ニルフィが目を開けると、そこはなにもない空間だった。
どこまでも白く、終わりの見えない道だけが続いている。
そしてなにもないというのも語弊があるのだろう。空間はゆっくりとボロボロに崩れていき、本当になにもない深淵のような黒い外側が覗くようになっていた。
なにもないはずの空間が失われてきていたのだ。
「ーーーー」
なぜここにいるかもわからない。
記憶はなぜか虫食い状態で、頭に浮かぶどの場面にもだれかが一緒にいたのに、その顔はモヤがかかったように黒く塗りつぶされていた。
思い出せるとすれば、
「……血?」
この赤く染まった両手くらいのものだ。これが関わるシーンは鮮明に思い出せる。
そしてなぜか血まみれの手からは自分のものではない血が溢れ出し、ボタボタと路上に落ちて赤い池を生んだ。血は止まらない。むしろ血が出れば出るほど自我がハッキリとしてくる。
どうしてか、泣きたくなった。
助けを求める声を上げようとしても、だれを呼ぼうとしているのかてんで頭に名前が浮かんでこない。
ニルフィはついに諦め、道の先へと顔を向けた。
背後の道は崩れるのが早くて進むことはできない。いずれはニルフィの立っている場所も崩れ、どことも知れぬ場所に堕ちるだろうことが察せた。
なら、進むしかない。
どこまで続いているのかわからないが、あの白い壁のように自分も落ちてはいけない気がした。
少女は一歩、前に踏み出した。
終わりのない旅がーー始まる。
ーーーーーーーーーー
何ヶ月前の出来事だったか。
ドルドーニ、ガンテンバイン、チルッチの三人は
「ねえ、もう終わりなの?」
「……ぐ、うっ。まだ、まだ……! ……体力が回復しない」
起き上がりかけたドルドーニが再び床に突っ伏した。
もう限界の限界まで霊圧を絞りまくり、その最後の攻撃さえいなされたのだ。息を吸うのも億劫なほどで、なぜあれほど動きまくっていたニルフィが汗一つかいてないのか不思議である。
「……おい、ニルフィ。なんで俺たちよりも
「ガンテンバインさんたちより軽いからじゃないかな」
「お、覚えてなさいよ。それ女に重いって言ってるのと同じ、なんだから……!」
残りの二人もなんとか口を動かせるくらいだ。
いつもならば他にもメンバーがいるのだが都合がつかなかったりサボタージュされたりと、今日はこの三人しか集まらずにニルフィとの模擬戦をしたのである。
結果はご覧のとおり。
いつもより人数が多くてもできないことは、やはり数が少なくてはできるはずもない。
「チルッチさんは前に出すぎだったね。それを気にしてるせいでガンテンバインさんの機動力が落ちてたし、私が接近してくると、焦ってすぐに近距離攻撃と遠距離攻撃を変えちゃうからわかりやすかった。ガンテンバインさんももっと自分を前に出していいんだよ?」
『……うーい』
毎度のニルフィの総評に二人は力なく返事をした。
「それでオジさんだけど」
「う、うむ」
「いつもより全体的によかったと思うよ。二人の攻撃の合間をちゃんと見極めてたし、隙を縫ったときの一撃は当たりそうになったから。私じゃなかったら決まってたね」
「そうか! それはなによりーー」
「でもね、それで調子に乗っちゃったのかな。どうして間合いに入った私のことを掴もうと手を伸ばしたんだろ。あそこは足技を使えばよかったし、狙うならせめて胸じゃなくて頭を狙ってほしかったな」
仲間の二人が汚らわしいものを見るような目になり、慌ててドルドーニが弁解する。
「ち、違うのだよ! 蹴りを
「日頃のおこないの結果でしょ」
にべもなくチルッチが切り落とした。
ニルフィは苦笑しながらうなずく。
「それは嬉しいけど、私もちゃんと避けられるからさ、心配しないでよ」
