」

 

 ぶち当たった壁から身を起こしたザエルアポロが浮かべる表情は、怒りや屈辱を抑え、喜色に染まっている。

 ーーこれは……、技でもなんでもない。

 ーーただの、ただの(・・・)風圧だけでッ。

 再度、構えを見せたグリーゼに予想以上の研究品としての価値を見出した。

 

「ここまでとはね。面白いよ。ーーできるなら、このまま完品に近い状態で死んでくれ」

 

 ザエルアポロが鞘から斬魄刀を引き抜き、恍惚とした表情のままーー手にした刀を自分の口腔に差し込んだ。

 

 

 

(すす)れ『邪淫妃(フォルニカラス)』」

 

 

 




NGシーン

「……悪いがここは通行止めだ。説得は最初から無駄だと判断するが、ここから退(しりぞ)けと最終通告をしておく」
「ッ!?」

 第8十刃(オクターバ・エスパーダ)主従が声のした方向を振り返る。
 彼らが出てきた場所のすぐ背後に、手頃な石材に腰掛けて『幼女パラダイス』という雑誌を読んでいるグリーゼが…………。

「ちょっと待て」

 思わず、ザエルアポロが素でツッコミを入れる。

「……なんだ? 急いでいるんじゃないのか?」
「もちろんそうだ。ーーけどなんだその本は! 僕を馬鹿にしているのか!?」
「……持ってくる直前でアネットにすり替えられただけだ。そう声を荒げるな」

 そう言いながら、グリーゼはぺらぺらとページをめくっていく。

「……そういえば知っているか?」
「何がだい?」
「……現世の全ネット上の児童ポルノの四十パーセントは日本製らしい。そして日本という国の人口は世界人口の約ニパーセント。この論からいけば、ーー日本人の児童ポルノ度は世界標準の約二十倍となる。潜在指数はそれを遥かに超えるだろう」
「まさか……!」
「……そうだ。侵入者の人間三人もその可能性がある。俺の予想ではーーあの眼鏡の白い男だ」


「む、どうした雨竜? 変な汗がだらだらと……」
「いや、凄まじく不本意なことを遥か遠くで言われているような気がしてね」


 このシーンをマジで入れようとしてしまった作者は疲れてます。もちろん、読者の皆様がそういった潜在的な方だとは微塵も思っておりません(まっすぐな目で)。
 次回更新は少し間が開く予定となりますので、何卒(なにとぞ)ご容赦ください。

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