記憶の壊れた刃   作:なよ竹

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ここまで評価をいただき、ただただ感謝しております。諸事情により更新速度が遅れておりますが、モチベーションは高いままなので、いまだに稚拙な作品でございますが頑張って書いていこうと思います。

読者の皆様に感謝を。


ブレイク・ハート

 覚えのある霊圧が忽然として消えた。

 グリムジョーはそのことに目を見開き、一瞬であれど動きを止める。

 その隙をウルキオラならば逃さないはずだが、彼は指先に込めていた虚閃(セロ)の収束を中断し、斬魄刀を振るって鞘に収める。

 仮に攻撃されていようと、どうとでもなる自信があったグリムジョーはその行為に睨みを効かせた。

 

「……どういうつもりだ、てめえ」

「いや、思惑などこれといってない。ただ……そうだな。お前がなんの反応も見せていなければ、このまま殺すつもりだったと言っておくか」

「殺せるとでも思ってんのか?」

「さあな。だがお前が少なからず動揺を見せたことだけは事実だ」

「ーーッ!」

 

 そこまで大きな反応をウルキオラに見せたつもりはない。

 しかし、グリムジョーはこの茶番がどうなるのか結果を知っていた。知っていたからこそ、それでもなお感情が揺さぶられた自分に意味のわからない苛立ちを覚えていた。

 

 アネットがどういった選択を取ろうと、それは彼女の勝手。

 この動揺はそのことについてではない。

 ただハッキリすることといえば、もどかしさとも呼べる感情が生まれてしまったのは、彼女が命を投げ出したという結果に対してだろう。

 自分にとってはいけ好かない女というだけの存在のはず。それが、何故。

 

「待てよ、逃げるのか?」

「この戦いの勝敗など俺にとってはどうでもいい。やることができた。お前の相手をするのはこれで終わりだ」

 

 背を向けたウルキオラが響転(ソニード)で姿を消す。

 あとに残ったのは晴天の下でいくつもの破壊痕を残した砂漠と、破面(アランカル)の青年だけ。

 グリムジョーは苛立たしげに頭を掻き毟る。

 体には所々傷があれど深手ではない。そんなものを無視しながら、はるか遠くにある壁に目をやった。

 

 考えるのは嫌いだ。もとから頭を働かせるのは苦手だし、それを請け負っていたのは従属官(フラシオン)でもシャウロンだけだ。しかし的確にグリムジョー本人が見えていなかった痛いところを突く男は、この場にいることもない。

 

 グリムジョーの内心を占めるのは、九割の焦燥に似た苛立ち。そして一割の安堵。

 それは虚夜宮(ラス・ノーチェス)において、第7十刃(セプティマ・エスパーダ)主従の戦いの決着に勘づいた者たちの心情と同じものだ。

 

 なにもかもそれがわからない。

 だからグリムジョーは直感を信じ、なぜ自分がこんなにもくだらないことで頭を悩ませているのかを最後に考える。

 アネットとグリムジョーの違い。

 それだけ見ればあとは簡単だ。

 

「……割り切れてねえのは俺のほうだったのかよ」

 

 ーーあの女を甘く見てたな。

 アネットの我の強さを身をもって知っていたはずなのに、それを自分はいつから忘れていたのだろうか。

 

 

 ーーーーーーーーーー

 

 

 なにか言わなければならない。

 自分を抱きしめてくれている女の従者に、なにかを言わなければならないのだ。

 けれどニルフィの喉に声が突っかかって、中途半端に開いた口が息をこぼし、舌の上で転がっていた言葉を出すことができない。

 

 最初から自分は置いてけぼりだ。

 真実なんて目の前にあるように見えて、その実真偽は不明のままである。それに右往左往させられていたと思えば、今度は失楽させるかのような出来事が目の前にあった。

 それでも疑問は当たり前のように持つ。

 

 いましがた自分がつくったアネットの傷には弱々しい炎が瞬いている。

 しかし、それだけだ。傷を治すだけの霊圧がアネットには残されていなかった。そして、時間も。

 

「うそ、だったの……?」

 

 ようやく口にできたものは、それと同じくらい儚くて。

 胸元に抱きしめられているニルフィには、アネットがどんな表情を浮かべてか細い息を吐いたのか見えなかった。

 

「ぜんぶ、ホントのことよ。……ホントのことで、だからこそ、アタシは……、あなたを殺せなかった」

 

 いままでバラバラだったピースが当てはまってくる。

 ニルフィにも理解できるようになってきた。

 一番の大きなきっかけは、東仙がグリムジョーの左腕を切り落とした時だろう。その際にニルフィは初めて順従な態度を止めて、死神たちに殺意を向けてしまった。自分の危険性を知らしめてしまった。

