記憶の壊れた刃   作:なよ竹

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真実の愛ってなに?

 グリーゼは足元の砂の感触が変わったことに気づいた。

 砂よりもさらに細かく、脆い物質。灰だ。

 どうやらアネットが大詰めに入ったらしい。能力によって遠方に、しかも建物内にあるモノまでも侵食していっている。過去の十刃(エスパーダ)に抵抗らしい抵抗もさせずに消滅させた、そのチカラが解放されたのだろう。

 

「……そろそろか」

 

 アネットたちの戦いの気配に気を取られすぎ、剣八の刃が鎧に到達、即破壊される。最初よりも格段に威力が上がっていた。脇腹あたりの部分に穴があいてしまったようだ。

 この鎧には特殊効果などない。そしてグリーゼには、他の二人のように再生能力など無かった。

 しかしすぐに高密度の霊子が密集して穴を塞いでしまう。

 斬っても斬っても、中身に到達できなければ終わりが見えない。しかし剣八は何度も狂ったように刀を振るいながら哄笑する。

 

「おいおい、どんな手品使ってんだよそりゃあ!?」

「単なるリサイクルだ」

 

 冗談とも取れる答えを返しながら、グリーゼは次の決め手の瞬間を探っていた。

 鎧の損傷はすぐに無くなるから無視してもいい。ここまでの連戦で、自分が消費した霊圧はほぼゼロ(・・・・)に等しい。

 アネットからこの場を預かり、たとえ百年後までだろうと全力戦闘がグリーゼには可能だった。

 破面(アランカル)が踏み込む。死神が距離感を誤り、わずかに鋒をブレさせた。グリーゼが手に持っているのは、現世のものを模倣した短機関銃。剣八が斬魄刀を振り抜くよりも先に、銃爪(ひきがね)を引く。

 秒間二十発も放たれる霊子の弾丸は、剣八を知る者ならば首をかしげるほど容易く彼に風穴を開けた。

 そのたびに片腕を失いながらも剣八の霊圧は上がっていき、その傍から消失も並行して現れていた。

 

 永久機関・飢蟲軍勢(エテルノ・アエテルヌム)

 

 これこそがグリーゼの強さの根本を担う能力である。

 正体は彼の能力で生み出した、ここら周囲一帯を覆う極小の兵士である“蟲”が、周囲の霊圧を変換することでグリーゼに蓄積させるというもの。周囲の霊子のみならず、戦闘で発生した余剰霊子、さらには物質や虚閃(セロ)などに至るまで(むさぼ)り喰らう代物だ。

 剣八を斬った瞬間も、これで彼の纏う霊圧を一瞬だけ消失させて防御力を無くさせ、逆にグリーゼは威力を増幅させていた。

 死神と破面(アランカル)の戦いは、すなわち霊圧の戦いだ。

 それをまともにさせられなければ、どのような強者も多少腕力のある人間と変わりない。

 長期戦向きだからこそ、グリーゼもこの場を守ることに異存はなかった。

 アネットにはそもそもこういったことは不向きどころの話ではないのだから。

 逆に言えば、自分が向こうでニルフィの相手をしても意味がないだろう。それはグリーゼにもわかっている。

 しかしそれでも配置の変更を促すと、

 

『それでもアタシにやらせてくださいよ。達成感とか、そういうの欲しいし? アタシがやることに意味があるのなら、やらない手はないでしょ』

 

 いつもの調子でさらりと告げた。

 結果的にニルフィがどうなろうと、グリーゼはその結果次第で淡々と動くだけ。……そのはずだ。

 しかし他にもっと手段があったのではないか?

 そう考えずにはいられない。

 もしこの場に他の破面(アランカル)、それも十刃(エスパーダ)がやって来たのなら、この茶番が台無しになっても構わないから素通りさせるのもいいのではないか?