「ううむ、すまない。吾輩の独りよがりだったか」
「でもいいんだ。そこがオジさんらしいしね。それに本当の戦いだったら躊躇しないでしょ?」
「……ああ、それは、うむ」
ドルドーニはこれでも切り替えはできるタイプだ。
考えたくもないが、もし
「じゃあ、今日はこれで終わりにしよっか。明後日あたりにでもまた来るね」
立ち上がるニルフィの姿を見て、ガンテンバインが悔しげに呟いた。
「……まるで勝てやしなかったぜ。神でさえもう少し公平なはずだ。自分が強いと思ったことはないが、それでも、無力なのは嫌なもんだなぁ」
「ガンテンバインさん」
「いや、いや、いや。
気怠げに体を起こしたガンテンバインが軽く笑った。
「ーーだけどよ、もう俺たちから学べるもんはなくなってるだろ。なあ、ニルフィ」
天井を見上げていたドルドーニも、ふてくされるように寝転がっていたチルッチも。あえて口には出さなかっただけで同じ気持ちであった。
「それは……」
「すべてじゃねえが、いまの俺たちは出し切った状態だ。なんでも記憶できるお前には目新しいことはなくなってるだろう」
技の類はおおよそニルフィに見せてしまっていた。すでにニルフィは攻略法を導き出してるし、今回の模擬戦ではすべてを察したかのように避けることに専念していた。最初の頃は隙をつくるために攻撃を交えていたというのにだ。
そしてすでにニルフィはドルドーニたちの技も扱える。
覚えるべきところは覚え、そして、模擬戦の経験もドルドーニたちが相手では微々たるものだろう。
ここで
そんな懸念を抱いているのにも、大人である彼らは気づいていた。
「あー、もう! あたしたちの心配なんかいらないわよ。子供に心配されるほうがよっぽど惨めだわ」
「……チルッチさん」
「あんたがいなくたってこっちはこっちで頑張るから。見てなさいよ、今度会ったときは一矢報いてやるから」
チルッチが拗ねたように言った。ニルフィに挑発されてこの模擬戦に参加するようになった彼女だが、なんだかんだで二人の仲は悪くなかった。
ドルドーニも身を起こして少女に向き直る。
「まあ、心配せずともよい。これが一生の別れになるわけでもないのでからな。他のメンバーにはちゃんと言伝しておこう」
「そっか。ありがとね、オジさん」
「礼ならば吾輩を抱きしめてくれるだけでも……あ、いや、うむ、なんでもない。最近はなぜかよく
後半のつぶやきはほとんど聞こえなかったが、ニルフィは力が抜けたように微笑んだ。
やはり気を使わせてしまっていたのだろう。この少女は優しい。優しすぎるくらいに、自分を犠牲にしてしまう。
「あのさ」
出口へと歩いていたニルフィが振り返る。
「ーー私はみんなのこと、大好きだよ」
「知ってる」
三人のだれかが答えたかもしれないし、もしかしたら全員だったかもしれない。
ニルフィが去ったあと、修繕が必要なほど崩れたホールに転がる
「……自らの弱さをこれほど悔いたことはないな」
ドルドーニの言葉は虚しく反響したようでいて、けして二人に否定されたわけではない。
誰からともなく立ち上がり、軽く挨拶を交わしたあとは、落ちた者たちの住処へとどこともなく去っていく。修練に身を費やすか、疲れた身体を癒すか、それもまた各人の自由だった。
最後まで残っていたドルドーニは斬魄刀の柄を撫でた。
「心から楽しいと思える、時間だったな」
ニルフィの偽りのない言葉。
それだけがやけに耳に残った。
ーーーーーーーーーー
「探したぜ、オッサン。なにしてんだよ」
「だからオッサンではないと……まあお兄さんという歳ではないこともたしかだが」