 状況次第で誰であろうと逆らう意志があることを、藍染に教えてしまったのだ。

 その時だろう、藍染がアネットとグリーゼに取引をもちかけたのは。ニルフィはその大事なことを気にすることはなかったのである。

 

 次の日、スタークと初めて出会ってからアネットが迎えに来てくれた。

 あの時彼女が浮かべていた迷いや躊躇の表情。それが消えたのはいつだ? 思い出せない。それだけずっと前から、アネットは決断していたのだろうか。

 

 それだけならまだしも、ニルフィは力を求めるようになった。

 もはや無視できるような戦力ではない。

 少女は強くなりすぎた。

 仲間を守りたいと思うがゆえに、失う領域まで進ませてしまうほどに。

 

 けれど、ニルフィはアネットから愛情がそそがれているのは当たり前のことだと思っていた。それが裏切られたと勝手に思っていただけで、本当はやっぱり当たり前のことで。

 それでもだ。

 ニルフィが求めていたのは、けしてこんな結末ではない。

 

「わたしを、殺してくれればよかったのに」

 

 痛い。痛い。痛い。

 いままでの底冷えするものとは違った痛さがニルフィを(さいな)む。

 こんなものから逃げたかっただけの言葉が辛くて、アネットが怒るわけでもなく、またほんのすこし抱きしめる力を強くしたことでもっと痛くなる。

 

「ラティアは、こんなことで生き返っても、ぜったいに……喜ばない。それにぜったいに……、もうアタシに笑いかけてくれなくなる。それでーーアタシは、大切なヒトを……ふたりも失う」

 

 アネットが血の混じった咳をした。それだけ命を吐き出しているようにニルフィは思える。

 力もなく震える腕でアネットが少女の頭をかき抱いた。

 言い聞かせるようにして、血を飲み下しながら囁く。

 

「いつも、仮面で顔を隠してたから。そのツケを払ったって、ところかしら……。こうでもしないと……、アタシの言葉は、あなたのこころにーー届かない」

 

 やたらと大仰だったアネットの態度。本心と嘘が混ざり合った言葉の数々。

 それは出会って最初からニルフィと距離をとっていたからだ。

 アネットは自分の領域に誰も入らせなかった。なぜならそこは、自分と、もうひとりの想い人との世界だから。独りになっても気が遠くなる年月が過ぎても、他者に見向きすることはなかった。

 また、それが崩れ始めたのもいつからだろうか。

 なんとなく。本当になんとなくでしかないが、自分が認められたのはアネットが覚悟を決めた日である気がした。

 

 それを無意識にニルフィも察していたのだろう。

 破面(アランカル)たちとの交流において大切にしていたのが距離感であり、アネットに認められるまでは近いようで遠い関係だった。

 

 でもいまは違う。

 自分を抱きしめてくれるアネットには、仮面もなければ遠かったはずの距離もない。

 普通の、愛情をそそぐ者と受け入れる者の関係があるだけだ。

 仲間として、心から信用できる相手として。

 

「ごめんね。……ごめんね。……アタシに、あなたを(まも)れるチカラが無くて。でも、あなたはアタシと、ちがうから。ずっと……、ずっと独りなんかじゃ、ないから。となりには、必ずだれかがいてくれる。いっしょに歩いてくれるヒトが……いてくれる、から」

 

 途切れ途切れにつぶやき続けられる合間に、アネットの喉からは笛の鳴るような息が聴こえる。次第に弱くなって消えていきそうな細さだった。

 それをアネットは強引に押さえつけている。

 

 ニルフィはもう止めて欲しかった。これ以上、自分の大好きなヒトが苦しむ必要なんてないのだから。

 しかし心が死ぬ寸前であろうと、ニルフィは聞くしかない。

 それが自分のするべきことだと少女は理解している。

 

「痛かったでしょ、辛かったでしょ、苦しかったでしょ」

 

 ニルフィの頭に浮かぶのはおぼろげな過去の記憶だ。

 使っては捨てられ、使っては捨てられ、それでも仲間が欲しくて白い砂漠をさまよい続けた自分のうしろ姿。

 

「何度も、何度も……これからも、こんなことが続くかもしれないけど……」

 

 これは証明だ。

 アネットは自分の命で、ニルフィに正当な理由を与えようとしている。

 少女は殺されかけようとも相手の命を奪いたくないと考えている。しかし(ホロウ)時代ではその呪縛のような矛盾に苦しんだ。それでは、この先も長くないだろう。

 