 目先の安寧に目がくらむ。

 これは最初から正しい答えなどない問題だった。

 ーーまあ、仮にやって来たところで。

 ーー俺が叩き潰して舞台から蹴落とすことに変わりはない、か。

 複数の銃身が束ねられ、分間二千発、両手合わせて四千発が撃てる機関砲を構えながら、グリーゼは本人の意志も理解できぬまま、指に力を込める。

 ーー皆で宮に戻ろう、か。

 最後に会った時のニルフィの言葉を思い出した。

 いままでグリーゼはニルフィの命令という名のお願いを叶えてきた。

 お菓子が食べたいと言うならば、ケーキやクッキーを焼いたりして与えた。

 ホラー映画を見て寝れなくなったから一緒にいて欲しい。彼女が寝付くまで、そばにいてあげた。

 なんのことはない、日常。もはや取り返しのつかないものだ。

 これは命令でも指示でもない。

 この先にこそ、自分が望むものがあるはずなのだ。

 たとえそれがニルフィは望んでおらず、なにも知らないまま悲哀を抱くとしても。

 もはや最後のお願いは、グリーゼに叶えてやることはできなくとも。

 

 

 ーーーーーーーーーー

 

 

 愛とはなにかと答えられる者はいるだろうか。

 別にフェミニスト気取りを吊し上げようとか、単なる冷やかしをしたいわけではない。

 果たして千差万別の意味合いがある言葉を、聞かれた相手はどう答えるのかを知りたいだけだ。

 友人としてのものもある。家族愛や恋愛といったもの。他にも屈折したものならば、独占したいとか傷つけたいといったものまであるだろう。

 すべて個人的なものばかり。

 それが悪いわけではない。むしろ、折り合いをつけたものに、例えば友愛に恋愛を重ねるとか、親愛に傷つけたい欲求をブチ込むのは間違っているだろうから。

 ニルフィネス・リーセグリンガーにとって、愛とは身近にあるものだ、というのが自論である。

 (一部は往生際が悪く認めないだろうが)十刃(エスパーダ)たちにさえ大切にされているという自覚はあった。まあ、孫に接するものだったり、妹や娘のような立ち位置であろうと、彼らから向けられる感情は温かいものだ。

 そんな彼らにも、ニルフィは愛情を持っていた。

 どういった種類のものかは、ニルフィには整理がつかない。

 ただ、親愛やそれに類するものだろうというのは、おぼろげながら思っている。今までが好きか嫌い、または無関心だけで分別してきた少女には難しいことだった。

 しかしそれ以上。親愛や家族愛よりも深いものを感じられる時が時折ある。

 全体というわけではなく、一個人にそういった焦がれる気持ちを持つことになった。

 お互いがお互いを好きだと、そう思っていた。

 

 

 ーーーーーーーーーー

 

 

 ほんの少し昔のこと。

 なんの取りとめもなく、些細で、当たり前だった日常の一部。

 巨大なソファに二人の主従が座っていた。贅沢に間を開けることもせず、主人である少女は従者である女に甘えるようにしてもたれかかり、女のほうも満更ではない様子だった。

 ニルフィとアネットは談笑に華を咲かせ、彼女らにとってこの味わう時間とは、至福のひとときでもあるのだろう。

 

「それでね、それでねっ。ギンが卍解を見せてくれたんだけど、伸びた刃が藍染様のひと(ふさ)だけ垂らしてた前髪を刈り取っちゃったんだ!」

「ああ、だから最近藍染が自室に引きこもって出てこないのね」

 

 もっぱら話題を出すのはニルフィだった。

 身振り手振りで一生懸命話すのを、いつもアネットが聞いてくれる。たまに黒髪を手櫛で()いてくれるのを黙って受け入れ、少女は気持ちよさそうに目を細めるのだ。

 優しく微笑んで隣にいてくれるアネットが大好きだった。

 しかしこの時は話のネタも尽き、足をぷらぷらさせながらニルフィは頭を捻る。

 会話によくできる話の間だ。

 そこでふと、ニルフィはアネットの顔を見上げた。

 