砂漠で仁王立ちをしていたドルドーニが肩を落とし、隣に現れたグリムジョーを恨めしげに睨む。
しかしこうしてグリムジョーが
ニルフィを釣るためなのだろう。グリムジョーがここまで来る道中、骸骨兵どもに対する防衛線を張っていた
ここは最後の砦だ。
あとはこの場で決着を付けるだけで済む。
「あー、しかしすまないな。吾輩たちでは力が足らん。それに技や動きはすべて見切られる。
うむうむ、と納得するようにうなずくドルドーニ。
その仕草はすべて自然体で気負ったところは見られない。
だからグリムジョーは言った。
「……オッサン、もう一度言うぞ。ここでなにしてんだ」
ドルドーニの体が震えた。理性と葛藤がせめぎあい、弱さを見せまいと心の奥に押し込むように。
そして深く息を吸い、なにかの感情をにじませながら言い切った。
「彼女を止める。それだけでは、いけないのかね」
暴走している哀れな少女のため。
実にドルドーニらしい理由で、それでありながら可能という言葉が見えぬほどの難しい仕事であった。
「死ぬぞ?」
多少強くなったとはいえいまだにそのどちらにも敵わないドルドーニが出たとしても、そう結果が変わるとも思えない。心の壊れた少女が手加減してくれるなど、ドルドーニ自身も思ってるわけではないはずだ。
「……それでも。それでもだ」
乾いた風が吹いた。
言葉に詰まったのは喉の水分が消えたからだと、そういう理由などではないのだろう。
「戦えるのか?」
「ーーわからない。いや、わかっているが、わかりたくないというべきか」
「…………」
「それでも、やるのだ」
「できるのかよ?」
そこでドルドーニがグリムジョーの顔を初めて見た。
「違う。ーーやるのだ。
「……? なんだそりゃ」
「悪い女と同じだ。駄目だと思いつつ、いけるかと思ってしまうのさ、この世は」
らしくもない笑みだ。
そして今日は、そのらしくもない笑みを浮かべる奴らが多い。
「あいつの止め方はわかってんのかよ」
「さて、な。殺さずに戦闘不能にさせることくらいか」
『
「
エサという言葉の意味は比喩でもなかった。
そしてエサは獲物の口に入り、最終的には食いちぎられる。やはりそこまでドルドーニが理解していないはずもないのだが、彼はそんなことをおくびにも出さなかった。
「
ドルドーニの確認にグリムジョーがうなずく。
そういえばあの少女とは一緒にいる期間が長かったが、ついぞそんな機会に恵まれることはなかった。まあ、語りはしないが勝てるビジョンも浮かんだことはなかったが。
「ならばいい。生憎にも吾輩のスタイルは
まるで美談にでも仕立て上げるかのようだ。
ドルドーニに苛立ちを隠さずにグリムジョーが吐き捨てる。
「だったらあとは俺に任せりゃいいだろ。こんなもん一人で十分だ」
「彼女は強いぞ、強すぎるくらいに強い」
「俺も強いに決まってんだろ。むしろてめえが邪魔なんだよ」
「ほう? では訊くが、そこまでしてなぜ
助ける。まあ、そうなのだろう。危険を承知の上でグリムジョーはここにいるし、ただ戦うためにいるのではないのだから、案外的を射た質問だ。
しかしグリムジョーは舌打ちをして、言い訳する子供のようにそっぽを向いた。
「あいつにはまだ借りがあるんだよ。それ以上でもそれ以下でもねえ」
十月の末頃か。いつぞやと同じセリフだった。
ここにアネットでもいれば爆笑でもしてるだろうし、現にドルドーニも笑っていた。
「フッ、実に
「ほっとけ」
「よいのだ、そう恥ずかしがらずとも。すべて変わった。だれもがあの少女と出会い、そのほとんどが変わったのだ」
ともすれば泣き出しそうな声音だった。