 だがいまは違う。

 昔のように周囲の仲間がすべて敵になるとは限らないのだ。それで全員を殺して孤独の身となる必要もない。

 ニルフィには見えていなかっただけで、心の拠り所ともいえる仲間はちゃんと残っている。苦しんだら頼ればいい。辛かったら願えばいい。もうニルフィは、与えるだけの存在ではない。

 

 自分の意思で自分の身を守るという、そんな当然のことをアネットが教える。

 

「あなたは、独りにならないから。だからーー生きて」

 

 アネットが少女と顔を合わせる。

 水気を含み、溢れそうな瞳で。

 頬に雫を流すまいとするのは、単なる大人の意地。アーロニーロのように、たとえ最後だろうとかっこつけたいから。

 子供であるニルフィは涙を流すことに我慢する必要はなかった。

 短くなった黒髪が撫でられる。

 

「せめて、この髪が伸びるまで、ね」

「自分勝手だよ……。私の、ことなんか、考えてなくて……、それで、ずるい」

「……そうね、ずるいわ。アタシは、まだ許してもらおうとしてるもの」

 

 迫る怜悧(れいり)な美貌を避けることは、ニルフィにはできなかった。

 重なる唇は、熱くて柔らかくて、血の味がした。

 

 

「だからね、ニルフィーー」

 

 

 耳元で囁かれるのは、少女を負の輪廻から救う言葉だ。

 もはやアネットの命の火は消えかかる寸前。

 幸せなようで誰よりも傷ついているニルフィが、苦しんで思い悩むことのない人生を進むことができる。

 なんの禍根も残さず、ただの少女として生きていけることになる言葉は。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ヒャッ、ハァ」

 

 この光景をなにもかも侮蔑するような嘲笑によって塗りつぶされる。

 そこからはわずかな時間の出来事だった。

 

「ーーーーッ」

 

 なにが起こったのかニルフィには一片たりとも理解できなかった。

 朱色の女は奥歯を砕かんばかりに噛み締めた。覆いかぶさるようにしてアネットがニルフィを抱きしめた。

 アネット越しに、凄まじい衝撃を受ける。

 悲しくありながら綺麗に終わる。そんな予感がしていたのに、これはまったく現実味のない出来事だ。

 自分はあと少しで、アネットに救われるのではなかったのだろうか。

 

「ノイ、トラ……ッ!」

「よォ、テメエらなにつまんねェ終わり方しようとしてんだよ」

 

 霊圧はなぜか感じなかった。

 しかし黒衣のマントを剥ぎ取るようにして姿を現したノイトラが肩に乗せているのは、真新しい血でてらてらと濡れている巨大な斬魄刀だった。

 

 アネットの背にまわした手には、惨たらしい裂傷の痕とドロリとした血の感触が残る。荒い息で激しく上下する感触。そして、ロクに動くことができないであろう消えかかった鼓動の音。

 そうしているうちに、ノイトラが巨大な斬魄刀を振り上げた気配。

 

 そこからは、ニルフィにとってまるで映像越しに見ているような光景だった。

 一瞬だけアネットと視線が交わる。(にじ)んだ感情が色濃くて、それがどんなものだったのか少女にはわからなかった。

 ただ、子供のように泣きそうに思えたアネットの目が記憶に焼き付く。

 そんな彼女に自分は、安心させることができたのか。

 なにかが、できたか?

 

 アネットが少女の小柄な肢体を突き飛ばす。

 刹那。

 巨大な獣に()ね飛ばされたように、アネットの体がニルフィの眼前から消え失せた。

 

「……アネット?」

 

 思ったよりも近くにアネットはうつぶせで倒れていた。朱色の髪が顔に掛かっているせいで表情が見えない。

 

「アネット?」

 

 素直にならない体を這わせてニルフィが近寄る。

 

「アネット」

 

 呼びかけても返事はない。

 軽く揺さぶってみても、反応らしいものはなかった。

 ただ、アネットの背に触れた手にはべっとりとした血が付着している。ふたつの、体が半ばまで断たれていそうな深いもの。

 自分たちだけしかいなかったはずの砂漠に哄笑が響き渡った。

 

「オイオイおいおい、まさかの元NO.1(プリメーラ)が呆気ねえモンじゃねェかよ、なァ?」

 

 ニルフィにはなぜここにノイトラがいるのか理解できない。

 弱りきった精神に依存する頭は、この状況についていかなかった。

 だから行動の優先順位も滅茶苦茶で、ノイトラのことを横目で見ても、すぐアネットを軽く揺すって起こそうとする。

 

「起きて。起きてよ。アネット。ねえ、なんて言ってくれるハズだったの? ねえーー」

 