「ーー?」

 

 小首を傾げながらもアネットはニルフィの髪を柔らかく()く。どこかこそばゆく、くすぐったくて、気持ちよい。

 目をまどろませるようにしてニルフィが身をゆだねた。

 

「ねえ、アネット。アネットは、私のこと……好き?」

 

 うっすらと潤んだ金色の目が上目遣いにされたアネットは、

 

「ええ、それはもう好きよ。お持ち帰りして帰したくないくらい」

 

 真顔のまま余計なことも含めて正直に答える。少なくとも、嘘ではない答えだろう。

 

「いつから?」

「いつ、というと……。ん~、出会った瞬間かしらね」

「どんな風に?」

「まあ、そうね」

 

 しばらく頭を悩ませていたアネットはポンと手を叩く。

 そしてなにかを宣伝するかのように力強い口調で言った。

 

「ーー(まれ)に見る美幼女(ロリータモンスター)とのエンカウント……。これぞまさにG級との遭遇! 今こそ狩猟解禁の時! 狩人よ、立ち上がれ! つーか狩れ!! ……っていう啓示が頭にピコーンって浮かんだのよ。電波的にビビーッと」

 

 あ、ちなみにRH(ロリハン)でのハンターランクは最高レベルですよ。そう続けて本能に従うだけの女従者は満ち足りた顔をした。

 そういえば、グリーゼが守ってくれなければエンカウント数秒で狩られてただろうな、と腰周りをやたらいやらしく撫で回されているニルフィは思った。

 出会いは運命と言うらしい。しかし自分たちにはロマンチックの欠片もないだろう。

 もちろん額面通りに受け取ったつもりはない。

 アネットは基本的に嘘はつかない性格だ。本心をあえて言わないか、数ある虚言のなかに交えて話すだけ。そして自分は本当に大切にされていることをニルフィは知っている。

 だから嫌いになれない。なれるはずもない。

 アネットは、ニルフィをニルフィとして愛してくれているのだから。

 

「ま、そーいう感じで好きになったというかなんというか」

「そっか」

「あー、別にあれよ。アタシって惚れやすい性格だけど、一目惚れだけであなたに惹かれたワケじゃないっていうか……」

「ううん。わかってる。ちゃんと、わかってるんだ。……だから、ありがとう」

 

 バツが悪そうに離されたアネットの片手に自分の手を重ね、指を絡ませる。アネットはわずかに驚いたように眉を上げ、仕方がないとでもいうように苦笑した。

 猫がじゃれつくように、ニルフィがアネットの肩に頭をもたれかからせる。

 合わせた手を確かめるように握ったり開いたりし、最後に手のひらを強く重ね合わせると、互いの体温が感じられる。

 言葉を交えずともこうしてるだけでニルフィは幸せだった。頼りになる相手がいるから安心できる、などというのとはちょっと違う。

 包まれてる。

 それ以外にはうまく言葉にできない。しかしニルフィはそれに身を預けるのが好きだった。

 自分を受け入れてくれる相手が居るのはなんと心地いいことか。

 

「続けて言うのもあれだけど、アタシがあなたを好きになったのは決して一目惚れだけが理由じゃないわ」

 

 アネットが軽くニルフィを抱え上げ、自分と向き合わせるようにちょこんと膝の上に乗せた。目を瞬かせるニルフィ。らしくもない笑みを、アネットが見せた。

 

「一目惚れっていうのは、相手の中身を見ないで好きになったことを言うの。ただの夢見がちな行動ね。でも、あなたのことは最初から好きだったし、それから一緒に過ごすたびにすごく(いと)しくなった。何度だって、惚れ直したわ」

 

 ああ、とニルフィが納得した。

 いつも傲岸不遜な態度のアネット。その彼女が、こんな口説き文句のような言葉を口にするために、いまは少し照れている。目の前にニルフィがいればなおさらのことだろうし、頬のかすかな朱を隠せてない。