「かくいう吾輩も善人ぶろうとしていながら、これまで他人のために戦ったことなどない。それが誰かを救うため。それも、大切な者のために力を使うなど……いままで、そんなこと、したこともなかった」
最後あたりは言葉も詰まり、震えてしまっていた。
ようやく誰かのために戦える。それだけ嬉しく思い、自分の偽善者ぶりに悲哀が湧いてくる。
しかし偽善で結構だとドルドーニは割り切った。この世の中、正義を振りかざしていながら救えないことがなんと多いことか。あの少女を助けられるなら、偽善だろうが使ってみせる。
珍しいものを見たようにグリムジョーが肩をすくめた。
「かなり入れ込んでんだな、あいつに」
「さて、な。言わせるな恥ずかしい」
ニルフィは自分たちを見てくれた。強さでもない、
裏を返せばそれ以外のなにかが必要になることもなく、個を確立するために
それがどれだけ虚しいことか。
しかしニルフィだけは違った。
あの幼い少女だけは他人の本質に触れ、だれも
アーロニーロしかり、アネットしかり、自分の心の
優れた容姿。好ましい性格。それらでさえ、ドルドーニが助ける理由の一端でしかない。
空気を変えるためにか、先輩とも言える紳士がおどけた調子で青年に尋ねる。
「ところで
「……どうもこうもねえよ」
「吾輩は好きか嫌いかで聞いてるのだ! ふざけるなよ貴様!!」
「はァ!? テメッ、俺にキレる権利ねえだろ!?」
盛大に舌打ちするグリムジョーの表情から固さが消えた。
知らないうちに強張っていた心をほぐされたことに気づき、やはりこの紳士は苦手だとグリムジョーは内心で毒づいた。
「ーーあいつとの時間は悪いもんじゃなかった」
ドルドーニは驚いたように青年の横顔を確かめ、最後には苦笑する。
「なんだよ、文句あんのか」
「あるはずもないさ」
もう少しグリムジョーと会話もしたい様子だったが、
「あまり、人数は集まらなかったな」
骸骨兵の掃討など、土台無理な話だった。あれらを駆逐するにはそれこそ
「まあ贅沢は言うまい。吾輩が
「相手ニルフィだろ。オッサンが頑張ってどれくらい足止めできんだよ」
「そうだな……」
文字通りの全力を尽くすとすれば、
「まあ、多く見積もって六秒だな」
「嘘つくんじゃねえよ。右足、
「では五秒」
「あばら数本ヒビ入ってんのはどうだ?」
「……では、四秒だ」
「ニルフィの
「そこは祝いたまえ」
まあ、と数歩前に出たドルドーニが続ける。
「正直、ーー三秒。三秒だ。三秒ならば、
腰に下げた斬魄刀の柄に手を添える。
「凄いだろう? まさか吾輩などが、三秒であの少女を救う道をつくれるのだから」
予定通りというべきか、二人の前に血まみれのニルフィが
グリムジョーもドルドーニに止めろと言うことはできなかった。
ならば、もう。
「
言った瞬間だ。ドルドーニの左右に、ふたりが並んだ。
アフロヘアーとゴスロリファッションの、特徴的な男女。どちらもくたびれ傷ついた死覇装姿だ。
「なぜ……」
「俺はーー、二秒弱がーー、限界だーー」
「ならあたしは四秒ってトコ? これでなんとか九秒弱ね。すごくない!? 修練しててこんなに持ったときないわよ」
ドルドーニはあえてこのふたりを呼んでなかった。
自分よりも霊圧を消費してるだろうし、とりわけニルフィとも仲が良かったメンバーだ。殺されてもいい。彼らには、そう思って欲しくなかった。
しかしそれこそ、彼らにとってはいい迷惑である。
「……頼むぜ、グリムジョー・ジャガージャック。こっちは子供を保護者に届けたあとなんだ。……疲労困憊でロクに動けやしないぞ」
「不本意だけど手伝うわよ。あんたじゃなくて、あのチビのためにね」
「ーーーー」
グリムジョーは珍しく呆気にとられたような表情をして彼らを見やる。