 ノイトラの靴の先が脇腹に突き刺さる。そう思った時には、少女の小さな体がサッカーボールのように蹴飛ばされたときであった。

 痛くてこれ以上体が動かない気がした。

 だがニルフィは再び這うようにしてアネットのそばへと近づこうとする。

 

「……アネ、ット」

「ウゼェんだよ、テメエは」

 

 また蹴り飛ばされた。

 その方向はアネットが倒れている場所であり、ニルフィは蹴られたことに頓着することもなく、光の消えかかった瞳のまま揺すって起こそうとした。

 でも目を覚ましてくれない。回道を使っても傷が塞がる気配はなかった。

 背がかすかに上下もしていなければ、口元の髪が揺れる様子も見えない。

 ニルフィの手の中から暖かさがこぼれ落ちていく。

 

「ったく、テメエはとっとと死んどきゃ良かったのによ。確認程度で来てみりゃあ、そこのクソ女が勝手なマネしてるじゃねェか。命令なんざどうでもいいが、気に入らねェ女をふたりも消せるってのがオイシイなァ、おい」

 

 ノイトラがなにか言っている。

 それを聞きたくなくて、ニルフィは必死にアネットを起こそうと手を動かす。言葉がどういうものか理解した瞬間、自分は壊れてしまうだろうから。

 

「…………」

 

 面白くなさそうに見下ろしていたノイトラが少女の頭を鷲掴みにし、その握りつぶさんばかりの握力にニルフィからか細い悲鳴が上がる。

 

「おい、チビ。もっと他にもあるだろうがよ? キャンキャン犬みたいに吠えまくったり、オレになんか言いたいこととかねェのかよ、なァ?」

「やめ、て……。アネットが、まだ起きて、ないから」

「起こすってか? 面白れェセリフだ。テメエもわかってんだろ、あァ? コイツはもう駄目だってな。お前が殺しかけて、次にオレが殺してやった」

「……ちがう」

 

 この現実にニルフィは耐えられない。

 理不尽が暴力となって心を折ってくる。

 あともう少しで自分はアネットに救われるはずだったのに、なぜこんな展開になっているのか。視界に映るものすべてが灰色になっていく。

 

「前からテメエのことが気に入らなかったんだ。仲良しこよしで、ほかの十刃(エスパーダ)の奴らの牙を随分抜いちまってよ。あいつらにそんな趣味でもあったのか? まあ、いまはそんなことどうでもいいな。殺すんなら甚振る許可ももらってるしよ」

 

 ノイトラが力の抜けたアネットの体を容赦なく蹴り上げた。

 

「や、めて……ッ」

「……それがウゼぇつってんだよ!」

 

 脚にまとわりつくようにしてきたニルフィをすくい上げるように蹴り飛ばす。

 ボトリ、と落ちたニルフィはまた這うようにして、女を守るように小さな体で覆いかぶさる。

 

 彼にとってはニルフィもアネットのことも、ある女の破面(アランカル)と同じで目の敵にしていたのだ。十刃(エスパーダ)で『1』の数字が与えられた時のアネットは、ノイトラのことを常に格下としか見ていなかった。

 だから藍染の申し出はノイトラの望みを叶えるものである。

 

 圧倒的有利な状況のなかで、ノイトラの行動は傲慢そのものだ。

 ゆえに、躊躇もない。

 頭を掴んだままニルフィの首の向きを強引に変え、嫌がる少女を無視して仰向けに倒れたアネットの顔に無理やり近づける。

 

「よォく見とけよ。これが、テメエの招いたクソッタレな結果だってことをな」

 

 ニルフィは揺れ動く視界のなかで倒れ伏す女の顔を見て、そしてーーーー。

 

 

 ーーーーーーーーーー

 

 

 この戦いが始まってから一番の手応えに剣八が笑うことはない。むしろ怒りさえ覚えているとでも言いたげな様子で、目の前のグリーゼを睨みつける。

 

「てめえ、なんのつもりだ!」

「…………」

 

 グリーゼの甲冑は真ん中から少し横にずれて、縦に大きく切り裂かれていた。その隙間から噴水のように血が溢れ出る。鎧はすぐさま修復するが、中身の肉体を治すわけでもなかった。

 

 剣八の刀を防ぐはずの大剣は横の壁に振るわれており、()ばされた斬撃が真一文に貫通している。さらに、霊子を貪る蟲をすべて壁の劣化にまわしていたため、強力な剣八の攻撃を弱らせることなくまともに喰らうことになった。

 

 使い物にならなくなった右目をヘルムの奥で強引に開く。

 