 それがまたニルフィにもたまらなく愛しい。

 互いの吐息が熱を帯びた気がした。

 

「キミみたいないいヒトに好きでいてもらえるなんて、私、嬉しい。だから私も、またキミのことを好きになってもいいのかな?」

「……言ったそばから惚れさせないでよ」

 

 アネットは唇を尖らせ、すぐにかすかな苦笑を浮かべる。

 悪戯(いたずら)っぽくはにかんだニルフィが、ひとしきりアネットにじゃれついた。

 そして視線を交わし、どちらともなく顔を近づけ、唇を触れ合わせる。

 やさしくて穏やかで、そして何処に行くあてもない口づけだった。

 

「ん……」

 

 びくりと細い肩を跳ねさせ、ニルフィが上目遣いで相手を凝視する。

 言葉にならない言葉を探すように、アネットの舌が少女の口内を執拗に探る。ニルフィの舌も無意識のうちにその動きに応えていた。

 部屋中に二人の舌が絡み合う艶かしい水音が響き渡り、二人はその音に誘われる様に更に激しく、濃厚に互いの唇と舌を絡ませ合った。

 少女の喉の奥から、悲鳴とも嬌声とも取れる短い鳴き声が漏れる。

 アネットがニルフィの頭を包むように抱いているのだから逃げられない。いや、それがないとしても、ニルフィが細かく痙攣する自分の手足をアネットの首や腰に絡めてるのだから、逃げるつもりもないのだろう。

 貪られながら悦楽を味わい、快楽に傾倒していく。

 ニルフィがひときわ強く鳴いた。そこでようやく、それぞれの顔が離れた。

 口元を細い銀の糸が繋ぎ、涙目になっているニルフィの姿はひどく倒錯的で、今度はこちらが悪戯っぽく笑うアネットの表情は妖艶である。

 

「アネッ、ト……アネット」

「どうしたんですか?」

「ずっと、こんな時間が続けばいい。だから、だからね。……ずぅっと、一緒にいてほしいんだ」

 

 アネットが見せた、素の驚きの表情。

 その理由をニルフィは知らない。いまは従者でむかしは主人であった女の過去を、ニルフィはすべて知っているわけではないのだ。

 まさか自分が聞くことになるとは思ってもみなかった。

 牙の抜けた暴君は、後にそう語ったという。

 それもまたニルフィの知らないことだ。

 このひと時だけ。

 アネットは寂しげに笑い、

 

「ええ……。いつまでも」

 

 幸せは言葉通り、永遠に続くと思っていた。

 

 

 ーーーーーーーーーー

 

 

 もう何度目になるかもわからない、灰の上を転がる感触。

 喉に灰が張り付いて(せき)が出た。血の混じった咳だった。

 大笑いしている自分の膝を無理やり動かして、炎の追撃からなんとか逃げる。片足がもう片方に突っかかる。また、ニルフィは灰の上を転がった。

 カラダが崩壊していくのを絶えず超速再生で修復しているせいで、脳が暴走するような苦痛に呻き続ける。

 聖域・灼熱天獄(レ・シエロ・プルガトリオ)

 それは自分と対象を炎の監獄に閉じ込めるような技で、内部のものすべてを灰にしてしまうものらしい。

 頭がそれ以上うまく働かない。

 足も動かず、倒れないように地面の上で座り込むようにするだけが精一杯だった。

 

「チッ、またはずしちゃいましたね」

 

 灰を踏みしめながらアネットがやってくる。

 

「ほら、立ち上がらないと逃げられないわよ。まあ、聖域(ここ)からは本当に逃げられないから、短い寿命を数秒長らえるだけなんですけど」

「……ッ、ハッ…………ハァッ…………」

「立ちなさいよ」

「……ッ」

 

 触発されたわけではないが、軋む関節を無理やり動かしてニルフィは体を持ち上げた。

 そして一瞬後に、座り込むようにして倒れてしまう。

 

「脆いわね」

 