自分より弱いくせに、自分よりも真っ直ぐに前を見ているではないか。
ここに来るまであれほど内心で燻っていた苛立ちは不思議と消えていた。それもそうだ。うじうじ悩むより、こうして暴れてすべてを解決するために動くほうが性にあっている。
「ーーハッ」
やっと、自分らしく笑えた気がした。
「仕方ねえから手伝わせてやる。足引っ張んじゃねえぞ」
「そちらこそヘマをするなよ
「……あー、俺たちゃこう、やっぱ暴力でしか解決できねえのか」
「殴って止める。それしか方法がないならおあつらえ向きでしょ」
チルッチの言葉に皆が笑った。
そして全員は、ふいに笑いを止め、もはや姿も明確になった奇獣を背負う少女に向き直る。
ーー『
ーー『
ーー『
かつて
グリムジョーもまた少女の空虚な眼窩に、獰猛に笑いながら真正面から見返した。
「ーーまだ寝ぼけてるつもりなら叩き起してやるぜ、ニルフィ!」
叫び、指先に霊圧を溜めて刀の刃を引っ掻く。
「ーー
それが開戦の合図だった。
奇しくも九秒で、この戦いの決着は付くこととなる。
ーーーーーーーーーー
一秒。
時計の秒針がそれだけの時間を刻むより先に、傷ついた身体に鞭打ってガンテンバインが動く。
しかし届かない。到達したのに、届いていない。眉間、人中、心臓、鳩尾、肝臓、膵臓、その他いくつかの急所。まるで幻覚を見せられたかのように逆にガンテンバインは二十の打撃を返され、喉から滝のような血が溢れて両眼がグルンと裏返る。
二秒。
途切れかけた意識を拳士が無理やりつなぎ止めたのはその時だ。
「ぐっ、オオオオオオォォォォッ!!」
「ーーーー」
興味を失ったかのように目を逸らしたニルフィが気づく。眼前には龍のアギト。それがなにがなんでも喰らいつかんとばかりに大口を開けていた。
『
竜牙が空を切った。ニルフィの姿はガンテンバインの背後に。手刀がそのたくましい背中を浅く食い破り、刹那、そこを中心としてガンテンバインが十字架型の氷塊に閉じ込められた。
しかしわずかでも動きを止めたニルフィに複数の羽刃が襲いかかったのは、その時だった。
三秒。
わかっていなかったわけではない。これは殺し合いだ。何度もやったことがある。しかし想像できるはずもなかった。まさか自分のような存在を大好きだと真っ直ぐに言ってくれた相手が殺しにかかってくるなど。
だが、覚悟があるのとないのとでは違う。
眼帯の優男がつくってくれたこのチャンスを、チルッチは逃すつもりはなかった。
チルッチは見ていた。倒されるガンテンバインではなく、ずっと、ニルフィの姿を。それでも見えてしまった。ガンテンバインの目が、覚悟が、自分に託されたことに。一瞬一瞬のシーンが刻まれながら視界に映り、ガンテンバインが身を挺してつくった隙に合わせて翼を振るう。
これだけでニルフィに効くとは夢にも思ってない。だからーー
翼を代償としたことによって得た、尾の部分から生み出す霊子の刃。
チルッチの覚悟を体現した剣が振るわれた。
四秒。
刃羽をしのいだニルフィがわずかに動きを止める。それを意識の端で察したチルッチはまず第一の賭けに勝ったことを理解する。ニルフィはその優れた記憶力のせいで、未知のものを観察してしまうクセがあった。チルッチがこれまで見せたことがない技。それを観察するために無意識に足を止めたのだ。
ーー激突。
五秒。
奇獣が腕を交差して受け止めている。無機質な金と赤の双眸がチルッチを見つめ返していた。
「あああああああああァッ!!」
ただでさえ燃費の悪い
それでもチルッチの剣は止まらない。大気を撹拌させ、打ち砕き、蛇がのたくるようにニルフィをその場に止めようと剣筋を残す。