「……この戦いは俺の負けだ」

「あァ!?」

 

 まなじりを吊り上げて再度斬りかかってくる剣八。

 それを無視して破面(アランカル)響転(ソニード)で外に向かう。

 現在、考えうる限りでもっとも面倒なことになった。妨害がないと思っていたわけではない。むしろ必ずあるだろう。しかしどういった形で成されるかは当事者にしかわからないことだった。

 

 アネットがあえて大ぶりな攻撃をしていたのも、隠れ潜んでいる虫を駆除するためのもの。それをどういった形で防ごうともグリーゼの探知能力に引っかかる。

 万全だとは思っていない。

 しかしそれらすべての答えを知っているのは、

 

「……どういうつもりだ、藍染」

「それはこちらの言葉だ。君たちは、私との約定を忘れたわけではないだろう」

 

 月明かりの下、夜空を見上げていた藍染の視線がグリーゼに向けられる。

 その手には抜き身の斬魄刀が下げられていた。遠方にいるノイトラの首を刎ねるはずだった駆霊剣(ウォラーレ)を撃墜したのも、その刀なのだろう。

 

「……約定だと? 忘れるはずもない。だが、それを守るかどうかは俺たちが決めることだ」

「それは残念だ」

「……お前が、このことを予期していなかったはずがない」

「たしかに、君たちはこの件において最高の駒であると同時に、最大の障壁ともなりうることは最初から知っていたよ」

 

 藍染は薄く笑いながら答える。

 

「だから私がここにやって来た。手負いとはいえ、君の相手はギンや(かなめ)では荷が重すぎるからね」

 

 大剣から細剣(レイピア)に変えた斬魄刀で、グリーゼが死神の頭部を穿つ。

 点の攻撃を藍染は刀の腹で受けきった。

 

「……お前の霊圧はいまだに玉座の間にあるんだがな」

「聡い君ならばもう感づいているだろう。いつからか、自分が『藍染惣右介の行方』に違和感を持ち、それに危惧を覚えてわざわざ更木剣八を早期に下そうとした君ならば気づいたはずだ。ーーそれは錯覚だと」

 

 グリーゼが手を閃かせる。

 手に持っているのは小ぶりなナイフ。拮抗が無くなったことで藍染の刀を持つ手がわずかにブレた。グリーゼが踏み込む。その時にはもう、大剣で斜め下から死神を斬り上げる。

 半身になって躱す藍染。

 一拍の呼吸の間。

 そして次の瞬間、無数の剣戟の音が砂漠に響き渡る。

 

「……ザエルアポロをけしかけたのもお前か」

「いや。私はただ、彼を少しばかり導いてあげただけさ」

「…………」

 

 それだけでグリーゼには十分だった。

 なぜ第七宮(セプティマ・パラシオ)を密かに襲撃しようとしたザエルアポロが、三千もの葬討部隊(エクセキアス)を動かしたのか。

 簡単なことで、それはもとから科学者の命令ではなかったのだ。霊圧による違和感も、藍染の能力らしき幻でいくらでももみ消せる。

 

 そしてザエルアポロは知りすぎていたのだろう。

 ニルフィの過去やその特性を割り出していたはずであり、それが間違って言いふらされるのは藍染にとって都合の悪いことだった。

 しかし藍染はザエルアポロがニルフィに特別な感情を持っていることを知っており、それを利用して単独でグリーゼにぶつからせた。

 ザエルアポロが少なからず信用していたのは、あくまでもニルフィだけ。

 裏切るかも知れない(と思っている)他者を使うことなく、勝ち目の薄い戦いをさせられたのだ。

 グリーゼも、どうやらそのつゆ払いに利用されたようだった。

 

「彼も死後、自分の技術がニルフィを追い詰める一翼を担ったとは考えなかっただろう」

 

 そしておそらくノイトラは、地下から移動したはずだ。ザエルアポロが従属官(フラシオン)たちと乗っていたものを使ったのか。

 アネットとバラガンの能力の違いはいくつかあるが、そのひとつに侵食能力の有無がある。

 地下深くに潜っていた相手は狙わなければ殺せない。

 

 鍔迫り合いをする大剣を軋ませながら、グリーゼが藍染を睨みつける。

 

「……まさかお前がここまであの少女に執着するとは思いもしなかった」

「たしかに私は彼女のことを目にかけていた。君たちと騒ぎ、時折笑えないことを引き起こそうと、退屈はしない日々だった」

「…………」

「だが、それとこれとは別のことだ。私はこのために(ホロウ)であった彼女を破面(アランカル)として迎え入れたのだから。むしろ彼女は感謝してると思っているよ」

「……お前が語るべきことではない」

「少なくとも、私は君たちよりも彼女のことを知っているつもりだが」

 