 髪をうしろに払いながらアネットが肩をすくめる。

 

「今更アタシを殺せないとか言っても、それは単なる偽善でしかないわよ? あなたは昔、仲間だった相手を何人喰ってるのかしら。だから今更、ひとり増えたところでなにも変わり無いでしょ」

「……い」

「ーー?」

「うる、さい」

 

 ままならぬ体を震わせながらニルフィがアネットを睨む。それも言葉通りのものでもなく、ひどく弱々しかったが。

 

「わたしは……、望んで、みんなを殺したワケじゃ、ない……。殺したくなんて、ひとりになるなんて、嫌なのに……!」

 

 ひとり増える。たかがひとりといえども、ニルフィに消えない傷が残るのは明白だった。

 虚夜宮(ラス・ノーチェス)で過ごすうちに、消えかかっているはずの記憶が鮮明にフラッシュバックすることが増えてきた。見覚えのないはずの(ホロウ)たちの姿。それなりに楽しかった時間。そして彼らの死体の中央に、いつも自分が立っている。

 ニルフィが最上級大虚(ヴァストローデ)として虚夜宮(ラス・ノーチェス)に訪れる直前にあった血の海がある。自分が自分として目覚めた時に見た、最初の光景。

 予想はしていたが、やはりそれもニルフィがやったことだ。

 その時知らなかったのは、死体の彼らが以前までの仲間であったこと。

 

「でもひとりだったから虚夜宮(ここ)にたどり着いた。それは違うの?」

「…………」

「まあ、それでアタシたちが出会ったワケだけど」

 

 たしかに、そうだ。いつだって、そうだ。

 利用されるだけ利用されて、それで最後には“要らないモノ”として捨てられてきて、それで今みたいにみじめに泣いてる。ぼやけた記憶の中からそんな既視感を覚えた。

 捨てられないためになんだってしてきたのだ。犯されて(なぶ)られて壊されて使われて扱われて。

 辛いと思ったことはない。そうしていれば、みんなが自分と一緒にいてくれるから。

 自分は何者でもない。それでも、みんなの輪の中にいることが自分であるという確証にもなる。

 それでも捨てられるのだ。無情に、卑劣に、強引に。そのたびに殺してきた。愛する相手を何度も何度も殺す感覚がわかるのか。裏切られた絶望が、それでもまだ信じようとする辛さがわかるのか。

 そう思うと、ああ、やっぱり自分はひとりなんだと考える。

 十刃落ち(プリバロン・エスパーダ)のヒトたちは揃って面倒見がよく、温かい気持ちになれた。 

 十刃(エスパーダ)たちは我が強かったが、それでも自分のことを考えてくれる安心があった。

 従者であり、特に大切な相手であったアネットのことはーー大好きだ。

 ニルフィは自嘲する。こんなときでも、大好きだった、なんて過去形で言うことができない。なんという道化、なんという阿呆だろうか。

 それでも。

 ニルフィはアネットのことを愛していた。

 持ち上がったニルフィの顔に、どんな表情があったのか彼女自身でもわからない。

 しかしそれを見たアネットは目を細め、一瞬だけ伏せ、前を向く。まっすぐ、紅色の瞳がニルフィを射抜いた。

 

 緋ノ御手(レ・マン・スカラティーノ)

 

 アネットの右腕が赤く染まる。

 振り抜かれた延長からずれるように本能的にニルフィが体を傾けた。へたりこんだまま、とてもそれだけで躱せるとは思わなかったが、ギリギリ直撃を免れたようだ。

 アネットが全身のバネを捻り、右腕をやや後方に引く。

 

「これで、最後よ」

 