己を叱咤して、前へ前へと突き進んだ。
「ーーーー」
最初は剣を生んでいた尻尾だった。それから右翼、右前足、左翼と、破裂したかのように次々とふき飛ばされる。
『
奇獣の背中に八本もの触手が生えた円盤がいつのまにかできていた。先端に氷の槍をくっつけたような触手が伸び、いとも容易くチルッチのパーツをなぎ払う。
そしてそのうちの一本がチルッチの腹を突き破った。
六秒。
無駄なあがきだとしても、ほんのわずか。ほんのわずかでもいいから時間を稼ぐためにチルッチは腹に力を込めて触手を抜けさせまいとした。
自分はここで終わりだ。しかし無力感は不思議と湧かなかった。
なぜなら次に繋がったと確信したからだ。
「……ドルドーニ!!」
「ーー応!!」
チルッチの叫びに男が応えた。
七秒。
ドルドーニは自分が飛び出すと同時に、背後でより巨大な霊圧の波と圧力を感じた。自分たち
すでに賭けは成立している。
あとはドルドーニがニルフィの瞬足での回避を防ぐだけ。
そしてグリムジョーに繋げるのがドルドーニの役目であり義務だ。
それを果たすためにドルドーニが爆発させた霊圧は暴風へと変化し、体重の軽いニルフィを空へ舞い上げた。
八秒。
ニルフィはわずかに迷った。ここで大規模破壊攻撃ーー
そしてさらに後方にいる膨大な霊圧をまとったグリムジョー。これが無視できない。グリムジョーならばノイトラのものを模した
そして『
これが制約として最大二つまでしか同時に発現できないのだ。
現在は『大紅蓮氷輪丸』と『
それと同時に機動力も殺されており、この戦いではじめて危機感を抱く。
彼らはここまで計算していたのだろうか。
このためだけに命を犠牲にしたのだろうか。
「はああああああぁぁぁぁッ!!」
体勢の崩れたニルフィに嵐と化した嘴が無数に放たれた。予想より、鋭く、重い。防御にまわした奇獣の腕が傷ついた。この異常な威力の増加。おそらくニルフィと同じで命ともいえる魂魄を強引に燃やしている。そこまでしてこの男は自分をここに留めたいのかと、わずかな苛立ちがこれまで無表情だったニルフィの顔に浮かんだ。
もう取り返しのつかないところまで来ている。たとえ終わらせたところで、ニルフィの手は血に染まり、いるはずだった仲間が消えた世界しか残らない。
ならばもう、壊すしかないじゃないか。壊して、ゼロに戻して、それで終わればいいじゃないか。
瞬閧
内部破壊の拳がドルドーニの心臓に突き刺さった。
九秒。
「グリムジョー!!」
ドルドーニが最後の叫びを上げた。
はじめて、青年の名を呼んだ。
その彼の両手はたしかにニルフィの突き出した腕を掴んでいる。
「ーーーー」
ニルフィが目を見開いた。後方にいるかと思っていたグリムジョーがドルドーニの背後の影から現れたのだ。
『
ここまで飛び上がるために使ったであろう脚も豹のそれを思わせる形状に変わり、関節部には刃を、鞭のようにしなやかな尻尾も含め、まさに戦うためだけの身体となっていた。
それだけグリムジョーの刀剣解放の俊敏性は高かった。
しかしニルフィもわかっていたのだ。茫然自失になっていながら戦闘センスの冴えは変わらず、だからこそ最初から本命であろうグリムジョーを警戒していた。それが時には躊躇いとなり、少女の動きに精彩を欠かせた。意識を逸らしたことなどない。だがしかし、こうして彼らの分の悪いはずだった賭けに負け、そのツケが目の前にある。
この瞬間。この瞬間のためだけに、すでにグリムジョーは最大最高の技を繰り出していたのだから。
両の爪から創られた、空中に浮かんだ霊圧による十本の青い巨大な刃。
それが巨大な獣のアギトのようになり、夢から醒めぬ少女の左右から襲いかかった。
作者は