 その言葉に、グリーゼは目を細める。これ以上語ったところで時間の無駄だと悟った。

 大剣の(きっさき)を藍染に突きつける。

 

 王虚の閃光(グラン・レイ・セロ)

 

 十刃(エスパーダ)から降りたとはいえ、これを扱えるだけの技量は残っていた。

 しかしそれを藍染が破道の八十八“飛竜撃賊震天雷砲(ひりゅうげきぞくしんてんらいほう)”で相殺し、着弾地点から衝撃波が巻き起こる。

 

 砂煙の中からグリーゼが飛び出した。

 それを待ち構えていた藍染が素早く手を結ぶ。

 

(にじ)み出す混濁(こんだく)の紋章 不遜(ふそん)なる狂気の器 湧きあがり・否定し 痺れ・瞬き 眠りを妨げる 爬行(はこう)する鉄の王女 絶えず自壊する泥の人形 結合せよ 反発せよ 地に満ち己の無力を知れ。ーー破道の九十」

 

 黒棺(くろひつぎ)

 

 藍染による、完全詠唱の九十番代鬼道。

 手甲に覆われた手が死神に届く直前、黒い直方体状の重力の奔流でグリーゼを囲い、さながら巨大な獣の顎のように飲み込んだ。

 天高く伸びる黒は空を覆い隠し、壁自体が耐え切れなかったことで噴き出した余波が藍染の裾をはためかせる。

 

 詠唱破棄として本来の威力の3分の1以下であろうと、死神の隊長格を戦闘不能にさせるチカラ。

 それがたったひとりに完全な形で叩きつけられた。

 その結果は事実として視界に映ることになる。

 

 ーー漆黒の塔が、縦から真っ二つに割れた。

 

 ひび割れた壁から破面(アランカル)の両手が現れ、鬼道を強引に引き裂く。崩壊していく黒棺(くろひつぎ)がさらにバラバラになると、蟲たちが奇声を上げながら貪り喰い、その構成していたすべての霊子を甲冑の騎士に献上した。

 グリーゼが咆哮する。

 鎧がさらに強固になり、蟲じみた刺々しい形へと変質していった。

 そのことに、藍染はかすかに驚嘆したような表情をしている。

 

「そこまでか。どうやら、君のことを侮っていたらしい」

 

 砂漠を鳴動させるような霊圧を放出するグリーゼが大剣を構えた。

 

「……お前が舞台に上がる資格などありはしない。そこを退けーー死神」

「面白いことを言うものだ。君たちが彼女を救う選択肢のなかでもっとも最短だったことは、この私を殺すことだった。しかしそれをしなかったのは、君たちふたりでは私を殺し得ないことを察したからだろう。それがひとりで私に届くと思ったのかーー破面(アランカル)

 

 そしてここにきて、初めて藍染が酷薄に笑った。

 

「君たちが評した茶番はすでに終わっている。もうすでに、新しい幕は上がっているのさ」

 

 

 ーーーーーーーーーー

 

 

 蟻地獄のように飛び出した巨大な容器の中から、ヤミーがその巨体を窮屈そうに出した。

 灰色だらけの砂漠に目当ての相手を見つけるものの、頭をボリボリと掻き、見るからに気乗りしない様子でしばらくその場にいた。

 

 それもそのはず、彼は藍染に命令されてなければこんな場所には来なかっただろう。

 いや、来ること自体は問題ない。しかしその命令の内容が、同じく受け取ったノイトラとは逆に、ヤミーにとってはあまり気持ちのいいものではなかったからだ。

 

 完全に直感で行動するヤミーにとって、最初に関心が持てなければよほどのことがない限り関心のないまま。そしてやりたくもないことであれば、最後までやろうとは思わない。

 遅れてやって来ることは前もって決められていたが、それよりもさらに遅くにヤミーはやって来た。

 起こりうる出来事を見なくても済むように。

 

 しかしヤミーに気づいたノイトラがジェスチャーでこっちに来いと言ってきた。そのことに苛立ちを感じつつ、巨体を揺らしながらそちらへ歩いていく。

 

「遅ェじゃねェかよ。このままとんずらこくのかと思ってたぜ」

「ウルセぇよ」

 

 ひどく、面倒だ。

 ノイトラのすぐ前まで近づいたヤミーは、さっきから聴こえていた異音の正体を目にする。

 

「……あ、ははは……、はは、……あは…………は、は…………ははは…………あ……はは、は」

 