 眼前のモノすべてが炸裂した。

 アネットが響転(ソニード)も使わずに踏み出した地面は、彼女の背後に放射状の衝撃を残した。

 速い。炎を百鬼夜行のように引き連れたアネットは姿が霞むようだ。

 本当の脅威は、その右腕。

 防ぐのは鬼道も鋼皮(イエロ)でも不可能。避けるのは体が追いつかない。

 アレは自分を貫く。

 そんな予感とともに、その様がゆっくりと見えていた。

 とうの昔に心が折れていたニルフィは、あれに殺されるのもいいかと頭の一部で思っている。

 こんなことは生まれて初めてだ。たとえ好きな相手であろうと、自分を殺しに来たのなら(ホロウ)であったときには躊躇わずに反撃していた。

 それでもなお、殺しあいたくない。

 アネットは自分を利用しないでくれた、利害関係などではない、美化してしまいたいほどに綺麗な相手で。

 そこでようやくニルフィは、本当のことに気づいた。

 ーーやっぱり私は、キミのことが……、一番(・・)、大好きだったんだね。

 アネットの姿を目に焼き付けながら、ニルフィは受け入れるようにして目を閉じた。

 そして貫手(ぬきて)は今までの膠着を無視するかのように、あっさりと胸を(えぐ)りーー貫通する。

 

 

 

 

 飛び散ったのは、紅い華のような鮮血だった。

 背中を突き破った腕は赤く妖しげに濡れている。

 

「ーーどう、して?」

 

 何度目になるかもわからない、少女の疑問の声。

 違うのは、その弱々しい問いに答えなど欲しくないということのみ。

 それでも現実はいつだって真実だけを伝えるものだ。

 この時は、そう。

 ニルフィの右腕。戦闘本能だけで動き、されど炎の槍の前ではとても結果を残せるはずもなかった細腕が、アネットの胸の中央を貫いていた。

 そしてアネットの右腕はわざと大きくはずされており、解放されたチカラがニルフィのはるか後方を消し飛ばすだけで、少女に新たな傷を創ることはなかった。

 そのまま数拍。

 アネットの口から血がごぼりと溢れる。

 

「ひっ……!」

 

 それがなにか恐ろしいものに見えて、ニルフィは反射的に右腕を引く。しかし体だけは言うことをきかないでその場に留まった。

 アネットはニルフィの肌に縋りつき、自分の胸に埋めるようにして抱きしめ、崩れ落ちる。

 傷としての穴が再生することもなかった。それどころか周囲を囲っていた炎が消えていき、アネットの帰刃(レスレクシオン)までもが解除されていく。

 それも必然のことだ。

 あらゆるものを破壊し、あらゆる傷を再生させる。完全という言葉を体現するするような能力にも欠点がある。どれにも、通常の何倍もする霊圧が消費されることだ。あれほど派手に大技や再生を連発すれば、生命維持にも支障をきたすレベルで消耗するのは当たり前だった。

 しかしアネットはそれも解っていたハズだ。

 いつだってニルフィを殺せる場面があったのに、ことごとく見逃している。殴ったり蹴ったりするときも、炎を纏わせていたら小さな体は容易く両断されていただろう。

 最後の攻撃だってそうだ。アネットは、自分の腕を不自然なまでに大きく逸らし、当たるはずもなかったニルフィの貫手(ぬきて)に飛び込んで。

 生き残ったのは少女で、命の灯火が消えかかっているのは従者の女で。

 

「……あ、ぁ……あーーあぁ、ああああああああああああああ!!」

 

 この結果は本来ならばありえない。

 しかしそれを改変するには、たったひとつの誤算があるだけでいい。

 

 これを起こしたのがすべて、アネットの意志であれば。

 

 自分は、なにをした? なにをしてしまった?

 少女の慟哭(どうこく)が灰の世界に虚しく響く。

 いつものように、泣き虫なニルフィをなだめるように抱きしめたアネットは、少女の耳元で震える声で呟いた。

 

 

「……ごめんね。約束、守れそうにないみたい」

 

 

 彼女が浮かべていた笑みは、約束を交わしたときのものと一緒だった。









歳の差のキスってセーフなのかアウトなのか……。純愛のつもりが、なぜか官能的になったし……。また都条例とバトることになりそうですね。

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