 砂の上に座り込み、動かなくなった女の体をそっと抱きしめて、壊れたスピーカーのように乾ききって色のない笑い声を漏らし続ける少女。光の消えた金色の双眸から絶えず涙が流れ、空虚さを一層引き立てていた。

 これまで見てきた天真爛漫な姿などそこにはない。

 あるのはただ、弱りきった心を徹底的に(なぶ)られ、廃人のようになってしまったモノだけだった。

 

「まァ、何かするまでもなかったぜ。無理やり真実ってのを見せてやったら、すぐにぶっ壊れちまった」

 

 それなりに満足したのか、ノイトラの声にはどことなく飽きがある。

 しかしヤミーは鼻を鳴らすと、すぐに少女から背を向ける。

 

「あとはオマエがやっとけ。……くだらねえし、俺は帰る」

「オイオイ、オレがこのチビをこのままにしてた理由はちゃんとあるんだぜ、ヤミー。テメエもそれなりにコイツにご執心だっただろ? だからあとは好きに使っていいんだぜ、後始末をしてくれるってンならなァ」

「…………」

「そう怒るんじゃねェよ。オレぁ、まだコイツにゃ何もしてねェぜ?」

「いい加減にしろよ」

 

 ノイトラもかなりの長身であるが、それを軽く超える体躯のヤミーが怒りをあらわに眼帯の男を見下ろした。

 

「今頃キレんのかよ」

「ノイトラ、勘違いすんじゃねェぞ。十刃(エスパーダ)で最強なのはテメーじゃなくてこの俺だ。これ以上俺をおちょくるつもりなら、ぶっ殺す」

「ハッ、ならやってみるか?」

 

 下卑た笑みを好戦的なものにするノイトラ。それに盛大に眉をしかめ、ヤミーはこの場でこの男を殺そうかと考える。

 だが視線をずらし、魂が抜け切ったかのようなニルフィを見て、途端に怒りが別の感情に塗りつぶされた。

 喪失感などというものは、大男にとって初めて抱いた感情だ。

 

「好きにやってろ」

 

 気のせいかわずかに力のない声で返し、ヤミーはぶつけどころのない感情を砂漠に叩きつけた。

 

 砂の噴水を見上げながらノイトラは腑抜けたものだと考える。

 それもこれもすべて、うしろで廃人になってしまった少女のせいだ。彼女の姿がとある女の十刃(エスパーダ)のものと重なっていたように見えて、いつだって感情がささくれ立つ。

 

 巨大な斬魄刀の刃をニルフィの首に添える。

 少女は焦点の合わない瞳で、刃に映る自分の顔を見ていた。

 

「恨むんなら理不尽ってのを恨んどけ。テメエは、ここで終わりだ」

「…………」

「まァ、先に死んでった奴らが待ってるだろうぜ。オレは目の前から目障りなガキが消えりゃあそれでーー」

「ーー死んでないよ」

「……あァ?」

 

 ノイトラは一瞬、ニルフィ以外のだれかが言ったのかと思った。

 さっきまで心が死んでいた者とは思えないハッキリとした口調でニルフィが重ねて言う。

 

「だれも、死んでないよ」

「馬鹿かテメエ。頭イカれてんのか。アーロニーロは、テメエの目の前で死んでンじゃねェかよ」

「アハハ、そんなワケないじゃん。アーロニーロなら、ちゃんとそこにいるじゃん」

 

 緩慢な動作でニルフィがあらぬ方向を見やる。しかしノイトラにとっては、何も存在しない砂漠だけしか広がってないように思えた。

 

「うん。うん。やっぱり、皆そばにいてくれてたんだ。シャウロンもディ・ロイもイールフォルトもギゼルガもホーネストもティカもパウルもフォーディアもクシャナもバオもヘシミアもクルセルオもアリエッタもドラモウもリアもブレイスバーンもヒドもランジーもコルスエットもルウォンもビーもエスメラルドもポルトッコもグルセムも……」

 

 呪詛のように紡がれる名前の群れ。

 呼ばれるたびに、ガラス玉のようなニルフィの瞳がなにもない空間に向けられる。

 

「アハハッ、そうだよね。みんな、みんな、私を残して居なくなるわけないもん」

「なに、言ってやがる」

 

 先程までの優越感など吹き飛び、ノイトラは背に嫌な汗が浮かぶ。本能が警鐘を大音量で鳴らし続けた。

 ぎちぎちぎちぎちぎちぎちぎちぎちぎちぎちぎちぎちぎち…………。

 歯車のかみ合わせが悪くなったかのような音が、嗤うニルフィの霊圧から響き渡る。

 

 異常に気づいたヤミーが振り返る気配。しかしノイトラには、それに構っている余裕すら無くなった。

 自分は何か、この少女について思い違いをしていたのではないか? それこそほかの十刃(エスパーダ)たちですら気付かなかった、その本質を。

 

 パキン……、と儚い音が耳を打つ。

 それはまるで、仮面が割れたかのような霊圧の断末魔で。

 

「私、みんなのこと、大好きなんだ。ホントのホントのホントのホントのホントに!! だぁいすきなんだ。もちろん、アネットのことも。……でもキミはダメだ。なんで、アネットにこんなことしちゃったの? 殺しちゃったら、ダメだよ。こんな、こんな!!」

 

 ぐるん、と音がつきそうな動作でニルフィが首をノイトラにめぐらせる。

 歪な少女の笑顔。怒りを笑みに無理やり変えたかのような、そんな代物。

 しかしそれは、眼帯の男が思っていたような種類のものではなくて。

 

「私がーー喰べる(・・・)ハズだったのに!!」

 

 気づいたときには、小さな手がノイトラの顔面を掴んでいた。

 

 掴み虚閃(アガラール・セロ)

 

 グリムジョーが使うような、相手の体の一部を鷲掴みにした状態で、零距離で虚閃(セロ)を放つという荒業。ニルフィが使えばただでさえ強力な技が、なにかの(かせ)がはずれたかのように威力が数段上がっている。

 首から上が消えた錯覚。

 鋼皮(イエロ)を全開にしたおかげでそれはまぬがれたが、はるか後方に吹き飛ばされて顔が滅茶苦茶にされた。眼帯がちぎれ飛び、左目にある(ホロウ)の孔が晒される。

 

「……ッ、チィッ! そういうことかよ!」

 

 すべて理解したわけではない。

 だがハッキリすることは、これさえも藍染の予定通りなのだろうということだ。

 

 そのことにノイトラの額に青筋が浮かぶ。

 怒りを主軸として、感情が破裂した。

 

「祈れ『聖哭螳蜋(サンタテレサ)』」

 

 膨大な霊圧が吹き荒れると、砂塵のなかに巨大な三日月のシルエットが浮かび上がる。

 頭に左右非対称の三日月のような角が生え、腕が節足動物のような装甲で覆われ四本に増え、その四本の腕に大鎌を持つ姿に変わり、腹部を囲む様に角のようなものがいくつも形成される。

 

 射殺さんばかりに、ニルフィを睨みつけた。

 眼前の少女は、狂ったように笑いながら絶えず涙を流し続けている。腕を掻きむしり、白い細腕から幾筋もの血が流れ、肉がむき出しになる。

 

「アハハ、そうだよね! みんなが死ぬはずなんかないもん! クヒヒッ、アハハッ、そうだよ、死んでなんかないんだ! やだなぁ、私ったら嫌な夢を見ちゃった。そんなはずないのにね! みんな、ここにいるもん! キハ、キハハハッ」

 

 ニルフィの豹変ぶりにノイトラは目を細めた。

 狂った少女の姿が、どうしてもニルフィネス・リーセグリンガーとは重ならなかったのである。

 そして、相変わらず焦点の合わない目と視線がぶつかった。すぐに、ニルフィの表情が抜け落ちる。

 

「でも、だめだ。キミのせいで悪い夢のままだ。ああ、そうだね。ぜんぶ、消さないと。いままでみたいに、消さないと……私は、独りだ」

 

 最後の言葉だけは、ひどく寂しげだった。少女が肩越しに振り返る。そこには、倒れたままの朱色の女がいた。

 ニルフィの手が斬魄刀に添えられる。

 涼やかな鞘走りの音が鳴り、逆手に持ったそれを優しく抱いた。

 

 

 

 

 

 

(こわ)せーー『無貌幻魔(イルシオン)』」

 

 

 

 

 

 

 




これは俗っぽい話となりますが、最近になるとお気に入り件数や評価の変動が少なくなっており(入れていただいた方々にはモチベーション維持などの励みになっております。誠にありがとうございます)、このまま話を進めていくのが正解なのか悩むことがあります。

このままでいいのか。皆様を満足させられてるのか。負けられないんだ。おっ、お前はあの時の!? 作者、都条例討伐。ヒィ、ャッハー!! 俺は……ひとりじゃないんだ(キリッ)

過去もあわせてこういった舞台裏もありまして、この回まで筆が進んでいなかったり。
それで一日寝て、答えを出しました。

よし、このまま進めて綺麗に終わらせてみせる、と。

まぁなにが言いたいかというと、更新をお待ちしてくださる皆様に、作者はちゃんと生きてます言いたかっただけですね、ハイ。

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